【 日 付 】2020年10月24日(土曜日)
【 山 域 】 比良
【メンバー】山猫単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】坊村13:51〜114:12牛コバ〜15:21葛川越〜15:40比良岳(P1051)15:50〜16:36夫婦滝
分岐〜17:36牛コバ〜17:59坊村
2月以降、コロナ禍で予定されていた出張は全てキャンセルまたはオンラインとなっていたのだが、久しぶりに京都でのシンポジウムの仕事が入る。この日は朝から秋晴れが広がっており、格好の登山日和のようだ。
自分の出番が終わるとそそくさとシンポジウムの会場を抜けだし、自宅に戻ると急いで身支度を整え、午後の短い時間で周回可能な山行を考える。裏比良の迷宮のような森か、あるいは奥比良の好展望の稜線かと散々迷った挙句、坊村から葛川越の古道を辿って比良岳に向かうことにした。
坊村に到着したのは14時前。駐車場にはかなりの数の車が停められているが、続々と登山客が降りてこられる。流石にこの時間から登る登山者はいないだろう。いつもの如く地主神社の右手の斜面から取り付くと、明神谷林道のヘアピン・カーブを目指してショートカットする。
林道終点から白滝谷に入ると、いつもは湿潤した緑の空気が濃厚に漂うところではあるが、いつになく緑が柔らかい。直ぐにその理由を理解する。樹冠の葉が既に黄色く色付き始めているのだ。
葛川越の道はその入口に道標もテープも何もないのでわかりにくいが、一見、何の変哲も無い斜面によくよく目を凝らすと九十九折に登ってゆく古い古道が見える。古道の周囲には多くの岩が散逸し、がれた斜面の岩と完全に同化しているが、牛車が通ったという道にはかつては整然と敷き詰められていたのだろう。
九十九折が終わると山側の植林と谷側の二次林との間をトラバースする道になる。トラバース道が突然、不明瞭になるが、山側の斜面をよく見ると大きく折り返す道が目に入る。
やがて古道の脇には道標の代わりにいくつもの苔むした炭焼き窯の跡が現れる。かつてはこれらの炭焼き窯で作られた炭を琵琶湖側に運び、葛川の人々の重要な生活の糧だったのだろう。ほとんど人の通ることのない古道にひっそりと佇むこれらの炭焼き窯は古い書物に挿入された栞の如く、遠い記憶を静かに物語るようだ。
高度が上がるにつれ右手の二次林が明るく見える。樹間から見上げる対岸の白滝山の山肌が錦繍に染まっているようだ。白石谷の右岸の尾根が現れると古道は掘割の道となり、しばらくの間、尾根を九十九折に登る。再び長いトラバース道に入り白石谷の上流のガレた谷を横切る。やがて広い道沿いには回廊のように樅の大樹が連なり、さながら古い街道の風格を呈する。
なだらかな台地になると右手から登ってくるクルシ谷に紅葉した樹が目に入るので、谷に下降する。
ここで谷は四俣となるが、葛川越の古道が入ってゆくのは地図に記された二つの谷筋の間、右から三つ目の谷になる。谷に入ると直ぐにその狭い入口からは予想出来ないような広々としたU字の谷が広がる。両側から谷を覆う樹々の黄葉のおかげで、一気に黄色の世界に飛び込む。
谷奥へと進むと上部には御神体のような巨岩が現れる。源頭の流れはこの巨岩の左手から湧き出ているのだろう。巨岩の裏に回り込むと水が切れるので、ここから草つきの斜面を登ることになる。
登るにつれて周囲の木々の黄葉は一層鮮やかに感じられる。周囲の斜面の林床を覆う小紫陽花の葉にも黄色が斑らに入り、黄葉が始まっているのだった。もう少し時間が過ぎると一様に鮮やかな黄葉になることだろう。小紫陽花の間ではイワヒメワラビの群生が未だに保つ若々しい緑色が目立つ。
葛川越が近づくと古道は再び深い掘割の道となる。緩やかに斜面を登り葛川越の峠に出る。
比良岳の山頂を目指して表比良の縦走路に入ると途端に林相が変わる。橙色の紅葉を見せる灯台躑躅などの躑躅系の低木のせいで、縦走路は明るく華やかな雰囲気だ。
錦繍に染まる烏戸岳の肩からは伊吹山が顔を覗かせる。西側には百里ヶ岳、三国岳、天狗岳など京都の北山の山々の眺望が広がる。比良岳の山頂が近づいたところで再び振り返ると伊吹山を雲が影に隠れてしまっていた。
