【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

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sato
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登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

投稿記事 by sato »

【日 付】 2023年1月4~6日
【山 域】 南アルプス
【天 候】 1月4日 晴れのち曇り、5日 晴れ、6日 晴れ
【メンバー】 夫 sato
【コース】 鳥倉林道冬季ゲートから塩見岳往復


   1月4日 キリキリと凍てつく三伏峠小屋へ

 2台の車が止められた雪の積もった広場を見て、ほっと胸をなでおろした。
車窓から、澄み渡った青い空を見上げ、高揚感に包まれながら、大鹿村から鳥倉林道に入っていくと、
雪が凍りツルツルになった路面が目の前に現れた。
ソロリと越え、アスファルトに戻り、やれやれと思うも、またもや雪。虹色だったこころに灰色の雲がかかる。
次々と現れる雪の氷結路面にソロソロ運転となり、そんなに距離は無いはずなのに、
走れども、走れども駐車地らしきものは現れない。
「あぁ、怖い。どうか滑りませんように」
運転する夫の隣で、手に汗を握っていたのだった。

 無事、冬季ゲート手前の駐車地に車を置くことが出来たが、早くも次の不安に襲われる。
「この道、下れるの?」
「これぐらい大丈夫だよ。もっともっと怖い道も運転してきたでしょ。次の雪が降る前には下るし」
ひょうひょうとした顔の夫。
予測、想定は大切だけど、悪い方悪い方へと一方的に向かう思考癖は、自分の中のエネルギーを奪っていく。
「そうかぁ。そうだね」
こころを纏う雲を追いやるように、大きな声で返事をしたら、虹色の光が戻ってきた。
「うん、大丈夫。さぁ、準備しよう」
空は青く、山は白く輝いている。

 一年ぶりに背負ったザックの重さに、数歩ふらついたが、これは毎回のこと。
「歩き始めは、いつも、こんなに重くて登れるかなぁ、って思うよね」
「でも、登っている」
前向きな言葉が背中を押す。林道歩きは9㎞弱。2/3ぐらいが雪道で、時間はそれなりにかかったが、
カラマツ林を走る道は明るくて、見晴らしもよく、時折シカの群れにも会い、道中、目を楽しませてくれ、
退屈しなかった。ぺちゃくちゃおしゃべりしながら歩いているうちに、標高1780mの登山口に着いていた。

 林道では、雪の上に思い思いに刻まれていた足跡が、山中に入ると、ひと筋の白い道となって続いていた。
そうよね。お正月だものね。今も二台の車の主たちが歩いている。
「年末、最初に登った人は大変だっただろうなぁ。俺、今年、何歳になるか知っている?還暦だよ。
ろく、じゅっ、さい。ラッセルしたくれた人に感謝感謝」
「ちょっと残念」
その言葉がわたしの口から出る前に、からりと夫は言い放った。
そうそう、ふたりとも、もう若くない。まして、わたしはテント泊は一年ぶり。春も夏も腰が痛くて諦めて
しまったじゃない。
「うん。感謝感謝」

 三伏峠小屋までは、標高差約800m、距離は4㎞余り。ラッセルはない。15時前には着くだろう。
テントを張って、コーヒーを飲んでから、三伏山に夕日を見にも行ける。

 チェーンスパイクを装着して、カラマツ林の斜面を登っていく。標高2050mからは、山腹道をゆるゆると、
豊口山と・2248の鞍部へと向かっていく。三伏峠小屋がゴールの、10分の1から始まる標識の数字が順調
に増えていくのがうれしい。

 調子よく歩いていたが、鞍部から北斜面を縫う道に入った辺りから、なんだか具合が悪くなってきた。
先ず、体感温度が下がり、指先に痛みを覚えた。毛糸の手袋の上に、革の分厚い防寒防風手袋をはめる。
夫は、一枚で大丈夫ということ。冷えに強い夫がうらやましい。

 手袋を重ねても指の痛みはなかなかとれず、次に、肩が痛くなってきた。
さらに、息も上がる。標高を確認すると、2300m。
「にせん、さんびゃく、めーとるかぁ」
登山口で、無邪気になっていたわたしは、すっかり忘れていた。自分が高度に弱いということを。

 30代半ばから、高所に来た、とからだが認識すると、平気な時もあるけれど、息が深く吸えなくなり、
かくっ、と歩調が落ちてしまうことが多くなった。
夫との距離が開いていく。でも、これもいつものこと。大丈夫。

 ざわっ、と冷たい風が吹いてきて、ふっ、と空を見上げると、青空は薄灰色一色に移り変わっていた。
今日は、もう、夕焼けも望めないかな。三伏山には行かなくていい。小屋にはいずれ着く。
ゆっくりと息を吐いて吸いながら、のろりのろりと歩みを重ねていく。

 塩川小屋分岐の茶色い看板の横で、夫が待っていた。
ここから三伏峠までは、明治時代、伊那の大鹿村と甲州の新倉村を、南アルプスを横断して繋いだ伊奈街道と重なる。
計り知れない困難を重ねて完成した伊奈街道は、利用価値が少ない、管理が大変などといった理由で、数年で荒廃して
しまったという。
「ねぇ。いつか伊奈街道を辿ろうって話していたよね」
確認しようとしたのに、夫は、わたしが追いつくと、さっさと進んでいってしまった。

 15時過ぎ、三伏峠小屋に到着。ふぅふぅ言っていたが、想定時間を大幅に超えることなくたどり着けてほっとする。

 風の通らぬ針葉樹の森の中にテントを設置していると、男性が現れた。
少し離れた場所にひと張り残されていたテントの持ち主の方だ。強風で大変だったけれど山頂まで登られたとお聞きする。
ごぉ、と、森の向こうで吹きすさぶ風の音が、耳を澄まさなくても聞こえてくる。
やっぱり予報通りだ。明日は、さらに強風の予報。でも、こころはざわつかない。
三伏峠小屋でテント泊をして、三伏山で展望を楽しめたらいいよね、と言いながら家を出たのだから。

 寒さでからだが震えるので、ペグ埋めは夫に任せ、先にテントの中に入らせてもらう。
荷物を壁に並べ、ダウンの上下を着て、もこもこのルームシューズを履き、ひと息ついている間に、
ペグを埋め終えた夫は、トイレを作り、電波の通じるところまで行って、仕事のメールと、天気予報を確認し、
ポリ袋に雪を入れてきてくれた。
「寒かったでしょう」
「寒かったぁ」
「どうもありがとう」
山では、働き者の夫。お茶用のお湯も沸かし始めてくれる。
ぷわぁ、とテント内に暖気が充満し、あんなに震えていたのが嘘のようにぽかぽかになった。
「わぁ、あったかい」
そう、このしあわせ感が忘れられなくて、真冬のテント泊に出かけたくなってしまうのかもしれない。

