【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる沢納め 幾里谷・藪ヶ谷

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる沢納め 幾里谷・藪ヶ谷

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2021年11月15日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】幾里林道入口駐車場7:05---11:30藪谷峠------13:00藪ヶ滝---15:00幾里林道駐車場
【メンバー】michiさん、わりばし

 時山集落をはさんで北から流れ込む大きな支流が二つある。幾里谷と藪ヶ谷でその間にソドノ北尾根が続いている。この長い支流をつなぎ、あわよくばナメコが採取できたらとmichiさんと出かけた。

 幾里林道の入口に駐車し林道を歩く。長い谷だけに林道で距離をかせぎたい。林道は途中で崩れ実線の終点まで続いていた。水力発電所の跡が残っており壁にスプレーアートでドカヘルの親父が描かれていた。なかなか情景とマッチしている。

 南紀で集落用の小規模な水力発電所跡は見たことがあるが、ここの水力発電は規模が大きい。山頂部から巨大な導水管で水を流しタービンを回す形で、地区限定の発電所には似つかわしくない。調べてみると、隣のいなべ市藤原町にあった白石工業の鉱山・工場に電気を送るために作られた時山第二発電所跡で、県道近くに第一発電所もあったようだ。白石工業は石灰石を採掘して炭酸カルシュウムに関わる製品を作っていた。藤原岳や御池岳の尾根筋で見かける「白石」の標柱の会社だ。三重・滋賀・岐阜にまたがるカルスト台地の大きさを感じずにはいられない。


時山第二発電所
時山第二発電所

 道は無くなり植林を沢づたいに進む。石積みの道や区画された平地などがある。ここから「こえど」と言われる峠を越えて上石津町多良につないでいた。植林には窯跡の石の小山がいくつも残っている。このあたりはムラから場所を借りて炭焼きをしていたので、植林にする際に窯跡の撤去を求められたのかもしれない。植林を過ぎるとすぐに窯跡があらわれた。炭窯に住居用の四角い石積みのある典型的な時山の形だ。冬に炭焼きをする際に、雪深い地域では雪の入り込みを防ぐために石積みを積むようだ。暖かい地域では見ない形だ。
この形の窯跡が延々と出てきて炭焼きの谷だったことがわかる。

 ゴルジュぽくなったりしながらも自然林の明るい谷を進んでいく。谷を藪谷峠に向けて詰めると全身ずぶぬれにならなければ突破できない滝とゴルジュが出てくる。朝は4度しかなく、水も冷たかったので回避。ナメコ探しのために破線のある右俣に入った。沢づたいにナメコを探すが、元気に群生しているのはナラタケばかり。幼菌から傘の開いたのまでたくさん見かけるが、毒があってはしょうがない。結局この日は、ナメコに巡り合えなかった。

 右俣を詰めて植林から林道に上がった。現在も使われている林道で轍も新しい。ひとつ奥の右俣なら良かったのだが、早く入りすぎたおかげで、長い林道歩きが待っていた。昔は炭焼き地帯だけあって自然林が続いていたようだが、この林道により植林地に変えられてしまった。

 林道から霊仙避難小屋が見えるあたりにひとつ奥の右俣がきている。カレンフェルトの石灰岩が散在している明るい源頭で、霊仙の山域だということを感じさせてくれる。谷山が近づき、鹿あそびからソドノにつながる尾根が正面に見える分岐を下ると藪谷峠に着く。


幾里谷源頭
幾里谷源頭

 峠と言ってもGPSで場所がわかる状態で、以前のような風情はない。ここから植林の尾根を破線道が降りているので、これを追い谷に降りることにした。植林といっても枝が伸び放題の放置植林で歩きにくい。溝道が時たま出てくるが枝の廃棄場所になっており追えないので、尾根を外さないように下る。まったく歩かれていないような道なのに尾根芯には新しいテープが続いている。真新しい鹿よけネットまで、テープは続いていたのでネット設置の際の目印だったようだ。急斜面に張られたネットは数か所で落ちており役に立っていない。その前に、枝の伸び放題の放置植林に突入する鹿はいない。林道といい鹿よけネットといい意味のない工事は辞めてほしいものだ。

