【鈴鹿】鈴鹿の鉱山跡(やぶこぎネットオフ会)

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むらまさ
記事: 21
登録日時: 2023年4月25日(火) 16:32
お住まい: 三重県津市

【鈴鹿】鈴鹿の鉱山跡(やぶこぎネットオフ会)

投稿記事 by むらまさ »

【 日 付 】 2024年5月18日
【 山 域 】 やぶこぎオフ会(鈴鹿の鉱山跡)
【メーバー】むらまさ
【 天 候 】 晴れ
【 ルート 】 6:30 武平峠茨谷上駐車場ー7:10 コクイ谷ー8:00 国位鉱山石積 ー8:20 コクイ谷出合ー9:00 高昌鉱山跡坑道 ー10:00 坑道ー10:30 上水晶谷出合ー 11:00 やぶこぎネットオフ会ー14:15 コクイ谷出合ー14:40 国位鉱山4連釜ー16:10 駐車場
 

やぶこぎネットのオフ会に初めて参加する為に、鈴鹿の上高地へ。


現地集合で皆さんそれぞれのルートで行かれるという事で、高校の時に武平峠の西でキャンプをしコクイ谷から杉峠経由で行った雨乞岳へのコクイ谷ルートで行こうと。
最近のコクイ谷は荒れているようで破線ルートになっていて、雨乞岳へはクラ谷~七人山~東雨乞ルートが一般ルートのようですね。


休日は駐車場が6:00には埋まってしまうと情報が有り、6時過ぎに武平峠西の駐車場は満車でその西の茨谷駐車場は、あと2台空いていて駐車することが出来ました。武平峠東のスペースも空いていました。


茨谷~いっぷく峠~沢谷峠~窯跡ノ平~沢谷登り口~コクイ谷へ


コクイ谷の真ん中に国位鉱山跡の立派な石垣があり、炭焼窯跡ともう一つ石垣が引っ付いています。
その石垣の窪んだ部分は小さく、何に使用されていたのかは?です。

国位鉱山跡の石積は何?
国位鉱山跡の石積は何?

帰りも通ったのですが、上に何か開けた土地が有りそうで、川上から登る道もあり行ってみると段々に石積みが積まれ、谷川側面に四角い穴が並んでいます。
上から見ると4連の窯が残っていました。

国位鉱山の4連焼き窯
国位鉱山の4連焼き窯
4連窯横から穴が確認出来る
4連窯横から穴が確認出来る

2022年5月に近江鈴鹿の鉱山の歴史の著者の中島伸男さんと
岸原正恭さんの鈴鹿10座登山道コースの旧鉱山のお話を八日市図書館へ視聴しに行き、資料を頂きました。


それによると、国位鉱山は硫砒鉄鉱・黄鉄鉱・磁硫鉄鉱・黄銅鉱・閃亜鉛鉱・銅の二次鉱物が出たと。
操業期間は明治から大正初めとなっていて、保存状態の良い四連焼き窯跡が残るとなっています。


高昌鉱山跡へはコクイ谷出会いから杉峠への道を歩き、愛知川本流を渡った所の右の尾根を登ると
段々に石積が積まれた鉱山集落跡が在りました。

集落跡
集落跡

各所に煉瓦で組まれた何か?があちこちに在り、カマド跡か?です。
空き瓶もあちこちに。
滑車や鍵、鉱山で使用された思われるカッチャもありました。

滑車や鍵
滑車や鍵
鉱山で使用されるカッチャ
鉱山で使用されるカッチャ

集落の左奥にズリが有り、カラミや溶けた鉱石があり登っていくと煉瓦で作られた窯跡があり
名前の入った飯ごうが残されていました。
比較的に新しい時代のようでした。

煉瓦で作られた窯跡
煉瓦で作られた窯跡

やぶをこいで、右側へ回り込みました。木をつかみながらトラバースして、行き過ぎてガレ場を戻る時に少し滑ってしまい。
上の方に穴を見つけ、写真撮ろうとしたらスマホが有りません、滑った所に戻り探したらもう少し下で発見出来ました。
また登り返して坑道にたどり着きました。
時計と離れると知らせてくれるのですが、気が付きませんでした。
スマホにスパイラルコードを付けないとダメでした。


