【比良】ちいさくなったおおきな背中を追いながら 母と山登り 蛇谷ヶ峰

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sato
記事: 250
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【比良】ちいさくなったおおきな背中を追いながら 母と山登り 蛇谷ヶ峰

投稿記事 by sato »

【日 付】  2022年6月10日(金)
【山 域】  比良
【天 候】  曇り
【メンバー】 母 sato
【コース】   朽木スキー場~さわらび草原コース~蛇谷ヶ峰~817m地点~スキー場上~P

「あっ、お母さん」
下車客のいちばん最後にゆっくり歩いてくるのだろう、と思っていたら、すっとした足取りで、
いち早く改札口に向かってきたので、変に上擦った声になってしまった。
レモン色と若草色のチェックのシャツにオリーブ色のパンツ姿。昨年と今年に送った母の日のプレゼント。
必ず着て来ると思ったが、わぁ、着て来てくれたのね、とうれしくなる。
シャツもパンツもカタログの写真よりも軽やかな色。ピンク色の帽子とマスクで髪と顔が隠れ、
お正月に帰省した時に感じた、またひとまわりちいさくなった白髪の母と同一人物に見えない。
出て来て並ぶと背丈はまだわたしより高かった。

「似合っているね。81歳には見えないよ」
「そぉ?」何気ない返事ながら、母の声も少し上擦っていた。
「じゃぁ、行こうか」時間は限られている。ゆったりお山を味わいたい。
車に乗り込み、朽木スキー場へと向かう。

「先週は霧降高原に行ってきたのよ。そうしたらなんとハクサンイチゲが咲いていて。びっくりよ。
うれしかった。もうハクサンイチゲの咲く山には登ることはないと思っていたから」
「ハクサンイチゲかぁ。いいなぁ。よかったね」
「そういえば、私、朽木の山に登ったこともあるのよ。どこの山か思い出せないけれど。
朽木という地名ははっきりと覚えているの」
「そうなんだぁ」
最近、母との会話は母の山の話が多い。3年前までは、お互いの山歩きには興味を示さなかったのに。
いや、気にはなっていても無関心を装っていたのに。

滔々と話す母に相槌を打ちながら、最後に一緒に山登りに出かけたのは何時だったっけ、何処だったっけ、
と記憶を振り返っていた。あぁ、28年前の秋の涸沢だったと思い出す。
北穂に登る予定が雪になり涸沢小屋に泊まって翌日引き返したのだった。
小屋で数人の宿泊者から「姉妹?」と聞かれ「やだわぁ。母娘よ」とうれしそうに答えた母の顔が甦る。
そして、あの時の母は、今のわたしの年齢だったことに気づき、胸の奥がきゅっとなる。

11時。駅から30分でスキー場に着いた。
「ご飯を食べてから歩く?」
「頂上でいいわよ」
歩く気満々の母。
登山靴を履き、リュックを背負い、スキー場の脇を通り、緑の森の中へ、母、わたしと吸い込まれていった。

「わたしのこころのお山だよ。お母さん」
澱みなく一歩を重ねていく母の足元を見ながら、今、ふたたび一緒にお山に登っているのだという感慨に包まれる。
3年前、母はひとりで出かけた山の下り道で転倒し、左肘を粉砕骨折した。
入院手術したのよと事後報告され、びっくりして帰省した。一気に老けたような顔を見てかなしくなったが、
またお山に戻るはずと信じた。その時から、また一緒に登る日を夢見ていたのだった。
10日ほど前にかかってきた電話で、28年ぶりに急きょ実現となった母娘の山登り。
蛇谷ヶ峰を母は指定した。一緒に登りたいと思っていた山は、母もわたしも同じだった。

緑の海の中に浮かぶ真っ白なお花に、ふたりの目が留まった。
「ヤマボウシね」
「うん。わたしこのお花好き」
「私も。この山域ではこの時期に咲くのね」
少し進むとエゴの花が。
「きれいねぇ。エゴの花もいいわよね。私は白い花が好き。中でもシロヤシオが好き」
そうかぁ。母も白い花に惹かれていたのだ。ふたりともシロヤシオが大好きなのだ、と知る。

