【加越国境】大内谷川遭難顛末記
Posted: 2024年10月13日(日) 16:57
satoさんが先行してレポアップしてくれたが、55年の登山人生初の遭難・ヘリ搬送を経験してしましまった。
普段から人には口やかましく安全登山をと唱えていながらこういうことになってしまい、内心忸怩たるものが
あるのだが、この経験を記すことにより少しでもやぶこぎネットのメンバーの参考になればという思いで顛末記
を書くことにした。
【日 付】2024年9月7日(土)
【山 域】加越国境 小倉谷山周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】大内登山口---大内谷川右俣---奥の左俣Ca540m地点
大内の登山口もすっかりお馴染みになった感がある。この2年ほどの間に加越国境と加賀の山に魅せられて
しまったのは、標高が低いわりに山深い雰囲気が味わえ、何より人が少ないというのが大きな理由だろう。
大内谷川は2年前に奥の右俣を火燈山へ詰め上がり、火燈古道を大内峠へと歩いた。
今日は奥の左俣を加越国境稜線の小倉谷山北側のJPに詰めて、少し富士写ヶ岳方面へ北上してから大内谷川の
左俣を下ろうという計画である。
草深い林道を歩いて終点近くで入渓。すぐに美しいナメの出迎えを受ける。
この谷には取り立てて言うほどの滝はなく、美しい林相と火山帯らしい岩盤の風景を楽しむ谷だ。
水量は前回同様少なく、困難もなく順調に二俣に到着した。
前回歩いた右俣の方が見た目にも面白そうだが、今日は左俣を進む。
小さな淵に魚影が走った。イワナだろう。石の陰に逃げ込んだので、そっと手を差し入れてみると、指先にヌル
っとした感触があった。逃げる様子もないのでそのまま手を伸ばして掴む。手袋のおかげで滑ることもなく、
イワナの手掴みに成功である。大きさは20センチ強というところだろうか。もちろんリリースして遡行を続ける。
右俣の方はそこそこの滝が連続して現れたのだが、この左俣はやや平凡な印象だ。
5m程度の滝が二つ出てくるが、どちらも傾斜が緩く快適に直登できた。
前方に細い滝が現れた。高さは10mぐらいだろうか。なぜかこの滝の写真を撮り忘れてしまった。
すぐにチェーンスパイクを履いて左手のガレに取り付く。ガレの左側には立ち木がありホールドは豊富だ。
15m(たぶん)ほど上がったところでトラバースラインを見つけた。足元もさほど不安定ではなく、ガレの上部
を2~3m渡れば完全な安全地帯である。
山側のちょうど手の位置に直径10センチぐらいの丸太が横たわっていた。もちろん浮いているのはひと目見てわかる。
浮いている木や石でもあえて押さえ込んで疑似ホールド(この場合のホールドは力をかけるわけではない)にするのは
よくあることだ。ここに慣れと油断があったのかもしれない。
押さえ込んだつもりの丸太が予想以上に動いてバランスが崩れ、安定していたはずの足元のずれを誘発してしまった。
ヤバいっと思って掴むものを探したがなにもなかった。
後は滝の下から見上げていたガレを滑り落ちるだけである。谷側を向いて滑ったので、視界に入る景色がやたら早く
変わって行った。なぜか頭の中は冷静で、どのあたりで止まるんだろうと思いながら着地点を探っていた。
足に大きな衝撃が加わり、その反動で右の太ももを岩に強打して止まった。
上からsatoさんの「大丈夫ですか~」という叫び声がしたので、「大丈夫」と返す。
この時はかなり打撲したけれども自力で下山できるだろうと思っていたのだ。
右足は痛いが、それ以外は多少擦り傷はあるもののまったく無事だったのである。
satoさんが下りてきて、座ったような状態で着地した体の下にザックを敷いてくれた。
打撲だけならしばらく休めば痛みも収まると思っていたが、右足が 動かない。
satoさんが「すぐに救助要請しましょう」と言ってくれたのでスマホを取り出すと、幸いなことにアンテナが立って
いる。119番にかけると小松市消防本部に繋がり、こちらの現状を伝えて救助を要請した。
正確な位置を伝えるためにスマホに表示された緯度・経度を伝えると、「すぐにヘリで向かいます」と意外な答えが
返ってきた。まさか樹林に覆われた谷のなかでヘリ救助できると思わず、地上からの出動を予想していたのだ。
しかし、少しだけは頭上が開けているとはいえ、この谷の中でヘリから発見できるのだろうか。
電波が悪く、何度も消防本部や捜索隊に電話をかけなおす。大きな爆音がしてヘリが近づいてきたと思ったら、
すぐに離れていってしまった。やはりなかなか見つけられないのだろう。
