【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

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sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

投稿記事 by sato »

【日 付】  2021年5月10日
【山 域】  丹後
【メンバー】 Kさん sato
【天 候】   晴れのち曇り、漁港に着くと同時に小雨
【ルート】  成生↔・168↔△213.4↔成生岬灯台  

小さな入り江の漁港には、何艘もの漁船が勇ましく並んでいた。
その船を見守るように、海岸のわずかな平地にはがっしりとした家が立ち並び、
鬼瓦や鯱で飾られた屋根が初夏の陽射しを受けて煌めいていた。
車置き場と化しているが立派な舟屋も軒を連ねている。

舞鶴市成生。大浦半島のまん中、岩壁のギザギザした海岸線の中の、
小さな入り江にぽつんと存在する小さなちいさな集落。
背後には山が迫り平地はほとんどない。
半分以上が空き家の、しんと静まり返ったひなびた集落を想像していた。
この勢いを感じる空気は何なのだろうと、きょろきょろしてしまう。

s-DSC_2118.jpg

ごぉーっとエンジン音を響かせて一艘の船が港に入ってきた。
青空を貫く快活な音に、漁業で潤っている集落なのだな、と感じる。
どんな魚が獲れるのだろう。
片づけを始めたおじさんと目が合った。
山登りの格好をした私たちを見て、えっ?というお顔をされている。
「こんにちは。灯台に行こうと思いまして。」Kさんがご挨拶されると、
「昔は道があったが、今はもう無い。30年間草刈りもしていない。行くのは無理だ。」
と首を振られた。
地図に記された岬の手前まで延びる道と点在する田畑の記号。
30年くらい前までは、この道を行き来し作物を育てていたそうだ。
「行けるところまで行って戻りますね。」とお伝えして裏の道に入る。

集落の北の草地の斜面には、柵で囲まれた小さな畑が並び、いくつかの畑には人の姿が見えた。
草取りをしていたおばさんも
「奥には村よりも大きな畑があったけど今は草に埋もれている。灯台になんか行けないよ。」
とおっしゃる。
道が駄目だったら尾根で行くと申し上げると、山の中も草ボーボーで、猪や猿、鹿だらけだと。
それでも、気を付けてね、と笑顔で送ってくださった。

植林の林道に入ると、道は荒れ始め、おっしゃった通りどこが道か分からなくなった。
Kさんと、田畑の跡を探しながら昔の道を辿り△213.4に登りましょうかと、
歩く前にお話ししていたが、・168に登り向かうことにした。

ひと登りすると、常緑樹と落葉樹が混生する稜線が視線の先に延びていた。
おばさんの予想とは異なり、下草はほとんどなく歩き易い。
アベマキやヤマザクラのうつくしい幹の模様に目を惹かれながら、
爽やかな緑の中を、登り下りを繰り返し岬へと向かっていく。

時折、きゅん!と鳴き声がして、斜面を鹿が駆けていく。
おばさん達が困るから村には下りないでね、と白いおしりに声をかける。
・166の北のピークから、ヤブニッケイの間を抜け痩せ尾根に出ると、
空いっぱいに枝を広げた大きな木に出迎えられた。
その先にはケヤキの大樹が数本続いていた。
こんなところにこんなに素晴らしい木々が、とびっくりする。

140mピークに着くと、青い空と青い海が目に飛び込んだ。
緑の海から青い海へ、風景がいきなり移った瞬間だった。
岩の上から荒々しい岩壁に打ちつける波を眺める。
どこまでも響き渡る波音と、どこまでも白い波飛沫がわたしを捕えた。
ざっぶん、という音の中に、ふぅっと吸い込まれていきそうになり、
あわてて視線を上にそらす。

s-DSC_2133.jpg

青い海には親子のようなふたつの島が絶妙な間隔で浮かんでいた。
すぐ横の断崖には可憐な白い花が咲いていた。
大きいほうが冠島、小さいのが沓島。
白い花はシモツケの仲間で若狭、丹後の固有種のタンゴイワガサ、とKさんが教えてくださる。
向きを変えると、緑の木立の向こうから、湖のような海と双耳峰のうつくしい山が覗いていた。
内海湾と大立山、続けて教えてくださる。

