【比良】 春を囁く比良の山でわたしに出会う
Posted: 2021年5月05日(水) 21:02
【日 付】 2021年4月11日(日)
【山 域】 比良
【天 候】 晴れ
【ルート】 黒谷~シロタ谷峠~笹峠~釣瓶岳~スゲ原~1070m台地~広谷~
ナガオ尾根~栗木田谷右岸尾根~黒谷
獣柵の扉を開けると、ぽっ、とあたたかな光が瞳に飛び込んできた。
湿っぽい谷沿いの林道は、まっ赤な椿の花で飾られていた。
朝、ぐずぐずしていたけれど、来てよかったと早くも思う。
帰りにふたつみっついただこう。開き始めた花にそっと触れ、さぁ出発だ、と前を向く。
二俣に着き、右の栗木田谷の林道に進む。植林の中を流れてくる枝谷を右に見て、地図を開く。
笹峠に行こうかな。釣瓶岳山頂直下でお昼ご飯、それだけは決まっていた。
歩き始めた時は、イクワタ峠に向かおうと思っていたが、気が変わり、イン谷という名のちいさな谷に入る。
右も左も植林のじめっと薄暗い谷だが、しんみりとした気持ちになる物語の詰まった谷だ。
緩やかな斜面は整地され、えんえんと石積みが続いている。
初めてこの光景に出会った時は言葉を失った。どきどきしながら、かつての田んぼを一段一段登っていった。
峠に着くと、石積みは棚田で有名な畑の集落側にも続いていた。
今日も、あれこれ思いを巡らせながら、田んぼの跡を登っていく。
しんとした杉林の中に澄んだ水音が響き渡る。移りゆく風景と変わらぬ水の音。
谷に目をやると、ちいさな二俣のまんなかの平地にも耕した跡が。
太陽の光が降り注ぐ草地に、開けた田んぼの風景の面影を見て、胸に痛みを覚える。
峠から510mの台地に登ってみる。そこは落葉樹が立ち並ぶ広場だった。
なんともいえない穏やかな空気に、
この地を耕した人々が、自らが耕した、ご先祖様が耕した田んぼを眺め、ひと休みしていたのだと確信する。
石積みは、台地の先、急こう配になる手前まで築かれていた。植林はその先も続いた。
峠を目指し、よいしょよいしょと登っていくと、ぼんやりとした道形と出合った。
峠道かどうかは分からない。なんとなく辿っていくと突然林道くらいの道幅になり、笹峠に着いていた。
ずっと植林の尾根だったな。分かっていたのだが、うん、味わい深かった、と頷いている自分にうれしくなる。
ピピピッ、と甲高い鳥のさえずりが耳を貫いた。
なぁに?
声の主の方を向き、あっ、と息を呑んだ。
なんて、こころに沁みる風景なのだろう。
あたたかな春の陽射しを浴び、穏やかに煌めく猪谷源頭のたおやかな起伏。
ダンコウバイの花でふんわりとした黄色に彩られた稜線。
日々眺めるお山の、何度か訪れた場所の、一期一会の輝きが、
こころの奥底の、無意識の中で大切にしているちいさな輝きと、やわらかに溶け合っていくのを感じ、
てのひらを、ぎゅっと握り締める。
ほんとうに、来てよかった。
再び、うん、うんと大きく頷き、ここちよさ、かなしさに、そのまま固まり動かなくなってしまいそうになるのを遮り、
ふわりと通り抜けていく風に揺れ「春だよ、春だよ」と囁く木々の間を縫いながら、イクワタ峠へと歩みを進める。
お気に入りのアセビのピークに着き、うみを眺める。
鈴鹿の山並みの上に並ぶまっ白な雲を見て、おもわず「ヒマラヤだぁ」と口走ってしまう。
ヒマラヤか。では、わたしは、今、どこを歩いているのだろう。
なんだか愉快な気分になり、お腹が空いたと現実に戻り、今日も静かに佇む釣瓶岳を見上げ、急ぎ足で坂道を登っていく。
山頂直下の定位置に着き、ザックを背もたれにして腰を下ろす。
ひと息ついて、家を出る前にあわててにぎった不格好なおにぎりをほおばる。
時が止まったようなやわらかな風景の中、蛇谷ヶ峰を見つめながらおにぎりを食べるわたしがいる。
山とわたしの間を、静かにしずかに時が流れていく。
釣瓶岳からは、ナガオに進みかけたが、イワヒメワラビが生い茂る前の開放感に溢れた谷に引き寄せられ、
鴨川の源流に駆け降りていた。杉木立を抜けるとスゲ原。
戦後から私の生まれる少し前まで、滋賀刑務所の更生施設があり、炭焼きや耕作をしながら受刑者が日々を送っていたという。
