【鈴鹿】神崎川源流域・テント背負ってクラシックルートを辿る

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アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

【鈴鹿】神崎川源流域・テント背負ってクラシックルートを辿る

投稿記事 by アオバ*ト »

【山域】鈴鹿・神崎川上流 オゾ谷~クラシ~佐目峠~千種街道~根の平峠
【山行日】2021年10月30日(土)31日(日)
【天候】30日 晴れ  31日 雨のち晴れ
【メンバー】平、育、青鳩
【ルート】30日 朝明駐車場、根の平峠、鈴鹿の上高地、オゾ谷鉱山跡
31日 オゾ谷鉱山跡、ワサビ峠、クラジャン、1145、銚子水場往復、
佐目峠、高昌小学校跡、根の平峠、朝明駐車場

 オフ会会場を後にして、オゾ谷の鉱山跡付近でテントを張った。
明日は朝から天気が崩れるようだから、台地へは上がらずおとなしく往路を戻って、行ったことのないブナ清水へ寄って帰ろう。
だったら、もうここでいいじゃん、早くテント張って宴会しようよ、ということになった。
 オゾ谷の鉱山跡付近は、なかなか美しいところだ。この付近を通るたび、ここもテント張るにはいいなぁと思っていたので、
ちょうど良い機会だった。当初目指していた上谷尻谷の広い広い開放的な河原も捨てがたかったが、
明るいうちにテント張って早く宴会しようよとの誘惑に勝てなかった。
しかし繰り返すけれど、このオゾ谷の鉱山跡もなかなかシブくて静かな隠れ家のようなすてきなテント場だ。
なんといっても貸し切りというのが、すばらしい。
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テント張って薪を集めて竃作って、
パチパチという薪が弾ける暖かく賑やかな音とともに、楽しい夕べがやって来た。

 明けて日曜日、朝5時に起床のお約束。育さんが、昨晩残ったパスタをゆでてくれて、
ゆで卵とりんごとスープを添えて、コーヒーも淹れて、朝も優雅。
 パッキングを始めようとしたら、時雨れてきた。
きょうはもう帰るだけ。時間はたっぷりある。小降りになるまで待機しよう。
 そろそろ出かけようとして、ふと「穴」のことを思い出す
「穴」あるの、知ってる?タイラさんも知らないという。
じゃ、見に行こうということになって、少し上流へ歩きはじめる。
「穴」はすぐ見つかって、二人とも面白そうに覗いている。
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それを横目に、突然気まぐれスイッチが入る。「上まで行ってみよっか。」
返事も待たずに登り始める。さっきまで、ブナ清水見に行って帰ろうと言っていたのに。
オゾ谷は、二股から突然急こう配になる。急になるにつれて、斜面の樹林は美しさを増す。
ワサビ峠、シブくてクールで、すてきな場所だ。
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 ワサビ峠より、上谷尻谷側を見下ろす。道筋を目で追いながら、別のことを考え始めている。
下るより登りたい。再び気まぐれスイッチ入る。「クラジャン尾根で行こう!」
 パラパラ小雨を背に受けて、クラジャン尾根を登り始める。
雨が降ろうが、槍が降ろうが、もう止められない。
登っても登っても、巨大な魔物の頭みたいなモサモサした塊が聳え立っている。
魔物を退治するべく、登っては下り登っては下り、もういっぺん登っては下り、展望台に着いた。
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すごぉい!銚子ケ口一帯の山肌のすばらしさと言ったら!そして西から広がる青空!

 朝からの雨のおかげで、台地の北の端に、ほとんど人影はない。1145貸し切りでお茶会。
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ここは何度来ても最高だ。
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 ザックを置いて、銚子の水場を見に行く。この水場を私は勝手に「サメコイズミ」と呼んでいるのだが、
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水場から台地側へあがった所に、なんともすてきなブナの木があって、この子に会うのも楽しみのひとつなのだった。

 台地を南西に向かう。イブネの山頂には、新しい人工的な山名板が立てられて、人だかりができている。
イブネはイブネじゃないみたいになっていた。
 足早に佐目峠へ駆け降りる。大事なものの安否を確かめる気持ちで登山道を外れて谷へ下っていく。
良かった、ここは大丈夫。
 高昌小学校跡の石段を下り、千種街道の古道に合流する。所々で崩壊しているものの、それでも美しい。
コクイ谷出合から上水晶谷辺りまでは、ほんとうに美しかった。

 根の平峠が近づく。あちこちで水がしみ出している。
無数の小さな森の精がここで生まれて、
羽が生えたら風に乗って思い思いの場所へ飛んで行く。
神崎川の源流域を歩いた過去の出来事すべてが風に乗って去来する。
自分の記憶にはっきりと刻まれていることも、
自分の知らない、もっともっと遥かに遠い過去の記憶までも、
どこからか風に乗ってやって来て、そして通り過ぎて行った。

 アオバ*ト
グー(伊勢山上住人)
記事: 2227
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【鈴鹿】神崎川源流域・テント背負ってクラシックルートを辿る

