【湖西】芦原岳〜明王の禿☆青藍の雪原から純白の国境稜線へ satoさんコースを周回
Posted: 2021年2月15日(月) 20:53
【 日 付 】2021年2月6日
【 山 域 】 湖西
【メンバー】山猫単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】白谷林道入口5:17〜6:55p779〜7:19芦原岳7:23〜8:05猿ケ馬場山〜8:29黒河峠〜9:25三国山9:45〜10:07明王ノ禿〜11:00駐車地
日中は広い範囲で晴天が期待されるこの日、午後から仕事の都合で自宅に戻らなければならない。Web講習会なるものを受講する必要があるのだが、それがコロナ禍でわざわざ東京まで出張しなくても自宅で受講できるというのは有難い話ではあるが、よりによって滅多にないような好天の日になるとは無念極まりない。
かくなる上は午前中に下山する山行計画を考える他ない。前日は雪を求めて百里ヶ岳を周回したのだが、スノーシューはほとんど出番がなく終わってしまったのだった。雪が残っている山で手軽にアプローチ出来る山・・・芦原岳が真っ先に頭に浮かんだ。そこから先に辿るコースも自ずと決まる。グーさんのrepが最近上がったばかり、いわゆるsatoさんコースだ。
先々週の週末、雨雲レーダーによる雲の動きから判断した雨の切れ目を狙って、この芦原岳の山麓まで来たものの、雨雲の切れ目もなくなり、結局、山麓の在原で蕎麦を食べて帰ることになったのである。
北に向かう車の中ではラジオから流れてくる天気予報では朝のうちは雲が残るという。琵琶湖の上では朧ろげに輪郭が霞んでいた月がマキノのあたりにくると煌々と光を放つようになる。どうやら早朝からの好天が期待できそうだ。二週間前にはまだ残っていたメタセコイア並木の周囲の雪も完全に消失している。しかし、白谷集落を過ぎると突如として道路の周囲にはかなりの積雪が現れる。
白谷林道の入り口の手前の道路余地に車を停めて、街路灯の明かりで準備を整える。スノーシューをリュックに括り付けて出発するが、全くの無駄であった。林道はその入口からつぼ足ではかなり沈み込むほど、十分に積雪していたからである。
東の夜空には少し欠けた上弦の月が浮かんでいる。月明かりでも歩けるほどに十分に明るいので、ヘッデンの光は最弱のモードにする。林道は斜面をジグザグと九十九折にのぼってゆくが、林道の折り返し点から植林の尾根を直登する。
尾根をの登るにつれ、植林の樹々は早くも疎らとなり、気が付くと背後には月明かりに微かに照らされた江若国境の雪稜が闇に浮かぶ。満月であれば月明かりに照らされた稜線を写真に撮ることが出来たかもしれないが、残念ながらこの時間帯に満月が登ることはあり得ない。
急登の斜面をのぼると途端に緩斜面の雪原に出る。疎らに生える樹々のシルエットが暁の空に浮かび上がる。
気が付くと背後の三国山から大谷山へと至るまでの国境稜線は深い藍色のモノトーンに染まっている。周囲の雪原も青一色だ。英語ではblue hourと云うが、元来はフランス語のl’heure blueの観念らしい。実際には世界が全て青く染まるのは刹那とも云うべき短い時間だ。
雪原からは眼下に今津から高島の市街の明かりがみえる。その手前で等間隔に並ぶ明かりはメタセコイア並木の街路灯だろう。彼方の朝霧の中で島のように浮かび上がっているのは比良山地だ。その上では蓬莱山のスキー場が不夜城のように強い光を放つ。雪原の青い光景にすっかり魅了され、なかなか先に進めない。
ようやく雪原の緩斜面から雪庇の張り出した尾根を登ると、再び尾根は大きく広がり、今度は一面のブナの濃密な純林に入る。一様に端正な樹形のブナの若木がほぼ等間隔に立ち並ぶ樹林はまるで絵画のように非現実的だ。『華奢だけれど濃密なブナの木立が迷路のような森を作り出す』・・・アオバトさんは実に見事な表現をされたものだ。
