【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」
Posted: 2023年1月18日(水) 23:40
【日 付】 2022年12月29日(木)
【山 域】 湖西
【天 候】 晴れのち曇り時々雪舞う、最後に大粒の雨
【コース】 マキノ石庭貯水タンク下~・749~大谷山~白石平~・704~△680・3原山~原山峠~辻集落~P
時計を見ると9時過ぎ。
見上げた空は青く澄み渡り、目の前のふわりと雪を纏った山は、降り注ぐ太陽の光で、やわらかに輝いていた。
明日、実家に帰る前の最後のお山は、やっぱりここだったのだと思う。
前日、大谷山と奥美濃の山、どちらに行こうかと迷っていた。起床して、天気予報を見ると、揖斐川町の方がよさそう。
よし奥美濃だ、と車を走らせた。ところが県境の八草トンネル手前から雨に。
坂内の道の駅に駐車して、朝ごはんを食べながら様子を見るが止む気配がない。スマホを開き雨雲レーダーを確認すると、
目指す山の周りは、一時間後ぐらいに一旦消えるが、またすぐ次の雨雲に覆われてしまう。
えっ?と動揺が走ったが、大谷山周辺を見てみると大丈夫のよう。ぱっと頭を切り替えマキノまで戻ったのだった。
登るのは、・749から東、南東に延びる尾根。ちょっと急だけど道跡に出会えるかもしれない。
スノーシューをリュックに括り付け、うっすらと雪の積もった林道を進み、
谷を越えたところから植林の斜面に取りついて適当に登っていく。尾根の形が出た辺りで雑木林となり道が現れた。
塞ぐように飛び出したソヨゴの青あおとした葉が、この道の光と陰を物語る。
振り返ると、穏やかに光るうみが目に飛び込んだ。この山と共に生きた人々の確かな痕跡と、
むかしむかしから変わらぬ母なるうみの輝きを見て、トクンと胸が鳴る。
やっぱり大谷山だったのだ、とあらためて思う。
1か月半前のヤンゲン谷沢山旅以来、
谷を遡り、若狭と近江の国境の稜線に立った時、目に映った、うみと里と山が織りなすしみじみとした光景が、
大谷山寒風と進み、割谷の頭からトチノキ谷の源流へと向かう時に出会った見事な堀割の道の佇まいが、
そして、その日の夜に見た父との散歩の夢が、わたしの中で静かに光を放ち続けていた。
その光に導かれるように、2週間後にまた大谷山寒風を訪れていた。
今度は近江側のマキノ辻集落から。△680・3原山南の鞍部原山峠を越えて、
辻、森西集落と、百瀬川上流の川原谷源流域に存在した水無という集落とを繋いだ道の跡を、寄り道をしながら辿っていき、
川原谷出合の少し手前から、上半分しか歩いたことがなかったイモジャ谷と川原谷の間の尾根を、国境の稜線に向かい登っていった。
寒風からは、あのうつくしい堀割の道を確かめに、石庭嶽先の標高750m地点まで往復し、
同じくうつくしい堀割の道が残る寒風登山道を下り、大谷川に降り立ち石庭集落に出た。
歩きながら、山中に網の目のように張り巡らされている道が、木立の中の光と陰が、わたしの意識、無意識に呼びかけてくるのを感じた。
こころの中に仕舞われていた旅で出会った風景や、本で知った山人の暮らしの風景が、ふっと浮かび上がっては、
目の前の折り重なる風景の中にさらに重なっていくのを感じた。
その後も、光は放たれていた。そして、その光は、ゆらゆらと揺れ、輪郭をなくしていき、
ひとつの灯になっていくような、そんな感じがしていた。
少し辿ると道は埋もれてしまい、ゴロンゴロンと石の出た急斜面になった。中途半端な積雪で、ズルズルと滑る。
