【日付】 2023年5月3日(水)
【山域】 野坂山地
【天候】 晴れ
【コース】 マキノ石庭緑ケ池~・749北に突き上げる尾根~・749~イモジャ谷右俣~堀割道~白石平~抜土
~川原谷散策~抜土~ヤンゲン谷の西の谷左岸尾根~640mピーク~トチノキ谷~林道~ボンカ谷右岸尾根
~ 石庭嶽~寒風~堀割道~西山林道~P
ゴールデンウイークの前の日曜日、バーチャリさんと、マキノから大谷山寒風の山旅を楽しんだ。
その時、ふたりで掬い上げた輝きに導かれるように、9日後、わたしは、また、大谷山の麓へと向かっていた。
今日は、昭和の時代に作られた、緑ケ池という名のため池の駐車場に車を置き、大谷川に沿った廃林道から歩き始める。
マキノは、古代の製鉄の一大拠点だった歴史があり、この川の上流の谷では鉄を採取した鉄穴が見られるそうだ。
製鉄技術は朝鮮から。辺りには渡来人が暮らしていた朝来屋敷跡という地名も残っている。
そして、石庭の人々は、明治の時代まで、この川を遡り、今も残る寒風のうつくしい堀割道に出て、若狭と行き来していたという。
高島に暮らして知った歴史の断片。これからも流れていくかもしれないけれど、ふらふらと彷徨い流れ着いた地のお山と人びとの物語。
かつて、様々な人が行き交った道には、林道が出来、その林道も今は打ち捨てられ、草木が生い茂り、どこからともなく水がしみ出し、
ぐちゃぐちゃで歩きにくい。この土の下には、長い長い歴史が積み重なっているのだと思うと、ちょっとせつなくなる。
わたしは、何故、この地に暮らし、こうして引き寄せられるように山に向かい、
わたしの知らない誰かの痕跡を、お山の物語を、感じたいと思うのだろう。
草の下の泥濘にズボズボと押されているシカの足跡を長靴で踏み、ぼんやり考えながら歩いていると、左に谷が見えた。
あっ、ここだ。我に返り、対岸のひんやりとした植林の尾根に取りつく。
ガサガサと積もった湿気を含んだ杉の落ち葉と枝が発した、墨汁のような匂いが漂う斜面を適当に上へと向かっていくと、
尾根の形になり、しばらく登ると、前方に色鮮やかな緑の葉が見え、爽やかな空気に包まれた。
あれっ?標高を確認すると420m。何度も何度も仰ぎ見ているお山。
上部は自然林と分かっているけれど、こんなに早く植林を抜けるとは。道はないけれどヤブもない。
思わず笑みがこぼれ、すっとした白い雲がたなびく水色の空と、ひょろりと立つ木々の瑞々しい青葉を見上げながら、
からりと明るいゴロゴロとした石と木の根っこが出た尾根を登っていく。
標高600mになると、左斜面は植林が見られるが、尾根から右側は清々しいブナ林に。
足元の先にはイワカガミの群落が続いていく。えっ?と驚き、わぁ、とよろこびが湧き上がる。
地図を見ると、寄り道するところはありません、まっ直ぐひたすら登りなさい、
といわんばかりの急こう配のそっけない形の尾根。うっとりする風景は思い描いていなかった。
思い思いの方向に気持ちよさげに枝を伸ばしたブナの木々は、5月の爽やかな風に若葉を泳がせ、今を謳歌している。
ピンク色のイワカガミ達は、こそこそお山の楽しい内緒話をするように微かに微かに揺れている。
あまりにもうれしくて「ねぇ、ねぇ、ねぇ、なんて素敵なの」ブナの木に、イワカガミに、お山に、呼びかけてしまう。
あっちを見たり、こっちを見たり、振り返ったり、ゆらりゆらりと歩みを進めていくと、右斜面に一本の線が見えた。
か細いけれど人が作った道だ。尾根には道は残っていないのに、何故ここだけ?炭焼き窯のある谷に降りる道か。
辿ってみるが、10mほどで道は消えていた。急斜面なので無理せずに尾根に戻る。
傾斜が緩くなったと思ったら、すぅっと・749北の鞍部に立っていた。
ここから、バーチャリさんとしあわせに包まれながら歩いた道へと向かう。
どこから行こう。谷に入りかけたが気が変わり、・749から植林の尾根を下っていく。眼下に流れが見えた。
深呼吸して、ゆっくりと、はやる気持ちを抑え、ゆっくりと、しんとした透明な世界の、静かな穏やかな流れに近づいていく。