satoさんが少し離れた見通しのいいところに目印になるよう立ってくれている。
再び爆音が近づいてきた。最初に電話が繋がってから2時間以上は経過しただろうか。
赤い機体が目の前に現れて、救助隊員が2人降りてきてくれた。ありがたいことに、satoさんもザックも乗せてくれる
と言う。(結果的には私のザックだけは現場に残ったままになり、車のキーを回収するためにokuちゃんにまで負担を
かけることになってしまったが。)
体ごと包み込むようなシートの穴に腕と足を通して吊り上げられた。横で隊員が励ましてくれている。
すごい爆音と爆風の中、くるくる回りながらヘリの中に回収された。
ここから小松空港までは10分か15分ぐらいだったはずだが、ヘリの天井を眺めながら永遠のような時間の経過を感
じていた。
小松空港からは救急車に移されて小松市民病院へ。到着するとすぐにCTとレントゲンを撮った。
骨盤骨折と一部肋骨のひび。じっとしていれば強烈な痛みを感じることはなかったが、とても歩いて下りられる状態
ではなかった。
すぐにICUへ移されて汚れた沢装束から入院着に着替えさせてもらったが、体は汗と砂まみれである。
翌日家内と娘、兄貴の3名が来てくれた。兄貴には登山口に止めっぱなしの車を回収して大阪まで運んでもらうと
いう大役を頼んである。その前に、山中に放置したザックに入ったままの車のキーを回収せねばならない。
satoさんがokuちゃんに連絡して、快く同行を引き受けてくれた。okuちゃんは本当にいいヤツだ。
すべてを回収し終えた後3人と病院で対面する。こちらが意外に元気そうなので安心したようだ。
ICUは家族以外入れないということで、satoさんとokuちゃんには会えずじまいだった。
小松市民病院に12日間入院して、大阪府茨木市の病院に転院した。すぐにCTを撮ってケガの状態の説明を受けたの
だが、思っていたより悪く愕然としてしまった。
股関節が粉砕状態で、右足に荷重できるまでに2か月かかるという。そこからリハビリしてちゃんと歩けるようになる
までどれぐらいかかるのだろう。
長くても1か月ぐらいで出られるだろうと軽く考えていたのだが、甘かった。
しかし落ちた高さを考えれば、これぐらいで済んでよかったと思うべきなのだろう。
今回の事故がどうして起こったのか振り返ってみる。
年齢を重ねるに従って体力が低下しているのは十分自覚している。反射神経も若い頃のようにはいかない。
筋力はまあまあだと思うが、持久力は衰えているだろう。判断力はたいして変わらないというより、より慎重、もっと
言えば臆病になって、行けるだろうと思うところでも自重して巻くことが多くなった。
高巻きの際は面倒がらずにチェーンスパイクを装着して万全を期している。
総合的に見て、今の自分の力の7分目から8分目程度のルート設定しかしなくなった。
登山道しか歩かない人から見ればずいぶん危ないところを歩いていると思われるのかもしれないが、沢やバリハイを
やっている人にとっては何でもないコースだろう。
今回高巻いたルートもいつものごとくという感じの何でもないルートだった。難度が高いわけでもなく、危険を感じ
るようなトラバースではなかった。ロープを出しておけばと悔やむような場面でもなかったのである。
ではなぜあそこで落ちたのだろうか。直接的には前出したような要因なのだろうと思うが、それだけでは説明できない
ような気もする。決して気を抜いていたわけではない。これが「魔が差した」というヤツなのだろう。
どんなに慎重に歩いていても事故は起こる時には起こる。人間は一日中緊張を保ち続けることはできないし、緊張して
いるから安全というわけでもない。
ほんの一瞬の「間」とも言うべきものが生死を分けることもある。
最近は連日のように遭難事故の報道を見かけるが、それは決して他人事ではないのだ。
まさに「明日は我が身」ということを思い知らされた事故だった。
ヘリで搬送して頂いた小松市消防本部の防災ヘリのみなさん、小松市民病院のみなさん、
転院先の友紘会総合病院のみなさん、私の家族、目の前で滑落して驚かせてしまったsatoさん、わざわざザックの回収
に足を運んで頂いたokuちゃん、そして心配をおかけし、お見舞いの言葉を頂いたみなさんに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
P.S. 11月16日のやぶオフにはちょっと間に合いそうもない状況です。
私の参加の可否にかかわらず、予定通り開催して交流を深めて頂くことを希望します。
いつも安全登山を口やかましく言ってたくせにとネタにして盛り上がって下さい。
