御池と三光谷

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緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

御池と三光谷

投稿記事 by 緑水 »

山に出かけるは、当日朝だとダレルんだよな。
山の根に泊り、朝一番で登るのが好い。

【行き先】 御池岳に三光鉱山
【ひにち】 2011.11.7.~8. 晴れ

6日夜に出るつもりが夜明けになってしまったワン、今日は好いお天気の予報だ。
コグルミ谷登山口に萌えちゃんを止めた。

コグルミ谷の登りは落ち着いてる、タテタニ分岐手前から登りやすい小ルンゼを上がる、そこは大杉の窯跡だ。
土石に流されて昔道はモウない。右手尾根上にはまどろみの木が寝てるよ。

歩きやすそうな斜面を上がるが、前日の雨で斜面は滑りやすい。
植林が近づくとトラバースでタテタニ喉に入る、谷は水流で抉れてる。
左斜面を上がる、上部には雑木林に巻き上がっていくのだ。大きな木が目に付くもブナじゃないのが判る。


[attachment=3]森ゾウブナ.JPG[/attachment]

二又で自然と本流から離れていく、この谷も好いんだよな。次二又になる炭窯跡の上に大木が好いかたちで聳えてるよ。
ブナではないのが判る、右手に苔に覆われた樹はブナだ。でかいよモリゾウっう感じだな、その下にもあはピッコロブナかな。
ガスが流れる下界は明るいから、この辺りが雲とのインターフェイスか。風も強いし天気は遅れてる感じだよ。

ブナノノにトラバースで入る、ドンピシャですらりとした姿の好いブナが迎えてくれた。
続いて頭が切れた変形ブナが現れる、ヤッパ好いなココは好いところだ。
zippおっちゃん発見者、この樹になんて名前付けたんか?思い出せない。


[attachment=2]ミブナノ.JPG[/attachment]

苔むすカレンフェルト風除けにして、プシュリンコといこううよ。
冷やさない泡がちょうど好い、枝豆は見た感じ黒いウデ上がりだが黒豆で大きくて美味いんだワン。
ガスが薄まればブナパルトが現れる、ピーカンよりよっぽど好い眺めだよなあ。
まるでストリップ嬢が、薄い衣を脱ぐかのように隠すかのように踊るように見えるよ。

ほどほどにして稜線、さてとみどりの苔が好い感じで広がってるよ。シダに勝って苔が勢力を増してるんだ。
この辺りは火事での焼け跡、苔には好い環境になったのかなあ。
元池にいく、足にはなんの抵抗もない歩き良い高原、ササヤブが完全に消滅したんだ。


[attachment=1]苔の原.JPG[/attachment]

ソマ人さんと遊んだ御池めぐりしてこようかなおもう。
草原の池、これ復活してるかなあ?何にもないワン。となりにあるシークレットの池はショボリンとしてあった。
後は気ままに歩いていけば好いさ、幾つかの池を見るが名前が判らん。
御池池守、名札をつけてもう一度守りセナあかんぜよ思う。


[attachment=0]オチョコブナ.JPG[/attachment]

オチョコ平に寄る、ココにも大きなブナが有るよ。
やがて風池だ、傍らのなんちゅう樹かな。ソマ人さんお化けになってでてきてるかな。

天狗の鼻から尾根越えて真っ直ぐに真の谷へ降りて行く。歩きやすい斜面だよな。
ガールの声が聞こえるよ、初めて合う登山者だ。女性三人と男二人は学生さんかな。
気楽に声をかけてくれたよ。

・ガスってますか、パッチシのパンツルック
:見とれながら、展望はないよ チョッとした会話で気分はハイになるんだよな
・頑張っていきます、好い返事だこと ;)

幻の池で残りおにぎりと、ホットウイして御池ってホンとに好いなあ思う。
なにもかもわかったつもりでも、そのときの気分や気候天気で逢うし、出会う人から元気をもらえる。
トロトロと降りて行きました。

萌ちゃん戻りは14:30、今日は泊りだどこへ行こうかな。
先ずは温泉だろう、アジサイの湯に行く。
でてからイッパイはスキ焼の残り物だよ。起きたら深夜だがな。 :roll:

                       緑水


添付ファイル
● オチョコ平にあるオチョコブナ
● オチョコ平にあるオチョコブナ
● 苔の原になってる、ふわふわだ
● 苔の原になってる、ふわふわだ
● ミブナノ、この名前想い出せないのさ
● ミブナノ、この名前想い出せないのさ
● モリゾウブナ、全身苔マルケ
● モリゾウブナ、全身苔マルケ
緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

三光谷・古鉱山跡逍遥

投稿記事 by 緑水 »

  11.08. 三光谷、鉱山跡逍遥

青川キャンプパークで深夜便聞きながら朝餉だ、モチロンチューもしながら。
出発は5:50ふん、早出ができるが好いんだよな。

林道工事中は二つ目の堰堤工事中、谷を割って乗り越せるんかいなの所だ。
工事は始まってないし登れそうな斜面をガリガリって上がる。後は坦々と荒れ河原を行くだけだ。
前見たときよりもヒドクなってる感じだ。


[attachment=3]サビ谷.JPG[/attachment]

湯之谷すぎて隋道トンネルは完全に本流となってるワン
大きな坑口は半分砂利の堤防なってる、昔に子ども達とコーモリ調査に入ったんだよなあ。
中西さんやったっけ、コウモリ調査はもうできないね。

日岡神社裏の滝は空滝となり手前の斜面から水が吹き出てる、やがてこちら側が山ヌケすることだろうな。
三光谷はむずかしい谷ではナイ、谷中を遡行していく。好い滝があるが巻き上がる。
テープが有るよ、最近人が入ったのかな。


[attachment=2]隋道トンネル.JPG[/attachment]

精練かマアとが並ぶ何段にも、小さな焚口?空気口かな?。
昔に谷の岩の間にルツボを見つけて写真に撮ったの思い出したわ。

広っぱの様な斜面を上がる、ダンダンと尾根らしくなりそのまま上がれば水銀坑口に当たるかなあの感じだ。
左手の尾根は中尾根だろう、GPS県境まであと少しのところを指してる。
ココでプシュリンコだよ、傍らにはトリカブトが一輪咲いてる。柔らかな日差しに爽やかな風が春のようだ。


[attachment=1]トリカブト.JPG[/attachment]

腰を上げれば、なんとまあ鹿のサレコウベに骨が散らばる所だったんだ。
念仏滝も見ておきたいから回り込んで降りて行く、ここかよ谷は狭まり渓谷の感じ。前のイメージとは違うよな。

谷流れ沿いに降りて、お寺のあとが有った所にあがる。太い欅の木がある広場だよ。
なんと真ん中に祭壇がありプラ柱に文字が書かれて建ってる。
貫成寺跡と平成22年とあるから昨年のコトなんだ、ココの出の人なのかなあ思う。


[attachment=0]寺跡い欅.JPG[/attachment]

間歩も1つぐらい見ておこう、精練釜横の谷を上がるもすべて埋まったのか見つからないよ。
降る途中に大量の金糞が崩れ落ちてる、チョッと登ればココも深い谷が割れてる。
コレまでかボチボチと降りました。

堰堤工事場は重機が動き、入りずら行けどココしか降りられないのさ。
知らん振りして土砂面を降りた、やがてはこの谷通うしで歩けなくなるだろうな。巻き道なんて作らないだろうし。
サンチョさんと荒谷でキャンプしようも、出来なくなったなあが思い出されるよなあ。

せせらぎ温泉で汗流し、今回の山歩きに左足は元気になったのを感じましたよ。
冬山に向けてガンバラニャーね。

アンヨの回復を感じた~♪                     緑水
添付ファイル
● 昨年ココで供養があったのかしら思う
● 昨年ココで供養があったのかしら思う
● 淡いピンクの色は優しい娘のようだよ
● 淡いピンクの色は優しい娘のようだよ
● 隋道本流となってるワン
● 隋道本流となってるワン
● サビタニ幾らでも落ちてくる土石
● サビタニ幾らでも落ちてくる土石
アバター
わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 三光谷・古鉱山跡逍遥