小さな半島の山旅を重ねていらっしゃるKさんのお話はとても興味深い。
山の奥へ奥へと目が向いてしまうわたしは、
最近まで、海が入っている地図を広げても海岸線をじっくりと読んだことがなかった。
初めて半島の山旅のお話をお聞きし、ご一緒させていただいた時、
日本の自然、風土は、なんてうつくしく、ゆたかなのだろう、とどきどきし、
わたしはなんにも知らないのだなぁ、としみじみ感じた。
今日も目を見張る光景の連続だ。

さて、と前を向く。鮮やかな緑色に煌めく△213・4が目の前にそびえ立っていた。
200m余りのお山とは思えない存在感を放っている。
鞍部から急こう配の斜面を手をつきながら登っていく。
下りはズルズル滑りそう。低山侮るなかれだ。

青葉の間から差し込む柔らかな光に満ち溢れた山頂に着き、一息ついて、もうひと山越えると
鞍部で不思議な人口物にぶつかった。何かの建物の基礎とかまどのような形のもの。
一体何なのだろう。気になったが、先ずは灯台へと足を進める。

s-DSC_2137.jpg

成生岬。両方の耳にそれぞれ響き渡っていた波音がひとつに合わさった。
木立が邪魔をして絶景とはいかないが、
この先は大海原、半島の端っこまで来たのだという感慨に包まれる。

お昼ご飯を頂き、鞍部に戻り建物の跡を見て回った。基礎は海の近くまで続いていた。
鉱山の跡ではなさそうだ。軍事施設の跡なのだろうか?何なのだろう?頭の中に疑問符が並ぶ。
この施設には船で来たのかな。道で来たのかな。
海を眺めながら考えていると、青い青い空と海がくすみ始めた。風も出てきた。天気は下り坂か。

さぁ、帰りましょうか。
時計を見ると13時前。集落に戻ったら、おばさんはまだ畑にいらっしゃるかな。
大変だよ、と笑いながら見送ってくれたおばさんのお顔が浮かび、
山中でのいくつもの「発見」をお伝えしたくなった。


           *・*・*・*・*・*・*


家に戻り、ちょこっと調べると、
成生岬の人口物は、やはり軍事施設だった。
軍港だった舞鶴港沿岸には、ロシアの脅威に備え、数か所に要塞が設けられ、
成生岬要塞は昭和9年に築かれた。わたし達が見たのは、海軍防備隊の官舎と砲台の跡だった。
青い空と青い海・・・家族と離れここでお国を守っていた人の眼には、空と海は何色に見えたのだろう。

成生はブリ網漁で豊かな集落。立派な屋根の家々は「ブリ御殿」と呼ばれているそうだ。
明治時代には養蚕も盛んで、臨時の労働者を600人も雇っていたという。
漁港に戻ってきた時、数人の若い漁師さんが作業をされていた。
陽に焼けたお顔に、この地に生きる誇りのようなものを感じた。
山中で見た石積み、「奥に存在した、村よりも大きな畑」は、桑畑だったのかなぁ、と思ったりした。

いろいろな風景と出会い、何にも知らなかった自分を感じる。そして、いろいろなことを知りたくなる。
ちょこっと知ると、そこから広がっていくものを感じる。また、何にも知らない自分を感じる。
旅って面白いなぁとしみじみと思う。

sato
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

投稿記事 by アオバ*ト »

 satoさん、こんばんは。ごぶさたしております。

海へ向かう山旅って、すてきですよね!
舞鶴市成生。ぜんぜん知らない町ですが、
自分も好きな南の国の漁港の町を思い返しつつ、読ませて頂きました。

>舞鶴市成生。大浦半島のまん中、岩壁のギザギザした海岸線の中の、
小さな入り江にぽつんと存在する小さなちいさな集落。
背後には山が迫り平地はほとんどない。
半分以上が空き家の、しんと静まり返ったひなびた集落を想像していた。
この勢いを感じる空気は何なのだろうと、きょろきょろしてしまう。

