【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~
Posted: 2023年2月13日(月) 22:18
【日 付】 2023年1月4~6日
【山 域】 南アルプス
【天 候】 1月4日 晴れのち曇り、5日 晴れ、6日 晴れ
【メンバー】 夫 sato
【コース】 鳥倉林道冬季ゲートから塩見岳往復
1月4日 キリキリと凍てつく三伏峠小屋へ
2台の車が止められた雪の積もった広場を見て、ほっと胸をなでおろした。
車窓から、澄み渡った青い空を見上げ、高揚感に包まれながら、大鹿村から鳥倉林道に入っていくと、
雪が凍りツルツルになった路面が目の前に現れた。
ソロリと越え、アスファルトに戻り、やれやれと思うも、またもや雪。虹色だったこころに灰色の雲がかかる。
次々と現れる雪の氷結路面にソロソロ運転となり、そんなに距離は無いはずなのに、
走れども、走れども駐車地らしきものは現れない。
「あぁ、怖い。どうか滑りませんように」
運転する夫の隣で、手に汗を握っていたのだった。
無事、冬季ゲート手前の駐車地に車を置くことが出来たが、早くも次の不安に襲われる。
「この道、下れるの?」
「これぐらい大丈夫だよ。もっともっと怖い道も運転してきたでしょ。次の雪が降る前には下るし」
ひょうひょうとした顔の夫。
予測、想定は大切だけど、悪い方悪い方へと一方的に向かう思考癖は、自分の中のエネルギーを奪っていく。
「そうかぁ。そうだね」
こころを纏う雲を追いやるように、大きな声で返事をしたら、虹色の光が戻ってきた。
「うん、大丈夫。さぁ、準備しよう」
空は青く、山は白く輝いている。
一年ぶりに背負ったザックの重さに、数歩ふらついたが、これは毎回のこと。
「歩き始めは、いつも、こんなに重くて登れるかなぁ、って思うよね」
「でも、登っている」
前向きな言葉が背中を押す。林道歩きは9㎞弱。2/3ぐらいが雪道で、時間はそれなりにかかったが、
カラマツ林を走る道は明るくて、見晴らしもよく、時折シカの群れにも会い、道中、目を楽しませてくれ、
退屈しなかった。ぺちゃくちゃおしゃべりしながら歩いているうちに、標高1780mの登山口に着いていた。
林道では、雪の上に思い思いに刻まれていた足跡が、山中に入ると、ひと筋の白い道となって続いていた。
そうよね。お正月だものね。今も二台の車の主たちが歩いている。
「年末、最初に登った人は大変だっただろうなぁ。俺、今年、何歳になるか知っている?還暦だよ。
ろく、じゅっ、さい。ラッセルしたくれた人に感謝感謝」
「ちょっと残念」
その言葉がわたしの口から出る前に、からりと夫は言い放った。
そうそう、ふたりとも、もう若くない。まして、わたしはテント泊は一年ぶり。春も夏も腰が痛くて諦めて
しまったじゃない。
「うん。感謝感謝」
三伏峠小屋までは、標高差約800m、距離は4㎞余り。ラッセルはない。15時前には着くだろう。
テントを張って、コーヒーを飲んでから、三伏山に夕日を見にも行ける。
チェーンスパイクを装着して、カラマツ林の斜面を登っていく。標高2050mからは、山腹道をゆるゆると、
豊口山と・2248の鞍部へと向かっていく。三伏峠小屋がゴールの、10分の1から始まる標識の数字が順調
に増えていくのがうれしい。
調子よく歩いていたが、鞍部から北斜面を縫う道に入った辺りから、なんだか具合が悪くなってきた。
先ず、体感温度が下がり、指先に痛みを覚えた。毛糸の手袋の上に、革の分厚い防寒防風手袋をはめる。
夫は、一枚で大丈夫ということ。冷えに強い夫がうらやましい。
手袋を重ねても指の痛みはなかなかとれず、次に、肩が痛くなってきた。
さらに、息も上がる。標高を確認すると、2300m。
「にせん、さんびゃく、めーとるかぁ」
登山口で、無邪気になっていたわたしは、すっかり忘れていた。自分が高度に弱いということを。
30代半ばから、高所に来た、とからだが認識すると、平気な時もあるけれど、息が深く吸えなくなり、
かくっ、と歩調が落ちてしまうことが多くなった。
夫との距離が開いていく。でも、これもいつものこと。大丈夫。
ざわっ、と冷たい風が吹いてきて、ふっ、と空を見上げると、青空は薄灰色一色に移り変わっていた。
今日は、もう、夕焼けも望めないかな。三伏山には行かなくていい。小屋にはいずれ着く。
ゆっくりと息を吐いて吸いながら、のろりのろりと歩みを重ねていく。
塩川小屋分岐の茶色い看板の横で、夫が待っていた。
ここから三伏峠までは、明治時代、伊那の大鹿村と甲州の新倉村を、南アルプスを横断して繋いだ伊奈街道と重なる。
計り知れない困難を重ねて完成した伊奈街道は、利用価値が少ない、管理が大変などといった理由で、数年で荒廃して
しまったという。
「ねぇ。いつか伊奈街道を辿ろうって話していたよね」
確認しようとしたのに、夫は、わたしが追いつくと、さっさと進んでいってしまった。
