【日 付】2011年9月24日(土)
【山 域】鈴鹿
【コース】藤原P7:20---10:02展望丘---(羽瀬尾探索)---13:32藤原小屋---14:32藤原P
【メンバー】単独
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。この中でも江戸時代に産銀量からして中核をなしたのが藤原岳の南東斜面にある羽瀬尾銀山になる。5月に尾根の探索に行き、奇跡的に水抜きが見つかり場所は特定できた。この時は、青川から中尾経由で登ったのでタイムオーバーになってしまった。そこで、今回は大貝戸道を登り時間短縮し探索時間を作ろうと考えた。
大貝戸道を歩くのは30年ぶりだ、上りでは坂本谷の祠から、下りは聖宝寺道を使うことはあったが何となく歩く気がしなかった。立派なトイレ付の駐車場に車を止める。昔は無かった石の鳥居をくぐり歩いていくと二合目には不動明王が鎮座している。こんなん無かったよなと思いながら整備された道を上る。所々見覚えのある個所はある。なにせ公共交通機関を使って登っていた学生時代だから、駅に近いこの道は帰りによく使った。植林地のつづら折れの直線道が続くあたりから飽きてきた。どうも朝一からメジャーな登山道というのは、時間に追われるようでしっくりこない。
たまらず、8合目からは冬道を歩く。ここは鹿の踏み跡だらけで、人の歩かなくなった登山道は獣達にとってはとても歩きやすい道のようだ。9合目をすぎて廃道と記されている道に入る。道はしっかりしていて歩きやすい。小谷にはピンクのテープがつけられている。この地点から踏み跡はあやしくなるが、このまま道をトラバースすれば採石場上部の袴腰に向かい、小谷を渡った先の小尾根を上れば展望丘手前の丘に着く。目的地は展望丘方面なので小尾根を上る。苔に覆われたカレンフェルトの尾根だ、展望もすばらしく静寂の丘で一息つく。藤原岳のテーブルランドの良さを凝縮したような場所だ。ようやく山モードの時間の流れになってきた。丘を越え登り返して展望丘に着いた。冬道を通り廃道から展望丘に向かうルートが昔のルートのようだ。尾根を素直にたどればこのルートになる。展望丘手前の丘に昔の小屋跡らしきものがあったので、ここに向かったのかもしれない。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。とにかく傾斜のある尾根なので、ここぐらいしか広い場所はない。カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。
多志田谷の水音が近づくにしたがって急な下草のない地肌の見えた斜面と立木のみになってくる。広い斜面以降は獣道すらない。人の通っていない地肌なので慎重に立木の位置を確認しながら下りていく。滑り出すとどこまでも行きそうな感じだ。これ以上は下りられないなと思い、引き返そうとすると谷の上部にモミノキの大木が見える。トラバースできる位置だが、立木が無く地肌の斜面なので、再び上り返し立木をひろいながらたどり着いた。モミノキの大木の下は多志田谷で隣に源頭部の滝が流れている。
[attachment=1]IMG_4205.jpg[/attachment]
滝の位置からして口十枚の坑口の目印として残されたモミノキのようだ。
以前に「福岡野につづく道5 新説多志田道と幻の多志田滝」
http://www.ejanaika.com/patio/read.cgi? ... past&no=91
で草木を多志田谷側にトラバースする道を見つけ孫太夫尾から多志田滝に降りた時にもモミノキの大木が道の目印として残されていた。
少し上り返し休憩する。県境稜線を見上げながらぼんやりと時間をすごす。さて行くかと立ち上がると、かわいいヒルがズボンについていたので、ポイと投げ捨てた。今シーズンもヒルの被害は無くすみそうだ。
岩場を探りながら歩くがそれらしきものはない。江戸時代の急な斜面の坑口だから水抜きでもないかぎりふさがっているのは当然かなどと上っていくと。袴腰側の斜面の岩の上にモミノキの大木を発見。上りかえして探るが何もない。この上部で前回水抜きの穴を発見した。このモミノキは、ここから上部に続く羽瀬尾銀山の目印のようだ。羽瀬尾にモミノキの大木は、滝の隣とここの二本しかなかったので、まず間違いないだろう。江戸時代の鉱山跡が目印の大木という形で残っていることに驚いた。
精錬所のあった福岡野から桃ノ木尾と孫太尾根までは牛道を使い。草木の手前からは、トラバース道と孫太夫尾の人足道を使い羽瀬尾に至る古道が目印の大木でつながったことに感慨を覚えた。
【鈴鹿】藤原岳南東斜面「羽瀬尾」を探る 福岡野につづく道7
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
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【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
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Re: 【鈴鹿】藤原岳南東斜面「羽瀬尾」を探る 福岡野につづく道7
わりばしさん、こんばんは
大貝戸道を歩くのは30年ぶりだ、上りでは坂本谷の祠から、下りは聖宝寺道を使うことはあったが何となく歩く気がしなかった。植林地のつづら折れの直線道が続くあたりから飽きてきた。どうも朝一からメジャーな登山道というのは、時間に追われるようでしっくりこない。
そうですか、一般登山道は性に合わないといったところでしょうか?
