【南伊勢】総門山・門の倉・行者山縦走

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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【南伊勢】総門山・門の倉・行者山縦走

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2024年3月16日(土)
【山 域】南伊勢
【コース】報徳診療所前8:01---10:45総門山---13:30薗越---15:00行者山---15:45登山口
【メンバー】単独

 サーカスが来ている高茶屋駅からJRに乗り三瀬谷駅で降りると大台町営バスが待っていて報徳診療所前で降りる。笠木越の時と同じバスで、津方面からの接続に合わせて運行しているようだ。薗集落の先の奥伊勢フォレストピアに向かう。

 北畠氏の御家門16御所には「薗御所300」と書かれており、薗には北畠の御所があり300人の兵がいたことになる。だれが居たかはわかっていないが、「将監屋敷」(しょうげんやしき)という地名は残っている。総門山は、他の記録では「惣門」「崇門」と書かれておりいずれも同じ意味と考えられる。「惣門は国司御所の御門也。依之赤塗」とあり、北畠御所の門が総門になる。総門山は薗御所の惣門から名づけられたようだ。

 登山口より急な階段を上り尾根が落ち着きだすと明るい杣道に変わる。北総門山からは宮川筋の絵馬集落が見える。ここからは広い伐採地になり総門山が目の前だ。林道をつないで総門山の登山口よりひと上りで山頂につく。植林に唐櫃のペイントがあるので伐採地は唐櫃集落の共有地なのかもしれない。広い尾根にはツガやミズナラの巨木が残っておりP952には南総門山というプレートがかかっていた。ここで方向を変えて広がった尾根のヤブをテープに従い歩いていく。


総門山
総門山

 扇沢の高と101番鉄塔をすぎP827の門の倉西峰に着く。前方に大きな嵓が見えてくる。100m以上ある大きな嵓が行く手をさえぎる。これなら熊野街道からも良く見える。門の倉は、「総門の嵓」という意味だと感じた。南伊勢を治める北畠氏の領内の端にある総門山は北畠の領地を守る惣門のような存在で、そこにある嵓(大岩)を門の嵓としたのだろう。近くにある中将岩も「ちゅうじょうくら」と呼んでいる。この地域では嵓という名称はよく使われていたのだが、話し言葉の「くら」だけ残り当て字が使われたようだ。

門の倉
門の倉

 嵓は北側を巻くように道はつけられている。門の倉東峰を過ぎP798からは行者山の全容が見えた。この先がわからずに岩を巻いて岩場を登りきると道に出た。どうやらそのまま進めば良かったようだ。尾根が安定しだすとアガリコも増えてきて里の山らしくなってきた。滝屋谷山を越えて下りに入ると薗越で、薗と頭之宮四方神社のある大内山を結んでいる。以前は歩かれた山路のようだが、今ではほとんど歩かれていない感じだ。

アガリコ
アガリコ

 笠木山に向けての大台町と大紀町の境界稜線にはテープがあったのだが、行者山に向かう尾根に入ると極端に少なくなる。船窪山には不釣り合いな名称杭があったがここだけだ。ここからの下りには、嵓が3カ所出てくる。どこから下るか迷う所だが、枯れ枝につけられた古いテープが導いてくれる。これが無いと苦労するかもしれない。最後は行者山までの地味な上りを我慢して山頂に到着。薗越から行者山までは距離が長いこともあり1時間半を要した。山頂には役の行者祠と石像があり、大内山方面が見渡せた。条件が良ければ熊野灘まで見渡せるはずだ。行者山からはテープ道が続き登山口に導いてくれた。

行者山
行者山
役の行者
役の行者

 登山口のある柏崎には南伊勢の木地師の中心である大皇神社があり、頭之宮四方神社を取り巻く中将倉や行者山、門の倉は修験道の行場なのだろう。麓の薗御所に拠点を置きつつ、北畠氏と近い関係にある木地師集落や修験の行場が点在する総門山一帯は北畠氏にとっての惣門と言ってもいいかもしれない。


skywalk
記事: 521
登録日時: 2011年3月07日(月) 21:33

Re: 【南伊勢】総門山・門の倉・行者山縦走

投稿記事 by skywalk »

わりばしさん、こんにちは。
今回はJRとバスで繋ぐユニークな縦走を考えましたね。こんな手があったのかと感心しますが、実行力が伴わないと真似はできないのでその点でも感心します。
「惣門は国司御所の御門也。依之赤塗」とあり、北畠御所の門が総門になる。総門山は薗御所の惣門から名づけられたようだ。
総門山という山名も珍しいと思いますが、そういう由来があったのですね。総門山は尾鷲赴任時代に大内山から一度登ったことがあるのですが、どんなところだったか全然覚えていません。ただ当時は珍しかった山ビルに食われたことだけは覚えています。写真もないし当時使っていた地形図のコピーにも何も書かれていないので山頂に達したかどうかも分かりませんが、広い尾根を歩いたような気がするので多分行けたように思います。