緑の海の中を道は続いていく。
「ちょっと休憩する?」
「大丈夫。ひとりの時はめったに休まないのよ」
そうだった、そうだった。ふたりで出かけた時も、どんなに暑くても、いつもすたすたと登っていた。
「わたしもひとりの時はあんまり休まないよ」
競うように言い返してしまい、あっ、そういうところが母と似ているのだなぁ、としみじみとなる。
「母とわたしは全く違う」と周りの人には言い続けているけれど。

休憩なしで12時20分少し前に山頂に到着した。
「お母さん、すごいね」
「私は、若い頃からあなたの心肺機能はずば抜けている、と言われてきたのよ。
今でも、登りはコースタイムで歩けるわよ。下りは皆に追い抜かれてしまうけれど」
昭文社の地図に書かれた1時間40分のコースタイムより、20分も短い時間で登れてご満悦だ。

‘わたしの場所’にシートを敷き、ふたり並んで座った。
「あぁ。いい景色。来てよかった」
やわらかな母の声が耳をくすぐる。
母が学生時代に登った鈴鹿の山やま、伊吹山は、残念ながら靄の中だけど、
わたしの感じる、山と里とうみと空が織り成すうつくしくいとおしい世界を、母も感じているのだ。
今日のふたりの山登りによろこびを感じているのだ、と思う。勝手に、でも、そのはず、と。

「ご飯にしようか」
道の駅で買った鯖寿司と巻き寿司を差し出す。
ツナのサラダ巻をほおばりながら、
「不機嫌真っ盛りの高校2年生の時、尾瀬に連れて行ってくれたよね。
お昼の時、お母さん、バケットを切ってツナとキューリとトマトを挟んでサンドイッチ作ってくれたね。覚えている?」
聞きたい気持ちに駆られたが、お友達の話を始めた母の横顔を見て、出かかった言葉をご飯と一緒に、ごくりと飲みこんだ。

涼しい風がさわさわと母とわたしの間を流れていく。
「年を取るとさみしい話ばかり」と言いながら、風に乗って髪の毛がわたしの顔にかかるを見ては、さっと払いのけてくれる。
眼の上をシワシワになった細い指が何度も横切る。
懐かしい母の指先の感触が、もはや瑞々しさを失ってしまったわたしのおでこが記憶しているぬくもりと重なり合う。
いくつになっても、お母さんにとって、わたしは子供なのだなぁ、と、涙が出そうになり、
上を向くと、水色の空が、ゆらゆらゆらりと揺れていた。

時間はあっという間に過ぎ去っていく。13時20分。そろそろ下らなければならない。
「帰りはちょっと急だけどいい?」
「いいわよ」
見せたいものがあり、行きと違う道を下ることにした。

817m地点からの最初の下りはよかった。でも次の急傾斜で、母の弱音を聞いてしまう。
「74,5歳までは大丈夫だったのだけど」
「急傾斜でも登りの尾根のように、きちんとした道がついていたらいいのだけれど」
頼もしかった背中が、お正月に見たちいさな背中になってしまった。
「そうだね。わたしも歩きにくい」
木に掴まりながら、ゆっくりゆっくりと下っていく。
スキー場上からは、東側の尾根を辿り、入部谷越に祀られている馬頭観音さまを一緒に見たかったのだが取り止めた。
石仏に興味があるのは父だった。

ゲレンデ脇のヤブには、コアジサイが咲いていた。わぁっと気持ちが華やぐ。
母と是非味わいたかった花。わたしの好きな6月の蛇谷ヶ峰の、淡藤色のコアジサイに彩られた風景を母と味わいたかった。
でも、カツラの谷道や秘密のコアジサイ尾根は無理。スキー場からのコースに咲いていたらいいな、と思っていた。
山中では出会えなかったけれど、こんなところで。

