【奥美濃】 来し方に思いを巡らせながら 土蔵岳猫ケ洞大ダワ

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sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【奥美濃】 来し方に思いを巡らせながら 土蔵岳猫ケ洞大ダワ

投稿記事 by sato »

【日 付】 2024年1月30日
【山 域】 奥美濃 猫ケ洞 土蔵岳 大ダワ周辺
【天 気】 晴れ
【コース】 八草トンネル口岐阜側~・885~土蔵岳~猫ケ洞~土蔵岳~大ダワ
      ~・1026~・727~P

 
 標高700m。ふぅふぅと息をつき雑木林の広い尾根を登っていたら、右の方にボコボコとした溝が見えた。
土曜日か日曜日に登った方々のトレースだった。そうか、尾根の末端から登っていたのだ。
トンネル東口に近い、南の支尾根にはトレースが無く「誰も登っていなかったのね。よかった」とここまで登って来たのだが。

 残念と思うこころと裏腹に、足はトレースに向かっている。昨日、何となくからだが重かった。
晴れの予報でなかったら、家で本を読もうと思ったが、見事な晴れマーク。
考えていた山は、朝4時に起きなければならないし、ちょっとしんどい。そして浮かんだのが、ここだった。
 作シーズンは、お正月、夫と塩見岳に登ることが出来てよかったなぁ、と旅の余韻に浸っていた時、
そのひと月前の12月に何気なく受けた便潜血検査で「陽性」との通知が届き、内視鏡検査をしたところ、
その場では取ることの出来ない2cm、(他に8㎜、4㎜)のポリープが見つかり不安の日々に突入。
2月頭に入院内視鏡手術をして、2週間後に良性と分かりホッとしたものの、今度は膝痛が悪化。
ひとりで山に登るのは不安で怖い日々が春まで続いた。
 あれこれ心身の不調が現れる年頃、今シーズンも、あらたな問題を抱えクリニックのお世話にもなっているけれど、
ひとりで歩いても大丈夫と思えるようになった。歩ける時は歩きたい。前向きな気持ちになれるのがうれしいけれど、
やっぱり本調子ではないようだ。

 有難くトレースを辿らせていただくと、すぅっとからだが楽になった。足取りが軽くなると、キョロキョロ辺りを見渡している。
ふっと振り返ると、金糞岳が朝の光を浴びて白藍色に輝いていた。
どこかから、シジュウカラか、かわいい鳥の鳴き声が聞こえてきて、頭上を見上げると、私のすぐ横の木が、
少し黄みを帯びた空を掴むように枝を伸ばしている。なんて平和な光景なのだろう。みなが、真冬の穏やかな陽気を楽しんでいる。

 風格のあるブナが見えた。・885だ。ここから南に伸びるたおやかな尾根の二重稜線のあたりの風景が気になっている。
でも、また次の機会に。黒々としたスギの方へと足を進める。
八草川右俣砥谷の枝谷がキュっと入ったこの地点は、いきなり空気が変わり、わぁ面白い、と初めて通った3年前の年末、
膝近くまで潜る新雪を漕ぎながら、思ったことを思い出す。

 ここを過ぎると、清々しいブナ林のはじまりだ。
 わたしは、人は、何故、ブナに魅かれるのだろう。うつくしいと思うのだろう。
うつくしいブナの林があり、うつくしいと感じるわたしがいるのか、ブナに、うつくしいと感じるわたしのこころを見ているのか・・・。
穏やかな陽気に包まれ、迷宮入りしそうなことを考え始めるが、ブナの林は、ほんとうに、しみじみとうつくしく、力強く、神秘に満ちている。
DSC_0296.JPG
 ブナの純林は、雪がたくさん積もる地方に多く見られるそうだ。
ブナは、積雪に強いしなやかな幹を持ち、寿命は300年前後、発芽して最初の実をつけるまで40年ぐらいかかるという。
昨秋は、実が凶作だったが、豊作になるのは、せいぜい5~10年に一度。平常の結実数を少なくしておくことで、
ブナの実を食べる動物の数を抑え、豊作の年に有り余る実を落とし子孫を残そうという寿命の長いブナならではの戦略だと考えられている。
 ブナ林を歩くと、一本一本のブナが絶妙な間隔で並んでいるのも感じるが、
それは、ブナは、成長するにしたがって根から毒を出し、弱い木はその毒で枯れてしまい、
一定の範囲内で一番元気なブナが残っていくからともいわれている。
 双子のように並んでいるブナは、実の中にふたつある同じ遺伝子型の種から成長したブナなのだそう。
目の前に展開しているブナ林の、一本一本の木の歴史を想像すると圧倒される。