多くの登山者でにぎわう比良のお山には、こんな歴史もあったのだ。
「人生のやりなおしの場かぁ・・・。」
流れゆく水を眺める。
まっすぐに流れてきた水が、目の前で「つ」の字を描き、またまっすぐに流れてゆく。
わたしは蛇行を繰り返し、どこに向かうのかな、とふと思う。
流れを追いながら少し歩き、ここだ、と足を止め、武奈ヶ岳東の1070m台地の尾根に取りつく。
ひと登りして、わぁーっ、と目がまんまるになる。
しばらく忘れていた無邪気な感動。すごいものを見てしまったという興奮。
これまで眺めてきた武奈ヶ岳より、圧倒的に大きくて、凛々しいお姿の武奈ヶ岳が、目の前に在ったのだ。
興奮に包まれながら、次の雪の季節、この大きなおおきな山肌から山頂に近づこうとこころに決める。
後ろ髪を引かれつつ、ちいさな輝きを放つ地味な台地を後にし、広谷に降り立つと、
今度は一本のアシュウ杉に導かれ、ナガオへと登っていく。
ぽこぽこと小山を越えていくと、あれよあれよという間に、お昼過ぎの場所に戻っていた。
駆け降りた谷は光り溢れ、鈴鹿のお山の向こうには、ヒマラヤが浮かんでいた。
わたしの見た風景はまだそこに在った。
時は静かに流れゆき、わたしの眼はわたしの過去、現在、未来を同時に感じていた。
握りしめていた手をそっと開く。
がさついたてのひらの上で、むかしむかしから掬い上げてきた砂粒のような宝物が、
午後の陽射しを受け、きらきらと煌めいているのを感じた。
ちいさい頃からちいさな輝きを見つけては、
すごいものを見つけた、と、たいそうによろこんでいたなぁ、
ちっとも変っていないなぁ、と空を見て笑う。
わたしの山をからだいっぱいに感じる。鼻の奥がツンとなる。
いけない。輝く風景が滲んでしまう前に、駆け出そう。
おさないころから大好きだった椿の花を摘んで、お家に帰ろう。
sato
【山 域】 比良
【天 候】 晴れ
【ルート】 黒谷~シロタ谷峠~笹峠~釣瓶岳~スゲ原~1070m台地~広谷~
ナガオ尾根~栗木田谷右岸尾根~黒谷
獣柵の扉を開けると、ぽっ、とあたたかな光が瞳に飛び込んできた。
湿っぽい谷沿いの林道は、まっ赤な椿の花で飾られていた。
朝、ぐずぐずしていたけれど、来てよかったと早くも思う。
帰りにふたつみっついただこう。開き始めた花にそっと触れ、さぁ出発だ、と前を向く。
二俣に着き、右の栗木田谷の林道に進む。植林の中を流れてくる枝谷を右に見て、地図を開く。
笹峠に行こうかな。釣瓶岳山頂直下でお昼ご飯、それだけは決まっていた。
歩き始めた時は、イクワタ峠に向かおうと思っていたが、気が変わり、イン谷という名のちいさな谷に入る。
右も左も植林のじめっと薄暗い谷だが、しんみりとした気持ちになる物語の詰まった谷だ。
緩やかな斜面は整地され、えんえんと石積みが続いている。
初めてこの光景に出会った時は言葉を失った。どきどきしながら、かつての田んぼを一段一段登っていった。
峠に着くと、石積みは棚田で有名な畑の集落側にも続いていた。
今日も、あれこれ思いを巡らせながら、田んぼの跡を登っていく。
しんとした杉林の中に澄んだ水音が響き渡る。移りゆく風景と変わらぬ水の音。
谷に目をやると、ちいさな二俣のまんなかの平地にも耕した跡が。
太陽の光が降り注ぐ草地に、開けた田んぼの風景の面影を見て、胸に痛みを覚える。
峠から510mの台地に登ってみる。そこは落葉樹が立ち並ぶ広場だった。
なんともいえない穏やかな空気に、
この地を耕した人々が、自らが耕した、ご先祖様が耕した田んぼを眺め、ひと休みしていたのだと確信する。
石積みは、台地の先、急こう配になる手前まで築かれていた。植林はその先も続いた。
峠を目指し、よいしょよいしょと登っていくと、ぼんやりとした道形と出合った。
峠道かどうかは分からない。なんとなく辿っていくと突然林道くらいの道幅になり、笹峠に着いていた。
ずっと植林の尾根だったな。分かっていたのだが、うん、味わい深かった、と頷いている自分にうれしくなる。
ピピピッ、と甲高い鳥のさえずりが耳を貫いた。
なぁに?