そうそう、漁港の町にはなにか勢いがありますよね。
漁船のエンジン音、波の音、海鳥の声。どれも心躍ります。

>「奥には村よりも大きな畑があったけど今は草に埋もれている。灯台になんか行けないよ。」
とおっしゃる。
道が駄目だったら尾根で行くと申し上げると、山の中も草ボーボーで、猪や猿、鹿だらけだと。
それでも、気を付けてね、と笑顔で送ってくださった。
海岸沿いの山って、概して草ボーボー多いのでしょうか。私の知っているところはシダボーボー多いです。

>140mピークに着くと、青い空と青い海が目に飛び込んだ。
緑の海から青い海へ、風景がいきなり移った瞬間だった。
岩の上から荒々しい岩壁に打ちつける波を眺める。
どこまでも響き渡る波音と、どこまでも白い波飛沫がわたしを捕えた。

もうもう、この瞬間、こんなにも世界って変わるものなのかって、思いますよね。
この一瞬のために、海の山へ何度も通ってしまいます。

>さて、と前を向く。鮮やかな緑色に煌めく△213・4が目の前にそびえ立っていた。
200m余りのお山とは思えない存在感を放っている。
鞍部から急こう配の斜面を手をつきながら登っていく。
下りはズルズル滑りそう。低山侮るなかれだ。

海抜ゼロから聳え立っていますよね。

>この先は大海原、半島の端っこまで来たのだという感慨に包まれる。
高い山のてっぺんにも勝るとも劣らずって感じ、します。

>成生岬要塞は昭和9年に築かれた。わたし達が見たのは、海軍防備隊の官舎と砲台の跡だった。
青い空と青い海・・・家族と離れここでお国を守っていた人の眼には、空と海は何色に見えたのだろう。
・・・
漁港に戻ってきた時、数人の若い漁師さんが作業をされていた。
陽に焼けたお顔に、この地に生きる誇りのようなものを感じた。
satoさんて、海のように深いです。

コロナ禍により、新たに増えた仕事に追われるようになり、今はレポを書く気力も、
皆さんのレポにコメントさせて頂く気力も失せているのですが、
satoさんが運んでくださった潮風の香りに癒されました。

 アオバ*ト
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

投稿記事 by sato »

アオバトさま

こんばんは。
何かに追われていると、一日いちにちが、そのことだけで精一杯の状態に陥ってしまいますよね。
お忙しい中、私の山旅記を辿ってくださり、
夜中の1時過ぎ!に、コメントまで書いてくださりありがとうございます。
うれしかったです。

アオバトさんは、伊勢や尾鷲のいろいろなお山から海を眺め、
いろんなことを感じていらっしゃるのだろうなぁと思います。
私は、Kさんの山旅のお話しをお聞きし、志摩半島の地図を見るようになりました。。
今も眺めています(笑)。

リアス式海岸って、面白くて不思議な地形ですね。
湾にはハマチやタイの養殖場が多いのですね。
岬や島の名前も興味深いです。
アオバトさんのお好きな「南の国の漁港の町」。
アオバトさんが訪れたのはこの町かな?この町もかな?
「漁船のエンジン音、波の音、海鳥の声」が地図から聞こえてきます。
お散歩が楽しそうな町がたくさんありますね。
私は、町の散歩(覗き見)も大好きです。
細い路地や坂道、何だか分からないお店など見つけると、ふらふらと引き寄せられていきます。
最近は出かけていませんが。

