【日 付】2026年5月31日(日)
【山 域】宇陀
【コース】8:05 仏隆寺---10:20石割峠---12:00三郎岳---13:30仏隆寺
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.507122/13 ... z0r0s0m0f1
大和宇陀は南北朝時代後期の14世紀後半より北畠氏と協調関係にあり、その後宇陀三人衆を中心に地域の国人が家臣団に組み込まれ、北畠氏にとっては大和方面の後背地であり南朝の吉野につながる重要な場所だった。
山行の起点にした仏隆寺は嘉祥3(850)年創建の室生寺末寺で、唐戸峠を越えると室生寺につながることから室生寺の南門と呼ばれている。この地を治めた国人赤埴氏が住職を務めたこともあり、赤埴氏の墓もここにある。
赤埴集落の上部をトラバースするように諸木野への道を進むと赤埴城跡で、堀切と土塁が残っており、平地には江戸時代の墓がたくさん放置されていた。地元の人に聞くと赤埴氏関係の墓だそうだ。村はずれからは大きな嵓を持つ仏隆寺が赤埴集落を見守っているのが見渡せる。児玉稲荷を過ぎ諸木野集落に入ると共同墓地があり、諸木野弥三郎の墓がある。
戦国時代の大河内城の戦いで北畠氏が籠城し織田軍との膠着状態が続く中、信長の命で北畠当主の罵詈雑言を松の木より足軽に叫ばせた。数十間先の足軽を両軍が注目する中で射抜いたのが弓の名手諸木野弥三郎で、その力量に信長からも褒美が届けられた。諸木野弥三郎は諸木野の国人でここに眠っている。明治まで諸木野弥三郎の墓に北畠氏の本拠地だった多気よりお盆の七日に毎年墓参りが行われていたそうだ。
すぐに伊勢本街道に合流し、下流にある諸木野関所に向かう室町時代中期に領有権を持っていた興福寺大乗院が設置し興福寺の僧侶が代官を務めた通行税を取るための関所だ。関所のある字「大廻り」の先には神社仏閣を交互に参る隔夜参詣のために長谷寺と伊勢神宮までの距離を示した行悦碑がある。伊勢本街道といっても関所までは植林の杣道で、諸木野集落に戻ると家を縫うようにつけられていた。赤埴から歩いてきた道沿いには峠近くまで家が点在し昔からの生活道のようだ、赤埴の家には車が停まり人が住んでいるが諸木野の家からは人の気配がなく集落の最上部にある立派な石垣を持つ御殿が林業会社の事務所に使われているだけだった。
石割峠に向かう峠道には峠口に愛宕神社があり沢筋に不動明王が祀られていた。細い切通の峠の手前の茶屋の石垣があり、南無阿弥陀仏と彫られた供養碑も残されており往時の賑わいを感じる。峠を越えると「右いせ 左原山道」の宝暦3(1753)年の道標があり、原山から室生寺に参拝する人たちが通った。
室生田口元上田口の寺横の登山口より林道に入り、寺からつながる破線道に合流する場所には義徳堂という社がある。背後の岩山に5つの摩崖仏が彫られており登山口の寺や社、摩崖仏も明治以降の物のようだ。三郎岳への上りは急で鎖が設置してあり、山頂からは吉野の峰々が見えた。最初の下りは急だが、高城山への稜線は安定している。高城山は赤埴と諸木野の境界になっており、コロナ前は毎年開山祭が行われていた。三郎岳の由来ははっきりしないが、郷土の英雄である諸木野弥三郎と結びつけるのは私だけだろうか。
登山道は諸木野と赤埴を結ぶ道の児玉稲荷に出た。伊勢本街道が通り室生寺参詣の拠点だったこの地域も国道が内牧川沿いに通ったことで、どん付きの集落となり赤埴は限界集落に諸木野は廃村間近な感じで昔から続いてきた今見る景色がいつまで続くのかと思った。
