【日 付】 2022年9月4日(日曜日)
【山 域】 野坂山地
【天 候】 晴れ
【メンバー】山日和さん sato
【コース】 黒河林道くちなし谷出合から少し南に進んだ路肩~滝ヶ谷~標高470m二俣右俣~中山~滝ヶ谷左岸尾根~林道P
「えっ?降りられるの?」
いきなりの難関と書かれていたが、地図を見てなんか凄そう、と思ったが、まだ、橋の上。目の前に立ち憚る絶壁にうろたえてしまう。
深呼吸してゆっくりと橋の下を見て、ほっとした。「大丈夫、降りられる」
本を胸に夢見た旅が始まるのだ。ぽぉっと頬が熱くなる。
野坂山地中山滝ヶ谷を巡る山旅。それは、増永廸男さんの『春夏秋冬山のぼり』を読み、いつか、と夢見て、
でも、こころの引き出しの奥の方に仕舞っていた山旅だった。
『春夏秋冬山のぼり』を初めて手に取り味わった時、増永廸男さんが感じられた情景やこころの動きが、色彩を伴い、
わたしのこころにすっと入ってきて、透明な響きとなり沁み渡っていきしあわせな感覚に包まれた。
何回か読み返した時「岩籠山と中山の二つの谷」で、ページをめくる指が止まった。
滝ヶ谷を旅するわたしの姿が白黒のぺージの上に映し出された。
いつか訪れるのだ。そう夢見ていたが、5年前、ひとりで出かけた谷で怪我をして、ちょっと足首に不自由さが残ることとなった。
山歩きの楽しさはたくさんある。沢山旅はもう見果てぬ夢でいいかな、と、一旦は思った。
でも、3年前から、こうしてまた沢山旅を楽しんでいるわたしがいる。
そして、夢は引き出しの奥で光を放ち続け、隙間からもれていた。
「中山の谷に行こう」山日和さんのご提案にびっくりした。うれしさに包まれた。
大きな滝がお出迎え、とドキドキしながら谷に降り立ったが、目に飛び込んだのは、崖に施された石垣だった。
そして同じく石垣状の堰堤。予想外の人工物、それも草津川のオランダ堰堤を彷彿させる珍しい形状の堰堤のお出迎えに、
一瞬どこに来てしまったのだろう、と思ったが、堰堤を越えると、木々の生い茂ったどしりとした岩壁が現れた。
真ん中には、まっ白な水しぶきを豪快に立てながら、大きな淵に向かい、まっすぐに落ちる滝。
「これが、いきなりの難関の滝だ!」胸が高鳴る。ほんとうに簡単には通れそうにない。
本には「左岸のやぶを強引に登ってゆくと、あれっ、という感じで古いみちに出合った」と描かれていた。
14年前に遡行した山日和さんも左岸を巻かれたそうだ。
でも、淵(なんと石積みが施されていた)から切り立った両岸を見上げると、
右岸の方が、石積みが始まるあたりで傾斜が少し緩くなっていて、ルートが浮かんでくる。ここから取りつくことにした。
大きく巻いたが木々に助けられ、着実に巻くことが出来て笑みがこぼれた。
滝の上も両側から壁が迫っていた。ここは逃げ場がない。この先どうなるのかな。
大丈夫、と気持ちを落ち着かせながら廊下を右に曲がると、今度は赤褐色の絶壁とその間を踊るように流れ落ちる滝にぶつかった。
淵は深い。「すごい」山日和さんが感慨深げな声を漏らした。
この滝は前回、ひとつ目の滝を高巻きした時に一緒に巻き、お会いしていなかったとのこと。右岸を巻いてよかった、と頷き合う。
さて、この滝は、どこから巻いたらよいのだろう。よろこんだのはいいが、両岸は、ひとつ目の滝よりも切り立っている。
少し戻り、右岸の急斜面をよじ登りトラバースするが、行き詰まる。戻って今度は左岸の崖に取りついた。
土と落ち葉の積もった岩の、ちいさな足場を探しながら、山日和さんがロープの長さまで登られ、
確保していただきながら、わたしが登る、という動作を2回繰り返し「古いみち」に出合った。
「あぁ、緊張したぁ。あぁ、古いみちに出たぁ」無事登れたうれしさと、「古いみち」に出たうれしさで、
飛び跳ねたくなるような気持ちになる。道はどこまでのびているのだろう。どんな道なのだろう、と気になる。
でも、谷の風景を味わいたい。少し進むと、急こう配だが木々を掴んで降りられる場所が見つかった。
復帰した谷は、それまでの険しい表情から一転し、穏やかに。常緑樹が目立つが明るい森の中を、優しい流れが続いていく。
赤みを帯びた岩盤が、風景をより明るく印象づけていた。
時折現れる様ざまなかたちの小滝は、こぼれ落ちる太陽の光と、くすくす内緒話をしながら楽し気に流れ落ち、
その流れを受ける緑がかった透明な水を湛える淵は、対照的に、思索に耽っているようなしんとした静けさで、
ほとんどが思いのほか深かった。
「わぁ。素敵」ワクワクしながら歩みを進めていく。
標高400m辺りで、ぱぁっ、とまた風景が移り変わった。谷が広がりを見せ、明るさを増した。
常緑樹から広葉樹の森へと植生も変わり、広くなった岸辺には炭焼き窯跡も見られた。
「あっ、窯跡」声を上げるのと同時に、石積みに駆け寄っていた。
