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【野坂山地】本を胸に夢見た旅へ 中山滝ヶ谷(滝谷川)沢山旅

Posted: 2022年9月14日(水) 22:05
by sato
【日 付】 2022年9月4日(日曜日)
【山 域】 野坂山地
【天 候】 晴れ
【メンバー】山日和さん sato
【コース】 黒河林道くちなし谷出合から少し南に進んだ路肩~滝ヶ谷~標高470m二俣右俣~中山~滝ヶ谷左岸尾根~林道P


「えっ?降りられるの?」
いきなりの難関と書かれていたが、地図を見てなんか凄そう、と思ったが、まだ、橋の上。目の前に立ち憚る絶壁にうろたえてしまう。
深呼吸してゆっくりと橋の下を見て、ほっとした。「大丈夫、降りられる」
本を胸に夢見た旅が始まるのだ。ぽぉっと頬が熱くなる。

野坂山地中山滝ヶ谷を巡る山旅。それは、増永廸男さんの『春夏秋冬山のぼり』を読み、いつか、と夢見て、
でも、こころの引き出しの奥の方に仕舞っていた山旅だった。
『春夏秋冬山のぼり』を初めて手に取り味わった時、増永廸男さんが感じられた情景やこころの動きが、色彩を伴い、
わたしのこころにすっと入ってきて、透明な響きとなり沁み渡っていきしあわせな感覚に包まれた。
何回か読み返した時「岩籠山と中山の二つの谷」で、ページをめくる指が止まった。
滝ヶ谷を旅するわたしの姿が白黒のぺージの上に映し出された。
いつか訪れるのだ。そう夢見ていたが、5年前、ひとりで出かけた谷で怪我をして、ちょっと足首に不自由さが残ることとなった。
山歩きの楽しさはたくさんある。沢山旅はもう見果てぬ夢でいいかな、と、一旦は思った。

でも、3年前から、こうしてまた沢山旅を楽しんでいるわたしがいる。
そして、夢は引き出しの奥で光を放ち続け、隙間からもれていた。
「中山の谷に行こう」山日和さんのご提案にびっくりした。うれしさに包まれた。

大きな滝がお出迎え、とドキドキしながら谷に降り立ったが、目に飛び込んだのは、崖に施された石垣だった。
そして同じく石垣状の堰堤。予想外の人工物、それも草津川のオランダ堰堤を彷彿させる珍しい形状の堰堤のお出迎えに、
一瞬どこに来てしまったのだろう、と思ったが、堰堤を越えると、木々の生い茂ったどしりとした岩壁が現れた。
真ん中には、まっ白な水しぶきを豪快に立てながら、大きな淵に向かい、まっすぐに落ちる滝。
「これが、いきなりの難関の滝だ!」胸が高鳴る。ほんとうに簡単には通れそうにない。
本には「左岸のやぶを強引に登ってゆくと、あれっ、という感じで古いみちに出合った」と描かれていた。
14年前に遡行した山日和さんも左岸を巻かれたそうだ。

P9040012_1_1.JPG

でも、淵(なんと石積みが施されていた)から切り立った両岸を見上げると、
右岸の方が、石積みが始まるあたりで傾斜が少し緩くなっていて、ルートが浮かんでくる。ここから取りつくことにした。
大きく巻いたが木々に助けられ、着実に巻くことが出来て笑みがこぼれた。

滝の上も両側から壁が迫っていた。ここは逃げ場がない。この先どうなるのかな。
大丈夫、と気持ちを落ち着かせながら廊下を右に曲がると、今度は赤褐色の絶壁とその間を踊るように流れ落ちる滝にぶつかった。
淵は深い。「すごい」山日和さんが感慨深げな声を漏らした。
この滝は前回、ひとつ目の滝を高巻きした時に一緒に巻き、お会いしていなかったとのこと。右岸を巻いてよかった、と頷き合う。

P9040024_1.JPG

さて、この滝は、どこから巻いたらよいのだろう。よろこんだのはいいが、両岸は、ひとつ目の滝よりも切り立っている。
少し戻り、右岸の急斜面をよじ登りトラバースするが、行き詰まる。戻って今度は左岸の崖に取りついた。
土と落ち葉の積もった岩の、ちいさな足場を探しながら、山日和さんがロープの長さまで登られ、
確保していただきながら、わたしが登る、という動作を2回繰り返し「古いみち」に出合った。