「お母さん、コアジサイ!」
「ほんと。きれいな色ねぇ。関東の山のコアジサイはもっと白っぽいのよ。
あら、ウツギもたくさん咲いている。ウツギはねぇ・・・」
ぱぁっと母の顔も華やぐ。
「へぇ。そうなんだぁ」
ふたりそろって軽やかになった足並みで斜面を下っていく。

15時。16時16分安曇川駅発の電車には、まだ時間がある。
グリーンパーク想い出の森に寄り、トイレを借りて、木陰でおやつにする。
頂き物のくずもちを渡したものの、母は封を開けるのに手こずっていた。
「年を取るとこういうことが苦手になるのよねぇ」
ちいさな頃、大好物のチーズのセロハンをいつも剥いてくれた母。
「はい」とわたしのくずもちと交換する。おおきくなったわたしは、母にセロハンを剥いてあげることが出来る。

16時過ぎ。とうとう駅に戻ってきてしまった。
「プラットホームのベンチに座って待っているから」
「うん。また電話するね」
お別れの言葉は素っ気ない。素っ気ない言葉しか言えない。
「じゃぁ」
にこりと笑い、手を振って、母は改札口を通り抜けていった。

「お母さん、わたし3歳の時、詩を口ずさんでいたんだって。
ゆらゆらゆらり おそらがゆらり・・・お父さんの『むかし むかし』に書いてあったよ。
お母さん、赤ちゃんのわたしを背負ってお山に連れて行ってくれたね。
お母さんの背中から見上げたおそらを思い出して口ずさんでいたんだね。今日も思い出していたよ」

母のちいさくておおきな背中を見送りながら、言いたくて言えなかったことを胸の内で呟いていた。
この先も伝えることはないだろう。
汗でおでこに張り付いた髪の毛を、母と同じ形と気づいた指で払いのけながら、
見えなくなった背中に「ねぇ、お母さん」もう一度呟いた。

sato

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ちーたろー
記事: 195
登録日時: 2011年2月20日(日) 21:17

Re: 【比良】ちいさくなったおおきな背中を追いながら 母と山登り 蛇谷ヶ峰

投稿記事 by ちーたろー »

satoさん、おはようございます。

>「あっ、お母さん」
下車客のいちばん最後にゆっくり歩いてくるのだろう、と思っていたら、すっとした足取りで、
いち早く改札口に向かってきたので、変に上擦った声になってしまった。

satoさんのこーゆー書き出しが好きです(^^)どんな物語が始まるのだろう?と楽しくなります。

>レモン色と若草色のチェックのシャツにオリーブ色のパンツ姿。昨年と今年に送った母の日のプレゼント。
必ず着て来ると思ったが、わぁ、着て来てくれたのね、とうれしくなる。
シャツもパンツもカタログの写真よりも軽やかな色。ピンク色の帽子とマスクで髪と顔が隠れ、
お正月に帰省した時に感じた、またひとまわりちいさくなった白髪の母と同一人物に見えない。
出て来て並ぶと背丈はまだわたしより高かった。

satoさんのお母様は山の方だったのですね〜

>「似合っているね。81歳には見えないよ」
「そぉ?」何気ない返事ながら、母の声も少し上擦っていた。
「じゃぁ、行こうか」時間は限られている。ゆったりお山を味わいたい。
車に乗り込み、朽木スキー場へと向かう。

私の母も同い年ですが、電車に一人で乗れたのはもうどれくらい前になるかな・・

>「先週は霧降高原に行ってきたのよ。そうしたらなんとハクサンイチゲが咲いていて。びっくりよ。
うれしかった。もうハクサンイチゲの咲く山には登ることはないと思っていたから」
「ハクサンイチゲかぁ。いいなぁ。よかったね」

山に行く気が起こらない私もハクサンイチゲは見たいです。ちょっと気持も出てくるかな。

>滔々と話す母に相槌を打ちながら、最後に一緒に山登りに出かけたのは何時だったっけ、何処だったっけ、
と記憶を振り返っていた。あぁ、28年前の秋の涸沢だったと思い出す。
北穂に登る予定が雪になり涸沢小屋に泊まって翌日引き返したのだった。