右と左、両側に海を見ながら、波音を聞きながら、半島の先端、海へと向かう山旅は、何だろう。
言葉では言い表せない胸の鼓動を感じます。
緑の海から青い海へ風景がいきなり移る瞬間、そうそう、「こんなにも世界って変わるものなのか」って。

アオバトさんの歩かれる海岸沿いのお山は、シダボーボーが多いのでしょうか。
若狭の海を眺めるお山は、ちょこっと覗いただけですが、
ヤブをかき分けていくようなお山はほとんどありませんでした。
敦賀半島先端の敦賀原発ともんじゅに挟まれた峠へ向かう尾根はヤブで覆われていました。
でも、ヤブ以上に強烈だったのがダニ。
10匹以上のダニにお腹周辺を噛みつかれていて(全部自分で取りました)
しばらく猛烈な痒さでしんどかったです。

遊びで訪れた山の中で、戦争の痕跡に出会うことがあります。
日本の山中にはどれほどの戦争の痕跡が埋もれているのだろう。
戦争という時代があり、山も戦争に使われていたという事実。
そういう山の歴史に直面すると、その時、そこにいた人の目に映った風景を思ってしまいます。

若い漁師さんたちの誇らしげに感じたお顔。
私は根無し草のような人間なので、その土地に根を張って生きている人が眩しく感じるのですね。
どんな思いで日々を過ごしているのかは分かるはずもないのですが。

アオバトさんのお仕事は、まだまだ大変な日々が続くのでしょうか。
どうぞご自愛くださいね。
一日も早くコロナ禍が落ち着くのを願うばかりです。

sato
biwaco
記事: 1422
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
お住まい: 滋賀県近江八幡市

Re: 【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

投稿記事 by biwaco »

satoさん、こんち~
6月ですね。五月晴れの空ですね♪ 梅雨はどこへ消えたんでしょう?やはり今はまだ、旧暦では「五月」なんでしょうね(^_-)

