【 日 付 】2023年5月6日
【 山 域 】 湖北
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】9:00登山口→ 10:30 山頂散策→11:30リフトで登山口
皆さま、お久しぶりです。
昨日、鈴鹿樹林の回廊の掲示板を久しぶりに読みました。
思いがけない訃報が書かれてありました。
もう3年も前、走馬灯のように、あの優しい声、温かみある笑顔が思いだされました。
御池岳のミズナラの巨木の祠から、おどけている姿やら。
いい方で大好きでした、もうこの世で会えない、悲しくなり改めて自分自身を見なおしました。
一期一会という言葉やら、また検索したら、たろーさんのブログに、またたどり着きました。
安全に、登るというより、ハイキングしようと思います。
若いときは、柳生街道を友人と歩きました。
春に、賤ヶ岳にハイキングしました。シャガの花みると、お釈迦さまの世界を想像します。
JR木之本駅を降りると、のどかな田園風景、地蔵堂あり参詣する。
白いシャガの群生がきれい、白の中に黄色と紫色があるのが特徴的で、好きな花です。
登りは歩いていきました、なだらかな感じですが、最後が少し急でした。
戦乱の世、犠牲者が多かったようです。
展望は抜群でした。
お市の方は、この展望をみたことがあったのか?
昨夜(8月6日)の「どうする家康」では、家康公はお市の方を救いたかったけれど断念したようです。
北国街道も風情あり、タイムスリップしたようでした。
麻鈴音
歴史ロマンを求めて古戦場 賤ヶ岳へ
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Re: 歴史ロマンを求めて古戦場 賤ヶ岳へ
麻鈴音さん、こんにちは。超ご無沙汰でしたね。お元気そうで何よりです。
昨日、鈴鹿樹林の回廊の掲示板を久しぶりに読みました。
思いがけない訃報が書かれてありました。
もう3年も前、走馬灯のように、あの優しい声、温かみある笑顔が思いだされました。
緑水さんの件はご存じじゃなかったんですね。
3年前、私とやぶこぎメンバーも捜索に行きました。
晩年はやぶこぎから遠ざかっておられましたが、ニフティの山のフォーラム時代からの付き合いでした。
意見がぶつかることもありましたが、山と人生の先輩として大きな存在でした。
春に、賤ヶ岳にハイキングしました。シャガの花みると、お釈迦さまの世界を想像します。
JR木之本駅を降りると、のどかな田園風景、地蔵堂あり参詣する。
私、賤ヶ岳は行ったことないんですよ。近くの山はイヤと言うほど行ってるんですが。
この冬にでも登ってみようかな。
北国街道も風情あり、タイムスリップしたようでした。
いい街並みですよね。
先日ここの「みちくさ」という店で食事しましたが、店主のおばさんが超個性的でした。
山日和
昨日、鈴鹿樹林の回廊の掲示板を久しぶりに読みました。
思いがけない訃報が書かれてありました。
もう3年も前、走馬灯のように、あの優しい声、温かみある笑顔が思いだされました。
緑水さんの件はご存じじゃなかったんですね。
3年前、私とやぶこぎメンバーも捜索に行きました。
晩年はやぶこぎから遠ざかっておられましたが、ニフティの山のフォーラム時代からの付き合いでした。
意見がぶつかることもありましたが、山と人生の先輩として大きな存在でした。
春に、賤ヶ岳にハイキングしました。シャガの花みると、お釈迦さまの世界を想像します。
JR木之本駅を降りると、のどかな田園風景、地蔵堂あり参詣する。
私、賤ヶ岳は行ったことないんですよ。近くの山はイヤと言うほど行ってるんですが。
この冬にでも登ってみようかな。
北国街道も風情あり、タイムスリップしたようでした。
いい街並みですよね。
先日ここの「みちくさ」という店で食事しましたが、店主のおばさんが超個性的でした。
山日和
Re: 歴史ロマンを求めて古戦場 賤ヶ岳へ
山日和 さんが書きました: ↑2023年8月08日(火) 11:53 麻鈴音さん、こんにちは。超ご無沙汰でしたね。お元気そうで何よりです。
山日和さん、返信いただき、どうもありがとうございます。
本当に、12年ぶりに、再度投稿させていただきました。
元気ですが、歳をとりました。でも家族は「天然ちゃん」のままと云います。
天然ちゃんも「緑水」さんがつけてくれました。
緑水さんの件はご存じじゃなかったんですね。
3年前、私とやぶこぎメンバーも捜索に行きました。
晩年はやぶこぎから遠ざかっておられましたが、ニフティの山のフォーラム時代からの付き合いでした。
意見がぶつかることもありましたが、山と人生の先輩として大きな存在でした。
全然、知りませんでした。
鈴鹿樹林の回廊で訃報を知り、ショック受けました、また哀しい思いがつきあげました。
早速、たろーさんの「晴山雨読記」を検索しました。
はてなブログに移転されていて、
