【日 付】2026年5月2日(土)
【山 域】南伊勢
【コース】8:25 地蔵尊---10:20神出ノ峰---12:45カゲの高---13:50地蔵尊
【メンバー】単独
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.360939/13 ... z0r0s0m0f1
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくと、尾根は昔から歩かれていたのようで目印の木が残されている。P320からの稜線からは石灰岩が途切ず、溶食によって岩柱が林立しているカレンフェルトの岩尾根に変わる。大きな嵓も出てくるが巻き道がつけられており問題ない。大岩を巻ききると獅子ヶ岳の8基の風車がこちらに顔を向け勢いよく回っていた。神出ノ峰に近づくと嵓も大きくなりそのまま上る場所もあり、目印のペイントに従って通過したが、これが無いと苦労する場所だろう。神出ノ峰は昔は白倉山といい、石灰岩の白い嵓がある山という意味で、磐座が連なる山を神々が住まう清浄な場所としてあがめたようだ。
伊勢神宮の鎮座場を求めて旅をしていた倭姫命が、湧水で喉をうるおしたとされる「川上の清水(倭姫伝説の神水)」信仰が残っている倭ノ姫山と聖徳太子開山伝承を持つ国束山を結ぶ線上に神出ノ峰はあり特別な存在だったのだろう。
南峰を経て小萩ノ高までの尾根道は深い自然林が日をさえぎり吹き抜ける風が心地よい、ただ展望が無いので子尾根の分岐や稜線下をトラバースする場所は要注意でテープにそって進む、テープが無いと道と思わない斜面もある。
オボコ山西峰からは脇出が見え集落につながる破線道が続いている。脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり、南北朝時代の延元2(1337)年には後醍醐天皇の皇子宗良親王が長期間滞在した南朝の拠点だ。西峰あたりの嵓は巻くが、やせた岩尾根にかわり神出ノ峰や脇出が見えるようになる。やせ尾根の先が不安になったときは岩に黄色いペイントか境界杭を探し、見つかれば直進だ。下に木が生い茂っているので怖さはないが切れ落ちた斜面で気が抜けない、こんな所がいくつもあり周回コースの難所になっている。脇出をひと山越えると五ケ所で愛洲氏の五ケ所城があり、ここからは五ケ所湾と熊野灘が一望できる。
脇出(430m)のあたりから尾根は落ち着きだし、カゲの高(294m)に向かう。麓の「カゲ」集落からは神出ノ峰が見えないがここからは大きく見える。「小萩」集落の萩は神降ろしの場の境界的植物で、この奥に「神出」集落があるのも意味があるようだ。この地域の中心地「脇出」は、神聖な場所からは外れた場所だが、神の気配が現れる地という意味で神を呼び込む場所だった。地名には文字になって残っていない山岳信仰の名残が見え隠れする。
少し戻った分岐から林道につなげ戻る、地蔵尊は墓地にある六地蔵だった。小萩の「金の鳥が埋めてある」という金鳥伝説の塚から腐った刀が出土され、小萩の村はずれにある大石を乗せた大日如来の祠は神出ノ峰に向けて祀られている。神出ノ峰を信仰の対象としてきた痕跡がそこかしこに残っている。修験道とのかかわりの深い南朝の拠点一ノ瀬の地域内にあることから今回歩いた周回コースは修験の行場として使われていたのだろう。ゴールデンウィークの喧騒の中、静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。
【南伊勢】修験の行場 神出ノ峰周回
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グー(伊勢山上住人)
- 記事: 2441
- 登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
- 連絡する:
Re: 【南伊勢】修験の行場 神出ノ峰周回
わりばしさん、こんにちは。
むらまささんの森林鉄道も難解ですが、今回のわりばしさんのレポもグーには厄介です。
神出ノ峰TWさんのレポで聞いたことがあるような?
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくとまず「地蔵尊」が分からん。検索して調べる。ここか!
P320からの稜線からは石灰岩が途切ず標高点の表示がある所は特定できます。
神出ノ峰 倭ノ姫山 国束山 小萩ノ高聞いたことはあるが、いちいち調べなきゃいけないグーです。
展望が無いので子尾根の分岐や稜線下をトラバースする場所は要注意はい。道迷いもグーの楽しみのひとつです。
脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり山名の「脇出」ではなく、里の地名の「脇出」ですよね。
麓の「カゲ」集落「カゲ」のいわれが気になる。
「小萩」集落の萩は神降ろしの場の境界的植物で、この奥に「神出」集落近くに「始神」の地名もありますね。
この辺りには神様がうようよたむろしていたのでしょうか?