 コーヒーと抹茶ラテのお茶タイムの後も、引き続きお湯作り。
湧き上がったお湯で、次は、粉末のポタージュースープを飲み、カレーメシをふやかす。
そして、出来上がるまでの間にフィッシュソーセージをかじる。今回も変わらぬ、冬のテント泊一日目の食事の光景。
カレーメシの後は、ラーメンだ。でも、急に食欲がなくなって、わたしは食べられなかった。
締めのほうじ茶ラテ(夫はコーヒー)と柿ピーはのどを通ったが。最後にお湯でロキソニンを飲む。

 空になったコッフェルとカップの残り汁が瞬く間に凍っていた。
天気予報では、今晩と明日は、マイナス19度。うんと冷える。朝には青空が戻るが、
3000m地点の風速は21.9m。歩行不可能の強風だ。明日の行程は、起きてから考えよう。

 まだ18時だけど、火の気のなくなったテントの中で、胡坐をかいていると、ゾクゾクと寒いので、
腰にカイロを張ってシュラフに入った。
ごぉ、ごぉ、と、雪を纏った黒い森の向こうで、塩見岳が、低く冷たく、真冬のアルプスを唱っていた。
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   1月5日 思いもがけない山の神様からのプレゼント 光り輝く『漆黒の鉄兜』の頂へ

「4時半を回ったけれど、そろそろ起きる?」と夫の声。
「えっ?もうそんな時間?」
夜間何度か起きたけれど結構眠れてよかった、とぼんやりした頭で思っていると、
バラッ、と雪が降ってきて、一気に目が覚めた。テントの壁一面に張られた霜が振動で落ちてきたのだ。
シュラフとシュラフカバーの間は、パリパリに凍っている。寝起き早々お掃除だ。
タオルで霜を取っていくが、水分を含んだタオルは、あっという間に棒状になってしまう。
ボトルの中の水は当然カチンコチン。シュラフが濡れるのは嫌だけど、ここまで凍ると楽しくなる。

 こんなに冷えているのに、雪融かし用の山専ボトルのお湯は、まだ温か。一杯飲んで、お湯作りを始める。
トイレに行きたくなるのが嫌なので、夜は控えるが、朝はコーヒーから始まる。
でも、今朝はだめだ。頭と胃が重い。
何か口に入れなければ、と思い、ほうじ茶ラテを飲んで、固くなったちいさなデニッシュドーナツをふたつ強引に
口に押し込んだ。最後にまた、ロキソニンを飲む。夫は、コーヒーとドーナツの他、ラーメンを作って食べていた。

「さて、どうしようか」
ごぉ、という音は、やっぱり聞こえてくる。トイレに行った時、お星さまは瞬いていた。天気はいい。
体調は万全ではないけれど、この程度なら歩ける。
「塩見小屋までは、ほとんど樹林帯。ゆっくり行けるところまで行ってみようか」
「うん。そうしよう。そうしよう」

 夜明けの少し前に出発。
青藍色に覆われた三伏山を越え、100m下った鞍部あたりで明るくなってきた。
紅掛花色から東雲色へ、薄明時の空が放つ刹那の輝きを浴びながら、本谷山へと登っていく。

 山頂まで、あともうひと息の時だった。ふぅ、と立ち止まり、東を向いたら、そのままからだが固まってしまった。
黒い稜線の向こうの、橙色に燃える光の帯の中に浮かぶちいさなシルエット。胸の奥から震えが湧き起こる。
「富士山!」
呆けたように立ち尽くすわたしに気づき、夫が戻ってきてくれた。

 富士山のすぐ横から、金色の筋が、曙色になった空高くに伸びていき、眩い光がゆっくりと上がってきた。
ふたり並び、息を呑んで見つめていると、光の真ん中が、わたしたちの目を射った。富士山とご来光。
この世で、わたしと夫ふたりだけが見ることの出来た一期一会の輝き。
なんて、素晴らしい瞬間に出会えたのだろう。
相変わらず、ひょうひょうとしている夫は、どう思っているのか分からないけれど。
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 ひと登りして本谷山の山頂に着いた。
木立の向こうには、純白の雪を纏った『漆黒の鉄兜』が、大きく聳え立つ。
青空の下、あの威厳に満ちた峻嶺に近づいていくのだ。思わず深くお辞儀をして、2回目の下りに入る。

 雪を被った針葉樹の森の中をゆっくりと進んでいく。ぽつぽつと展望が開ける場所があり、霧氷の森と、
その向こうに屹立する荒川岳の気高いお姿に見とれてしまう。
道の脇にテントを張った跡が残っていた。トレースから外れると膝下まで潜る雪。
こうして、軽荷でここを歩けるのも、ラッセルしてくれた方のおかげなのだなぁ、と、
整地された雪面を眺めながら感じ入る。

 権右衛門沢源頭の大シラビソの深い森を渡り、あともう少し、もう少しと登っていくと、
天を衝く二つの峰が目の前に。
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 辿り着いた塩見小屋周辺は、温度計を見ると予報通りマイナス19度の寒さだったが、平和な空気に満ちていた。
思いもがけない夢のような展開に、暫しの間、言葉を失ってしまう。
頭の中で木霊していた「風速21.9m」という響きは、吐いた息と共に外に飛び出して、
澄んだ空に飲みこまれていった。
予報とは、まだ起きていない自然現象を、人間がデーターを元に、推測したものにすぎない。
大いなる自然が、お山の神様が、静かに耳元で囁くのを感じた。

 ヘルメットとハーネスとロープ類はザックの中に入れてある。
仰ぎ見た露岩帯は、想像以上に雪が少なく、山頂までのラインも描ける。
むくむくと、からだに力がみなぎってきた。
「行けそうだね」
「うん。時間も充分ある」
朝から、あまり食べていなかったので、食べやすい芋けんぴを頬張り、装備を身に着ける。

 ワクワクしながら、気持ちよく締った雪の上を登っていくと、天狗岩がすぐ上に。
この辺りから、雪は風で吹き飛ばされ、ところどころ夏道が見えていた。岩場の鎖も出ている。
あれっ?と思うくらいの雪の少なさ。そして風は、気にならないくらいの強さ。

 樹林帯では冷え切って痛くてストックを握るのが辛かった指は、
今は温かな血が通い、しっかりとピッケルを握っている。
ドキドキする怖さは無い。下りへの不安も出てこない。
今、真冬の『漆黒の鉄兜』の頂に近づいているわたしを全身で感じながら、しあわせな一歩を重ねていく。

 心地よい緊張感と多幸感に包まれていて、気が付くと、三角点が置かれた西峰に着いていた。
実際は、1時間以上かかっていたのだけど。東峰で休憩しようと、夫は、そのまま進んでいった。
わたしも、青い青い空に浮かぶ、朝より大きなお姿の富士山に導かれるように後を追う。

 南アルプスの真ん中に聳え立つ塩見岳。東峰からの眺めは圧巻だった。
まさに圧巻としか言いようがなかった。
白きうつくしき日本アルプスの峰々が一望のもと。
ふたりで雪を刻み登った峰々が、ひときわ強い光を放ち、わたしの目を釘付けにする。
あの年、この年の想い出が、時間軸を超え、つい最近のことのように重量感を持って甦ってきた。