その時に鉱山集落の方から人が! 多分やぶこぎの方かなとやぶこぎオフ会参加のむらまさですと!
やっぱりわりばしさんでした。
軽い身のこなしで、私が滑った所をトラバースして坑道へ登り詰められていました。
坑道は集中して何か所かあり、中には入らず入口まで登り確認して来ました。

坑道
坑道

資料によると、高昌鉱山は硫砒鉄鉱・黄鉄鉱・磁硫鉄鉱・黄銅鉱・閃亜鉛鉱が混在した塊状鉱石。
操業期間は元禄・明治から大正末期となっています。
レンガはある方の日誌でYBの四日市ブリックの刻印が在ったと。
車輪は見つける事出来なかったのでまた、再訪したいと思っています。


その後、オフ会場までの最短ルート(イブネへの破線ルート)で行くことが出来ました。
この道は谷の中を降りるルートでした。
無事にやぶこぎネットオフ会場に到着しました。
最後に編集したユーザー むらまさ [ 2024年5月20日(月) 19:36 ], 累計 7 回
むらまさ
歴史や物語の有る山が好きです!
宮指路
記事: 1010
登録日時: 2011年2月27日(日) 21:13

Re: 【鈴鹿】やぶこぎネットオフ会(鈴鹿の鉱山跡)

投稿記事 by 宮指路 »

むらまささん初めまして、宮指路です。
オフ会でいつも何を話そうか悩み、今回は病気の話をしましたが私の場合、大層な病名を付けられていますが(本来なら登山など出来ないハズらしい)症状が全くないので医者から「これなら大丈夫だろう」と言われています。

鉱山巡りはわりばしさんのレポ(福岡野に続く道)を読んで私も興味を持ち図書館に行って黒川さんの「治田鉱山の今昔」という本を読んで
ますます興味が沸いたものです。
当時は素掘りトンネルもかろうじて残っていて、その先に行くと直径3mはあろうかと思われた大通洞坑がありましたが今やその影も形も
ありません。
コクイ谷の真ん中に国位鉱山跡の立派な石垣があり、炭焼窯跡ともう一つ石垣が引っ付いています。
その石垣の窪んだ部分は小さく、何に使用されていたのかは?です。
これは私も見たことがあります。
2022年5月に近江鈴鹿の鉱山の歴史の著者の中島伸男さんと
岸原正恭さんの鈴鹿10座登山道コースの旧鉱山のお話を八日市図書館へ視聴しに行き、資料を頂きました。
それによると、国位鉱山は硫砒鉄鉱・黄鉄鉱・磁硫鉄鉱・黄銅鉱・閃亜鉛鉱・銅の二次鉱物が出たと。
操業期間は明治から大正初めとなっていて、保存状態の良い四連焼き窯跡が残るとなっています。
興味が沸くと資料集めをしたくなるのはとてもよく分かります。

各所に煉瓦で組まれた何か?があちこちに在り、カマド跡か?です。
空き瓶もあちこちに。
滑車や鍵、鉱山で使用された思われるカッチャもありました。
これも見たことがあります。オフ会の時に話題にも上がりましたが谷尻谷でも見ることができますね

やぶをこいで、右側へ回り込みました。木をつかみながらトラバースして、行き過ぎてガレ場を戻る時に少し滑ってしまい。
上の方に穴を見つけ、写真撮ろうとしたらスマホが有りません、滑った所に戻り探したらもう少し下で発見出来ました。
また登り返して坑道にたどり着きました。
時計と離れると知らせてくれるのですが、気が付きませんでした。
スマホにスパイラルコードを付けないとダメでした。
私は小さめのスマホにスパイラルコードを付けて胸ポケットに入れていますが、これもスマホが振動で擦れて誤作動を起こし易いので
今はザックのサイドポケットに入れています。

