【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2023年1月21日(土)
【山 域】東紀州
【コース】須賀利中8:15---10:15江戸鼻---12:15日和山---13:25寺倉峠---14:30須賀利中
【メンバー】単独

 草川さんの「海をながめる山歩き」を読んで気になっていた須賀利に出かけた。年末にロケ地巡りで来ている。中学校の跡地に駐車し、車道沿いの小さな谷から登山道に入る。植林の稜線を越え下りにかかった所に石積の祠の跡がある。ここまでが、元須賀利の領域だったのだろう。太い木はすべて幹が上がったところから子に分かれるアガリコになっており、炭焼きに使われていたようだ。


元須賀利
元須賀利

 須賀利小池に降り立ち浜から小尾根を乗越すと須賀利大池が見えてきた。すぐに社護神社で、石垣と祠が残っている。このあたりが江戸時代に廃村となった元須賀利のあった場所だ。そのまま池の北側の道を進むと池の東端にきれいな炭焼窯があった。かんちょう型をした窯で台高で見かける形だ、ウバメガシが多い場所だから備長炭を作っていたのかもしれない。大池の先のコルからは熊野灘が大きく開け、沖合の岩礁で釣りをしている人が見える。

かんちょう型炭焼窯
かんちょう型炭焼窯

 江戸鼻に御挨拶をして池の南側の道を進む。こちらの方が石積みも残り歩きやすい。椿の花が見ごろで美しく、赤い実をつけた万両も多い。神社から来た道を戻る。分岐から稜線を進み日和山に着くと四角く石で囲まれた狼煙台がある。須賀利の老人に聞いたところ、幕末に外国船を見張ったようで、島勝にもあると教えてくれた。須賀利の12時の時報「尾鷲節」のメロディがまじかに聞こえる。kitayamawalkeさんの標識に別れを告げ、下山路を思案する。東紀州の山だけに植林地もシダにおおわれている所が多く、へたをするとシダのヤブコギになりかねない。P240から北西に降りる尾根に踏み跡があるのでここを下る。テープもあり杣道として使われているようだ。末端で右の谷に下り、シダコギをすることなく網小屋の前に軟着陸できた。

江戸鼻
江戸鼻

 須賀利の普済寺方面に向かう。本堂はマグロ・カツオ漁で港が賑わっていた文久元年(1861)に再建されたもので、大工の棟梁は名古屋の竹中和泉(竹中工務店の祖)が請け負ったそうだ。寺にはマグロ供養塔が残っている。ここから寺倉峠へ向けて道が続いている。津波の避難路に沿っていくと自然とつながった。立派な石積みの九十九折の道が続いている。ただ、まったく使われていないようで、道には倒木が放置されシダが生えている。登り口には不動明王を祀った小屋がある。シダコギをしながら峠が近づくとプラスチックで作られた鳥居と神社の小屋があるが、中は見えない。

寺倉峠道
寺倉峠道

 寺倉峠は掘割になっていて。寺倉側は植林だった。道は続いているが植林道のピストをする気になれず引き返す。木の間から引本の町が見えた。須賀利の老人によると須賀利から寺倉峠を越え寺倉、目と鼻の先の引本までは櫓をこいで生活物資を
調達するのが昔のルートで、子供のころはこの道でよく遊んだと言っていた。遅めの昼食を取りロケ地巡りに向かう。

 中上健次の代表作「千年の愉楽」の映画はほとんどのシーンを須賀利で撮っている。普済寺では路地唯一の産婆オリュウノオバ(寺島しのぶ)が赤ん坊をとり上げるシーン、寺に通じる長い階段は高岡蒼佑が他人妻を口説くシーンで使われた。

須賀利
須賀利

 路地をつなぎ須賀利婦人会「おんばの会」の家に向かう。オリュウノオバが住んでいた設定で使われ。縁側からは母の子宮のように集落を包み込む須賀利湾が目の前に映る。少し登った水場では、路地の女たちがよもやま話をするシーン、高良健吾が刺され亡くなるシーンに使われた。須賀利の老人によると水道が引かれるまでは、この水を飲み水として使っていたそうだ。

 高宮神社の雑木林は染谷将太とオリュウノオバが契りを結ぶシーンに使われた。ここで須賀利の老人に会いいろんな話を聞いた。ロケ現場の本部に使われた銭湯の二階や昼食場所として使われた公民館の話など、昨日のことのように話してくれる。ここにはロケ地巡りの看板などないが、皆親切に教えてくれる。なんとはなしに満ち足りた気持ちで帰路についた。

 

 
シュークリーム
記事: 2060
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

投稿記事 by シュークリーム »

