【高見山地】山菜闇天あとの田引越と三条山

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わりばし
記事: 1765
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【高見山地】山菜闇天あとの田引越と三条山

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2024年3月31日(土)
【山 域】高見山地
【コース】小田9:45---11:55田引峠---13:45小田
【メンバー】単独

 グーさんの別荘で山菜闇天を楽しんだ後、田引小学校跡地に向かう。この日は、八柱神社の祭礼の日で、駐車場所をグーさんに教えてもらった。飯高名物のとっとき味噌は廃校利用の作業場で作っていた。大台の粟谷から田引峠を経て田引に抜ける田引越の探索を行う。古和浦から吉野に塩を運んだ道であり、南伊勢から魚を運んだかちんぽうの道でもある。昔からよく使われた峠道だ。粟谷から峠までは歩いているので、田引から峠までを歩くことにした。八柱神社の裏山には北畠氏の家臣田引氏が築城した田引城がある。


薬師如来
薬師如来

赤い橋を渡り田引越の林道を進むと薬師堂に人が集まっている。こちらでも祭礼の準備をしていて、掃除や補修を小田集落の人達がしていた。

日光菩薩・十二神将
日光菩薩・十二神将
月光菩薩・十二神将
月光菩薩・十二神将

 元々は神仏習合の寺で、明治の廃仏毀釈で取り壊されたために本尊を薬師堂に移して祀り、現在は田引の禅源寺の境外仏堂になっている。歴史は古く南北朝時代ぐらいから続いているとの事で本尊の薬師如来像は室町時代の終わりの頃の作だ。薬壺を持った薬師如来の光背には薬師如来を表すバイの種子(サンスクリット語)が彫られている。両側に日光菩薩と月光菩薩が脇侍としてひかえている。この三体を一木から作ったとの言い伝えが残っている。周りには如来を守る十二神将が置かれている。どの像も、落ち着いた面持ちで歴史を感じさせてくれる。これだけの立派な薬師三尊が戸数十数戸の集落のお堂にあるとは思いもよらなかった。話をしていると杓子もあると裏に連れて行ってくれた。見ると長さ170cm最大幅34cmの木製の大杓子で、飯高町郷土誌に載っていた物だ。安永9年(1790年)小椋善六と墨で書かれており。生業の繁栄を願って奉納したのだろう。ただ、案内してくれた方は田引に小椋と言う苗字は無いとのことだった。

大杓子
大杓子

 仕事をしてみえる小田集落の人達にお礼を言って先を急ぐ。林道が杣道に変わったあたりで炭焼窯跡が出てきた。滝を巻きながら破線道を進んでいくと谷先の両側が土の壁となって立ちはだかり、間の谷から水が流れている。これがグーさんの言っていた壁だろう。壁を登ってもその先がどうなっているかわからないし、もろそうだ。谷を登るのが安全なようだ。沢靴なので何の躊躇もなく進むと、簡単に越えられた。この先にも窯跡が出てきたので、田引越は炭焼きの杣道としても使われていたのだろう。滝が出てきたので尾根筋を見ると歩けそうだ。急な植林の斜面を両手両足を使いながら登って行く。かなり急なのだが、境界杭が出てきた。木がまばらにしか生えていない岩尾根が出てきた。嫌な感じだが、周りの斜面は落ちたような斜面で話にならない。ここを行くしかないようで、木の根と岩を慎重に確保しながら通り抜けた。破線道が峠近くで湾曲する地点の右岸尾根を登り、稜線を少し下ると田引峠に着いた。尾根に取りつくまでは窯跡があったので、尾根のどこかで谷筋にトラバースしていく道が昔はあったのだろう。田引峠には石積みの祠に素朴な感じの大日如来が祀られている。

田引峠の大日如来
田引峠の大日如来

 三条山に向かう。山頂手前に尾放峠の分岐があり、山頂を越えた鞍部から登山道に入る。登山道にはテープが続いており迷うことはない。大鯛川沿いに下ると杉木立の中に石垣跡があり、「木地屋敷」と呼ばれていた場所だ。三軒の家がありみんな小椋姓だった。薬師堂に大杓子を奉納した小椋善六は、近江の筒井神社の安永3年(1780年)の「氏子台駈帳」に「勢州飯高郡川俣谷田引山杓子小屋小椋善六、銭二百文」と記載されている。ここで、大杓子を作っていたのかと思うと杉木立から生活の息吹を感じずにはいられなかった。

木地屋敷の石積
木地屋敷の石積

林道終点を通りすぎ小尾根を越えると小田集落だった。

 
グー(伊勢山上住人)
記事: 2227
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【高見山地】山菜闇天あとの田引越と三条山

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

わりばしさん、こんばんは。
闇天ご参加ありがとうございました。
あ~だ、こ~だ、言いながら羽釜でのタケノコご飯炊き、
次回はきつね色のお焦げにしたいです。

田引小学校跡地に向かう。駐車場所をグーさんに教えてもらった。

もっと近くに駐車場所はあったでしょうが、遠くを教えてしまいましたね。

飯高名物のとっとき味噌は廃校利用の作業場で作っていた。

「廃校利用」ではないです。小学校跡地に新たに建てた作業場です。

大台の粟谷から田引峠を経て田引に抜ける田引越の探索を行う。
古和浦から吉野に塩を運んだ道であり、南伊勢から魚を運んだかちんぽうの道でもある。


柏崎から園越~田引越~若宮峠を越えて若宮八幡宮まで日帰りで戦勝祈願とは!!??
健脚な人は何時間で往復できたのだろうか?