「あぁ、緊張したぁ。あぁ、古いみちに出たぁ」無事登れたうれしさと、「古いみち」に出たうれしさで、
飛び跳ねたくなるような気持ちになる。道はどこまでのびているのだろう。どんな道なのだろう、と気になる。
でも、谷の風景を味わいたい。少し進むと、急こう配だが木々を掴んで降りられる場所が見つかった。

P9040044_1.JPG

復帰した谷は、それまでの険しい表情から一転し、穏やかに。常緑樹が目立つが明るい森の中を、優しい流れが続いていく。
赤みを帯びた岩盤が、風景をより明るく印象づけていた。
時折現れる様ざまなかたちの小滝は、こぼれ落ちる太陽の光と、くすくす内緒話をしながら楽し気に流れ落ち、
その流れを受ける緑がかった透明な水を湛える淵は、対照的に、思索に耽っているようなしんとした静けさで、
ほとんどが思いのほか深かった。
「わぁ。素敵」ワクワクしながら歩みを進めていく。

P9040046_1.JPG

標高400m辺りで、ぱぁっ、とまた風景が移り変わった。谷が広がりを見せ、明るさを増した。
常緑樹から広葉樹の森へと植生も変わり、広くなった岸辺には炭焼き窯跡も見られた。

「あっ、窯跡」声を上げるのと同時に、石積みに駆け寄っていた。
「名前から想像されるように、入り口のきびしい谷。それがのぼってみると、上流はゆるやかにひろがって、
すこしまえには、人々の作業の地だったことをしめす地形が、次つぎにみえてくる谷であった」
「炭焼きの跡が、次つぎにあらわれる谷だった。窯の跡は二十もあったろうか。最高点は700メートルくらいに達していた」
この文章がわたしのこころを捉え、滝ヶ谷を遡り△786.8中山へ向かう旅の夢が描かれたのだった。
きびしい谷を越えた先で、この炭焼き窯跡に出会った時に湧き上がる感情を、わたしは知りたかったのだなぁ。
石積みを眺めながら感慨に浸る。

水に戻り、ゆるゆると高度を上げていく岸辺を見ながら歩いていると、
人々の作業の地だったことをしめす地形が、まさに次つぎとみえてきた。
山腹の古いみちはこのあたりまでのびていたのだろうな。
ぽつ、ぽつ、と現れる炭焼き窯跡を見上げながら、炭焼きの人々が行き来した道に思いを巡らす。

P9040144_1.JPG

標高470m二俣に着いた。
ここからは左俣を遡り、緩やかに複雑に入り組む谷の源頭の風景を味わおう、とお話ししていたが、
右俣のナメ滝にこころが引きつけられる。
前回、右俣を遡った山日和さんも、こちらにしようとおっしゃった。

谷はまた表情を変え、ナメ滝から始まった右俣には、驚きと感動の風景が展開していた。
爽やかな緑の森の中を縫っていくナメ床とナメ滝。いったいどこまで続くのだろう。
そのうち泥状の溝みたいになるのだろうな、と思っていたが、ナメ床とナメ滝はどこまでも続いていった。
「わぁ、すごい」「わぁ、すごい」興奮に包まれ「すごい」の連続。
空が近づき、勾配が緩やかになると水が切れ、胸の鼓動も少し落ち着いた。足元は折り重なる落ち葉となっていた。

P9040159_1.JPG

左の斜面にはブナの林が広がっていた。なんて清々しい源流なのだろう。
山頂は灌木で覆われ眺めも今ひとつ。ブナの木の下で、コーヒータイムを楽しむことにした。
今日は、早めのお昼ご飯だったので、先のことを考えコーヒーの時間は取らなかったのだ。
うつくしい源流の風景に抱かれて、遡ってきた素晴らしい谷を振り返りながらの、しあわせなくつろぎの時間が、
ふっと秋を感じる透き通った風と共に流れていく。