15時過ぎ、三伏峠小屋に到着。ふぅふぅ言っていたが、想定時間を大幅に超えることなくたどり着けてほっとする。
風の通らぬ針葉樹の森の中にテントを設置していると、男性が現れた。
少し離れた場所にひと張り残されていたテントの持ち主の方だ。強風で大変だったけれど山頂まで登られたとお聞きする。
ごぉ、と、森の向こうで吹きすさぶ風の音が、耳を澄まさなくても聞こえてくる。
やっぱり予報通りだ。明日は、さらに強風の予報。でも、こころはざわつかない。
三伏峠小屋でテント泊をして、三伏山で展望を楽しめたらいいよね、と言いながら家を出たのだから。
寒さでからだが震えるので、ペグ埋めは夫に任せ、先にテントの中に入らせてもらう。
荷物を壁に並べ、ダウンの上下を着て、もこもこのルームシューズを履き、ひと息ついている間に、
ペグを埋め終えた夫は、トイレを作り、電波の通じるところまで行って、仕事のメールと、天気予報を確認し、
ポリ袋に雪を入れてきてくれた。
「寒かったでしょう」
「寒かったぁ」
「どうもありがとう」
山では、働き者の夫。お茶用のお湯も沸かし始めてくれる。
ぷわぁ、とテント内に暖気が充満し、あんなに震えていたのが嘘のようにぽかぽかになった。
「わぁ、あったかい」
そう、このしあわせ感が忘れられなくて、真冬のテント泊に出かけたくなってしまうのかもしれない。
コーヒーと抹茶ラテのお茶タイムの後も、引き続きお湯作り。
湧き上がったお湯で、次は、粉末のポタージュースープを飲み、カレーメシをふやかす。
そして、出来上がるまでの間にフィッシュソーセージをかじる。今回も変わらぬ、冬のテント泊一日目の食事の光景。
カレーメシの後は、ラーメンだ。でも、急に食欲がなくなって、わたしは食べられなかった。
締めのほうじ茶ラテ(夫はコーヒー)と柿ピーはのどを通ったが。最後にお湯でロキソニンを飲む。
空になったコッフェルとカップの残り汁が瞬く間に凍っていた。
天気予報では、今晩と明日は、マイナス19度。うんと冷える。朝には青空が戻るが、
3000m地点の風速は21.9m。歩行不可能の強風だ。明日の行程は、起きてから考えよう。
まだ18時だけど、火の気のなくなったテントの中で、胡坐をかいていると、ゾクゾクと寒いので、
腰にカイロを張ってシュラフに入った。
ごぉ、ごぉ、と、雪を纏った黒い森の向こうで、塩見岳が、低く冷たく、真冬のアルプスを唱っていた。
1月5日 思いもがけない山の神様からのプレゼント 光り輝く『漆黒の鉄兜』の頂へ
「4時半を回ったけれど、そろそろ起きる?」と夫の声。
「えっ?もうそんな時間?」
夜間何度か起きたけれど結構眠れてよかった、とぼんやりした頭で思っていると、
バラッ、と雪が降ってきて、一気に目が覚めた。テントの壁一面に張られた霜が振動で落ちてきたのだ。
シュラフとシュラフカバーの間は、パリパリに凍っている。寝起き早々お掃除だ。
タオルで霜を取っていくが、水分を含んだタオルは、あっという間に棒状になってしまう。
ボトルの中の水は当然カチンコチン。シュラフが濡れるのは嫌だけど、ここまで凍ると楽しくなる。
こんなに冷えているのに、雪融かし用の山専ボトルのお湯は、まだ温か。一杯飲んで、お湯作りを始める。
トイレに行きたくなるのが嫌なので、夜は控えるが、朝はコーヒーから始まる。
でも、今朝はだめだ。頭と胃が重い。
何か口に入れなければ、と思い、ほうじ茶ラテを飲んで、固くなったちいさなデニッシュドーナツをふたつ強引に
口に押し込んだ。最後にまた、ロキソニンを飲む。夫は、コーヒーとドーナツの他、ラーメンを作って食べていた。
「さて、どうしようか」
ごぉ、という音は、やっぱり聞こえてくる。トイレに行った時、お星さまは瞬いていた。天気はいい。
体調は万全ではないけれど、この程度なら歩ける。
「塩見小屋までは、ほとんど樹林帯。ゆっくり行けるところまで行ってみようか」
「うん。そうしよう。そうしよう」
夜明けの少し前に出発。
青藍色に覆われた三伏山を越え、100m下った鞍部あたりで明るくなってきた。
紅掛花色から東雲色へ、薄明時の空が放つ刹那の輝きを浴びながら、本谷山へと登っていく。
山頂まで、あともうひと息の時だった。ふぅ、と立ち止まり、東を向いたら、そのままからだが固まってしまった。
黒い稜線の向こうの、橙色に燃える光の帯の中に浮かぶちいさなシルエット。胸の奥から震えが湧き起こる。
「富士山!」
呆けたように立ち尽くすわたしに気づき、夫が戻ってきてくれた。
富士山のすぐ横から、金色の筋が、曙色になった空高くに伸びていき、眩い光がゆっくりと上がってきた。
ふたり並び、息を呑んで見つめていると、光の真ん中が、わたしたちの目を射った。富士山とご来光。
この世で、わたしと夫ふたりだけが見ることの出来た一期一会の輝き。
なんて、素晴らしい瞬間に出会えたのだろう。