河川争奪によってマキノを流れる百瀬川(天井川になっているけれど)の上流となった川原谷の右俣の、
イモジャ谷右俣の標高700m二俣。そこは、どこまでも静謐で透明な、山と人が織りなしたうつくしい世界が展開している。
絶妙な線を描く谷には、優美に立ち並ぶブナの木々。左俣の入り口には土に埋もれた炭焼き窯跡が。
そして谷にはさまれたブナの小尾根には、イワカガミに飾られた堀割道がやわらかに浮かんでいる。
道や炭焼き窯は、人間の目的のために作られたものだけど、お山と人のこころが見事に融けあうと、
こんなにも妙なる世界を描き出すのだ。谷に降り立ち、手のひらを握りしめ、今日も感動をかみしめる。
この堀割道も、石庭と若狭を結ぶ交易の道であり、山仕事の道であった、いにしえの道。
堀割は深いところでは背丈を超え、絶妙な勾配で九十九折に尾根を縫っていき、
人びとの切実な思いのこもった道だったことが、しみじみと感じる。
傍らには、9日前は、つぼみだったイワカガミが咲き並び、ブナの木の無数の若葉からこぼれ落ちた光を受け、きらきらと輝いている。
いろいろな思いを抱えた人々が歩いた道を、同じようにいろいろな思いを抱えたわたしが、ゆっくりと登っていく。
ブナの森を抜けると灌木帯に。空が迫り、近江と若狭の国境稜線に出た。
周辺は、石灰岩がゴロゴロと露出する草原地で、白石平と呼ばれている。稜線も、西は近江坂、北は粟柄越を結ぶ重要な道だった。
昭和16年まで、近江の石庭と若狭の松屋の村人が、毎年、田植えの終わった時期に、ここ白石平に集まり、道普請したという。
眩い緑の雲谷山の向こうに青い海が見える。若狭湾だ。
振り返ると、青い海をちょっと薄めたような色の、近江の人びとが「うみ」と呼ぶ琵琶湖が、眼下におおきく広がる。
穏やかに光る海とうみ。ふたつのうみを、かわるがわる眺めながら、その煌めきに、変わりゆく時の中の、変わらぬ光と影を見る。
9日前は、稜線を北上したが、今日は西へと向かう。
寒風から抜土という名の峠にかけての尾根と谷とブナの森が描き出す風景は、四季折々味わい深い。
やっぱり、まっすぐに歩けない。ふっと物語を感じて、ゆらゆらと彷徨ってしまう。
抜土の手前で道はふたつに分れる。国境の右の道に進み、車道が横切る峠に出る。
急峻な川原谷と粟柄谷の源頭は、たおやかなやさしい地形が広がり、車道が通る前の風景を想像してしまう。
ずっと気になっている若狭側を歩き回りたい気持ちに駆られたが、車道を西に少し進み、川原谷源頭の薄暗い杉林に入る。
ちょこっと歩くと、眩い光の中に飛び出た。
百瀬川源流域のやわらかな地形に導かれるように、ある年の萌え出づる春の頃、近江坂の途中から、ここから下ってみようと、
シャクナゲが行く手を遮るヤブ尾根に入り、広い谷に降り立った。そこは幾筋もの小川が流れる光溢れる湿原地。
牧歌的な風景が広がっていた。谷のまわりは植林地になっていて、整地された地面に暮らしの匂いを感じた。
思いもがけない風景に出会えたよろこびと謎に包まれ、夢見心地で源流へと歩いていった。
その日出会った風景が忘れられず、後日、図書館でマキノの村誌を借りて読み、百瀬川上流域(川原谷上流)には、
かつて集落が点在し、田んぼも広がっていたことを知った。
マキノ森西の北西の△680.3原山南の鞍部、原山峠の辺りには人家があり、
イモジャ谷を下った川原谷で隠し田を営んでいたという歴史はその前に知ったが、その上流にも集落があり、
道は抜土へと続き、近江坂へと繋がっていたのだ。
歩いて出会った風景が、出会って知った歴史のひとかけらが、こころの中で光を放ち、次、また次の山旅へといざなう。
旅から旅へゆらゆら漂い、そして今日、過ゆく春と来たる夏の光に包まれ、いにしえの道を東から辿り、
今は長閑な湿原地となった、かつての水無村に、また足を踏み入れていたのだった。
長靴を履いてきたので、思うままに広い谷間を散策する。
さらさらと流れる小川を眺めていると、原山の田んぼの跡まで下りたくなったが、今日はここまで、と、
・567先のちょっと谷が狭まったあたりで引き返す。左岸の植林を見渡しながら歩いていると、うっすらとした道の痕跡と、