ひと登りして、15時半頃山頂に到着した。
最初のふたつの滝の高巻きで時間がかかり、その後も、なるべく濡れぬようにとソロソロへつりを楽しんだり、
風景に見とれたり、ゆっくりの足取りで遅くなってしまった。

ここからは、稜線を北上し、△739.7から西の尾根を下る予定だった。
△739.7までは、わたしも岩籠山から乗鞍岳を縦走した時の、すんなりと歩いた記憶が残っている。
その先の尾根も山日和さんは歩いている。現在の時間を考えれば、予定の尾根の方が確実だろう。
でも、地図を見ていると、滝ヶ谷の緩やかな左岸尾根に目が吸い寄せられてしまう。
周りの植生から、ヤブはあっても深くはなさそう。むかしから人びとと関わりの深いお山なので、踏み跡もあるのでは。
途中、ヤブにつかまっても2時間ぐらいで駐車地に着くだろうと思い、左岸尾根に向かった。

P9040190_1.JPG

予期せぬうつくしい風景は、思いもがけない場所で出会ったりする。
コンパスで方向を確かめながら、灌木の間をすり抜け、北西の尾根に向かうと、右側がうつくしいブナ林となり、
すぐ下には静謐さを湛えた窪地が広がっていた。吸い込まれるように窪地に降りる。
大きなブナの木が立ち並ぶ、夢のようにうつくしい窪地だった。ちいさな池も見られる。
地形図には現れていないちいさな二重山稜地形。中山の秘密の表情に出会ったよろこびに包まれる。

すぐ下を林道が走っているので、植林がちの尾根かな、とも思ったが、広葉樹と植林が混ざり、尾根上は広葉樹が多く明るかった。
踏み跡もあり気持ちよく下っていった。途中、木立の間から覗いた岩籠山の端正なお姿に見とれてしまう。
標高570mを直進し、550mから北上する尾根にも踏み跡は続いていた。
急こう配の坂を下っていくと「古いみち」に出合い、難なく黒河林道に着地出来た。

ふぅ。ひと息ついて、両手でひたいの汗を拭う。拭った手の小指を合わせ、
今、土で汚れている、あの日、湧き上がる思いに包まれながらページをつまんでいた指を、じっと見る。
今日、数かずの輝きを掬い上げた手のひらを、じっと見る。ほんの数秒、じっと見る。
ふぅ。もう一度おおきく息を吐き、ぱたんと手のひらを合わせ、
夢見た山旅、今日もゆたかな山旅を味わうことが出来たしあわせをかみしめる。

旅はまだ終わらない。予想到着時間は少し超えそうだけど、駐車地までゆっくり林道歩きを楽しもう。
続いていく旅を夢見ながら。


*翌日、山日和さんから「驚愕の事実が判明」(笑)とのメールをいただきましたが、
お聞きしなかったことにして紡ぎました。

sato

Re: 【野坂山地】本を胸に夢見た旅へ 中山滝ヶ谷(滝谷川)沢山旅

Posted: 2022年9月19日(月) 16:35
by 山日和
satoさん、こんにちは。お疲れさまでした。

野坂山地中山滝ヶ谷を巡る山旅。それは、増永廸男さんの『春夏秋冬山のぼり』を読み、いつか、と夢見て、
でも、こころの引き出しの奥の方に仕舞っていた山旅だった。
『春夏秋冬山のぼり』を初めて手に取り味わった時、増永廸男さんが感じられた情景やこころの動きが、色彩を伴い、
わたしのこころにすっと入ってきて、透明な響きとなり沁み渡っていきしあわせな感覚に包まれた。
何回か読み返した時「岩籠山と中山の二つの谷」で、ページをめくる指が止まった。

satoさんに言われるまで、この本に載っていたことを忘れてました。(^^;)

滝ヶ谷を旅するわたしの姿が白黒のぺージの上に映し出された。
いつか訪れるのだ。そう夢見ていたが、5年前、ひとりで出かけた谷で怪我をして、ちょっと足首に不自由さが残ることとなった。
そして、夢は引き出しの奥で光を放ち続け、隙間からもれていた。

そんなに夢見てた谷だったとは夢にも思いませんでした。 :lol:

大きな滝がお出迎え、とドキドキしながら谷に降り立ったが、目に飛び込んだのは、崖に施された石垣だった。
そして同じく石垣状の堰堤。予想外の人工物、それも草津川のオランダ堰堤を彷彿させる珍しい形状の堰堤のお出迎えに、

これにもビックリでしたね。って、2回目でした。 :mrgreen:

P9040008_1.JPG

真ん中には、まっ白な水しぶきを豪快に立てながら、大きな淵に向かい、まっすぐに落ちる滝。
「これが、いきなりの難関の滝だ!」胸が高鳴る。ほんとうに簡単には通れそうにない。
本には「左岸のやぶを強引に登ってゆくと、あれっ、という感じで古いみちに出合った」と描かれていた。
14年前に遡行した山日和さんも左岸を巻かれたそうだ。


「左岸を巻かれたそうだ」・・・前回も右岸でした。 :oops:


滝の上も両側から壁が迫っていた。ここは逃げ場がない。この先どうなるのかな。
大丈夫、と気持ちを落ち着かせながら廊下を右に曲がると、今度は赤褐色の絶壁とその間を踊るように流れ落ちる滝にぶつかった。
淵は深い。「すごい」山日和さんが感慨深げな声を漏らした。
この滝は前回、ひとつ目の滝を高巻きした時に一緒に巻き、お会いしていなかったとのこと。右岸を巻いてよかった、と頷き合う。

「この滝は前回、ひとつ目の滝を高巻きした時に一緒に巻き、お会いしていなかったとのこと。」


前回もちゃんと対面してました・・・💦

P9040027_1.JPG

さて、この滝は、どこから巻いたらよいのだろう。よろこんだのはいいが、両岸は、ひとつ目の滝よりも切り立っている。
戻って今度は左岸の崖に取りついた。
土と落ち葉の積もった岩の、ちいさな足場を探しながら、
山日和さんがロープの長さまで登られ、確保していただきながら、わたしが登る、という動作を2回繰り返し「古いみち」に出合った。

ここはまったく同じルートを上がったかどうか自信がないけど、この壁の弱点を縫って上がったことは間違いないです。
しかしここまで記憶が飛んでいるとは・・・ :oops:

でも、谷の風景を味わいたい。少し進むと、急こう配だが木々を掴んで降りられる場所が見つかった。

前の記録を見ると、懸垂で谷に復帰したと書いてました。


P9040080_1.JPG

復帰した谷は、それまでの険しい表情から一転し、穏やかに。常緑樹が目立つが明るい森の中を、優しい流れが続いていく。
赤みを帯びた岩盤が、風景をより明るく印象づけていた。


今のはなんだったんだと思うような渓相の変化でしたね。
こんなに赤い花崗岩も珍しい感じでした。

時折現れる様ざまなかたちの小滝は、こぼれ落ちる太陽の光と、くすくす内緒話をしながら楽し気に流れ落ち、その流れを受ける緑がかった透明な水を湛える淵は、対照的に、思索に耽っているようなしんとした静けさで、ほとんどが思いのほか深かった。

なんとも詩的な表現ですねえ。流れを見てそう表現できる感性は、どんな人生を送って来たら養われるのでしょう。 :D

常緑樹から広葉樹の森へと植生も変わり、広くなった岸辺には炭焼き窯跡も見られた。

「炭焼きの跡が、次つぎにあらわれる谷だった。窯の跡は二十もあったろうか。最高点は700メートルくらいに達していた」
この文章がわたしのこころを捉え、滝ヶ谷を遡り△786.8中山へ向かう旅の夢が描かれたのだった。

そんなことが書いてあったのも覚えてませんでした。そんなに見なかったように思うけど、増永さんが歩いた杣道沿いに多かったのかな。


P9040110_1.JPG

山腹の古いみちはこのあたりまでのびていたのだろうな。
ぽつ、ぽつ、と現れる炭焼き窯跡を見上げながら、炭焼きの人々が行き来した道に思いを巡らす。


炭焼き窯跡はとんでもない上流まで見られますね。焼いた炭を下ろすのは大変な労力だったでしょう。

谷はまた表情を変え、ナメ滝から始まった右俣には、驚きと感動の風景が展開していた。
爽やかな緑の森の中を縫っていくナメ床とナメ滝。いったいどこまで続くのだろう。
そのうち泥状の溝みたいになるのだろうな、と思っていたが、ナメ床とナメ滝はどこまでも続いていった。