相変わらず、ひょうひょうとしている夫は、どう思っているのか分からないけれど。
ひと登りして本谷山の山頂に着いた。
木立の向こうには、純白の雪を纏った『漆黒の鉄兜』が、大きく聳え立つ。
青空の下、あの威厳に満ちた峻嶺に近づいていくのだ。思わず深くお辞儀をして、2回目の下りに入る。
雪を被った針葉樹の森の中をゆっくりと進んでいく。ぽつぽつと展望が開ける場所があり、霧氷の森と、
その向こうに屹立する荒川岳の気高いお姿に見とれてしまう。
道の脇にテントを張った跡が残っていた。トレースから外れると膝下まで潜る雪。
こうして、軽荷でここを歩けるのも、ラッセルしてくれた方のおかげなのだなぁ、と、
整地された雪面を眺めながら感じ入る。
権右衛門沢源頭の大シラビソの深い森を渡り、あともう少し、もう少しと登っていくと、
天を衝く二つの峰が目の前に。
辿り着いた塩見小屋周辺は、温度計を見ると予報通りマイナス19度の寒さだったが、平和な空気に満ちていた。
思いもがけない夢のような展開に、暫しの間、言葉を失ってしまう。
頭の中で木霊していた「風速21.9m」という響きは、吐いた息と共に外に飛び出して、
澄んだ空に飲みこまれていった。
予報とは、まだ起きていない自然現象を、人間がデーターを元に、推測したものにすぎない。
大いなる自然が、お山の神様が、静かに耳元で囁くのを感じた。
ヘルメットとハーネスとロープ類はザックの中に入れてある。
仰ぎ見た露岩帯は、想像以上に雪が少なく、山頂までのラインも描ける。
むくむくと、からだに力がみなぎってきた。
「行けそうだね」
「うん。時間も充分ある」
朝から、あまり食べていなかったので、食べやすい芋けんぴを頬張り、装備を身に着ける。
ワクワクしながら、気持ちよく締った雪の上を登っていくと、天狗岩がすぐ上に。
この辺りから、雪は風で吹き飛ばされ、ところどころ夏道が見えていた。岩場の鎖も出ている。
あれっ?と思うくらいの雪の少なさ。そして風は、気にならないくらいの強さ。
樹林帯では冷え切って痛くてストックを握るのが辛かった指は、
今は温かな血が通い、しっかりとピッケルを握っている。
ドキドキする怖さは無い。下りへの不安も出てこない。
今、真冬の『漆黒の鉄兜』の頂に近づいているわたしを全身で感じながら、しあわせな一歩を重ねていく。
心地よい緊張感と多幸感に包まれていて、気が付くと、三角点が置かれた西峰に着いていた。
実際は、1時間以上かかっていたのだけど。東峰で休憩しようと、夫は、そのまま進んでいった。
わたしも、青い青い空に浮かぶ、朝より大きなお姿の富士山に導かれるように後を追う。
南アルプスの真ん中に聳え立つ塩見岳。東峰からの眺めは圧巻だった。
まさに圧巻としか言いようがなかった。
白きうつくしき日本アルプスの峰々が一望のもと。
ふたりで雪を刻み登った峰々が、ひときわ強い光を放ち、わたしの目を釘付けにする。
あの年、この年の想い出が、時間軸を超え、つい最近のことのように重量感を持って甦ってきた。
「あの頃は、元気だったなぁ」
ぼそっと夫が呟いた。同じことを思い出していたのだ、とうれしくなる。
「そうだね」と頷き、
「あの頃のような元気はなくても、今、こうして、かっこいい塩見岳の山頂に立って、絶景を眺めて、
わたしたちの軌跡を見ることが出来て、しあわせだよね」
と、しんみり言おうとしたら、夫は、もう「ああだ、こうだ」と言いながら、山座同定に夢中になっていた。
まぁ、いいか。東に連なる山並みの奥に静かに佇む富士山に、あらためてご挨拶をする。
父の腕に抱かれた赤ちゃんのわたしの目に最初に映ったお山。
うつくしい、という感情を芽生えさせてくれたお山。
父と手を繋ぎ、お散歩しながら「わぁ、きれい」と指さし、よろこんでいた大好きなお山。
わたしにとって源のお山、富士山をじっと見つめる。
真冬の威厳に満ちた塩見岳に登らせていただき、富士山を拝ませていただき、
すべてのものに感謝の気持ちでいっぱいになる。
「なんか食べようか」
「うん。食欲がわいてきた」
石碑が祀られた岩の下にザックを置く。考えてみたら、真冬のアルプスの頂で、こんなにくつろげるとは奇跡のよう。
バランスバーを食べて、お湯を二杯飲んで、後ろ髪をひかれるが、風が強くなるかもしれないので、腰を上げる。
塩見小屋に着いたら後は樹林帯。風が少々強くなっても大丈夫。天気の崩れもなさそうだ。
「夕焼けの時間に三伏山に着くように、のんびりと戻っていこうか」
「うん。そうしよう。そうしよう」
アイゼンの感触を楽しみながら、ゆっくりと下っていく。
小屋の少し後ろの窪みで、ひなたぼっこをしながらお昼の休憩にする。極寒の地でひなたぼっこが出来るとは。
太陽の熱ってほんとうにすごい。でも、うずまきデニッシュは冷たくて固くて食べ難くかった。
三伏山までは、ピークを3つまた登らなくてはならない。
