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Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年5月29日(月) 08:36
by seiichi
わりばしさん、おはようございます。
土曜日に三峰から高見山に向かって縦走しました。
途中、縦走路の南側にキャタピラー道を見て不思議に思っていました。
写真には撮らなかったので記憶を遡って記事を読ませて頂きました。
そうなんですね、昔に月出から御杖村へ抜ける牛道だったのですね。
あたらめて地図を見たら、月出の里から林道を縦走路に向かって行くと赤岩山に上がれるのですね。
このキャタピラー道はどこから始まっているのか興味あります。
ただキャタピラー道の終焉は縦走路につながった地点は確認しています。
この辺りを歩くのは初めてですが、色々と歴史を紐解くと面白い場所が見つかるかもしれませんね。
seiichi
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年5月30日(火) 05:28
by わりばし
おはようございます、seiichiさん。
土曜日に三峰から高見山に向かって縦走しました。
途中、縦走路の南側にキャタピラー道を見て不思議に思っていました。
写真には撮らなかったので記憶を遡って記事を読ませて頂きました。
そうなんですね、昔に月出から御杖村へ抜ける牛道だったのですね。
酒米をわざわざ伊賀から運んで醸造していたなんてロマンですね。
波瀬に5件も醸造所があったようで
和歌山街道には参勤交代以外にも強烈な数の伊勢参りの人たちが押し寄せていたんでしょうね。
あたらめて地図を見たら、月出の里から林道を縦走路に向かって行くと赤岩山に上がれるのですね。
このキャタピラー道はどこから始まっているのか興味あります。
ただキャタピラー道の終焉は縦走路につながった地点は確認しています。
- 高低差の無い牛道とテープのある破線道
赤岩の林道からつながるキャタピラ道です。
ほぼ牛道をなぞっています。
ただ稜線につながる部分は牛道を離れて作っています。
山林地主は波瀬の人なので所有区域は三重県側だけでしょうね。
請取峠の奈良県側は天理教の持ち物でしたね。
この辺りを歩くのは初めてですが、色々と歴史を紐解くと面白い場所が見つかるかもしれませんね。
奈良の大仏の造営時の水銀を運んだ道でもあるので、歴史は古いですよ。
白髪峠は初代天皇の神武天皇が通ったとされる神話のレベルですから・・
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年5月30日(火) 07:58
by seiichi
わりばしさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
私の縦走記事のコメントも併せてありがとうございます。
赤岩谷の駐車地は知らないし、考えたこともありませんでした。
分かりやすい場所でしょうか、非常に興味あります。
それにしても奈良の大仏とか神武天皇とか、
はるか昔の人たちが登場するとは驚きの連続です。
また再訪するなら都合が合えばご一緒したいですね。
seiichi
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年5月31日(水) 05:16
by わりばし
おはようございます、seiichiさん。
R166から行くとして、
白髭峠から縦走路にあがって請取峠から降り周回コースは可能でしょうか?
