【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

山行記、山の思い出、限定
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】 
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
返信する
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

投稿記事 by アオバ*ト »

【山行日】2022年5月4日(テント泊2日目前半)
【山域】台高南部 尾鷲道周辺
【天候】晴れ
【メンバー】アオバ*ト、タイラ、Iさん、Kちゃん
【コースタイム】テント場スタート7:40、木組峠8:50~9:20、木組峠南の稜線分岐点9:30


 △1411から西へザレ場を下ってヒメシャラの疎林の中をさらに下っていくと
光谷の美しい源流部が目に入って来て、そのまま谷に下って行きたくなる。
道の傍らには大きな木が少し傾いて立っていて、この子にまた会えたことが嬉しくてしょうがなかった。
また来たよ!この子は一本木のいわれの木ではないようなのだが、十分に堂々としていて、ここの主と言ってもいいくらいだった。
何の木だろうな?ミズナラかな。
 昨年は道の東側、美しい光谷の中でテントを張ったのだが、今回は道の西側の小場のような平坦地でテントを張った。
光谷を10分ほど下ると水は得られると思う。去年、タイラさんが汲みに行ってた。
今日は、皆がたくさん水を担いできてくれて、水を汲みに行くことなく、一晩快適に過ごすことができた。(水汲みは翌日木組峠にて)
 この小場は程よく樹林に囲まれていながらも、解放感があり、すごくすてきなテント場だ。
小場 - コピー.jpg
 小場の西の端に行って木組谷の方を見下ろしてみる。
とても下って行けるようには思えないが、ここが昔の雷峠って言うからには、
このとんでもなく急な谷の中に道じゃないような道があってグーさんみたいな人が上がってきてたのかもしれない。
それともスカイウォークさんが教えて下さったように、峠道はこの上の尾根を上がって来ていたのだろうか。
 なんで、ここを雷峠と言わなくなったのだろう。なんとなく中途半端な場所に位置するからだろうか。
今、尾鷲道を歩く人も、わざわざここでテント張る必要性のある人は少ないと思う。
でも、私は何度でもここに来てテント張りたいと思うのだった。


 今日は快晴、巻き道の尾鷲道から離れて自由に歩こうと思った。
広い森の中をできる限り探索してみたかった。
稜線に上がって、ちょっとゴツゴツした尾根芯をよじ登ったり。巻き道からは見えない風景を見たいと思った。
遠望 - コピー.jpg
 巻き道も味わい深いけれど、
1245ピークを越えて木組峠への稜線の道のりも、すばらしいのだった。
1245に向かう踏み跡薄い尾根芯は芽吹いたばかりの樹林にふんわりと包まれていて、
ここは混生林の森だけど、時々とてつもなく大きなブナがいて驚く。
ブナ - コピー.jpg

 木組峠に近付くにつれて、そんなブナがそこらじゅうに何気に現れた。

木組峠北の森① - コピー.jpg

 木組峠に下る手前の少し等高線が広くなったところにはちょっと不思議な雰囲気の広場がある。
透明の天幕におおわれたシェルターみたいな場所で、何だか神聖な雰囲気が漂っていた。
 皆を追って不思議な空間を飛び出すと、こんどは緑の光が押し寄せて来た。木組峠に下って来たのだった。
木組峠⑤ - コピー.jpg
巻き道を上がってきて見えたのとは違う美しさが目の前いっぱいに広がった。
明るくて、平和で、小鳥がさえずっていて、お昼の時間になったら、森の住民がみんなお弁当を食べにここに集まって来そうだった。
そんな生命の息吹きにあふれているようでいて、何かしらここだけ時間が止まっているような気もするのだった。
 思い思いに写真を撮って、水場を確かめに光谷の源流を下る。
去年は、1分も下らないうちに水が流れていたが、今回は5分くらい下った。
お茶会用に水を汲んで峠に上がる。谷からの風景もまた美しかった。

 光谷の右岸をトラバースして行きたくなるのを抑えておとなしく稜線をまっすぐ南へ登ることにする。
稜線に上がったところに立っている道標が何かを訴えて来た。
木組峠道標 - コピー.jpg
 「稜線分岐」と書かれた道標の下に、よく見ると、「木組峠越道(ヲチウチ越)尾鷲道エスケープルート。」と書いてあるのだった。
あれ?ヲチウチ越?ここが?ここ何回も通っているんだけど。今までちゃんと見ていなかったんだろうか。
 再び、頭の中でいろんな事がぐるぐる回り始めた。

