【越美国境】 三周ヶ岳、あの日も今日も清らかに そして山はこころの学び場

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sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【越美国境】 三周ヶ岳、あの日も今日も清らかに そして山はこころの学び場

投稿記事 by sato »

【日 付】 2023年12月28日
【山 域】 越美国境 三周ヶ岳周辺
【天 候】 晴れ
【コース】 広野ダム事務所下~二ツ屋~・849~・1025~越美国境稜線~三周ヶ岳、夜叉が池分岐~三周ヶ岳~越美国境稜線~・1025
    ~・800~△634.4黒谷山~北西尾根末端~標高550mまで登り返し~北東尾根~ダム


 かつての二ツ屋集落の手前辺り。雪の杉林の斜面にシカの足跡が刻まれていた。やっぱりここからが取りつきやすいのだな。
目星を付けていた場所だった。三周ヶ岳と美濃俣丸からの下りに2回歩いたことのある尾根だったが着地地点は覚えていなかった。
 時間を確認すると6時40分を過ぎている。車道歩きに30分かかってしまった。もう少し早く出発したらよかった。
夫とふたりだったけれど、2月のまとまった降雪の翌日、湿った新雪で膝近くまで潜りながらも、
逆回り黒谷山から周回出来たという思い出が頭にこびり付いていて、明るくなりかけてからでも大丈夫と考えていた。
 あの時から8年近くの歳月が経っているのに。車の中でゆっくりしていた時間を悔やむ。正午まで5時間半弱。
まだ、無理ではない。雪質が悪くなければ辿り着けるだろう。気を取り直してシカの足跡に続く。

「あっ!」木を掴み、よいしょと左足を持ち上げた瞬間、スノーシューが、カラカラと急斜面を転げ落ちていった。
尾根芯に向かい登り始めて早々のアクシデント。ラチェットの締め方が緩かったのか。
数メートル下の木に引っ掛かり止まってくれてほっとするが、ちいさな手抜きが取り返しのつかない事態にもなり得る。
気を付けなければ、と気持ちを引き締める。

 尾根に出ると、一面の雪で覆われた雑木林の中に、なんとなく道型らしきラインを感じた。
街道の尾と呼ばれるこの尾根には、二ツ屋と門入を結ぶ道が通っていたという。スタンフォード大学の地形図では、
二ツ屋からは標高500mまで谷を通り、そこから尾根に乗り、国境稜線を越えて金が丸に下り、谷に沿って破線道が門入まで延びている。
 春に登った山日和さんから、尾根の末端からも明瞭な仕事道が続いていた、とお聞きして、
雪が無くてもヤブに捕まらずに歩けるのだと知り、「街道の尾」の風景が、まぶたの裏に広がり、
お正月に実家に帰る前の今日、三周ヶ岳に向かうならここからだ、とやって来たのだった。

 滑らかな雪面には、シカとヤマドリの足跡だけ。土曜日の降雪以来、この尾根を歩いた人はいない。うれしさがこみあげる。
でも、雪質は思っていたよりも、じとじと重かった。そして標高を上げるにつれ潜りが深くなる。
ふくらはぎの下だったのが中央まで潜るようになり、ため息が出る。息も上がる。
 まだ雪に慣れていないのか。体力が落ちたのか。・849前後の急斜面では、うまく足を踏ん張ることが出来ず、
膝近くまで潜り何度もズルズルと滑ってしまう。
 あれこれ思いを巡らせながら歩くわたしを思い描いていたが、甘かった。目は少しでも潜りが浅そうなところを探している。
そして、見えない倒木の間にずぼっとはまり、ふぅとため息をつく。
 それでも、見上げた、たくさんの枝先にちいさな無数の冬芽をつけた春を夢見る木々の先に広がる白い雲が浮かぶ空は、
穏やかに青く澄み渡り、そのどこかに、誰かの、何かの、あたたかな眼差しのようなものを感じ、「よし」と力が湧いてくる。

 9時35分、・1025着。700m登った。白く煌めく国境稜線の山やまに目が釘付けになる。
三周ヶ岳はこの稜線の向こう。山頂まで標高差であと270m。ちいさなアップダウンはあるけれど、お昼頃には辿り着けるか。
 若いブナの林の中を縫いながら国境稜線に乗ると、霧氷を纏われた、おおきなおおきな三周ヶ岳が目の前に。
想像もしなかった淡い青色に輝くお姿に胸が震える。ここまで来させていただきました。でも、まだ進めますね。目を閉じて手を合わせる。
 ひと息ついて前を向くと、綿あめのような雪の塊を抱えた灌木群が。足元のまっしろな雪面はうねうねと波打ち、
真冬のまっすぐな陽射しを受け、きらきらと瞬いている。気温が上がり雪は重くなるばかりだったが、昨日降り積もったような雪景色に、
わぁ、と気持ちが高ぶり、その眩い雪面に、一本の光の筋を感じ、その筋に導かれるように一歩を重ねていく。
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 あともう少し、もう少し。夜叉ケ池との分岐の1250mピークへの最後の登りでは、
スノーシューの上に被さる雪の重みにへこたれそうになるが、一歩の積み重ねは確実だ。
ふぅ、とおおきく息を吐き出し、つるりとした雪原によたっと飛び出す。
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 白雪姫さまがお眠りになる夜叉ケ池と、純白の女神さまが御座す三周ヶ岳への白い道が合わさる地。
なんて夢のようにうつくしいのだろう。雪庇が出来る前の稜線は、ふわりとやわらか。青空の下で、ふるふるとやさしく揺れている。
ふるふるふる・・・微かに微かに揺れている。わたしの胸の鼓動と合わさるように。
 11時50分を回っていた。山頂には、正午を過ぎてしまうけれど、休憩時間を短くしたら大丈夫だ。
一歩一歩噛みしめながら、光り輝く峰に近づいていく。