請取峠は、グリーンライフ山林舎から入って林道を詰めれば登山口まで行けそうですが。
こちらからは行ったことがないので情報あればご指導してもらえるとありがたいです。
伊勢本街道側から
白髪峠の牛道は林道までつながっていそうだし、請取峠は林道が来ているので置き車さえあれば周回できると思います。
和歌山街道側から
請取峠の下部の破線道はあてにならないので、太良木神社の下流の林道を進んだ方が楽でしょうね。
赤岩谷の駐車地は知らないし、考えたこともありませんでした。
分かりやすい場所でしょうか、非常に興味あります。
破線道が始まる堰堤先の橋を渡り林道を上っていくと広い駐車地があります。
- 白髪峠の牛道
それにしても奈良の大仏とか神武天皇とか、
はるか昔の人たちが登場するとは驚きの連続です。
南北朝時代の南朝方の中心人物北畠氏とのからみも面白いです。
また再訪するなら都合が合えばご一緒したいですね。
そうですね。
探索してみたい所がまだいくつかあるので・・
機会があれば。
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年6月01日(木) 05:43
by わりばし
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年6月01日(木) 21:17
by sato
わりばしさま
こんばんは。酒米を運んだ峠道の探索レポ、とても興味深かったです。
実現はしていないのですが、いつだったか、伊勢と大和の国境稜線の、高見山から三峰山の縦走を思い立ち、昭文社の地図を見た時、
稜線上に記された峠が気になったことを思い出しました。請取峠、何を請け取るのでしょう。想像を掻き立てる名前ですね。
白髭峠は、神武天皇が通った伝承があり、奈良の大仏の造営時には水銀を運んだ歴史のある、いにしえの峠なのですね。
そしてふたつの峠は、波瀬の酒造屋が使う酒米を、荷運び人夫と牛が背負い越えた峠でもあるのですね。
和歌山街道は、紀州の藩主の参勤交代道、伊勢詣、熊野詣、吉野詣の巡礼道、南紀や伊勢の海産物などを大和に運ぶ交易道として栄えた街道で、
波瀬には本陣が置かれ、旅籠屋も4軒あったのですね。和歌山街道は、街道名くらいしか知りませんでしたので、歴史を知りたくなりました。
酒造屋は5軒もあったのですか。
「酒米を運んだ請取峠をたどる」のお写真からも、波瀬は、栄えた宿場町だったことがうかがわれます。
波瀬の酒造屋は酒米を月出の米問屋から買っていて、そのお米は、和歌山街道沿いの町からではなく、
山を越えてさらに北上した伊賀の国から入手されたものだったのですね。波瀬の標高は、330m前後、白髪峠は、標高860mですよね。
交易道として栄えた街道からではなく、山を越えた伊賀の国に酒米を求めたのは何故なのでしょう。
波瀬や月出は、櫛田川下流の町より、御杖村菅野との結びつきが深かったのでしょうか。人の移動、物の移動、交易に思いを巡らすのは面白いです。
白髭峠道は、山中を緩やかに縫っていく、荷を背負った牛が歩く牛道だったのですね。
チーンチーンと鈴を鳴り響かせながら、2俵の米を牛の背に乗せ、牛方も1斗から2斗の米を背負って峠を越え、月出の米問屋に運んだのですね。
チーンチーン・・・九十九折の道をゆっくりと登っていく、両脇に大きな米俵を積んだ牛と、同じく大きな荷を背負った牛方の姿が浮かんできます。白髭峠には大日如来さまが祀られているのですね。
万物の根源であり真理といわれる大日如来さま。重荷を背負い、山越えの厳しい道のりを歩く人びとの、切実な祈りをお聞きになっていたのでしょうね。役割を終えた峠道は、埋もれていく運命に。大日如来さまも土に埋もれてしまっているのですね。
労力として大切な存在だった牛。各地の山中で名が残る塩の道は、牛道として知られていますが、ちいさな峠道も牛道がたくさんあったのでしょうね。粟柄越の道も牛道でした。
「酒米を運んだ請取峠を辿る」「白髭峠の牛道発見」を拝読し、山越えの道、山中の道について、あらためて、いろいろ考えさせられ、宮本常一の『山に生きる人びと』をまた読み返したくなり、本棚から取り出しました。