    アオバ*ト
シュークリーム
記事: 2060
登録日時: 2012年2月26日(日) 17:35
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

投稿記事 by シュークリーム »

アオバトさん,おはようございます。
最近,台高南部のレポが少ないので,貴重なレポですね。楽しみにしていますので,またレポ続けてください。


 △1411から西へザレ場を下ってヒメシャラの疎林の中をさらに下っていくと
光谷の美しい源流部が目に入って来て、そのまま谷に下って行きたくなる。


私は最近この辺りに足を踏み入れていないので,記憶が曖昧になりつつあります。マブシ峰(P1411)から光谷林道の終点あたりに降ったことが2度ほどあります。結構急斜面なので登ろうとは思いませんが,調子川第二発電所あたりを起点にして周回するにはいいコース取りができます。
私は下ったことがありませんが,この「雷峠」付近から光谷を下ることができると亡くなったりんご畑さんが教えてくれました。


 昨年は道の東側、美しい光谷の中でテントを張ったのだが、今回は道の西側の小場のような平坦地でテントを張った。
光谷を10分ほど下ると水は得られると思う。去年、タイラさんが汲みに行ってた。


光谷の源頭部で水が得られればこのあたりはいいテン場になりそうですね。

 思い思いに写真を撮って、水場を確かめに光谷の源流を下る。
去年は、1分も下らないうちに水が流れていたが、今回は5分くらい下った。
お茶会用に水を汲んで峠に上がる。谷からの風景もまた美しかった。


ふーん,そうなんですか。
栃山林道に下っている清五郎の滝がある谷の源頭部にはかなり上の方まで水線が引かれていますが,こちらの方は水が得られますか?


 「稜線分岐」と書かれた道標の下に、よく見ると、「木組峠越道(ヲチウチ越)尾鷲道エスケープルート。」と書いてあるのだった。
あれ?ヲチウチ越?ここが?ここ何回も通っているんだけど。今までちゃんと見ていなかったんだろうか。
 再び、頭の中でいろんな事がぐるぐる回り始めた。


また続編楽しみにしています。
                         @シュークリーム@
biwaco
記事: 1422
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
お住まい: 滋賀県近江八幡市

Re: 【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

投稿記事 by biwaco »

こんにちは、アオバトさん。
尾鷲道続編、ありがとうございます。
私にはもう、垂涎のルートながら無縁の世界になってしまった感がありますが、地図を眺めながら前編とあわせて読み解いております。
「雷峠」に「雷峠1」ピーク、本来の「雷峠」…。「一本木」や「木組峠」の位置の変遷…などなど、skywalkさんのやシュークリさんのレスと合わせ読みしても謎とミステリー感は深まるばかりです。

今回は△1411.0コブシ嶺(昭文社地図)から、東の光谷、西の木組谷の源頭を楽しみながらの稜線歩き。テントを張りたいところが多すぎて、「何度でもここへ来たい」というアオバトさん。いっそ、引越して仙人にでもなったら?と笑ってしまいます。

>今日は快晴、巻き道の尾鷲道から離れて自由に歩こうと思った。

その気持ち、よくわかります。不可能になっただけにいっそう。
道迷いが心配ですが、今はGPSもあるから安心ですね。ブナに取り囲まれた緑の光の世界をブラリブラリ~。背中の重さも忘れそう…かな?

 >「稜線分岐」と書かれた道標の下に、よく見ると、「木組峠越道(ヲチウチ越)尾鷲道エスケープルート。」と書いてあるのだった。

おや、またもミステリー。画像と地図を重ねてみましたが、やはり現場で見ないと分かりませんね。左手前から登ってきたとしたら、右が主稜線ですね。左の「ヲチウチ越」は古和谷の方へ下る道でしょうか? 
ずっと前に来た時、このルートから登ってきた気がしますが、記憶は曖昧模糊状態。(>_<)

 >再び、頭の中でいろんな事がぐるぐる回り始めた。

私の頭にもグルグルが伝染したようなので、次の完結編?を待ちますね(^_-)

           ~びわ爺
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

投稿記事 by アオバ*ト »

  
  シュークリームさん、こんばんは!