「あの頃は、元気だったなぁ」
ぼそっと夫が呟いた。同じことを思い出していたのだ、とうれしくなる。
「そうだね」と頷き、
「あの頃のような元気はなくても、今、こうして、かっこいい塩見岳の山頂に立って、絶景を眺めて、
わたしたちの軌跡を見ることが出来て、しあわせだよね」
と、しんみり言おうとしたら、夫は、もう「ああだ、こうだ」と言いながら、山座同定に夢中になっていた。

 まぁ、いいか。東に連なる山並みの奥に静かに佇む富士山に、あらためてご挨拶をする。
父の腕に抱かれた赤ちゃんのわたしの目に最初に映ったお山。
うつくしい、という感情を芽生えさせてくれたお山。
父と手を繋ぎ、お散歩しながら「わぁ、きれい」と指さし、よろこんでいた大好きなお山。
わたしにとって源のお山、富士山をじっと見つめる。

 真冬の威厳に満ちた塩見岳に登らせていただき、富士山を拝ませていただき、
すべてのものに感謝の気持ちでいっぱいになる。

「なんか食べようか」
「うん。食欲がわいてきた」
石碑が祀られた岩の下にザックを置く。考えてみたら、真冬のアルプスの頂で、こんなにくつろげるとは奇跡のよう。

 バランスバーを食べて、お湯を二杯飲んで、後ろ髪をひかれるが、風が強くなるかもしれないので、腰を上げる。
塩見小屋に着いたら後は樹林帯。風が少々強くなっても大丈夫。天気の崩れもなさそうだ。
「夕焼けの時間に三伏山に着くように、のんびりと戻っていこうか」
「うん。そうしよう。そうしよう」
アイゼンの感触を楽しみながら、ゆっくりと下っていく。

 小屋の少し後ろの窪みで、ひなたぼっこをしながらお昼の休憩にする。極寒の地でひなたぼっこが出来るとは。
太陽の熱ってほんとうにすごい。でも、うずまきデニッシュは冷たくて固くて食べ難くかった。

 三伏山までは、ピークを3つまた登らなくてはならない。
時間調整しながら、とえらそうに言ったけれど、疲れが出てきているので、考えなくても、のろのろゆらゆら歩き。
大シラビソの凛とした森や、木立の間からの眺めを楽しみながら、あぁ、戻っているのだなぁ、とちょっと切なくなる。

 本谷山を越え、三伏山へと緩やかに登っていき、あたりがまっ白な雪原になった時、ふわっと世界は桃花鳥色に包まれた。
ほんとうに、ぴったりの時間だった。
なんて、すごいのだろう。なんて、うつくしいのだろう。
なんて、なんて・・・。
振り返ると、ちいさな十三夜月とおおきな塩見岳が、わたしたちをやさしく見つめていた。
お山の神様が見守ってくださった一日だったのだと胸がいっぱいになる。

 テントに戻り、感慨に浸りながらのお夕飯。
昨日と同じようにお湯を作り、抹茶ラテとコーンスープを飲み、今日はアルファ米の五目ご飯とガパオライスをふやかす。
フィッシュソーセージはカチカチで諦める。ご飯はどっちがいい?と聞いたら、夫は、ガパオライスを選んだ。
そして、封を開けるやいなや、写真と違う、目玉焼きが入っていないと騒ぎ立てた。ええっ?とあきれて大笑い。
しみじみとした空気が吹き飛んでしまった。とぼけた夫。冗談なのか本気なのか分からない。

 五目ご飯を食べていたら、気持ちが悪くなってきた。今日もラーメンは食べられない。
締めのほうじ茶ラテとお菓子もからだが受け付けなくなってしまった。高度障害が出ている。
ロキソニンを飲んで、横にならせてもらう。
ミシミシとテントの中が凍っていく音が、ぐるんとまわる頭の中で、一緒に回っていた。

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   1月6日 旅に出かけられるというしあわせ

 夜間、なんか気持ち悪い、なんか頭が痛い、と何度も目が開いてしまい、寝不足で起床。
今朝も先ず霜取りから。ひと段落ついてお湯を作って、何か飲もうとしたが、
匂いがあるものすべてからだは拒絶した。
白湯しか飲めない。夫は普通にコーヒーを飲んで森の切り株(パン)を食べていた。
昨夕、明日は烏帽子岳で塩見岳と富士山を眺めながらご来光を仰ごう、と話していたが、
「昨日で満喫しちゃった」と夫。
さりげなく気遣いしてくれて感謝。

 ゆっくりと片づけを始めるが、手が冷え切っていて、なかなかはかどらない。
どうにかパッキング出来たが、行きよりザックが大きくなってしまった。
パンパンのザックを見て、夫は、雪の上に置いておいたワカンを、俺が持つよ、と取り上げた。
嵩は大きくなったけれど、水と、食料が減り、防寒着を上下着ているので、重量は軽くなった。
大丈夫。歩ける。

 今日も、申し分のないお天気。
行きは、薄灰色の雲の中にお隠れになっていた南アルプスの峰々がわたしたちを見送ってくれる。
ここが最後かな。こころの中で塩見岳にありがとうございました、と手を合わせる。
下るにつれ、頭も軽くなっていった。5/10地点で、ビスケットをかじられるように。

「どんどんと体力が落ちているのを感じるよ」
歩きながら、夫は何度も繰り返す。
「だって、今年、ろく、じゅっ、さい、じゃない。当たり前だよぉ。20歳の男の子の3倍の年だよ。
60歳になるのに、テント背負って、雪山登って、元気だよ。
歩くのも速いよぉ。わたしの前を歩くと、いつもいなくなっちゃうじゃない」
わたしも同じ返事を繰り返す。
「そうかなぁ」
「そうだよぉ」
そんな会話を繰り返しているうちに、登山口に降り立った。

 9㎞弱の林道を戻っていく。
「あっ。シカちゃん」
くどくど、年取っただの体力落ちただの、と言う夫の、子供のような声に笑ってしまう。

 駐車地手前で夕立神パノラマ展望台に寄る。
最後、お山の神様は、ものすごいプレゼントを用意してくださっていた。
南アルプスの峰々がずらりと目の前に。
伊那谷の向こうには中央アルプスの峰々がまっ直ぐに並んでいる。その北に望む純白の峰々は北アルプス。

 ドキドキと胸が高鳴る。
「ねぇ、ねぇ、わたしたち、雪山に登れなくなっても、ここでアルプスを眺めながらテント泊出来るね。
それも無理になったら、眺めに来るだけでも」

 一年の終わりか初めにアルプスから富士山を拝みたいと思い、
いつの頃からか始まった、夫とわたしの年末年始のアルプス雪山旅。
今年も登ることが出来たよろこびに包まれながら、こうして、ふたりで、年末年始にお出かけできる、
ということが、一番のしあわせなのだなぁ、としんみりとなる。

 凍った路面の下り道は、やっぱり緊張した。
「あぁ」と声を上げてしまうわたしの隣で、夫は、一回、ちょこっと滑りながらも、
動じることなく、ひょうひょうとした顔で運転していた。
集落が見えた。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
「うん」

 大鹿村の道の駅に向かい、速度を上げて走り始めた車に揺られながら、少し雲がかかり始めた空を見上げ、
あの時は、まだ若かったね、と言いながら、古希になる夫と展望台からアルプスの峰々を眺めている光景を、
早くもぼんやり想像しているわたしがいた。


sato
バーチャリ
記事: 547
登録日時: 2011年3月12日(土) 20:58

Re: 【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

投稿記事 by バーチャリ »

sato さん  こんにちは
今日は寒い一日でしたね。
そちらの方は雪降っているでしょうか?