木の幹を掴みながら、よいしょと登っていくと、標高550メートルくらい、尾根が広くなった辺りから急に雪が増えた。
わぁ、銀世界に入った、とドキドキしたその時、青空が消えてしまっているのに気が付いた。
今にも泣きだしそうな重い色の空。ええっ?大谷山もダメなのか。
雪ならいいけれど雨は嫌だなぁ。立ち止まり、暫しの間、空を見上げていたが、この尾根を味わいたい。
登山道とぶつかる・749まで行ってから決めようと、パーカーを羽織り、スノーシューを履き、
ひょろひょろとした木々の間を縫いながら歩みを進める。
ばらっと雪が舞い始めた。とうとう雪降りか。ザックカバーをつける。暫くすると、ぱぁっと雲が流れていき青空が広がっていった。
よかった、と思っていると、またどんより雲に覆われてしまう。
・749に着いた時には、曇天雪降りのお山もまたよろし。このお天気ならではの趣きを味わおう。国境稜線、山頂まで行こう。
という気持ちになっていた。
踏み跡のないツルリとした雪面に、脛まで潜りながら足跡を刻んでいく。
辿り着いた山頂は、すべてを突き放し、一方で、すべてを包容するような不思議な空気に満ちていた。
薄霧がかかった鉛色の空の下に浮かぶ、ギザギザとススキの茎の出た雪の稜線は、寂寞とし、ぶるっと身震いする冷たさで、
でもその中に、何とも言えない、包み込まれるようなぬくもりを感じた。
黄褐色のススキの色に目が吸い込まれていきそうになりながら、稜線を南へと進む。
どこかから吹いてきた風が、ごうごう、と低く重く耳元で鳴り響く。粒つぶの冷たく痛い雪が頬に当たる。
風が、雪が、過ぎし日のお山と人との物語の欠片を運んでくる。
わたしは、今、馬も通ったという山上の道、古代から近江と若狭を繋いできた長いながい歴史の道を歩いているのだ。
頬の上で融けた雪を、手袋をはめた手で拭いながら、予期せぬ風雪に出遭い、寒さに震え歩いた人の頬の痛みは、
どれほどだったのだろう、胸に去来した思いはどんなものだったのだろう、と考えてしまう。
防寒防風の装備を身に着け、遊びで歩いているわたしには計り知れない。
風の中でしんと佇むヤンゲン谷の源頭を覗き、この下で、今日もさらさらと、どこかに暮らす誰かの元へと流れていく水を想い、
灌木の間を通り抜けていくと、ちょこっと若狭側に入った白石平に出た。
風をよけ、近江側に一段下がり、灌木の間に腰を下ろしてお昼ご飯にする。
鈍色の雲間から差し込んだ薄絹のような光で、黄みを帯びた鉛白色に淡く煌めくうみを眺めながら、
歩き始めは、青い空と青いうみを期待していたけれど、こころをより震わされる、
いのちの源、意識の源、というものを無意識が感じる、この空とこのうみの色に、わたしは出会いたかったのだなぁ、
と感慨深い気持ちに包まれる。
一旦止んだ雪がまた舞ってきた。さぁ下ろう。石庭から白石平への登山道にも、うつくしい堀割の道が続いている。
この道も寒風、赤坂山への登山道と同じく、マキノと粟柄の集落を繋ぐ道。尾根、谷、山腹に、絶妙な線を描きながら続いている。
ブナ林の小尾根を下っていき、すっぽりと雪で覆われた炭焼き窯跡が眠るイモジャ谷右俣に降り立った。
大谷山のこころ、大谷山と共に生きた人々のこころを感じる地。
道や炭焼き窯は人間の意思で作られたものだけど、自然と調和する中で、このような妙なる風景となるのだと、訪れる度に感動してしまう。
谷を渡り、・749の尾根に乗り、・704からは、登山道を外れ、△680・1原山へと向かっていた。
ふたつの尾根からイモジャ谷に降りて彷徨うことに一時、魅了されていたが、その先の谷が入り組んだ広い尾根は初めてだ。