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、緑水さん。

広っぱの様な斜面を上がる、ダンダンと尾根らしくなりそのまま上がれば水銀坑口に当たるかなあの感じだ。
左手の尾根は中尾根だろう、GPS県境まであと少しのところを指してる。
ココでプシュリンコだよ、傍らにはトリカブトが一輪咲いてる。柔らかな日差しに爽やかな風が春のようだ。

与平治谷ですね。人足道のあったところです。

腰を上げれば、なんとまあ鹿のサレコウベに骨が散らばる所だったんだ。

ここで、枝でカモフラージュした待ち伏せ猟の猟師に会いました。

念仏滝も見ておきたいから回り込んで降りて行く、ここかよ谷は狭まり渓谷の感じ。前のイメージとは違うよな。
三光谷の滝
三光谷の滝
いつも念仏滝の手前で上がってしまって佐次兵衛鋪に行ってしまうんですよ。
佐次兵衛鋪
佐次兵衛鋪
谷流れ沿いに降りて、お寺のあとが有った所にあがる。太い欅の木がある広場だよ。
なんと真ん中に祭壇がありプラ柱に文字が書かれて建ってる。
貫成寺跡と平成22年とあるから昨年のコトなんだ、ココの出の人なのかなあ思う。

こんな名前の寺は、三光谷には無いですね。

あったのは、大雨山甘露寺と銀重山三光寺ですね。両方とも現在は新町にあります。

新町には他に実成寺というのがあるので、これと間違ったのかな?

実成寺は銀山奉行が新町に作った寺で、三光谷とは違いますね。


間歩も1つぐらい見ておこう、精練釜横の谷を上がるもすべて埋まったのか見つからないよ。
降る途中に大量の金糞が崩れ落ちてる、チョッと登ればココも深い谷が割れてる。
コレまでかボチボチと降りました。

五代アイが最後に掘らせた三神谷ですね。

せせらぎ温泉で汗流し、今回の山歩きに左足は元気になったのを感じましたよ。
冬山に向けてガンバラニャーね。

アンヨの回復を感じた~♪                     

よかっつたですね。 :D

日頃の精進の賜物です。

                                             わりばし
緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

Re: 三光谷・古鉱山跡逍遥

投稿記事 by 緑水 »

わりばしさん、おはようサンです。昼から雨模様ですね、パソ遊びができますワン
わりばし さんが書きました:
広っぱの様な斜面を上がる、ダンダンと尾根らしくなりそのまま上がれば水銀坑口に当たるかなあの感じだ。
左手の尾根は中尾根だろう、GPS県境まであと少しのところを指してる。

与平治谷ですね。人足道のあったところです。
さすが現地調査してるんだから言い切れますね、自然とのの尾根らしきに入っていくもんね。


● 思いついでの訪れで資料は持たなかった、今調べて位置が分かります
● 思いついでの訪れで資料は持たなかった、今調べて位置が分かります
でもチョコ違うんだな、概念図のヨヘジ谷と三光谷間の尾根を上がりました。
腰を上げれば、なんとまあ鹿のサレコウベに骨が散らばる所だったんだ。

ここで、枝でカモフラージュした待ち伏せ猟の猟師に会いました。
今時期でしたか、間違えられて撃たれなかったですね。
待ち伏せ言うことは巻き狩りなのかなあ、県境に上がった追子が下向いて落すんですよね。
この界隈は猟師も健在なんだ、後谷でも出会ってる。

念仏滝も見ておきたいから回り込んで降りて行く、ここかよ谷は狭まり渓谷の感じ。前のイメージとは違うよな。

● 念仏滝前、入口だプールで渡れないの
● 念仏滝前、入口だプールで渡れないの
いつも念仏滝の手前で上がってしまって佐次兵衛鋪に行ってしまうんですよ。

念仏滝の突破はムリですか?昔のイメージでは上れそうでしたよ。
今は一人では怖いから谷沿いに戻りお寺の跡地に行きましたの。で思いがけない祭壇がありましたのでビックリでしたワン。