春のオフ会には必ず参加します。
山日和
普段から人には口やかましく安全登山をと唱えていながらこういうことになってしまい、内心忸怩たるものが
あるのだが、この経験を記すことにより少しでもやぶこぎネットのメンバーの参考になればという思いで顛末記
を書くことにした。
【日 付】2024年9月7日(土)
【山 域】加越国境 小倉谷山周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】大内登山口---大内谷川右俣---奥の左俣Ca540m地点
大内の登山口もすっかりお馴染みになった感がある。この2年ほどの間に加越国境と加賀の山に魅せられて
しまったのは、標高が低いわりに山深い雰囲気が味わえ、何より人が少ないというのが大きな理由だろう。
大内谷川は2年前に奥の右俣を火燈山へ詰め上がり、火燈古道を大内峠へと歩いた。
今日は奥の左俣を加越国境稜線の小倉谷山北側のJPに詰めて、少し富士写ヶ岳方面へ北上してから大内谷川の
左俣を下ろうという計画である。
草深い林道を歩いて終点近くで入渓。すぐに美しいナメの出迎えを受ける。
この谷には取り立てて言うほどの滝はなく、美しい林相と火山帯らしい岩盤の風景を楽しむ谷だ。
水量は前回同様少なく、困難もなく順調に二俣に到着した。
前回歩いた右俣の方が見た目にも面白そうだが、今日は左俣を進む。
小さな淵に魚影が走った。イワナだろう。石の陰に逃げ込んだので、そっと手を差し入れてみると、指先にヌル
っとした感触があった。逃げる様子もないのでそのまま手を伸ばして掴む。手袋のおかげで滑ることもなく、
イワナの手掴みに成功である。大きさは20センチ強というところだろうか。もちろんリリースして遡行を続ける。
右俣の方はそこそこの滝が連続して現れたのだが、この左俣はやや平凡な印象だ。
5m程度の滝が二つ出てくるが、どちらも傾斜が緩く快適に直登できた。
前方に細い滝が現れた。高さは10mぐらいだろうか。なぜかこの滝の写真を撮り忘れてしまった。
すぐにチェーンスパイクを履いて左手のガレに取り付く。ガレの左側には立ち木がありホールドは豊富だ。
15m(たぶん)ほど上がったところでトラバースラインを見つけた。足元もさほど不安定ではなく、ガレの上部
を2~3m渡れば完全な安全地帯である。
山側のちょうど手の位置に直径10センチぐらいの丸太が横たわっていた。もちろん浮いているのはひと目見てわかる。
浮いている木や石でもあえて押さえ込んで疑似ホールド(この場合のホールドは力をかけるわけではない)にするのは
よくあることだ。ここに慣れと油断があったのかもしれない。
押さえ込んだつもりの丸太が予想以上に動いてバランスが崩れ、安定していたはずの足元のずれを誘発してしまった。
ヤバいっと思って掴むものを探したがなにもなかった。
後は滝の下から見上げていたガレを滑り落ちるだけである。谷側を向いて滑ったので、視界に入る景色がやたら早く
変わって行った。なぜか頭の中は冷静で、どのあたりで止まるんだろうと思いながら着地点を探っていた。
足に大きな衝撃が加わり、その反動で右の太ももを岩に強打して止まった。
上からsatoさんの「大丈夫ですか~」という叫び声がしたので、「大丈夫」と返す。
この時はかなり打撲したけれども自力で下山できるだろうと思っていたのだ。
右足は痛いが、それ以外は多少擦り傷はあるもののまったく無事だったのである。
satoさんが下りてきて、座ったような状態で着地した体の下にザックを敷いてくれた。
打撲だけならしばらく休めば痛みも収まると思っていたが、右足が 動かない。
satoさんが「すぐに救助要請しましょう」と言ってくれたのでスマホを取り出すと、幸いなことにアンテナが立って
いる。119番にかけると小松市消防本部に繋がり、こちらの現状を伝えて救助を要請した。
正確な位置を伝えるためにスマホに表示された緯度・経度を伝えると、「すぐにヘリで向かいます」と意外な答えが
返ってきた。まさか樹林に覆われた谷のなかでヘリ救助できると思わず、地上からの出動を予想していたのだ。
しかし、少しだけは頭上が開けているとはいえ、この谷の中でヘリから発見できるのだろうか。
電波が悪く、何度も消防本部や捜索隊に電話をかけなおす。大きな爆音がしてヘリが近づいてきたと思ったら、
すぐに離れていってしまった。やはりなかなか見つけられないのだろう。
satoさんが少し離れた見通しのいいところに目印になるよう立ってくれている。
再び爆音が近づいてきた。最初に電話が繋がってから2時間以上は経過しただろうか。