先ほどまでの青い空は緞帳を引き上げられたかのように急速に消えてゆく。中空では月が取り残されたかのように寂しげに光を放つ。
広い尾根には左手から植林が現れる。右手の乗鞍岳のあたりでは空が明るい朱色に輝いているが、太陽が昇るはずの方角だけ帯状に雲が広がっている。この分ではご来光を拝むことは難しいだろうと思い、ブナの樹林をのんびりと歩く。
芦原岳の山頂の手前のブナ林に差し掛かると途端に樹高の高い壮麗なブナの樹林となる。突然、背後から光が差し込み、乗鞍岳への稜線の上から朝陽が樹林に差し込む。途端にピンク・ゴールドに輝く林床の雪の上にブナの細長く繊細なシルエットが現れる。
ブナの斜面をのぼりつめたその先は送電線鉄塔のある雪原となっていた。いつのまにか東の空にかかる雲の薄くなり、乗鞍岳へと続く稜線の上を朝日が浮かんでいる。しまった、あとわずかに早ければのご来光を拝むことが出来たことだろう。
とはいえ、この雪原から壮大な朝日の光景を眺めることが出来るだけでも十分に贅沢かもしれない。乗鞍岳の左に目をむけると岩籠山へと続く長い稜線の彼方に左千方、三周ヶ岳、上谷山と県境の稜線を眺望する。
再びブナの小さな樹林をぬけて、芦原岳のピークとなる北端の送電線鉄塔広場に向かう。ここは二年前の無雪期にも長男を伴って赤坂山から縦走したところである。送電線鉄塔までの道の両側は背丈以上の低木が生えていたが、今は雪の下に低木の樹林があるとは想像もつかない。送電線鉄塔の下からは正面に敦賀湾をはさんで、右に岩籠山、左に野坂岳を望む。そして西にはこれから辿る三国岳への雪稜が目に入る。
尾根は複雑に蛇行を繰り返すが樹木のない雪原が続いている。尾根が西向きに大きく向きを変えることになる小ピークのca810mには猫型の送電線鉄塔が立っているが、この送電線は尾根の西側のピークに立つ鉄塔との間にわずかに送電線が張られているだけである。どうやらここだけ建設して、延伸することを止めてしまったようだ。Ca810mからは未完の送電線鉄塔に沿ってブナの尾根を下降する。
未完の送電線の端の鉄塔に至ると再び広々とした雪原の尾根になる。下降してきた芦原岳を眺めながら尾根を南下すると猿ヶ番場山の山頂に至る。山頂からは南の白谷に向かって疎林の尾根が下降してゆく。時間がなければこの尾根を下降するのも一興だと思っていたが、この日はまだ十分に時間の余裕があるので先に進むことにする。
夏道は猿ヶ番場山の北斜面をトラバースしているので、このあたりは歩いたことがないのだが、猿ヶ番場山から黒河峠に向かうと大きな雪庇の発達したやせ尾根が現われる。慎重にやせ尾根の通過すると樹高の高いブナの樹林にはいる。初夏の季節、黒河峠から尾根を東進するとすぐに現れるこのブナの梢に見た緑の深さを思い出す。
P620のピークの北側は送電線鉄塔のために大きく切り開かれており、展望はよいのだが、かつてはここにもブナの美林が広がっていたことだろうと思うと少し切ない気分になる。
黒河峠に下ると丁度、林道をしたから登ってこられた山スキーの男性と遭遇する。この時間に東から尾根を下ってくる者がいることに驚かれたようだ。「一体、どこから来られたんですか?」と聞かれるので、コース取りをご説明すると、もう一度、驚かれる。男性も三国山を目指されるようで、私が先行するが、すぐ後を登ってこられる。気温が高いせいだろう、雪質は急に腐りはじめたようだ。一息いれたところですぐに男性に抜かされる。
尾根の登につれて徐々に締まってくる。すぐ前を行く男性に雪質の変化の印象を伝えると「私も急に歩きやすくなりました」とのこと。スキーでも沈み込みが少ないと歩きやすいらしい。
Ca820mのあたりからはようやく三国岳の山頂部が大きく視界に入る。ここまでは東尾根を登ってきたが、尾根伝いに北尾根に回り込ん山頂を目指す。このあたりも無雪期は背丈ほどの灌木が繁茂しているところだが、雪が灌木を覆いつくした今の時期はどこでも自由に歩けるのが嬉しい。男性は休憩するというので一足お先に山頂へと向かう。