なんと真ん中に祭壇がありプラ柱に文字が書かれて建ってる。
貫成寺跡と平成22年とあるから昨年のコトなんだ、ココの出の人なのかなあ思う。

● ココの標柱にちゃんと書いてあるでしょ、現地では書かないから、下にあるお寺で書いた思うけどなあ。お寺さんも参加してるかも?
● ココの標柱にちゃんと書いてあるでしょ、現地では書かないから、下にあるお寺で書いた思うけどなあ。お寺さんも参加してるかも?
こんな名前の寺は、三光谷には無いですね。 
言い切りますね、ちゃんと書いてあるのが読めますがな。
こお言うところまで来て祭事するんだから、その根拠がある思いますけど。

あったのは、大雨山甘露寺と銀重山三光寺ですね。両方とも現在は新町にあります。
新町には他に実成寺というのがあるので、これと間違ったのかな?
現場の文字が正解と見るが緑ちゃんの意見だ、時代は変われば名も変わると思います。

実成寺は銀山奉行が新町に作った寺で、三光谷とは違いますね。[/color]
間歩も1つぐらい見ておこう、精練釜横の谷を上がるもすべて埋まったのか見つからないよ。
降る途中に大量の金糞が崩れ落ちてる、チョッと登ればココも深い谷が割れてる。
コレまでかボチボチと降りました。

五代アイが最後に掘らせた三神谷ですね。

大通洞から物がでなくなり三神谷手前のトノ谷を掘らせたんだね。
コレは判りますた。


● 寺跡に名前がないね、またさま酔いたくなりました
● 寺跡に名前がないね、またさま酔いたくなりました
治田鉱山へは堰堤工事で簡単に入れなくなりそう。
わりばしさんとの討論に間に合ってよかったですワン :|

またお楽しみのレポよろしくです。

                            緑水    
ハリマオ
記事: 465
登録日時: 2011年8月31日(水) 14:06

Re: 御池と三光谷

投稿記事 by ハリマオ »

緑水さんこんにちは

山に出かけるは、当日朝だとダレルんだよな。山の根に泊り、朝一番で登るのが好い。

なかなかそういうことはしたことありませんが、前夜のパッキングや朝のお出かけまでが非常にかったるいと思う今日この頃。
山に入ってしまえば以前の通りなんですがね。

土石に流されて昔道はモウない。右手尾根上にはまどろみの木が寝てるよ。

いつぞやミルキー山行で「ここがまどろみの尾根じゃー」とはしゃぐ杣人さんに某女史が
「そんな気恥ずかしい名前ようつけたな」と言っておりました(^◇^)
案外女性よりおじさんの方がロマンチストなんですよね。


左斜面を上がる、上部には雑木林に巻き上がっていくのだ。大きな木が目に付くもブナじゃないのが判る。

タテ谷→みぶな野は良いコースですね。秋は特にいいですが今年は紅葉が変。

ブナノノにトラバースで入る、ドンピシャですらりとした姿の好いブナが迎えてくれた。
続いて頭が切れた変形ブナが現れる、ヤッパ好いなココは好いところだ。
zippおっちゃん発見者、この樹になんて名前付けたんか?思い出せない。


頭の切れた朽ちかけのブナは特に名付けなかったんじゃ?
その上の一番大きなやつは「霧のブナ」にしましたが。
ガスの日には最高の姿を見せてくれますね。

ガスが薄まればブナパルトが現れる、ピーカンよりよっぽど好い眺めだよなあ。

杣人さんが「三重県の山」パラパラ見て「なんであんたらは晴れの写真ばかり撮るんや」と私や金丸さんに言ってました。
「センセ、これは写真集と違うんやで」 「おおそうか」なんてやりとりが思い出されます。
杣人さんは写真撮るときに本気かギャグか知らんけど「なんとか幻想的に写らんかなあ」とよう言うとりましたわ。
石垣さんも偶然丸池で出会った時「晴れの日は写真になりませんわ」と言うとりました。
写真とは真を写すと書く。
真を写すなら晴れの日も真実の姿の一つであり、否定されるものではない。
けど、写真好きの人たちにとっては真じゃなく、自分のイメージや妄想を切り取ろうとする趣味と思います。
女性の写真にしてもピーカンのもと、高解像でシミもシワも肌荒れも写ったものは見とうない。
「夜目遠目笠のうち」に幻想を見い出す。
これも「まどろみ尾根」と同じく、おじさんのロマンのひとつでしょう。