声の主の方を向き、あっ、と息を呑んだ。
なんて、こころに沁みる風景なのだろう。
あたたかな春の陽射しを浴び、穏やかに煌めく猪谷源頭のたおやかな起伏。
ダンコウバイの花でふんわりとした黄色に彩られた稜線。
日々眺めるお山の、何度か訪れた場所の、一期一会の輝きが、
こころの奥底の、無意識の中で大切にしているちいさな輝きと、やわらかに溶け合っていくのを感じ、
てのひらを、ぎゅっと握り締める。
ほんとうに、来てよかった。
再び、うん、うんと大きく頷き、ここちよさ、かなしさに、そのまま固まり動かなくなってしまいそうになるのを遮り、
ふわりと通り抜けていく風に揺れ「春だよ、春だよ」と囁く木々の間を縫いながら、イクワタ峠へと歩みを進める。
お気に入りのアセビのピークに着き、うみを眺める。
鈴鹿の山並みの上に並ぶまっ白な雲を見て、おもわず「ヒマラヤだぁ」と口走ってしまう。
ヒマラヤか。では、わたしは、今、どこを歩いているのだろう。
なんだか愉快な気分になり、お腹が空いたと現実に戻り、今日も静かに佇む釣瓶岳を見上げ、急ぎ足で坂道を登っていく。
山頂直下の定位置に着き、ザックを背もたれにして腰を下ろす。
ひと息ついて、家を出る前にあわててにぎった不格好なおにぎりをほおばる。
時が止まったようなやわらかな風景の中、蛇谷ヶ峰を見つめながらおにぎりを食べるわたしがいる。
山とわたしの間を、静かにしずかに時が流れていく。
釣瓶岳からは、ナガオに進みかけたが、イワヒメワラビが生い茂る前の開放感に溢れた谷に引き寄せられ、
鴨川の源流に駆け降りていた。杉木立を抜けるとスゲ原。
戦後から私の生まれる少し前まで、滋賀刑務所の更生施設があり、炭焼きや耕作をしながら受刑者が日々を送っていたという。
多くの登山者でにぎわう比良のお山には、こんな歴史もあったのだ。
「人生のやりなおしの場かぁ・・・。」
流れゆく水を眺める。
まっすぐに流れてきた水が、目の前で「つ」の字を描き、またまっすぐに流れてゆく。
わたしは蛇行を繰り返し、どこに向かうのかな、とふと思う。
流れを追いながら少し歩き、ここだ、と足を止め、武奈ヶ岳東の1070m台地の尾根に取りつく。
ひと登りして、わぁーっ、と目がまんまるになる。
しばらく忘れていた無邪気な感動。すごいものを見てしまったという興奮。
これまで眺めてきた武奈ヶ岳より、圧倒的に大きくて、凛々しいお姿の武奈ヶ岳が、目の前に在ったのだ。
興奮に包まれながら、次の雪の季節、この大きなおおきな山肌から山頂に近づこうとこころに決める。
後ろ髪を引かれつつ、ちいさな輝きを放つ地味な台地を後にし、広谷に降り立つと、
今度は一本のアシュウ杉に導かれ、ナガオへと登っていく。
ぽこぽこと小山を越えていくと、あれよあれよという間に、お昼過ぎの場所に戻っていた。
駆け降りた谷は光り溢れ、鈴鹿のお山の向こうには、ヒマラヤが浮かんでいた。
わたしの見た風景はまだそこに在った。
時は静かに流れゆき、わたしの眼はわたしの過去、現在、未来を同時に感じていた。
握りしめていた手をそっと開く。
がさついたてのひらの上で、むかしむかしから掬い上げてきた砂粒のような宝物が、
午後の陽射しを受け、きらきらと煌めいているのを感じた。
ちいさい頃からちいさな輝きを見つけては、
すごいものを見つけた、と、たいそうによろこんでいたなぁ、
ちっとも変っていないなぁ、と空を見て笑う。
わたしの山をからだいっぱいに感じる。鼻の奥がツンとなる。
いけない。輝く風景が滲んでしまう前に、駆け出そう。
おさないころから大好きだった椿の花を摘んで、お家に帰ろう。
sato