 12時20分少し前。まっ白な三周ヶ岳の頂に到達した。最後は今日もやさしくわたしを包み込んでくださった。
疲れた足がすぅっと軽くなり、青と白、ふたつの色が織りなす輝く頂に、わたしは静かに立っていた。
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 感極まるのかな、と思ったが、「あぁ」と声が出かかっただけだった。
ぽかんと口を開け、わたしのこころを惹き付けてやまない奥美濃、越前、湖北の山々、そして憧れの白き峰、白山を、
澄み渡った青空を、ひとつひとつ見つめていく。ひとつひとつじっと見つめていく。
 じわじわじわと、からだの奥から感情が湧き上がってくる。
あぁ、なんて素晴らしいのだろう。なんて尊い風景なのだろう。言葉では言い尽くせない感情に包まれる。

 どのくらい突っ立っていたのだろう。喉が渇いた、と気づき、腰を下ろして水を飲む。
喉元を通った水がこくこくと音をたてながらからだの中を滑り落ちていく。
こくこく、こころの池に溜まっていき、溢れた水が、ぽたりと涙となってこぼれ落ちた。

 とどまることなく流れていく時の中で、ぷつっと止まってしまった時がある。
その時以前、その後という言い方をすると、わたしは、今、その後を生きている。

 2021年3月4日、父を亡くした。3月1日の多分夜中に倒れ、そのまま意識を戻すことなく4日の夕方に息を引き取った。
心房細動による脳梗塞だった。最後に父に会ったのは、亡くなる2年前。
母が山で転倒し肘を骨折して入院手術をしたと聞き、びっくりして帰省した時だった。
その時は一泊しか出来ず、父とはほとんど話をすることなく別れてしまった。
 生きている限り、親も子も老いていき、やがて死んでしまう、と頭では理解していても、わたしがいる限り親もいると思っていた。
ほんとうに馬鹿な人間だ。

 その後、かなしみと後悔の渦の中、近江に戻った日の翌日、何かに駆り立てられるように向かったのが、三周ヶ岳だった。
 広野ダムから黙々と雪の残る車道を歩き、先ず夜叉ケ池に向かい、越美国境稜線から高丸を往復して、白く輝く三周ヶ岳に立った。
胸が張り裂けそうなのに、こころもからだも疲れ切っているのに、びっくりするくらいに足取りは軽かった。
そして、うつくしい風景に見入っているわたしがいた。
1250mピークから仰ぎ見た三周ヶ岳は、これ以上ないくらいにうつくしく凛々しくもやさしいお姿だった。
山頂は光に満ち溢れ天国のようだった。
 こんなに苦しいのに、なんでお山はこんなにうつくしいの。なんでわたしはうつくしさにこころ震えるの。
次から次へと涙が溢れ出た。

 あの日と同じくらい穏やかな陽気に包まれた山頂だった。年末だというのに。
「ひとりでラッセル頑張ったなぁ」あの日と同じ青い空を見上げ、父の口調を真似てぼそっと呟く。
お父さんがいなくなってから3年近く生きてきたけれど、かなしみは癒えることは無いよ。より深くなったよ。
ぐるぐるしてばかりだよ。でも、しあわせも感じる。それでいいんだね。
これからも、かなしみを抱え、今、在るわたしを味わう。それでいいんだね。青い空のかなたに問いかける。
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 12時50分。17時には薄暗くなる。16時半頃までには車道に出なくてはならない。
あと少しゆっくりしたいという気持ちを押し切り、えいっ、と立ち上がる。
 ほんの30分の休憩だったのに、うららかな陽射しで雪はべちゃべちゃ状態になっていた。
少しでも登りになると、疲れた足は刻んだ足跡を求める。
 ・1144で立ち止まり、あの日下った廃村岩谷への尾根を辿る方が楽で、早く下山出来るな、と頭をよぎったが、
まだ余裕があるとみて、足跡を追い・1025に戻っていく。

 14時35分、・1025着。さぁ、どうするか。街道の尾の登りに要した時間は3時間弱。
ここを下れば、この雪質でも2時間かからずに車道に出るだろう。
 黒谷山の方を眺めると、すっかり記憶から抜け落ちていたが、たおやかな尾根にブナの林が続いていた。
気持ちよさげな尾根。風景は忘れてしまったけれど困難な場所はなかったはず。ヤブもそれほどではないだろう。
街道の尾と同じような感じで歩けるだろう。予定していたコースに足を踏み入れる。

 上から眺めた通り、ブナの林が続く素敵な尾根だった。雪は重いが、足にやさしい傾斜なので歩みも順調。
夢見心地の時間が過ぎていく。
 松の目立つ雑木林となった。ひと登りしたら黒谷山だ。何故か、松の木が生い茂り反射板の立つ黒谷山は記憶に残っている。
 あぁ、ここ、と反射板の下に着くと、進行方向の木々にいくつもの赤丸と矢印がつけられていた。
以前は無かったような。ふうっと肩の力が抜ける。
夢見心地といいながらも、方向を間違わないように地図とにらめっこ、時間も気になっていた。