 出たのは藪ヶ谷までつながる急な斜面で、へたをするとどこまででも落ちていきそう。鹿よけネットでトラバースして、どうにか降りれそうな小尾根に取りつき谷まで降りた。谷から見て、無事に降りられるのはここしかなかった。昔はここに巻くように道がつけられていた。光さす気持ちのいい錦秋の源頭で、ここで昼食休憩を取る。林道は風が吹いていたが、ここは静かで温かい。


藪ヶ谷源頭
藪ヶ谷源頭

 下り始めると、すぐに窯跡がある。炭焼き窯と四角い居住スペースの石積みのあるやつだ。その先には、「時山⇔霊仙山」のプラスチックプレートに赤ペンキがあった。以前登山道だったころの名残だが、ここに登山道は降りてきている。藪谷峠から林道を進みコルから谷筋を下るようにつけられていた。破線道よりこの登山道跡を歩いたほうが安全だと思う。

 立派な窯跡が出てきて、前方が明るく開けた。藪ヶ滝10mで、右岸に巻き道があるが危うい。懸垂下降で下りることにした。michiさんと私のロープをつなぎ、木に通す。結び目を木から外し、ロープの引っ掛かりの危険性を少なくする。結び目の下にある私の赤ロープを引くようにした。michiさんに「赤引きで」と言われて、すぐにわからなかったが、こういうことだ。

 ヌメヌメの滝を難なく二人が懸垂で下りて、ロープを引いて回収するときにロープが踊り結ばってしまった。michiさんが巻き道から登りロープの結び目をほどいて二度目の懸垂下降をすることになった。巻き道には下部にロープがあり、バンドが滝口につながっているように下からは見える。ただ、バンドが上部で落ちていて気が置けない。これを上部から見て懸垂下降したのに申し訳ない。今度は、慎重にロープを引っ張り回収した。


藪ヶ滝
藪ヶ滝

 炭窯が次から次へと出てくる。登山道は、炭焼きの杣道を利用したのだろう。人はほとんど入っていないようで、赤ペンキ上にある踏み跡もあやしい。現在は獣たちしか使っていない状態で、危なっかしい。しかも、登山道跡を追っても途中で崩れていることもしばしばで、その都度、状況判断していくしかない。こんな状況なので、登山靴でくれば苦労すると思う。

炭焼き窯(時山型)
炭焼き窯(時山型)

 前が明るくなり堰堤の上に出ると、林道終点だ。林道からは、現役の炭窯が5か所残っており炭焼きの里だとあらためて感じさせてくれる。県道に出ると地元のおばちゃんとおばあさんが渋柿を竹の先に引っかけて採っていた。そろそろ干し柿づくりの季節だ、時山の民家の軒先にも干し柿がつるしてあった。

sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる沢納め 幾里谷・藪ヶ谷

投稿記事 by sato »

わりばしさま

こんばんは。
わりばしさんの沢納めは時山の谷だったのですね。
幾里谷と薮ヶ谷(ヶが入るのですね)を巡る沢山旅を描くとは、わりばしさんならではですね。
行きも帰りも長い林道歩き・・・、でも、林道があるから、この長いふたつの谷を巡ることが出来るのですね。

三年前の秋、初めてのオフ会へと、毘沙門谷からダイラへと向かった時、次々と現れた炭焼き窯跡に目を見張りました。
時山文化伝承館で炭焼きの里の歴史に触れ、以来、時山の風景が、より色濃く感じるようになりました。

わりばしさん達はどんな風景に出会われたのだろう。地図で辿りながら味わわせていただきました。
幾里谷林道に残された水力発電所の跡。ひとつの風景が物語るもの。
私も、山中で出会った風景から、山と企業との関わりについて考えさせられたりします。

緩やかに高度を上げていく幾里谷。窯跡が延々と出てくる谷なのですね。
時山は、近世以来戦前頃まで、ほとんど全戸が炭焼きに従事してきたそうです。
寝泊まり用の住居のことは、わりばしさんからお聞きしていましたが、雪囲いの石積みも築いていたとは。
炭焼きはまさに生業だったのですね。

薮谷峠へと突き上げる左俣は、滝とゴルジュがあるのですね。右俣を遡っていった先の源頭の風景が気になります。
柏原から歩いたことがあるのですが、見下ろした谷の風景は記憶に残っていないのです。
でも、林道が走っているので趣きに欠けそうですね。