まるでストリップ嬢が、薄い衣を脱ぐかのように隠すかのように踊るように見えるよ。

バーレスクの極意は寸止め。全部見せちゃいかん。
ガスの流れはその点、なかなか絶妙なものです。
フラガールという映画も面白かったですね。
当時炭鉱のおっさんたちは最初裸踊りぐらいの認識しかなかったようですが、踊りそのものの技術に目を見張ります。


元池にいく、足にはなんの抵抗もない歩き良い高原、ササヤブが完全に消滅したんだ。

私が初めて鈴北へ行ったとき先輩に、この先は迷ったら出て来れないから下りちゃいかんと言われました。
今となっちゃうそみたいな話です。でもなぜか竜の斜面や雨乞いのササはまだ元気残ってますね。

後は気ままに歩いていけば好いさ、幾つかの池を見るが名前が判らん。
御池池守、名札をつけてもう一度守りセナあかんぜよ思う。


数年前に滋賀県の人が木の名札付けて回っていましたね。
名札については付けない方がいいと思う人の方が多いんじゃ?

なにもかもわかったつもりでも、そのときの気分や気候天気で逢うし、出会う人から元気をもらえる。
トロトロと降りて行きました。


もう飽きたような山でも、出掛けてみれば何かしら土産はあるものですね。

ハリマオ
緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

Re: 御池と三光谷

投稿記事 by 緑水 »

こんにちわ、どんより空になってきたワン。畑して帰りました。
お風呂にいって、チョッと昼寝しなくてはなりませんのやわ。夜にヨウジガあるから。

ハリマオ さんが書きました: 山に出かけるは、当日朝だとダレルんだよな。山の根に泊り、朝一番で登るのが好い。

なかなかそういうことはしたことありませんが、前夜のパッキングや朝のお出かけまでが非常にかったるいと思う今日この頃。
山に入ってしまえば以前の通りなんですがね。
職場からの書き込みですか、アリガトウございますワン。

明日は良いお天気だから、お山に行こうと思っても準備はしませんの。だから朝が忙しいしでるときは、8時のラッシュで嫌気がさすの。
今のように、出かけよう思えば夕食の彩もってでれば簡単なコトになります。

誰かにココ行かへんって誘われるが一番好いんですけど、そんなタナボタは有りません。寂しいもんです。

土石に流されて昔道はモウない。右手尾根上にはまどろみの木が寝てるよ。

いつぞやミルキー山行で「ここがまどろみの尾根じゃー」とはしゃぐ杣人さんに某女史が
「そんな気恥ずかしい名前ようつけたな」と言っておりました(^◇^)
案外女性よりおじさんの方がロマンチストなんですよね。
まどろみって・・・・?エエ気恥ずかしい言葉ナン。
このオバハンは手枕で、チガウ男の胸中で寝てることとダブらせとるのかや。ジュデイオングが歌ってましたね、歌詞名は忘れたけど曲は知ってるよ
男性の方が絶対にロマンチストですよ、女は欲が深いし嫉妬心も、女の敵は女ですがな。好い男は捕りがちでしょ。ハバネラ歌ってます。


タテ谷→みぶな野は良いコースですね。秋は特にいいですが今年は紅葉が変。

ブナノノにトラバースで入る、ドンピシャですらりとした姿の好いブナが迎えてくれた。
続いて頭が切れた変形ブナが現れる、ヤッパ好いなココは好いところだ。
zippおっちゃん発見者、この樹になんて名前付けたんか?思い出せない。


頭の切れた朽ちかけのブナは特に名付けなかったんじゃ?
その上の一番大きなやつは「霧のブナ」にしましたが。
zippさんがマオ大人にオミヤゲとしてジサンしたのでしたね、名付はハリマオさんなのですか。
霧のブナ好いですね。ちょうど霧の日でピッタリだと思います。


