【高見山地】小泉八雲全集と大明神山
Posted: 2026年3月22日(日) 11:25
【日 付】2026年3月21日(土)
【山 域】高見山地
【コース】8:25広瀬---9:30大明神山---11:15大河内---11:35広瀬
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.509456/13 ... z0r0s0m0f1
掘坂山と丹生を結ぶ大河内に大明神山がある、明神は権現と同じく仏が民を救うための化身で神仏習合の神になる。ただ大明神山がどうしたいわれがあり、なぜこの名がついたのかわかっていなかった。ところが小泉八雲全集にある怪談『鏡の少女』の中に「大河内城の西南に大河内明神という社があり、北畠家の尊崇厚かった。」という記述がある。
岩田川の戦いで当主北畠満雅が戦死し北畠家が存亡の危機にあったころ、大河内明神の神主松村兵庫が神社の修理もおぼつかない窮状を救うべく京に出向いた。寓居した屋敷の古井戸の毒竜に捕らわれた少女を救い、少女の鏡を足利義政に献上し大河内明神の再興をはたしたという。
広瀬集落では紅梅とコブシが咲き誇り、サクラの花が色づきはじめていた。広瀬八柱神社では鹿が車道をゆったりと闊歩し、林道ではアナグマが私に気づかずに近づいてくるなど、里と獣たちの領分のズレを感じながら破線道を進む。山頂に続く尾根は巡視路になっていて大巻きして大明神山の祠に着いた。祠は広瀬に向けて建てられており広瀬の人たちが建立し、毎年7月には道を切り開いている。ここまでの植林で見かけた「セ」のペイントは広瀬の共有林の意味で、広瀬のおばあちゃんの言った「大明神山は広瀬のもんや」という意味がわかった。
大明神山の位置を確かめたくて瀬戸ノ高(391m)までピストンする。西峰からは白猪山の三角の山容が正面に見え、南向きの伐採地からは丹生と近長谷寺や国束山の山並みが手に取るように見渡せた。稜線は大河内区共有地になっており、「大」のペイントや看板が目立つ。大明神山山頂手前より大河内に向かうトラバース道を進むと溝道が出てきた、地図には複雑にえがかれているがP194手前のP230から北東に尾根を下り北に向かい大河内につながる破線道につながるように溝道は進んでいる。最後は鹿よけネットと並行しながら集落のはずれに着いた。稜線から大河内側の麓まで大河内区共有地で、大河内の山とも言える。
溝道の先の大明神山の山頂に大河内明神はあったようだが、今はない。戦国時代に荒廃した後、外宮の摂社志等美神社の山神社として伊勢市に転地されていた。今は社名の読み方は「おおこうち」だが、古文書では「おほかはち」「おほがふち」とされており、地名の大河内(おかわち)と通ずるものがある。大明神山の名は大河内明神山からきていたが、大河内明神が伊勢に転地されて実態が無くなり大明神山となったのだろう。
歴史から消えたいわれが、小泉八雲の怪談からつながるとは思わなかった。小泉セツが江戸時代末期に出版された『当日奇観』の「松村兵庫古井戸の妖鏡」をもとに掘り起こした。1700年代に出された『席上奇観垣根草』を再販改題したものになる。
【山 域】高見山地
【コース】8:25広瀬---9:30大明神山---11:15大河内---11:35広瀬
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.509456/13 ... z0r0s0m0f1
掘坂山と丹生を結ぶ大河内に大明神山がある、明神は権現と同じく仏が民を救うための化身で神仏習合の神になる。ただ大明神山がどうしたいわれがあり、なぜこの名がついたのかわかっていなかった。ところが小泉八雲全集にある怪談『鏡の少女』の中に「大河内城の西南に大河内明神という社があり、北畠家の尊崇厚かった。」という記述がある。
岩田川の戦いで当主北畠満雅が戦死し北畠家が存亡の危機にあったころ、大河内明神の神主松村兵庫が神社の修理もおぼつかない窮状を救うべく京に出向いた。寓居した屋敷の古井戸の毒竜に捕らわれた少女を救い、少女の鏡を足利義政に献上し大河内明神の再興をはたしたという。
広瀬集落では紅梅とコブシが咲き誇り、サクラの花が色づきはじめていた。広瀬八柱神社では鹿が車道をゆったりと闊歩し、林道ではアナグマが私に気づかずに近づいてくるなど、里と獣たちの領分のズレを感じながら破線道を進む。山頂に続く尾根は巡視路になっていて大巻きして大明神山の祠に着いた。祠は広瀬に向けて建てられており広瀬の人たちが建立し、毎年7月には道を切り開いている。ここまでの植林で見かけた「セ」のペイントは広瀬の共有林の意味で、広瀬のおばあちゃんの言った「大明神山は広瀬のもんや」という意味がわかった。
大明神山の位置を確かめたくて瀬戸ノ高(391m)までピストンする。西峰からは白猪山の三角の山容が正面に見え、南向きの伐採地からは丹生と近長谷寺や国束山の山並みが手に取るように見渡せた。稜線は大河内区共有地になっており、「大」のペイントや看板が目立つ。大明神山山頂手前より大河内に向かうトラバース道を進むと溝道が出てきた、地図には複雑にえがかれているがP194手前のP230から北東に尾根を下り北に向かい大河内につながる破線道につながるように溝道は進んでいる。最後は鹿よけネットと並行しながら集落のはずれに着いた。稜線から大河内側の麓まで大河内区共有地で、大河内の山とも言える。
溝道の先の大明神山の山頂に大河内明神はあったようだが、今はない。戦国時代に荒廃した後、外宮の摂社志等美神社の山神社として伊勢市に転地されていた。今は社名の読み方は「おおこうち」だが、古文書では「おほかはち」「おほがふち」とされており、地名の大河内(おかわち)と通ずるものがある。大明神山の名は大河内明神山からきていたが、大河内明神が伊勢に転地されて実態が無くなり大明神山となったのだろう。
歴史から消えたいわれが、小泉八雲の怪談からつながるとは思わなかった。小泉セツが江戸時代末期に出版された『当日奇観』の「松村兵庫古井戸の妖鏡」をもとに掘り起こした。1700年代に出された『席上奇観垣根草』を再販改題したものになる。
【高見山地】小泉八雲全集と大明神山