東側に大きく雪庇が出来た山頂は360度の大展望が広がる。西には赤坂山、その先に大御影山へと至る稜線、東には辿ってきた芦原岳の彼方に金糞岳、その右手には伊吹山、霊仙、御池岳、左手には先ほどの芦原岳から見た江美国境の山々も見える。すぐにも後から先ほどの男性が登ってこられる。奈良から来られたそうだ。しばし男性と山談義を交わしたあと、男性とお別れして私は最後の目的地、明王の禿へと向かう。
三国岳と明王の禿との間は明瞭な稜線が続いているわけではなく、いくつもの小さな丘陵と襞が絡み合って複雑な地形を形成している。その丘陵の間を足の赴くままに彷徨うことにする。灌木を覆いつくす雪原が無雪期には知る由もなかった優美な地形を見せてくれる。
明王の禿に至ると赤坂山の方からワカンの跡がある。勿論、真新しいものではなく、昨日以前のものだろう。いよいよここで、江若国境の山のパノラマとお別れだ。迫力ある明王の禿の荒々しい岩肌を右手に眺めながら、次第に強さを増してゆく日差しの中を白谷に向かって下降する。最初はなだらかな稜線が続いているが、尾根は次第に傾斜を増してゆく。
下から山スキーで登ってこられる単独行の男性と出遭う。「この尾根を下る人と出遭うとは思いませんでした」と仰る。登りでは時に使われるが、下降は厳しい箇所があるとのこと、男性はよくこの尾根を登っておられるようだ。
男性とお別れすると、まもなくp470に向かって急下降となる。確かにここが難所なのだろう。鞍部に下降し、わずかにp470に登り返すと、後は黒河林道に向かって緩やかに尾根を下降してゆく。先ほどの男性はおそらく既に黒河林道を下降したことだろう。積雪した林道の上には二筋のシュプールの跡があった。
最後は別荘地の中を歩いて車道に向かうと、丁度、車の上に出ることが出来た。雲一つない快晴の空の下に広がる白銀の稜線に後ろ髪を強くひかれながら、京都の自宅に向かって車を走らせるのだった。この日の午後の予定に半ば腹立たしく思いながらも、よくよく考えるとこの予定が私を芦原岳から三国岳への江越国境に駆り立てたのかもしれない。
【 山 域 】 湖西
【メンバー】山猫単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】白谷林道入口5:17〜6:55p779〜7:19芦原岳7:23〜8:05猿ケ馬場山〜8:29黒河峠〜9:25三国山9:45〜10:07明王ノ禿〜11:00駐車地
日中は広い範囲で晴天が期待されるこの日、午後から仕事の都合で自宅に戻らなければならない。Web講習会なるものを受講する必要があるのだが、それがコロナ禍でわざわざ東京まで出張しなくても自宅で受講できるというのは有難い話ではあるが、よりによって滅多にないような好天の日になるとは無念極まりない。
かくなる上は午前中に下山する山行計画を考える他ない。前日は雪を求めて百里ヶ岳を周回したのだが、スノーシューはほとんど出番がなく終わってしまったのだった。雪が残っている山で手軽にアプローチ出来る山・・・芦原岳が真っ先に頭に浮かんだ。そこから先に辿るコースも自ずと決まる。グーさんのrepが最近上がったばかり、いわゆるsatoさんコースだ。
先々週の週末、雨雲レーダーによる雲の動きから判断した雨の切れ目を狙って、この芦原岳の山麓まで来たものの、雨雲の切れ目もなくなり、結局、山麓の在原で蕎麦を食べて帰ることになったのである。
北に向かう車の中ではラジオから流れてくる天気予報では朝のうちは雲が残るという。琵琶湖の上では朧ろげに輪郭が霞んでいた月がマキノのあたりにくると煌々と光を放つようになる。どうやら早朝からの好天が期待できそうだ。二週間前にはまだ残っていたメタセコイア並木の周囲の雪も完全に消失している。しかし、白谷集落を過ぎると突如として道路の周囲にはかなりの積雪が現れる。