道沿いのギボウシが進ぜられた野仏に思わず手を合わせた。
【宇陀】赤埴氏と諸木野氏と三郎岳
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Re: 【宇陀】赤埴氏と諸木野氏と三郎岳
わりばしさん、こんにちは。
仏隆寺から三郎岳界隈の山里を歩かれたんですね。
私は仏隆寺から室生寺に抜ける室生古道周辺が好きで、桜の季節には毎年歩いています。赤埴や室生の山郷の雰囲気を楽しませてもらっています。
仏隆寺の千年桜もいいし、西光寺のシダレサクラもいいですね。
赤埴集落の上部をトラバースするように諸木野への道を進むと赤埴城跡で、堀切と土塁が残っており、平地には江戸時代の墓がたくさん放置されていた。地元の人に聞くと赤埴氏関係の墓だそうだ。村はずれからは大きな嵓を持つ仏隆寺が赤埴集落を見守っているのが見渡せる。児玉稲荷を過ぎ諸木野集落に入ると共同墓地があり、諸木野弥三郎の墓がある。
なるほど、仏隆寺から諸木野に抜ける道があるんですね。
地図を見るとゆるやかな丘陵地に道がいくつかついているのがわかります。
すぐに伊勢本街道に合流し、下流にある諸木野関所に向かう室町時代中期に領有権を持っていた興福寺大乗院が設置し興福寺の僧侶が代官を務めた通行税を取るための関所だ。関所のある字「大廻り」の先には神社仏閣を交互に参る隔夜参詣のために長谷寺と伊勢神宮までの距離を示した行悦碑がある。伊勢本街道といっても関所までは植林の杣道で、諸木野集落に戻ると家を縫うようにつけられていた。赤埴から歩いてきた道沿いには峠近くまで家が点在し昔からの生活道のようだ、赤埴の家には車が停まり人が住んでいるが諸木野の家からは人の気配がなく集落の最上部にある立派な石垣を持つ御殿が林業会社の事務所に使われているだけだった。
伊勢本街道は通しで歩きましたが、昔の雰囲気が多く保存されていて、いい街道ですね。近くに幹線道路がないために道型が潰されず残っているのが要因だと思いますが。東海道や中山道は幹線道路によってズタズタにされていて、面白い区間は山間部のわずかな区間だけです。街道歩きをするんだったら伊勢本街道がオススメですね。
登山道は諸木野と赤埴を結ぶ道の児玉稲荷に出た。伊勢本街道が通り室生寺参詣の拠点だったこの地域も国道が内牧川沿いに通ったことで、どん付きの集落となり赤埴は限界集落に諸木野は廃村間近な感じで昔から続いてきた今見る景色がいつまで続くのかと思った。
道沿いのギボウシが進ぜられた野仏に思わず手を合わせた。
お疲れ様でした。
機会があったら私もそのあたりを歩いてみます。
仏隆寺から三郎岳界隈の山里を歩かれたんですね。
私は仏隆寺から室生寺に抜ける室生古道周辺が好きで、桜の季節には毎年歩いています。赤埴や室生の山郷の雰囲気を楽しませてもらっています。
仏隆寺の千年桜もいいし、西光寺のシダレサクラもいいですね。
赤埴集落の上部をトラバースするように諸木野への道を進むと赤埴城跡で、堀切と土塁が残っており、平地には江戸時代の墓がたくさん放置されていた。地元の人に聞くと赤埴氏関係の墓だそうだ。村はずれからは大きな嵓を持つ仏隆寺が赤埴集落を見守っているのが見渡せる。児玉稲荷を過ぎ諸木野集落に入ると共同墓地があり、諸木野弥三郎の墓がある。なるほど、仏隆寺から諸木野に抜ける道があるんですね。
地図を見るとゆるやかな丘陵地に道がいくつかついているのがわかります。
