【日 付】 2024年3月10日
【山 域】 湖北 上谷山周辺
【天 候】 曇り時々小雪舞う
【コース】 中河内⇔針川集落跡⇔・727⇔△781.2石留山⇔・1041⇔
上谷山
ふかふかの雪が降り積もった斜面が緩やかになると、薄墨色の空が眼前に広がり、伸びやかに枝を広げたブナの木々が顔を覗かせた。
と同時に、空と同じようなくすんだ色のこころにさぁっと光が差し込む。
一歩一歩雪を踏み締めて、大きなブナの木が立ち並ぶ麗しい台地に乗り上がると「あぁ、挫けなくてよかった」とちいさく呟いていた。
5日の火曜日、風雪吹きすさぶ奥越の山で、今シーズン最後の新雪ラッセルを満喫したと思ったが、昨日、我が家の周りにも雪が降った。
薄っすら雪化粧をした庭を見ていると、ざわざわと落ち着かなくなった。「上谷山だ」とトクンと胸が鳴った。
ひと月前に三国岳を訪れた時、まっ白に煌めく上谷山に目が吸い込まれていきそうになった。
青空の下で気持ちよさげに歌うように延びていくやわらかな尾根を見つめながら、胸にちいさな痛みを覚えた。
その時、いつか降雪直後の日に、あの白い尾根を辿り煌めく上谷山を目指そうとこころに決めたのだった。
そして今朝、まだ夜が明けぬ5時前に家を出て、中河内に向かったのだが、
余呉柳ケ瀬を過ぎると夜に積もった雪の除雪がまだ行われていなくて路面はツルツル状態に。
何度もタイヤが滑り、冷や冷やしながら、上谷山は今日ではなかったか、地元の山にしたらよかったか、と後悔し始めた。
しかしUターンは怖くて出来ない。手に汗を握りなんとか中河内に着き、やれやれと思ったが、
道中で湧き上がった地元の愛するお山に最後の新雪を味わいに出かけた方がよかったかな、という気持ちは拭えなかった。
一面の銀世界と雲間から覗く青空に励まされ、スノーシューを履き、まっさらな雪が積もった車道を歩き出しても、足取りは重く、
行けども行けども針川に着かない。空はいつしか薄墨を流したような色に。
立ち止まり、針川の方に流れゆく高時川を眺め「この道は帰りの方がしんどい。まだ間に合う。戻るなら今だ」と、
引き返したい気持ちに駆られるが、「でも」と思い直し、まっ白な上谷山を思い浮かべ、前を向き歩みを進めた。
ようやく橋が見え、ほっとして時計を見たら8時半。1時間50分も掛かっていた。
がっくりして「この調子では山頂は無理かな」と、またもや挫けそうになるが、せっかくここまで来たのだから行ける所まで行こうと
尾根に取り付いた。すると今度は、てんこ盛りの雪を纏ったユキツバキと倒木に行く手を阻まれ、
雪まみれになりながら我慢の登りがしばらく続いていたのだった。
発芽してから何十年、それ以上の年月、同じ場所で、ままならぬ環境の中、すべてを受け入れ生き抜いてきた木々を見上げていると、
むくむくと力が湧いてきた。うじうじした気持ちは、すっかりと消えている。9時半過ぎ。
地図を広げると、登り始めてからまだ少しの距離しか進んでいないのが分かるが、「大丈夫」と思える。
ここからは健やかなブナ林の気持ちのいい尾根が続いていく。目を見張るほどのおおきなブナも次々と現れる。
昨日は結構な雪と風だったのだろう。尾根が細くなると雪面はカーテンのようにうねり雪庇も出来ていて、わぁ、とうれしくなる。
足は少し重いけれど、気分よくラッセルを楽しんでいる。
息を弾ませ・1041に着くと、あっ、と言葉を失った。
今シーズンは、もう出会うことはないのだろうなと思っていた世界。広い台地の向こうには冷やかな霧氷の海が広がっていた。
2月にわたしが見た純白に煌めいていた上谷山は、気持ちよさげに歌うような牧歌的な尾根は、冷え冷えと白灰色に鈍く光っている。
ピリッとした風が吹いてきて頬を叩き、「冬のなごりなんかではない。思う存分凍てつく世界を味わわせてあげよう」と耳元で囁き、
ぱらぱらと小雪を運んで来た。
空はどんよりとしているけれど視界は効く。三国岳も見事な白灰色の霧氷を纏っていた。
その向こう、夜叉丸、三周ケ岳は雲に覆われていたが、一瞬、雲が流れ、凍れるお姿が浮かび上がった。
なんて気高く威厳に満ちたお姿なのだろう。背筋がぞくぞくと震える。
手がかじかんできた。リュックから分厚い手袋を取り出し交換する。小雪がなるべく頬にあたらぬようフードを深くかぶる。
陽差しがなくて、寒くて、さみしくなるような色彩の中にいるのに、こころは熱く燃えている。
・1059から、うみと海、ふたつのうみを望む。太古から受け継がれてきたものと、わたしの奥底にある何かが呼応し、