こんなに楽しいセクションなのに、何も覚えてないとは・・・
右俣にして正解だったということにしておいて下さい。 :mrgreen:


P9040136_1.JPG

左の斜面にはブナの林が広がっていた。なんて清々しい源流なのだろう。
山頂は灌木で覆われ眺めも今ひとつ。ブナの木の下で、コーヒータイムを楽しむことにした。
今日は、早めのお昼ご飯だったので、先のことを考えコーヒーの時間は取らなかったのだ。

いいブナ林でしたね。どうにも体調不良で早めにランチにしましたが、稜線まで頑張れるかどうか確信が持てませんでした。
ビアランチ後のナメ滝オンパレードですっかり回復、ここでコーヒータイムを楽しむ余裕ができました。

ひと登りして、15時半頃山頂に到着した。
最初のふたつの滝の高巻きで時間がかかり、その後も、なるべく濡れぬようにとソロソロへつりを楽しんだり、
風景に見とれたり、ゆっくりの足取りで遅くなってしまった。


普通ならもうそろそろ下山完了という時間だけど、私にはこれが普通かな。 :lol:

でも、地図を見ていると、滝ヶ谷の緩やかな左岸尾根に目が吸い寄せられてしまう。
周りの植生から、ヤブはあっても深くはなさそう。むかしから人びとと関わりの深いお山なので、踏み跡もあるのでは。
途中、ヤブにつかまっても2時間ぐらいで駐車地に着くだろうと思い、左岸尾根に向かった。

ここで思案六法でしたが、思い切ってヤブに飛び込みました。

予期せぬうつくしい風景は、思いもがけない場所で出会ったりする。
コンパスで方向を確かめながら、灌木の間をすり抜け、北西の尾根に向かうと、右側がうつくしいブナ林となり、すぐ下には静謐さを湛えた窪地が広がっていた。吸い込まれるように窪地に降りる。
大きなブナの木が立ち並ぶ、夢のようにうつくしい窪地だった。ちいさな池も見られる。
地形図には現れていないちいさな二重山稜地形。中山の秘密の表情に出会ったよろこびに包まれる。


まさにその通りですね。ヤブを突き抜けた先にこんなに美しいブナ林が佇んでいたとは。
谷も良かったけど、下山の尾根でこういう風景に出会えると、まさに「2度美味しい」ですね。 :D

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すぐ下を林道が走っているので、植林がちの尾根かな、とも思ったが、広葉樹と植林が混ざり、尾根上は広葉樹が多く明るかった。

その後も多少ヤブっぽい部分はあったものの、概ね歩きやすい快適な尾根が続きましたね。大正解でした。

ふぅ。ひと息ついて、両手でひたいの汗を拭う。拭った手の小指を合わせ、
今、土で汚れている、あの日、湧き上がる思いに包まれながらページをつまんでいた指を、じっと見る。
今日、数かずの輝きを掬い上げた手のひらを、じっと見る。ほんの数秒、じっと見る。
ふぅ。もう一度おおきく息を吐き、ぱたんと手のひらを合わせ、
夢見た山旅、今日もゆたかな山旅を味わうことが出来たしあわせをかみしめる。

締めくくりがまたいいですねえ。現場では全然気がつかなかったけど。

*翌日、山日和さんから「驚愕の事実が判明」(笑)とのメールをいただきましたが、
お聞きしなかったことにして紡ぎました。

人の記憶はアテにならないということを実感しました。 :mrgreen:

             山日和

Re: 【野坂山地】本を胸に夢見た旅へ 中山滝ヶ谷(滝谷川)沢山旅

Posted: 2022年9月22日(木) 16:50
by sato
山日和さま

こんにちは。
お返事が遅れてしまいすみません。
はじめに、たくさんのお写真ありがとうございました。
眺めながら、見事な滝だったなぁ、味わい深い谷だったなぁ、いい山旅だったなぁ、と、しみじみ。
名前のとおり滝からはじまる谷でしたね。