  1月4日 キリキリと凍てつく三伏峠小屋へ
2台の車が止められた雪の積もった広場を見て、ほっと胸をなでおろした。
車窓から、澄み渡った青い空を見上げ、高揚感に包まれながら、大鹿村から鳥倉林道に入っていくと、
雪が凍りツルツルになった路面が目の前に現れた。



標高の高い所で5センチ~10センチあたのでしょうか?

だいぶ昔ですが、鳥倉林道と違って川沿から尾根を登り三伏峠だったと思いますが?

前は夏は登山口まで車で入れたのですが、今夏でも駐車場から登山口まで1時間の歩きになりましたね。


前向きな言葉が背中を押す。林道歩きは9㎞弱。2/3ぐらいが雪道で、時間はそれなりにかかったが、
カラマツ林を走る道は明るくて、見晴らしもよく、時折シカの群れにも会い、道中、目を楽しませてくれ、
退屈しなかった。ぺちゃくちゃおしゃべりしながら歩いているうちに、標高1780mの登山口に着いていた。


冬のゲート林道歩きは9㎞ですか。
長いですね。



 手袋を重ねても指の痛みはなかなかとれず、次に、肩が痛くなってきた。
さらに、息も上がる。標高を確認すると、2300m。
「にせん、さんびゃく、めーとるかぁ」
登山口で、無邪気になっていたわたしは、すっかり忘れていた。自分が高度に弱いということを。


厳冬期のテント泊重いでしょうね、
もう出来ません


 30代半ばから、高所に来た、とからだが認識すると、平気な時もあるけれど、息が深く吸えなくなり、
かくっ、と歩調が落ちてしまうことが多くなった。
夫との距離が開いていく。でも、これもいつものこと。大丈夫。


そうそう旦那さんは歩きは早いと言って見えましたね。
たのもしいですね。


塩川小屋分岐の茶色い看板の横で、夫が待っていた。

ここから登ったと思いますが
断言は出来ませんが

15時過ぎ、三伏峠小屋に到着。ふぅふぅ言っていたが、想定時間を大幅に超えることなくたどり着けてほっとする。


15時早いですね。


 風の通らぬ針葉樹の森の中にテントを設置していると、男性が現れた。
少し離れた場所にひと張り残されていたテントの持ち主の方だ。強風で大変だったけれど山頂まで登られたとお聞きする。


森の方だと風も無く静かでいいですね。


寒かったでしょう」
寒かったぁ」
どうもありがとう」


思いやりのお言葉で旦那さん救われますね(^^♪

山では、働き者の夫。お茶用のお湯も沸かし始めてくれる。
ぷわぁ、とテント内に暖気が充満し、あんなに震えていたのが嘘のようにぽかぽかになった。
わぁ、あったかい」
そう、このしあわせ感が忘れられなくて、真冬のテント泊に出かけたくなってしまうのかもしれない。


そうそうガスを使うと一気に温まりますよね。


コーヒーと抹茶ラテのお茶タイムの後も、引き続きお湯作り。
湧き上がったお湯で、次は、粉末のポタージュースープを飲み、カレーメシをふやかす。
そして、出来上がるまでの間にフィッシュソーセージをかじる。今回も変わらぬ、冬のテント泊一日目の食事の光景。
カレーメシの後は、ラーメンだ。でも、急に食欲がなくなって、わたしは食べられなかった。
締めのほうじ茶ラテ(夫はコーヒー)と柿ピーはのどを通ったが。最後にお湯でロキソニンを飲む。


高山病が出たのでしょうか?
大丈夫ですか?

 まだ18時だけど、火の気のなくなったテントの中で、胡坐をかいていると、ゾクゾクと寒いので、
腰にカイロを張ってシュラフに入った。
ごぉ、ごぉ、と、雪を纏った黒い森の向こうで、塩見岳が、低く冷たく、真冬のアルプスを唱っていた。


私は良くペットボトルにお湯を入れて湯たんぽ代わりにします。


1月5日 思いもがけない山の神様からのプレゼント 光り輝く『漆黒の鉄兜』の頂へ


さぁ~頑張って登りましょう


 こんなに冷えているのに、雪融かし用の山専ボトルのお湯は、まだ温か。一杯飲んで、お湯作りを始める。
トイレに行きたくなるのが嫌なので、夜は控えるが、朝はコーヒーから始まる。
でも、今朝はだめだ。頭と胃が重い。
何か口に入れなければ、と思い、ほうじ茶ラテを飲んで、固くなったちいさなデニッシュドーナツをふたつ強引に
口に押し込んだ。最後にまた、ロキソニンを飲む。夫は、コーヒーとドーナツの他、ラーメンを作って食べていた。


朝しっかり食べないと力が出ませんよ。



 山頂まで、あともうひと息の時だった。ふぅ、と立ち止まり、東を向いたら、そのままからだが固まってしまった。
黒い稜線の向こうの、橙色に燃える光の帯の中に浮かぶちいさなシルエット。胸の奥から震えが湧き起こる。
富士山
呆けたように立ち尽くすわたしに気づき、夫が戻ってきてくれた。


南アルプスは美しい富士山がどかんと見えますもんね。



ひと登りして本谷山の山頂に着いた。


本谷山で真っ赤に染まる日の出は今でも忘れる事が出来ません


 南アルプスの真ん中に聳え立つ塩見岳。東峰からの眺めは圧巻だった。
まさに圧巻としか言いようがなかった。
白きうつくしき日本アルプスの峰々が一望のもと。
ふたりで雪を刻み登った峰々が、ひときわ強い光を放ち、わたしの目を釘付けにする。
あの年、この年の想い出が、時間軸を超え、つい最近のことのように重量感を持って甦ってきた。


そうでしょうね。
厳冬期のこの景色を見れる人はそういないと思います。
旦那さんに感謝ですね。


 真冬の威厳に満ちた塩見岳に登らせていただき、富士山を拝ませていただき、
すべてのものに感謝の気持ちでいっぱいになる。


そうですよ。
厳冬期の塩見岳はなかなか登れないですよ。


 小屋の少し後ろの窪みで、ひなたぼっこをしながらお昼の休憩にする。極寒の地でひなたぼっこが出来るとは。
太陽の熱ってほんとうにすごい。でも、うずまきデニッシュは冷たくて固くて食べ難くかった。