【丹後】に惹かれて覗いてみました。それからもう10日以上たってしまいました。いつもの亀レス…いや、今が出番のカタツムリレス? ですみません。
なぜ惹かれた? と思うでしょ。私の故郷なんです。それだけのこと。
だけど、ちょっと違うな~(゜o゜) 「成生岬」は大浦半島だ。舞鶴ですね。
でも、ま、いいか! 京都府北部は古くは「丹後王国」の支配地だと思えば間違いじゃない。(^^♪
舞鶴市成生。大浦半島のまん中、岩壁のギザギザした海岸線の中の、小さな入り江にぽつんと存在する小さなちいさな集落。
ここ、行ったことありません。丹後半島の伊根の舟屋も似た感じ。日本海は潮の満ち干が太平洋側より大きくないので、こんな家屋が可能になったんでしょうか?
半分以上が空き家の、しんと静まり返ったひなびた集落を想像していた。
この勢いを感じる空気は何なのだろうと、きょろきょろしてしまう。
ワタクシ的に考えると、漁村と山村の違いの一つは、生計の在り方だと思う。狩りと農耕。漁村は獲物(魚介)を追い掛けて日々の労働で結果が出る。農山村は1年サイクルでの収穫。なので漁師さんは荒っぽいが、お百姓はのんびり…、て、なんのエビデンスも無い憶測ですが(^_-)
「こんにちは。灯台に行こうと思いまして。」Kさんがご挨拶されると、
「昔は道があったが、今はもう無い。30年間草刈りもしていない。行くのは無理だ。」
と首を振られた。
灯台はどうなってるんでしょう? 遠隔操作で動いてる?
道が無いと言われると行ってみたくなりますね。僕の前に道はない。僕の後に道はできる…!
田畑の跡を探しながら昔の道を辿り△213.4に登りましょうかと、歩く前にお話ししていたが、・168に登り向かうことにした。
破線の道は全くダメなんですか? ・168から尾根伝いに先端へ向かったんですね。
青い海には親子のようなふたつの島が絶妙な間隔で浮かんでいた。
すぐ横の断崖には可憐な白い花が咲いていた。
大きいほうが冠島、小さいのが沓島。
若狭湾の関所みたいな兄妹島。ここで京都府域の舞鶴湾や栗田湾と福井県の高浜や小浜の海と分かれます。
冠島の関所役人はオオミズナギドリ。京都府の府鳥になってます。
向きを変えると、緑の木立の向こうから、湖のような海と双耳峰のうつくしい山が覗いていた。内海湾と大立山、続けて教えてくださる。
「内浦湾」でしょうか? 双耳峰といえば、南側の青葉山は視野に入らなかったでしょうか?
成生岬の人口物は、やはり軍事施設だった。
軍港だった舞鶴港沿岸には、ロシアの脅威に備え、数か所に要塞が設けられ、成生岬要塞は昭和9年に築かれた。わたし達が見たのは、海軍防備隊の官舎と砲台の跡だった。
舞鶴港自体が軍港都市だった(今でも海上自衛隊基地ですが)ので、周辺に幾つも軍事施設跡があります。西舞鶴の「舞鶴冨士」の山頂にも砲台が海を睨んでました。
「奥に存在した、村よりも大きな畑」は、桑畑だったのかなぁ、と思ったりした。
丹後・与謝地方は「丹後ちりめん」の産地で、養蚕も盛んだったんでしょう。子どもの頃、農家の屋根裏(たか)にはカイコさんのベッドが並んでました。桑畑で今頃、熟し始めた桑の実をオヤツ代わりに食べてました。口を真っ黒にして(^_-)
いろいろな風景と出会い、何にも知らなかった自分を感じる。そして、いろいろなことを知りたくなる。
ちょこっと知ると、そこから広がっていくものを感じる。また、何にも知らない自分を感じる。
旅って面白いなぁとしみじみと思う。
レポ読みながら、マジ、そんな気持ちになりました。
私の故郷は丹後半島の先端近く。今はすっかり暮らしが変わり、昔の面影はありません。それでも、自然のカタチや潮風に触れる旅に出かけてみたいものです。

            ~びわ爺
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

投稿記事 by sato »

琵琶爺さま

こんばんは。雨が来ましたね。明日の朝は本降りでしょうか。
コメントありがとうございます。
琵琶爺さんより私の方が亀さんです。世の中の流れについていっていません。

潮の満ち干の大きさと漁村の家屋の形の関係性、漁師さんとお百姓さんの生計の在り方と気質の関係性、
冠島のオオミズナギドリ・・・琵琶爺さんのお話、とても面白く、進んでは戻り読みいってしまいました。
成生の山旅から繋がっていくものを感じました。

成生岬灯台の保守には船で訪れるそうです。
船着き場は確認しませんでしたが、要塞の跡が残る鞍部から岬までは整備された道がありました。
破線は辿ってみたいなと思っていたものの、こだわりはありませんでしたので、手前で尾根に乗ってしまいました。
どのくらい荒れているのか、もう埋もれてしまっているのか分かりませんが、
お会いした方々、口をそろえて「無理」とおっしゃっていました。
成生の歴史を覗き、埋もれてしまっていても、辿ってみたい気持ちが増しました。

「冠島と沓島は、若狭湾の関所のような兄妹島。冠島の関所役人はオオミズナギドリ」
ワクワクドキドキしました。
琵琶爺さんの兄妹島の物語の続きをお聞きしたいです。
オオミズナギドリってかわいい顔の鳥ですね。冠島は繁殖地なのですね。

湖のような海は「内浦湾」でした。失礼いたしました。
青葉山も見えました。この日は大立山のうつくしいお姿に目が釘付けになって・・・。
青葉山もうつくしいお山ですね。
双耳峰のお姿も好きですが、加斗辺りから眺めるきりりと尖がったお姿にこころがときめきます。