 左から尾根が近づいてきた。江美国境稜線だ。ここからの風景がまた素晴らしい。
やわらかにうねりながら広がるまっ白な雪の斜面に、すっくと並ぶ若いブナ。
今日は、右の尾根を行こう。まっさらな雪面に足跡を刻んでいく。
 山頂台地の一段下も素敵な台地だ。ぷらりとまわって立ち止まり、金糞岳に見入ってしまう。
誰か歩いているかな。まっ直ぐに伸びる北尾根を、目を凝らして辿っていく。
あの日、この日、夢見心地で歩いていたわたしの姿が浮かんでくる。

 山頂から先は、北も南もトレースは無かった。猫ケ洞に向かい、まだ陽の当たらぬ斜面を下っていく。
雪降る日はどれほどの風が吹きすさんでいたのだろう。一面にギザギザの風紋が描かれている。
微かに青みを帯びた雪のさざ波。そして、そのさざ波は、時間を閉じ込めたように動かない。
しんと静まり返った世界に、さざ波を渡るわたしの足音が響き渡る。
ハッと我に返ったみたいに、空気が震える。時が刻まれるのを感じる。

 お行儀よく並ぶブナの間を縫い、まあるい台地に出て、下るとあの雪庇だ。
何年前になるのかは、ぱっと思い出せないけれど、Kさんの後に続きながら、土倉谷と登谷にはさまれた尾根を登り、
霧にけぶるブナの林を抜け、要塞のようにそびえ立つ雪庇を見た時の驚きは忘れられない。
山猫の棲む世界との結界のよう、とゾクゾクした。
 風景との出会いは一期一会。その後、訪れた時には、あの日ほど威圧感のある雪庇は存在せず、
今日も、それほどではないだろう、と思ってやってきたが、現れた雪庇は、実に長閑だった。
春のような暖かな陽射しの下で、穏やかに光っている。高さもやはりそれほどない。
木の横の雪を崩して登り、山頂に出た。
DSC_0301.JPG
 そのまま北東の台地に進む。半年前、神又谷左俣を遡る旅で訪れた時、ササヤブで覆われて何にも見えなかった台地は、
細かく波打つ雪原となっていて、奥美濃の山やまが一望だった。高丸と烏帽子山の白さが目に沁みる。能郷白山もまっ白だ。
でも、木立の間から望んだ三周ヶ岳が、わたしの目には、どの山よりも白く輝いて見えた。
 ここで、ゆっくりしてもいいかな、と思ったが、お昼には早く、あまりにもうららかな陽気で、もう少し歩きたい気持ちにもなり、
引き返して、大ダワへと向かう。

 そう、土蔵岳から大ダワへの稜線も大好きなのだ。そしてここは、この、うららかな陽気にぴったりだ。
何度か歩いているが、今日も、わぁ、わぁ、と感激してしまう。たおやかに広がる稜線の、どこを歩こうかと迷ってしまう。
あっちへふらふら、こっちにふらふら。立ち止まり、でんと腰を下ろして、腹這いになり、
雪と風が描いた、やわらかだったり、とんがっていたり、二つとして同じものはない、直に消えてしまう、儚いまっ白な作品を掬い上げ、
こころの小箱にそっと仕舞っていく。いつか忘れてしまうのだろうけれど、いとおしくせつない一期一会の輝きをこころに仕舞いこむ。