それとも登山道自体に山登りの魅力を感じないと言ったところでしょうか?
たまらず、8合目からは冬道を歩く。ここは鹿の踏み跡だらけで、人の歩かなくなった登山道は獣達にとってはとても歩きやすい道のようだ。
私や獣達にとって・・・ですね。
小谷を渡った先の小尾根を上れば展望丘手前の丘に着く。目的地は展望丘方面なので小尾根を上る。苔に覆われたカレンフェルトの尾根だ、展望もすばらしく静寂の丘で一息つく。藤原岳のテーブルランドの良さを凝縮したような場所だ。ようやく山モードの時間の流れになってきた。丘を越え登り返して展望丘に着いた。
展望丘の手前の尾根がイイのですね。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。
袴腰でテント泊して、夜景を楽しむって手がありますね。
地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
地根苦って何でしょうか?
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。とにかく傾斜のある尾根なので、ここぐらいしか広い場所はない。カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。
カラミがないのは残念ですね。
岩場を探りながら歩くがそれらしきものはない。江戸時代の急な斜面の坑口だから水抜きでもないかぎりふさがっているのは当然かなどと上っていくと。袴腰側の斜面の岩の上にモミノキの大木を発見。上りかえして探るが何もない。この上部で前回水抜きの穴を発見した。
今回は見に行かなかったのですか?
このモミノキは、ここから上部に続く羽瀬尾銀山の目印のようだ。羽瀬尾にモミノキの大木は、滝の隣とここの二本しかなかったので、まず間違いないだろう。江戸時代の鉱山跡が目印の大木という形で残っていることに驚いた。
モミの大木が見つかってよかったですね。
精錬所のあった福岡野から桃ノ木尾と孫太尾根までは牛道を使い。草木の手前からは、トラバース道と孫太夫尾の人足道を使い羽瀬尾に至る古道が目印の大木でつながったことに感慨を覚えた。
大木だけでなく、もっと違うものを発見できると確信が持てますね。
宮指路
大貝戸道を歩くのは30年ぶりだ、上りでは坂本谷の祠から、下りは聖宝寺道を使うことはあったが何となく歩く気がしなかった。植林地のつづら折れの直線道が続くあたりから飽きてきた。どうも朝一からメジャーな登山道というのは、時間に追われるようでしっくりこない。
そうですか、一般登山道は性に合わないといったところでしょうか?
それとも登山道自体に山登りの魅力を感じないと言ったところでしょうか?
たまらず、8合目からは冬道を歩く。ここは鹿の踏み跡だらけで、人の歩かなくなった登山道は獣達にとってはとても歩きやすい道のようだ。
私や獣達にとって・・・ですね。
小谷を渡った先の小尾根を上れば展望丘手前の丘に着く。目的地は展望丘方面なので小尾根を上る。苔に覆われたカレンフェルトの尾根だ、展望もすばらしく静寂の丘で一息つく。藤原岳のテーブルランドの良さを凝縮したような場所だ。ようやく山モードの時間の流れになってきた。丘を越え登り返して展望丘に着いた。
展望丘の手前の尾根がイイのですね。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。
袴腰でテント泊して、夜景を楽しむって手がありますね。
地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
地根苦って何でしょうか?
