【大台】スペイン風邪と大台ケ原
Posted: 2020年4月04日(土) 19:55
久々の投稿で大変失礼します。以前、『三重県の森林鉄道』という本を曽野さんと
一緒に書かせていただきました三重県伊勢市の片岡 督です。
現在、コロナ感染症が急速に拡大しており、一刻も早い収束を願うところです。
まず、医療機関の方々のご尽力に敬意を払うと共に皆様の健康をお祈りいたします。
さて、私は以前に大台ケ原における森林鉄道の記録を研究していましたが、
『三重県の森林鉄道』には掲載できなかった膨大な資料が他にも残されています。
四日市製紙株式会社(現、王子エフテックス㈱)に保管されていた史料の一部ですが、
大正7年から謎の流行性感冒が全国的に大流行して、大台ヶ原山の伐採計画も
大ダメージを受けています。史料には伐採現場を指揮していた千種熊之進から
四日市製紙専務の熊澤一衛宛に臨時報告書などが出されています。
以前調べていた頃は、謎の流行性感冒について昔は不治の病が多かったくらいの
気持ちで詳しい病名を調べずにいたのですが、昨今のコロナ感染症の流行から改めて
調べてみるとこの病名こそ元祖パンデミックの「スペイン風邪」ということでした。
大正7年中頃から大流行した「スペイン風邪」はその年のうちに全国に広まり
11月末には辺境の大台ケ原山上までに達しています。
以下はその報告書になります。(原文は読みにくいので、現代語訳に変換しています。)
-------------------------------
臨時報告
先般来、当地方にも流行性感冒が蔓延し当地附近の各町村共に
死亡または重患に陥るもの甚しく、出材現業員中今日迄に死亡せ
しもの6名、代人(注:伐採頭)以下総て重患にして病勢は
町内方面より漸次山上にまで進み遂に当事業地域内に浸襲を蒙り
労働者の該患に罹るもの日毎に増加、下山し現業員幹部側には
吉原倝(カン)治郎、朝倉重義を始め、代人等以下に至る迄ほとんど全部
該病に罹り元木谷において1名、岩井谷事務所にて1名、他は
1人として罹らないものなく重患者は下山させて入院もしくは
宿屋にて療養中にて、全山全滅の有様につき、本月26日に実地
視察と作業監督のため登山、28日下山した。起動所は20日以後、
現業員全滅のためやむおえず一時閉鎖し塩辛谷にあっては2、3名
にて木馬を曳き元木谷事務所員は1名だけ作業を見廻り、他は
病床に就き、山手線搬出は健全のもの居残り搬出を継続し当日の
岩井谷終点迄の材積は木〆203本尺〆125本、もっとも新調
車輪が到着したけれども附属金物の不工合のため取急ぎ修正を
加えたことにつき、漸次車台の修正増加と一方で労働員の増加を
督勵している。本年は一時降雪があったけれども全部融解して
地表面は氷結するが午後に至り霜が解ける有様なり。
岩井谷木馬曳および架線場作業は罹病者が漸次全快し元に回復
する者もあって、昨今幾分人員増加し27日の作業程度は
木馬曳木〆126本尺〆92本、第一号架線降下回数は84回
木〆165本尺〆112本余、河岸線軌道は架線ノ下降數に
相伴って搬出し相賀木場にあっては本月1日以降、本日夕刻迄に
船積隻数11隻、この材積2,392本4分。
起動所集積材積の見込額3200~3300尺〆。インクライン
荷卸場すなわち山手線軌道荷積場の材積見込額5200~5300尺〆
岩井谷落し場500尺〆余、第一号架線止め場材積約350尺〆余
(28日現在)木場現在720尺〆余なり。
起動所にあっては機関士外1名快復につき、両3日中ニ登山させて
労働者も健全に復した者を収集し登山させる見込である。
右、現業地実況を臨時報告いたします。
大正7年11月30日
千種熊之進[印]
専務取締役 熊澤一衛殿
--------------------------------
当時はウィルスを目視できる光学顕微鏡はなく、全く原因は不明で
全国で45万人の死者が出ましたが、その当時の感染予防対策も
現在に共通するものがあります。
・(はやりかぜに)かからぬには
1.病人または病人らしい者、咳する者に近寄ってはならぬ
2.たくさん人の集まっているところに立ち入るな
3.人の集まっている場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器(マスクの事)をかけ、
それでなくば鼻、口を「ハンカチ」手ぬぐいなどで軽く覆いなさい
冬の大台ケ原山上で作業していた方々の苦労を偲ぶとともに、現代を