この季節の山歩きの楽しみのひとつ、なめこ取り。この2,3年、私はさっぱりです。
ナラ枯れの木の栄養分が吸い尽くされたからなのでしょうか。

山上の林道には、唖然とさせられます。林道が出来る前の風景を思い描くとかなしくなります。
失われたものは元には戻らない。放置林を見るとやるせない気持ちになります。
昨秋、ソノド北尾根を訪れたのですが、放置林と投げやりなシカ避けネットにため息をつきながら歩いていました。
少し前に歩いた、高屋山大白木山稜線も同じ運命を辿るのではと、胸が痛くなりました。

薮谷峠道は、もはや埋もれてしまったのですね。薮ヶ滝は、巻きも危ういのですね。
ソノドから林道終点へのワサビ田を通る道もよく分からなくなっていました。
山中で偶然、埋もれかけた道に出会うのはどきどきしますが、
暮らしの道が埋もれていくのをみると、さみしさを覚えます。

薮ヶ谷林道沿いにある炭焼き窯の5つは、まだ現役なのですね。
厳しい自然環境で育った木を使い、独特の形の窯で焼いた時山の黒炭は「時山炭」と呼ばれ、質の良さで定評があり、
特に薮ヶ谷の炭は際立つとか。

秋の山村の、軒先につるし柿がつるされた民家の風景は、こころにしみいりますね。
移りゆく時の中、変わらぬ秋の風物詩。
過ぎゆく秋と、すぐそこまで来た冬を感じます。

沢納めの旅は、鈴鹿のお山の光と影を感じられた山旅だったのですね。
私もいろいろ感じさせていただきました。

sato
バーチャリ
記事: 547
登録日時: 2011年3月12日(土) 20:58

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる沢納め 幾里谷・藪ヶ谷

投稿記事 by バーチャリ »

わりばし さん こんにちは

【日 付】2021年11月15日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】幾里林道入口駐車場7:05---11:30藪谷峠------13:00藪ヶ滝---15:00幾里林道駐車場
【メンバー】michiさん、わりばし


13日に三国~烏帽子 周回しましたが


 時山集落をはさんで北から流れ込む大きな支流が二つある。幾里谷と藪ヶ谷でその間にソドノ北尾根が続いている。この長い支流をつなぎ、あわよくばナメコが採取できたらとmichiさんと出かけた。


ナメコを期待して
谷を詰めましたがさっぱりでした。
原木で栽培したナメコを買って食べてます。




道は無くなり植林を沢づたいに進む。石積みの道や区画された平地などがある。ここから「こえど」と言われる峠を越えて上石津町多良につないでいた。植林には窯跡の石の小山がいくつも残っている。このあたりはムラから場所を借りて炭焼きをしていたので、植林にする際に窯跡の撤去を求められたのかもしれない。植林を過ぎるとすぐに窯跡があらわれた。炭窯に住居用の四角い石積みのある典型的な時山の形だ。冬に炭焼きをする際に、雪深い地域では雪の入り込みを防ぐために石積みを積むようだ。暖かい地域では見ない形だ。
この形の窯跡が延々と出てきて炭焼きの谷だったことがわかる。


阿曽谷も炭焼窯の後が見れましたが
雪の入り込みを防ぐために石積みですか
時代はいつ頃の窯なんだろうといつも思っていますが


 ゴルジュぽくなったりしながらも自然林の明るい谷を進んでいく。谷を藪谷峠に向けて詰めると全身ずぶぬれにならなければ突破できない滝とゴルジュが出てくる。朝は4度しかなく、水も冷たかったので回避。ナメコ探しのために破線のある右俣に入った。沢づたいにナメコを探すが、元気に群生しているのはナラタケばかり。幼菌から傘の開いたのまでたくさん見かけるが、毒があってはしょうがない。結局この日は、ナメコに巡り合えなかった。

3,4年前は良く採れましたが今は全然採れませんね。 :evil


 ヌメヌメの滝を難なく二人が懸垂で下りて、ロープを引いて回収するときにロープが踊り結ばってしまった。michiさんが巻き道から登りロープの結び目をほどいて二度目の懸垂下降をすることになった。巻き道には下部にロープがあり、バンドが滝口につながっているように下からは見える。ただ、バンドが上部で落ちていて気が置けない。これを上部から見て懸垂下降したのに申し訳ない。今度は、慎重にロープを引っ張り回収した。