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。とにかく傾斜のある尾根なので、ここぐらいしか広い場所はない。カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。
カラミがないのは残念ですね。
岩場を探りながら歩くがそれらしきものはない。江戸時代の急な斜面の坑口だから水抜きでもないかぎりふさがっているのは当然かなどと上っていくと。袴腰側の斜面の岩の上にモミノキの大木を発見。上りかえして探るが何もない。この上部で前回水抜きの穴を発見した。
今回は見に行かなかったのですか?
このモミノキは、ここから上部に続く羽瀬尾銀山の目印のようだ。羽瀬尾にモミノキの大木は、滝の隣とここの二本しかなかったので、まず間違いないだろう。江戸時代の鉱山跡が目印の大木という形で残っていることに驚いた。
モミの大木が見つかってよかったですね。
精錬所のあった福岡野から桃ノ木尾と孫太尾根までは牛道を使い。草木の手前からは、トラバース道と孫太夫尾の人足道を使い羽瀬尾に至る古道が目印の大木でつながったことに感慨を覚えた。
大木だけでなく、もっと違うものを発見できると確信が持てますね。
宮指路
Re: 【鈴鹿】藤原岳南東斜面「羽瀬尾」を探る 福岡野につづく道7
わりばしさん こんばんは。
銀山だけあって、いぶし銀のような 渋~いrepでんなぁ。
【山 域】鈴鹿
【コース】藤原P7:20---10:02展望丘---(羽瀬尾探索)---13:32藤原小屋---14:32藤原P
【メンバー】単独
もともと鈴専だった(大したことないが)当方ですが、近江側からの攻めがほとんどで 「羽瀬尾」って???。
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。この中でも江戸時代に産銀量からして中核をなしたのが藤原岳の南東斜面にある羽瀬尾銀山になる。5月に尾根の探索に行き、奇跡的に水抜きが見つかり場所は特定できた。
この 水抜き ってのは、銀山に関係あるもんなんですか?
スンマヘン 素人質問で。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
もどりますでしょうか? イブネの笹なら枯れ始めが早いので後5年、御池は10年でしょうかねェ??。
笹海のイブネから銚子、笹海のテーブルランド、足があるうちに再訪したいもんですな。
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。
なるほど、はやりの1000円カットやないんですなぁ。
カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。[/color]
何度も スンマヘン このくだりも カラミ? アガリコが人の関わり?
この辺 て セメント 関係で掘りまくれれてる辺りじゃないんですか?
レベルの低い素人resでどうもです。
山の歩き方もいろいろ、まさにバリエーションでんなぁ。
SHIGEKI
銀山だけあって、いぶし銀のような 渋~いrepでんなぁ。
【山 域】鈴鹿
【コース】藤原P7:20---10:02展望丘---(羽瀬尾探索)---13:32藤原小屋---14:32藤原P
【メンバー】単独
もともと鈴専だった(大したことないが)当方ですが、近江側からの攻めがほとんどで 「羽瀬尾」って???。
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。この中でも江戸時代に産銀量からして中核をなしたのが藤原岳の南東斜面にある羽瀬尾銀山になる。5月に尾根の探索に行き、奇跡的に水抜きが見つかり場所は特定できた。
この 水抜き ってのは、銀山に関係あるもんなんですか?
スンマヘン 素人質問で。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
もどりますでしょうか? イブネの笹なら枯れ始めが早いので後5年、御池は10年でしょうかねェ??。
笹海のイブネから銚子、笹海のテーブルランド、足があるうちに再訪したいもんですな。
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。
なるほど、はやりの1000円カットやないんですなぁ。
カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。[/color]
何度も スンマヘン このくだりも カラミ? アガリコが人の関わり?
この辺 て セメント 関係で掘りまくれれてる辺りじゃないんですか?