扇沢の高と101番鉄塔をすぎP827の門の倉西峰に着く。前方に大きな嵓が見えてくる。100m以上ある大きな嵓が行く手をさえぎる。
薗越から下見に行ったときは門の倉の手前で引き返したと思います。薗越ルートは時間が掛りそうなので本番は千石越の方から行ったと思います。だから門の倉は越えていないので印象が残っていないのでしょう。数々の嵓が北畠氏の領地を守っていたのですね。

滝屋谷山を越えて下りに入ると薗越で、薗と頭之宮四方神社のある大内山を結んでいる。以前は歩かれた山路のようだが、今ではほとんど歩かれていない感じだ。
そんな感じです。薗越の下の方では山仕事の人たちが作業をしていましたが、薗越から先では人気はありませんでした。

最後は行者山までの地味な上りを我慢して山頂に到着。薗越から行者山までは距離が長いこともあり1時間半を要した。
薗越から行者山へ向かう人も滅多にいないでしょう。

麓の薗御所に拠点を置きつつ、北畠氏と近い関係にある木地師集落や修験の行場が点在する総門山一帯は北畠氏にとっての惣門と言ってもいいかもしれない。
今回の自然の砦を結ぶ蘊蓄の旅、興味深く読ませていただきました。
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【南伊勢】総門山・門の倉・行者山縦走

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、skywalkeさん。

今回はJRとバスで繋ぐユニークな縦走を考えましたね。こんな手があったのかと感心しますが、実行力が伴わないと真似はできないのでその点でも感心します。

町営バスは使えますよ。安いですし・・
ただ本数が少なすぎる・・
skywalkeさんの山スキーに比べたら、足元にも及びません。
:mrgreen:

「惣門は国司御所の御門也。依之赤塗」とあり、北畠御所の門が総門になる。総門山は薗御所の惣門から名づけられたようだ。

総門山という山名も珍しいと思いますが、そういう由来があったのですね。総門山は尾鷲赴任時代に大内山から一度登ったことがあるのですが、どんなところだったか全然覚えていません。ただ当時は珍しかった山ビルに食われたことだけは覚えています。写真もないし当時使っていた地形図のコピーにも何も書かれていないので山頂に達したかどうかも分かりませんが、広い尾根を歩いたような気がするので多分行けたように思います。

総門山は下部は急な所も多いですが、稜線尾根は広くゆるやかですね。
大内山から登られましたか。
当時から目の付け所がちがいますね。


役の行者の祠
役の行者の祠

扇沢の高と101番鉄塔をすぎP827の門の倉西峰に着く。前方に大きな嵓が見えてくる。100m以上ある大きな嵓が行く手をさえぎる。

薗越から下見に行ったときは門の倉の手前で引き返したと思います。薗越ルートは時間が掛りそうなので本番は千石越の方から行ったと思います。だから門の倉は越えていないので印象が残っていないのでしょう。数々の嵓が北畠氏の領地を守っていたのですね。

千石越えの矢印が南総門山にありました。

修験道と北畠の結びつきは強かったので
勝手知ったる庭のようなばしょだったかもしれません。


門の倉
門の倉

滝屋谷山を越えて下りに入ると薗越で、薗と頭之宮四方神社のある大内山を結んでいる。以前は歩かれた山路のようだが、今ではほとんど歩かれていない感じだ。

そんな感じです。薗越の下の方では山仕事の人たちが作業をしていましたが、薗越から先では人気はありませんでした。

今でも薗越の大内山側に下っていく杣道がありました。
薗側は道の痕跡は無かったです。


最後は行者山までの地味な上りを我慢して山頂に到着。薗越から行者山までは距離が長いこともあり1時間半を要した。

薗越から行者山へ向かう人も滅多にいないでしょう。

小さな嵓もあって楽しめますが
テープが極端に減ります。


行者山より
行者山より

麓の薗御所に拠点を置きつつ、北畠氏と近い関係にある木地師集落や修験の行場が点在する総門山一帯は北畠氏にとっての惣門と言ってもいいかもしれない。

今回の自然の砦を結ぶ蘊蓄の旅、興味深く読ませていただきました。

お付き合いありがとうございます。
skywalkeさん、尾鷲にもいたんですね。
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