丁寧に説明されてあり、懸命に捜索するやぶこぎの皆さまの姿が目に浮かびました。
辛く悲しかったと思います。
2007年11月12日、緑水さんとの出会い、想い出深いミズナラの巨木、樹胴に真っ先にはいり、「お出でよと」手招きしてくれました。
徳のあるお方でした、心からご冥福をお祈りいたします。
このお方も素晴らしいですね、シベリア抑留の時のスケッチに驚きました。戦後78年、大正14年だとちょうど20歳頃に終戦迎えられたのですね。
またお会いしたいなあ、藤原岳のロッジではじめてお会いしました。
この土倉岳~茨川分岐 ちょうど4月半ば、ビバークしたのですが。なんていう花なのか、みたことのない赤い花が無数に咲いてました。
ここは、何度も眺めては、、また遭難おこして迷惑や心配かけてはいけないと制していました。
魅力的で、誘われる山域ですね。
私、賤ヶ岳は行ったことないんですよ。近くの山はイヤと言うほど行ってるんですが。
この冬にでも登ってみようかな。
賤ヶ岳は標高400m程ですが、みると、ここが古戦場だったのかとロマンがあります。七本槍も有名ですね。火縄銃、つぎに槍で攻めた武将には、褒美が与えられたとか。平野氏以外は大名になったと記憶しています。
いい街並みですよね。
先日ここの「みちくさ」という店で食事しましたが、店主のおばさんが超個性的でした。
昔の街道歩きは、またいいですね。奈良の街道歩きで峠の茶屋がありました、その店主も個性的で鹿の剥製や鹿の毛皮が豪華でした。
お侍が代金代わりに置いて行った日本刀も飾られてました。
麻鈴音
最後に編集したユーザー 麻鈴音 [ 2023年8月28日(月) 18:31 ], 累計 2 回
Re: 歴史ロマンを求めて古戦場 賤ヶ岳へ
マレーネさん、ご無沙汰です。
もうかれこれ10年くらいお会いしていなかったでしょうか?
マレーネさんと言えばイブネのオフ会で途中までご一緒して別れたような記憶が・・・
私とマレーネさんは当時ヤブメンの中でも危なっかしい筆頭で東西の横綱でしたね。
私が冬の御池岳に挑戦してみたいと書いた時にある方に注意されたにも拘わらず、その一週間後くらいに絶景のテーブルランドのレポを
上げた時に「なんたらかんたらの鼻を明かしましたね」と緑水さんに励ましの言葉を頂きました。
緑水さんが行方不明の一報を聞いた時は居てもたってもしておれずスグに現地に行ってみたら10人以上のヤブメンが集まって探索していました。
次の土曜日は一人で探索に向かいましたが、見つけられず翌日に黒谷という場所で発見されました。
山で命を全うできたのはある意味幸せだったのかも知れません。
賤ヶ岳は秀吉と柴田勝家の合戦場で有名ですね。
この時期の賤ヶ岳はシャガの花が綺麗なんですね。合戦で沢山の戦死者の魂をシャガの花が弔っているようにも思えます。
低山なので夏は暑そうですね。標高は421mなので鈴鹿の多度山とほぼほぼ同じ高さだと思います。
展望が良いのも共通しています。
私事ですが、この7月15日に北海道の斜里ヶ岳に登りました。
昨年は平ヶ岳に登りましたがここが一番きつくて99座目でした。
登山を始めた年に槍ヶ岳に登ってかれこれ29年かかってやっと百名山を完登できました。
宮指路
もうかれこれ10年くらいお会いしていなかったでしょうか?
マレーネさんと言えばイブネのオフ会で途中までご一緒して別れたような記憶が・・・
私とマレーネさんは当時ヤブメンの中でも危なっかしい筆頭で東西の横綱でしたね。
私が冬の御池岳に挑戦してみたいと書いた時にある方に注意されたにも拘わらず、その一週間後くらいに絶景のテーブルランドのレポを
上げた時に「なんたらかんたらの鼻を明かしましたね」と緑水さんに励ましの言葉を頂きました。
緑水さんが行方不明の一報を聞いた時は居てもたってもしておれずスグに現地に行ってみたら10人以上のヤブメンが集まって探索していました。
次の土曜日は一人で探索に向かいましたが、見つけられず翌日に黒谷という場所で発見されました。
山で命を全うできたのはある意味幸せだったのかも知れません。
賤ヶ岳は秀吉と柴田勝家の合戦場で有名ですね。
この時期の賤ヶ岳はシャガの花が綺麗なんですね。合戦で沢山の戦死者の魂をシャガの花が弔っているようにも思えます。
低山なので夏は暑そうですね。標高は421mなので鈴鹿の多度山とほぼほぼ同じ高さだと思います。
展望が良いのも共通しています。
私事ですが、この7月15日に北海道の斜里ヶ岳に登りました。
昨年は平ヶ岳に登りましたがここが一番きつくて99座目でした。
登山を始めた年に槍ヶ岳に登ってかれこれ29年かかってやっと百名山を完登できました。
宮指路
Re: 歴史ロマンを求めて古戦場 賤ヶ岳へ
宮指路 さんが書きました: ↑2023年8月17日(木) 22:20
宮指路さん、コメントいただきありがとうございます。
マレーネさん、ご無沙汰です。
もうかれこれ10年くらいお会いしていなかったでしょうか?