 ブナに代わり、風格のあるミズナラの木々が現れると、広い広い大ダワの山上台地だ。
ここも、無積雪期は灌木のヤブ。冬は雪の魔法で、こんなにもうつくしい展望広場になる。
坂内川上の夜叉龍神社からもトレースはついていなかった。
 どこに座ろう。つるりとした台地を一周して、蕎麦粒山が一番よく見えると思ったところに腰を下ろす。
 近江の地に越してきて出会った奥美濃の山。その最初の山が蕎麦粒山だった。
私の奥美濃の山への扉を開いてくれた大切なお山。あの日見た雪庇は、色あせることなく、白く鋭くこころに焼き付いている。
 真正面を向くと、八草川を挟んだ向こうに金糞岳。その奥には伊吹山。
日々の暮らしの中で、晴れた日、仰ぎ見る度に、こころの中で手を合わせているいのりの山だ。
そして、母なるうみ、びわ湖が、白い雲が浮かぶ淡青色の空との境に光っている。
DSC_0314.JPG
 なんて、うつくしいのだろう。
数々の偶然が積み重なり、近江に暮らすようになり、今、こうして、静謐さを湛えたお山で、
愛する山とうみを眺めているわたしがいる。しあわせだなぁ、と思う。

 さぁっと、灰色の雲がやってきて去っていった。
よし行こう。去り難いけれど、なんだか夕方までに家に帰りたくなった。
立ち上がり、わたしをやさしく包み込むうつくしき世界に手を合わせ、踵を返す。

 ・1026先で、南の尾根に入る。3年前の年末に歩いた時は、山頂を出発したのが15時で、下山時刻が気になり、
急ぎ足気味になるものの、重くてグズグズの雪で思うように歩けず、ゆったりした気持ちで風景を味わえなかったのだろう。
こんなに素敵なブナ林が続いていたのだ、と目を見張る。蕎麦粒山もずっと見守ってくれている。
ありがとうございますの気持ちでいっぱいになる。
 ・727では、「どうぞここに腰かけて」と一本の木に呼び止められた。座ると、静かに私を見つめる蕎麦粒山と目が合った。
 ここから下の急斜面は、前回は七転八倒状態で大変だった。
昨冬の膝痛のひとつの原因は、スノーシューを履いて変な転び方を何度かしたため。
転ばぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと下っていく。
 廃屋が見えた。一度も転ばずに下山出来た。楽しく下山させていただきました。笑みがこぼれる。

 まだ陽の高い湖西道路を走りながら、チラチラと伊吹山を見ていた。
そうか、だから明るい内に帰りたかったのだ。新旭では少し黒みを帯びたちいさな蕎麦粒山を確認して、胸がトクンと鳴る。
 我が家を通り越し、湖岸道路に出て車を停めて外に出る。
 夕方の霞を帯びたやわらかな陽射しで、あるいは、わたしの目が潤んでいたのか。
淡い水色の空の下、伊吹山が、金糞岳が、乳白色に、うみは、薄浅葱色にゆらゆらと煌めいていた。
やさしくやさしく煌めいていた。

 「ありがとうございます」
手を握りしめて立ち尽くしながら、今日何度も呟いた言葉を、また繰り返していた。

sato






 
 
ちーたろー
記事: 245
登録日時: 2011年2月20日(日) 21:17

Re: 【奥美濃】 来し方に思いを巡らせながら 土蔵岳猫ケ洞大ダワ

投稿記事 by ちーたろー »

satoさん、こんばんは。
 
 
 >残念と思うこころと裏腹に、足はトレースに向かっている。昨日、何となくからだが重かった。
晴れの予報でなかったら、家で本を読もうと思ったが、見事な晴れマーク。

晴れの日に家にいると何だか罪悪感に襲われます :(


>考えていた山は、朝4時に起きなければならないし、ちょっとしんどい。そして浮かんだのが、ここだった。

私はすっかり朝が起きられなくなってしまい・・・


 >作シーズンは、お正月、夫と塩見岳に登ることが出来てよかったなぁ、と旅の余韻に浸っていた時、
そのひと月前の12月に何気なく受けた便潜血検査で「陽性」との通知が届き、内視鏡検査をしたところ、
その場では取ることの出来ない2cm、(他に8㎜、4㎜)のポリープが見つかり不安の日々に突入。
2月頭に入院内視鏡手術をして、2週間後に良性と分かりホッとしたものの、今度は膝痛が悪化。
ひとりで山に登るのは不安で怖い日々が春まで続いた。
 あれこれ心身の不調が現れる年頃、今シーズンも、あらたな問題を抱えクリニックのお世話にもなっているけれど、
ひとりで歩いても大丈夫と思えるようになった。歩ける時は歩きたい。前向きな気持ちになれるのがうれしいけれど、
やっぱり本調子ではないようだ。