太陽が出てるのと太陽が隠れているのとはえらい違いが有りますよね。



 本谷山を越え、三伏山へと緩やかに登っていき、あたりがまっ白な雪原になった時、ふわっと世界は桃花鳥色に包まれた。
ほんとうに、ぴったりの時間だった。
なんて、すごいのだろう。なんて、うつくしいのだろう。
なんて、なんて・・・。
振り返ると、ちいさな十三夜月とおおきな塩見岳が、わたしたちをやさしく見つめていた。
お山の神様が見守ってくださった一日だったのだと胸がいっぱいになる。


いいな~ 


 五目ご飯を食べていたら、気持ちが悪くなってきた。今日もラーメンは食べられない。
締めのほうじ茶ラテとお菓子もからだが受け付けなくなってしまった。高度障害が出ている。
ロキソニンを飲んで、横にならせてもらう。
ミシミシとテントの中が凍っていく音が、ぐるんとまわる頭の中で、一緒に回っていた。


私も疲れると固形の物が食べられないです。
いつも行動食は余るのですが


1月6日 旅に出かけられるというしあわせ


そうですよね。
羨まし限りです。

ゆっくりと片づけを始めるが、手が冷え切っていて、なかなかはかどらない。
どうにかパッキング出来たが、行きよりザックが大きくなってしまった。
パンパンのザックを見て、夫は、雪の上に置いておいたワカンを、俺が持つよ、と取り上げた。
嵩は大きくなったけれど、水と、食料が減り、防寒着を上下着ているので、重量は軽くなった。
大丈夫。歩ける。


そうそうゴミなどが増えるから大きくなりますね。



「どんどんと体力が落ちているのを感じるよ」
歩きながら、夫は何度も繰り返す。
「だって、今年、ろく、じゅっ、さい、じゃない。当たり前だよぉ。20歳の男の子の3倍の年だよ。
60歳になるのに、テント背負って、雪山登って、元気だよ。
歩くのも速いよぉ。わたしの前を歩くと、いつもいなくなっちゃうじゃない」
わたしも同じ返事を繰り返す。
「そうかなぁ」
「そうだよぉ」
そんな会話を繰り返しているうちに、登山口に降り立った。


厳冬期のテント泊で出来るからまだまだですよ。



 駐車地手前で夕立神パノラマ展望台に寄る。
最後、お山の神様は、ものすごいプレゼントを用意してくださっていた。
南アルプスの峰々がずらりと目の前に。
伊那谷の向こうには中央アルプスの峰々がまっ直ぐに並んでいる。その北に望む純白の峰々は北アルプス。


もう歩けなくなると、この景色を味合う事も
有りですよね。


 大鹿村の道の駅に向かい、速度を上げて走り始めた車に揺られながら、少し雲がかかり始めた空を見上げ、
あの時は、まだ若かったね、と言いながら、古希になる夫と展望台からアルプスの峰々を眺めている光景を、
早くもぼんやり想像しているわたしがいた。


旦那さんの感謝の気持ちがひしひし伝わって来ました。
お疲れ様でした。


  バーチャリ
宮指路
記事: 1008
登録日時: 2011年2月27日(日) 21:13

Re: 【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

投稿記事 by 宮指路 »

Satoさん、こんにちは

私が百名山狙いで塩見岳に登ったのは2011年の秋です。もう10年以上前になります。
くねくねの鳥倉林道を金曜日の夜、仕事終わりで眠い目を擦って運転していたら危うく崖に転落しそうになりました。
> 雪が凍りツルツルになった路面が目の前に現れた。
> ソロリと越え、アスファルトに戻り、やれやれと思うも、またもや雪。虹色だったこころに灰色の雲がかかる。
> 次々と現れる雪の氷結路面にソロソロ運転となり、そんなに距離は無いはずなのに、
> 走れども、走れども駐車地らしきものは現れない。
> 「あぁ、怖い。どうか滑りませんように」
> 運転する夫の隣で、手に汗を握っていたのだった。
確かにこのクネクネ道を夜走るのは雪がなくても怖いと思います。
>  一年ぶりに背負ったザックの重さに、数歩ふらついたが、これは毎回のこと。
> 「歩き始めは、いつも、こんなに重くて登れるかなぁ、って思うよね」
> 「でも、登っている」
テント装備はさすがに重いですね。私も数回経験がありますが、夏でも重いと思うのにまして厳冬期ともなるととんでもなく重いでしょう

> 「ちょっと残念」
> その言葉がわたしの口から出る前に、からりと夫は言い放った。
> そうそう、ふたりとも、もう若くない。まして、わたしはテント泊は一年ぶり。春も夏も腰が痛くて諦めてしまったじゃない。
無理がたたりましたか? 腰が痛いのは辛いですね。
>  手袋を重ねても指の痛みはなかなかとれず、次に、肩が痛くなってきた。
蝮さんの影響でしょうか?

>
>  30代半ばから、高所に来た、とからだが認識すると、平気な時もあるけれど、息が深く吸えなくなり、
> かくっ、と歩調が落ちてしまうことが多くなった。
> 夫との距離が開いていく。でも、これもいつものこと。大丈夫。
大丈夫なのかなぁ~
>  塩川小屋分岐の茶色い看板の横で、夫が待っていた。
スノーシューを履いて遅れた時と鳥越山の下りで私が遅くなったので待って下さいましたよね。あの時はありがとうございました。
> ここから三伏峠までは、明治時代、伊那の大鹿村と甲州の新倉村を、南アルプスを横断して繋いだ伊奈街道と重なる。
> 計り知れない困難を重ねて完成した伊奈街道は、利用価値が少ない、管理が大変などといった理由で、数年で荒廃してしまったという。
明治時代に着工されたという伊奈街道は重機等は使われず工事に15万人も動員され12年も掛かったらしいです。
もし伊奈海津を辿ろうとすると山岳部分は全く道がないので恐らく登攀具も必要となります。
>  15時過ぎ、三伏峠小屋に到着。ふぅふぅ言っていたが、想定時間を大幅に超えることなくたどり着けてほっとする。
何とか着きましたね。これで一安心
>  風の通らぬ針葉樹の森の中にテントを設置していると、男性が現れた。
> 少し離れた場所にひと張り残されていたテントの持ち主の方だ。強風で大変だったけれど山頂まで登られたとお聞きする。
単独で来られるとは相当なツワモノですね。
>  寒さでからだが震えるので、ペグ埋めは夫に任せ、先にテントの中に入らせてもらう。
> 荷物を壁に並べ、ダウンの上下を着て、もこもこのルームシューズを履き、ひと息ついている間に、
> ペグを埋め終えた夫は、トイレを作り、電波の通じるところまで行って、仕事のメールと、天気予報を確認し、
> ポリ袋に雪を入れてきてくれた。
> 「寒かったでしょう」
> 「寒かったぁ」
> 「どうもありがとう」
> 山では、働き者の夫。お茶用のお湯も沸かし始めてくれる。
下界では怠け者だったりして
でも夫婦の絆を感じます。
> ぷわぁ、とテント内に暖気が充満し、あんなに震えていたのが嘘のようにぽかぽかになった。
> 「わぁ、あったかい」
> そう、このしあわせ感が忘れられなくて、真冬のテント泊に出かけたくなってしまうのかもしれない。
オノロケでしょうか?
> シュラフとシュラフカバーの間は、パリパリに凍っている。寝起き早々お掃除だ。
> タオルで霜を取っていくが、水分を含んだタオルは、あっという間に棒状になってしまう。
> ボトルの中の水は当然カチンコチン。シュラフが濡れるのは嫌だけど、ここまで凍ると楽しくなる。