その時に鉱山集落の方から人が! 多分やぶこぎの方かなとやぶこぎオフ会参加のむらまさですと!
やっぱりわりばしさんでした。
軽い身のこなしで、私が滑った所をトラバースして坑道へ登り詰められていました。
坑道は集中して何か所かあり、中には入らず入口まで登り確認して来ました。
やはりわりばしさんも来ていたのですね。意外なところでバッタリでしたね
私はここの鉱口を知りませんでした。高昌鉱山の資料がないので場所も分からず行けずじまいです。

治田鉱山は檜谷から奥に入ると鉱山跡が多いので数回行きました。仙右衛門敷という石造りの堰があり、その辺りでも小さい鉱口を見ることが
できました。少し奥に進んで右手の斜面を上がると広場がありここで鉱石を溶かしたんだろうと思われます。
その奥にもいろいろ鉱山跡があり興味は尽きませんでした。

                                            宮指路
ふ~さん
記事: 527
登録日時: 2011年2月20日(日) 19:58

Re: 【鈴鹿】鈴鹿の鉱山跡(やぶこぎネットオフ会)

投稿記事 by ふ~さん »

おつかれさまでした
新緑の深い森歩きは楽しかったですね

>>>コクイ谷の真ん中に国位鉱山跡の立派な石垣があり、炭焼窯跡ともう一つ石垣が引っ付いています。その石垣の窪んだ部分は小さく、何に使用されていたのかは?です。

コクイ谷のその遺構は覚えがないのですが、ひょっとして2m~3mくらいのものですか?規模と場所によると思いますが、鉱山で働く人たちのトイレ跡の可能性もあるのでは?

岸原さんは、永源寺町内蛭谷にある「木地師やまの子の家」に開設される「森の文化博物館」の展示にも関わってみえます。現在もなお、愛知川周辺で鉱山の調査に入られているようで、先日も朝明から入山されたとのことです。◯◯◯◯谷の探索行?

やぶオフが解散してから、ある方としゃべっていたら、鉱山の話題になりました。その人は、鉱山で働いていた方(女性)と親交がありました。「鉱山で一番大切だったのは◯◯◯だった」そうです。◯◯◯って何だと思いますか? 

他に大切だったのは、醤油などの調味料と米。仕事の後のご飯は、何よりもうまかったそうですよ。

そうそう、◯◯◯の答えはマッチです。火がないと、何も始まらないということでしょうか。

鉱山跡は日に日に荒廃が進み、謎に閉ざされていくようです。

 ふ~さん
むらまさ
記事: 21
登録日時: 2023年4月25日(火) 16:32
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】やぶこぎネットオフ会(鈴鹿の鉱山跡)

投稿記事 by むらまさ »

むらまささん初めまして、宮指路です。
オフ会でいつも何を話そうか悩み、今回は病気の話をしましたが私の場合、大層な病名を付けられていますが(本来なら登山など出来ないハズらしい)症状が全くないので医者から「これなら大丈夫だろう」と言われています。


宮指路さん初めまして、レスありがとうございます。
病気のお話聞き、山に登られていてすごいと思いました。

鉱山巡りはわりばしさんのレポ(福岡野に続く道)を読んで私も興味を持ち図書館に行って黒川さんの「治田鉱山の今昔」という本を読んで
ますます興味が沸いたものです。
当時は素掘りトンネルもかろうじて残っていて、その先に行くと直径3mはあろうかと思われた大通洞坑がありましたが今やその影も形も
ありません。


