【日 付】 2021年7月24日(土)
【山 域】 江美国境
【メンバー】 山日和さん sato
【天 候】 晴れ時々曇り
【ルート】 八草峠~廃林道~八草川(炉谷)~左俣~金糞岳~白倉岳~
P1161手前の鞍部~右俣~八草川~廃林道~P
汗をかきかき水辺に降り立つと、爽やかな空気に出迎えられた。
9時40分。すっかり遅くなってしまった。先週と同じ失敗、
廃林道歩きで、また分岐を通り越してしまったのだ。
今日は戻るには進み過ぎていて、軌道修正するのに時間がかかってしまった。
「大丈夫。下山は18時かな。」
予定コースの大半を辿られている山日和さんの言葉にほっとする。
ひと休みして、さらさらと流れゆく澄み透った水を、
じゃぼっ、じゃぼっ、と心地よくからだで受けながら、煌めく緑の中に分け入っていく。
なんて爽やかで穏やかな風景なのだろう。
林道が延びているので、しばらくは植林の風景が続くのかな、と思っていたが、
谷は自然林に包まれ、流れもやさしい。
あまりにも穏やかで、光に溢れていて、その奥に隠れたさみしさを、ふっと感じてしまう。
ちいさなゴルジュが現れた。腰の上まで浸かりそろそろと通過する。
やさしくさみしい風景はその後も続いていった。
ふわっと谷が広がり、しっとり趣きのある二俣に着いた。
両方の谷の入口にかかる小滝が透明な声で刹那と永遠を歌っている。
ぐるりと旅してここに戻ってくるのだと、右俣のうつくしい流れをこころに刻み、左に進む。
流れはゆったりと向きを変えていく。やさしくさみしい風景がゆったりと移っていく。
谷はやわらかな緑に満ち溢れ、苔むした岩は静かに煌めき、流れゆく水は清々しい。
時折、緑の中からカラカラと石が落ちてくる。谷間に響き渡る、キュン、という鳴き声。
わたしたちを見つめるシカのまあるい眼を感じる。
いや、シカだけではない。様々な生き物の眼。風景は幾重にも折り重なっていく。
こころの琴線にそっと触れてくる風景に浸かっていると、目の前に黒い岩壁が立ち憚った。
かくっと左に曲がると、ゴルジュになり、今までの爽やかで穏やかな景色が一変し、厳かな空気に。
山日和さんが胸まで浸かり通り越したのを確認して後に続くが、不意に足が谷底から離れ、どきりとする。
泳げるから大丈夫と思っても、こんな時、人は溺れてしまうのだなぁ、と背筋が寒くなる。
また岩壁が迫り、右に曲がると、そこには息を呑む光景が展開していた。
そそり立つ真っ黒な岩壁を勢いよく滑り落ちる一筋の滝。
シバの第三の眼を彷彿させる、黒い岩肌を走るまっ白な弓なりの光。
地形図の、流れが北から西へと弧を描くところの一角。
想像もしなかった金糞岳の荘厳な風景との出会いに胸が震える。
滝の上には行けるのか?
山の神様はちゃんとルートを作ってくださっていた。ガレガレのルンゼが小尾根に向かっていた。
石を落さぬようそろりそろりと登り、落ち口に向かい滑らぬようゆっくりと斜面をトラバースしていく。
ここから先は、サワグルミの立ち並ぶ生の輝きに満ちた森。
いくつかの小滝を越えていくうちに、滝の光景は夢だったのか、と思ってしまうぐらい、穏やかな世界に戻っていた。
12時過ぎ。谷が開けた標高1010m辺り、トチとサワグルミが見下すうつくしい岸辺でお昼ご飯。
先が長いので、13時前には腰を上げる。
北尾根からの枝谷にかかる涼しげな滝を見て出発する。
1060mの二俣は左に。
傾斜が増してきて、流れは細く谷は溝状になるが、ヤブは無く穏やかな風景が続いていく。
最初の一滴はどこだろう。
水が切れたと思ったら、またしみ出す。2,3回繰り返すと、谷は土の溝になった。
お山の中からじんわりとしみ出た一滴は、色も匂いも何にもなく透明そのものだった。
わたしも生まれてきた時は、こんな眼をしていたのかな、とふと思う。
山頂まであともう少し。
このまま穏やかに山頂に辿り着かないことは分かっている。
ササのヤブが始まる、と思ったら、灌木のヤブになった。そして背丈を越える濃いササヤブに。
早く抜け出そうと右寄りに進んでいく。
近づいた空を見ながら、あともう少し、もう少しと、何回か呟き、登山道に出た。
障害物がなくなり、ふわふわした足取りで山頂に向かう。
目印の赤い看板が見えた。金糞岳山頂。
きっぱりとした夏の陽射しを受け、青く光る奥美濃、近江の山やまをぐるりと見渡し、
じわっと感動が湧き上がる。
わたしは、今日、あらたな金糞岳に出会ったのだ。
14時半。
あまりゆっくりはしていられない。大きく構える白倉岳に向かい足を進める。
夏真っ盛りの稜線歩き。目に映る風景すべてが新鮮で見入ってしまう。
草いきれのこもる白倉岳山頂に着いた。
少し下ったところから谷に降りようとお話ししていたが、もう15時前。
山日和さんが前回辿ったP1161手前からのコースに変更する。
右俣の始まりは穏やかだった。
ちょこっとササヤブをかき分けると、登山道の様な溝が延びていた。
少し進むと、左俣と同じように土の中から最初の一滴がしみ出していて、
あれよあれよという間に、さらさらとした流れになっていた。
あたりはうつくしいブナ林となり、右に流れが見えた。下る予定だった谷だ。
清澄な空気に満たされた合流の地。ゆっくりと出来ないのが残念。
後ろ髪をひかれつつ大きくなった流れに向かう。
ここからは小滝とナメが、こころに刻んだ流れまで続いていく。
遥か大海原を夢見て、宝石のような物語を築きながら旅を続けるいのちの水。
山が織りなす、うつくしい絵巻物のような風景が、
さぁ次へ、と、疲れてきたからだの背中をそっと押してくれる。
ナメをそろりそろりと下り、小滝では淵に滑り落ちたりして、17時過ぎ、二俣に戻ってきた。
穏やかな風景の中を下っていく。遡る時に感じたさみしさが、足元でちいさな影を落としていた。
影の上に立つわたしの胸の中では、今日出会った一期一会の風景がきらきらと光を放っていた。
18時を回ってしまった。
キュンキュン、早く帰りなさい、と急かすように鳴くシカの声に、
ハイハイ、と返事をしながら草の生い茂った林道を峠へと向かう。
すぐ脇の木からガサッと音がした。何っ?大きなクマだった。
目が合った瞬間、クマはするりと木から駆け降り緑の中に消えていった。
びっくりしたが、クマの方がびっくりしていたのだろう。侵入者はわたしたちなのだから。
18時45分。峠に戻ってきた。
朝の鮮烈な光の中で、静かに微笑んでいらしたお地蔵さまは、夕刻の青灰色の空の下、同じように微笑まれ、
凛とそびえ立っていた蕎麦粒山は、変わらず凛々しいお姿だった。
わたしの暮らす近江の空は、やわらかなオレンジ色に染まっていた。
あたたかな涙で潤んだような風景の中に、ここから続いていく源流への旅の、光の筋のようなものを感じ、
泥だらけの沢靴を早く脱ぎたいのに、暫しの間、脱げないわたしがいた。
sato