秋のオフ会で皆様の大腸検査のお話を聞いていましたが、私も検査時に小さなポリープを切除しました。
大したことはなかったのですが、やはり色々と不調が出てきます。


 
 >風格のあるブナが見えた。・885だ。ここから南に伸びるたおやかな尾根の二重稜線のあたりの風景が気になっている。
でも、また次の機会に。黒々としたスギの方へと足を進める。
八草川右俣砥谷の枝谷がキュっと入ったこの地点は、いきなり空気が変わり、わぁ面白い、と初めて通った3年前の年末、
膝近くまで潜る新雪を漕ぎながら、思ったことを思い出す。

膝近くまで潜る新雪・・・私はとても歩けない。
数年前のスノー衆で連れて行って頂いた土蔵岳、猫ヶ洞を思い浮かべながら読ませて頂きました。猫ヶ洞まではあのルートなのかなぁと思いながら。


 >ここを過ぎると、清々しいブナ林のはじまりだ。
 わたしは、人は、何故、ブナに魅かれるのだろう。うつくしいと思うのだろう。
うつくしいブナの林があり、うつくしいと感じるわたしがいるのか、ブナに、うつくしいと感じるわたしのこころを見ているのか・・・。
穏やかな陽気に包まれ、迷宮入りしそうなことを考え始めるが、ブナの林は、ほんとうに、しみじみとうつくしく、力強く、神秘に満ちている。

satoさんの文章にはホントにsatoさんの心のうつくしさが満ちていますね。

 >ブナの純林は、雪がたくさん積もる地方に多く見られるそうだ。
ブナは、積雪に強いしなやかな幹を持ち、寿命は300年前後、発芽して最初の実をつけるまで40年ぐらいかかるという。
昨秋は、実が凶作だったが、豊作になるのは、せいぜい5~10年に一度。平常の結実数を少なくしておくことで、
ブナの実を食べる動物の数を抑え、豊作の年に有り余る実を落とし子孫を残そうという寿命の長いブナならではの戦略だと考えられている。
 ブナ林を歩くと、一本一本のブナが絶妙な間隔で並んでいるのも感じるが、
それは、ブナは、成長するにしたがって根から毒を出し、弱い木はその毒で枯れてしまい、
一定の範囲内で一番元気なブナが残っていくからともいわれている。
 双子のように並んでいるブナは、実の中にふたつある同じ遺伝子型の種から成長したブナなのだそう。
目の前に展開しているブナ林の、一本一本の木の歴史を想像すると圧倒される。

ブナさんたちには、そんなものがたりがあるのですね。

ちーたろー
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥美濃】 来し方に思いを巡らせながら 土蔵岳猫ケ洞大ダワ

投稿記事 by sato »

ちーたろーさま

こんにちは。
土蔵岳、猫ケ洞は、スノー衆で訪れた想い出のお山なのですね。
山日和さんから頂いたリストを見ました。2018年の3月に訪れたのですね。
同じコースだったのでしょうか。うつくしいブナ林を満喫する素敵なコースですよね。
下りの最後の急斜面が雪質によっては大変ですが、アトラクションになりますか(笑)。

ブナのものがたりは、ほんとうに面白く不思議で感動的です。
ブナだけではなく、森の生き物すべてですが。
そう、「豊作のブナ林はドミノ会場?」という面白いお話があります。
大量に実を付けた年のブナは、限られたエネルギーを結実に使うため、葉っぱの量が少なく、
その年のブナ林は明るいそうです。すると「風がふけば・・」のごとく生き物たちのドミノ現象が起こる。
下で耐えていたブナの幼木、ツバキやクロモジのような低木にとって大きくなるチャンス。
開花も促され、蜜を求める虫たちの活動も活発に。その結果、低木のタネも沢山できて、ネズミやリスの食べ物も増える。
『森のひみつ 木々のささやき』小山浩正・平智(山形大学出版会)という本で、教えていただきました。
大学の先生が書かれているのですが、とても分かりやすく簡単な言葉で面白く表現されていて、
写真も多く、森のふしぎ、森のひみつに惹きこまれていきます。
中学生ぐらいの時、この本に出会っていたら、違った人生を歩んでいたかもしれない、と思うくらい素敵な本です。