>最近,台高南部のレポが少ないので,貴重なレポですね。楽しみにしていますので,またレポ続けてください。
 コメント&励ましのお言葉、ありがとうございます!

>私は最近この辺りに足を踏み入れていないので,記憶が曖昧になりつつあります。
マブシ峰(P1411)から光谷林道の終点あたりに降ったことが2度ほどあります。
結構急斜面なので登ろうとは思いませんが,・・・

 ええっ、この標高差700もある急斜面のような尾根をですか?
登るのもイヤだけど、下るのはもっとコワそうです~。

>銚子川第二発電所あたりを起点にして周回するにはいいコース取りができます。
以前にレポ読んだかもしれないです。でもこれは難しそうと思ってスルーしてしまったのかも。
また探して読んでみます。

>私は下ったことがありませんが,この「雷峠」付近から光谷を下ることができると
亡くなったりんご畑さんが教えてくれました。

りんご畑さんの言うところの「雷峠」が、どこを指すのかよくわからないですが、
昭文社のマップの雷峠でも、1450のくびれのところからでも、もちろん一本木からでも、
ツワモノの沢屋さんだったら、どこからでも下りて来れるのでしょうね。
それとも、まさか光谷の中のどこかにも古道があったとか?

ところで、沢屋さんたちは登るにはどうやってマブシ嶺まで登って来るのだろうと思って、沢登りルートを調べて見ました。
地形図の「紀北町」の「町」のところ等高線がクチャクチャってなってるところの光滝を越えて登って来るんですね。
すごいなぁと思いました。
私には無縁の世界ですが、羨ましいなと思いました。

>光谷の源頭部で水が得られればこのあたりはいいテン場になりそうですね。
そうですね。
水がすぐ横に流れているシュークリームさんの桃源郷に比べると、水汲みの点で不便ではありますが、雰囲気の良さでは負けていないかもです。
縁のない世界と思いながらも、光谷の林道終点、左俣の奥の右俣から、ここに上がって来れないかなぁなんて、等高線を追ってしまいました。

>ふーん,そうなんですか。
栃山林道に下っている清五郎の滝がある谷の源頭部にはかなり上の方まで水線が引かれていますが,こちらの方は水が得られますか?

光谷の左俣の上流部は地形図に水線ないですが、源流部には水流れてます。今まで3回確かめに行って、3回とも流れていましたので、
よほどの渇水期でない限り、大丈夫かと思います。ほんとにのどかな源流部なのに、
5分も下れば、その先はもう切れ落ちているなんて信じられないです。


>また続編楽しみにしています。
ありがとうございます。
大幅に賞味期限切れておりますが、夏山シーズン前には、最終編、書けるか、なぁ。

   アオバ*ト
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

投稿記事 by アオバ*ト »

 
  びわ爺さま、こんばんは!

 コメント、ありがとうございます。お返事遅くなりました。

>私にはもう、垂涎のルートながら無縁の世界になってしまった感がありますが、
地図を眺めながら前編とあわせて読み解いております。

 そんな寂しいことをおっしゃらずに、基本緩やかな道ですから、元気になったらきっと行けますよ。
いつでもお供させて頂きますよ。

>「雷峠」に「雷峠1」ピーク、本来の「雷峠」…。「一本木」や「木組峠」の位置の変遷…などなど、
skywalkさんのやシュークリさんのレスと合わせ読みしても謎とミステリー感は深まるばかりです。

 素直に、単純に、「ワオ〜。絶景だ〜。」で終わっとけばよいものを、あーでもないこーでもないと、
騒ぎたてて、読んで下さっている皆さんを混乱の渦に巻き込んでる気がしないでもありません。

>今回は△1411.0コブシ嶺(昭文社地図)から、東の光谷、西の木組谷の源頭を楽しみながらの稜線歩き。
テントを張りたいところが多すぎて、

 尾鷲道をこんなにもダラダラ歩いているのは、私たちくらいのものかもしれません。
よその人たちは大抵、一気に尾鷲まで飛ばして行くようです。

>「何度でもここへ来たい」というアオバトさん。いっそ、引越して仙人にでもなったら?と笑ってしまいます。
 いやぁ〜、いくらなんでも。基本、山女ではないので、それはありえないです~。

>その気持ち、よくわかります。不可能になっただけにいっそう。
道迷いが心配ですが、今はGPSもあるから安心ですね。ブナに取り囲まれた緑の光の世界をブラリブラリ~。
背中の重さも忘れそう…かな?