地名には文字になって残っていない山岳信仰の名残が見え隠れする。いわれのある地名は住んでいる人には誇りでしょうね。
少し戻った分岐から林道につなげ戻るオーバーユースには程遠いマイナーな山でしょうが、
今回はほとんど一般登山ルートをなぞったのですね。珍しい。
グーは5日に山の神と藤原岳に登りました。有料駐車場もあふれかえっていました。
午後遅くテント泊組が登ってきましたが、無料駐車場が空くからラッキーですね。
静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。「静かな山旅と行場のアトラクション」であれば
入山料500円が要りますが「伊勢山上」もよろしく。
グー(伊勢山上住人)
Re: 【南伊勢】修験の行場 神出ノ峰周回
わりばしさん、こんにちは。
連休も有意義に過ごされてたようで何よりです。私は、地元の中高校生と一緒に5日間連チャンでテニス(ソフトテニスですが)に励んだら、痛めていた膝の状態が悪化し、水が溜まってしまいました。この歳になっって運動のしすぎは良くないようです。
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくと、尾根は昔から歩かれていたのようで目印の木が残されている。P320からの稜線からは石灰岩が途切ず、溶食によって岩柱が林立しているカレンフェルトの岩尾根に変わる。大きな嵓も出てくるが巻き道がつけられており問題ない。大岩を巻ききると獅子ヶ岳の8基の風車がこちらに顔を向け勢いよく回っていた。神出ノ峰に近づくと嵓も大きくなりそのまま上る場所もあり、目印のペイントに従って通過したが、これが無いと苦労する場所だろう。神出ノ峰は昔は白倉山といい、石灰岩の白い嵓がある山という意味で、磐座が連なる山を神々が住まう清浄な場所としてあがめたようだ。
地理院地図で確認したら、獅子が岳の南、七洞岳の西の地域ですね。確かに岩嵓の印が連なった尾根があります。
オボコ山西峰からは脇出が見え集落につながる破線道が続いている。脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり、南北朝時代の延元2(1337)年には後醍醐天皇の皇子宗良親王が長期間滞在した南朝の拠点だ。
伊勢の山間には南北朝時代の遺跡が多く残っているんですね。わりばしさんにとっては宝の山かな?
戦国時代には伊勢北畠氏は織田氏によってなし崩し的に消滅させられたようですね。
愛洲氏も源平時代にまで遡ることのできる旧い家柄のようですね。
わりばしさんのおかげで、私も多少ともこの時代の伊勢の歴史に興味を持ち始めていますが、なかなか複雑で一つにまとまりません。
少し戻った分岐から林道につなげ戻る、地蔵尊は墓地にある六地蔵だった。小萩の「金の鳥が埋めてある」という金鳥伝説の塚から腐った刀が出土され、小萩の村はずれにある大石を乗せた大日如来の祠は神出ノ峰に向けて祀られている。神出ノ峰を信仰の対象としてきた痕跡がそこかしこに残っている。修験道とのかかわりの深い南朝の拠点一ノ瀬の地域内にあることから今回歩いた周回コースは修験の行場として使われていたのだろう。ゴールデンウィークの喧騒の中、静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。
お疲れさんでした。
ゴールデンウイークに人気のない地元の山を静かに楽しむというもの、贅沢なものですね。
連休も有意義に過ごされてたようで何よりです。私は、地元の中高校生と一緒に5日間連チャンでテニス(ソフトテニスですが)に励んだら、痛めていた膝の状態が悪化し、水が溜まってしまいました。この歳になっって運動のしすぎは良くないようです。
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくと、尾根は昔から歩かれていたのようで目印の木が残されている。P320からの稜線からは石灰岩が途切ず、溶食によって岩柱が林立しているカレンフェルトの岩尾根に変わる。大きな嵓も出てくるが巻き道がつけられており問題ない。大岩を巻ききると獅子ヶ岳の8基の風車がこちらに顔を向け勢いよく回っていた。神出ノ峰に近づくと嵓も大きくなりそのまま上る場所もあり、目印のペイントに従って通過したが、これが無いと苦労する場所だろう。神出ノ峰は昔は白倉山といい、石灰岩の白い嵓がある山という意味で、磐座が連なる山を神々が住まう清浄な場所としてあがめたようだ。地理院地図で確認したら、獅子が岳の南、七洞岳の西の地域ですね。確かに岩嵓の印が連なった尾根があります。
オボコ山西峰からは脇出が見え集落につながる破線道が続いている。脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり、南北朝時代の延元2(1337)年には後醍醐天皇の皇子宗良親王が長期間滞在した南朝の拠点だ。伊勢の山間には南北朝時代の遺跡が多く残っているんですね。わりばしさんにとっては宝の山かな?
