【日 付】2026年4月11日(土)
【山 域】高見山地
【コース】8:20 波多瀬---10:10烏岳---11:05舟戸---12:30波多瀬
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.463153/13 ... z0r0s0m0f1
大石不動の対岸、波多瀬の長平山(現在は中山と呼ばれている)には波多瀬城があり五箇篠山城を本城とする野呂氏が治めていた。北畠氏滅亡時に野呂氏も滅んだが、国司再興を願う浪人と僧兵3000人が決起した五箇篠山城の戦いでは野呂一族郎党が結集した。
波多瀬八柱神社の横は上人の墓が固められており寺跡のようだ、棚田跡が続く沢筋を進むと登山道の分岐で東コースを選ぶ。植林の杣道だが、間伐に枝打ちと手入れをされた林は明るく風が抜ける。杣道の終点で植林は終わり、自然林の山道に変わると目に優しい若草色の木々が広がる。トラバースして尾根筋に取りつき稜線を上ると大日山東峰(461m)で、なごり桜が青空に映えている。
烏岳の肩の535mを大日山と呼んでおり、石祠に守られた弘化2(1845)年の大日如来が波多瀬を向いて祀ってある。真新しいサカキと日本酒にビールが進ぜられた波多瀬の大日さんで、眼下に長平山を囲む波多瀬が見える。集落から見える場所なので、浅間さんかと地元の長老に聞くと「浅間さんは宮の端にあり、違う。」との事で浅間祭も行われていない。長平山にも大日如来の祠があり大日山に向かって建てられており、密教とのつながりなのだろう。波多瀬城の守護神としての大日如来であり、当時は烏岳でなく大日山と波多瀬では呼んでいたのだろう。
智拳印を結んだきりっとしたお顔の大日如来と別れて、しばらくすると烏岳山頂で、正面に局ヶ岳・栗の木岳・修験業山が見え北畠氏の本拠地多気はすぐそこだ。ただ、ここからは波多瀬は見えないので、東の肩を大日山と名付けたようだ。なごり桜の谷からは五箇篠山城が直下に見える。
舟戸道の分岐は破線道の先のコルにありテープ道が続いているが、放置植林の道で暗い感じだ。登山道が谷道の破線道に合流したあたりから自然林になり昔の道が出てきてホッとする。舟戸登山口に置いておいた自転車で波多瀬に戻る。
舟戸から和歌山別街道で粥見に出て、途中の横野で伊勢本街道が合流し、和歌山街道で大石まで下り波多瀬に向かう。波多瀬城のあった長平山は、中山薬草薬樹公園・元丈の館となっており、日本最初の西洋博物学書の『阿蘭陀本草和解』を著した野呂元丈の記念公園になっている。元丈は野呂氏の末裔で、北畠氏家臣をルーツに持つ本居宣長、谷川士清と同じく医者だった。山頂部には観音堂と呼ばれる寺があり薬師堂や墓地、長い石段が残されている。大日如来の祠に庚申堂、山の神、寺院跡の灯篭などが集められた場所があり、山中に散在していた物を集めたようだ。たまたま来ていた長老と話をし、長平山という呼び名などを教えてもらった。その中で、浅間さんや山の神神事を集落としてやってこなかったので「波多瀬は火事がおこる。」と言われているという言葉が印象に残った。観音堂や光蓮寺など集落の信仰の要が火事で焼け落ちたことからきているらしい。
【高見山地】なごり桜に誘われて烏岳(大日山)と波多瀬城
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