 この辺は、迷っても楽しかったりして。イザとなってもお泊りできるところたくさんあります。
あ~、でも水を探しに行ってソウナンはありえますね~。

 稜線分岐」と書かれた道標の下に、よく見ると、
「木組峠越道(ヲチウチ越)尾鷲道エスケープルート。」と書いてあるのだった。

>おや、またもミステリー。画像と地図を重ねてみましたが、やはり現場で見ないと分かりませんね。
左手前から登ってきたとしたら、右が主稜線ですね。左の「ヲチウチ越」は古和谷の方へ下る道でしょうか? 
ずっと前に来た時、このルートから登ってきた気がしますが、記憶は曖昧模糊状態。(>_<)
私の頭にもグルグルが伝染したようなので、次の完結編?を待ちますね(^_-)

 この「エスケープルート」って言う呼び方が、実はクセモノのような気がします。

 奈良県側の木組集落から木組谷の中を上がってきて、木組峠からさらに県境稜線を南に上がって
乗っ越すように稜線と分かれて行く、この「エスケープルート」こそが、どうも「ヲチウチ越」の道のようなのです。

 ヲチウチ越の道は、紀北町に向かっていますが、「古和谷」は、紀北町と尾鷲市の境界の山々から尾鷲市側に流れていて、
いちばんの源頭は、竜辻というピークだと思うのですが、
私たちは、そこを目指してまだまだ稜線を辿ります。

     アオバ*ト
里山歩

Re: 【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

投稿記事 by 里山歩 »

アオバ*トさん初めまして。
この辺りの地名(特に、おちうち越)に興味があります。
この辺りの昔の国境の地名は、天保国絵図大和国では
北から東の川山、満ぶし峠(おちうち越)、細又龍辻、龍辻越
となっています。
「木組峠越道(ヲチウチ越)尾鷲道エスケープルート。」は、木組峠南のピーク辺りに有るのでしょうか?
この辺りの満ぶし峠、細又龍辻の間は、おちうち越の一部分で、
元禄13(1700)年尾鷲組大庄屋のまとめた見聞闕疑集で、「細又龍辻是よりまふし峠迄国境伝の道八丁(甘藷岳山荘 http://amaimonoko.at-ninja.jp/s-mtdata/ ... ime2-1.htm より引用)」と有り、
松浦武四郎は、木組からおちうち越えと思われる道を上り、「八丁急なる坂なり。朝休場、八丁坂休場。此処坂の上り詰なり。是より峯まま行く。後ろの方に大台を見、右に暗り窓、左にあらら木岳より土倉を見て行。樹木もなし。依て南海を見晴して風景よし。十二丁にして下る。(松浦武四郎大台紀行集より引用)」と記述しています。
「八丁坂休場。此処坂の上り詰なり」は、おちうち越の満ぶし峠に相当するのではないかと思っています。現在の木組み峠のすこし北側ではないかと思います。
NTRCのおちうち越えは、木組峠から東の尾根を進み、その先から不動谷に下るコースみたいですね。
奈良県側の「おちうち越」は木組から木組峠の破線道に準ずるものであったのではないかと考えています。
そして県境の尾根道を、木組み峠の少し北から八丁あるいは十二丁ぐらい歩き細又龍辻(細又の名称から細又谷と関連があるかも)から不動谷に下ったようです。
P1411の山名コブシ嶺(マブシ嶺)は、国絵図おちうち越の満ぶし峠の位置を誤って名付けたのではないかと思います。

以上は私の考えであって確証はありません。
アオバ*トさん達は新木組峠方面へは行かれたのでしょうか?
木組峠あたりは松浦武四郎が記述したような景観なのでしょうか?
(松浦武四郎の記述したあらら木岳は樫山、土倉は堂倉山ではなく加茂助谷ノ頭方面と思う)
新木組峠手前の尾根から不動谷へ降りれそうでしょうか?
続編を期待します。
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【台高南部】「森に浸る」尾鷲道を行く・一本木~木組峠~木組峠南の稜線分岐

投稿記事 by アオバ*ト »

