【越前】泰澄の道を歩く 石仏を堪能した越知山

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山日和
記事: 3810
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

【越前】泰澄の道を歩く 石仏を堪能した越知山

投稿記事 by 山日和 »

【日 付】2025年10月11日(土)
【山 域】越前 越知山周辺
【天 候】曇り
【メンバー】sato、山日和
【コース】奥糸生登山口8:50---10:05木の実谷分岐--10:25独鈷水---11:35越知神社---11:55越知山13:05---13:25展望台
     ---14:25独鈷水---15:20木の実谷登山口---15:50奥糸生登山口

 左肩の腱板損傷に加えて右足の肉離れで、さすがに先週は山はお休みとなってしまった。
足の痛みが引いてきたので軽めの山でリハビリとしよう。
 越知山は福井県の612mの低山だが、白山を開山した泰澄が14歳の時に修行に入り開いた山として知られており、
白山、日野山、蔵王山(吉野ヶ岳)、文殊山と合わせた越前五山のひとつでもある。

 奥糸生の集会所が登山者の駐車場となっている。登山口には大きな案内看板があり、修行道と書かれた看板には
この道が泰澄が毎夜通い詰めた道であることが記されていた。
手入れされた植林の中の道はよく整備されている。小さな石の祠に収められたお地蔵さまが道中の安全を祈るよう
に出迎えてくれた。


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 林道を横切るところでは法面にハシゴが掛けられ、その先は急登となって311mピークに続いている。
林道には道標があり、「林道コース」と書かれた方を選べばこの登りを回避できたようだ。
 植林帯はいつしか自然林に変わり、下山路に予定している木の実谷の分岐を過ぎるとブナが現れ始めた。


P1000224_1.JPG
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 小さな東屋が見えた。三段に仕切られた棚があり、石仏が収められてたが、顔が削られたものや頭部が切り落と
されたものが目立つ。これは明治維新の廃仏毀釈運動によるものである。これまで信仰の対象としていたものが、
ある日を境に唾棄すべきものに変わってしまう。人のこころの浅はかさとおぞましさを感じずにはいられない。
 ここには独鈷水(とっこすい)という湧き水がある。尾根の左手を少し進むと、斜面から水が湧き出してコップも
置かれていた。この水場は泰澄が独鈷で地面を突いたところ湧き出してきたという伝説がある。
岩壁から沁み出したを口に含むと雑味のない爽やかな味が沁み出した。


P1000221_1.JPG

 ここからがブナ林の始まりとなる。たいして期待もしていなかったのだが、結構大きなブナもあり、気持ち良
く歩くことができる。オオイワカガミの群落も続き、5月に来れば新緑と満開のイワカガミを楽しめるだろう。
路傍にも石仏が多くみられるようになってきたのだが、頭部を落とされたものが多く痛々しい。
令和2年に作られた真新しい石仏が山頂まで一定間隔で置かれていた。


P1000254_1.JPG

 越知神社と別山、殿池の分岐に到着。まずは越知神社に寄って行こう。
越知山の山上にはこの越知神社を初めとして室堂、大師堂、神宝庫、奥の院等々の建造物があり、一大霊地が
広がっている。
室堂(社務所)の前に立つご神木が見事だった。幹周7m以上ありそうなトチの巨樹が、織田信長の馬が落ちたと
いう伝説のある殿池を見下ろすように立っている。

P1000273_1.JPG

 ここから越知山頂の奥の院までは石仏ロードだ。これほど多く石仏を見たのは人生初めてではないだろうか。
山頂付近は一般的な神社仏閣のような杉林をイメージしていたのだが、ブナ林に包まれていたのが意外だった。
山頂からは木の間越しに福井の市街を望むことができる。西側の展望も開けているのだが、天気のせいなのか
手前の山並みのせいなのか、海の姿は見えなかった。