意識と無意識の間が揺さぶられ、頭の中に浮かびかけた、神秘的とか幻想的とか安易な言葉が吹き飛ばされてしまう。
うつくしく波打つ雪庇を渡り、鋼のような強靭さとうたかたのような儚さを併せ持った霧氷の木立を抜けると、
視界がぼんやりとしてきて、全ての境がおぼろげな白い世界に踏み込んでいた。傾斜がなくなり上谷山の山頂に着いたのだと分かる。
まさに白い世界。直角に曲がった江越国境稜線も滑らかな雪、広野からも今日は誰も登ってきていないようだ。
この凍れる世界に出会えたのは、わたし、ただひとり。
感謝とよろこびに包まれる。やっぱり今日が訪れる日だったのだとしみじみと思う。
少しでも霧が流れてくれるかな、と数分待ったが期待できない。風も冷たい。12時半を回った。
・1059まで下ってからお昼ご飯にしよう。きりりと硬い霧氷を口に含み、踵を返す。
霧が立ち込めてしまったが、辿って来た足跡があるので安心感がある。暫くすると白いベールから抜け出し、
風も弱まり、広々とした雪原の向こうに連なる暗灰色の山並みの先に広がるふたつのうみを再び拝み、落ち着いて休憩することが出来た。
ブナの森では、山の語り部のようなブナの木々が、登りの時よりも、より存在感を放ちながら迎えてくれた。
尾羽梨川を挟む安蔵山谷山左千方へ至る尾根とこの尾根は、厳しい環境を乗り越えてきたうつくしくたくましいブナに出会える、
素晴らしい尾根だなぁ、とあらためて感じ入る。
厄介だったユキツバキのヤブも、あとひと月後、薄紅色の花を咲かせようと雪の中で耐えているのだと思うと、いとおしくなる。
木々を眺めながら歩いているうちに針川に降り立った。15時10分。日没まで充分時間があるが、ここからが長い。
山上では凍てつく寒さだったが、麓は暖かだったようで、朝、木々の枝を纏っていたまっ白な雪は消えている。
路面の雪もべちゃついている。よし、と気合を入れて、そのまま歩き続ける。
途中でおやつを食べて半明集落跡まで戻ると、水場の点検に来たのだろうか、重機の轍が現れた。
ありがたい。1.5倍くらいの速さで歩けるようになった。
谷間に夕方を告げる音楽が響き渡る。17時。三角屋根の建物が見えた。
愛車に戻り、後片付けをしていると、おじさんがやって来た。
「大黒さん」に登って帰ってこないと心配してくださっていたのだと知る。上谷山に登らせていただいたことをお伝えすると、
山名をご存じないようだった。針川まで歩いて尾根に登ったと説明すると驚かれたが、「なんと、まぁ、よく登りましたねぇ」
とやさしくねぎらってくださった。ちょこっと世間話をした後、こうしてたまに来る登山者に車を置かせてくださることへのお礼を申し上げ、
おじさんの温かな笑顔に見送られながら、きれいに除雪された国道に出た。
朝とは一転、スイスイと車を走らせ、おじさんとの会話を反芻しながら、むかしむかし高時川に沿って北国街道が通っていたが、
戦国時代にこの道と重なる椿坂を越える道が整備され、近代以降は、中河内半明と針川が、それぞれ最奥の集落となっていたこと、
針川と中河内が車道で繋がったのは針川が廃村した後だったということを思い出す。
今日、わたしが出会った風景の数々が浮かび上がり、その風景の奥にあるものが呼びかける。
うつくしいお姿に惹かれていた上谷山が、よりおおきく深くなっているのを感じる。
あぁ、今日、ここを旅することが出来てよかったとあらためて思う。
*****
今年は、冬と春のせめぎ合いが続いている。一昨日の木曜日の朝、我が家の庭が、またうっすらと雪化粧した。
そして、昨日、また上谷山を訪れていた。今度は広野から。7年前の冬に歩いた時は、朝まで雪が降り、
歩き始めからたっぷり積もった雪だったので気が付かなかったのか、気が付いたのだけど忘れてしまったのか、
記憶に残っていなかったが、手倉尾根には堀割の道が続いていた。二重になっているところもあった。
尾根上には、こちらも見事なブナやミズナラの大木が残されている。
昨日は、山全体が霧氷といっていいくらいに木々は白く飾られていた。
うつくしく張り出した雪庇を越え、まっさらな雪の斜面を踏み固めながら山頂に辿り着くと、
白銀色のため息の出るような素晴らしい世界が広がっていた。
うみと海、ふたつのうみを眺めながら、上谷山は、びわ湖に注ぐ高時川源流域の村、針川や尾羽梨と、
九頭竜川と合わさり日本海に注ぐ日野川源流域の橋立、広野、岩谷の村々にとって、大切なお山だったのだと、
深い思いに包まれた。
sato