時間調整しながら、とえらそうに言ったけれど、疲れが出てきているので、考えなくても、のろのろゆらゆら歩き。
大シラビソの凛とした森や、木立の間からの眺めを楽しみながら、あぁ、戻っているのだなぁ、とちょっと切なくなる。
本谷山を越え、三伏山へと緩やかに登っていき、あたりがまっ白な雪原になった時、ふわっと世界は桃花鳥色に包まれた。
ほんとうに、ぴったりの時間だった。
なんて、すごいのだろう。なんて、うつくしいのだろう。
なんて、なんて・・・。
振り返ると、ちいさな十三夜月とおおきな塩見岳が、わたしたちをやさしく見つめていた。
お山の神様が見守ってくださった一日だったのだと胸がいっぱいになる。
テントに戻り、感慨に浸りながらのお夕飯。
昨日と同じようにお湯を作り、抹茶ラテとコーンスープを飲み、今日はアルファ米の五目ご飯とガパオライスをふやかす。
フィッシュソーセージはカチカチで諦める。ご飯はどっちがいい?と聞いたら、夫は、ガパオライスを選んだ。
そして、封を開けるやいなや、写真と違う、目玉焼きが入っていないと騒ぎ立てた。ええっ?とあきれて大笑い。
しみじみとした空気が吹き飛んでしまった。とぼけた夫。冗談なのか本気なのか分からない。
五目ご飯を食べていたら、気持ちが悪くなってきた。今日もラーメンは食べられない。
締めのほうじ茶ラテとお菓子もからだが受け付けなくなってしまった。高度障害が出ている。
ロキソニンを飲んで、横にならせてもらう。
ミシミシとテントの中が凍っていく音が、ぐるんとまわる頭の中で、一緒に回っていた。
1月6日 旅に出かけられるというしあわせ
夜間、なんか気持ち悪い、なんか頭が痛い、と何度も目が開いてしまい、寝不足で起床。
今朝も先ず霜取りから。ひと段落ついてお湯を作って、何か飲もうとしたが、
匂いがあるものすべてからだは拒絶した。
白湯しか飲めない。夫は普通にコーヒーを飲んで森の切り株(パン)を食べていた。
昨夕、明日は烏帽子岳で塩見岳と富士山を眺めながらご来光を仰ごう、と話していたが、
「昨日で満喫しちゃった」と夫。
さりげなく気遣いしてくれて感謝。
ゆっくりと片づけを始めるが、手が冷え切っていて、なかなかはかどらない。
どうにかパッキング出来たが、行きよりザックが大きくなってしまった。
パンパンのザックを見て、夫は、雪の上に置いておいたワカンを、俺が持つよ、と取り上げた。
嵩は大きくなったけれど、水と、食料が減り、防寒着を上下着ているので、重量は軽くなった。
大丈夫。歩ける。
今日も、申し分のないお天気。
行きは、薄灰色の雲の中にお隠れになっていた南アルプスの峰々がわたしたちを見送ってくれる。
ここが最後かな。こころの中で塩見岳にありがとうございました、と手を合わせる。
下るにつれ、頭も軽くなっていった。5/10地点で、ビスケットをかじられるように。
「どんどんと体力が落ちているのを感じるよ」
歩きながら、夫は何度も繰り返す。
「だって、今年、ろく、じゅっ、さい、じゃない。当たり前だよぉ。20歳の男の子の3倍の年だよ。
60歳になるのに、テント背負って、雪山登って、元気だよ。
歩くのも速いよぉ。わたしの前を歩くと、いつもいなくなっちゃうじゃない」
わたしも同じ返事を繰り返す。
「そうかなぁ」
「そうだよぉ」
そんな会話を繰り返しているうちに、登山口に降り立った。
9㎞弱の林道を戻っていく。
「あっ。シカちゃん」
くどくど、年取っただの体力落ちただの、と言う夫の、子供のような声に笑ってしまう。
駐車地手前で夕立神パノラマ展望台に寄る。
最後、お山の神様は、ものすごいプレゼントを用意してくださっていた。
南アルプスの峰々がずらりと目の前に。
伊那谷の向こうには中央アルプスの峰々がまっ直ぐに並んでいる。その北に望む純白の峰々は北アルプス。
ドキドキと胸が高鳴る。
「ねぇ、ねぇ、わたしたち、雪山に登れなくなっても、ここでアルプスを眺めながらテント泊出来るね。
それも無理になったら、眺めに来るだけでも」
一年の終わりか初めにアルプスから富士山を拝みたいと思い、
いつの頃からか始まった、夫とわたしの年末年始のアルプス雪山旅。
今年も登ることが出来たよろこびに包まれながら、こうして、ふたりで、年末年始にお出かけできる、
ということが、一番のしあわせなのだなぁ、としんみりとなる。
凍った路面の下り道は、やっぱり緊張した。
「あぁ」と声を上げてしまうわたしの隣で、夫は、一回、ちょこっと滑りながらも、
動じることなく、ひょうひょうとした顔で運転していた。
集落が見えた。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
「うん」
大鹿村の道の駅に向かい、速度を上げて走り始めた車に揺られながら、少し雲がかかり始めた空を見上げ、
あの時は、まだ若かったね、と言いながら、古希になる夫と展望台からアルプスの峰々を眺めている光景を、