『春夏秋冬山のぼり』は、2010年、増永廸男さんが喜寿になられた年に発行された本ですね。
山登りのよろこび、出会った風景へのふかい洞察が、すっとこころに入ってくるやさしいお言葉で描かれています。
始まりが、私が愛着を感じるお山、大御影山というのが、またうれしくて、
「深山の気分が漂う大御影山」は、ふとした時に読み返しています。
「岩籠山と中山の二つの谷」は、湖西や野坂山地の、ひとりで味わうちいさな沢山旅に夢中になっていた頃のことでした。
ある日、読み返した時、それまでにない胸の高鳴りを感じました。中山の谷に私の思い描く沢山旅を強く感じたのでした。

ところで「驚愕の事実が判明」というお言葉には、びっくりしましたよ。
「何?何?」と思い、読後「なーんだ」でした。よくあること。過去は制作、脚色されるともいいます。
驚愕というお言葉に驚愕しました(笑)。

脱線していきそうですので、旅のお話に。
谷に降り立ち、いきなり現れた石積みにはびっくりしましたね。どうやって築いたのだろう。
城壁のように見える堰堤の、口のような水路に吸い込まれていく水を、暫しの間、ぽかんと口を開けて眺めていました。

最初の滝を目の前にして、ぐるりと周囲を見た時、山日和さんは左岸を登ったとおっしゃいましたが、
けっこう切り立っていたので、どこを登ったのだろうと思いました。
増永廸男さんは、林道に出て左岸のヤブを登られたのですね。
ふたつめの滝は、すっかり忘れていてよかったですね。驚きのご対面、ドキドキした気持ちを楽しめましたね。
この滝の高巻きは、最初にひと息ついた、なんとなく踏み跡が横切る地点から、
前回はトラバースして懸垂下降で谷に復帰されたのでしょうね。
今回、これは「古いみち」ではないと思い、もう一段登っていただいたおかげで、見たかった「古いみち」に出ることが出来ました。

緊張の高巻きの後に復帰した谷は、先ほど見た光景は夢だったのか、と思ってしまうくらい、穏やかな光に包まれていましたね。
光に吸い込まれるように、高巻きで通り過ぎてしまったうつくしい流れを見に戻ってしまいました。
赤みを帯びた岩は、この山域の特徴なのでしょうか。
くちなし谷も同じような岩質だった印象が。くちなし谷も味わい深い谷ですね。

「どんな人生を送ってきたら」えっ?どういう意味?驚愕しました(笑)。
木々の間からこぼれ落ちた太陽の光を受け煌めく流れを見て、内緒話しているみたい、と思い、
透き通った淵を見て、哲学者みたい、と、思いました。それに尽きます。

私は、谷を遡っていく中で、ふっと出会った山に生きた人びとの痕跡から、
あれこれ思いを巡らすのが好きなので、炭焼き窯跡を見ると、胸がトクンと鳴ります。
増永廸男さんは、古いみちを1キロほど歩かれたので、二十もの炭焼き窯跡に出会われたのでしょうね。
私たちはいくつ見たのでしょう。途中まで数えていましたが、ナメ床とナメ滝の饗宴に酔いしれ、数を忘れてしまいました。
窯跡は、かなり上流でも見られましたね。
立派な靴や服などの装備もない時代、何十キロもの炭を背負い山を歩いた人たちの労力は計り知れません。

この日は、山日和さん、体調が今ひとつだったのですね。「早いけれど昼の休憩にしよう」とおっしゃって知りました。
全く気づかず、すみませんでした。
また来よう。次は最初から古いみちを辿ってみよう。今日はここまで、と思いましたが「大丈夫。もう少し行く」というお言葉に、
心配しながらも進んでいきましたが、右俣に入った頃には、すっかり回復され、ほっとしました。

源流のブナ林は素敵でしたね。
「遠回りになるけれど、この尾根を登っていく方が楽しそう」とニコニコ顔でブナ林の方へ向かわれましたね。
このブナ林も前回歩かれていたのですね(笑)。