● 薄いベールが揺れ動くよ。ミブナノ劇場
● 薄いベールが揺れ動くよ。ミブナノ劇場
ガスが薄まればブナパルトが現れる、ピーカンよりよっぽど好い眺めだよなあ。

杣人さんが「三重県の山」パラパラ見て「なんであんたらは晴れの写真ばかり撮るんや」と私や金丸さんに言ってました。
「センセ、これは写真集と違うんやで」 「おおそうか」なんてやりとりが思い出されます。
緑ちゃんから見れば、家庭を追われた変なオッサンでしたが、ミルキーアンポンタン教立ち上げてからは、昔友とは溝ができちゃいましたもんね。
知識的な遊びが好きだったんでしょうな。ナマンダブツ

杣人さんは写真撮るときに本気かギャグか知らんけど「なんとか幻想的に写らんかなあ」とよう言うとりましたわ。
石垣さんも偶然丸池で出会った時「晴れの日は写真になりませんわ」と言うとりました。
写真とは真を写すと書く。
真とはナンゾヤになりますけど、心でしょうな訴えるもの、コレは自分の体験深さから来るんだろう。
幼児と子どもと青年と壮年と老人と、同じもの見ても全然違うなあ思うわ。笑ったり涙が出たり不思議なものだワン

簡単に写真が撮れるようになりました。自然の写真も美女の写真も心は瞬時に過ぎていきます。・・・から狙え


写真好きの人たちにとっては真じゃなく、自分のイメージや妄想を切り取ろうとする趣味と思います。
「夜目遠目笠のうち」に幻想を見い出す。
これも「まどろみ尾根」と同じく、おじさんのロマンのひとつでしょう。
● 風池に時々に、お化けとして佇んでるかな
● 風池に時々に、お化けとして佇んでるかな
そう思います、写真展に行っても写真より受付の女性の方とのお話のほうが好いですワン。
絵や陶器や彫刻は違う感動がありますけどね。写真は好いカメラでマネが簡単にできるからかなあ。
偶然に撮ったアングルが好いんだワナ。

まるでストリップ嬢が、薄い衣を脱ぐかのように隠すかのように踊るように見えるよ。

バーレスクの極意は寸止め。全部見せちゃいかん。
ガスの流れはその点、なかなか絶妙なものです。
フラガールという映画も面白かったですね。
当時炭鉱のおっさんたちは最初裸踊りぐらいの認識しかなかったようですが、踊りそのものの技術に目を見張ります。
塩浜パレス、昔は良かったよな。
芸術的な踊りなんだけど、真面目にやれ~。その掛け合いもオモシロかったですね。

元池にいく、足にはなんの抵抗もない歩き良い高原、ササヤブが完全に消滅したんだ。

私が初めて鈴北へ行ったとき先輩に、この先は迷ったら出て来れないから下りちゃいかんと言われました。
今となっちゃうそみたいな話です。でもなぜか竜の斜面や雨乞いのササはまだ元気残ってますね。
昔を知ってる者には、昔は好いって言っちいますけど、いつのときでも今が一番と思わなければね生けていけないです。
真ノ谷なんか背お越すオオシダに苔むす岩、尾根は足の着かない強烈なササの海だったんだから。
ヤブコギ猿人が住んでいてもおかしくない所でしたもんね。


後は気ままに歩いていけば好いさ、幾つかの池を見るが名前が判らん。
御池池守、名札をつけてもう一度守りセナあかんぜよ思う。


数年前に滋賀県の人が木の名札付けて回っていましたね。
名札については付けない方がいいと思う人の方が多いんじゃ?
そうでしょうな、幻想のママが良い思うでしょうな。
kasayaさんのレポにもあったように、御池への道標は柱が丸いので回っちゃいますよ。アリャーアカンわ。
テープで止めて木に縛り付けてあるけど、柱は四角にセナアカンワな。

なにもかもわかったつもりでも、そのときの気分や気候天気で逢うし、出会う人から元気をもらえる。
トロトロと降りて行きました。


もう飽きたような山でも、出掛けてみれば何かしら土産はあるものですね。
ゼンゼン飽きてませんよ、再発見の鈴鹿山ですわん。また冊子が売れますなあ 8-)