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

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アオバ*トさん、こんばんは。

明日は朝から天気が崩れるようだから、台地へは上がらずおとなしく往路を戻って、行ったことのないブナ清水へ寄って帰ろう。
だったら、もうここでいいじゃん、早くテント張って宴会しようよ、ということになった。


育さん、72才で20kg担ぎますか。
グーの今回のテント泊ザックは10kgでした。
水は山頂で調達できるから行動中の500ml+紅茶500mlのみ。
アルコールは不要だし、食料はアルファ米だし。
ダウンがかさばって45Lザックはパンパンになりましたが。

明るいうちにテント張って早く宴会しようよとの誘惑に勝てなかった。

それがアオバ*ト流テント泊の楽しみ方ですね。

朝5時に起床のお約束。育さんが、昨晩残ったパスタをゆでてくれて、
ゆで卵とりんごとスープを添えて、コーヒーも淹れて、朝も優雅。


育さんは歩荷要員兼シェフですか。いいお友達をお持ちです。

突然気まぐれスイッチが入る。「上まで行ってみよっか。」
返事も待たずに登り始める。
下るより登りたい。再び気まぐれスイッチ入る。「クラジャン尾根で行こう!」
雨が降ろうが、槍が降ろうが、もう止められない。


気まぐれ王女様に振り回されるお世話係の従者はおろおろ・あたふた・・・

無数の小さな森の精がここで生まれて、
羽が生えたら風に乗って思い思いの場所へ飛んで行く。
神崎川の源流域を歩いた過去の出来事すべてが風に乗って去来する。
自分の記憶にはっきりと刻まれていることも、
自分の知らない、もっともっと遥かに遠い過去の記憶までも、
どこからか風に乗ってやって来て、そして通り過ぎて行った。


平さんはいつものようにニコニコと見守っていたのでしょうが、
育さんはへばっていたのじゃないだろうか?
育さんは次回もアオバ*ト王女様の従者を務めてくれるのか感想を聞きたいものです。


             グー(伊勢山上住人)
アバター
わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】神崎川源流域・テント背負ってクラシックルートを辿る

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、アオバトさん。

 オフ会会場を後にして、オゾ谷の鉱山跡付近でテントを張った。
明日は朝から天気が崩れるようだから、台地へは上がらずおとなしく往路を戻って、行ったことのないブナ清水へ寄って帰ろう。
だったら、もうここでいいじゃん、早くテント張って宴会しようよ、ということになった。
 オゾ谷の鉱山跡付近は、なかなか美しいところだ。この付近を通るたび、ここもテント張るにはいいなぁと思っていたので、
ちょうど良い機会だった。当初目指していた上谷尻谷の広い広い開放的な河原も捨てがたかったが、
明るいうちにテント張って早く宴会しようよとの誘惑に勝てなかった。

このあたりには二つの顔があって、ひとつは大蔵鉱山跡で
もうひとつはお金明神の参拝道です。
佐目集落から小峠・大峠を経てコリカキ場で禊をし、お金明神に詣でていました。

 
 そろそろ出かけようとして、ふと「穴」のことを思い出す
「穴」あるの、知ってる?タイラさんも知らないという。
じゃ、見に行こうということになって、少し上流へ歩きはじめる。
「穴」はすぐ見つかって、二人とも面白そうに覗いている。

坑口がありましたね。
それに連なった焼窯があったでしょ。


すごぉい!銚子ケ口一帯の山肌のすばらしさと言ったら!そして西から広がる青空!
 朝からの雨のおかげで、台地の北の端に、ほとんど人影はない。1145貸し切りでお茶会。

昔は笹の深海で、場所が特定できず苦労した所です。

 高昌小学校跡の石段を下り、千種街道の古道に合流する。所々で崩壊しているものの、それでも美しい。
コクイ谷出合から上水晶谷辺りまでは、ほんとうに美しかった。

これは御池小学校です。
大正5年に亀谷応尚が妻れいと赴任してますね。
高昌小学校は高昌鉱山にありました。
高昌鉱山はそれより早く明治43年に亀谷応隆が赴任しています。
兄弟なのかな?


神崎川の源流域を歩いた過去の出来事すべてが風に乗って去来する。
自分の記憶にはっきりと刻まれていることも、
自分の知らない、もっともっと遥かに遠い過去の記憶までも、
どこからか風に乗ってやって来て、そして通り過ぎて行った。

お疲れさまでした。
わたしもこんな気がします。

                わりばし
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【鈴鹿】神崎川源流域・テント背負ってクラシックルートを辿る

投稿記事 by アオバ*ト »

 グーさん、こんばんは。
すてきな黄葉の写真付きのコメント、ありがとうございます。

 グーさんのレポにコメントさせて頂こうと思いながら、
モタモタしているうちに、
先にグーさんより頂戴してしまいました。
相変わらずのろまですみません。

>育さん、72才で20kg担ぎますか。
グーの今回のテント泊ザックは10kgでした。
水は山頂で調達できるから行動中の500ml+紅茶500mlのみ。
アルコールは不要だし、食料はアルファ米だし。
ダウンがかさばって45Lザックはパンパンになりましたが。