渡渉する時に黒い岩はツルツルで滑り気を付けて足を置きましたが
写真を拝見すると全体がツルツルの岩ですね :o


前が明るくなり堰堤の上に出ると、林道終点だ。林道からは、現役の炭窯が5か所残っており炭焼きの里だとあらためて感じさせてくれる。県道に出ると地元のおばちゃんとおばあさんが渋柿を竹の先に引っかけて採っていた。そろそろ干し柿づくりの季節だ、時山の民家の軒先にも干し柿がつるしてあった。

お疲れ様でした。

  バーチャリ

 
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる沢納め 幾里谷・藪ヶ谷

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、satoさん。

わりばしさんの沢納めは時山の谷だったのですね。
幾里谷と薮ヶ谷(ヶが入るのですね)を巡る沢山旅を描くとは、わりばしさんならではですね。
行きも帰りも長い林道歩き・・・、でも、林道があるから、この長いふたつの谷を巡ることが出来るのですね。

幾里谷は「幾里あるかわからない」という名がつけられるぐらいですから地元の人も長いと思っていたようです。

三年前の秋、初めてのオフ会へと、毘沙門谷からダイラへと向かった時、次々と現れた炭焼き窯跡に目を見張りました。
時山文化伝承館で炭焼きの里の歴史に触れ、以来、時山の風景が、より色濃く感じるようになりました。

今回辿った谷の方が炭焼きの色が濃かったです。
搬出先の上石津に近いというのも関係しているのでしょう。


わりばしさん達はどんな風景に出会われたのだろう。地図で辿りながら味わわせていただきました。
幾里谷林道に残された水力発電所の跡。ひとつの風景が物語るもの。
私も、山中で出会った風景から、山と企業との関わりについて考えさせられたりします。

カルスト台地は霊仙といい藤原といい昔人と企業とのつながりが見え隠れします。

緩やかに高度を上げていく幾里谷。窯跡が延々と出てくる谷なのですね。
時山は、近世以来戦前頃まで、ほとんど全戸が炭焼きに従事してきたそうです。
寝泊まり用の住居のことは、わりばしさんからお聞きしていましたが、雪囲いの石積みも築いていたとは。
炭焼きはまさに生業だったのですね。

ここで見た窯跡はすべてこの形でした。
時山文化伝承館でこの話を聞いてわかりました。
かんじきも家々で作っていたので、昔はもっと雪深かったのでしょうね。


PB150037.JPG

薮谷峠へと突き上げる左俣は、滝とゴルジュがあるのですね。右俣を遡っていった先の源頭の風景が気になります。
柏原から歩いたことがあるのですが、見下ろした谷の風景は記憶に残っていないのです。
でも、林道が走っているので趣きに欠けそうですね。

カレンフェルトの岩が残るカルスト台地ならではの源頭で美しかったです。

この季節の山歩きの楽しみのひとつ、なめこ取り。この2,3年、私はさっぱりです。
ナラ枯れの木の栄養分が吸い尽くされたからなのでしょうか。

鈴鹿ではダメでしたが、台高では採れました。 :mrgreen:

山上の林道には、唖然とさせられます。林道が出来る前の風景を思い描くとかなしくなります。
失われたものは元には戻らない。放置林を見るとやるせない気持ちになります。
昨秋、ソノド北尾根を訪れたのですが、放置林と投げやりなシカ避けネットにため息をつきながら歩いていました。
少し前に歩いた、高屋山大白木山稜線も同じ運命を辿るのではと、胸が痛くなりました。

「鈴鹿の山と谷」、草川さんの「鈴鹿の山を歩く」を読み、そして現状を見ると炭焼きの森がどう変わっていったのかがリアルにわかります。

薮谷峠道は、もはや埋もれてしまったのですね。薮ヶ滝は、巻きも危ういのですね。
ソノドから林道終点へのワサビ田を通る道もよく分からなくなっていました。
山中で偶然、埋もれかけた道に出会うのはどきどきしますが、
暮らしの道が埋もれていくのをみると、さみしさを覚えます。

昔は生活道路として使われていた「こえど」への道も林道が上下に出来て、消えちゃいました。

薮ヶ谷林道沿いにある炭焼き窯の5つは、まだ現役なのですね。
厳しい自然環境で育った木を使い、独特の形の窯で焼いた時山の黒炭は「時山炭」と呼ばれ、質の良さで定評があり、
特に薮ヶ谷の炭は際立つとか。