P1000283_1.JPG

 雲が増えてきたところで山頂を辞して展望台へ向かう。何も見えないだろうと思っていたのだが、近景までは
意外にクリアな視界で日野山の特徴的な姿がはっきりとわかる。
晴れていれば白山まで望むことができるので、ちょっと残念ではあるが。


P1000319_1.JPG

 独鈷水まで戻ってsatoさんが水を汲みに行っている間に、少し痛み出したふくらはぎに痛み止めを塗って、サポ
ーターを強く締め直した。
 下降路の木の実谷分岐には「上級者コース」という注意書きがある。技術的な意味ではなく、荒れていて道が
わかりにくいという意味だろう。確かに崩れたところも多く一般路とは言い難い状態だが、随所にテープがある
ので迷うことはない。
 下の方まで下りて来るとかまが谷の滝やかなん滝という大きな滝(ほとんど水が流れていないのでただの岩壁
にしか見えないが)や「南無妙法蓮華経」と彫られた「お題目岩」という巨岩がある。
 駐車場まで戻ってくると、朝から止まっていたミニバンの主がいた。話しかけてみると地元の登山者だったが、
あまり家に帰らず車で寝泊りしているという。家の近くで車中泊することもあるそうだ。
世の中、いろんな人がいるものである。

             山日和
sato
記事: 550
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【越前】泰澄の道を歩く 石仏を堪能した越知山

投稿記事 by sato »

山日和さま

こんばんは。
気が付けば10月も半ば。
日中は、まだ汗ばむ日が続いていますが、朝夕はひんやりとした空気を感じ、何より陽が短くなったことに驚いています。
秋は着々と進んでいるのですね。

8月の終わりの沢山旅で痛められた肩の診断結果は、腱板損傷だったのですね。
さらにふくらはぎが肉離れとは。早く痛みが治まりますように。
ちょっとしたことが怪我に繋がってしまうのですね。年と共に筋力も関節の弾力も落ちてきて、怪我をしたり故障しやすくなるのでしょうね。
50歳以降は、運動をしないと筋肉量が毎年1~2%落ちていくとか。筋力は1.5%、60歳以上では3%も減少するそうです。
最近まで、筋肉のことなど考えたことがなかったのですが、バランス力の低下と膝の固さをひしひしと感じ、
膝痛予防のため、食事でタンパク質を意識したり、歯磨きの時片足で立つようになりました。
怠け者で3日坊主ゆえ、その内にやめてしまう可能性も大ですが・・・。

閑話休題、越知山は、私も気になっていたお山でした。
泰澄が14歳の時から7年間、片道約15㎞の道を毎夜登って朝に戻るという修行をして悟りを開いたと言い伝えられているお山ですね。
小川集落の登山口から少し入ると、信仰の道らしくお地蔵さまが祀られていましたが、お顔が削られていて、胸がチクッとなりました。
独鈷水分岐に立つ東屋の棚には何体もの石仏が並んでいましたが、かつては道中に祀られていた石仏なのですね。
傷つけられた石仏を眺めながら、それまで仏さまと手を合わせ拝んでいたものを破壊してしまうという力とは何なのだろうと考えてしまいました。
国学の広がりや寺請制度による民衆や神官の不満などが廃仏毀釈運動に向かわせたといいますが、
仏さまの頭を切ったり、お顔を削ったり、そういうことを人間はしてしまうのだな、と。
戦争もそう。信じられない惨いことが、むかしも今も行われている・・・。

話がまた逸れてきてしまいました。
岩壁から湧き出た独鈷水は、まろやかでおいしかったですね。
泰澄が生きていたころから(もっと前から)こんこんと湧き出て、多くの人々の喉をうるおしてきた水なのだと思うと、
ありがたい気持ちに包まれ、しかも眼病に効能があるとのことなので、いただいて帰りました。
水場の近くには大きなブナの木が佇み、分岐から先は清々しいブナ林が続いていき、わぁとうれしくなりました。
傷つけられた石仏を見ると胸が痛みましたが、平成時代に作られた新しいお地蔵さまも祀られていて、ほっとした気持ちにもなりました。