「名前から想像されるように、入り口のきびしい谷。それがのぼってみると、上流はゆるやかにひろがって、
すこしまえには、人々の作業の地だったことをしめす地形が、次つぎにみえてくる谷であった」
「炭焼きの跡が、次つぎにあらわれる谷だった。窯の跡は二十もあったろうか。最高点は700メートルくらいに達していた」
この文章がわたしのこころを捉え、滝ヶ谷を遡り△786.8中山へ向かう旅の夢が描かれたのだった。
きびしい谷を越えた先で、この炭焼き窯跡に出会った時に湧き上がる感情を、わたしは知りたかったのだなぁ。
石積みを眺めながら感慨に浸る。
水に戻り、ゆるゆると高度を上げていく岸辺を見ながら歩いていると、
人々の作業の地だったことをしめす地形が、まさに次つぎとみえてきた。
山腹の古いみちはこのあたりまでのびていたのだろうな。
ぽつ、ぽつ、と現れる炭焼き窯跡を見上げながら、炭焼きの人々が行き来した道に思いを巡らす。
標高470m二俣に着いた。
ここからは左俣を遡り、緩やかに複雑に入り組む谷の源頭の風景を味わおう、とお話ししていたが、
右俣のナメ滝にこころが引きつけられる。
前回、右俣を遡った山日和さんも、こちらにしようとおっしゃった。
谷はまた表情を変え、ナメ滝から始まった右俣には、驚きと感動の風景が展開していた。
爽やかな緑の森の中を縫っていくナメ床とナメ滝。いったいどこまで続くのだろう。
そのうち泥状の溝みたいになるのだろうな、と思っていたが、ナメ床とナメ滝はどこまでも続いていった。
「わぁ、すごい」「わぁ、すごい」興奮に包まれ「すごい」の連続。
空が近づき、勾配が緩やかになると水が切れ、胸の鼓動も少し落ち着いた。足元は折り重なる落ち葉となっていた。
左の斜面にはブナの林が広がっていた。なんて清々しい源流なのだろう。
山頂は灌木で覆われ眺めも今ひとつ。ブナの木の下で、コーヒータイムを楽しむことにした。
今日は、早めのお昼ご飯だったので、先のことを考えコーヒーの時間は取らなかったのだ。
うつくしい源流の風景に抱かれて、遡ってきた素晴らしい谷を振り返りながらの、しあわせなくつろぎの時間が、
ふっと秋を感じる透き通った風と共に流れていく。
ひと登りして、15時半頃山頂に到着した。
最初のふたつの滝の高巻きで時間がかかり、その後も、なるべく濡れぬようにとソロソロへつりを楽しんだり、
風景に見とれたり、ゆっくりの足取りで遅くなってしまった。
ここからは、稜線を北上し、△739.7から西の尾根を下る予定だった。
△739.7までは、わたしも岩籠山から乗鞍岳を縦走した時の、すんなりと歩いた記憶が残っている。
その先の尾根も山日和さんは歩いている。現在の時間を考えれば、予定の尾根の方が確実だろう。
でも、地図を見ていると、滝ヶ谷の緩やかな左岸尾根に目が吸い寄せられてしまう。
周りの植生から、ヤブはあっても深くはなさそう。むかしから人びとと関わりの深いお山なので、踏み跡もあるのでは。
途中、ヤブにつかまっても2時間ぐらいで駐車地に着くだろうと思い、左岸尾根に向かった。
予期せぬうつくしい風景は、思いもがけない場所で出会ったりする。
コンパスで方向を確かめながら、灌木の間をすり抜け、北西の尾根に向かうと、右側がうつくしいブナ林となり、
すぐ下には静謐さを湛えた窪地が広がっていた。吸い込まれるように窪地に降りる。
大きなブナの木が立ち並ぶ、夢のようにうつくしい窪地だった。ちいさな池も見られる。
地形図には現れていないちいさな二重山稜地形。中山の秘密の表情に出会ったよろこびに包まれる。
すぐ下を林道が走っているので、植林がちの尾根かな、とも思ったが、広葉樹と植林が混ざり、尾根上は広葉樹が多く明るかった。
踏み跡もあり気持ちよく下っていった。途中、木立の間から覗いた岩籠山の端正なお姿に見とれてしまう。
標高570mを直進し、550mから北上する尾根にも踏み跡は続いていた。
急こう配の坂を下っていくと「古いみち」に出合い、難なく黒河林道に着地出来た。
ふぅ。ひと息ついて、両手でひたいの汗を拭う。拭った手の小指を合わせ、
今、土で汚れている、あの日、湧き上がる思いに包まれながらページをつまんでいた指を、じっと見る。
今日、数かずの輝きを掬い上げた手のひらを、じっと見る。ほんの数秒、じっと見る。
ふぅ。もう一度おおきく息を吐き、ぱたんと手のひらを合わせ、
夢見た山旅、今日もゆたかな山旅を味わうことが出来たしあわせをかみしめる。
旅はまだ終わらない。予想到着時間は少し超えそうだけど、駐車地までゆっくり林道歩きを楽しもう。
続いていく旅を夢見ながら。
*翌日、山日和さんから「驚愕の事実が判明」(笑)とのメールをいただきましたが、
お聞きしなかったことにして紡ぎました。
sato