再訪問の~♪  緑ちゃんより
アバター
わりばし
記事: 1774
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 三光谷・古鉱山跡逍遥

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、緑水さん。

念仏滝の突破はムリですか?昔のイメージでは上れそうでしたよ。
今は一人では怖いから谷沿いに戻りお寺の跡地に行きましたの。で思いがけない祭壇がありましたのでビックリでしたワン。

なんと真ん中に祭壇がありプラ柱に文字が書かれて建ってる。
貫成寺跡と平成22年とあるから昨年のコトなんだ、ココの出の人なのかなあ思う。
貫成寺跡.JPG
写真をよく見ると貫成寺じゃなく實成寺と書いてありますね。

古い字体で書いていますが実成寺です。


こんな名前の寺は、三光谷には無いですね。 
言い切りますね、ちゃんと書いてあるのが読めますがな。
こお言うところまで来て祭事するんだから、その根拠がある思いますけど。
あったのは、大雨山甘露寺と銀重山三光寺ですね。両方とも現在は新町にあります。
新町には他に実成寺というのがあるので、これと間違ったのかな?
治田村誌からの抜粋です。

甘露寺(浄土宗鎮西派 京都知恩院の末寺)
「江戸期慶長年間、治田鉱山創業の際、この地に最も多く来集して採掘に従事したのは、摂津河辺郡多田村銀山の鉱夫で、その後も開坑ごとに召抱えられた。多田にあった檀那寺禅宗派である大雨山甘露寺の分寺として、南河内山三光谷に寺院を建立した。その後鉱山が衰微して経営困難となり、明暦四年現在の場所に移した。」

三光寺
「甘露寺建立後二三十年間に於いて、新町への移住者の中には、桑名地方の真宗東本願寺派門徒が多くあった。当時桑名の三崎新田に、僧円智が開基した真観坊という寺があった。真観坊第五世泰音の時、村民の要請により南河内山三光谷字禅寺に移転し、のち寛政年間更に新町村現在の処に移建した。」


現場の文字が正解と見るが緑ちゃんの意見だ、時代は変われば名も変わると思います。

実成寺は銀山奉行が新町に作った寺で、三光谷とは違いますね。[/color]

実成寺
「寛政七年、新町村には代官兼銀山奉行として川合助左衛門が前任地伊豆の鉱山から来て駐在し、慶安年中、その元菩提所上総国から世々の法華宗の本行山実成寺を西の大山中に移建した(山中に実成寺屋敷の旧跡現存)。後新町村内南町に移転し、再び現在の地に移し、天保十五年八月再建した。」

とあります。

実成寺は銀山奉行が移建した寺ですので、治田鉱山とのかかわりはあるとおもいますが、他の資料を見ても三光谷にあっつたという記述はないですね。


治田鉱山へは堰堤工事で簡単に入れなくなりそう。
わりばしさんとの討論に間に合ってよかったですワン :|

堰堤工事は相当大規模なんですね。

久々に治田鉱山の資料を読み返しました。


またお楽しみのレポよろしくです。

雪が降る前に青川界隈にも顔を出さなきゃいけませんね。 :D

                                                      わりばし                           
                           
緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

Re: 三光谷・古鉱山跡逍遥

投稿記事 by 緑水 »

竹のようなわりばしさん おはようございます、好い小雨が降ってますよ。先ずはマッタリとです。
わりばし さんが書きました:おはようございます、緑水さん。

写真をよく見ると貫成寺じゃなく實成寺と書いてありますね。

古い字体で書いていますが実成寺です。


こんな名前の寺は、三光谷には無いですね。 
●  ヨサハゲが見える、宝の山なんだ
● ヨサハゲが見える、宝の山なんだ
どんなお返事がくるか、ワクワクでしたワン。
あんらー、読み違いカア。デモなんて読むんじゃい!意味はパソ神社で・・・ポンでましたよ。