レベルの低い素人resでどうもです。
山の歩き方もいろいろ、まさにバリエーションでんなぁ。
SHIGEKI
Re: 【鈴鹿】藤原岳南東斜面「羽瀬尾」を探る 福岡野につづく道7
おはようございます、宮指路さん。
大貝戸道を歩くのは30年ぶりだ、上りでは坂本谷の祠から、下りは聖宝寺道を使うことはあったが何となく歩く気がしなかった。植林地のつづら折れの直線道が続くあたりから飽きてきた。どうも朝一からメジャーな登山道というのは、時間に追われるようでしっくりこない。
そうですか、一般登山道は性に合わないといったところでしょうか?
それとも登山道自体に山登りの魅力を感じないと言ったところでしょうか?
後ろからカップルが歩いてきたんですよね。
どうも後ろから人が歩いてくるとホゲーとした山歩きのペースが乱れるんです。
たまらず、8合目からは冬道を歩く。ここは鹿の踏み跡だらけで、人の歩かなくなった登山道は獣達にとってはとても歩きやすい道のようだ。
私や獣達にとって・・・ですね。
ハハハ・・そうかもしれません。
登山道は九合目までの間はかなり遠回りしているので、下りに使うと早いですよ。
帰りにも使いましたが、のんびり歩いていた猿の群がビックリして逃げていきいました。
小谷を渡った先の小尾根を上れば展望丘手前の丘に着く。目的地は展望丘方面なので小尾根を上る。苔に覆われたカレンフェルトの尾根だ、展望もすばらしく静寂の丘で一息つく。藤原岳のテーブルランドの良さを凝縮したような場所だ。ようやく山モードの時間の流れになってきた。丘を越え登り返して展望丘に着いた。
展望丘の手前の尾根がイイのですね。
展望もいいですし、登山道の近くにありながらとても静かです。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。
袴腰でテント泊して、夜景を楽しむって手がありますね。
夜は静かでいいでしょうね。
ただ、明るいうちは対岸の孫太尾根の採石場がうるさいです。
孫太尾根の末端部分もえらいことになっています。
地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
地根苦って何でしょうか?
笹枯れの事です。
60年周期で笹が枯れて生まれ変わる状態を表すようです。
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。とにかく傾斜のある尾根なので、ここぐらいしか広い場所はない。カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。
カラミがないのは残念ですね。
他の鉱山に比べ銀を吹く場所もなかったようなので、吹いたのは短期間です。
早くから福岡野に鉱石を運び上げたようです。
ですから、なかなか見つかりにくいでしょうね。
岩場を探りながら歩くがそれらしきものはない。江戸時代の急な斜面の坑口だから水抜きでもないかぎりふさがっているのは当然かなどと上っていくと。袴腰側の斜面の岩の上にモミノキの大木を発見。上りかえして探るが何もない。この上部で前回水抜きの穴を発見した。
今回は見に行かなかったのですか?
パソコンが壊れてGPSのデータが消えちゃったんです。
探したんですが、今回は見つかりませんでした。
どこの岩場も同じように見えてきて・・
このモミノキは、ここから上部に続く羽瀬尾銀山の目印のようだ。羽瀬尾にモミノキの大木は、滝の隣とここの二本しかなかったので、まず間違いないだろう。江戸時代の鉱山跡が目印の大木という形で残っていることに驚いた。
モミの大木が見つかってよかったですね。
大木がほとんど無い羽瀬尾では、目立つ存在です。
特別な物だということがわかります。
精錬所のあった福岡野から桃ノ木尾と孫太尾根までは牛道を使い。草木の手前からは、トラバース道と孫太夫尾の人足道を使い羽瀬尾に至る古道が目印の大木でつながったことに感慨を覚えた。
大木だけでなく、もっと違うものを発見できると確信が持てますね。
そうですね。
大貝戸道を歩くのは30年ぶりだ、上りでは坂本谷の祠から、下りは聖宝寺道を使うことはあったが何となく歩く気がしなかった。植林地のつづら折れの直線道が続くあたりから飽きてきた。どうも朝一からメジャーな登山道というのは、時間に追われるようでしっくりこない。
そうですか、一般登山道は性に合わないといったところでしょうか?