早くもぼんやり想像しているわたしがいた。
sato
【山 域】 南アルプス
【天 候】 1月4日 晴れのち曇り、5日 晴れ、6日 晴れ
【メンバー】 夫 sato
【コース】 鳥倉林道冬季ゲートから塩見岳往復
1月4日 キリキリと凍てつく三伏峠小屋へ
2台の車が止められた雪の積もった広場を見て、ほっと胸をなでおろした。
車窓から、澄み渡った青い空を見上げ、高揚感に包まれながら、大鹿村から鳥倉林道に入っていくと、
雪が凍りツルツルになった路面が目の前に現れた。
ソロリと越え、アスファルトに戻り、やれやれと思うも、またもや雪。虹色だったこころに灰色の雲がかかる。
次々と現れる雪の氷結路面にソロソロ運転となり、そんなに距離は無いはずなのに、
走れども、走れども駐車地らしきものは現れない。
「あぁ、怖い。どうか滑りませんように」
運転する夫の隣で、手に汗を握っていたのだった。
無事、冬季ゲート手前の駐車地に車を置くことが出来たが、早くも次の不安に襲われる。
「この道、下れるの?」
「これぐらい大丈夫だよ。もっともっと怖い道も運転してきたでしょ。次の雪が降る前には下るし」
ひょうひょうとした顔の夫。
予測、想定は大切だけど、悪い方悪い方へと一方的に向かう思考癖は、自分の中のエネルギーを奪っていく。
「そうかぁ。そうだね」
こころを纏う雲を追いやるように、大きな声で返事をしたら、虹色の光が戻ってきた。
「うん、大丈夫。さぁ、準備しよう」
空は青く、山は白く輝いている。
一年ぶりに背負ったザックの重さに、数歩ふらついたが、これは毎回のこと。
「歩き始めは、いつも、こんなに重くて登れるかなぁ、って思うよね」
「でも、登っている」
前向きな言葉が背中を押す。林道歩きは9㎞弱。2/3ぐらいが雪道で、時間はそれなりにかかったが、
カラマツ林を走る道は明るくて、見晴らしもよく、時折シカの群れにも会い、道中、目を楽しませてくれ、
退屈しなかった。ぺちゃくちゃおしゃべりしながら歩いているうちに、標高1780mの登山口に着いていた。
林道では、雪の上に思い思いに刻まれていた足跡が、山中に入ると、ひと筋の白い道となって続いていた。
そうよね。お正月だものね。今も二台の車の主たちが歩いている。
「年末、最初に登った人は大変だっただろうなぁ。俺、今年、何歳になるか知っている?還暦だよ。
ろく、じゅっ、さい。ラッセルしたくれた人に感謝感謝」
「ちょっと残念」
その言葉がわたしの口から出る前に、からりと夫は言い放った。
そうそう、ふたりとも、もう若くない。まして、わたしはテント泊は一年ぶり。春も夏も腰が痛くて諦めて
しまったじゃない。
「うん。感謝感謝」
三伏峠小屋までは、標高差約800m、距離は4㎞余り。ラッセルはない。15時前には着くだろう。
テントを張って、コーヒーを飲んでから、三伏山に夕日を見にも行ける。
チェーンスパイクを装着して、カラマツ林の斜面を登っていく。標高2050mからは、山腹道をゆるゆると、
豊口山と・2248の鞍部へと向かっていく。三伏峠小屋がゴールの、10分の1から始まる標識の数字が順調
に増えていくのがうれしい。
調子よく歩いていたが、鞍部から北斜面を縫う道に入った辺りから、なんだか具合が悪くなってきた。
先ず、体感温度が下がり、指先に痛みを覚えた。毛糸の手袋の上に、革の分厚い防寒防風手袋をはめる。
夫は、一枚で大丈夫ということ。冷えに強い夫がうらやましい。
手袋を重ねても指の痛みはなかなかとれず、次に、肩が痛くなってきた。
さらに、息も上がる。標高を確認すると、2300m。
「にせん、さんびゃく、めーとるかぁ」
登山口で、無邪気になっていたわたしは、すっかり忘れていた。自分が高度に弱いということを。
30代半ばから、高所に来た、とからだが認識すると、平気な時もあるけれど、息が深く吸えなくなり、
かくっ、と歩調が落ちてしまうことが多くなった。
夫との距離が開いていく。でも、これもいつものこと。大丈夫。
ざわっ、と冷たい風が吹いてきて、ふっ、と空を見上げると、青空は薄灰色一色に移り変わっていた。
今日は、もう、夕焼けも望めないかな。三伏山には行かなくていい。小屋にはいずれ着く。
ゆっくりと息を吐いて吸いながら、のろりのろりと歩みを重ねていく。
塩川小屋分岐の茶色い看板の横で、夫が待っていた。
ここから三伏峠までは、明治時代、伊那の大鹿村と甲州の新倉村を、南アルプスを横断して繋いだ伊奈街道と重なる。
計り知れない困難を重ねて完成した伊奈街道は、利用価値が少ない、管理が大変などといった理由で、数年で荒廃して
しまったという。
「ねぇ。いつか伊奈街道を辿ろうって話していたよね」
確認しようとしたのに、夫は、わたしが追いつくと、さっさと進んでいってしまった。
15時過ぎ、三伏峠小屋に到着。ふぅふぅ言っていたが、想定時間を大幅に超えることなくたどり着けてほっとする。