 休まずに赤丸を追っていく。赤丸は視野から無くなることなく続いていく。
楽をさせていただきありがたい、とトントン下っていったが、標高550mの尾根の分岐で、あれっ?と立ち止まる。
赤丸は左の尾根についていた。この尾根の末端は崖だ。でも、下向きの矢印まである。
 どうしよう。決めていた右の尾根を覗くと、ボサボサと灌木の枝が飛び出た冴えない尾根。
左は、なんとなく仕事道が付けられているようにも見える。こちらに反射板の巡視路が作られたのだと解釈して、赤丸と矢印に従う。

 尾根は歩きやすく、赤丸も続いていった。そしてダムの管理事務所と車道がすぐ下に。
時計を見ると、16時35分。計算通りだった、とうれしくなる。でも、その数秒後、「えっ?」とからだが固まった。

 丁寧すぎるくらいに付けられた赤丸と矢印の最後は、何にもなかった。いや、わたしの知っている崖があるだけだった。
愕然として、どういうこと?という思いが湧き上がるが、すぐに、戻らなければならないと判断する。
朝、車道を歩きながら、ここならすんなり出ることが出来ると確認した右の尾根まで。

 疲れた足で登り返している間に、日は暮れてしまう。ズルズルの雪。200m登るのに一時間くらいかかるかもしれない。
下りは暗闇の中。車道に出られるのは18時半頃か。19時にはならないだろう。疲れ果てては危ない。先ずカロリー補給をしよう。
 ビスケットをほおばると美味しくて、小袋を食べきり、さらにもう二袋空けていた。お腹が満たされ、気持ちもどっしりとした感じに。
さぁ、戻ろう。ゆっくりと戻っていく。橙色に染まる空を眺めながら、なるべく息を切らさぬよう、ゆっくり、ゆっくり、戻っていく。
 550m地点に着いた時には、夕闇に覆われていた。ここから間違わないように、転ばないように、慎重に下らなければならない。
もう一度リュックを降ろし、チョコレートを食べ、お湯を飲む。

 ヘッドランプで照らしても尾根の形は分らない。でもGPSのおかげで、自分がどこを歩いているのか分かる。
家を出る時、緊急用にカイロもと、リュックの雨ぶたにふたつ入れたのを思い出す。GPSが無かったらビバークだった。
 雑木林から植林となった。暗闇の中を谷音が大きく響き渡る。傾斜がほとんどなくなると、程なくして車道に出た。
ほっと胸をなでおろし、時計を見ると18時半だった。
 黒い森を振り返ると、また、わたしのこころを見つめる、誰かの、何かの、眼差しのようなものを感じた。
見上げた東の空には、まんまるのお月さまがお顔を出していた。

 後は一本道。青白い光に照らされた静寂の世界に、足音を響かせ、今日一日を反芻しながら、朝に刻んだ足跡が残る道を戻っていった。


    

 年末年始を実家で過ごした後の1月5日、菅並から横山岳に登った。
山頂周辺では思いもかけない霧氷が出迎えてくれた。
煌めく木々の間から望んだ三周ヶ岳は、この日も白く輝いていた。
しみじみとうつくしかった。
 紛争、地震、個々が抱える様々な現実・・・世の中は、かなしみ苦しみ理不尽なことだらけ。
でも山は、いつも変わらず、どっしりとここに在る。晴れた日は光り輝き、荒れた日は雨風雪をまっすぐに受け。
 残酷で悲惨な現実は後を絶たない。わたし自身も明日のことは分らない。
どれほどの人が、かなしみ苦しみ今日一日を生きているのだろう。
そして、その同じ時、わたしもいろいろな思いを抱え、今を生きている。
うまく言えないけれど、それが、わたしの現実、人生というものなのだろう。
 あの日も今日も清らかに輝く三周ヶ岳を見つめながら、いろいろな現実、選択の繰り返しの人生の中、
わたしが山から教えてもらってきたものをあらためて思う。

sato
tsubo
記事: 193
登録日時: 2023年3月07日(火) 13:27
お住まい: 和歌山県

Re: 【越美国境】 三周ヶ岳、あの日も今日も清らかに そして山はこころの学び場

投稿記事 by tsubo »

satoさん、こんにちは。

 あの時から8年近くの歳月が経っているのに。車の中でゆっくりしていた時間を悔やむ。正午まで5時間半弱。
まだ、無理ではない。雪質が悪くなければ辿り着けるだろう。気を取り直してシカの足跡に続く。

私も時々、もっと早く出発すればよかったと思うことがあります。でも、遅かったからみえなかったものもあるし、遅かったからこそ見えたものもあるのかなと。そのタイミングがその時の自分のタイミングなんだろうと思うようにしています。

「あっ!」木を掴み、よいしょと左足を持ち上げた瞬間、スノーシューが、カラカラと急斜面を転げ落ちていった。
尾根芯に向かい登り始めて早々のアクシデント。ラチェットの締め方が緩かったのか。
数メートル下の木に引っ掛かり止まってくれてほっとするが、ちいさな手抜きが取り返しのつかない事態にもなり得る。
気を付けなければ、と気持ちを引き締める。

あらま!私も外れたこと、何回かありますがあせりますね。遠くまで落ちないでよかったですね。
ちょっとのトラブルは気を引き締めるためのものなんでしょうね。
私は先日三峰山に行きましたが、うちを出てしばらくして地図を忘れたことに気づきました。何度も登っているし、普通のルートなので特に地図を見ることもないかとも思いましたが、やっぱり落ち着かなくて途中の本屋で山と高原地図を買い安心しました。