山上は神仏習合の一大霊場。越知神社の木の鳥居が印象的でした。そして石仏の数に圧倒されました。
越知神社は、泰澄が仏像を造り社殿を建立して祀ったのがはじまりで、その後修験者の道場となったそうです。
天正年間に一向一揆による戦火で焼失しましたが、江戸時代に越前藩主の祈願所となったことから再び栄え、参拝者は数万人に登ったそうです。
石仏は江戸時代のものが多かったような気がします。
ご神木のトチの巨木は、祈りを捧げる参拝者や廃仏毀釈の蛮行をを見つめてきたのですね。

奥の院は明るいブナ林の中。うっそうとした杉林を想像していたので不思議な感じでした。
展望台からの眺めは素晴らしかったですね。白山がお隠れになっていたのが少し残念でしたが、
青みがかった灰色の雲の下に広がる越前の山と里と海は、少し愁いを帯びていて、でも静かにやさしく淡く光っていて、
泰澄が、修験者が、参拝者が、見つめた風景と重なっていくのを感じました。

下りでふくらはぎの痛みが出ていたのですね。すみません。気づきませんでした。
痛いのに、荒れ放題の木の実谷(名前はかわいいですが)を選んでくださったのですね。
荒廃しきっていましたが、お経が掘られたお題目岩や崩れかけた石積みが信仰の道の歴史を物語っていました。
最後、小川の集落を眺めながらの車道歩きも味わい深かったです。
駐車場に戻り、にこにこ笑顔のお方とのお話も楽しかったですね。
福井っていいなぁ、と思いました。
山は歩いてみないと分からないですね。
『山々のルーツ』『福井の山150』を胸に、これからも福井の山を歩いていこうとあらためて思いました。
いい一日をありがとうございました。

sato
アバター
山日和
記事: 3810
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【越前】泰澄の道を歩く 石仏を堪能した越知山

投稿記事 by 山日和 »

satoさん、どうもです。お疲れさまでした。

気が付けば10月も半ば。
日中は、まだ汗ばむ日が続いていますが、朝夕はひんやりとした空気を感じ、何より陽が短くなったことに驚いています。


今度の日曜からようやく秋らしい気候になりそうですね。涼しいのはありがたいです。

8月の終わりの沢山旅で痛められた肩の診断結果は、腱板損傷だったのですね。
さらにふくらはぎが肉離れとは。早く痛みが治まりますように。


腱板断裂でした。そのままでは治ることがないんだけど、手術が嫌なのでPRP療法という再生治療を選択しました。
良くなってくれるといいんだけどね。

ちょっとしたことが怪我に繋がってしまうのですね。年と共に筋力も関節の弾力も落ちてきて、怪我をしたり故障しやすくなるのでしょうね。

その通りです。ケガも治りにくくなるしね。骨が強いのが救いです。

最近まで、筋肉のことなど考えたことがなかったのですが、バランス力の低下と膝の固さをひしひしと感じ、膝痛予防のため、食事でタンパク質を意識したり、歯磨きの時片足で立つようになりました。
怠け者で3日坊主ゆえ、その内にやめてしまう可能性も大ですが・・・。

いいことですね。3日坊主は誰しも同じ。
私も昨日健康指導を受けて目標を決めたけど、どうなることやら。 :lol:

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泰澄が14歳の時から7年間、片道約15㎞の道を毎夜登って朝に戻るという修行をして悟りを開いたと言い伝えられているお山ですね。

私が山に登り始めた歳ですが、さすがに毎日あの道(と言っても当時はそんなに整備されてるはずもない)を往復するとは凄いですね。 :shock:

独鈷水分岐に立つ東屋の棚には何体もの石仏が並んでいましたが、かつては道中に祀られていた石仏なのですね。
傷つけられた石仏を眺めながら、それまで仏さまと手を合わせ拝んでいたものを破壊してしまうという力とは何なのだろうと考えてしまいました。
国学の広がりや寺請制度による民衆や神官の不満などが廃仏毀釈運動に向かわせたといいますが、
仏さまの頭を切ったり、お顔を削ったり、そういうことを人間はしてしまうのだな、と。
戦争もそう。信じられない惨いことが、むかしも今も行われている・・・。


あんなに顔を削られたり頭を落とされたりしている仏像を見たのは初めてなので、ショックでしたね。


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岩壁から湧き出た独鈷水は、まろやかでおいしかったですね。
泰澄が生きていたころから(もっと前から)こんこんと湧き出て、多くの人々の喉をうるおしてきた水なのだと思うと、ありがたい気持ちに包まれ、しかも眼病に効能があるとのことなので、いただいて帰りました。
水場の近くには大きなブナの木が佇み、分岐から先は清々しいブナ林が続いていき、わぁとうれしくなりました。


水も美味しかったけど、あたりのロケーションがまたよかったですね。
あの東屋のところが古い峠のような印象でした。


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山上は神仏習合の一大霊場。越知神社の木の鳥居が印象的でした。そして石仏の数に圧倒されました。
越知神社は、泰澄が仏像を造り社殿を建立して祀ったのがはじまりで、その後修験者の道場となったそうです。


山上も厳かないい雰囲気でしたね。殿池まで車で上がれる(1台止まってました)というのが不思議な感じでした。
ほとんど人がいなかったのも好印象につながりました。

天正年間に一向一揆による戦火で焼失しましたが、江戸時代に越前藩主の祈願所となったことから再び栄え、参拝者は数万人に登ったそうです。
石仏は江戸時代のものが多かったような気がします。


石仏を見ると天保とか享保とか刻まれてましたね。

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ご神木のトチの巨木は、祈りを捧げる参拝者や廃仏毀釈の蛮行をを見つめてきたのですね。

あのトチは見事でしたね。下に池を見下ろすロケーションも素晴らしかった。

奥の院は明るいブナ林の中。うっそうとした杉林を想像していたので不思議な感じでした。

これは意外でした。ブナ林の中を行く参道というのはなかなか珍しいのでは?


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展望台からの眺めは素晴らしかったですね。白山がお隠れになっていたのが少し残念でしたが、青みがかった灰色の雲の下に広がる越前の山と里と海は、少し愁いを帯びていて、でも静かにやさしく淡く光っていて、泰澄が、修験者が、参拝者が、見つめた風景と重なっていくのを感じました。

どうせ何も見えないから展望台はカットしようと言ってましたが、行ってよかったですね。

下りでふくらはぎの痛みが出ていたのですね。すみません。気づきませんでした。

気付きませんでしたって、期限切れの痛み止めを塗ってたの見てたじゃないですか。 :mrgreen:

痛いのに、荒れ放題の木の実谷(名前はかわいいですが)を選んでくださったのですね。

登り返しがないからね。修行道コースは意外にアップダウンがあってしんどそうだったので。荒れた急な下りは得意種目だし。 :lol:


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荒廃しきっていましたが、お経が掘られたお題目岩や崩れかけた石積みが信仰の道の歴史を物語っていました。

二つの滝に水が流れてれば壮観でもっと良かったでしょう。

最後、小川の集落を眺めながらの車道歩きも味わい深かったです。

キンモクセイの道でしたね。言われるまでわからなかったけど。 :mrgreen:

駐車場に戻り、にこにこ笑顔のお方とのお話も楽しかったですね。

いろんな人がいて面白いです。 :lol:

福井っていいなぁ、と思いました。
山は歩いてみないと分からないですね。
『山々のルーツ』『福井の山150』を胸に、これからも福井の山を歩いていこうとあらためて思いました。


福井の山はホントにいいですね。元々本を書くぐらい好きなんだけど。
これまで登山道のある低山は避けてましたが、越知山を歩いてみて改めて見直しました。 :D

               山日和
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