戦国時代には伊勢北畠氏は織田氏によってなし崩し的に消滅させられたようですね。
愛洲氏も源平時代にまで遡ることのできる旧い家柄のようですね。
わりばしさんのおかげで、私も多少ともこの時代の伊勢の歴史に興味を持ち始めていますが、なかなか複雑で一つにまとまりません。
少し戻った分岐から林道につなげ戻る、地蔵尊は墓地にある六地蔵だった。小萩の「金の鳥が埋めてある」という金鳥伝説の塚から腐った刀が出土され、小萩の村はずれにある大石を乗せた大日如来の祠は神出ノ峰に向けて祀られている。神出ノ峰を信仰の対象としてきた痕跡がそこかしこに残っている。修験道とのかかわりの深い南朝の拠点一ノ瀬の地域内にあることから今回歩いた周回コースは修験の行場として使われていたのだろう。ゴールデンウィークの喧騒の中、静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。お疲れさんでした。
ゴールデンウイークに人気のない地元の山を静かに楽しむというもの、贅沢なものですね。
@シュークリーム@
Re: 【南伊勢】修験の行場 神出ノ峰周回
おはようございます、グーさん。
むらまささんの森林鉄道も難解ですが、今回のわりばしさんのレポもグーには厄介です。
おつきあいありがとうございます。
神出ノ峰
TWさんのレポで聞いたことがあるような?
闇天の時にzippさんに勧められました。
地元ですからねえ。
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくと
まず「地蔵尊」が分からん。検索して調べる。ここか!
ただの墓地の六地蔵なんですが、地蔵尊って書かれていますね。
P320からの稜線からは石灰岩が途切ず
標高点の表示がある所は特定できます。
P320に尾根筋で上るルートは最近歩かれるようになった感じで
度会町のマップには山の神の先から上るようになってます。
神出ノ峰 倭ノ姫山 国束山 小萩ノ高
聞いたことはあるが、いちいち調べなきゃいけないグーです。
身近ですが場所はわからないですよね。
Trailwalkerさんがこのあたりつないで歩いてましたね。
展望が無いので子尾根の分岐や稜線下をトラバースする場所は要注意
はい。道迷いもグーの楽しみのひとつです。
迷って戻るのは気分的に疲れません。
脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり
山名の「脇出」ではなく、里の地名の「脇出」ですよね。
そうです。
麓の「カゲ」集落
「カゲ」のいわれが気になる。
「神出ノ峰が見えない場所」という事じゃないですか。
尾根のカゲになって見えないと思います。
「小萩」集落の萩は神降ろしの場の境界的植物で、この奥に「神出」集落
近くに「始神」の地名もありますね。
この辺りには神様がうようよたむろしていたのでしょうか?
伊勢神宮の場所を決める際の通過点ですから
熊野灘から伊勢にかけてはうようよしてるんでしょうね。
地名には文字になって残っていない山岳信仰の名残が見え隠れする。
いわれのある地名は住んでいる人には誇りでしょうね。
そうだと思いますが・・過疎には勝てないようです。
大日如来も最近は参られていない感じでした。
少し戻った分岐から林道につなげ戻る
オーバーユースには程遠いマイナーな山でしょうが、
今回はほとんど一般登山ルートをなぞったのですね。珍しい。
度会町が整備したルートでバリっぽいですよ。
テープはありますが・・
静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。
「静かな山旅と行場のアトラクション」であれば
入山料500円が要りますが「伊勢山上」もよろしく。
秋には行かせてもらいたいと思いますので
よろしくお願いいたします。
むらまささんの森林鉄道も難解ですが、今回のわりばしさんのレポもグーには厄介です。
おつきあいありがとうございます。
神出ノ峰TWさんのレポで聞いたことがあるような?
闇天の時にzippさんに勧められました。
地元ですからねえ。
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくとまず「地蔵尊」が分からん。検索して調べる。ここか!