  里山歩さん、はじめまして。

 こんな拙いレポにコメントありがとうございます。

 以下、お返事になっているか、なっていないような気もしますが、少し考えたことを書いてみます。

 「ヲチウチ越」の場所について、私も本当のことを言うと、
このNTRCさんの示す、木組峠を越えて木組峠南のピークから腰森谷の方へ下って行く道筋を
「ヲチウチ越」って言われると、ちょっと違和感ありました。
なんとなくですが、奈良県側から「木組峠」へ上がる道筋は地形図に破線も書かれているし(今は崩れて破線の通り歩けないようですが)、
ここはよく解らない「ヲチウチ越」とは違うだろうと、先入観がありました。
また、「落牛」の漢字を当てている記述をどこかで読んだのですが、そのことに妙に納得していた私には、
「ヲチウチ越」は、牛も転がり落ちてしまうようなとんでもない急な道というイメージを作り上げてしまっていて、
今の雷峠と、今の一本木に上がってくる急な道筋が、きっと、それじゃないのかなと思ったからです。

 しかしながら、もう少し考えを進めてみました。

 「ヲチウチ越」という呼び方は、奈良県側から県境を越える道筋の総称であるということもどこかで読んだのですが、
福井県から滋賀県へいくつもの鯖の道があるように、これも自然に納得できて、
昔にはいくつかあった「ヲチウチ越」も、次第に、とんでもなく急なルートは歩かれなくなって、
人の行き交いする「・・越」ではなく、ただの「峠」になってしまったのかなと思いました。

 『峠』っていうと、単に、尾根道と谷道の交差する場所という意味が強いと思うのですが(尾根と尾根の交差点を指すこともあると思いますが)、『・・越』って言うと、単に峠ではなくて、人が実際歩いた道筋、という意味合いが強くなるように思うのです。
なので、今の「雷峠」と「一本木」は、人が利用しなくなって「ヲチウチ越」とは言わなくなったのかなと思いました。

 県境を越える目的が、単に海の町へ行くということであれば、
距離的にもたぶんいちばん楽な、木組峠を越えてさらに腰森谷へ下って行く道筋と
出口集落から竜辻ピークを越える道筋が、それぞれ「ヲチウチ越」と「竜辻越」として残ったのかなと、山行後に思いました。


 私は、今回の山行後まで、松浦武四郎翁のことを、ほとんど知らなかったです。松本潤が演じたテレビドラマを見たくらい。
でも、この「ヲチウチ越」のことを知るためには、やっぱり、この人の書いたものを調べなくてはと思い、
山行後に松浦武四郎記念館に行って、翁の「大台紀行集」の稿本の写しみたいな冊子を入手してきました。
まだちゃんと読んでいないところに、里山歩さんからのコメント。
これは、読まなくちゃ、お返事できないやと思い、拾い読みして書いております。
里山歩さんが引用して下さった箇所、無いな、無いなと思ったら、最後の方にありました。

 里山歩さんの指す、「木組峠の少し北=マブシ峠」というのが、どの地点を指すのか、よくわかりませんが、
武四郎翁のこの記述の場所は、これは、やっぱり、P1411マブシ嶺からの眺めではないでしょうか。
「戸倉」が嘉茂助谷ノ頭というのは同感な気もしますが、
でも武四郎翁が最後に歩いたのは、明治20年?、土倉古道ができたのはもっと後じゃないのかなと思うので、
自分にはちょっと不可解ですが、でもマブシ嶺からは嘉茂助谷の頭、見えてますね。
「暗り窓」は、たぶん早朝の竜口尾根のコルのことなのかなと思ったり。
辺り一帯には何も生えてなくて、海の眺めがすばらしいって言ったら、やっぱりこれは、今のマブシ嶺かなと。

 もし「マブシ峠」が別にあるとしたら、1245の等高線の広くなったところ(現在の一本木の少し北)かなぁと私は思いますが、
武四郎のいちばん最初の紀行では、1245が雷峠のような記述もあるように思いました。

 まともに紀行集を読んでもいないのに、想像だけが先走って、間違ったことばかり書いているかもしれませんので、
テキトーに読み流して下さい。

 私たちは、このあと、新木組峠へ進みました。
新木組峠の手前の尾根から不動谷へ下りられるかどうか私は知りませんが、
沢登りの人たちは、木組峠の南のピークからさらに南西へ下った1つ目のコルから腰森谷〜不動谷へ降りてるみたいです。

 里山歩さんのおかけで、武四郎翁の大台紀行集を真面目に読んでみるきっかけができました。
重ねてお礼申し上げます。

  アオバ*ト
返信する