白谷林道の入り口の手前の道路余地に車を停めて、街路灯の明かりで準備を整える。スノーシューをリュックに括り付けて出発するが、全くの無駄であった。林道はその入口からつぼ足ではかなり沈み込むほど、十分に積雪していたからである。
東の夜空には少し欠けた上弦の月が浮かんでいる。月明かりでも歩けるほどに十分に明るいので、ヘッデンの光は最弱のモードにする。林道は斜面をジグザグと九十九折にのぼってゆくが、林道の折り返し点から植林の尾根を直登する。
尾根をの登るにつれ、植林の樹々は早くも疎らとなり、気が付くと背後には月明かりに微かに照らされた江若国境の雪稜が闇に浮かぶ。満月であれば月明かりに照らされた稜線を写真に撮ることが出来たかもしれないが、残念ながらこの時間帯に満月が登ることはあり得ない。
急登の斜面をのぼると途端に緩斜面の雪原に出る。疎らに生える樹々のシルエットが暁の空に浮かび上がる。
気が付くと背後の三国山から大谷山へと至るまでの国境稜線は深い藍色のモノトーンに染まっている。周囲の雪原も青一色だ。英語ではblue hourと云うが、元来はフランス語のl’heure blueの観念らしい。実際には世界が全て青く染まるのは刹那とも云うべき短い時間だ。
雪原からは眼下に今津から高島の市街の明かりがみえる。その手前で等間隔に並ぶ明かりはメタセコイア並木の街路灯だろう。彼方の朝霧の中で島のように浮かび上がっているのは比良山地だ。その上では蓬莱山のスキー場が不夜城のように強い光を放つ。雪原の青い光景にすっかり魅了され、なかなか先に進めない。
ようやく雪原の緩斜面から雪庇の張り出した尾根を登ると、再び尾根は大きく広がり、今度は一面のブナの濃密な純林に入る。一様に端正な樹形のブナの若木がほぼ等間隔に立ち並ぶ樹林はまるで絵画のように非現実的だ。『華奢だけれど濃密なブナの木立が迷路のような森を作り出す』・・・アオバトさんは実に見事な表現をされたものだ。
先ほどまでの青い空は緞帳を引き上げられたかのように急速に消えてゆく。中空では月が取り残されたかのように寂しげに光を放つ。
広い尾根には左手から植林が現れる。右手の乗鞍岳のあたりでは空が明るい朱色に輝いているが、太陽が昇るはずの方角だけ帯状に雲が広がっている。この分ではご来光を拝むことは難しいだろうと思い、ブナの樹林をのんびりと歩く。
芦原岳の山頂の手前のブナ林に差し掛かると途端に樹高の高い壮麗なブナの樹林となる。突然、背後から光が差し込み、乗鞍岳への稜線の上から朝陽が樹林に差し込む。途端にピンク・ゴールドに輝く林床の雪の上にブナの細長く繊細なシルエットが現れる。
ブナの斜面をのぼりつめたその先は送電線鉄塔のある雪原となっていた。いつのまにか東の空にかかる雲の薄くなり、乗鞍岳へと続く稜線の上を朝日が浮かんでいる。しまった、あとわずかに早ければのご来光を拝むことが出来たことだろう。
とはいえ、この雪原から壮大な朝日の光景を眺めることが出来るだけでも十分に贅沢かもしれない。乗鞍岳の左に目をむけると岩籠山へと続く長い稜線の彼方に左千方、三周ヶ岳、上谷山と県境の稜線を眺望する。
再びブナの小さな樹林をぬけて、芦原岳のピークとなる北端の送電線鉄塔広場に向かう。ここは二年前の無雪期にも長男を伴って赤坂山から縦走したところである。送電線鉄塔までの道の両側は背丈以上の低木が生えていたが、今は雪の下に低木の樹林があるとは想像もつかない。送電線鉄塔の下からは正面に敦賀湾をはさんで、右に岩籠山、左に野坂岳を望む。そして西にはこれから辿る三国岳への雪稜が目に入る。
尾根は複雑に蛇行を繰り返すが樹木のない雪原が続いている。尾根が西向きに大きく向きを変えることになる小ピークのca810mには猫型の送電線鉄塔が立っているが、この送電線は尾根の西側のピークに立つ鉄塔との間にわずかに送電線が張られているだけである。どうやらここだけ建設して、延伸することを止めてしまったようだ。Ca810mからは未完の送電線鉄塔に沿ってブナの尾根を下降する。