生きる私達もなんとか乗り越えなければなりませんね。
一緒に書かせていただきました三重県伊勢市の片岡 督です。
現在、コロナ感染症が急速に拡大しており、一刻も早い収束を願うところです。
まず、医療機関の方々のご尽力に敬意を払うと共に皆様の健康をお祈りいたします。
さて、私は以前に大台ケ原における森林鉄道の記録を研究していましたが、
『三重県の森林鉄道』には掲載できなかった膨大な資料が他にも残されています。
四日市製紙株式会社(現、王子エフテックス㈱)に保管されていた史料の一部ですが、
大正7年から謎の流行性感冒が全国的に大流行して、大台ヶ原山の伐採計画も
大ダメージを受けています。史料には伐採現場を指揮していた千種熊之進から
四日市製紙専務の熊澤一衛宛に臨時報告書などが出されています。
以前調べていた頃は、謎の流行性感冒について昔は不治の病が多かったくらいの
気持ちで詳しい病名を調べずにいたのですが、昨今のコロナ感染症の流行から改めて
調べてみるとこの病名こそ元祖パンデミックの「スペイン風邪」ということでした。
大正7年中頃から大流行した「スペイン風邪」はその年のうちに全国に広まり
11月末には辺境の大台ケ原山上までに達しています。
以下はその報告書になります。(原文は読みにくいので、現代語訳に変換しています。)
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臨時報告
先般来、当地方にも流行性感冒が蔓延し当地附近の各町村共に
死亡または重患に陥るもの甚しく、出材現業員中今日迄に死亡せ
しもの6名、代人(注:伐採頭)以下総て重患にして病勢は
町内方面より漸次山上にまで進み遂に当事業地域内に浸襲を蒙り
労働者の該患に罹るもの日毎に増加、下山し現業員幹部側には
吉原倝(カン)治郎、朝倉重義を始め、代人等以下に至る迄ほとんど全部
該病に罹り元木谷において1名、岩井谷事務所にて1名、他は
1人として罹らないものなく重患者は下山させて入院もしくは
宿屋にて療養中にて、全山全滅の有様につき、本月26日に実地
視察と作業監督のため登山、28日下山した。起動所は20日以後、
現業員全滅のためやむおえず一時閉鎖し塩辛谷にあっては2、3名
にて木馬を曳き元木谷事務所員は1名だけ作業を見廻り、他は
病床に就き、山手線搬出は健全のもの居残り搬出を継続し当日の
岩井谷終点迄の材積は木〆203本尺〆125本、もっとも新調
車輪が到着したけれども附属金物の不工合のため取急ぎ修正を
加えたことにつき、漸次車台の修正増加と一方で労働員の増加を
督勵している。本年は一時降雪があったけれども全部融解して
地表面は氷結するが午後に至り霜が解ける有様なり。
岩井谷木馬曳および架線場作業は罹病者が漸次全快し元に回復
する者もあって、昨今幾分人員増加し27日の作業程度は
木馬曳木〆126本尺〆92本、第一号架線降下回数は84回
木〆165本尺〆112本余、河岸線軌道は架線ノ下降數に
相伴って搬出し相賀木場にあっては本月1日以降、本日夕刻迄に
船積隻数11隻、この材積2,392本4分。
起動所集積材積の見込額3200~3300尺〆。インクライン
荷卸場すなわち山手線軌道荷積場の材積見込額5200~5300尺〆
岩井谷落し場500尺〆余、第一号架線止め場材積約350尺〆余
(28日現在)木場現在720尺〆余なり。
起動所にあっては機関士外1名快復につき、両3日中ニ登山させて
労働者も健全に復した者を収集し登山させる見込である。
右、現業地実況を臨時報告いたします。
大正7年11月30日
千種熊之進[印]
専務取締役 熊澤一衛殿
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当時はウィルスを目視できる光学顕微鏡はなく、全く原因は不明で
全国で45万人の死者が出ましたが、その当時の感染予防対策も
現在に共通するものがあります。
・(はやりかぜに)かからぬには
1.病人または病人らしい者、咳する者に近寄ってはならぬ
2.たくさん人の集まっているところに立ち入るな
3.人の集まっている場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器(マスクの事)をかけ、
それでなくば鼻、口を「ハンカチ」手ぬぐいなどで軽く覆いなさい
冬の大台ケ原山上で作業していた方々の苦労を偲ぶとともに、現代を
生きる私達もなんとか乗り越えなければなりませんね。