山頂に着いた時、山日和さんも私も、予定とは違う左岸尾根が気になっていましたね。
次の山旅のコースがふわりと浮かんだからでしょうか?
目の前のヤブを見ても大丈夫と思いました。そして、ヤブを突き抜けた先には、
こんなにもうつくしい世界が展開していたとは。夢を見ているような気分でした。
この先も、楽しみながら歩けましたね。ヤブっぽくなっても、なんとなく踏み跡があったり。
大正解の下りでした。

お山から下りた時、手のひらを見てぱたんと合わせ、お山の神様にご挨拶しています。
山日和さんの前ではしませんよ(笑)。同行の方とおしゃべりをしている時などは、こころの中で合わせています。
本を胸に夢見た旅は、ほんとうにゆたかな山旅でした。お山の神様、山日和さん、ありがとうございました。

sato

Re: 【野坂山地】本を胸に夢見た旅へ 中山滝ヶ谷(滝谷川)沢山旅

Posted: 2022年9月23日(金) 11:59
by アオバ*ト
  
 satoさん、こんにちは。
ご無沙汰しております。
増永廸男さんのことも、「春夏秋冬山のぼり」という本の存在も知らなかったですが、
ここに登場する「中山」は、私も知っている「中山」でした。
satoさんたちは、滝谷川を登られたんですね。いいなぁ。
私はスノーシューで行ってすごく気に入って、また行きたくて
雪解けの頃、黒河峠から縦走してきて、中山の北の源流部にすてきなテント場を見つけました。
それで次は、ここにテント背負って行くにはどんなルートで行ったらいいか考えました。
テント場は、滝谷川の左俣の源流部です。私たちにはテント背負って滝谷川はきびしいので、軟弱ですが、
山集落から黒河林道の菩提谷林道に入ってさらに左の林道に分かれて行ってテクテク壁にぶち当たるまで歩いて、
源流部で沢に下りて、satoさんたちが下られた尾根を乗っこすようにして、目的のテント場に行きました。

>そして、夢は引き出しの奥で光を放ち続け、隙間からもれていた。
なんか、こういうの、すごくすてきだなぁ。

>時折現れる様ざまなかたちの小滝は、こぼれ落ちる太陽の光と、くすくす内緒話をしながら楽し気に流れ落ち、
その流れを受ける緑がかった透明な水を湛える淵は、対照的に、思索に耽っているようなしんとした静けさで、
ほとんどが思いのほか深かった。
satoさんワールド全開ですね~。山日和さんと同じく、いったいどんな人生を送ってきたらこの感性は養われるのかと、
驚愕しますが、養われるというよりこのすばらしい感性はsatoさんの天性ですね~

>「あっ、窯跡」声を上げるのと同時に、石積みに駆け寄っていた。
「名前から想像されるように、入り口のきびしい谷。それがのぼってみると、上流はゆるやかにひろがって、
すこしまえには、人々の作業の地だったことをしめす地形が、次つぎにみえてくる谷であった」
「炭焼きの跡が、次つぎにあらわれる谷だった。窯の跡は二十もあったろうか。最高点は700メートルくらいに達していた」
この文章がわたしのこころを捉え、滝ヶ谷を遡り△786.8中山へ向かう旅の夢が描かれたのだった。
きびしい谷を越えた先で、この炭焼き窯跡に出会った時に湧き上がる感情を、わたしは知りたかったのだなぁ。
石積みを眺めながら感慨に浸る。

谷の中で、炭焼き窯や石垣をを見つけると、無性にうれしくなりますね。
どうしてだろうと思うのですが、自分が生まれ変わる前の遠い遠い記憶を呼び覚ますのかな、なんてふと思います。


>予期せぬうつくしい風景は、思いもがけない場所で出会ったりする。
コンパスで方向を確かめながら、灌木の間をすり抜け、北西の尾根に向かうと、右側がうつくしいブナ林となり、
すぐ下には静謐さを湛えた窪地が広がっていた。吸い込まれるように窪地に降りる。
大きなブナの木が立ち並ぶ、夢のようにうつくしい窪地だった。ちいさな池も見られる。
地形図には現れていないちいさな二重山稜地形。中山の秘密の表情に出会ったよろこびに包まれる。
ここホントに、藪の奥にかくされた秘密の場所ですね。
あの濃密な灌木のヤブに覆われたモジャモジャの中山ピークから、ほんの少ししか離れていないところに
こんなにも神々しく清々しいブナの林がかくされていたなんて、私も信じられなかったです。
そして、真っ先に頭に浮かんだのは、山日和お師匠さまのお顔でした。ここゼッタイ山日和さん好きに違いない。って。