地図を見ると東舞鶴港は自衛隊の施設だらけですね。西舞鶴は城下町の顔を持つ。散策したくなりました。
伊根は何十年も前から訪れたいと思っている町です。
でも、次も、その次も、お休みの日はお山かな。

今は漁村の成生は、少し前は農村でもあったのですね。
男達は漁に出て、女達は畑を耕し、桑を植え、お蚕さんを育てていたのだなと。
丹後ちりめんは全国的に有名ですね。
富国強兵の礎を築いたといわれる養蚕業。昭和初期には全国の畑地面積の4分の1が桑畑だったそうです。
琵琶爺さんのふるさとにも桑畑が広がっていたのですね。
桑の実って、どんな味がするのでしょう。桑の実ジャムは食べたことがありますが。

琵琶爺さんは、丹後半島の先端がふるさとなのですね。
私が生まれたのは相模湾を見下ろす地です。4歳まで過ごしました。社宅住まいでしたが。
山と海、両側から吹いてくる風の匂いがからだの中に刻まれているのを感じます。
その記憶が私を山へと向かわせるのかなぁ、と思ったりもします。
山を歩いていると、海を眺めていると、覚えていない風景を感じたりします。

sato
バーチャリ
記事: 547
登録日時: 2011年3月12日(土) 20:58

Re: 【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

投稿記事 by バーチャリ »

sato さんおはようございます、

2日目のワクチンを接種して様子を見ていましたが
なんの症状も出ませんでした。
花見に行こうかまよっています。



小さな入り江の漁港には、何艘もの漁船が勇ましく並んでいた。
その船を見守るように、海岸のわずかな平地にはがっしりとした家が立ち並び、



地図を見ると小さい湾なんですね。



鬼瓦や鯱で飾られた屋根が初夏の陽射しを受けて煌めいていた。
車置き場と化しているが立派な舟屋も軒を連ねている。


舟屋は宿泊できるのでしょうか
伊根の舟屋に泊まりましたが 伊根を思い出します。



ごぉーっとエンジン音を響かせて一艘の船が港に入ってきた。
青空を貫く快活な音に、漁業で潤っている集落なのだな、と感じる。
どんな魚が獲れるのだろう。


干物を売っている売店は無かったですか


地図に記された岬の手前まで延びる道と点在する田畑の記号。
30年くらい前までは、この道を行き来し作物を育てていたそうだ。
「行けるところまで行って戻りますね。」とお伝えして裏の道に入る。


地形図を見ると岬の近くまで道?が延びていますよね。


道が駄目だったら尾根で行くと申し上げると、山の中も草ボーボーで、猪や猿、鹿だらけだと。
それでも、気を付けてね、と笑顔で送ってくださった。


二人ですもんね 怖くないですよね。
でもダニが心配です。
私はダニに刺され病院で取ってもらいましたが


ひと登りすると、常緑樹と落葉樹が混生する稜線が視線の先に延びていた。
おばさんの予想とは異なり、下草はほとんどなく歩き易い。
アベマキやヤマザクラのうつくしい幹の模様に目を惹かれながら、
爽やかな緑の中を、登り下りを繰り返し岬へと向かっていく。


ヤマザクラが咲く時期もよさそうですね。


時折、きゅん!と鳴き声がして、斜面を鹿が駆けていく。
おばさん達が困るから村には下りないでね、と白いおしりに声をかける。
・166の北のピークから、ヤブニッケイの間を抜け痩せ尾根に出ると、


きのう御猿さんが出没して農作物を荒し困ってると放送されていました。。




青い海には親子のようなふたつの島が絶妙な間隔で浮かんでいた。
すぐ横の断崖には可憐な白い花が咲いていた。
大きいほうが冠島、小さいのが沓島。
白い花はシモツケの仲間で若狭、丹後の固有種のタンゴイワガサ、とKさんが教えてくださる。