そう、お酒の歴史文化も興味深いです。その土地、その土地に、その地のお酒がありますね。風土、暮らしと深く結びつくお酒。旅先で出会った日本酒、アジアやアフリカの国々で出会った醸造酒を思い出しました。
田中酒造屋さんは、今もあるのかな、と検索しましたら、林業を営まれているのですね。
田中家は、近江から流れてきて、農業を営む傍ら、植林や酒造業を手掛け、江戸時代には波瀬宿の脇本陣を務められたのですね。
わりばしさんが投稿されていた、台高の木材乾溜工場跡の探索と考察が、本という形になってうれしいです。お山が戦争に利用されていたという歴史を、こうして残しておくことは、大切なことだと思います。私も、乾溜工場の跡を訪れたいです。歩いて、自分の眼で見て、触れて、感じたいです。和歌山街道沿いの町巡りと合わせて、ゆっくり歩きたいです。そう、いいたかBOOKJAZZカフェも訪れたいです。
話が飛んでしまいますが、実家に帰った時、野田の町を散歩して千秋社の建物を見てきました。わりばしさんのおかげで、実家に住んでいる時は嫌いだった野田の町への関心が高まりました。
sato
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年6月02日(金) 05:39
by わりばし
おはようございます、satoさん。
和歌山街道は、紀州の藩主の参勤交代道、伊勢詣、熊野詣、吉野詣の巡礼道、南紀や伊勢の海産物などを大和に運ぶ交易道として栄えた街道で、
波瀬には本陣が置かれ、旅籠屋も4軒あったのですね。和歌山街道は、街道名くらいしか知りませんでしたので、歴史を知りたくなりました。
酒造屋は5軒もあったのですか。
「酒米を運んだ請取峠をたどる」のお写真からも、波瀬は、栄えた宿場町だったことがうかがわれます。
波瀬の街には驚かされました。
田中家だけじゃなく他にも数軒巨大な家が周辺に点在しています。
山林地主が地元に住んでいる街特有のスゴミです。
高見山地を山越えした美杉の街も同じような感じです。
こちらは三浦しをんの「神去なあなあ日常」の舞台になっています。
波瀬の酒造屋は酒米を月出の米問屋から買っていて、そのお米は、和歌山街道沿いの町からではなく、
山を越えてさらに北上した伊賀の国から入手されたものだったのですね。波瀬の標高は、330m前後、白髪峠は、標高860mですよね。
交易道として栄えた街道からではなく、山を越えた伊賀の国に酒米を求めたのは何故なのでしょう。
波瀬や月出は、櫛田川下流の町より、御杖村菅野との結びつきが深かったのでしょうか。人の移動、物の移動、交易に思いを巡らすのは面白いです。
鎌倉末期の南北朝時代から織田信長に滅ぼされるまで伊勢は北畠氏が治めていました。
美杉に拠点を置いた南朝方の中心大名です。
この軍事通路や生活物資を運ぶ道が南北に山越えしています。
迷岳に続く稜線を越えて三瀬谷方面に越える道もあります。
こうした道が整備されていたのと
伊賀が距離的に近かった
伊賀が元々酒づくりがさかんだった
という事もあるのかなと思っています。
白髭峠道は、山中を緩やかに縫っていく、荷を背負った牛が歩く牛道だったのですね。
チーンチーンと鈴を鳴り響かせながら、2俵の米を牛の背に乗せ、牛方も1斗から2斗の米を背負って峠を越え、月出の米問屋に運んだのですね。
チーンチーン・・・九十九折の道をゆっくりと登っていく、両脇に大きな米俵を積んだ牛と、同じく大きな荷を背負った牛方の姿が浮かんできます。白髭峠には大日如来さまが祀られているのですね。
万物の根源であり真理といわれる大日如来さま。重荷を背負い、山越えの厳しい道のりを歩く人びとの、切実な祈りをお聞きになっていたのでしょうね。役割を終えた峠道は、埋もれていく運命に。大日如来さまも土に埋もれてしまっているのですね。
労力として大切な存在だった牛。各地の山中で名が残る塩の道は、牛道として知られていますが、ちいさな峠道も牛道がたくさんあったのでしょうね。粟柄越の道も牛道でした。
牛道って味わいがありますよね。
木馬道よりも使われてきた時代が長いだけに
昔人のいとなみを深く感じられる気がします。