すてきなレポ、ありがとうございました。
次は、私も、この山日和&satoさんルート後追いしたいなぁと思いました。
次の山旅レポも楽しみにしています。

  アオバ*ト

Re: 【野坂山地】本を胸に夢見た旅へ 中山滝ヶ谷(滝谷川)沢山旅

Posted: 2022年9月27日(火) 08:24
by sato
アオバトさま

おはようございます。
こちらこそご無沙汰しております。
せっかくコメントを下さったにもかかわらず、お返事が遅くなりすみません。
そう、そう、アオバトさんたち、雪の季節に、国境スキー場から岩籠山縦走を楽しんでいらっしゃいましたね。
雪がたっぷりと降り積もった中山は素晴らしいでしょうね。
やわらかにまあるく広がる山頂と、いくつものちいさな谷が入り組む滝ヶ谷源頭の、
まっしろな、ため息の出るような風景を想像してしまいます。

レポを読ませていただく度に思うのですが、アオバトさんたち、ほんとうにお山を楽しんでいらっしゃいますね。
そして、アオバトさんたちのバイタリティーには驚愕(笑)の連続です。
中山も、その後2回、その年に3回、味わわれたとは。お住まいは三重県ですよね。

雪融けの頃に黒河峠から縦走して、その次は山の集落から林道を歩きテント泊ですか! 軟弱ですって?
軟弱とは「1,質がやわらかく弱いこと。また、そのさま。2,意志、態度などがしっかりしていないこと」という意味です。
私が勘違いしているのかなぁ、と不安になって調べました(笑)。

私も、素敵な場所に出会うと、ここでひと晩過ごしたいなぁ、と思ったりするのですが、
日帰りで歩ける範囲だと、思うだけで終わってしまいます。アオバトさんたちは、いろいろなお山でひと晩を過ごされていますね。
アオバトさんのこころには、泊まらなければ見ることのできない、感じることのできない風景がたくさん刻まれているのだなぁ、と思います。
滝ヶ谷左俣源流の地形は、ドキドキしますね。数年前に縦走した時は見過ごしてしまいました。やっぱり素敵な場所なのですね。

今は、ネットでお山の情報が簡単に得られますが、
私は、本で出会ったお山を、地図を見ながらあれこれ想像し、思いを膨らませていく時間が好きです。
山は逃げないけれどチャンスは逃げる。ぼぉっとしていると時は過ぎ去っているよ、と言われそうですが。

山中で出会う人びとの暮らしの痕跡に、こころが引き付けられるのは、
自分の中のとおい記憶に呼びかけてくるものを感じるからかな、私もそんなふうにも思います。
時の過ぎゆくままに置かれている人造物から、かつて、様ざまな思いを抱えた人びとが、この地で今日を生きていたという歴史を感じます。
人びとが立ち去り役割を終えた炭焼き窯は、苔むし、土に埋もれ、山へと戻っていく。諸行無常の真理がからだを包み込みます。
崩れかけた窯跡を眺めながら、この窯は、どこから来た人がどのような思いで築き、どんな日々を送り、どのような最期を迎えたのだろう。
想像してしまいます。辛いことも悲しいことも楽しいこともうれしいこともあっただろう。
生きるとは、暮らすとは・・・。時代も生活環境も異なる私の知らない誰かの人生の営みが、
私の中のとおい記憶、私の行く末と、ふっと重なっていくのを感じます。

山頂北西のヤブを突き抜けた先の光景にはびっくりしました。
そうです。山日和さん満面の笑みで下っていき、ゆらゆらお散歩されていました。

私、わぁ素敵、というような言葉を並べていますね。でも、これは、そう、私の感じた風景です。
そして、谷を遡るというのは、楽しいけれど、緊張します。思いもがけないアクシデントもあり得ます。
山歩きには、怖さも常に感じています。私の言葉をそのまま捉えないでくださいね(笑)。

コメントありがとうございます。うれしかったです!

sato