私が伊勢治田銀銅山に興味を持って、ネットで検索するとやぶこぎの方たちの鋪の発見報告が上がっていて
鉱山の資料ストックには宮指路さんの2010/04/10の治田鉱山見学会同行のレポが有ります。
秋狸さん・わりばしさんのレポもストックしてあります。
2009年3月の秋狸さんのレポが残っていました。
行きたいと思い、私が行った時には素掘りの隧道は埋まって在りませんでした。
通ってみたかったです。
コクイ谷の真ん中に国位鉱山跡の立派な石垣があり、炭焼窯跡ともう一つ石垣が引っ付いています。
その石垣の窪んだ部分は小さく、何に使用されていたのかは?です。

これは私も見たことがあります。

この上の台地に4連の焼き窯が残っていました。

2022年5月に近江鈴鹿の鉱山の歴史の著者の中島伸男さんと
岸原正恭さんの鈴鹿10座登山道コースの旧鉱山のお話を八日市図書館へ視聴しに行き、資料を頂きました。
それによると、国位鉱山は硫砒鉄鉱・黄鉄鉱・磁硫鉄鉱・黄銅鉱・閃亜鉛鉱・銅の二次鉱物が出たと。
操業期間は明治から大正初めとなっていて、保存状態の良い四連焼き窯跡が残るとなっています。

興味が沸くと資料集めをしたくなるのはとてもよく分かります。


最初は鉱物に興味が有ったんですが、今は鉱山の遺構に興味が移ってしまいました。

各所に煉瓦で組まれた何か?があちこちに在り、カマド跡か?です。
空き瓶もあちこちに。
滑車や鍵、鉱山で使用された思われるカッチャもありました。

これも見たことがあります。オフ会の時に話題にも上がりましたが谷尻谷でも見ることができますね


上谷尻谷やオゾ谷の大蔵鉱山には未だ行った事がないので探索しようと考えています。

やぶをこいで、右側へ回り込みました。木をつかみながらトラバースして、行き過ぎてガレ場を戻る時に少し滑ってしまい。
上の方に穴を見つけ、写真撮ろうとしたらスマホが有りません、滑った所に戻り探したらもう少し下で発見出来ました。
また登り返して坑道にたどり着きました。
時計と離れると知らせてくれるのですが、気が付きませんでした。
スマホにスパイラルコードを付けないとダメでした。
私は小さめのスマホにスパイラルコードを付けて胸ポケットに入れていますが、これもスマホが振動で擦れて誤作動を起こし易いので
今はザックのサイドポケットに入れています。


私は、ショルダーのポケットに入れて、いつも直ぐ出せるようにしていました。
スマホ探すのに手間取っていたら、オフ会に参加出来ませんでした。

その時に鉱山集落の方から人が! 多分やぶこぎの方かなとやぶこぎオフ会参加のむらまさですと!
やっぱりわりばしさんでした。
軽い身のこなしで、私が滑った所をトラバースして坑道へ登り詰められていました。
坑道は集中して何か所かあり、中には入らず入口まで登り確認して来ました。
やはりわりばしさんも来ていたのですね。意外なところでバッタリでしたね
私はここの鉱口を知りませんでした。高昌鉱山の資料がないので場所も分からず行けずじまいです。


今回苦労して探しましたが、鉱山集落の直ぐ右の尾根に在りました。

治田鉱山は檜谷から奥に入ると鉱山跡が多いので数回行きました。仙右衛門敷という石造りの堰があり、その辺りでも小さい鉱口を見ることが
できました。少し奥に進んで右手の斜面を上がると広場がありここで鉱石を溶かしたんだろうと思われます。
その奥にもいろいろ鉱山跡があり興味は尽きませんでした。


わりばしさんからも話を聞き、福岡野はヒルが多いのと、小さな滝が多いので沢靴の方が良いと、登った所から降りるように探索した方が良いとアドバイスを頂きました。
来年の春から探索しようと企んでいます。
最後に編集したユーザー むらまさ [ 2024年5月19日(日) 23:54 ], 累計 1 回
むらまさ
歴史や物語の有る山が好きです!
むらまさ
記事: 21
登録日時: 2023年4月25日(火) 16:32
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鈴鹿の鉱山跡(やぶこぎネットオフ会)