實とわ? げ‐に【▽実に】
● [副]《「げん(現)に」の音変化という》

●1 ある事柄に対する自分の評価・判断を肯定して、さらに強調する気持ちを表す。本当に。実に。全く。
「―恋こそはまことのいのちである」〈倉田・愛と認識との出発〉

●2 他人の評価・判断に接して、納得し、賛同する気持ちを表す。なるほど。いかにも。
「ひまなき御前渡りに、人の御心をつくし給ふも―ことわりと見えたり」〈源・桐壺〉


なるほど納得だ、意味が良くわかる、名前をつけたときの鉱山奉行は学があるですね。
わりばしさんも負けずの知識者なんだ。またお教え願いたい。



念仏滝の突破はムリですか?昔のイメージでは上れそうでしたよ。
今は一人では怖いから谷沿いに戻りお寺の跡地に行きましたの。で思いがけない祭壇がありましたのでビックリでしたワン。

なんと真ん中に祭壇がありプラ柱に文字が書かれて建ってる。
貫成寺跡と平成22年とあるから昨年のコトなんだ、ココの出の人なのかなあ思う。
● 昨年の實成寺跡への道しるべ、印し方が普通じゃないよ。念仏ハゲ上まで続いてるかも?
● 昨年の實成寺跡への道しるべ、印し方が普通じゃないよ。念仏ハゲ上まで続いてるかも?

こお言うところまで来て祭事するんだから、その根拠がある思いますけど。

あったのは、大雨山甘露寺と銀重山三光寺ですね。両方とも現在は新町にあります。
新町には他に実成寺というのがあるので、これと間違ったのかな?
新町の実成寺に寄って、お話を聞きに行こうですワン。
あの祭壇はお寺さんが作られたかを、そしてそれは又なんでかってね。

治田村誌からの抜粋です。

甘露寺(浄土宗鎮西派 京都知恩院の末寺)
「江戸期慶長年間、治田鉱山創業の際、この地に最も多く来集して採掘に従事したのは、摂津河辺郡多田村銀山の鉱夫で、その後も開坑ごとに召抱えられた。多田にあった檀那寺禅宗派である大雨山甘露寺の分寺として、南河内山三光谷に寺院を建立した。その後鉱山が衰微して経営困難となり、明暦四年現在の場所に移した。」

三光寺
「甘露寺建立後二三十年間に於いて、新町への移住者の中には、桑名地方の真宗東本願寺派門徒が多くあった。当時桑名の三崎新田に、僧円智が開基した真観坊という寺があった。真観坊第五世泰音の時、村民の要請により南河内山三光谷字禅寺に移転し、のち寛政年間更に新町村現在の処に移建した。」

実成寺
「寛政七年、新町村には代官兼銀山奉行として川合助左衛門が前任地伊豆の鉱山から来て駐在し、慶安年中、その元菩提所上総国から世々の法華宗の本行山実成寺を西の大山中に移建した(山中に実成寺屋敷の旧跡現存)。後新町村内南町に移転し、再び現在の地に移し、天保十五年八月再建した。」


なるほど、よく判りました、この文献を引っさげて住職に少しずつだして聞いて見ますわ。
相手はたじろぐかな :mrgreen:


実成寺は銀山奉行が移建した寺ですので、治田鉱山とのかかわりはあるとおもいますが、他の資料を見ても三光谷にあっつたという記述はないですね。

代官兼銀山奉行としては上がりだけ搾取すれば好いんだから、現地にお寺立てる必要はなかったんだ。

堰堤工事は相当大規模なんですね。

久々に治田鉱山の資料を読み返しました。



[attachment=0]墓.JPG[/attachment]

前に青川にテントしてウンチクを提案してたから、おそ掛けながら約束が果たせてよかったですワン。

雪が降る前に青川界隈にも顔を出さなきゃいけませんね。 :D
  

二つ目の堰堤で終わると思うけど、高さあるデカイのに成ると思う。
バックプールができたら、ドコまで水没するかなあって見てました。

三光になりました、参考に成りました。

                                緑水                           
                           
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● この二重に重ねられてるお墓、文字が読めなかったワン
● この二重に重ねられてるお墓、文字が読めなかったワン
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