赤い機体が目の前に現れて、救助隊員が2人降りてきてくれた。ありがたいことに、satoさんもザックも乗せてくれる
と言う。(結果的には私のザックだけは現場に残ったままになり、車のキーを回収するためにokuちゃんにまで負担を
かけることになってしまったが。)
体ごと包み込むようなシートの穴に腕と足を通して吊り上げられた。横で隊員が励ましてくれている。
すごい爆音と爆風の中、くるくる回りながらヘリの中に回収された。
ここから小松空港までは10分か15分ぐらいだったはずだが、ヘリの天井を眺めながら永遠のような時間の経過を感
じていた。
小松空港からは救急車に移されて小松市民病院へ。到着するとすぐにCTとレントゲンを撮った。
骨盤骨折と一部肋骨のひび。じっとしていれば強烈な痛みを感じることはなかったが、とても歩いて下りられる状態
ではなかった。
すぐにICUへ移されて汚れた沢装束から入院着に着替えさせてもらったが、体は汗と砂まみれである。
翌日家内と娘、兄貴の3名が来てくれた。兄貴には登山口に止めっぱなしの車を回収して大阪まで運んでもらうと
いう大役を頼んである。その前に、山中に放置したザックに入ったままの車のキーを回収せねばならない。
satoさんがokuちゃんに連絡して、快く同行を引き受けてくれた。okuちゃんは本当にいいヤツだ。
すべてを回収し終えた後3人と病院で対面する。こちらが意外に元気そうなので安心したようだ。
ICUは家族以外入れないということで、satoさんとokuちゃんには会えずじまいだった。
小松市民病院に12日間入院して、大阪府茨木市の病院に転院した。すぐにCTを撮ってケガの状態の説明を受けたの
だが、思っていたより悪く愕然としてしまった。
股関節が粉砕状態で、右足に荷重できるまでに2か月かかるという。そこからリハビリしてちゃんと歩けるようになる
までどれぐらいかかるのだろう。
長くても1か月ぐらいで出られるだろうと軽く考えていたのだが、甘かった。
しかし落ちた高さを考えれば、これぐらいで済んでよかったと思うべきなのだろう。
今回の事故がどうして起こったのか振り返ってみる。
年齢を重ねるに従って体力が低下しているのは十分自覚している。反射神経も若い頃のようにはいかない。
筋力はまあまあだと思うが、持久力は衰えているだろう。判断力はたいして変わらないというより、より慎重、もっと
言えば臆病になって、行けるだろうと思うところでも自重して巻くことが多くなった。
高巻きの際は面倒がらずにチェーンスパイクを装着して万全を期している。
総合的に見て、今の自分の力の7分目から8分目程度のルート設定しかしなくなった。
登山道しか歩かない人から見ればずいぶん危ないところを歩いていると思われるのかもしれないが、沢やバリハイを
やっている人にとっては何でもないコースだろう。
今回高巻いたルートもいつものごとくという感じの何でもないルートだった。難度が高いわけでもなく、危険を感じ
るようなトラバースではなかった。ロープを出しておけばと悔やむような場面でもなかったのである。
ではなぜあそこで落ちたのだろうか。直接的には前出したような要因なのだろうと思うが、それだけでは説明できない
ような気もする。決して気を抜いていたわけではない。これが「魔が差した」というヤツなのだろう。
どんなに慎重に歩いていても事故は起こる時には起こる。人間は一日中緊張を保ち続けることはできないし、緊張して
いるから安全というわけでもない。
ほんの一瞬の「間」とも言うべきものが生死を分けることもある。
最近は連日のように遭難事故の報道を見かけるが、それは決して他人事ではないのだ。
まさに「明日は我が身」ということを思い知らされた事故だった。
ヘリで搬送して頂いた小松市消防本部の防災ヘリのみなさん、小松市民病院のみなさん、
転院先の友紘会総合病院のみなさん、私の家族、目の前で滑落して驚かせてしまったsatoさん、わざわざザックの回収
に足を運んで頂いたokuちゃん、そして心配をおかけし、お見舞いの言葉を頂いたみなさんに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
P.S. 11月16日のやぶオフにはちょっと間に合いそうもない状況です。
私の参加の可否にかかわらず、予定通り開催して交流を深めて頂くことを希望します。
いつも安全登山を口やかましく言ってたくせにとネタにして盛り上がって下さい。
春のオフ会には必ず参加します。
山日和
すぐにチェーンスパイクを履いて左手のガレに取り付く。ガレの左側には立ち木がありホールドは豊富だ。