お母様と山にご一緒されていたのですね〜

>小屋で数人の宿泊者から「姉妹?」と聞かれ「やだわぁ。母娘よ」とうれしそうに答えた母の顔が甦る。
そして、あの時の母は、今のわたしの年齢だったことに気づき、胸の奥がきゅっとなる。

お若いお母様だったのですね。
私もよく、「あのときの母と今同じ年なんだなぁ」と思うことがあります。



「わたしのこころのお山だよ。お母さん」
澱みなく一歩を重ねていく母の足元を見ながら、今、ふたたび一緒にお山に登っているのだという感慨に包まれる。
3年前、母はひとりで出かけた山の下り道で転倒し、左肘を粉砕骨折した。
入院手術したのよと事後報告され、びっくりして帰省した。一気に老けたような顔を見てかなしくなったが、
またお山に戻るはずと信じた。その時から、また一緒に登る日を夢見ていたのだった。
10日ほど前にかかってきた電話で、28年ぶりに急きょ実現となった母娘の山登り。
蛇谷ヶ峰を母は指定した。一緒に登りたいと思っていた山は、母もわたしも同じだった。

いつの日か私も娘と二人で歩けるかなぁ・・

>休憩なしで12時20分少し前に山頂に到着した。
「お母さん、すごいね」
「私は、若い頃からあなたの心肺機能はずば抜けている、と言われてきたのよ。
今でも、登りはコースタイムで歩けるわよ。下りは皆に追い抜かれてしまうけれど」
昭文社の地図に書かれた1時間40分のコースタイムより、20分も短い時間で登れてご満悦だ。

私の周りの方もそうですが、山に行ってる方はホントにすごいですね。私も頑張らないとなぁ。

>‘わたしの場所’にシートを敷き、ふたり並んで座った。
「あぁ。いい景色。来てよかった」
やわらかな母の声が耳をくすぐる。
母が学生時代に登った鈴鹿の山やま、伊吹山は、残念ながら靄の中だけど、
わたしの感じる、山と里とうみと空が織り成すうつくしくいとおしい世界を、母も感じているのだ。
今日のふたりの山登りによろこびを感じているのだ、と思う。勝手に、でも、そのはず、と。

もちろんそのはずでしょう(^^)


>いくつになっても、お母さんにとって、わたしは子供なのだなぁ、と、涙が出そうになり、
上を向くと、水色の空が、ゆらゆらゆらりと揺れていた。

何だか私も涙が出そうになり・・山での青空を見に行きたくなりました。

>817m地点からの最初の下りはよかった。でも次の急傾斜で、母の弱音を聞いてしまう。
「74,5歳までは大丈夫だったのだけど」
「急傾斜でも登りの尾根のように、きちんとした道がついていたらいいのだけれど」
頼もしかった背中が、お正月に見たちいさな背中になってしまった。
「そうだね。わたしも歩きにくい」

私も弱音を吐きそう(笑)


>ゲレンデ脇のヤブには、コアジサイが咲いていた。わぁっと気持ちが華やぐ。
母と是非味わいたかった花。わたしの好きな6月の蛇谷ヶ峰の、淡藤色のコアジサイに彩られた風景を母と味わいたかった。
でも、カツラの谷道や秘密のコアジサイ尾根は無理。スキー場からのコースに咲いていたらいいな、と思っていた。
山中では出会えなかったけれど、こんなところで。

「お母さん、コアジサイ!」
「ほんと。きれいな色ねぇ。関東の山のコアジサイはもっと白っぽいのよ。
あら、ウツギもたくさん咲いている。ウツギはねぇ・・・」
ぱぁっと母の顔も華やぐ。
「へぇ。そうなんだぁ」
ふたりそろって軽やかになった足並みで斜面を下っていく。
コアジサイ見ることができてよかったですね!