- 牛道
「酒米を運んだ請取峠を辿る」「白髭峠の牛道発見」を拝読し、山越えの道、山中の道について、あらためて、いろいろ考えさせられ、宮本常一の『山に生きる人びと』をまた読み返したくなり、本棚から取り出しました。
そう、お酒の歴史文化も興味深いです。その土地、その土地に、その地のお酒がありますね。風土、暮らしと深く結びつくお酒。旅先で出会った日本酒、アジアやアフリカの国々で出会った醸造酒を思い出しました。
私も宮本常一は好きで読んでますよ。
異端の民俗学者赤松啓介も好きですが・・
satoさんが旅先で出会った酒の話をまた聞かせてください。
田中酒造屋さんは、今もあるのかな、と検索しましたら、林業を営まれているのですね。
田中家は、近江から流れてきて、農業を営む傍ら、植林や酒造業を手掛け、江戸時代には波瀬宿の脇本陣を務められたのですね。
請取峠周辺は田中山で田中家の山です。
白髪峠のキャタピラ道を整備したのは波瀬の他の山林地主です。
奥さんに名前を聞いたんだけど忘れた~
- 田中家
わりばしさんが投稿されていた、台高の木材乾溜工場跡の探索と考察が、本という形になってうれしいです。お山が戦争に利用されていたという歴史を、こうして残しておくことは、大切なことだと思います。私も、乾溜工場の跡を訪れたいです。歩いて、自分の眼で見て、触れて、感じたいです。和歌山街道沿いの町巡りと合わせて、ゆっくり歩きたいです。そう、いいたかBOOKJAZZカフェも訪れたいです。
話が飛んでしまいますが、実家に帰った時、野田の町を散歩して千秋社の建物を見てきました。わりばしさんのおかげで、実家に住んでいる時は嫌いだった野田の町への関心が高まりました。
オジヤンの聞き取りをずっと続けていたので、どうにか残しておきたいなと思っていたので
今回の話はありがたかったです。
いいたかBOOKJAZZカフェはマスターや集まってくる人も個性的でいいですよ。
遠く離れた飯高と野田が乾留でつながるとは不思議な縁ですね。
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年6月03日(土) 14:54
by ふ~さん
わりばしさん、こんにちは
人と山とが、もっと近かった時代
その痕跡をたどる旅は、私たちの行く末を占う旅でもある
牛道や木馬道
それを辿った先にあるのは
決して儚くも過ぎ去ったノスタルジアだけでなく
きっと私たちが願ってやまない
あるべき自然とのつながりなんでしょう
山歩きのちに
いいたかBOOKJAZZカフェ
・・・いいですね
浸ってみたいですね
好きなマイルス・デイビスやビル・エバンス、ハービー・ハンコック、キース・ジャレット聞きながら
少しでもオジヤンに近づけるよう
聡く、そしてハートの部分も磨きたいな
ふ~さん
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年6月05日(月) 05:07
by わりばし
ふ~さんと久々に会えて嬉しかったです。
それを辿った先にあるのは
決して儚くも過ぎ去ったノスタルジアだけでなく
きっと私たちが願ってやまない
あるべき自然とのつながりなんでしょう
高度経済成長以降の日本の姿は
日本人が歴史上経験したことのない変化ですし
古いものや文化を大切にしているようで
顧みることなくすぐに捨て去ってしまいますからねえ。
山歩きのちに
いいたかBOOKJAZZカフェ
・・・いいですね
浸ってみたいですね
好きなマイルス・デイビスやビル・エバンス、ハービー・ハンコック、キース・ジャレット聞きながら
是非行ってください。
「ケルン・コンサート」のCDとLPの聞き比べができます。
驚きますよ。
私のお勧めはスタン・ゲッツです。
生きざまも含めてJAZZです。
決して褒められたものではなりませんが・・
少しでもオジヤンに近づけるよう
聡く、そしてハートの部分も磨きたいな
オジヤンは最近手先に力が入らなくなっと言いながら
訓練のために籠を編んでいて
私にくれました
立派なものでしょう。
いろんな対応が生活に根差した形でできる引き出しの多さに驚かされます。