恐ろし程の寒さですね。-20℃の恐怖('Д')
極寒の場合、衣類や靴に着いた雪をテントの中に持ち込むのはご法度らしいと聞きました。
>  こんなに冷えているのに、雪融かし用の山専ボトルのお湯は、まだ温か。一杯飲んで、お湯作りを始める。
> トイレに行きたくなるのが嫌なので、夜は控えるが、朝はコーヒーから始まる。
> でも、今朝はだめだ。頭と胃が重い。
> 何か口に入れなければ、と思い、ほうじ茶ラテを飲んで、固くなったちいさなデニッシュドーナツをふたつ強引に
> 口に押し込んだ。最後にまた、ロキソニンを飲む。夫は、コーヒーとドーナツの他、ラーメンを作って食べていた。
食欲がないのは辛いですね。

>
> 「さて、どうしようか」
> ごぉ、という音は、やっぱり聞こえてくる。トイレに行った時、お星さまは瞬いていた。天気はいい。
> 体調は万全ではないけれど、この程度なら歩ける。
> 「塩見小屋までは、ほとんど樹林帯。ゆっくり行けるところまで行ってみようか」
> 「うん。そうしよう。そうしよう」
妻を労わる優しい夫ですね~

>
>  夜明けの少し前に出発。
> 青藍色に覆われた三伏山を越え、100m下った鞍部あたりで明るくなってきた。
> 紅掛花色から東雲色へ、薄明時の空が放つ刹那の輝きを浴びながら、本谷山へと登っていく。
実際に見たら感激しますよね。
>  富士山のすぐ横から、金色の筋が、曙色になった空高くに伸びていき、眩い光がゆっくりと上がってきた。
> ふたり並び、息を呑んで見つめていると、光の真ん中が、わたしたちの目を射った。富士山とご来光。
> この世で、わたしと夫ふたりだけが見ることの出来た一期一会の輝き。
> なんて、素晴らしい瞬間に出会えたのだろう。
感動の一瞬ですね。
20年前に長男と登った富士山ご来光登山、山頂で一時間も待たされ凍える息子にジャケットを掛けて上げた。その時見た金色のご来光が今でも忘れられない。
>  雪を被った針葉樹の森の中をゆっくりと進んでいく。ぽつぽつと展望が開ける場所があり、霧氷の森と、
> その向こうに屹立する荒川岳の気高いお姿に見とれてしまう。
> 道の脇にテントを張った跡が残っていた。トレースから外れると膝下まで潜る雪。
> こうして、軽荷でここを歩けるのも、ラッセルしてくれた方のおかげなのだなぁ、と、
> 整地された雪面を眺めながら感じ入る。
先行者に感謝ですね。
鳥越山ではたくさんラッセルして頂きお世話になりました。
>  辿り着いた塩見小屋周辺は、温度計を見ると予報通りマイナス19度の寒さだったが、平和な空気に満ちていた。
> 思いもがけない夢のような展開に、暫しの間、言葉を失ってしまう。
> 頭の中で木霊していた「風速21.9m」という響きは、吐いた息と共に外に飛び出して、
> 澄んだ空に飲みこまれていった。
> 仰ぎ見た露岩帯は、想像以上に雪が少なく、山頂までのラインも描ける。
> むくむくと、からだに力がみなぎってきた。
> 「行けそうだね」
体調復活しましたか? お山の神様に感謝ですね。

>  ワクワクしながら、気持ちよく締った雪の上を登っていくと、天狗岩がすぐ上に。
> この辺りから、雪は風で吹き飛ばされ、ところどころ夏道が見えていた。岩場の鎖も出ている。
> あれっ?と思うくらいの雪の少なさ。そして風は、気にならないくらいの強さ。
>  樹林帯では冷え切って痛くてストックを握るのが辛かった指は、
> 今は温かな血が通い、しっかりとピッケルを握っている。
お山が呼んでいるんですね~

> ドキドキする怖さは無い。下りへの不安も出てこない。
> 今、真冬の『漆黒の鉄兜』の頂に近づいているわたしを全身で感じながら、しあわせな一歩を重ねていく。
>  心地よい緊張感と多幸感に包まれていて、気が付くと、三角点が置かれた西峰に着いていた。
私も10年位前に冬の御池岳テーブルランドに向かって一人ラッセルしていた時に途中で力尽きかけましたが、不思議にふっと楽になりテーブルランドに上がったことがあります。
その時のテーブルランドはまるで白銀の別世界でした。

>
>  南アルプスの真ん中に聳え立つ塩見岳。東峰からの眺めは圧巻だった。
> まさに圧巻としか言いようがなかった。
> 白きうつくしき日本アルプスの峰々が一望のもと。
> ふたりで雪を刻み登った峰々が、ひときわ強い光を放ち、わたしの目を釘付けにする。
奥穂や西穂の山頂に立って、眺める展望も素晴らしいですが、空気が澄んだ厳冬期に3000m級の山頂に立って眺める峰々の光景はさらに別格でしょう


>
 まぁ、いいか。東に連なる山並みの奥に静かに佇む富士山に、あらためてご挨拶をする。
> 父の腕に抱かれた赤ちゃんのわたしの目に最初に映ったお山。
> うつくしい、という感情を芽生えさせてくれたお山。
> 父と手を繋ぎ、お散歩しながら「わぁ、きれい」と指さし、よろこんでいた大好きなお山。
> わたしにとって源のお山、富士山をじっと見つめる。
>  真冬の威厳に満ちた塩見岳に登らせていただき、富士山を拝ませていただき、
> すべてのものに感謝の気持ちでいっぱいになる。
塩見岳から眺める富士山は格別なものがあります。
>  今日も、申し分のないお天気。
> 行きは、薄灰色の雲の中にお隠れになっていた南アルプスの峰々がわたしたちを見送ってくれる。
> ここが最後かな。こころの中で塩見岳にありがとうございました、と手を合わせる。
> 下るにつれ、頭も軽くなっていった。5/10地点で、ビスケットをかじられるように。
とにかく、体力が回復して良かったですね。