風の通らぬ針葉樹の森の中にテントを設置していると、男性が現れた。
少し離れた場所にひと張り残されていたテントの持ち主の方だ。強風で大変だったけれど山頂まで登られたとお聞きする。
ごぉ、と、森の向こうで吹きすさぶ風の音が、耳を澄まさなくても聞こえてくる。
やっぱり予報通りだ。明日は、さらに強風の予報。でも、こころはざわつかない。
三伏峠小屋でテント泊をして、三伏山で展望を楽しめたらいいよね、と言いながら家を出たのだから。
寒さでからだが震えるので、ペグ埋めは夫に任せ、先にテントの中に入らせてもらう。
荷物を壁に並べ、ダウンの上下を着て、もこもこのルームシューズを履き、ひと息ついている間に、
ペグを埋め終えた夫は、トイレを作り、電波の通じるところまで行って、仕事のメールと、天気予報を確認し、
ポリ袋に雪を入れてきてくれた。
「寒かったでしょう」
「寒かったぁ」
「どうもありがとう」
山では、働き者の夫。お茶用のお湯も沸かし始めてくれる。
ぷわぁ、とテント内に暖気が充満し、あんなに震えていたのが嘘のようにぽかぽかになった。
「わぁ、あったかい」
そう、このしあわせ感が忘れられなくて、真冬のテント泊に出かけたくなってしまうのかもしれない。
コーヒーと抹茶ラテのお茶タイムの後も、引き続きお湯作り。
湧き上がったお湯で、次は、粉末のポタージュースープを飲み、カレーメシをふやかす。
そして、出来上がるまでの間にフィッシュソーセージをかじる。今回も変わらぬ、冬のテント泊一日目の食事の光景。
カレーメシの後は、ラーメンだ。でも、急に食欲がなくなって、わたしは食べられなかった。
締めのほうじ茶ラテ(夫はコーヒー)と柿ピーはのどを通ったが。最後にお湯でロキソニンを飲む。
空になったコッフェルとカップの残り汁が瞬く間に凍っていた。
天気予報では、今晩と明日は、マイナス19度。うんと冷える。朝には青空が戻るが、
3000m地点の風速は21.9m。歩行不可能の強風だ。明日の行程は、起きてから考えよう。
まだ18時だけど、火の気のなくなったテントの中で、胡坐をかいていると、ゾクゾクと寒いので、
腰にカイロを張ってシュラフに入った。
ごぉ、ごぉ、と、雪を纏った黒い森の向こうで、塩見岳が、低く冷たく、真冬のアルプスを唱っていた。
1月5日 思いもがけない山の神様からのプレゼント 光り輝く『漆黒の鉄兜』の頂へ
「4時半を回ったけれど、そろそろ起きる?」と夫の声。
「えっ?もうそんな時間?」
夜間何度か起きたけれど結構眠れてよかった、とぼんやりした頭で思っていると、
バラッ、と雪が降ってきて、一気に目が覚めた。テントの壁一面に張られた霜が振動で落ちてきたのだ。
シュラフとシュラフカバーの間は、パリパリに凍っている。寝起き早々お掃除だ。
タオルで霜を取っていくが、水分を含んだタオルは、あっという間に棒状になってしまう。
ボトルの中の水は当然カチンコチン。シュラフが濡れるのは嫌だけど、ここまで凍ると楽しくなる。
こんなに冷えているのに、雪融かし用の山専ボトルのお湯は、まだ温か。一杯飲んで、お湯作りを始める。
トイレに行きたくなるのが嫌なので、夜は控えるが、朝はコーヒーから始まる。
でも、今朝はだめだ。頭と胃が重い。
何か口に入れなければ、と思い、ほうじ茶ラテを飲んで、固くなったちいさなデニッシュドーナツをふたつ強引に
口に押し込んだ。最後にまた、ロキソニンを飲む。夫は、コーヒーとドーナツの他、ラーメンを作って食べていた。
「さて、どうしようか」
ごぉ、という音は、やっぱり聞こえてくる。トイレに行った時、お星さまは瞬いていた。天気はいい。
体調は万全ではないけれど、この程度なら歩ける。
「塩見小屋までは、ほとんど樹林帯。ゆっくり行けるところまで行ってみようか」
「うん。そうしよう。そうしよう」
夜明けの少し前に出発。
青藍色に覆われた三伏山を越え、100m下った鞍部あたりで明るくなってきた。
紅掛花色から東雲色へ、薄明時の空が放つ刹那の輝きを浴びながら、本谷山へと登っていく。
山頂まで、あともうひと息の時だった。ふぅ、と立ち止まり、東を向いたら、そのままからだが固まってしまった。
黒い稜線の向こうの、橙色に燃える光の帯の中に浮かぶちいさなシルエット。胸の奥から震えが湧き起こる。
「富士山!」
呆けたように立ち尽くすわたしに気づき、夫が戻ってきてくれた。
富士山のすぐ横から、金色の筋が、曙色になった空高くに伸びていき、眩い光がゆっくりと上がってきた。
ふたり並び、息を呑んで見つめていると、光の真ん中が、わたしたちの目を射った。富士山とご来光。
この世で、わたしと夫ふたりだけが見ることの出来た一期一会の輝き。
なんて、素晴らしい瞬間に出会えたのだろう。
相変わらず、ひょうひょうとしている夫は、どう思っているのか分からないけれど。
ひと登りして本谷山の山頂に着いた。
