読後雑感 「ひと日」を読んで
Posted: 2024年12月03日(火) 17:07
satoさんにもらった「ひと日」の表紙をめくると,お父さんの「波太」さんと1歳のsatoさんの写真が。お父さんの顔が今のsatoさんの顔にそっくりなんである。物理的に50%の遺伝子が子に受け継がれるが,そんなことを実感して思わず微笑んでしまった。
「人の死というのは,その人のことを覚えている人がいなくなって初めて起こるものである」ということをどこかで読んだことがある。私ももう70年以上生きてきて,ずいぶん多くの人を見送ってきた。それらの人々は私がその人たちのことを覚えている限り,生き続けているのである。
satoさんがこの本を自費出版した理由は想像するしかないが,この本によって少なくともこの本を読んだ人々,私を含め,の心の中に「波太」さんは生き続けることになる。おそらく,satoさんはより多くの人々の中に「波太」さんが生きた証を残したかったのかもしれない。
これらの小文が書かれた頃は「波太」さんは29〜30歳である。この年齢に自分が何を考え,何をしていたのかを考えさせられた。社会に出てまだ4〜5年目で,目の前のことをこなすだけで必死で,また一方で自分の研究テーマを追いかけることが面白くてそれ以外のことを考える余裕がなかった。そんな自分に比べると「波太」さんはずいぶん老成している感じがする。 実在の「波太」さんに興味を持ったので,少し調べてみた。これは私の職業病である。東洋大学の学術情報リポジトリに「波太」さんの学位論文が収められていた https://toyo.repo.nii.ac.jp/records/4000 。論文要旨と本文がダウンロード可能であった。本文は重すぎるので,論文要旨のみをダウンロードしてみた。2009年に東洋大学から文学博士の学位を受けられている。論文タイトルは「偶然と確率の哲学」。定年退職されてから大学の博士課程に入り直し,博士号を取られたのだろう。努力家だったようだ。
このような学術情報は基本的には永久に保存され,消えることはない。「波太」さんの生きた足跡の一部もここに永久に残ることになるだろう。
私の書斎の本棚に,1937年に出版された「本間ヤス」さんの英文で書かれた本がある。「本間ヤス」さんは私の学問分野の大先達で,日本の女性農学博士第2号である。時々,この本を読み返す機会があるが,90年近く前に書かれた本間さんの文章を通して,本間さんと私が対峙することになる。文章を読みながら本間さんが90年前に考えたことが私の頭に移され,その語り口も蘇ってくるような気がする。この本を通して本間ヤスさんが生き返るのである。
私も一応研究者の端くれなので,それなりに論文を発表し,それらは専門雑誌のホームページや論文を集めたサイトに永久に残ることになる。また,私が採集した標本類はすべて国立科学博物館の標本庫に納められ,その一部は米国の某大学の標本庫にも納められている。この先,何人の人が私の論文を読み,私が集めた標本を研究に利用するかわからないが,自分が生きた証をこのような形で残すことができる研究者という職業に就けたことをありがたいことだと思う。
なお,この文章は「波太」さんが書かれた前半部のみの読後雑感で,satoさんの部分はまたおいおい読ませていただきます。
「人の死というのは,その人のことを覚えている人がいなくなって初めて起こるものである」ということをどこかで読んだことがある。私ももう70年以上生きてきて,ずいぶん多くの人を見送ってきた。それらの人々は私がその人たちのことを覚えている限り,生き続けているのである。
satoさんがこの本を自費出版した理由は想像するしかないが,この本によって少なくともこの本を読んだ人々,私を含め,の心の中に「波太」さんは生き続けることになる。おそらく,satoさんはより多くの人々の中に「波太」さんが生きた証を残したかったのかもしれない。
これらの小文が書かれた頃は「波太」さんは29〜30歳である。この年齢に自分が何を考え,何をしていたのかを考えさせられた。社会に出てまだ4〜5年目で,目の前のことをこなすだけで必死で,また一方で自分の研究テーマを追いかけることが面白くてそれ以外のことを考える余裕がなかった。そんな自分に比べると「波太」さんはずいぶん老成している感じがする。 実在の「波太」さんに興味を持ったので,少し調べてみた。これは私の職業病である。東洋大学の学術情報リポジトリに「波太」さんの学位論文が収められていた https://toyo.repo.nii.ac.jp/records/4000 。論文要旨と本文がダウンロード可能であった。本文は重すぎるので,論文要旨のみをダウンロードしてみた。2009年に東洋大学から文学博士の学位を受けられている。論文タイトルは「偶然と確率の哲学」。定年退職されてから大学の博士課程に入り直し,博士号を取られたのだろう。努力家だったようだ。
このような学術情報は基本的には永久に保存され,消えることはない。「波太」さんの生きた足跡の一部もここに永久に残ることになるだろう。
私の書斎の本棚に,1937年に出版された「本間ヤス」さんの英文で書かれた本がある。「本間ヤス」さんは私の学問分野の大先達で,日本の女性農学博士第2号である。時々,この本を読み返す機会があるが,90年近く前に書かれた本間さんの文章を通して,本間さんと私が対峙することになる。文章を読みながら本間さんが90年前に考えたことが私の頭に移され,その語り口も蘇ってくるような気がする。この本を通して本間ヤスさんが生き返るのである。
私も一応研究者の端くれなので,それなりに論文を発表し,それらは専門雑誌のホームページや論文を集めたサイトに永久に残ることになる。また,私が採集した標本類はすべて国立科学博物館の標本庫に納められ,その一部は米国の某大学の標本庫にも納められている。この先,何人の人が私の論文を読み,私が集めた標本を研究に利用するかわからないが,自分が生きた証をこのような形で残すことができる研究者という職業に就けたことをありがたいことだと思う。
なお,この文章は「波太」さんが書かれた前半部のみの読後雑感で,satoさんの部分はまたおいおい読ませていただきます。