すぐに伊勢本街道に合流し、下流にある諸木野関所に向かう室町時代中期に領有権を持っていた興福寺大乗院が設置し興福寺の僧侶が代官を務めた通行税を取るための関所だ。関所のある字「大廻り」の先には神社仏閣を交互に参る隔夜参詣のために長谷寺と伊勢神宮までの距離を示した行悦碑がある。伊勢本街道といっても関所までは植林の杣道で、諸木野集落に戻ると家を縫うようにつけられていた。赤埴から歩いてきた道沿いには峠近くまで家が点在し昔からの生活道のようだ、赤埴の家には車が停まり人が住んでいるが諸木野の家からは人の気配がなく集落の最上部にある立派な石垣を持つ御殿が林業会社の事務所に使われているだけだった。伊勢本街道は通しで歩きましたが、昔の雰囲気が多く保存されていて、いい街道ですね。近くに幹線道路がないために道型が潰されず残っているのが要因だと思いますが。東海道や中山道は幹線道路によってズタズタにされていて、面白い区間は山間部のわずかな区間だけです。街道歩きをするんだったら伊勢本街道がオススメですね。
登山道は諸木野と赤埴を結ぶ道の児玉稲荷に出た。伊勢本街道が通り室生寺参詣の拠点だったこの地域も国道が内牧川沿いに通ったことで、どん付きの集落となり赤埴は限界集落に諸木野は廃村間近な感じで昔から続いてきた今見る景色がいつまで続くのかと思った。道沿いのギボウシが進ぜられた野仏に思わず手を合わせた。
お疲れ様でした。
機会があったら私もそのあたりを歩いてみます。
@シュークリーム@
Re: 【宇陀】赤埴氏と諸木野氏と三郎岳
おはようございます、シュークリームさん。
私は仏隆寺から室生寺に抜ける室生古道周辺が好きで、桜の季節には毎年歩いています。赤埴や室生の山郷の雰囲気を楽しませてもらっています。
仏隆寺の千年桜もいいし、西光寺のシダレサクラもいいですね。
仏隆寺の本尊は錫杖を持った長谷型の十一面観音で、物静かな感じがいいですよ。
400円で地元の話や寺の事が聞けていい時間がすごせました。
赤埴集落の上部をトラバースするように諸木野への道を進むと赤埴城跡で、堀切と土塁が残っており、平地には江戸時代の墓がたくさん放置されていた。地元の人に聞くと赤埴氏関係の墓だそうだ。村はずれからは大きな嵓を持つ仏隆寺が赤埴集落を見守っているのが見渡せる。児玉稲荷を過ぎ諸木野集落に入ると共同墓地があり、諸木野弥三郎の墓がある。
なるほど、仏隆寺から諸木野に抜ける道があるんですね。
地図を見るとゆるやかな丘陵地に道がいくつかついているのがわかります。
歩くとつながる道は一本道で山里の良さが感じられるいい道です。
道沿いに昔の痕跡が残っているのがお勧めです。
すぐに伊勢本街道に合流し、下流にある諸木野関所に向かう室町時代中期に領有権を持っていた興福寺大乗院が設置し興福寺の僧侶が代官を務めた通行税を取るための関所だ。関所のある字「大廻り」の先には神社仏閣を交互に参る隔夜参詣のために長谷寺と伊勢神宮までの距離を示した行悦碑がある。伊勢本街道といっても関所までは植林の杣道で、諸木野集落に戻ると家を縫うようにつけられていた。赤埴から歩いてきた道沿いには峠近くまで家が点在し昔からの生活道のようだ、赤埴の家には車が停まり人が住んでいるが諸木野の家からは人の気配がなく集落の最上部にある立派な石垣を持つ御殿が林業会社の事務所に使われているだけだった。
伊勢本街道は通しで歩きましたが、昔の雰囲気が多く保存されていて、いい街道ですね。近くに幹線道路がないために道型が潰されず残っているのが要因だと思いますが。東海道や中山道は幹線道路によってズタズタにされていて、面白い区間は山間部のわずかな区間だけです。街道歩きをするんだったら伊勢本街道がオススメですね。