八柱神社の裏山には北畠氏の家臣田引氏が築城した田引城がある。

田引とは姓だったのですか。お城まであったとは知りませんでした。

これだけの立派な薬師三尊が戸数十数戸の集落のお堂にあるとは思いもよらなかった。

全く知りません。いいタイミングで訪れることが出来ましたね。

林道が杣道に変わったあたりで炭焼窯跡が出てきた。

あれ?すんなり歩いていますね。
グーはヤブに阻まれて全然行けなかったのに。いったいドコを歩いたのだろう?

谷先の両側が土の壁となって立ちはだかり、間の谷から水が流れている。
これがグーさんの言っていた壁だろう。


そんなトコまでも登っていません。

谷を登るのが安全なようだ。沢靴なので何の躊躇もなく進むと、簡単に越えられた。

この日は暑かったですね。水遊びも出来そうなぐらいに。

破線道が峠近くで湾曲する地点の右岸尾根を登り、稜線を少し下ると田引峠に着いた。
尾根のどこかで谷筋にトラバースしていく道が昔はあったのだろう。


破線道のついている斜面は等高線が混んでいますね。
西の尾根の方が安全な道が付けられそうに見えます。
もう一度歩きに行ってみようかな。


            グー(伊勢山上住人)
アバター
わりばし
記事: 1765
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【高見山地】山菜闇天あとの田引越と三条山

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、グーさん。

あ~だ、こ~だ、言いながら羽釜でのタケノコご飯炊き、
次回はきつね色のお焦げにしたいです。


お昼の弁当としておいしくいただきました。
やっぱ羽釜はすごいですね。
まんべんなく熱が通るようです。
水蒸気にこげの匂いが少し出た段階でふたを開けて、釜をすぐに下に降ろせば完璧です


田引小学校跡地に向かう。駐車場所をグーさんに教えてもらった。

もっと近くに駐車場所はあったでしょうが、遠くを教えてしまいましたね。

とっとき味噌の作業場も見れてよかったです。

飯高名物のとっとき味噌は廃校利用の作業場で作っていた。

「廃校利用」ではないです。小学校跡地に新たに建てた作業場です。

小学校跡を有効活用している所が少ない中、とっとき味噌という名産品を作り出してるなんてすごいです。

大台の粟谷から田引峠を経て田引に抜ける田引越の探索を行う。
古和浦から吉野に塩を運んだ道であり、南伊勢から魚を運んだかちんぽうの道でもある。


柏崎から園越~田引越~若宮峠を越えて若宮八幡宮まで日帰りで戦勝祈願とは!!??
健脚な人は何時間で往復できたのだろうか?


昔の田舎の人はよく歩きました。
今は田舎より東京の人の方が公共交通機関を使う分、よく歩くようです。


八柱神社の裏山には北畠氏の家臣田引氏が築城した田引城がある。

田引とは姓だったのですか。お城まであったとは知りませんでした。

中世の武士は自分たちで土地を開墾し、そこの土地の名を姓として名乗った場合も多いです。
大河内、坂内、田丸、木造、藤方、波瀬、岩内なんかも同様です。


薬師堂の六地蔵
薬師堂の六地蔵

これだけの立派な薬師三尊が戸数十数戸の集落のお堂にあるとは思いもよらなかった。

全く知りません。いいタイミングで訪れることが出来ましたね。

いい時に、いい人たちに出会えて良かったです。
大杓子は知っていましたが、薬師堂にあるとは思ってなかったので
ラッキーでした。


林道が杣道に変わったあたりで炭焼窯跡が出てきた。

あれ?すんなり歩いていますね。
グーはヤブに阻まれて全然行けなかったのに。いったいドコを歩いたのだろう?


ヤブは無かったですね。
普通に歩けますが道は微妙です。


谷先の両側が土の壁となって立ちはだかり、間の谷から水が流れている。
これがグーさんの言っていた壁だろう。


そんなトコまでも登っていません。

そうでしたか。参考にここの写真と核心部の写真を貼っておきます。

谷の入口
谷の入口

谷を登るのが安全なようだ。沢靴なので何の躊躇もなく進むと、簡単に越えられた。

この日は暑かったですね。水遊びも出来そうなぐらいに。

汗を絞りながら登っていました・・いつもの事か。 :mrgreen:

核心部
核心部

破線道が峠近くで湾曲する地点の右岸尾根を登り、稜線を少し下ると田引峠に着いた。
尾根のどこかで谷筋にトラバースしていく道が昔はあったのだろう。


破線道のついている斜面は等高線が混んでいますね。
西の尾根の方が安全な道が付けられそうに見えます。
もう一度歩きに行ってみようかな。


炭窯跡で道があったのがわかるぐらいで
道は残っていません。
あれだけ急なら落ちますよね。
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