                              宮指路
Kasaya
記事: 925
登録日時: 2011年2月20日(日) 14:34

Re: 【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

投稿記事 by Kasaya »

satoさん こんばんは
ご無沙汰しています。
三伏峠から塩見岳のタイトルだけ見て、懐かしいなあと思い読み進んでしまいました。
でも厳冬期ですね。
ヤブコギネットでは厳冬期の3千m峰のレポはあまり上がらないのでちょっと惹かれます。
同じコースで行ったのは秋だったので全然違うのですが。鳥倉の林道は長いですよね。あそこは冬場は閉鎖している
だろうと思ってましたが9キロ歩けばつくわけですね。とはいえ雪道で9キロはかなりあるけど。それも冬山装備。
重そう。

マイナス19度の世界は自分は経験したことがありません。冷え性で低山でも寒いときは死ぬほど手指が痛く
なり、動かなくなることもあるので、とてもマイナス19度の世界は行けないなあと思っています。
ただ怖いもの見たさでちょっと質問です。
テントは通常のテントのようで外張りはなさそうですが、これでいけるものなのですか。内張りとかつけるのでしょうか。
シュラフはやっぱり相当暖かいものを使用ですか。
冬山でのテント泊は低山のみの経験しかないですが、それでも寒い記憶ばかりが残ってます。

恒例の塩見岳登山ということで夫婦での山行は素晴らしいですね。私の妻は昔は一緒に行ってくれたこともあるのですが
今は誘ってもちっとも乗ってきてくれません。二人の淡々とした会話の中でもお互いへの信頼や労りが感じられてとても
いいです。もう60だという旦那さんのようですがまた来年も行くのでしょうか。

山はそれぞれ。またたくさんのレポを上げてください。
たまにはレスをしますので。

Kasaya
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

投稿記事 by sato »

バーチャリさま

こんばんは。
昨日の朝、我が家の周りは薄っすら雪化粧していました。
5センチぐらい積もっていましたが、夕方にはほとんど溶けてしまいました。
昨日と今日の午後、仕事で湖西バイパスを走り、堅田に行ったのですが、志賀のあたりが一番積もっていました。
お山は、昨日は雪の花が満開、今日は霧氷。わぁ、と目を見張りながら運転していました。

鳥倉林道の冬季ゲートは標高約1440m。伊吹山よりちょこっと高いですね。出発地点から寒いわけですよね。
林道の積雪は10~15センチぐらいでした。車の中にみかんを置いておいたのですが、
戻ってきたら、冷凍みかんになっていました。冷凍みかんを食べたのは、小学校の給食以来でした。
2リットルの水もカチンコチン。完全に溶けるのに2日かかりました。

鳥倉林道は、マイカーは、冬季以外でも登山口までは入れないですね。
雪の山では林道を歩いてから尾根に取りつくことが多いので、林道歩きはそれほど苦には思わないです。
でも、畑薙ダムから椹島は長いなぁと思ってしまいます。赤石岳に憧れていたのですが、躊躇っているうちに遠いお山に。

以前は塩川からの伊奈街道が主要な登山道でしたね。鳥倉林道が出来てから、こちらが主要になったそうです。
大鹿村から塩川登山口へは、道路が崩落していて通行止めとのことです。
宮指路さんが書かれていますが、伊奈街道は、15万人もの人が動員され、12年の歳月を費やし作られた道なのですね。
こうして埋もれていってしまうとは、なんとも言えない気持ちになります。

20代のころ、重荷を背負いアルプスを歩いていたら、すれ違うおじさま方から
「荷物が歩いているみたい。若くていいねぇ。私も30代、40代までは、頑張っていたのだけど」と何度か声をかけられました。
「そうかぁ。テント泊出来るのは40歳くらいまでなのかぁ」と思っていましたが、まだ、頑張っています(笑)
装備の進歩のおかげですね。

そう、夫は、グダグダ言っても、歩くのが速いのです。
一緒に出かけても、待ち合わせ場所を決めて別行動という場合もあります。その方がお互い気が楽なので。

見晴らしのよい場所でテント泊って素敵だなぁ、と思うのですが、風が怖いので出来ません。
それに、テントに入ってしまったら、寒くて外に出ようという気も起らなくなります。
30代初めまで、日本アルプスの高さで高度障害を感じたことはなかったのですが、
30代半ばに結核を患って以来(因果関係はないのでしょうが)高度障害が出るようになりました。
最初に、こめかみがキリキリしますので、その時、ロキソニンを飲めばひどくならなくて済みます。
頭が痛くなると、匂いのあるものを受け付けなくなります。これくらいだと歩ける、というのは、経験上だいたい分かります。

南アルプスは、そう、富士山がどかんと見えるのがうれしいです。
どの山から眺めても、富士山は、ほんとうにうつくしいですね。
バーチャリさんも、本谷山から、富士山とご来光を味わわれたのですね。

お互い休みが合わず、一緒に歩くことが少なくなったのですが、12月になると、お正月は、どこに行こうかと話題に上がります。
南アルプスは、富士山がどかんと見えますし、北、中央アルプスより、お天気の安定度も高いので、計画しやすいです。
でも、思い描いた様にいかないことも多々。昨年は、笊ケ岳に向かったものの、山頂にたどり着くことが出来ませんでした。
今年は、お互いの都合が合う日が、1月3日から7日。お山の神様が微笑んでくださいました。

私は心配性なので、予備の品が多くなり、荷物も重くなってしまいます。食糧は軽量化に努めているのですが。
今回、食糧は半分持ち帰りました。そう、ゴミって結構かさばりますよね。

昨年は、不定愁訴やからだの節々の痛みが続き、アルプスは無理かなぁ、と思っていました。
夫の「大丈夫だよ」という言葉に元気が出ました。感謝感謝です。
生きている限り、これからも、いろいろなことが身に起きる。
お山に出かけられるのは、思い出を共有出来るのは、しあわせなことなのだなぁ、とあらためて感じた山旅でした。

バーチャリさん、コメントありがとうございました。

sato
最後に編集したユーザー sato [ 2023年2月19日(日) 17:06 ], 累計 1 回
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

投稿記事 by sato »

宮指路さま

こんにちは。
今日は、あたたかな雨の一日ですね。あぁ、お山の雪が融けていく・・と気になってしまいます。
レポでもない日記を、味わってくださり、コメントまで書いてくださり、ありがとうございます。

宮指路さんは、2011年の秋に塩見岳に登られたのですね。秋の塩見岳もうつくしいのでしょうね。
あの、くねくねの鳥倉林道を夜に走られたのですか!怖ろしい・・・。
ほんとうに、崖に転落しそうな道です。でも、お休みが土日だけだと夜の運転になってしまいますね。
私たちは、あの林道を夜走るのは自殺行為と思い、3日の午後に家を出て(2日まで夫は仕事、私は実家に帰っていました)
飯田の少し先の豊丘村の道の駅で車中泊し、明るくなってから大鹿村に入りました。

雪山テント泊の装備はやっぱり重いですね。
でも、装備の進歩のおかげで、体力が落ちた、足腰が痛いと言いながらも、今年も歩くことが出来ました。
私が学生の頃の時代、一般的に使われていた装備でしたら、もう登れないのでは。