竹を伐採するところからすべて手作業です。
- オジヤンの編んだ籠
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年6月05日(月) 20:13
by sato
わりばしさま
こんばんは。
オフ会が開催され、皆さまと、またお会いすることが出来てうれしかったです。
書くと、いつもたらたら長くなるのに、話すのは苦手で全く話せず。
スミマセン。昨日も、立ち上がった途端、何をお話したらよいのか分からなくなりました。
再度、コメント失礼いたします。
オジヤンさんが編まれた籠のお写真を拝見し、胸にこみあげてくるものがありました。
わりばしさんが、おっしゃるように、その地と共に生きた人は、日々を送る中で生きる知恵や技を身につけ、
いろんな対応が生活に根差した形でできる引き出しをたくさん持っているのですね。
籠といえば、廃村となってしまいましたが、余呉を流れる高時川沿いの小原という集落では、
イタヤカエデを編んだ籠作りが引き継がれていました。籠は暮らしの上でなくてはならないもの。
用途によりいろいろな形の籠があり、それぞれの呼び名があったそうです。
籠作りはその家の男の仕事で、その技術は、長男にしか教えなかったそうです。
技術を、子孫に大切に正確に伝えていくためだったのでしょうね。
村もなくなり、生活様式も変わった今、長男として籠作りの技術を引き継いでいる人は、もはやいなく、
ご存知なのは、小さな頃から、見よう見真似で覚えてきた太野さんという方、ただおひとりです。
巨木と水源の郷を守る会を通して、小原、奥川並に住んでいた方とお会いすることが出来、
小さな山村に引き継がれてきた籠作りの文化を知りました。
そうですね、古いのものや文化を大切にしているようで、一方では、顧みることなく捨て去ってしまっているように、私も感じます。
過ぎ去ったものへのノスタルジアに浸るだけではなく、今在る私たちは、どこから来てどこへ向かうのか、
遊ばせていただいているお山を通して考えていきたいです。偉そうに口ばっかり、と思ってしまう日々でもあるのですが。
sato
Re: 【高見山地】白髪峠の牛道発見
Posted: 2023年6月07日(水) 05:05
by わりばし
おはようございます、satoさん。
オジヤンさんが編まれた籠のお写真を拝見し、胸にこみあげてくるものがありました。
わりばしさんが、おっしゃるように、その地と共に生きた人は、日々を送る中で生きる知恵や技を身につけ、
いろんな対応が生活に根差した形でできる引き出しをたくさん持っているのですね。
どの竹をどの時期に伐採して
どのように竹をさばくのか
そしてどう編むのかなど
先人の知恵が詰まっています。
籠といえば、廃村となってしまいましたが、余呉を流れる高時川沿いの小原という集落では、
イタヤカエデを編んだ籠作りが引き継がれていました。籠は暮らしの上でなくてはならないもの。
用途によりいろいろな形の籠があり、それぞれの呼び名があったそうです。
籠作りはその家の男の仕事で、その技術は、長男にしか教えなかったそうです。
技術を、子孫に大切に正確に伝えていくためだったのでしょうね。
飯高は木地師の街でもあります。
真ん中と左の杓子は飯高の最後の木地師の作品で
オジヤンにもらいました。
右の杓子はグーさん家で使っていたものです。
下の椀は蓮の木地小屋跡にあった割れた椀を自分で補修して塗りなおした物です。
こうした物もきれいに無くなっていきます。
そうですね、古いのものや文化を大切にしているようで、一方では、顧みることなく捨て去ってしまっているように、私も感じます。
過ぎ去ったものへのノスタルジアに浸るだけではなく、今在る私たちは、どこから来てどこへ向かうのか、
遊ばせていただいているお山を通して考えていきたいです。偉そうに口ばっかり、と思ってしまう日々でもあるのですが。
satoさんが言うように「今在る私たちは、どこから来てどこへ向かうのか、遊ばせていただいているお山を通して考えていきたい」
という感覚が私にもあるようで
牛道や窯跡を見るとつい嬉しくなっちゃいます。