使える状態だと思います。
現役バリバリなのは2つぐらいかな。
時山炭と薮ヶ谷との関連は知りませんでした。
この谷に炭窯が残った理由がわかりました。


薮ヶ谷の炭焼窯
薮ヶ谷の炭焼窯

秋の山村の、軒先につるし柿がつるされた民家の風景は、こころにしみいりますね。
移りゆく時の中、変わらぬ秋の風物詩。
過ぎゆく秋と、すぐそこまで来た冬を感じます。

実の大きな立派な渋柿でした。
地元の人が大切にしているようです。


沢納めの旅は、鈴鹿のお山の光と影を感じられた山旅だったのですね。
私もいろいろ感じさせていただきました。

山で遊ばせてもらう中で光と影を感じることの多い、今日この頃です。

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる沢納め 幾里谷・藪ヶ谷

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、バーチャリさん。

【日 付】2021年11月15日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】幾里林道入口駐車場7:05---11:30藪谷峠------13:00藪ヶ滝---15:00幾里林道駐車場
【メンバー】michiさん、わりばし


13日に三国~烏帽子 周回しましたが

バーチャリさんも時山に行かれましたか。この辺りは、秋が似合いますね。


 時山集落をはさんで北から流れ込む大きな支流が二つある。幾里谷と藪ヶ谷でその間にソドノ北尾根が続いている。この長い支流をつなぎ、あわよくばナメコが採取できたらとmichiさんと出かけた。


ナメコを期待して
谷を詰めましたがさっぱりでした。
原木で栽培したナメコを買って食べてます。

鈴鹿はダメでしたが、台高ではそこそこ採れました。
ナラ枯れの後の鈴鹿が異常だったように思います。
原木栽培のナメコもけっこう立派ですよね。


PB230001.JPG


道は無くなり植林を沢づたいに進む。石積みの道や区画された平地などがある。ここから「こえど」と言われる峠を越えて上石津町多良につないでいた。植林には窯跡の石の小山がいくつも残っている。このあたりはムラから場所を借りて炭焼きをしていたので、植林にする際に窯跡の撤去を求められたのかもしれない。植林を過ぎるとすぐに窯跡があらわれた。炭窯に住居用の四角い石積みのある典型的な時山の形だ。冬に炭焼きをする際に、雪深い地域では雪の入り込みを防ぐために石積みを積むようだ。暖かい地域では見ない形だ。
この形の窯跡が延々と出てきて炭焼きの谷だったことがわかる。


阿曽谷も炭焼窯の後が見れましたが
雪の入り込みを防ぐために石積みですか
時代はいつ頃の窯なんだろうといつも思っていますが

高度経済成長の始まる60年代までは、生活の糧としての炭焼きは続いていたようです。
戦後も農協が炭を買い受けて安定した収入がありました。
ただ、エネルギー需要が変わり売れなくなっては外に働きに出るしかないでしょうね。
時山の場合は炭焼きの村だっただけになおさらです。


PB150044.JPG

 ヌメヌメの滝を難なく二人が懸垂で下りて、ロープを引いて回収するときにロープが踊り結ばってしまった。michiさんが巻き道から登りロープの結び目をほどいて二度目の懸垂下降をすることになった。巻き道には下部にロープがあり、バンドが滝口につながっているように下からは見える。ただ、バンドが上部で落ちていて気が置けない。これを上部から見て懸垂下降したのに申し訳ない。今度は、慎重にロープを引っ張り回収した。

渡渉する時に黒い岩はツルツルで滑り気を付けて足を置きましたが
写真を拝見すると全体がツルツルの岩ですね :o

この谷は霊仙と同じく石灰岩です。
水際の壁がヌメッていて気を使いました。


o2064154815034373924.jpg

前が明るくなり堰堤の上に出ると、林道終点だ。林道からは、現役の炭窯が5か所残っており炭焼きの里だとあらためて感じさせてくれる。県道に出ると地元のおばちゃんとおばあさんが渋柿を竹の先に引っかけて採っていた。そろそろ干し柿づくりの季節だ、時山の民家の軒先にも干し柿がつるしてあった。

お疲れ様でした。

ありがとうございます。
たわわに実った、おいしそうな渋柿でした。
干し柿にすると美味しいのだろうな。


  
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