 滑らかな雪面には、シカとヤマドリの足跡だけ。土曜日の降雪以来、この尾根を歩いた人はいない。うれしさがこみあげる。
でも、雪質は思っていたよりも、じとじと重かった。そして標高を上げるにつれ潜りが深くなる。
ふくらはぎの下だったのが中央まで潜るようになり、ため息が出る。息も上がる。
 まだ雪に慣れていないのか。体力が落ちたのか。・849前後の急斜面では、うまく足を踏ん張ることが出来ず、
膝近くまで潜り何度もズルズルと滑ってしまう。


雪山初めは、思うようでなかったりしますね。
私はそれほど雪山に行くわけではないので、1年ぶりだと余計にもたつきます。

 あれこれ思いを巡らせながら歩くわたしを思い描いていたが、甘かった。目は少しでも潜りが浅そうなところを探している。

そんなものですね。

そして、見えない倒木の間にずぼっとはまり、ふぅとため息をつく。
 それでも、見上げた、たくさんの枝先にちいさな無数の冬芽をつけた春を夢見る木々の先に広がる白い雲が浮かぶ空は、
穏やかに青く澄み渡り、そのどこかに、誰かの、何かの、あたたかな眼差しのようなものを感じ、「よし」と力が湧いてくる。

ちょっとした景色に勇気をもらえますね。

 若いブナの林の中を縫いながら国境稜線に乗ると、霧氷を纏われた、おおきなおおきな三周ヶ岳が目の前に。
想像もしなかった淡い青色に輝くお姿に胸が震える。ここまで来させていただきました。でも、まだ進めますね。目を閉じて手を合わせる。
 ひと息ついて前を向くと、綿あめのような雪の塊を抱えた灌木群が。足元のまっしろな雪面はうねうねと波打ち、
真冬のまっすぐな陽射しを受け、きらきらと瞬いている。気温が上がり雪は重くなるばかりだったが、昨日降り積もったような雪景色に、
わぁ、と気持ちが高ぶり、その眩い雪面に、一本の光の筋を感じ、その筋に導かれるように一歩を重ねていく。


satoさんの文章と写真だけで美しい姿が目に浮かぶようです。

 丁寧すぎるくらいに付けられた赤丸と矢印の最後は、何にもなかった。いや、わたしの知っている崖があるだけだった。
愕然として、どういうこと?という思いが湧き上がるが、すぐに、戻らなければならないと判断する。
朝、車道を歩きながら、ここならすんなり出ることが出来ると確認した右の尾根まで。

いやいや、その赤丸と→は何だったんでしょうね。
もしかしたらsatoさんを試すもの?幻?


 疲れた足で登り返している間に、日は暮れてしまう。ズルズルの雪。200m登るのに一時間くらいかかるかもしれない。
下りは暗闇の中。車道に出られるのは18時半頃か。19時にはならないだろう。疲れ果てては危ない。先ずカロリー補給をしよう。
 ビスケットをほおばると美味しくて、小袋を食べきり、さらにもう二袋空けていた。お腹が満たされ、気持ちもどっしりとした感じに。

私はあせると、休んだりする時間がもったいなく感じてしまうのですが、こういう時は落ち着いて何かを食べてお腹も気持ちも落ち着かせないとダメですね。

 ヘッドランプで照らしても尾根の形は分らない。でもGPSのおかげで、自分がどこを歩いているのか分かる。
家を出る時、緊急用にカイロもと、リュックの雨ぶたにふたつ入れたのを思い出す。GPSが無かったらビバークだった。
 雑木林から植林となった。暗闇の中を谷音が大きく響き渡る。傾斜がほとんどなくなると、程なくして車道に出た。
ほっと胸をなでおろし、時計を見ると18時半だった。
 黒い森を振り返ると、また、わたしのこころを見つめる、誰かの、何かの、眼差しのようなものを感じた。
見上げた東の空には、まんまるのお月さまがお顔を出していた。

 
無事に戻れて何よりでした。この時期のビバークはきついでしょう。
    
 あの日も今日も清らかに輝く三周ヶ岳を見つめながら、いろいろな現実、選択の繰り返しの人生の中、
わたしが山から教えてもらってきたものをあらためて思う。


今年は1日から悲惨な災害が起こりましたね。今でも連日ニュースでは能登半島のことが報じられています。私はここまでの災害ではなかったけど、紀伊半島大水害を経験しました。
年末の国道169号線の下北山村での土砂災害で、車が埋まって亡くなられた方がいました。私が大峰や台高の山に行くときにいつも通っている道です。もしかしたら、自分も土砂に埋もれてしまったかもしれないと思いました。他人事には思えませんでした。
能登半島で大変な思いをしている人たちがいるのに、自分が楽しんでいるということに後ろめたい気持ちを感じることもあります。
でも、災害はいつ自分に降りかかってくるかわかりません。そして死も。
その時その時で自分がやれること、やりたいことをしていくことが大事なのかなと思います。
山に登り、感じたり考えたりすること。決して無駄なことではない。
山は、自然はいつも大切なことを教えてくれますね。
そして心が豊かになります。

スノーシューが外れたことから始まり、道間違えをしてしまった山歩き。
美しい景色とともにsatoさんの心に残る山歩きになったんでしょうね。
今年もsatoさんの山歩きの文章を楽しみにしていますね。

tsubo
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【越美国境】 三周ヶ岳、あの日も今日も清らかに そして山はこころの学び場