ただの墓地の六地蔵なんですが、地蔵尊って書かれていますね。
P320からの稜線からは石灰岩が途切ず標高点の表示がある所は特定できます。
P320に尾根筋で上るルートは最近歩かれるようになった感じで
度会町のマップには山の神の先から上るようになってます。
神出ノ峰 倭ノ姫山 国束山 小萩ノ高聞いたことはあるが、いちいち調べなきゃいけないグーです。
身近ですが場所はわからないですよね。
Trailwalkerさんがこのあたりつないで歩いてましたね。
展望が無いので子尾根の分岐や稜線下をトラバースする場所は要注意はい。道迷いもグーの楽しみのひとつです。
迷って戻るのは気分的に疲れません。
脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり山名の「脇出」ではなく、里の地名の「脇出」ですよね。
そうです。
麓の「カゲ」集落「カゲ」のいわれが気になる。
「神出ノ峰が見えない場所」という事じゃないですか。
尾根のカゲになって見えないと思います。
「小萩」集落の萩は神降ろしの場の境界的植物で、この奥に「神出」集落近くに「始神」の地名もありますね。
この辺りには神様がうようよたむろしていたのでしょうか?
伊勢神宮の場所を決める際の通過点ですから
熊野灘から伊勢にかけてはうようよしてるんでしょうね。
地名には文字になって残っていない山岳信仰の名残が見え隠れする。いわれのある地名は住んでいる人には誇りでしょうね。
そうだと思いますが・・過疎には勝てないようです。
大日如来も最近は参られていない感じでした。
少し戻った分岐から林道につなげ戻るオーバーユースには程遠いマイナーな山でしょうが、
今回はほとんど一般登山ルートをなぞったのですね。珍しい。
度会町が整備したルートでバリっぽいですよ。
テープはありますが・・
静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。「静かな山旅と行場のアトラクション」であれば
入山料500円が要りますが「伊勢山上」もよろしく。
秋には行かせてもらいたいと思いますので
よろしくお願いいたします。
Re: 【南伊勢】修験の行場 神出ノ峰周回
おはようございます、シュークリームさん。
連休も有意義に過ごされてたようで何よりです。私は、地元の中高校生と一緒に5日間連チャンでテニス(ソフトテニスですが)に励んだら、痛めていた膝の状態が悪化し、水が溜まってしまいました。この歳になっって運動のしすぎは良くないようです。
連休も何やかやバタバタしてました。
水が溜まると引くまで時間がかかりますね。
連チャンが効いたのかな。
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくと、尾根は昔から歩かれていたのようで目印の木が残されている。P320からの稜線からは石灰岩が途切ず、溶食によって岩柱が林立しているカレンフェルトの岩尾根に変わる。大きな嵓も出てくるが巻き道がつけられており問題ない。大岩を巻ききると獅子ヶ岳の8基の風車がこちらに顔を向け勢いよく回っていた。神出ノ峰に近づくと嵓も大きくなりそのまま上る場所もあり、目印のペイントに従って通過したが、これが無いと苦労する場所だろう。神出ノ峰は昔は白倉山といい、石灰岩の白い嵓がある山という意味で、磐座が連なる山を神々が住まう清浄な場所としてあがめたようだ。
地理院地図で確認したら、獅子が岳の南、七洞岳の西の地域ですね。確かに岩嵓の印が連なった尾根があります。
そうなんですよ、まったくのノーマークの山だったのですが
わたらいセブンマウンテンの一つです。
オボコ山西峰からは脇出が見え集落につながる破線道が続いている。脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり、南北朝時代の延元2(1337)年には後醍醐天皇の皇子宗良親王が長期間滞在した南朝の拠点だ。
伊勢の山間には南北朝時代の遺跡が多く残っているんですね。わりばしさんにとっては宝の山かな?