木立の向こうには、純白の雪を纏った『漆黒の鉄兜』が、大きく聳え立つ。
青空の下、あの威厳に満ちた峻嶺に近づいていくのだ。思わず深くお辞儀をして、2回目の下りに入る。
雪を被った針葉樹の森の中をゆっくりと進んでいく。ぽつぽつと展望が開ける場所があり、霧氷の森と、
その向こうに屹立する荒川岳の気高いお姿に見とれてしまう。
道の脇にテントを張った跡が残っていた。トレースから外れると膝下まで潜る雪。
こうして、軽荷でここを歩けるのも、ラッセルしてくれた方のおかげなのだなぁ、と、
整地された雪面を眺めながら感じ入る。
権右衛門沢源頭の大シラビソの深い森を渡り、あともう少し、もう少しと登っていくと、
天を衝く二つの峰が目の前に。
辿り着いた塩見小屋周辺は、温度計を見ると予報通りマイナス19度の寒さだったが、平和な空気に満ちていた。
思いもがけない夢のような展開に、暫しの間、言葉を失ってしまう。
頭の中で木霊していた「風速21.9m」という響きは、吐いた息と共に外に飛び出して、
澄んだ空に飲みこまれていった。
予報とは、まだ起きていない自然現象を、人間がデーターを元に、推測したものにすぎない。
大いなる自然が、お山の神様が、静かに耳元で囁くのを感じた。
ヘルメットとハーネスとロープ類はザックの中に入れてある。
仰ぎ見た露岩帯は、想像以上に雪が少なく、山頂までのラインも描ける。
むくむくと、からだに力がみなぎってきた。
「行けそうだね」
「うん。時間も充分ある」
朝から、あまり食べていなかったので、食べやすい芋けんぴを頬張り、装備を身に着ける。
ワクワクしながら、気持ちよく締った雪の上を登っていくと、天狗岩がすぐ上に。
この辺りから、雪は風で吹き飛ばされ、ところどころ夏道が見えていた。岩場の鎖も出ている。
あれっ?と思うくらいの雪の少なさ。そして風は、気にならないくらいの強さ。
樹林帯では冷え切って痛くてストックを握るのが辛かった指は、
今は温かな血が通い、しっかりとピッケルを握っている。
ドキドキする怖さは無い。下りへの不安も出てこない。
今、真冬の『漆黒の鉄兜』の頂に近づいているわたしを全身で感じながら、しあわせな一歩を重ねていく。
心地よい緊張感と多幸感に包まれていて、気が付くと、三角点が置かれた西峰に着いていた。
実際は、1時間以上かかっていたのだけど。東峰で休憩しようと、夫は、そのまま進んでいった。
わたしも、青い青い空に浮かぶ、朝より大きなお姿の富士山に導かれるように後を追う。
南アルプスの真ん中に聳え立つ塩見岳。東峰からの眺めは圧巻だった。
まさに圧巻としか言いようがなかった。
白きうつくしき日本アルプスの峰々が一望のもと。
ふたりで雪を刻み登った峰々が、ひときわ強い光を放ち、わたしの目を釘付けにする。
あの年、この年の想い出が、時間軸を超え、つい最近のことのように重量感を持って甦ってきた。
「あの頃は、元気だったなぁ」
ぼそっと夫が呟いた。同じことを思い出していたのだ、とうれしくなる。
「そうだね」と頷き、
「あの頃のような元気はなくても、今、こうして、かっこいい塩見岳の山頂に立って、絶景を眺めて、
わたしたちの軌跡を見ることが出来て、しあわせだよね」
と、しんみり言おうとしたら、夫は、もう「ああだ、こうだ」と言いながら、山座同定に夢中になっていた。
まぁ、いいか。東に連なる山並みの奥に静かに佇む富士山に、あらためてご挨拶をする。
父の腕に抱かれた赤ちゃんのわたしの目に最初に映ったお山。
うつくしい、という感情を芽生えさせてくれたお山。
父と手を繋ぎ、お散歩しながら「わぁ、きれい」と指さし、よろこんでいた大好きなお山。
わたしにとって源のお山、富士山をじっと見つめる。
真冬の威厳に満ちた塩見岳に登らせていただき、富士山を拝ませていただき、
すべてのものに感謝の気持ちでいっぱいになる。
「なんか食べようか」
「うん。食欲がわいてきた」
石碑が祀られた岩の下にザックを置く。考えてみたら、真冬のアルプスの頂で、こんなにくつろげるとは奇跡のよう。
バランスバーを食べて、お湯を二杯飲んで、後ろ髪をひかれるが、風が強くなるかもしれないので、腰を上げる。
塩見小屋に着いたら後は樹林帯。風が少々強くなっても大丈夫。天気の崩れもなさそうだ。
「夕焼けの時間に三伏山に着くように、のんびりと戻っていこうか」
「うん。そうしよう。そうしよう」
アイゼンの感触を楽しみながら、ゆっくりと下っていく。
小屋の少し後ろの窪みで、ひなたぼっこをしながらお昼の休憩にする。極寒の地でひなたぼっこが出来るとは。
太陽の熱ってほんとうにすごい。でも、うずまきデニッシュは冷たくて固くて食べ難くかった。
三伏山までは、ピークを3つまた登らなくてはならない。
時間調整しながら、とえらそうに言ったけれど、疲れが出てきているので、考えなくても、のろのろゆらゆら歩き。
大シラビソの凛とした森や、木立の間からの眺めを楽しみながら、あぁ、戻っているのだなぁ、とちょっと切なくなる。