わりばしさん,ご無沙汰しています。

 草川さんの「海をながめる山歩き」を読んで気になっていた須賀利に出かけた。

南伊勢や尾鷲付近の山については自分の方が草川さんよりも詳しいだろうと思って本は買わずに置いたのですが,須賀利大池は行ったことがありません。ヤマップで検索してみると結構な数がヒットしてくるので,人気のコースのようですね。今度わりばしさんの後追いをしてみようかと思っています。

 中上健次の代表作「千年の愉楽」の映画はほとんどのシーンを須賀利で撮っている。普済寺では路地唯一の産婆オリュウノオバ(寺島しのぶ)が赤ん坊をとり上げるシーン、寺に通じる長い階段は高岡蒼佑が他人妻を口説くシーンで使われた。

「千年の愉楽」は今日ユーチューブのレンタルで観ました。本もアマゾンで古本を注文しました。本来は小説を先に読んだ方がいいと思いましたが,本が届くまでのタイムラグがあるので,映画の方が先になりました。面白かったです。
ロケ地巡りも後追いしてみます。

中上健次の小説は,去年,「岬」,「枯木灘」,「鳳仙花」,「地の果て 至上のとき」を読み返しました。やっぱり「岬」と「枯木灘」がダントツで面白いですね。「地の果て 至上のとき」は浜村龍造が急に善人になってしまって,イマイチ面白みが薄れました。「岬」や「枯木灘」での浜村龍造は正体不明の巨悪というイメージで,これが作品全体を盛り上げる大きな要因になっていました。筋立ても秋幸が腹違いの弟を殺すまでの流れが緊張感を途切れずに続いていて,退屈せずに読めました。
「千年の愉楽」の小説の方も期待しています。
ではでは・・・・

 
 
                         @シュークリーム@
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、シュークリームさん。

 草川さんの「海をながめる山歩き」を読んで気になっていた須賀利に出かけた。

南伊勢や尾鷲付近の山については自分の方が草川さんよりも詳しいだろうと思って本は買わずに置いたのですが,須賀利大池は行ったことがありません。ヤマップで検索してみると結構な数がヒットしてくるので,人気のコースのようですね。今度わりばしさんの後追いをしてみようかと思っています。

須賀利大池・小池が天然記念物指定になったのも大きいようです。
とはいうものの2度須賀利に行きましたが
釣り人には会いますが、だれも歩いていませんね。
静かな山旅ができますよ。


須賀利大池
須賀利大池

 中上健次の代表作「千年の愉楽」の映画はほとんどのシーンを須賀利で撮っている。普済寺では路地唯一の産婆オリュウノオバ(寺島しのぶ)が赤ん坊をとり上げるシーン、寺に通じる長い階段は高岡蒼佑が他人妻を口説くシーンで使われた。

「千年の愉楽」は今日ユーチューブのレンタルで観ました。本もアマゾンで古本を注文しました。本来は小説を先に読んだ方がいいと思いましたが,本が届くまでのタイムラグがあるので,映画の方が先になりました。面白かったです。
ロケ地巡りも後追いしてみます。
中上健次の小説は,去年,「岬」,「枯木灘」,「鳳仙花」,「地の果て 至上のとき」を読み返しました。やっぱり「岬」と「枯木灘」がダントツで面白いですね。「地の果て 至上のとき」は浜村龍造が急に善人になってしまって,イマイチ面白みが薄れました。「岬」や「枯木灘」での浜村龍造は正体不明の巨悪というイメージで,これが作品全体を盛り上げる大きな要因になっていました。筋立ても秋幸が腹違いの弟を殺すまでの流れが緊張感を途切れずに続いていて,退屈せずに読めました。
「千年の愉楽」の小説の方も期待しています。
ではでは・・・・


「鳳仙花」で木馬引きの話が出てきたりと自分にとって身近な感じがします。

須賀利婦人会「おんばの会」の家と水場は高宮神社の社殿の近くです。
オリュウノオバの家から見る須賀利は秀逸です。
若松監督が一目見てロケ地を決めたインパクトがあります。
ちなみに高岡蒼佑が鵜殿の家に盗みに入って一晩かくれていた浜は奥の港です。

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seiichi
記事: 182
登録日時: 2022年9月14日(水) 21:12
お住まい: 津市高茶屋

Re: 【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

投稿記事 by seiichi »

わりばしさん、こんにちわ。

興味ある記事を読ませていただきました。
須賀利は、紀北町の引本浦と接する尾鷲市の飛び地で、
「にほんの里100選」ということで前々から興味ありました。
冬の間に台高の山登りの間隙を縫ってぜひ訪れたいと考えています。
熊野・尾鷲の森林鉄道跡地や大台ケ原の大蛇嵓の下の隧道跡地も行ってみたいと思っています。

seiichi
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

投稿記事 by sato »