そう、そう、昨秋のオフ会では、大腸検査が話題となりましたね。
ちーたろーさんと私は同年代。あれこれ心身の不調に悩まされる年頃ですよね。
命にかかわる症状ではなくても、やっぱりからだのトラブルが続くと気分も沈みがちに。
私は、マイナス思考で、ドロドロしていて、そんな自分にまた落ち込んだりしてしまうのですが、
山を歩いている時は、すぅっと自分を肯定しています。山を、わたしを、からだいっぱいに感じます。
そういう時のわたしを言葉で表現したくなるのですね。
山を愛してやまないわたしを、山で出会ったよろこび、かなしみを言葉にしたくなる。そして書き始めると長くなる(笑)。
ちーたろーさんのレポも、感じるものがいろいろあります。
自分の心情を書きたい時ってありますよね。

コメントありがとうございました!
次の機会にまたお会い出来るのを楽しみにしています。

sato
アバター
山日和
記事: 3585
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【奥美濃】 来し方に思いを巡らせながら 土蔵岳猫ケ洞大ダワ

投稿記事 by 山日和 »

satoさん、こんばんは。

晴れの予報でなかったら、家で本を読もうと思ったが、見事な晴れマーク。
考えていた山は、朝4時に起きなければならないし、ちょっとしんどい。そして浮かんだのが、ここだった。


どこへ行こうと思ってたんですか?

そのひと月前の12月に何気なく受けた便潜血検査で「陽性」との通知が届き、内視鏡検査をしたところ、その場では取ることの出来ない2cm、(他に8㎜、4㎜)のポリープが見つかり不安の日々に突入。
2月頭に入院内視鏡手術をして、2週間後に良性と分かりホッとしたものの、今度は膝痛が悪化。

心配でしたね。山猫さんのおかげでちょっと安心できたでしょう。

どこかから、シジュウカラか、かわいい鳥の鳴き声が聞こえてきて、頭上を見上げると、私のすぐ横の木が、少し黄みを帯びた空を掴むように枝を伸ばしている。なんて平和な光景なのだろう。みなが、真冬の穏やかな陽気を楽しんでいる。

真冬でも鳥の鳴き声がするんですね。ひと足早い春の訪れみたい。

 ここを過ぎると、清々しいブナ林のはじまりだ。
 わたしは、人は、何故、ブナに魅かれるのだろう。うつくしいと思うのだろう。
うつくしいブナの林があり、うつくしいと感じるわたしがいるのか、ブナに、うつくしいと感じるわたしのこころを見ているのか・・・。


ここのブナ林はホントにいいですよね。
ブナに魅かれる人もいればそうでない人もいる。
私に言わせれば、ブナ好きは感性の高い証拠です。 :lol:

 ブナの純林は、雪がたくさん積もる地方に多く見られるそうだ。
ブナは、積雪に強いしなやかな幹を持ち、寿命は300年前後、発芽して最初の実をつけるまで40年ぐらいかかるという。
昨秋は、実が凶作だったが、豊作になるのは、せいぜい5~10年に一度。平常の結実数を少なくしておくことで、
ブナの実を食べる動物の数を抑え、豊作の年に有り余る実を落とし子孫を残そうという寿命の長いブナならではの戦略だと考えられている。
 ブナ林を歩くと、一本一本のブナが絶妙な間隔で並んでいるのも感じるが、
それは、ブナは、成長するにしたがって根から毒を出し、弱い木はその毒で枯れてしまい、
一定の範囲内で一番元気なブナが残っていくからともいわれている。
 双子のように並んでいるブナは、実の中にふたつある同じ遺伝子型の種から成長したブナなのだそう。
目の前に展開しているブナ林の、一本一本の木の歴史を想像すると圧倒される。


よく勉強してますねえ。私なんかブナが好き、それだけです。 :mrgreen:

 左から尾根が近づいてきた。江美国境稜線だ。ここからの風景がまた素晴らしい。
やわらかにうねりながら広がるまっ白な雪の斜面に、すっくと並ぶ若いブナ。
今日は、右の尾根を行こう。まっさらな雪面に足跡を刻んでいく。