投稿記事 by むらまさ »

おつかれさまでした
新緑の深い森歩きは楽しかったですね


ふーさんレスありがとうございます。
強者の皆さんの中、最初どうなるかと心配しましたが、とても有意義な時間を過ごせました。

>>>コクイ谷の真ん中に国位鉱山跡の立派な石垣があり、炭焼窯跡ともう一つ石垣が引っ付いています。その石垣の窪んだ部分は小さく、何に使用されていたのかは?です。

コクイ谷のその遺構は覚えがないのですが、ひょっとして2m~3mくらいのものですか?規模と場所によると思いますが、鉱山で働く人たちのトイレ跡の可能性もあるのでは?

そうです2m位の穴で回りは建物が有ったと推測しました。
直ぐ横に大きな炭焼窯跡が在るのですが、炭も同時期の物か?後なのか?先では無いと思いました。

岸原さんは、永源寺町内蛭谷にある「木地師やまの子の家」に開設される「森の文化博物館」の展示にも関わってみえます。現在もなお、愛知川周辺で鉱山の調査に入られているようで、先日も朝明から入山されたとのことです。◯◯◯◯谷の探索行?

お知り合いですか?
私も同行したいです。

やぶオフが解散してから、ある方としゃべっていたら、鉱山の話題になりました。その人は、鉱山で働いていた方(女性)と親交がありました。「鉱山で一番大切だったのは◯◯◯だった」そうです。◯◯◯って何だと思いますか?

他に大切だったのは、醤油などの調味料と米。仕事の後のご飯は、何よりもうまかったそうですよ。

そうそう、◯◯◯の答えはマッチです。火がないと、何も始まらないということでしょうか。


マッチが有ったんですね。火打ち石を使っていたと思っていました。

鉱山跡は日に日に荒廃が進み、謎に閉ざされていくようです。

鉱山で採れた鉱石から、色々な文明が生まれて行ったと思います。
今でも世界中で採れた鉱物で世の中のあらゆる製品が生まれていると言うことを。
考えてもしょうがないですけど!
むらまさ
歴史や物語の有る山が好きです!
アバター
わりばし
記事: 1779
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鈴鹿の鉱山跡(やぶこぎネットオフ会)

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、むらまささん。

休日は駐車場が6:00には埋まってしまうと情報が有り、6時過ぎに武平峠西の駐車場は満車でその西の駐車場は、あと2台空いていて駐車することが出来ました。武平峠東のスペースも空いていました。

私やbiwacoさんに落第忍者さんは茨谷の雨量計の駐車スペースに停めました。
7時過ぎでしたが、ここは穴場で停められます。


帰りも通ったのですが、上に何か開けた土地が有りそうで、川上から登る道もあり行ってみると段々に石積みが積まれ、谷川側面に四角い穴が並んでいます。
上から見ると4連の窯が残っていました。

鈴鹿ではここの連窯が一番きれいに残っています。
歴史が新しい事もあります。
規模としては治田鉱山の三神谷口の連窯の方が大きく
窯の形も古いのですが、土石流で流されて半分消えていました。


各所に煉瓦で組まれた何か?があちこちに在り、カマド跡か?です。
空き瓶もあちこちに。
滑車や鍵、鉱山で使用された思われるカッチャもありました。

学校のあった鉱山ですから規模も大きいです。

その時に鉱山集落の方から人が! 多分やぶこぎの方かなとやぶこぎオフ会参加のむらまさですと!
やっぱりわりばしさんでした。
軽い身のこなしで、私が滑った所をトラバースして坑道へ登り詰められていました。