原山周辺はヤブがうるさいので、雪のない季節、足が向かわなかったのだが、くねくねと曲がっていく尾根には、
山仕事に入った人々の匂いが漂い、ヤブっぽくなっても、枝をどけると通り抜ける空間があり、
すんなりと裸の木々に囲まれた山頂に着いた。
ここからは、原山峠道にぶつかる尾根を下った方が楽だったが、雪の峠を見たくなり、木々の枝をかき分け、鞍部を目指し下っていく。
曇天の雪の積もった峠は、ひっそりさみしさが充満し、ゆっくりするのがためらわれた。
急ぎ足になり谷を下っていった。道は雪で覆われどこなのか分からず、ズボズボと何度も踏み抜いてしまう。
足を引っ張り出す度に、この道を歩いた人びとのご苦労を思いしんみりとなる。谷を離れると雪道は歩きやすくなった。
森西への道を見送り、辻へと向かい、ひと月まえ植林を登ってぶつかった道を下っていき、集落の少し北にぽんと出た。
そうかぁ。前回分からなかった道の始まりを知り、ほくそ笑む。
辻の春日神社から石庭の八幡神社へと、雑木林の中の道を、前回は逆に歩いたなぁ、と思いながら、
どこかからどこかへ行って、また戻ってきたような不思議な気持ちで歩いていると、
ぽつぽつと雨が降り出し、瞬く間に本降りとなり、全身ずぶ濡れとなってしまった。
あぁ、最後の最後に、と思いつつ、この展開を楽しんでいるわたしがいた。雨は嫌だったはずなのに。
冬の冷たい雨に打たれ、わたしのこころは、よりじんわりあたたかな光を感じていた。
頭の中では、今日出会った風景、記憶の風景がクルクルとまわっていた。
わたしは、何故山に惹かれるのだろう。わたしの中の何が山に向かわせるのだろう。
わたしは何を知りたいのだろう。何を感じたいのだろう。
クルクルとまわる風景がひとつに繋がっていき、わたしの中の光と重なるのを感じた。
その光に、わたしの「源流への旅」を感じた。
sato
【山 域】 湖西
【天 候】 晴れのち曇り時々雪舞う、最後に大粒の雨
【コース】 マキノ石庭貯水タンク下~・749~大谷山~白石平~・704~△680・3原山~原山峠~辻集落~P
時計を見ると9時過ぎ。
見上げた空は青く澄み渡り、目の前のふわりと雪を纏った山は、降り注ぐ太陽の光で、やわらかに輝いていた。
明日、実家に帰る前の最後のお山は、やっぱりここだったのだと思う。
前日、大谷山と奥美濃の山、どちらに行こうかと迷っていた。起床して、天気予報を見ると、揖斐川町の方がよさそう。
よし奥美濃だ、と車を走らせた。ところが県境の八草トンネル手前から雨に。
坂内の道の駅に駐車して、朝ごはんを食べながら様子を見るが止む気配がない。スマホを開き雨雲レーダーを確認すると、
目指す山の周りは、一時間後ぐらいに一旦消えるが、またすぐ次の雨雲に覆われてしまう。
えっ?と動揺が走ったが、大谷山周辺を見てみると大丈夫のよう。ぱっと頭を切り替えマキノまで戻ったのだった。
登るのは、・749から東、南東に延びる尾根。ちょっと急だけど道跡に出会えるかもしれない。
スノーシューをリュックに括り付け、うっすらと雪の積もった林道を進み、
谷を越えたところから植林の斜面に取りついて適当に登っていく。尾根の形が出た辺りで雑木林となり道が現れた。
塞ぐように飛び出したソヨゴの青あおとした葉が、この道の光と陰を物語る。
振り返ると、穏やかに光るうみが目に飛び込んだ。この山と共に生きた人々の確かな痕跡と、
むかしむかしから変わらぬ母なるうみの輝きを見て、トクンと胸が鳴る。
やっぱり大谷山だったのだ、とあらためて思う。