本谷山を越え、三伏山へと緩やかに登っていき、あたりがまっ白な雪原になった時、ふわっと世界は桃花鳥色に包まれた。
ほんとうに、ぴったりの時間だった。
なんて、すごいのだろう。なんて、うつくしいのだろう。
なんて、なんて・・・。
振り返ると、ちいさな十三夜月とおおきな塩見岳が、わたしたちをやさしく見つめていた。
お山の神様が見守ってくださった一日だったのだと胸がいっぱいになる。
テントに戻り、感慨に浸りながらのお夕飯。
昨日と同じようにお湯を作り、抹茶ラテとコーンスープを飲み、今日はアルファ米の五目ご飯とガパオライスをふやかす。
フィッシュソーセージはカチカチで諦める。ご飯はどっちがいい?と聞いたら、夫は、ガパオライスを選んだ。
そして、封を開けるやいなや、写真と違う、目玉焼きが入っていないと騒ぎ立てた。ええっ?とあきれて大笑い。
しみじみとした空気が吹き飛んでしまった。とぼけた夫。冗談なのか本気なのか分からない。
五目ご飯を食べていたら、気持ちが悪くなってきた。今日もラーメンは食べられない。
締めのほうじ茶ラテとお菓子もからだが受け付けなくなってしまった。高度障害が出ている。
ロキソニンを飲んで、横にならせてもらう。
ミシミシとテントの中が凍っていく音が、ぐるんとまわる頭の中で、一緒に回っていた。
1月6日 旅に出かけられるというしあわせ
夜間、なんか気持ち悪い、なんか頭が痛い、と何度も目が開いてしまい、寝不足で起床。
今朝も先ず霜取りから。ひと段落ついてお湯を作って、何か飲もうとしたが、
匂いがあるものすべてからだは拒絶した。
白湯しか飲めない。夫は普通にコーヒーを飲んで森の切り株(パン)を食べていた。
昨夕、明日は烏帽子岳で塩見岳と富士山を眺めながらご来光を仰ごう、と話していたが、
「昨日で満喫しちゃった」と夫。
さりげなく気遣いしてくれて感謝。
ゆっくりと片づけを始めるが、手が冷え切っていて、なかなかはかどらない。
どうにかパッキング出来たが、行きよりザックが大きくなってしまった。
パンパンのザックを見て、夫は、雪の上に置いておいたワカンを、俺が持つよ、と取り上げた。
嵩は大きくなったけれど、水と、食料が減り、防寒着を上下着ているので、重量は軽くなった。
大丈夫。歩ける。
今日も、申し分のないお天気。
行きは、薄灰色の雲の中にお隠れになっていた南アルプスの峰々がわたしたちを見送ってくれる。
ここが最後かな。こころの中で塩見岳にありがとうございました、と手を合わせる。
下るにつれ、頭も軽くなっていった。5/10地点で、ビスケットをかじられるように。
「どんどんと体力が落ちているのを感じるよ」
歩きながら、夫は何度も繰り返す。
「だって、今年、ろく、じゅっ、さい、じゃない。当たり前だよぉ。20歳の男の子の3倍の年だよ。
60歳になるのに、テント背負って、雪山登って、元気だよ。
歩くのも速いよぉ。わたしの前を歩くと、いつもいなくなっちゃうじゃない」
わたしも同じ返事を繰り返す。
「そうかなぁ」
「そうだよぉ」
そんな会話を繰り返しているうちに、登山口に降り立った。
9㎞弱の林道を戻っていく。
「あっ。シカちゃん」
くどくど、年取っただの体力落ちただの、と言う夫の、子供のような声に笑ってしまう。
駐車地手前で夕立神パノラマ展望台に寄る。
最後、お山の神様は、ものすごいプレゼントを用意してくださっていた。
南アルプスの峰々がずらりと目の前に。
伊那谷の向こうには中央アルプスの峰々がまっ直ぐに並んでいる。その北に望む純白の峰々は北アルプス。
ドキドキと胸が高鳴る。
「ねぇ、ねぇ、わたしたち、雪山に登れなくなっても、ここでアルプスを眺めながらテント泊出来るね。
それも無理になったら、眺めに来るだけでも」
一年の終わりか初めにアルプスから富士山を拝みたいと思い、
いつの頃からか始まった、夫とわたしの年末年始のアルプス雪山旅。
今年も登ることが出来たよろこびに包まれながら、こうして、ふたりで、年末年始にお出かけできる、
ということが、一番のしあわせなのだなぁ、としんみりとなる。
凍った路面の下り道は、やっぱり緊張した。
「あぁ」と声を上げてしまうわたしの隣で、夫は、一回、ちょこっと滑りながらも、
動じることなく、ひょうひょうとした顔で運転していた。
集落が見えた。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
「うん」
大鹿村の道の駅に向かい、速度を上げて走り始めた車に揺られながら、少し雲がかかり始めた空を見上げ、
あの時は、まだ若かったね、と言いながら、古希になる夫と展望台からアルプスの峰々を眺めている光景を、
早くもぼんやり想像しているわたしがいた。
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