投稿記事 by sato »

tsuboさま

こんばんは。
今日は、素晴らしいお天気の一日でした。昨日の雪で、比良や鈴鹿の山も、きらきらと白く輝き、
仕事の行き帰り、自転車を止めて見入ってしまいました。
せっかく降ってくれた雪、でも、明日、そして土日の雨で融けてしまいそう。

長々とした文章を読んで下さり、コメントを寄せていただきありがとうございます。

ひとりで山に出かける時は、遅くても16時半には下山しようと決めているので、時間がかかる時は、逆算して出発時間を決めます。
でも、グズグズして遅れることも少なからず。この日は、降雪後数日経ち、雪が締まっているだろうと思い、ゆっくりしてしまいました。
最初の車道歩きで潜ったので、しまった、と。
でも、そう、遅かったからこそ、見えたもの、出会えたものもありますね。日曜日の山歩きがそうでした。
予定していたお山の林道が車で通れず、変更して向かったお山で、とてもうれしい出会いがありました。

私も、ちょこっとしたトラブルによって、気を引き締めることの大切さに気付きます。
地図は無いと不安になりますね。私は、地図と地図のコピーの2枚を持っていきます。時々、コピー地図を落としてしまうので。

ラッセルは、山と私の距離がぐんと近づく感じがして、しんどいですが好きです。
山に分け入っていく私を感じながら見上げる風景は、目に沁みますね。
稜線は、まだヤブが出ていてボサボサしていたのですが、飛び出した灌木ひとつひとつに綿あめのような雪が乗っていて、
わぁ、雪まつりみたい、と喜んでしまいました。

下りの最後の失敗ですが、尾根の最後が林道の時は、崖になっていることが多々あるので、
谷に逃げられるか、末端まで下れる尾根かの見極めが必要です。
この尾根の末端は崖で、下れる尾根を、朝歩いた時に確認していました。
ここを下るのだ、と決めていたのに、赤丸の誘惑に負けてしまいました。
こんなにたくさんマークが付いているというのは、巡視路だからだろう。こっちの方が楽だと思いました。
登り返して、当初決めていた尾根を下り、車道に出た時、そう、何かに、こころを試されたのかな、と思いました。
ひょっとしたらお父さんに?赤丸と矢印は、確かに付いています。幻覚ではないです。幻覚だったら怖い・・・。

私は、人一倍心配性で、怖がりで、マイナス思考。こんなこと、あんなことが起こったらどうしよう、と妄想してしまいます。
なので、遭難事故について書かれた本や、雑誌の記事を図書館で見つけると、必ず借りて読んでいます。
アクシデントが起こってしまった時、先ずは落ち着くことが大切、と本で学ばせていただいたのが、少しは身になっていたのでしょうか。

ほんとうに、愕然として言葉を失う年明けでした。
この悲惨な現実の中で、私は楽しんでいいのか、罪悪感のような気持ちが湧き上がります。
でも、tsuboさんのおっしゃるように、災害はいつ自分に降りかかってくるか分からない。
明日、自分がどうなるのかも分からない。その時その時で自分がやれること、やりたいことをしていくことが大事なのでしょうね。
「山に登り、感じたり考えたりすること。決して無駄なことではない」
「山は、自然はいつも大切なことを教えてくれる。そして心が豊かになる」
深くこころに響きました。
いろんな意味で、わたしという人間を感じた山旅を、言葉に紡げてよかったです。
私も、tsuboさんのゆたかな山旅の文章を楽しみにしています!

sato
アバター
山日和
記事: 3585
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【越美国境】 三周ヶ岳、あの日も今日も清らかに そして山はこころの学び場

投稿記事 by 山日和 »

satoさん、こんばんは。

 かつての二ツ屋集落の手前辺り。雪の杉林の斜面にシカの足跡が刻まれていた。やっぱりここからが取りつきやすいのだな。
目星を付けていた場所だった。三周ヶ岳と美濃俣丸からの下りに2回歩いたことのある尾根だったが着地地点は覚えていなかった。

二ツ屋橋の手前に斜面を斜めに上がって行く杣道がありますね。

 「あっ!」木を掴み、よいしょと左足を持ち上げた瞬間、スノーシューが、カラカラと急斜面を転げ落ちていった。
尾根芯に向かい登り始めて早々のアクシデント。ラチェットの締め方が緩かったのか。
数メートル下の木に引っ掛かり止まってくれてほっとするが、ちいさな手抜きが取り返しのつかない事態にもなり得る。

いきなりのアクシデントで焦ったでしょう。取りに行ける場所でよかったですね。

 尾根に出ると、一面の雪で覆われた雑木林の中に、なんとなく道型らしきラインを感じた。
街道の尾と呼ばれるこの尾根には、二ツ屋と門入を結ぶ道が通っていたという。スタンフォード大学の地形図では、二ツ屋からは標高500mまで谷を通り、そこから尾根に乗り、国境稜線を越えて金が丸に下り、谷に沿って破線道が門入まで延びている。
 春に登った山日和さんから、尾根の末端からも明瞭な仕事道が続いていた、とお聞きして、
雪が無くてもヤブに捕まらずに歩けるのだと知り、「街道の尾」の風景が、まぶたの裏に広がり、
お正月に実家に帰る前の今日、三周ヶ岳に向かうならここからだ、とやって来たのだった。


まさに「街道の尾」というところでしょう。昨年歩いた時は800m近くまで地面の上を歩きました。
門入から金ヶ丸谷を通って二ツ屋へ抜ける道だったんでしょうか。なかなかハードな行程だと思いますが。