1か月半前のヤンゲン谷沢山旅以来、
谷を遡り、若狭と近江の国境の稜線に立った時、目に映った、うみと里と山が織りなすしみじみとした光景が、
大谷山寒風と進み、割谷の頭からトチノキ谷の源流へと向かう時に出会った見事な堀割の道の佇まいが、
そして、その日の夜に見た父との散歩の夢が、わたしの中で静かに光を放ち続けていた。
その光に導かれるように、2週間後にまた大谷山寒風を訪れていた。
今度は近江側のマキノ辻集落から。△680・3原山南の鞍部原山峠を越えて、
辻、森西集落と、百瀬川上流の川原谷源流域に存在した水無という集落とを繋いだ道の跡を、寄り道をしながら辿っていき、
川原谷出合の少し手前から、上半分しか歩いたことがなかったイモジャ谷と川原谷の間の尾根を、国境の稜線に向かい登っていった。
寒風からは、あのうつくしい堀割の道を確かめに、石庭嶽先の標高750m地点まで往復し、
同じくうつくしい堀割の道が残る寒風登山道を下り、大谷川に降り立ち石庭集落に出た。
歩きながら、山中に網の目のように張り巡らされている道が、木立の中の光と陰が、わたしの意識、無意識に呼びかけてくるのを感じた。
こころの中に仕舞われていた旅で出会った風景や、本で知った山人の暮らしの風景が、ふっと浮かび上がっては、
目の前の折り重なる風景の中にさらに重なっていくのを感じた。
その後も、光は放たれていた。そして、その光は、ゆらゆらと揺れ、輪郭をなくしていき、
ひとつの灯になっていくような、そんな感じがしていた。
少し辿ると道は埋もれてしまい、ゴロンゴロンと石の出た急斜面になった。中途半端な積雪で、ズルズルと滑る。
木の幹を掴みながら、よいしょと登っていくと、標高550メートルくらい、尾根が広くなった辺りから急に雪が増えた。
わぁ、銀世界に入った、とドキドキしたその時、青空が消えてしまっているのに気が付いた。
今にも泣きだしそうな重い色の空。ええっ?大谷山もダメなのか。
雪ならいいけれど雨は嫌だなぁ。立ち止まり、暫しの間、空を見上げていたが、この尾根を味わいたい。
登山道とぶつかる・749まで行ってから決めようと、パーカーを羽織り、スノーシューを履き、
ひょろひょろとした木々の間を縫いながら歩みを進める。
ばらっと雪が舞い始めた。とうとう雪降りか。ザックカバーをつける。暫くすると、ぱぁっと雲が流れていき青空が広がっていった。
よかった、と思っていると、またどんより雲に覆われてしまう。
・749に着いた時には、曇天雪降りのお山もまたよろし。このお天気ならではの趣きを味わおう。国境稜線、山頂まで行こう。
という気持ちになっていた。
踏み跡のないツルリとした雪面に、脛まで潜りながら足跡を刻んでいく。
辿り着いた山頂は、すべてを突き放し、一方で、すべてを包容するような不思議な空気に満ちていた。
薄霧がかかった鉛色の空の下に浮かぶ、ギザギザとススキの茎の出た雪の稜線は、寂寞とし、ぶるっと身震いする冷たさで、
でもその中に、何とも言えない、包み込まれるようなぬくもりを感じた。
黄褐色のススキの色に目が吸い込まれていきそうになりながら、稜線を南へと進む。
どこかから吹いてきた風が、ごうごう、と低く重く耳元で鳴り響く。粒つぶの冷たく痛い雪が頬に当たる。
風が、雪が、過ぎし日のお山と人との物語の欠片を運んでくる。
わたしは、今、馬も通ったという山上の道、古代から近江と若狭を繋いできた長いながい歴史の道を歩いているのだ。
頬の上で融けた雪を、手袋をはめた手で拭いながら、予期せぬ風雪に出遭い、寒さに震え歩いた人の頬の痛みは、