それとも登山道自体に山登りの魅力を感じないと言ったところでしょうか?
後ろからカップルが歩いてきたんですよね。
どうも後ろから人が歩いてくるとホゲーとした山歩きのペースが乱れるんです。
たまらず、8合目からは冬道を歩く。ここは鹿の踏み跡だらけで、人の歩かなくなった登山道は獣達にとってはとても歩きやすい道のようだ。
私や獣達にとって・・・ですね。
ハハハ・・そうかもしれません。
登山道は九合目までの間はかなり遠回りしているので、下りに使うと早いですよ。
帰りにも使いましたが、のんびり歩いていた猿の群がビックリして逃げていきいました。
小谷を渡った先の小尾根を上れば展望丘手前の丘に着く。目的地は展望丘方面なので小尾根を上る。苔に覆われたカレンフェルトの尾根だ、展望もすばらしく静寂の丘で一息つく。藤原岳のテーブルランドの良さを凝縮したような場所だ。ようやく山モードの時間の流れになってきた。丘を越え登り返して展望丘に着いた。
展望丘の手前の尾根がイイのですね。
展望もいいですし、登山道の近くにありながらとても静かです。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。
袴腰でテント泊して、夜景を楽しむって手がありますね。
夜は静かでいいでしょうね。
ただ、明るいうちは対岸の孫太尾根の採石場がうるさいです。
孫太尾根の末端部分もえらいことになっています。
地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
地根苦って何でしょうか?
笹枯れの事です。
60年周期で笹が枯れて生まれ変わる状態を表すようです。
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。とにかく傾斜のある尾根なので、ここぐらいしか広い場所はない。カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。
カラミがないのは残念ですね。
他の鉱山に比べ銀を吹く場所もなかったようなので、吹いたのは短期間です。
早くから福岡野に鉱石を運び上げたようです。
ですから、なかなか見つかりにくいでしょうね。
岩場を探りながら歩くがそれらしきものはない。江戸時代の急な斜面の坑口だから水抜きでもないかぎりふさがっているのは当然かなどと上っていくと。袴腰側の斜面の岩の上にモミノキの大木を発見。上りかえして探るが何もない。この上部で前回水抜きの穴を発見した。
今回は見に行かなかったのですか?
パソコンが壊れてGPSのデータが消えちゃったんです。
探したんですが、今回は見つかりませんでした。
どこの岩場も同じように見えてきて・・
このモミノキは、ここから上部に続く羽瀬尾銀山の目印のようだ。羽瀬尾にモミノキの大木は、滝の隣とここの二本しかなかったので、まず間違いないだろう。江戸時代の鉱山跡が目印の大木という形で残っていることに驚いた。
モミの大木が見つかってよかったですね。
大木がほとんど無い羽瀬尾では、目立つ存在です。
特別な物だということがわかります。
精錬所のあった福岡野から桃ノ木尾と孫太尾根までは牛道を使い。草木の手前からは、トラバース道と孫太夫尾の人足道を使い羽瀬尾に至る古道が目印の大木でつながったことに感慨を覚えた。
大木だけでなく、もっと違うものを発見できると確信が持てますね。
そうですね。
Re: 【鈴鹿】藤原岳南東斜面「羽瀬尾」を探る 福岡野につづく道7
おはようございます、SHIGEKIさん。
渋レポにお付き合いいただきありがとうございます。
【山 域】鈴鹿
【コース】藤原P7:20---10:02展望丘---(羽瀬尾探索)---13:32藤原小屋---14:32藤原P
【メンバー】単独
もともと鈴専だった(大したことないが)当方ですが、近江側からの攻めがほとんどで 「羽瀬尾」って???。
治田鉱山関連の古地図と黒川静夫さんの「伊勢治田銀銅山の今昔」ぐらいにしか名前は出てきません。
西尾本にも載っていませんね。
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。この中でも江戸時代に産銀量からして中核をなしたのが藤原岳の南東斜面にある羽瀬尾銀山になる。5月に尾根の探索に行き、奇跡的に水抜きが見つかり場所は特定できた。
この 水抜き ってのは、銀山に関係あるもんなんですか?