タンゴイワガサはシモツケの仲間なんですね。
調べて見るととても綺麗な花ですね。



小さな半島の山旅を重ねていらっしゃるKさんのお話はとても興味深い。
山の奥へ奥へと目が向いてしまうわたしは、
最近まで、海が入っている地図を広げても海岸線をじっくりと読んだことがなかった。
初めて半島の山旅のお話をお聞きし、ご一緒させていただいた時、
日本の自然、風土は、なんてうつくしく、ゆたかなのだろう、とどきどきし、
わたしはなんにも知らないのだなぁ、としみじみ感じた。
今日も目を見張る光景の連続だ。



Kさん素敵な山歩きされていますね。


成生はブリ網漁で豊かな集落。立派な屋根の家々は「ブリ御殿」と呼ばれているそうだ。
明治時代には養蚕も盛んで、臨時の労働者を600人も雇っていたという。
漁港に戻ってきた時、数人の若い漁師さんが作業をされていた。
陽に焼けたお顔に、この地に生きる誇りのようなものを感じた。


写真で立派な家並みだなと思っていましたが
ブリ御殿ですか 納得です。


いろいろな風景と出会い、何にも知らなかった自分を感じる。そして、いろいろなことを知りたくなる。
ちょこっと知ると、そこから広がっていくものを感じる。また、何にも知らない自分を感じる。
旅って面白いなぁとしみじみと思う。


素敵な山旅お疲れ様でした。

   バーチャリ
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【丹後】両方の耳に波音を感じながら 半島の山旅 成生岬へ

投稿記事 by sato »

バーチャリさま

こんばんは。
2か月近く前の山旅記を読んでくださり、コメントまで書いてくださり、ありがとうございます。

バーチャリさん、無事二回目のワクチン接種を終えられたのですね。よかった、よかったです。
今日、仕事場でアユを炊いているおじさんから、
昨晩、近所の方が二回目の接種を受けた後、容態が悪くなり救急車で運ばれたと聞きました。
ほとんどの人は何事もないのでしょうが、副作用が出てしまう人もいるので心配です。

どちらのお山にお花を愛でにお出かけになられたのでしょうか。
アクティブなバーチャリさん、
またおひとりで車を運転し、遠くのお山を楽しんでいらっしゃったのでは、と想像しております。

海と山に飲みこまれてしまいそうな小さな集落、成生。
うんと鄙びた風景を描いていましたが、立派な舟屋、どっしりとした家々にびっくりしました。
観光ではなく漁業で成り立っている集落なのですね。
村内には一軒のお店も見かけませんでした。
伊根は舟屋が宿泊施設にもなっているのですね。成生の舟屋は駐車場兼物置になっていました。

地形図に記された岬の近くまで延びている今は無き道を、いつか辿ってみたいなぁと思っています。
山を下り、集落のことをちょこっと知ると、またその集落から繋がるお山を辿りたくなります。

山には、いろいろな生き物が暮らしていますよね。ダニは厄介ですね。
今シーズンも何度か噛みつかれ自分で取りました。今日も足が痛痒くて見てみたらダニが!

断崖に咲くタンゴイワガサ、凛としたうつくしさでした。
きれいなお花、だけでもいいのですが、
名前を知ると、そのお花のうつくしさをこうして語り合うことが出来ますね。

Kさんとの山旅から、山歩きを想像し創造する楽しさ、
ひとつの山歩きから繋がっていくものを感じる楽しさを学ばせていただいています。
Kさんとご一緒させていただく中で、
私は、私が在る限り、限りなく山歩きを表現していくことが出来るのだなぁ、
と感じるようになりました。

素敵な山旅、と感じてくださりうれしいです。
バーチャリさんも素敵な山旅を重ね、これからも重ねていかれるのですね。
素敵な山旅を感じられるのって、しあわせなことですね。

sato
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