でも、雪質は思っていたよりも、じとじと重かった。そして標高を上げるにつれ潜りが深くなる。
ふくらはぎの下だったのが中央まで潜るようになり、ため息が出る。息も上がる。


まだ先週末の大雪から雪が落ち着いてなかったのかな。私もこの翌日横山へ行きましたが、結構重かったです。
だいぶ雪が融けて沈みがそれほどでもなかったので助かりましたが。(そう言いながら山頂まで行けてない(^^;)

 若いブナの林の中を縫いながら国境稜線に乗ると、霧氷を纏われた、おおきなおおきな三周ヶ岳が目の前に。
想像もしなかった淡い青色に輝くお姿に胸が震える。ここまで来させていただきました。でも、まだ進めますね。目を閉じて手を合わせる。


このジャンクションのP1144まで来ると、三周の巨体がドーンと目の前に現れて感動しますね。
霧氷が付いて入れはなおさら。
美濃俣丸も上谷もよく見えるし、私ならここでランチでも十分かも。 :lol:

 あともう少し、もう少し。夜叉ケ池との分岐の1250mピークへの最後の登りでは、
スノーシューの上に被さる雪の重みにへこたれそうになるが、一歩の積み重ねは確実だ。
ふぅ、とおおきく息を吐き出し、つるりとした雪原によたっと飛び出す。


この登りは急だけど少しの我慢。登り付いたらこれまでとは異次元の展望が開けますね。

なんて夢のようにうつくしいのだろう。雪庇が出来る前の稜線は、ふわりとやわらか。青空の下で、ふるふるとやさしく揺れている。
ふるふるふる・・・微かに微かに揺れている。わたしの胸の鼓動と合わさるように。
 11時50分を回っていた。山頂には、正午を過ぎてしまうけれど、休憩時間を短くしたら大丈夫だ。


ここで雪庇のない三周を見たことがありません。まだ雪が少ないのか。でもこれはこれで実に美しい風景ですね。
12時前にここに立ってれば十分じゃない? ランチタイムを短くというのは私の場合ありえないけど。 :mrgreen:

 12時20分少し前。まっ白な三周ヶ岳の頂に到達した。最後は今日もやさしくわたしを包み込んでくださった。
疲れた足がすぅっと軽くなり、青と白、ふたつの色が織りなす輝く頂に、わたしは静かに立っていた。
 感極まるのかな、と思ったが、「あぁ」と声が出かかっただけだった。
ぽかんと口を開け、わたしのこころを惹き付けてやまない奥美濃、越前、湖北の山々、そして憧れの白き峰、白山を、澄み渡った青空を、ひとつひとつ見つめていく。ひとつひとつじっと見つめていく。
 じわじわじわと、からだの奥から感情が湧き上がってくる。
あぁ、なんて素晴らしいのだろう。なんて尊い風景なのだろう。言葉では言い尽くせない感情に包まれる。

この風景は6時間近くひとりで頑張ったご褒美ですね。
何度も見ていますが、何度見ても新たな感動が生まれる絶景です。
ガスってなくてよかった。 :D

 2021年3月4日、父を亡くした。3月1日の多分夜中に倒れ、そのまま意識を戻すことなく4日の夕方に息を引き取った。
心房細動による脳梗塞だった。最後に父に会ったのは、亡くなる2年前。
母が山で転倒し肘を骨折して入院手術をしたと聞き、びっくりして帰省した時だった。
その時は一泊しか出来ず、父とはほとんど話をすることなく別れてしまった。
 生きている限り、親も子も老いていき、やがて死んでしまう、と頭では理解していても、わたしがいる限り親もいると思っていた。
ほんとうに馬鹿な人間だ。


その週末がスノー衆の赤樽山~徳平山でした。連絡を受けた時はえっと思いました。
親の方が先に逝くのは普通のことですが、こころの準備ができていないと一層辛いですね。
馬鹿でもなんでもないですよ。

 その後、かなしみと後悔の渦の中、近江に戻った日の翌日、何かに駆り立てられるように向かったのが、三周ヶ岳だった。
 広野ダムから黙々と雪の残る車道を歩き、先ず夜叉ケ池に向かい、越美国境稜線から高丸を往復して、白く輝く三周ヶ岳に立った。
胸が張り裂けそうなのに、こころもからだも疲れ切っているのに、びっくりするくらいに足取りは軽かった。
そして、うつくしい風景に見入っているわたしがいた。
1250mピークから仰ぎ見た三周ヶ岳は、これ以上ないくらいにうつくしく凛々しくもやさしいお姿だった。
山頂は光に満ち溢れ天国のようだった。
 こんなに苦しいのに、なんでお山はこんなにうつくしいの。なんでわたしはうつくしさにこころ震えるの。
次から次へと涙が溢れ出た。

余計なことを何も考えずに、いや考える余裕がなかったのかもしれませんが、ただひたすら足を前に出していたんでしょうね。
疲れを感じるヒマもなかったんでしょう。
自分の心持ちがどうあろうと山は変わらずそこにあります。

 あの日と同じくらい穏やかな陽気に包まれた山頂だった。年末だというのに。
「ひとりでラッセル頑張ったなぁ」あの日と同じ青い空を見上げ、父の口調を真似てぼそっと呟く。
お父さんがいなくなってから3年近く生きてきたけれど、かなしみは癒えることは無いよ。より深くなったよ。
ぐるぐるしてばかりだよ。でも、しあわせも感じる。それでいいんだね。
これからも、かなしみを抱え、今、在るわたしを味わう。それでいいんだね。青い空のかなたに問いかける。