未完の送電線の端の鉄塔に至ると再び広々とした雪原の尾根になる。下降してきた芦原岳を眺めながら尾根を南下すると猿ヶ番場山の山頂に至る。山頂からは南の白谷に向かって疎林の尾根が下降してゆく。時間がなければこの尾根を下降するのも一興だと思っていたが、この日はまだ十分に時間の余裕があるので先に進むことにする。
夏道は猿ヶ番場山の北斜面をトラバースしているので、このあたりは歩いたことがないのだが、猿ヶ番場山から黒河峠に向かうと大きな雪庇の発達したやせ尾根が現われる。慎重にやせ尾根の通過すると樹高の高いブナの樹林にはいる。初夏の季節、黒河峠から尾根を東進するとすぐに現れるこのブナの梢に見た緑の深さを思い出す。
P620のピークの北側は送電線鉄塔のために大きく切り開かれており、展望はよいのだが、かつてはここにもブナの美林が広がっていたことだろうと思うと少し切ない気分になる。
黒河峠に下ると丁度、林道をしたから登ってこられた山スキーの男性と遭遇する。この時間に東から尾根を下ってくる者がいることに驚かれたようだ。「一体、どこから来られたんですか?」と聞かれるので、コース取りをご説明すると、もう一度、驚かれる。男性も三国山を目指されるようで、私が先行するが、すぐ後を登ってこられる。気温が高いせいだろう、雪質は急に腐りはじめたようだ。一息いれたところですぐに男性に抜かされる。
尾根の登につれて徐々に締まってくる。すぐ前を行く男性に雪質の変化の印象を伝えると「私も急に歩きやすくなりました」とのこと。スキーでも沈み込みが少ないと歩きやすいらしい。
Ca820mのあたりからはようやく三国岳の山頂部が大きく視界に入る。ここまでは東尾根を登ってきたが、尾根伝いに北尾根に回り込ん山頂を目指す。このあたりも無雪期は背丈ほどの灌木が繁茂しているところだが、雪が灌木を覆いつくした今の時期はどこでも自由に歩けるのが嬉しい。男性は休憩するというので一足お先に山頂へと向かう。
東側に大きく雪庇が出来た山頂は360度の大展望が広がる。西には赤坂山、その先に大御影山へと至る稜線、東には辿ってきた芦原岳の彼方に金糞岳、その右手には伊吹山、霊仙、御池岳、左手には先ほどの芦原岳から見た江美国境の山々も見える。すぐにも後から先ほどの男性が登ってこられる。奈良から来られたそうだ。しばし男性と山談義を交わしたあと、男性とお別れして私は最後の目的地、明王の禿へと向かう。
三国岳と明王の禿との間は明瞭な稜線が続いているわけではなく、いくつもの小さな丘陵と襞が絡み合って複雑な地形を形成している。その丘陵の間を足の赴くままに彷徨うことにする。灌木を覆いつくす雪原が無雪期には知る由もなかった優美な地形を見せてくれる。
明王の禿に至ると赤坂山の方からワカンの跡がある。勿論、真新しいものではなく、昨日以前のものだろう。いよいよここで、江若国境の山のパノラマとお別れだ。迫力ある明王の禿の荒々しい岩肌を右手に眺めながら、次第に強さを増してゆく日差しの中を白谷に向かって下降する。最初はなだらかな稜線が続いているが、尾根は次第に傾斜を増してゆく。
下から山スキーで登ってこられる単独行の男性と出遭う。「この尾根を下る人と出遭うとは思いませんでした」と仰る。登りでは時に使われるが、下降は厳しい箇所があるとのこと、男性はよくこの尾根を登っておられるようだ。
男性とお別れすると、まもなくp470に向かって急下降となる。確かにここが難所なのだろう。鞍部に下降し、わずかにp470に登り返すと、後は黒河林道に向かって緩やかに尾根を下降してゆく。先ほどの男性はおそらく既に黒河林道を下降したことだろう。積雪した林道の上には二筋のシュプールの跡があった。
最後は別荘地の中を歩いて車道に向かうと、丁度、車の上に出ることが出来た。雲一つない快晴の空の下に広がる白銀の稜線に後ろ髪を強くひかれながら、京都の自宅に向かって車を走らせるのだった。この日の午後の予定に半ば腹立たしく思いながらも、よくよく考えるとこの予定が私を芦原岳から三国岳への江越国境に駆り立てたのかもしれない。