 育さんと知り合ったのは、6年ほど前だったと思うのですが、
初めてメールで生年月日を伺った時、生まれ年の数字、打ちまちがっていませんかと、
思わず聞き返してしまいました。
コロナ渦中、久々のテント泊で、準備も楽しくて、何でもかんでも詰め込んでいるうちに、
20㎏になったと言ってました。お酒と食べ物が山のように入ってました。
グーさんの、トータルで10kg、アルコールは不要だし、といのは、なんとうらやましい。
私たちのようなテント泊アルコール依存症の者は、もう5kgほど担がなければなりません。
でも、一泊で20㎏はちと異常ですね。

*明るいうちにテント張って早く宴会しようよとの誘惑に勝てなかった。
>それがアオバ*ト流テント泊の楽しみ方ですね。
 毎度こんなんばっかしというわけでもないのですが。
も少しストイックに歩いてる時も時々あります。いちおう。

>育さんは歩荷要員兼シェフですか。いいお友達をお持ちです。
気まぐれ王女様に振り回されるお世話係の従者はおろおろ・あたふた・・・

 グーさん、それはあんまりです~。
そんなに同行者をこき使っていないです~。
そして、クスクス笑い声が聞こえてきそうです~。
どう考えても、王と女が逆だよって。

>平さんはいつものようにニコニコと見守っていたのでしょうが、
育さんはへばっていたのじゃないだろうか?
育さんは次回もアオバ*ト王女様の従者を務めてくれるのか感想を聞きたいものです。

 お二人とも、毎回へこたれた~とぼやきながらも、次回も参加して下さるそうで、
きっともう感覚がマヒしていらっしゃるのかもしれません。

 アオバ*ト
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【鈴鹿】神崎川源流域・テント背負ってクラシックルートを辿る

投稿記事 by アオバ*ト »

 わりばしさん、こんばんは。
コメント、ありがとうございます。
お返事が遅くなってすみません。

>このあたりには二つの顔があって、ひとつは大蔵鉱山跡で
もうひとつはお金明神の参拝道です。
佐目集落から小峠・大峠を経てコリカキ場で禊をし、お金明神に詣でていました。

 わりばしさんの産業遺産&民俗学的考察?は、鈴鹿でも冴えわたっていますね。
オフ会後、何気にやぶレポを後ろのページからパラパラめくっていて、
わりばしさんの「お金明神参拝記」を偶然見つけて、とても興味深く読ませて頂きました。
この参拝道のこと知ってはいたのですが、辿ってみたことはなく、
私の参拝の順番はいつも逆で、たいていテント泊の二日目にワサビ峠からやって来て、
興味本位でチラッと明神さまを眺めに行き、その後にコリカキ場に下ってひと休みして、
北谷尻谷を上がって帰ってました。これじゃ、ご利益あるわけないですよね~。
それにしても、
「アメチヨボ、ブチヤケ、ザンザト、ブチヤアケ、ザンザラザント、ブチヤケ、ブチヤアケ」
迫力のある祈祷ですね~。

>坑口がありましたね。
それに連なった焼窯があったでしょ。

 この時は、ワサビ峠にあがることしか頭になく、
詳しく観察しそびれてしまいました。
そんなめずらしい連なった焼窯があったんですね。
また見に行かなくちゃ。

>昔は笹の深海で、場所が特定できず苦労した所です。
 私が大瀞を渡ってお金明神さまを探して、クラジャン(いつからそう呼ばれていたのか?)から
トライアングル台地に初めて上がったのは、2009年の秋でしたが、ササなんてもう全然無かったです。
やぶネットの皆さんは、かれこれ20年くらい前から(もっと前?)、この台地を徘徊されていらっしゃったのですね。すごい。

>これは御池小学校です。
大正5年に亀谷応尚が妻れいと赴任してますね。
高昌小学校は高昌鉱山にありました。
高昌鉱山はそれより早く明治43年に亀谷応隆が赴任しています。
兄弟なのかな?

 そうなんですね、鉱山の名前は、「御池」だけど、
小学校の名前は「高昌」なんだと思っていました。
別に「高昌鉱山」というのもあったのですね。これは見てないです。
それにしても、学校の先生の名前だけでなく奥さんの名前まで、
なんだかすごいマニアな考察ですね、というよりわりばしさんらしい考察ということなのか。
同じ苗字で「応尚」と「応隆」、これはきっと兄弟ですね。

*神崎川の源流域を歩いた過去の出来事すべてが風に乗って去来する。
自分の記憶にはっきりと刻まれていることも、
自分の知らない、もっともっと遥かに遠い過去の記憶までも、
どこからか風に乗ってやって来て、そして通り過ぎて行った。

>お疲れさまでした。
わたしもこんな気がします。

なんか、この最後の文章を書き留めておきたくて、レポアップしたのでした。

 アオバ*ト
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