>「お母さん、わたし3歳の時、詩を口ずさんでいたんだって。
ゆらゆらゆらり おそらがゆらり・・・お父さんの『むかし むかし』に書いてあったよ。
お母さん、赤ちゃんのわたしを背負ってお山に連れて行ってくれたね。
お母さんの背中から見上げたおそらを思い出して口ずさんでいたんだね。今日も思い出していたよ」
3歳からお山に行っておられるんですね〜お母様もすごい!

>母のちいさくておおきな背中を見送りながら、言いたくて言えなかったことを胸の内で呟いていた。
この先も伝えることはないだろう。
汗でおでこに張り付いた髪の毛を、母と同じ形と気づいた指で払いのけながら、
見えなくなった背中に「ねぇ、お母さん」もう一度呟いた。

気の利いたレスも書けないで申し訳ないですが、ほんわかした気持になりました。自分の母を思い浮かべ、そして自分のこの先を思い浮かべ、ちょっと寂しい気持も入り混じりながら・・

ちーたろー
biwaco
記事: 1260
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
お住まい: 滋賀県近江八幡市

Re: 【比良】ちいさくなったおおきな背中を追いながら 母と山登り 蛇谷ヶ峰

投稿記事 by biwaco »

こんにちは、satoさん。
6月に梅雨が明けるなんて、やはり地球はどうかなってますね。
どうかなってるといえば、このヤブコギ掲示板も夏バテ気味。涼しいアルプスレポでも…と思っていたら、なんとまあ、低山代表の蛇谷ヶ峰でした。汗だくになったあげく、ヤブの中でヘビのシッポでも踏みつけて散々…なんてパターンはsatoさんには似合わんなあと思ったら、やはり!
ヤブ掲示板は文学者の溜まり場? と思わせられるクオリティの高いレポにドラマでも見ているように惹きこまれました。
そこまでは良かったんですが、いざ返信を!と思ったら指が(いや頭が)動かず、PC画面を睨みながら出るのはタメ息ばかり。そこに、ちーたろーさんの"勇気ある"レスが入り、励まされてキーを打ち直しております。

母と娘の28年間のブランクを繋ぐ蛇谷ヶ峰の一日。それはsatoさんのルーツを確認する旅だったんですね。
じつはこのレポを見つけたのは28日の夜。浜松への1泊旅から帰ってヤブ板を開けたときでした。youは浜松になにをしに? と聞かれそうですが、山旅ならよかったんですが、老いた兄弟3人で「お墓」の今後についての話し合いでした。当然、そこでは4年前に他界した母や、子ども時代にいなくなった父の話になりますね。そんなマインドが胸から消えないまま、このレポに出会ったのはキツかった。タイミングが悪すぎた(>_<)

戦後復興期に1織工の安月給で3人の子を育ててくれた母とは、当然、一緒に山を楽しむなんてことは皆無。燃料にする薪やマツの落葉拾いに裏山を徘徊したくらい。それも小学生の自分には辛さより楽しい思い出になっていますが。
後年、子ども連れで丹後に帰省したとき、母を乗せて山陰地方を車で回ったことがありました。路肩に車を寄せて「あれが大山やで」と指さす先に伯耆大山の山並。窓から首を出しながら母がなんと言ったかは、今ではもう思い出すこともできません。
山歩きとは無縁な母も「歩く」ことは得意で、一人暮らしの気軽さもあり、村の知人との「歩こう会」や農協主催のバス旅行などの常連だったようです。

28年目の山。そういえば小学生の娘と槍ヶ岳へ登ったのはいつだったろう? 振り返ればそれ以上前になります。京都駅23時発の夜行列車で通路に寝ながら富山へ向かいました。冷え込んだ朝、槍山荘前に娘を待たせて穂先を往復したときのこと、satoさんのように今も覚えてくれているのでしょうか?
母のちいさくておおきな背中を見送りながら、言いたくて言えなかったことを胸の内で呟いていた。
この先も伝えることはないだろう。
ラストの画像がすべて物語っていますよ。
ヤブコギメンバーのアッキー(村上さん)やマリベさんの姿が思い浮かびました。