雪の積もったこの山頂直下の風景は素晴らしいです。
どこを歩いて行こうかと迷いますね。 :D

 山頂から先は、北も南もトレースは無かった。猫ケ洞に向かい、まだ陽の当たらぬ斜面を下っていく。

トレースの主は土蔵岳往復でしたか。

 お行儀よく並ぶブナの間を縫い、まあるい台地に出て、下るとあの雪庇だ。
何年前になるのかは、ぱっと思い出せないけれど、Kさんの後に続きながら、土倉谷と登谷にはさまれた尾根を登り、霧にけぶるブナの林を抜け、要塞のようにそびえ立つ雪庇を見た時の驚きは忘れられない。


まあるい台地というのはシャクナゲ地獄の小ピークですね。
猫ヶ洞直下の雪庇は、初めて訪れた時はずいぶん苦労しました。

 風景との出会いは一期一会。その後、訪れた時には、あの日ほど威圧感のある雪庇は存在せず、今日も、それほどではないだろう、と思ってやってきたが、現れた雪庇は、実に長閑だった。
春のような暖かな陽射しの下で、穏やかに光っている。高さもやはりそれほどない。
木の横の雪を崩して登り、山頂に出た。


雪が少ないとあっけなく登ってしまいますね。

 そのまま北東の台地に進む。半年前、神又谷左俣を遡る旅で訪れた時、ササヤブで覆われて何にも見えなかった台地は、細かく波打つ雪原となっていて、奥美濃の山やまが一望だった。高丸と烏帽子山の白さが目に沁みる。能郷白山もまっ白だ。

無雪期と同じ場所とは思えないでしょう。どちらの顔も猫ヶ洞の真実です。

 そう、土蔵岳から大ダワへの稜線も大好きなのだ。そしてここは、この、うららかな陽気にぴったりだ。
何度か歩いているが、今日も、わぁ、わぁ、と感激してしまう。たおやかに広がる稜線の、どこを歩こうかと迷ってしまう。
あっちへふらふら、こっちにふらふら。立ち止まり、でんと腰を下ろして、腹這いになり、
雪と風が描いた、やわらかだったり、とんがっていたり、二つとして同じものはない、直に消えてしまう、儚いまっ白な作品を掬い上げ、
こころの小箱にそっと仕舞っていく。いつか忘れてしまうのだろうけれど、いとおしくせつない一期一会の輝きをこころに仕舞いこむ。

土蔵~大ダワ間の広い稜線も大好きなところ。何度あるいたかなあ。絶対に期待を裏切らない素晴らしいところですね。

ブナに代わり、風格のあるミズナラの木々が現れると、広い広い大ダワの山上台地だ。
ここも、無積雪期は灌木のヤブ。冬は雪の魔法で、こんなにもうつくしい展望広場になる。
坂内川上の夜叉龍神社からもトレースはついていなかった。


今回はトレースなかったですか。3年前はいきなりトレースが出てきてびっくりしましたね。
その主が今はやぶオフに来ているんだから、世の中わからないものです。 :lol:

 どこに座ろう。つるりとした台地を一周して、蕎麦粒山が一番よく見えると思ったところに腰を下ろす。
 近江の地に越してきて出会った奥美濃の山。その最初の山が蕎麦粒山だった。

北東尾根を登った時のランチ場所あたりかな。

 ・1026先で、南の尾根に入る。3年前の年末に歩いた時は、山頂を出発したのが15時で、下山時刻が気になり、急ぎ足気味になるものの、重くてグズグズの雪で思うように歩けず、ゆったりした気持ちで風景を味わえなかったのだろう。
こんなに素敵なブナ林が続いていたのだ、と目を見張る。蕎麦粒山もずっと見守ってくれている。

そうだったの。私はあんまり時間を気にしてなかったけどね。
それより琵琶湖方面の夕景が美しくて、この時間に山を歩いている者だけの特権を満喫していましたよ。 :lol:
あのブナ林は何回も歩いているから新たな感動はなかったけど。

 ここから下の急斜面は、前回は七転八倒状態で大変だった。
昨冬の膝痛のひとつの原因は、スノーシューを履いて変な転び方を何度かしたため。
転ばぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと下っていく。

雪質に大きく左右されるけど、最後の急斜面はなかなかの難関です。
20年ほど前に初めて下った時の方が大変でした。

 我が家を通り越し、湖岸道路に出て車を停めて外に出る。
 夕方の霞を帯びたやわらかな陽射しで、あるいは、わたしの目が潤んでいたのか。
淡い水色の空の下、伊吹山が、金糞岳が、乳白色に、うみは、薄浅葱色にゆらゆらと煌めいていた。
やさしくやさしく煌めいていた。