かなしみはいつか薄れて行きます。完全に消えることはなくても。人はそうしないと生きていけない動物だから。
しあわせを感じることができないとしたら、それはお父さんが一番悲しむことでしょう。
親だけでなく、まわりの友人や先輩や知人、あるいは兄弟・親戚が先に逝ってしまうかもしれない。その時は思いっ切り泣けばいい。
そして時間が経てば少しずつ癒えていくでしょう。

 12時50分。17時には薄暗くなる。16時半頃までには車道に出なくてはならない。
あと少しゆっくりしたいという気持ちを押し切り、えいっ、と立ち上がる。

私の場合、三周の山頂に15時というのがよくあるんですが。さすがに年末だと日が短いですね。
13時なら余裕でしょう。

 14時35分、・1025着。さぁ、どうするか。街道の尾の登りに要した時間は3時間弱。
ここを下れば、この雪質でも2時間かからずに車道に出るだろう。
 黒谷山の方を眺めると、すっかり記憶から抜け落ちていたが、たおやかな尾根にブナの林が続いていた。
気持ちよさげな尾根。風景は忘れてしまったけれど困難な場所はなかったはず。ヤブもそれほどではないだろう。
街道の尾と同じような感じで歩けるだろう。予定していたコースに足を踏み入れる。

思案のしどころですが、黒谷山へ行くよりはP1144から岩谷へ下る方が私は好きですね。

 松の目立つ雑木林となった。ひと登りしたら黒谷山だ。何故か、松の木が生い茂り反射板の立つ黒谷山は記憶に残っている。
 あぁ、ここ、と反射板の下に着くと、進行方向の木々にいくつもの赤丸と矢印がつけられていた。
以前は無かったような。ふうっと肩の力が抜ける。
夢見心地といいながらも、方向を間違わないように地図とにらめっこ、時間も気になっていた。

 休まずに赤丸を追っていく。赤丸は視野から無くなることなく続いていく。
楽をさせていただきありがたい、とトントン下っていったが、標高550mの尾根の分岐で、あれっ?と立ち止まる。
赤丸は左の尾根についていた。この尾根の末端は崖だ。でも、下向きの矢印まである。


そうなんです。11年前のスノー衆の時もこの赤丸に誘われて下りそうになりました。
18年前に初めて来た時にはなかったですね。
一旦この道に入って下りかけましたが、思い直して当初予定の右の尾根に入り直しました。

 尾根は歩きやすく、赤丸も続いていった。そしてダムの管理事務所と車道がすぐ下に。
時計を見ると、16時35分。計算通りだった、とうれしくなる。でも、その数秒後、「えっ?」とからだが固まった。


 丁寧すぎるくらいに付けられた赤丸と矢印の最後は、何にもなかった。いや、わたしの知っている崖があるだけだった。
愕然として、どういうこと?という思いが湧き上がるが、すぐに、戻らなければならないと判断する。


調べてみたら、あのコンクリート張りのガケの中に道があるようですが、とても歩く気がしないような状態らしいです。
登りならまだしも、あのガケを縫う道を下るのはリスクが高過ぎますね。
上から見たらとても道があるように見えなかっただろうし。

 疲れた足で登り返している間に、日は暮れてしまう。ズルズルの雪。200m登るのに一時間くらいかかるかもしれない。
下りは暗闇の中。車道に出られるのは18時半頃か。19時にはならないだろう。疲れ果てては危ない。先ずカロリー補給をしよう。
 ビスケットをほおばると美味しくて、小袋を食べきり、さらにもう二袋空けていた。お腹が満たされ、気持ちもどっしりとした感じに。
さぁ、戻ろう。ゆっくりと戻っていく。橙色に染まる空を眺めながら、なるべく息を切らさぬよう、ゆっくり、ゆっくり、戻っていく。
 550m地点に着いた時には、夕闇に覆われていた。ここから間違わないように、転ばないように、慎重に下らなければならない。
もう一度リュックを降ろし、チョコレートを食べ、お湯を飲む。

冷静な判断で安心しました。こういう時に一拍置いて気持ちを落ち着かせられるかどうかが運命を分けます。
200mの登り返しはしんどいけど、いつかは着きますからね。
右の尾根は鬱陶しいけど危険なところはまったくないし、ソフトランディングが約束されてます。

 ヘッドランプで照らしても尾根の形は分らない。でもGPSのおかげで、自分がどこを歩いているのか分かる。
家を出る時、緊急用にカイロもと、リュックの雨ぶたにふたつ入れたのを思い出す。GPSが無かったらビバークだった。

GPSはありがたいですね。コンパスで方向を合わせて歩いても支尾根に誘い込まれそうだし。

 雑木林から植林となった。暗闇の中を谷音が大きく響き渡る。傾斜がほとんどなくなると、程なくして車道に出た。
ほっと胸をなでおろし、時計を見ると18時半だった。

無事生還、お疲れさまでした。
一瞬の判断がおおげさに言うと生死を分けることもあります。
今回の場合は末端のガケを知っているだけに安全策で当初の尾根を下るべきだったでしょうが、あれだけ派手な赤丸が続いていたら
誘い込まれる気持ちも理解できます。近道だしね。

                        山日和
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【越美国境】 三周ヶ岳、あの日も今日も清らかに そして山はこころの学び場

投稿記事 by sato »