書き終ってみれば自分事ばかりで、レスになってませんね(>_<) 
まあ、夏は来し方を振り返る季節ということでお許し下さい。
            ~暑さで山はご無沙汰のびわ爺
sato
記事: 250
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【比良】ちいさくなったおおきな背中を追いながら 母と山登り 蛇谷ヶ峰

投稿記事 by sato »

ちーたろーさま

こんばんは。
雑談コーナーで、ちーたろーさんの入院を知りびっくりしました。
投稿されてから何日か後に気付きました。もう退院されているかな、症状は落ち着いたのかな、まだ辛い状態なのかな・・・、
心配になりながらも、お聞きすることが出来ませんでした。症状は治まったと分かり、ほっとしました。

私は、レポ(レポート)は苦手で、作文になってしまいます。
感覚的主観的すぎて恥ずかしくなったり。
今回は、より場違いの内容なのに「どんな物語が始まるのだろう?」と思ってくださりうれしいです。

母は、大学時代に山と出会ったそうです。
私たち子供3人が小中学生の頃は、家族皆でハイキングに出かけていましたが、
私が高校2年生の頃から、ふたりで山に登るようになりました。と書くと、友達親子のように思われるかもしれませんが、
そんな感じではありません。頑固者のふたり(今はふたりともまあるくなりました)、お互いの価値観人生観を譲らず数十年(笑)。
26歳手前で仕事を辞めてしまってからは、一緒に歩くことはなくなりました。
喧嘩はしていませんでしたが、母にとってどうしようもない娘でした。

私と歩かなくなる2,3年前から、学生時代の仲間との山登りを再開し、ひとりでも山に向かっていました。
ここ数年は、何十年間も一緒に歩いてきたお友達が次々と山を登れなくなり、
とうとう、母ひとりになってしまい、さみしい、せつないと言っています。
蛇谷ヶ峰の山頂でも、一番一緒に登った先輩が先月亡くなってしまった、
山登りできる最後のひとりとなってしまった同級生のお友達がグループホームに入ってしまった、
とため息をつきながら話していました。
同級生の方とは数年前「もう一度アルプスに行きたいわね。仙丈ケ岳に行きましょう」と約束したそうですが、
叶わぬ夢となってしまったと。

ちーたろーさんのお母様も母と同じ年なのですね。
親が年老いていくのを見るのは切ないですね。年老いた親を見ると人生はあっという間という感に襲われます。
私には子供がいないので、親の気持ちは実感出来ません。
想像はしますが、親も子もそれぞれ人格を持った存在と考えると、よく分かりません。
お母さんでもあるちーたろーさんは、お母様のお気持ちを身で感じられるのだろうなぁ、と思います。

蛇谷ヶ峰に登った日から、母というひとりの人間の存在とその人生、その母の子である私という存在、
そして人の一生というものをぼんやりと考え続けています。
母のこと、母との山登りを誰かに話したくなりました。
母と私の物語を書き留めたくなりました。
ちーたろーさんのコメント、とてもうれしかったです。
ありがとうございました。

sato
sato
記事: 250
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【比良】ちいさくなったおおきな背中を追いながら 母と山登り 蛇谷ヶ峰

投稿記事 by sato »

びわ爺さま

こんにちは。
先週、もう梅雨明け宣言と思ったら、日曜日から雨続き。暑さも和らぎほっとしています。
このまま、あの猛暑の夏になってしまったら心配ですよね。
こころを打つコメントありがとうございます。
お返事を、と思いながら、私もびわ爺さんとお母様の物語、ご兄弟とのお話をお聞きして、いろいろな思いが湧き上がり、
頭が動かない状態でした。今も動かなくてよく分からないお返事になるかと思いますがご勘弁くださいませ。

母との28年ぶりの山登りは、私のルーツを確認する旅。びわ爺さんのお言葉で、あらためて実感しました。
3年前に母が怪我をして、もう一度母と山を歩きたいと思い、その思いは、昨春、父が急逝してより強くなりました。

