【日 付】 2022年11月12日(土曜日)
【山 域】 野坂山地
【天 候】 晴れ
【メンバー】 山日和さん sato
【コース】 粟柄林道~トチノキ谷~ヤンゲン谷~大谷山~寒風~
・859割谷の頭~トチノキ谷~P
美浜町を流れる耳川の上流粟柄谷に沿って延びる林道粟柄谷線。
「わぁ、お山が燃えている。あっ、石。あっ、枝」
車を運転する山日和さんの隣で、車窓に広がる錦織りなす山にうっとりしたり、
路面に次々と現れる石や木の枝に冷や冷やしたりしているうちに、駐車地に到着した。
いつもと同じように準備を整え、軽くストレッチ。お山の神様にご挨拶をして一歩を踏み出す。
トチノキ谷の林道に入り、谷を見下ろしながら歩いていると、大きなトチが目に飛び込んだ。
ここから林道に出たのだなぁ。確かではないけれど、このごつごつとした幹のトチは印象に残っている。
あともう少しと、訳の分からない痛みに顔をゆがめながら登った斜面を、後ろ向きになり、
落ち葉の上を確認して、トントンと手をつき下っていく。
降り立つと、ふわりと静謐な空気に包まれた。一年前もその前にも感じたのと同じ空気。
苔むした岩。やわらかな流れ。谷を見つめるトチの木々。しんとした穏やかな世界。
道路が通されてしまっても、尚もやさしく佇む奇跡のような谷。移りゆく時、巡りゆく季節の中、
変わらぬ光をこうしてまた感じることの出来たよろこびに身を任せながら、ゆらりゆらりと流れを遡っていく。
「そろそろかな」と、右側を眺めていると、黄金色に煌めく谷と目が合った。
「あっ」と息を呑む。朝の光が差し込んだヤンゲン谷だった。まだ光が届かぬ谷底の流れがちいさく過ぎゆく秋を歌っている。
「あぁ・・」思いが湧き上がるその前に、澄んだ響きに吸い込まれるように思い出の谷に立っていた。
標高813.9mの大谷山の南西を源とする粟柄谷支流トチノキ谷の、さらに支流のヤンゲン谷。
地形図を見ても、稜線まで延びる粟柄谷林道と、その横の「し」の字のような林道が、でんと存在を主張していて、
目を留めることもなく、すっと通り過ぎてしまいそうな、そっけないくらい短くちいさな谷。
そのちいさな谷に、お山は、珠玉の風景を描いている。
今日は、どんな風景に出会うのだろう。何を感じるのだろう。
「よし、行こう」と足を出す。でも、すぐに歩みが止まってしまった。
足元から、やわらかな弧を描き穏やかな光を放つ谷が広がっていた。
真ん中には、お山の神様が、ぽんと置かれたかのようなおおきな岩。なんて不思議で、なんて調和のとれた妙なる風景なのだろう。
岩の前にいき隙間を覗くと、奥には滝が流れ、破壊と創造の神様シバをほうふつさせる岩が鎮座していた。
自然が創り出した神を感じる不思議な造形。目を閉じると、流れ落ちる水の音から、お山のちいさな祈りの声が浮かんできた。
どこかに暮らす誰かのちいさな祈りの声が浮かんできた。そして、わたしのちいさな祈りの声と合わさり、
透き通った響きとなり、祈りを唱える誰かの元へと、さらさらと足元を流れていくのを感じた。
ふたたびの谷の、はじめての風景。
赤や黄に彩られたヤンゲン谷は、緑の装いの時よりも、より明るく、よりせつなく、こころの奥底に触れてくる。
初冬の陽ざしの中に、すぐそこまで来た厳しい冬の足音を聞いている一本一本の木々は、あらゆる感情を超えて青い空を見上げ、
吹き抜けていく風に乗せて煌めく葉を手放していき、その無数の落ち葉で敷き詰められたやわらかにうねる山肌は、
そんな木々を包み込むようにやさしく琥珀色に輝いていた。
わたしの暮らす地から眺める大谷山は、こんなにもうつくしくせつない風景を秘めているのだ、と胸が熱くなる。
黒い岩壁を流れる、こじんまりとした滝を目が捉えた。
「ここだ」真下に立ち、左岸を見上げる。そう、この草付きを、手をつきながらぱたぱたと登っていき、
あの木のところで曲がろうとした時、右肘下に衝撃が走ったのだ。
今日も、同じラインを辿ろうとしたら、山日和さんは、小滝のツルツルした足場をタワシで擦り、登ってしまわれた。
シュリンゲを垂らしていただいたので、わたしも後に続く。
「あの日も、タワシを持っていたら」登り終えたわたしを見て山日和さんが呟いた。