わりばしさま

こんにちは。
水曜日は、わりばしさんがお住まいの津市でも、雪が積もったのですね。
こちらは、20センチぐらい積もりました。仕事で堅田まで出かけたのですが、高島より小松、比良の方が積雪量が多かったです。
昨日は素晴らしいお天気でしたね。今日は、また、冷たい雨と小雪が続きましたが、夕方晴れてきました。
雪は結構融けて今、10センチちょっとくらいでしょうか。

先週末は、須賀利の山と町を楽しんでいらっしゃったのですね。
一昨年、草川啓三さんの日和山須賀利大池山旅にご一緒させていただき、その時、出会った風景の数々が甦り、
感慨に浸りながら読ませていただきました。

わりばしさんは、最初に須賀利大池を訪れたのですね。植林の稜線の下りで見られる石積みは、祠の跡なのですね。
何の跡なのかなぁ、と思っていました。
須賀利大池に着き、立派な石積みと鳥居を目にして、びっくりしました。近くには、炭焼き窯跡まで。
ここに人が暮らしていたのか?思いもがけない風景との出会いでした。
そう、ここは元須賀利と呼ばれ、江戸時代まで人の営みがあったのですね。
伊勢神宮の領地で、神宮に奉納する塩の製造も行われていたことも、後で調べて知りました。
海水を煮詰める時に使った釜の破片が見つかっているそうです。一部にはモミの跡がついていて、
大池のまわりでは稲作も行われていたのではないか、とも。何にも知らずに訪れたので、高揚感ひとしおでした。

江戸鼻北側のコルからの海の眺めは、息を呑む凄まじさでした。対照的に大池はやわらかなしんとした静けさ。
自然が織りなす造形に圧倒されました。
日和山は、幕末、外国船を見張る山でもあったのですね。

私にとって、日和山須賀利大池の山旅は、初めての尾鷲の山旅で、驚きと発見の連続で興奮状態でした。
あるくみるきくことの広さ深さ、そして楽しさを、からだいっぱい感じた山旅でした。
帰りに立ち寄った、紀北パーキングエリアのお土産物屋さんも、紀ノ国の名産がいろいろ並んでいて、
見ているだけで楽しかったです。かつおの生節を買いました。

わりばしさんは、須賀利の町と寺倉峠も訪れたのですね。次は、須賀利の町と日和山の南を歩きたいなぁ、と思っていました。
須賀利の人たちは、寺倉峠を越えた先の海岸から櫓を漕いで引本に行き、生活物資を調達していたのですね。
地元の方の生きた言葉は、重みを感じますね。
私たちは、今の暮らしが当たり前のように思ってというより、そんなことさえも思わず、
日々を送っていますが、今ある暮らしは、おおきな、ちいさな歴史の積み重ねの上にあるのですね。

わりばしさんは、お山もお好きですが、読書や音楽鑑賞もお好きですよね。
中上健次の本も、いろいろ読んでいらっしゃるのでしょうか。
私は、中上健次の作品を初めて読んだのは、高校生の時で、芥川賞受賞作の『岬』でした。
なんかどろどろして怖い、という印象だったと思います。
中上健次に興味を持ったのは、中上紀の作品を読んでからです。といっても、数冊しか読んでいませんが。
『千年の愉楽』は、映画化され、須賀利が路地の舞台に選ばれたのですね。
「オリュウノオバが住んでいた家」からは「母の子宮のように集落を包みこむ須賀利湾が目の前に映る」のですね。
ほんとだ。写真を見て感じました。
中上健次が描いた「路地」を感じたくなりました。今、読んだら、どんな思いが湧き上がるのでしょう。
読みたい本が、たくさんあって困ってしまいます。

日曜日、お会い出来たらいいですね。
お天気、好転しますように。

sato
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、seiichiさん。

興味ある記事を読ませていただきました。
須賀利は、紀北町の引本浦と接する尾鷲市の飛び地で、
「にほんの里100選」ということで前々から興味ありました。

寺倉から引本は目と鼻の先の距離で渡しがあったようです。
引本には遊郭があり不夜城をめざして夜な夜な繰り出した男たちもいたことでしょう。
現在でも遊郭だった木造三階建の建物が残っています。


P1210021.JPG

冬の間に台高の山登りの間隙を縫ってぜひ訪れたいと考えています。
熊野・尾鷲の森林鉄道跡地や大台ケ原の大蛇嵓の下の隧道跡地も行ってみたいと思っています。

是非行ってみてください。
ヤブにはマニアックなお宝がたくさん眠っていますので
掘り起こしてくださいな。

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【東紀州】須賀利をめぐる 須賀利大池・日和山・寺倉峠

投稿記事 by わりばし »