マレーネさんと言えばイブネのオフ会で途中までご一緒して別れたような記憶が・・・
あのイブネの遭難事件の折りは、ご心配おかけいたしました。あの頃は体力も経験もないのに、周囲が不思議がるほどに、のめりこんでいました。イブネというと?どこかの温泉?知らない人にはそういわれました。快晴に恵まれ、この上ないような足跡のない自然に包まれていました。
坑道の入口見つけて、ひとりではしゃいでました。この坑道なにが採掘できたのでしょうね?位置的に高昌鉱山の下なので「オゾ鉱山」でしょうか?廃村研究に詳しいハリマオさんならご存じかな。オゾン層からきたオゾでしょうか?
私とマレーネさんは当時ヤブメンの中でも危なっかしい筆頭で東西の横綱でしたね。
私と比べたら、経験や体力のある宮指路さんは危なくないです。その前に、雪のクラシに届かずもしています。
私が冬の御池岳に挑戦してみたいと書いた時にある方に注意されたにも拘わらず、その一週間後くらいに絶景のテーブルランドのレポを
上げた時に「なんたらかんたらの鼻を明かしましたね」と緑水さんに励ましの言葉を頂きました。
8月6日の朝、8時15分黙禱しました。今頃になり、海軍特別年少兵に15歳で志願した亡父が、大竹海兵団の潜水学校から大竹義勇団で広島市入りし救護にあたり、被爆手帳もらえたはずの対象であることがわかってきました。だから広島や大竹がより身近に感じるのです。
そのあと、何かの虫の知らせでしょうか?鈴鹿樹林の回廊を開けたら思いがけない訃報を知りました。ショックでした、下から突き上げてくるような悲しみでした。以前にも樹林の回廊みてるので、もう3年以上開いてなかったということです。
最近も、恩師に、あなたは稀有な人といわれました。マレな人、この年代で、昔の海軍式でしつけられた私は、マレな存在なのかもわかりません。雑踏のなかに居ても、なぜか目立つそうです。
緑水さんが行方不明の一報を聞いた時は居てもたってもしておれずスグに現地に行ってみたら10人以上のヤブメンが集まって探索していました。
次の土曜日は一人で探索に向かいましたが、見つけられず翌日に黒谷という場所で発見されました。
山で命を全うできたのはある意味幸せだったのかも知れません。
皆さんの悲痛な捜索がわかりました、黒谷は、オフ会の帰りに武平峠めざし、歩いたことあります。名前のようにうす暗い、急な水流だと足をすくわれるような谷でした。見つけていただき、ありがとうと魂がこだまするようです。緑水さんは、とても優しい情のある方でした。昭和20年生まれの叔父が2人いますが、2人とも人懐っこい性格です、何か共通するような甘え上手で、ほかの伯父よりも話すのが好きで、可愛がられる存在です。そんなに時間過ごしていないのに「緑水さん」は存在感ありました。奥村氏と親子ほど歳がちがうのですね。
賤ヶ岳は秀吉と柴田勝家の合戦場で有名ですね。
この合戦で秀吉が上へ上へとあがりましたね。どうする家康ではシーンほとんど短かったですが。七本槍の武将もほとんどでてきませんでしたが。
この時期の賤ヶ岳はシャガの花が綺麗なんですね。合戦で沢山の戦死者の魂をシャガの花が弔っているようにも思えます。
低山なので夏は暑そうですね。標高は421mなので鈴鹿の多度山とほぼほぼ同じ高さだと思います。
展望が良いのも共通しています。
ここに、たくさんの武者が眠り、今の平和の世があるのですよね。戦さは、いつの時代でもあるのが悲しいけれど現実です。
私事ですが、この7月15日に北海道の斜里ヶ岳に登りました。
昨年は平ヶ岳に登りましたがここが一番きつくて99座目でした。
登山を始めた年に槍ヶ岳に登ってかれこれ29年かかってやっと百名山を完登できました。
おめでとうございます。深田久弥の百名山、流行しましたね。29年かかり忍耐が要りますね。いつか、また山でお会いできるといいですね。
麻鈴音