家の近くでこんな素敵な景色を眺められるのがうらやましいです。 :D


               山日和
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥美濃】 来し方に思いを巡らせながら 土蔵岳猫ケ洞大ダワ

投稿記事 by sato »

山日和さま

こんにちは。
昨日は、皆様とスノー衆を楽しむことが出来てうれしかったです。
いい一日でした。ありがとうございます。

行きたいお山はあれこれあり、その時の気分や体調で、浮かんでくるお山は変わります。
この日は、数日前から晴れで気温が高くなる予報でしたので、うららかな陽気が似合う?
広々とした稜線歩きを楽しめるお山が浮かびました。最初に浮かんだお山は、13日の火曜日に歩いてきました。
前日は雨ではなく雪で、予想外の重い雪のラッセルとなり、思い描いていたルートは絵に描いた餅でしたが、
思いもかけない青と白の世界を旅することが出来ました。

そうですね。昨年は、スノーシュー山旅のはじまりとワクワクしていた時、いきなり、不安の塊になってしまい、
ご心配をおかけしました。マイナス思考ゆえ、あまりにも不安で暗い顔をしている私を見かねて、
山猫さんに相談してくださり、気持ちを落ち着かせてくださり、おふたりには感謝の気持ちでいっぱいです。

この日は、朝は冷え込んだのですが、ぐんぐんと気温が上がっていき、春の陽気でした。
鳥さん達も楽し気に鳴いていました。シジュウカラは留鳥なのですね。
鳴き声が独特で、白いお腹に黒いネクタイのような柄があるので覚えやすいです。
というより、シジュウカラくらいしか鳴き声は分からないです(汗)。
鳥の名前が分かると楽しいだろうなぁ、と思うのですが、姿はよく見えないし、鳴き声も難しいので、覚えることが出来ません。

木や花も、きれいだなぁ、だけでも満足なのですが、名前や生態を知ると、より、木や花のこころを感じるような気がしてきます。
何より面白く不思議な世界に惹きこまれていきます。

土蔵岳山頂直下の風景は、しみじみとうつくしいですね。
トレースの方々は、山頂往復でしたが、皆様、行きも帰りも同じ場所を歩かれていて、
艶やかな斜面が残されていたのでうれしかったです。私は往復でも、下りは別の場所を歩き、斜面を汚してしまいますので。

山日和さんとは、無積雪期の土蔵岳、猫ケ洞、大ダワも味わいましたね。
あのシャクナゲのヤブが、まあるくかわいい台地になり、ササヤブや灌木のヤブが、あんなにもうつくしい展望広場となるのですね。
雪の魔法にびっくりです。そして重い雪に耐えられる木々の生命力にも。
雪の季節はもちろん素敵ですが、ヤブの山も味わい深くて好きです。いろいろな表情に出会い、そのお山への思いが増していきますね。

土蔵岳大ダワの稜線は、地図を眺めているだけで、うっとりしてしまいます。大ダワの北東尾根も素敵でしたね。
坂内から大ダワへは誰か登っているだろうなぁ、と思っていましたので、まっさらな山頂を味わえてうれしかったです。
3年前、ここから山日和さんと眺めた煌めく夕景は、忘れられません。
山日和さんとご一緒だったからこそ出会うことのできた情景でした。
ここで大満足して、その後、夕闇迫るまでに下らないと、いう気持ちが押し寄せてきたのでしょうね。
今回は、まだ12時半でしたので、ゆったりした気持ちで下ることが出来ました。

・727まで、清々しいブナの林が続き、感激していました。・727も素敵なピークですね。
そのまま立ち去ることが出来ませんでした。
ここから下は、前回ほどの悪雪ではありませんでしたが、やはりズルズルでした。
陽当りのいい南急斜面だからなのですね。

アルプス方面に出かけたり、実家に帰ったりして、近江に戻ってくる時、車窓から伊吹山を眺めると、
ほっとするような、穏やかな気持ちに包まれます。
山とうみを感じながら日々を送ることが出来、しあわせだなぁ、と思います。
感謝感謝ですね。

コメントありがとうございました。

sato
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