頑固な腰痛は、実は、一昨年の3月、車の自損事故を起こした時に因るものです。
真名川ダムから荒島岳に向かおうと、真っ暗な中、車を運転し、ダムに着いた時、
縁石に思いきり乗り上げてしまい、その衝撃で、溝に落ちてしまいました。一瞬の出来事で、何が起こったのか理解出来ず、
外に出た時、そこが溝だと分からず、私も溝に落ちてしまい腰を痛めました。
レッカー車が来るまで、4時間半、ひとりで震えて待っていました。話が戻りますが、それ以来、夜の山道の運転は恐怖になっています。

手が冷えるのは、マムシに因るものではないです(笑)。子供のころから冷え性です。
12年前、右手が冷えから関節炎になってしまい、今も、冷えきると人差し指が腫れてしまうので気を付けています。

グループ登山は、一緒に歩くのが原則ですが、夫と私は、お互い自分のペースになってしまいます。
ちょっと心配になると、私のペースに合わせてくれます。二日目は一緒に歩いていました。

明治の時代、物資の往来や身延山詣を目的として開通したものの、数年で荒廃してしまった伊奈街道。
街道の下は、今、リニア中央新幹線の南アルプストンネルが作られているのですね。
帰り、松川インターまで、小渋川沿いの道を通ったのですが、
何十台もの「リニア中央新幹線」のプレートをつけたダンプカーとすれ違い、やるせない気持ちに。

年末年始のこの時期にアルプスに分け入ると、普段お会いできない方がたから、
冬山登山のお話をお聞き出来たりして刺激になります。

そう、夫は、お山では、いつも働き者です(笑)。
テント内に雪を入れるな、といいますが、あまり気にしていません。ちいさい箒と塵取りセットは用意していますが。
テント内も寒く、雪が融けてびしゃびしゃになることはありませんので。

ご来光は、どこから拝んでもありがたい気持ちになりますが、自分の足で登った高山からのご来光は格別ですね。
宮指路さんの、息子さんとの富士山ご来光登山の想い出、素敵ですね。いいお話だなぁ、としんみり。
この日記を投稿した甲斐がありました。

人間のからだって不思議ですよね。いざ、という時には、力が出る。
お山の鼓動と自分の鼓動が合わさるような感じがした時も、そう、ふっと楽になります。
そういう時「お山に呼ばれている」というのでしょうね。
宮指路さんも、白銀の御池岳の女神さまに呼ばれたのですね。

膝まで潜る新雪でしたら、一日で三伏峠小屋から山頂の往復は出来ませんでした。
気象条件にも恵まれました。高度障害が出た私に、ひょうひょうと接してくれる夫にも救われました。
ほんとうにすべてのものに感謝の気持ちでいっぱいの山旅でした。

sato
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【南アルプス】「塩見岳山旅日記」~夫とわたしの年末年始の年中行事 アルプス富士山を拝む旅~

投稿記事 by sato »

kasayaさま

こんばんは。こちらこそご無沙汰しております。長々とした日記を読んでくださり、ありがとうございます。
足の具合はいかがでしょうか。私は、思うように歩けない時、気持ちが沈んでいる時、楽しい山の話は、辛かったりします。
kasayaさんのやさしいお言葉、胸に響きました。

大学時代ワンゲル部に所属されていたkasayaさん(副館長さんと同窓生でしたね)。
大きなキスリングを背負い、アルプスの峰々を縦走されていたのですね。
私の学生時代は、アタックザックに代わっていましたが、ワンゲルの山行ではキスリングを背負っていました。
最後のキスリング世代です。ストーブもホワイトガソリンストーブ。(個人ではEPIガスストーブ)
雪山でなくても重荷でしたね。

真冬のアルプスは寒さが心配ですよね。
手袋は、ノースフェイスの肘下までの長さのものをはめています。夫はブラックダイヤモンドの商品。
予備にアウトドアリサーチとマウンテンハードウエアの手袋をザックに入れています。
冷え性で、しもやけ、関節炎にもなりましたので(右手がグローブのように腫れあがりました)
冷えが心配で、いろいろなメーカーの保温性と機能性が高いといわれる手袋を買いそろえています。
それぞれ2万円ぐらいで、買う時は勇気が要りましたが。

シュラフは、モンベルの#0のダウンシュラフを使っています。
寝る時は、メリノウールの下着、薄いフリースのセーター、フリースのジャケット、ダウンベスト、
ダウンパーカーの5枚重ねの状態で、腰にカイロを張っています。
それでも、年末年始の時期は寒いですね。3月になると楽になります。

テントの外張りですが、縦走の時は必要かと思いますが、天気予報を確認して、大雪の恐れはなく、
安定している日に、途中の樹林帯で泊まって山頂往復の場合、フライシートでも大丈夫だと判断しています。

週末がほぼ仕事の夫とは、休みの日が合わず(平日も、まとまった休みがあると、お泊りで出かけてしまいます)
プライベートで、一緒に山に登ることは、ここ数年、年に数回なのですが、
年末年始のアルプス雪山旅を、今年も楽しむことが出来ました。
雪の塩見岳は、私は初めてでした。
夫は、7年?前の冬に、ひとりで登っていて、今度は一緒に登りたいと言ってくれました。

年中行事と書いてしまいましたが、来年のことを言えば鬼に笑われますね。
今年、一緒にアルプスに登ることが出来たしあわせのひと言につきます。
私の怪我で登れなかった年もありましたし。
アルプスは厳しくなっても、お山はたくさんありますね。
一緒にお山に出かけられますように、どこかに出かけられますように、と願うばかりです。

kasayaさんも奥様と山を楽しんでいらっしゃったのですね。
また、おふたりで登る日が来るかもしれませんよ。
日本の風土は素晴らしいなぁ、味わい深いなぁ、としみじみ感じます。
栃木県も、面白そうなお山がたくさんあり、歩いてみたくなります。
日光は母のお気に入りの山域です。
父のお墓には、母が描いた、江戸川から望んだ日光連山が彫られているくらい。父は登っていないのですが(笑)。
日光白根から錫ケ岳の白錫尾根を歩いた日のことは、忘れられない思い出になっているそうです。
今は、太平山がホームグランドです。鳴虫山の話もよく聞きます。
東武線に乗って、栃木のお山に毎月出かけています。

それぞれの人に、それぞれのお山がある。いろいろなお山を、いろいろなスタイルで楽しんでいる。
山の楽しみは無限大ですね。
「歩けない。嫌になっちゃう」と言いながら、それでも楽し気に出かけていく、82歳の母を見ていると、
こころの底から感じます。母も、二度の大怪我や椎間板ヘルニアなどで歩けなかった時期もありました。
すみません。話が逸れていってしまいました。
kasayaさんがコメントしてくださったおかげで、母と、母の山を思うことが出来ました。

kasayaさんの足が一日も早く回復されますようお祈り申し上げます。
栃木の山のお話をお聞きする日を楽しみにしております。

sato
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