この写真は、父の部屋を整理している時に見つけました。
写真の他にも、父は本という宝物をたくさん残していました。
(学校の勉強が嫌いな私は、中高校生の頃、父の部屋に忍び込んでは本を持ちだして読んでいました)
本棚には茶色くなったノートや冊子も並んでいて、その中に、
弟が生まれるまでの親子三人のちいさな日常の輝きが詰まった数冊の手作りの本がありました。
白紙の本に万年筆で書かれた『むかしむかし』には、
私が発した言葉の数々がそのまま父のまあるくてかわいい字となって並んでいました。
ガリ版の手書き小説やエッセイには、子を持った29歳から31歳にかけての父の心情が描かれていました。

父と最後に会ったのは亡くなる2年前、母が怪我をした時でした。
父が倒れるまで、生きている限り親も子も年を取り、いずれ死んでしまう、と頭では理解していても、
わたしが在る限り親も永遠、と思っていたのですね。
突然倒れ、意識が戻らぬまま3日後に亡くなってしまい、こころの整理がつかない中、後悔の日々の中、
母もいつかいなくなってしまうのだ、という事実が胸に迫ってきました。
父が残してくれた本と写真で、母を独占していた頃のちいさな私の姿を知ることが出来ました。
母への想いがわぁっと募っていきました。
「ゆらゆらゆらり・・・」は生まれてくる弟のために、私が使っていたベビーベットを出した日、
その中に寝ころびながら口ずさんでいたそうです。
母と蛇谷ヶ峰を歩きながら、ちいさなわたし、生意気なわたし、
そんなわたしを見つめる若い母、中年の母が、体温を持って甦ってきました。

びわ爺さんのお父様はお若い時に亡くなられてしまったのですね。
妻と小さな子供を残し亡くなってしまったお父様の無念さ、
残されたお母様とびわ爺さんご兄弟のかなしみの深さは計り知れません。
お母様はご苦労にご苦労を重ねてこられたのですね。
びわ爺さんは、子供たちのために一生懸命に働くお母様を見ながら大きくなられたのですね。
山は生きるための場だったのですね。
辛くても、楽しい。お母様と一緒の時間はかけがえのない思い出ですね。宝物ですね。
ご結婚し子供に恵まれお父さんとなった、かつてちいさかったびわ爺さんをご覧になりながら、
年を重ねたお母様は、どんなお気持ちだったのでしょうね。
後年は、ご自身のお時間を楽しまれていたのですね。深い一生を感じました。

この世に生まれたひとのほとんどは歴史に残らず、この世に存在したという事実さえもいずれ消えてしまう。
朝露のようにちいさくて儚い存在。でも、そのちいさな存在はそれぞれの物語を持つかけがえのない存在だと思います。
そして、その物語は、誰かの物語の一部となって受け継がれていったりもします。
その人の感情となって。ある朝、朝露の煌めきを見て、その奥に微かな震えを感じるような・・・。
ひとりの人間が紡ぐ物語は、尊い歴史の物語。びわ爺さんのお母様の物語からも感じました。

娘さんも、冷え込んだ朝に、ふっと、槍ヶ岳の山頂に向かったお父さんのおおきな背中を、
駅のホームで、ぎゅうぎゅう詰めの電車の通路にお父さんと寝た日のことを思い出したことがあったのでは、
いつか思い出すのでは、と思います。
私も、母と急行アルプスに乗って(座れましたが)松本に向かった日のことを思い出しました。

夏は来し方を振り返る季節、「わたしの物語」「わたしの大切な人の物語」を語りたくなる季節なのかもしれませんね。
もうひとつ物語を。父のお墓には、何々家という文字は無く、母が描いた山が彫られているだけです。
私たち夫婦には子が無く、弟と妹は独身。皆死んでしまったら、お墓は管理会社が片づけるそうです。
魂は山に帰るのかな、そう思ったりしています。

sato
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