少し枯れかけたピンク色の花をたくさんつけた2,3本のシャクナゲの木を目が捉えた。ここに家が建っていたのだろうか。
きっと、そうに違いない。この地に生きた誰かが庭先に植えたシャクナゲ。
主無き後も、かつての風景を思い出すように春に花を咲かせているのだ、と思う。
車道からは、下った尾根の南の尾根を登り国境稜線に戻る。ここから、若狭側、ヤンゲン谷の西の谷の細長い左岸尾根を下る。
昨年の11月にヤンゲン谷を訪れた時、錦繍の衣を纏った640mピークに目が釘付けになり、いつか登ろうと思っていたのだった。
この尾根も清々しいブナ林が続いていく。杣道も残っていた。
標高650mあたりからヤブっぽくなり道も不明瞭になったが、630mあたりで、ハッと立ち尽くす。
ブナの巨樹が、尾根の横にどっしりと根を張っていた。
Kさんと割谷の頭から南西の尾根を下り、出会ったブナの木よりもおおきい。胸高周囲を調べよう。
リュックから細引きを出して、落ちていた枝を支点にして、ぐるりと幹を一周させ片結びする。
(帰宅して測ると3、5m。野坂山地で、3mを超えるブナの巨樹はなかなか見られない)
640mピークは、大きなブナが立ち並ぶ清々しいお山だった。あぁ、思った通り。
うれしくて、ここでお昼ご飯にしようかな、と思ったが、やっぱりあの場所で、と北の端まで進み、
木の幹を掴みながら、急斜面をトチノキ谷へと下っていく。
苔むした岩。やわらかな流れ。道路が通されてしまっても、尚もやさしく輝く奇跡のような谷の、
あの日も今日も静かに谷を見つめる思い出のトチの木の下で、ふぅ、と腰を下ろす。
ひとりの山歩きは、ゆらゆらゆらり。今日も、あっちに、でも、やっぱりこっちに、の繰り返し。
やさしさに包まれ、このままトチノキ谷を遡りたくなったが、やっぱり、と車道によじ登り、
北上して、・625の手前の谷から尾根に取りつき、標高780m石庭嶽へと向かう。
ヤンゲン谷を遡った帰りに出会い、後日750m地点まで辿った寒風から続いていく堀割道の下部を確認したかったのだ。
取りついた尾根は、荒れた植林でヤブっぽく、道は見当たらなかった。
枝を払いのけ、倒木をまたぎながら登っていくと、標高670mあたりで地図には記されていない林道に出た。
あれっ?ここまで楽に来られたのか。道は標高690mあたりまで延びていた。
ここからは、また瑞々しい緑の海へ。
目の覚めるような若緑色のハウチワカエデが立ち並ぶゆるやかなうねりの中には、一本の道が描かれていた。
細いけれど確かな道。粟柄谷を見て、粟柄村とを結ぶ道は、北尾根かなと思ったけれど、
山仕事の道に出会い、うれしくなる。ゆるりゆるりと道を辿っていくと、見覚えのある地形が現れ、石庭嶽山頂に着いた。
あぁ、戻ってきたのだなぁ、という感慨に包まれる。でも、どこに戻ってきたのだろう。チラッと考える。
バーチャリさんと、イワカガミに縁どられた見事な堀割道から、うっとり見上げた芽吹きのブナの木々は、
爽やかな緑の葉へと装いを変え、その隙間から差し込んだ木漏れ日が、落ち葉の折り重なった道にうつくしい陰影を描き出していた。
ここのイワカガミは、バーチャリさんがおっしゃった通り、あんまりお花を咲かせていなかった。
こんなに咲いているのだ、と感激した寒風のカタクリは、まだちょこっと残っていた。
登山者で賑わう堀割道を下っていく。うつくしいブナ林の広い尾根に、緩やかに丁寧に掘り込まれた道。
その道は、高機能の靴を履き、日帰りで山頂に登ることを目的とした登山者には緩やかすぎるのだろう。
途中から、ショートカットの道が出来ている。
道の役割の移り変わり、歩きやすい道というものの移り変わりは、わたしの足裏も感じている。
いにしえの道に思いを巡らせながら、堀割の道をうつくしいと思いながら、しっかりと新たな道を歩いていた。
分岐からも、車を置いた緑ケ池まで、いにしえの道を辿って戻ろうと思ったが、
やっぱり、と、打ち捨てられた林道ではなく、尾根道の方に進んでいた。
この林道は、次また歩くのだ。今日歩いて出会った風景が、早くも次の山旅へ、いざなっているのを感じた。
sato