鉱山と尾根を結ぶトラバース道に戻ったのですが
トラバース道は以前より悪くなってますね。


レンガはある方の日誌でYBの四日市ブリックの刻印が在ったと。
車輪は見つける事出来なかったのでまた、再訪したいと思っています。

私のレポでもYBの赤レンガの事は書いています。
飯高の乾留工場には四日市ブリックの白レンガがたくさんあります。
車輪は昔は飯場側にもあったのですが今は無いですね。
対岸の石積みの上にあります。


その後、オフ会場までの最短ルート(イブネへの破線ルート)で行くことが出来ました。
この道は谷の中を降りるルートでした。

積雪期に何度か使ったコースです。
お疲れさまでした。


                わりばし
むらまさ
記事: 21
登録日時: 2023年4月25日(火) 16:32
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】鈴鹿の鉱山跡(やぶこぎネットオフ会)

投稿記事 by むらまさ »

わりばしさん、こんにちは。レスありがとうございます。

休日は駐車場が6:00には埋まってしまうと情報が有り、6時過ぎに武平峠西の駐車場は満車でその西の駐車場は、あと2台空いていて駐車することが出来ました。武平峠東のスペースも空いていました。

私やbiwacoさんに落第忍者さんは茨谷の雨量計の駐車スペースに停めました。
7時過ぎでしたが、ここは穴場で停められます。


私が停めた所が雨量計から100m位西に在る、10台位の白線と フリーだともっと停めれそうな駐車場でした。

帰りも通ったのですが、上に何か開けた土地が有りそうで、川上から登る道もあり行ってみると段々に石積みが積まれ、谷川側面に四角い穴が並んでいます。
上から見ると4連の窯が残っていました。


鈴鹿ではここの連窯が一番きれいに残っています。
歴史が新しい事もあります。
規模としては治田鉱山の三神谷口の連窯の方が大きく
窯の形も古いのですが、土石流で流されて半分消えていました。


伊勢治田銀銅山へは、来年春に見に行って来ます。

各所に煉瓦で組まれた何か?があちこちに在り、カマド跡か?です。
空き瓶もあちこちに。
滑車や鍵、鉱山で使用された思われるカッチャもありました。


学校のあった鉱山ですから規模も大きいです。

学校も有ったんですね、知りませんでした。
近江鈴鹿の鉱山の歴史を読み直さなあかんな。

その時に鉱山集落の方から人が! 多分やぶこぎの方かなとやぶこぎオフ会参加のむらまさですと!
やっぱりわりばしさんでした。
軽い身のこなしで、私が滑った所をトラバースして坑道へ登り詰められていました。


鉱山と尾根を結ぶトラバース道に戻ったのですが
トラバース道は以前より悪くなってますね。


YAMAPで高昌鉱山の鉱石探索の方が、わりばしさんに会って話をして、私のHNを聞いたとメッセージもらいました。
その方の情報では、高昌山の直下でも坑道が在ったと写真あげられていました。

レンガはある方の日誌でYBの四日市ブリックの刻印が在ったと。
車輪は見つける事出来なかったのでまた、再訪したいと思っています。


私のレポでもYBの赤レンガの事は書いています。
飯高の乾留工場には四日市ブリックの白レンガがたくさんあります。


YOKKAICHI BRICK CO と刻印されている耐火煉瓦ですね。
私は四日市電灯の北条発電所跡で見つけました。

車輪は昔は飯場側にもあったのですが今は無いですね。
対岸の石積みの上にあります。


また、見つけに来たいと思います。

その後、オフ会場までの最短ルート(イブネへの破線ルート)で行くことが出来ました。
この道は谷の中を降りるルートでした。


積雪期に何度か使ったコースです。
お疲れさまでした。


最近イブネへの近道で、登られている方多いですね。
私も今度このルートで高昌山経由で行こうと企んでいます。
むらまさ
歴史や物語の有る山が好きです!
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