どれほどだったのだろう、胸に去来した思いはどんなものだったのだろう、と考えてしまう。
防寒防風の装備を身に着け、遊びで歩いているわたしには計り知れない。
風の中でしんと佇むヤンゲン谷の源頭を覗き、この下で、今日もさらさらと、どこかに暮らす誰かの元へと流れていく水を想い、
灌木の間を通り抜けていくと、ちょこっと若狭側に入った白石平に出た。
風をよけ、近江側に一段下がり、灌木の間に腰を下ろしてお昼ご飯にする。
鈍色の雲間から差し込んだ薄絹のような光で、黄みを帯びた鉛白色に淡く煌めくうみを眺めながら、
歩き始めは、青い空と青いうみを期待していたけれど、こころをより震わされる、
いのちの源、意識の源、というものを無意識が感じる、この空とこのうみの色に、わたしは出会いたかったのだなぁ、
と感慨深い気持ちに包まれる。
一旦止んだ雪がまた舞ってきた。さぁ下ろう。石庭から白石平への登山道にも、うつくしい堀割の道が続いている。
この道も寒風、赤坂山への登山道と同じく、マキノと粟柄の集落を繋ぐ道。尾根、谷、山腹に、絶妙な線を描きながら続いている。
ブナ林の小尾根を下っていき、すっぽりと雪で覆われた炭焼き窯跡が眠るイモジャ谷右俣に降り立った。
大谷山のこころ、大谷山と共に生きた人々のこころを感じる地。
道や炭焼き窯は人間の意思で作られたものだけど、自然と調和する中で、このような妙なる風景となるのだと、訪れる度に感動してしまう。
谷を渡り、・749の尾根に乗り、・704からは、登山道を外れ、△680・1原山へと向かっていた。
ふたつの尾根からイモジャ谷に降りて彷徨うことに一時、魅了されていたが、その先の谷が入り組んだ広い尾根は初めてだ。
原山周辺はヤブがうるさいので、雪のない季節、足が向かわなかったのだが、くねくねと曲がっていく尾根には、
山仕事に入った人々の匂いが漂い、ヤブっぽくなっても、枝をどけると通り抜ける空間があり、
すんなりと裸の木々に囲まれた山頂に着いた。
ここからは、原山峠道にぶつかる尾根を下った方が楽だったが、雪の峠を見たくなり、木々の枝をかき分け、鞍部を目指し下っていく。
曇天の雪の積もった峠は、ひっそりさみしさが充満し、ゆっくりするのがためらわれた。
急ぎ足になり谷を下っていった。道は雪で覆われどこなのか分からず、ズボズボと何度も踏み抜いてしまう。
足を引っ張り出す度に、この道を歩いた人びとのご苦労を思いしんみりとなる。谷を離れると雪道は歩きやすくなった。
森西への道を見送り、辻へと向かい、ひと月まえ植林を登ってぶつかった道を下っていき、集落の少し北にぽんと出た。
そうかぁ。前回分からなかった道の始まりを知り、ほくそ笑む。
辻の春日神社から石庭の八幡神社へと、雑木林の中の道を、前回は逆に歩いたなぁ、と思いながら、
どこかからどこかへ行って、また戻ってきたような不思議な気持ちで歩いていると、
ぽつぽつと雨が降り出し、瞬く間に本降りとなり、全身ずぶ濡れとなってしまった。
あぁ、最後の最後に、と思いつつ、この展開を楽しんでいるわたしがいた。雨は嫌だったはずなのに。
冬の冷たい雨に打たれ、わたしのこころは、よりじんわりあたたかな光を感じていた。
頭の中では、今日出会った風景、記憶の風景がクルクルとまわっていた。
わたしは、何故山に惹かれるのだろう。わたしの中の何が山に向かわせるのだろう。
わたしは何を知りたいのだろう。何を感じたいのだろう。
クルクルとまわる風景がひとつに繋がっていき、わたしの中の光と重なるのを感じた。
その光に、わたしの「源流への旅」を感じた。
sato