山日和さま

こんばんは。
週末の雨で、比良や鈴鹿のお山、野坂山地の雪も見事に融けてしまいましたが、水曜日からまた雪の予報。
どのくらい降ってくれるのでしょうか。

長々とした文章を読んでくださり、私の心中に思いを巡らせてくださりありがとうございます。
三周ヶ岳は、私にとって想いが詰まったお山。
今回、お正月に実家に帰り、父の部屋で過ごす前に、お会いしたい気持ちに駆られました。

二ツ屋橋の手前に街道の尾への杣道がついているのですね。私は、もっと南から取りつきました。
スノーシューが転がり落ちていった時、「虫の知らせ?登ってはいけないということ?」と一瞬思いましたが
「いや、締め方が甘かったのだ。ちいさな注意も怠るなということだ」と思い直しました。
4mくらい下で止まってくれてよかったです。

「街道の尾」という響きは、想像をかきたてるものがありますね。
『秘境・奥美濃の山旅』を読み返しましたら、
「相当よく踏まれており、現在も山仕事に利用されている様子である。標高800m付近は広い台地状になって、
木材搬出に使われたのであろう三角に組まれたヤグラと屋根だけの仮小屋がある」と書かれていました。
街道の尾は、古くから二ツ屋と門入を結んでいた道といわれ、スタンフォード大学の地図にも記されていますが、
美濃側の金ケ丸沿いの破線については、『樹林の山旅』の「人知らぬ谷々」には、
「かつて一度も存在したことの無い不思議な路が記してあるのだ。此道は死んだ道の墓標ではなく、地図作製者の空想に生まれた道である」
と書かれています。
そして、ハゲノ谷から・1128大河内山の鞍部を通り大河内集落に至る道があった、とも。
木地師の集落だった大河内は、下流の二ツ屋と交流の無かった時代があったそうです。
国境稜線を越え、木を求め移動していった木地師の通った道がいくつかあったのでしょうね。
天気の悪い休みの日、福井の図書館に町史を読みに行きたいです。

・1144から仰ぎ見る三周ヶ岳は、そのどっしりとしたおおきなお姿に圧倒されます。
この日は、気温が高く感じたので、霧氷は全く期待していませんでした。
10時過ぎで陽の当たっていない斜面でしたので残っていたのですね。
美濃俣丸に向かう稜線の一部も霧氷で飾られていました。

そう、そうなのです。1250mピーク、ここに先ず立ちたかったのです。
雪の魔法で、まさに別天地。青い空の下に描かれた夜叉ケ池へ白い道、三周ヶ岳への白い道は、夢のように麗しく、
幾重にも連なる山並みのかなたには白山がひと際白く輝いている。
2月や3月の大きな雪庇で飾られた稜線は息を呑むうつくしさですが、雪庇が出来る前の稜線もほんとうにうつくしかったです。
ふるふると震えるようなやわらかなうねりが何とも言えませんでした。

街道の尾の登りも、雪が重くてしんどかったのですが、・1144から、さらに重くなり、
よいしょよいしょ、と言いながら雪の被ったスノーシューを持ちあげていました。
正午頃までと決めたタイムリミットを少し越えてしまいましたが、山頂に辿り着けてうれしかったです。

山頂では、光り輝く景色に包まれ、あの日のわたし、そして父とお話しました。
そうでしたね。父が亡くなったのは、楽しみにしていた赤樽山徳平山スノー衆の直前でした。
悲しくて、山のことなど考えられないはずなのに、家に戻ったとたん、明日、山に行かねば、と何かに取り憑かれたように思いました。

温かなお言葉ありがとうございます。
父を亡くした悲しみは、形を変えてより深くなっています。でも、その悲しみが、生きる力にもなっています。
それぞれ大きさも形も数も違うけれど、人は悲しみを持った存在。
人の悲しみは計り知れないけれど、悲しみの感情は私の悲しみと繋がるのを感じる。
そして、そう、自分の心持ちがどうであろうと山は変わらずそこにある。
山を愛するわたしがいる。ちいさなしあわせを感じるわたしがいる。
5日、愕然とした気持ちを抱えながら登った横山岳で、三周ヶ岳を見つめながら思いました。

べちゃべちゃでなければ、スムーズに下れるのでしょうが、なんせ重かったので、細かく時間を計算していました。
・1144から廃村岩谷への尾根の標高1000m周辺は静謐さに満ちていますね。
うれしくなって、おおきなブナの木が佇む緩やかな弧を描く谷に駆け下りてしまいます。晩秋の情景もこころに沁みました。
でも、この日は、可能なら黒谷山と決めていました。

林道、車道着地は、今まで何度か失敗もしていて、気を付けなければならないと肝に銘じていて、
行きに着地点の確認をして、決めていた尾根の分岐で立ち止まったのに、赤丸と矢印の誘惑に負けてしまいました。
シャーベット状になった雪の下りで、足に負担がかかり、怪我した方の左足首に少し痛みが生じていて、
楽したい気持ちもあったのですね。どこかにすっと降りられる巡視路が作られたのだ、と自分を信じ込ませてしまいました。
巡視路は、確かにあったのですね。しかも、あの崖についているとは。
山中には色々な目的でつけられた目印がある。反省しています。
登山道のない山を歩く時は、地形をきちんと読み、把握し、判断していくことが大切。
あらためて勉強させていただきました。

山は、ほんとうに、生きていく中で大切なことを学ばせてくれます。気づかせてくれます。
ゆたかなこころ、想像するこころをはぐくませてくれます。
今日も山を想うことが出来、しあわせです。ありがたいです。
お返事も長々となってしまいました。失礼いたしました。

sato
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