比良岳の山頂に到着すると空に広がっていた雲の下から太陽が光を放ち始め、山頂の山毛欅の紅葉が途端に明るく輝き始める。煌めく山毛欅の黄葉を見上げて、しばらく山頂の周囲を彷徨う。まず北東の展望地より武奈ヶ岳を望む。
南には蓬莱山や森山岳を望む展望地がある。森山岳の山肌もすっかり色づいているようだ。比良岳の山頂にはしばらく前には山名標のプレートがあったのだが、どうやら失くなってしまったようだ。時間を確認すると既に16時前だ。流石に下山する時間だろう。
山毛欅の樹々が明るく輝く南西の源頭に誘い込まれるように下降する。途端に林床には一面に柔らかい草やイワヒメワラビの緑が広がり、山毛欅の黄葉と美しいコントラストを見せてくれる。
広い緩斜面を谷を目指して色とりどりの紅葉を愛でながら心ゆくままにゆっくりと歩む。楓の葉も鮮やかに色づいているようだ。
どうも今年は山毛欅の黄葉が美しいように思うが、台風が一つも上陸していないので山毛欅の葉が散っていないせいもあるかもしれない。昨年は台風が運んできた塩水のせいで紅葉の季節の前に葉の色が妙に変色していたように思う。
谷の正面には西陽を浴びた黄葉が照明器具のように黄色い透過光で谷を満たしている。小さな流れに沿って谷を下ると、呆気なく思うほどに白滝谷との合流部に到着してしまう。山と高原地図ではボウダラ谷と記されているが、谷の出合の石標にはクマアナ川と掘られている。後は白滝谷の流れに沿って下降するばかりだ。紅葉の樹々が彩るを下降する。
標高800mあたりを過ぎると紅葉は少なくなる。どうやら紅葉はこれからのようだ。白髭の淵、夫婦淵と登山道脇には先ほどのクマアナ川と同様に石標がある。夫婦淵は沢の中央まで渡渉しないと二筋の小さな流れを見ることは出来ない。
昨日までの雨のせいだろうか、どうも普段よりも水流が多いように思う。流石に夫婦滝には寄り道するのはやめておいたが、白滝には立ち寄ることにした。ここは8月にも訪れたばかりであるが、確かに前回よりも水量が多い。
となるとクルシ谷の入口にかかる布ヶ滝も水量が増加していることが期待される。夕闇が迫っていることは理解してはいたが、薄暗い谷の奥に赤茶けた滑らかな巨岩の上を滑り落ちる布ヶ滝が目に入ると立ち寄らずにはおられない。左岸の急斜面をトラバースして滝下に立って、滝を見上げる。やはり以前の印象よりも水量が多いように思われる。
時刻は17時11分、これから二回の白滝谷の渡渉がある筈だ。足元が完全に暗くなる前に渡渉を終えて林道の終点にたどり着きたいところだ。水量の多い沢の上に張られたロープを頼りに左岸に渡渉する。
急速に足元が暗くなってゆく。気がつくと先ほどまで足元にあった明瞭な踏み跡がない。対岸には河岸段丘が目に入る。どうやら渡渉点を通り過ぎてしまったようだ。果たしてこの水量が増加した沢を無事、対岸に渡ることが出来るのだろうか。とりあえず渡渉できる箇所を探すべく沢に降り立つ。案ずるより産むが易しである。対岸まで靴を濡らさずに渡れる浅瀬がすぐに見つかった。渡渉した場所は葛川越の道に入ったあたりだった。
いよいよ夕闇が降りてきたのでいよいよヘッデンを取り出し、足元を照らす。登山道の入り口のあたりで焚き火とヘッデンの明かりが見える。誰かがテントしておられるようだ。ご挨拶をすると、闇の中から「トレランですか?」と質問をいただく。先方は私の軽装からトレイル・ランナーと勘違いされたようである。勿論、走ろうと思えば走れたのだが、「あまりにも紅葉が美しくて走る気には到底なれませんでした」と本音をお答えする。
滝に寄り道したこともあり、思いの他、下山が遅くなったがそれでも別世界のような山毛欅の黄葉を見ることが出来たことに満足して、足早に林道を下る。林道のショートカットは途中から急斜面を諦めて廃林道を辿って林道に復帰する。足元に注意しながら走ったせいか、行きよりも下りの方が長くかかるのだった。
坊村に着くと安曇川の上を半月が照らしている。駐車場の車は4台ほどに減っていた。先ほどの男性を含めて、テン泊の登山客のためのものであろう。翌日の好天を祈りながら京都への帰路につくのだった。