戦国時代には伊勢北畠氏は織田氏によってなし崩し的に消滅させられたようですね。
一族の木造氏が調略され家臣の長野左京亮、加留左京進(藤方朝成の名代)に北畠具教は殺されちゃいました。
木造氏は久居の木造
長野氏は美里町の長野
藤方氏は垂水の東雲寺近くにあった藤方を拠点としていて
北畠領の前線部分から調略されたようです。
愛洲氏も源平時代にまで遡ることのできる旧い家柄のようですね。
わりばしさんのおかげで、私も多少ともこの時代の伊勢の歴史に興味を持ち始めていますが、なかなか複雑で一つにまとまりません。
愛洲氏はあまり資料が残ってなくってどういう経緯で滅んだのかもはっきりしません。
愛洲移香斎という剣豪を輩出したのですが・・
少し戻った分岐から林道につなげ戻る、地蔵尊は墓地にある六地蔵だった。小萩の「金の鳥が埋めてある」という金鳥伝説の塚から腐った刀が出土され、小萩の村はずれにある大石を乗せた大日如来の祠は神出ノ峰に向けて祀られている。神出ノ峰を信仰の対象としてきた痕跡がそこかしこに残っている。修験道とのかかわりの深い南朝の拠点一ノ瀬の地域内にあることから今回歩いた周回コースは修験の行場として使われていたのだろう。ゴールデンウィークの喧騒の中、静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。
お疲れさんでした。
ゴールデンウイークに人気のない地元の山を静かに楽しむというもの、贅沢なものですね。
今まで見向きもしなかった地元の低山を探るのは、今となっては贅沢な時間だと思います。
連休も有意義に過ごされてたようで何よりです。私は、地元の中高校生と一緒に5日間連チャンでテニス(ソフトテニスですが)に励んだら、痛めていた膝の状態が悪化し、水が溜まってしまいました。この歳になっって運動のしすぎは良くないようです。
連休も何やかやバタバタしてました。
水が溜まると引くまで時間がかかりますね。
連チャンが効いたのかな。
地蔵尊の先から増水した川を渡り東尾根に取りつくと、尾根は昔から歩かれていたのようで目印の木が残されている。P320からの稜線からは石灰岩が途切ず、溶食によって岩柱が林立しているカレンフェルトの岩尾根に変わる。大きな嵓も出てくるが巻き道がつけられており問題ない。大岩を巻ききると獅子ヶ岳の8基の風車がこちらに顔を向け勢いよく回っていた。神出ノ峰に近づくと嵓も大きくなりそのまま上る場所もあり、目印のペイントに従って通過したが、これが無いと苦労する場所だろう。神出ノ峰は昔は白倉山といい、石灰岩の白い嵓がある山という意味で、磐座が連なる山を神々が住まう清浄な場所としてあがめたようだ。地理院地図で確認したら、獅子が岳の南、七洞岳の西の地域ですね。確かに岩嵓の印が連なった尾根があります。
そうなんですよ、まったくのノーマークの山だったのですが
わたらいセブンマウンテンの一つです。
オボコ山西峰からは脇出が見え集落につながる破線道が続いている。脇出には愛洲氏の一ノ瀬城があり、南北朝時代の延元2(1337)年には後醍醐天皇の皇子宗良親王が長期間滞在した南朝の拠点だ。伊勢の山間には南北朝時代の遺跡が多く残っているんですね。わりばしさんにとっては宝の山かな?
戦国時代には伊勢北畠氏は織田氏によってなし崩し的に消滅させられたようですね。
一族の木造氏が調略され家臣の長野左京亮、加留左京進(藤方朝成の名代)に北畠具教は殺されちゃいました。
木造氏は久居の木造
長野氏は美里町の長野
藤方氏は垂水の東雲寺近くにあった藤方を拠点としていて
北畠領の前線部分から調略されたようです。
愛洲氏も源平時代にまで遡ることのできる旧い家柄のようですね。
わりばしさんのおかげで、私も多少ともこの時代の伊勢の歴史に興味を持ち始めていますが、なかなか複雑で一つにまとまりません。
愛洲氏はあまり資料が残ってなくってどういう経緯で滅んだのかもはっきりしません。
愛洲移香斎という剣豪を輩出したのですが・・
少し戻った分岐から林道につなげ戻る、地蔵尊は墓地にある六地蔵だった。小萩の「金の鳥が埋めてある」という金鳥伝説の塚から腐った刀が出土され、小萩の村はずれにある大石を乗せた大日如来の祠は神出ノ峰に向けて祀られている。神出ノ峰を信仰の対象としてきた痕跡がそこかしこに残っている。修験道とのかかわりの深い南朝の拠点一ノ瀬の地域内にあることから今回歩いた周回コースは修験の行場として使われていたのだろう。ゴールデンウィークの喧騒の中、静かな山旅と行場のアトラクションを楽しませてもらった。お疲れさんでした。
ゴールデンウイークに人気のない地元の山を静かに楽しむというもの、贅沢なものですね。
今まで見向きもしなかった地元の低山を探るのは、今となっては贅沢な時間だと思います。