こんにちは、satoさん。

水曜日は、わりばしさんがお住まいの津市でも、雪が積もったのですね。
こちらは、20センチぐらい積もりました。仕事で堅田まで出かけたのですが、高島より小松、比良の方が積雪量が多かったです。
昨日は素晴らしいお天気でしたね。今日は、また、冷たい雨と小雪が続きましたが、夕方晴れてきました。
雪は結構融けて今、10センチちょっとくらいでしょうか。

珍しく津でも10センチ以上の積雪があり大混乱です。
四日市だとスタッドレスの人も多いのですが雪がめったに積もらない津はノーマルの人がほとんどです。


須賀利大池に着き、立派な石積みと鳥居を目にして、びっくりしました。近くには、炭焼き窯跡まで。
ここに人が暮らしていたのか?思いもがけない風景との出会いでした。
そう、ここは元須賀利と呼ばれ、江戸時代まで人の営みがあったのですね。
伊勢神宮の領地で、神宮に奉納する塩の製造も行われていたことも、後で調べて知りました。
海水を煮詰める時に使った釜の破片が見つかっているそうです。一部にはモミの跡がついていて、
大池のまわりでは稲作も行われていたのではないか、とも。何にも知らずに訪れたので、高揚感ひとしおでした。

このあたりは「釜」のつく地名が多く、製塩をしていたようです。
私の住んでいる「雲出」というのも製塩の煙を雲になぞらえてつけられています。


P1210029.JPG

江戸鼻北側のコルからの海の眺めは、息を呑む凄まじさでした。対照的に大池はやわらかなしんとした静けさ。
自然が織りなす造形に圧倒されました。
日和山は、幕末、外国船を見張る山でもあったのですね。

このあたり名のある岬には狼煙場がいくつもあります。
太平洋の外海って感じです。
九鬼の遠見番所が一番規模が大きいと思います。


P1210027.JPG

私にとって、日和山須賀利大池の山旅は、初めての尾鷲の山旅で、驚きと発見の連続で興奮状態でした。
あるくみるきくことの広さ深さ、そして楽しさを、からだいっぱい感じた山旅でした。
帰りに立ち寄った、紀北パーキングエリアのお土産物屋さんも、紀ノ国の名産がいろいろ並んでいて、
見ているだけで楽しかったです。かつおの生節を買いました。

さんま寿司にめはり寿司に高価なからすみ
温かくわさびが採れないので、尾鷲では代わりに虎の尾という唐辛子を刺身にそえて食べていました。
虎の尾を醤油につけた虎の尾醤油がお気に入りです。


わりばしさんは、須賀利の町と寺倉峠も訪れたのですね。次は、須賀利の町と日和山の南を歩きたいなぁ、と思っていました。
須賀利の人たちは、寺倉峠を越えた先の海岸から櫓を漕いで引本に行き、生活物資を調達していたのですね。
地元の方の生きた言葉は、重みを感じますね。
私たちは、今の暮らしが当たり前のように思ってというより、そんなことさえも思わず、
日々を送っていますが、今ある暮らしは、おおきな、ちいさな歴史の積み重ねの上にあるのですね。

須賀利も2000人だった人口が200人になってしまいました。
若者が働ける場がありませんから・・


わりばしさんは、お山もお好きですが、読書や音楽鑑賞もお好きですよね。
中上健次の本も、いろいろ読んでいらっしゃるのでしょうか。
私は、中上健次の作品を初めて読んだのは、高校生の時で、芥川賞受賞作の『岬』でした。
なんかどろどろして怖い、という印象だったと思います。
中上健次に興味を持ったのは、中上紀の作品を読んでからです。といっても、数冊しか読んでいませんが。
『千年の愉楽』は、映画化され、須賀利が路地の舞台に選ばれたのですね。
「オリュウノオバが住んでいた家」からは「母の子宮のように集落を包みこむ須賀利湾が目の前に映る」のですね。
ほんとだ。写真を見て感じました。
中上健次が描いた「路地」を感じたくなりました。今、読んだら、どんな思いが湧き上がるのでしょう。
読みたい本が、たくさんあって困ってしまいます。

紀さんの作品は読んでないなあ。
中上健次は、だいたい読んでいると思います。
熊野サーガの世界も好きですが
木馬道が走る台高や熊野の山を歩くと中上の作品が身近なもののように感じます。

P1210054.JPG

日曜日、お会い出来たらいいですね。
お天気、好転しますように。

会えそうですね。
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