そうですね。
北畠の峠路もそうですが、山村の過疎地域だからこそ残った物も多いです。
伊勢本街道は観光地化されていないのでいいですね。
登山道は諸木野と赤埴を結ぶ道の児玉稲荷に出た。伊勢本街道が通り室生寺参詣の拠点だったこの地域も国道が内牧川沿いに通ったことで、どん付きの集落となり赤埴は限界集落に諸木野は廃村間近な感じで昔から続いてきた今見る景色がいつまで続くのかと思った。
道沿いのギボウシが進ぜられた野仏に思わず手を合わせた。
お疲れ様でした。
機会があったら私もそのあたりを歩いてみます。
三郎岳もおもしろいので、また行ってみてください。
私は仏隆寺から室生寺に抜ける室生古道周辺が好きで、桜の季節には毎年歩いています。赤埴や室生の山郷の雰囲気を楽しませてもらっています。
仏隆寺の千年桜もいいし、西光寺のシダレサクラもいいですね。
仏隆寺の本尊は錫杖を持った長谷型の十一面観音で、物静かな感じがいいですよ。
400円で地元の話や寺の事が聞けていい時間がすごせました。
赤埴集落の上部をトラバースするように諸木野への道を進むと赤埴城跡で、堀切と土塁が残っており、平地には江戸時代の墓がたくさん放置されていた。地元の人に聞くと赤埴氏関係の墓だそうだ。村はずれからは大きな嵓を持つ仏隆寺が赤埴集落を見守っているのが見渡せる。児玉稲荷を過ぎ諸木野集落に入ると共同墓地があり、諸木野弥三郎の墓がある。なるほど、仏隆寺から諸木野に抜ける道があるんですね。
地図を見るとゆるやかな丘陵地に道がいくつかついているのがわかります。
歩くとつながる道は一本道で山里の良さが感じられるいい道です。
道沿いに昔の痕跡が残っているのがお勧めです。
すぐに伊勢本街道に合流し、下流にある諸木野関所に向かう室町時代中期に領有権を持っていた興福寺大乗院が設置し興福寺の僧侶が代官を務めた通行税を取るための関所だ。関所のある字「大廻り」の先には神社仏閣を交互に参る隔夜参詣のために長谷寺と伊勢神宮までの距離を示した行悦碑がある。伊勢本街道といっても関所までは植林の杣道で、諸木野集落に戻ると家を縫うようにつけられていた。赤埴から歩いてきた道沿いには峠近くまで家が点在し昔からの生活道のようだ、赤埴の家には車が停まり人が住んでいるが諸木野の家からは人の気配がなく集落の最上部にある立派な石垣を持つ御殿が林業会社の事務所に使われているだけだった。伊勢本街道は通しで歩きましたが、昔の雰囲気が多く保存されていて、いい街道ですね。近くに幹線道路がないために道型が潰されず残っているのが要因だと思いますが。東海道や中山道は幹線道路によってズタズタにされていて、面白い区間は山間部のわずかな区間だけです。街道歩きをするんだったら伊勢本街道がオススメですね。
そうですね。
北畠の峠路もそうですが、山村の過疎地域だからこそ残った物も多いです。
伊勢本街道は観光地化されていないのでいいですね。
登山道は諸木野と赤埴を結ぶ道の児玉稲荷に出た。伊勢本街道が通り室生寺参詣の拠点だったこの地域も国道が内牧川沿いに通ったことで、どん付きの集落となり赤埴は限界集落に諸木野は廃村間近な感じで昔から続いてきた今見る景色がいつまで続くのかと思った。道沿いのギボウシが進ぜられた野仏に思わず手を合わせた。
お疲れ様でした。
機会があったら私もそのあたりを歩いてみます。
三郎岳もおもしろいので、また行ってみてください。