あの時、ここで見上げた、ふんわり淡く泣きたくなるようなやさしい水色の空がまぶたの裏に浮かぶ。
「持っていなくてよかったのだ」とわたしは思う。
あの時、あの場所にお腹に子を持ったマムシがいて、今、こうして、ふたたびのヤンゲン谷で、
静かな感動に包まれているわたしがいるのだ。
マムシに咬まれるという思いもがけない体験は、わたしの大事な大事な物語となり、今も紡がれている。
酷い腫れの影響で、拘縮が少し残った右手首を触りながら、辿ってきた穏やかに輝くヤンゲン谷を見下ろし、
ひと息ついて、初冬の低くなった太陽の光をまっ直ぐに受け、眩く輝くやわらかな弧を描くヤンゲン谷を見上げた。
あの日、じっと見つめた輝きの中へと進んでいく。
ここからしばらく、やわらかな谷は、谷底をキュッと狭め、流れに勢いをつけていた。
透き通った水が、もこもことうねる草付きの斜面と斜面の間を、いくつかの小滝となりながら、
ひと筋の白い煌めきを放ち、わたしたちの方に向かってくる。
あまりの眩さに、しあわせな気持ちとは裏腹に、片目を閉じ眉間にしわを寄せながらの歩みとなってしまう。
流れがふたたび緩やかになると、谷はよりやわらかに広がっていった。谷は最後までやさしかった。
水面に浮かぶオオモミジの黄葉をうっとりと眺めているうちに、すぅと水は消えていて、
ふかふかの落ち葉の上を歩いていた。空が近くなったと思ったら、いつしかやわらかな弧は稜線に吸いこまれていて、
ススキに囲まれ、若狭と近江の国境の上に立っていた。
やわらかな弧を描き穏やかな光を放つ谷を遡った先には、愛するたおやかな山やまが並んでいて、
眼下には、わたしの暮らす地が穏やかに広がり、白く光るうみが水色の空と溶け合うように浮かんでいた。
「そうかぁ」言葉にならない、しみじみとした感慨に包まれる。
ススキに覆われた大谷山の山頂で、沢靴を脱ぎ、登山靴に履き替えた。
お昼ご飯は、あの場所で。山日和さんもお気に入りのブナ林へと向かう。
寒風から少し北西に入った、カマノ谷源頭の地で、大御影山を眺めながら、耳川上流の山と谷のお話をしながらのお昼ご飯。
ふっと後ろを向くと、葉っぱの大半を落としたブナの木々がお行儀よく並び、わたしたちの話に耳を澄ましていた。
うつくしい旅は続いていく。
・859割谷の頭から、以前、少し歩いてその先が気になっていた掘割の道を辿っていく。
素晴らしいブナの林の尾根に丁寧に掘られた道。深いところではわたしの背丈以上もある。
この道は、トチノキ谷とボンカと呼ばれる谷の源、石庭嶽の方に続いていると山日和さんが教えてくださる。
マキノの石庭と粟柄村を結んだ道なのだろうか。山仕事の道にしては立派すぎる。
石庭を流れる大谷川の上流では古くから鉄鉱石を採取していた。石庭嶽も鉄鉱石を産出する山なのだろうか。
あれこれ思いを巡らせて歩いていると、道は、ゆるりと絶妙なカーブを描きながら急斜面を下っていった。
次への旅を感じながら、石庭嶽への道とお別れをして、トチノキ谷を下っていく。谷にも道が残っていた。
上流も、名前の通り、トチノキが静かに佇むやさしい谷だった。足を濡らさずに歩け、
「あっ」と思う場所には、必ずと言っていいくらい炭焼き窯の跡が見られた。
下るにつれ、谷は色鮮やかに染まっていく。何度も立ち止まり振り返っては、大きくため息をついてしまう。
あともう少しで林道。このうつくしい旅が思い出になってしまうのだと、ちょっとかなしくなる。
この日の夜、ひさしぶりに、ぽっ、とくり返される懐かしい夢を見た。
幼いわたしが父と一緒に自転車を漕ぎ、森の中に延びる一本の道へと入っていく。
森を抜けた先には、わたしの知らないわたしの暮らす町と似たような風景が広がっている。
いや、わたしは元に戻ってきたのか。「お父さん」と口走ったり、「えっ?」と不思議な感覚に包まれたり・・・。
そこでこの夢は毎回終わっている。
翌朝、庭先で、沢靴をいつもより丁寧に洗いながら、昨日の山旅と夢を振り返り、
「そうかぁ。そうかぁ」と、やっぱり言葉にはならないけれど、昨日よりおおきく呟くわたしがいた。
これからも続いていく「源流への山旅」。洗い終えた靴を、定位置にぱたんと置いて、
どこかに続いていく、どこかから戻ってくる淡い色の空を見上げた。
sato