①治田郷多志田銀山絵図(1774年)の場所と一致すること。
②県境稜線の同じような標高の近い場所に蛇谷銀山も添水銀山もあること。
③添水銀山に属する火打岩の下部にも同じような水抜きが数か所あったこと。
から考えて銀山関連と考えていいんじゃないかと思います。
治田鉱山の江戸時代の坑口や穴は水抜き以外はなかなか残っていません。
水が流れないと穴がふさがってしまうようです。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
もどりますでしょうか? イブネの笹なら枯れ始めが早いので後5年、御池は10年でしょうかねェ??。
笹海のイブネから銚子、笹海のテーブルランド、足があるうちに再訪したいもんですな。
昔は藤原の展望丘のあたりもすごかったからですね。
あの状態なら鉱山の古道探索なんて気がおこらなかったでしょうね。
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。
なるほど、はやりの1000円カットやないんですなぁ。
鉱石を運びやすくするために現地で一次的に製錬した場所です。
もののけ姫のタタラ場の小規模なやつです。
カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。[/color]
何度も スンマヘン このくだりも カラミ? アガリコが人の関わり?
カラミは製錬した時に出る鉄クズです。
アガリコは、大木を伐採した後、そこから芽生えた幹を育て、それを繰り返し伐採し利用してきた木です。
生活の営みの残り香のような木です。
この辺 て セメント 関係で掘りまくれれてる辺りじゃないんですか?
セメント関連は、もっと下流ですね。
源頭部は大丈夫です。
山の歩き方もいろいろ、まさにバリエーションでんなぁ。
そうやなあ。
いっつもSHIGEKIさんの沢レポを指くわえて読どるに。
わりばし
渋レポにお付き合いいただきありがとうございます。
【山 域】鈴鹿
【コース】藤原P7:20---10:02展望丘---(羽瀬尾探索)---13:32藤原小屋---14:32藤原P
【メンバー】単独
もともと鈴専だった(大したことないが)当方ですが、近江側からの攻めがほとんどで 「羽瀬尾」って???。
治田鉱山関連の古地図と黒川静夫さんの「伊勢治田銀銅山の今昔」ぐらいにしか名前は出てきません。
西尾本にも載っていませんね。
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。この中でも江戸時代に産銀量からして中核をなしたのが藤原岳の南東斜面にある羽瀬尾銀山になる。5月に尾根の探索に行き、奇跡的に水抜きが見つかり場所は特定できた。
この 水抜き ってのは、銀山に関係あるもんなんですか?
①治田郷多志田銀山絵図(1774年)の場所と一致すること。
②県境稜線の同じような標高の近い場所に蛇谷銀山も添水銀山もあること。
③添水銀山に属する火打岩の下部にも同じような水抜きが数か所あったこと。
から考えて銀山関連と考えていいんじゃないかと思います。
治田鉱山の江戸時代の坑口や穴は水抜き以外はなかなか残っていません。
水が流れないと穴がふさがってしまうようです。
展望丘から南東斜面に向かう。袴腰まで上ってきている採石場の道が見える。地根苦で枯れた笹も元気を取り戻しつつあるようだ、もう5年もすれば立派なヤブにもどりそうな勢いだった。
もどりますでしょうか? イブネの笹なら枯れ始めが早いので後5年、御池は10年でしょうかねェ??。
笹海のイブネから銚子、笹海のテーブルランド、足があるうちに再訪したいもんですな。
昔は藤原の展望丘のあたりもすごかったからですね。
あの状態なら鉱山の古道探索なんて気がおこらなかったでしょうね。
南東斜面の立木のある場所を探し下っていく。急な斜面を下っていくと途中から尾根らしくなってくる。さらに下っていくと広々とした斜面に出た。小屋や床屋(銀を吹いた場所)があった所だろう。
なるほど、はやりの1000円カットやないんですなぁ。
鉱石を運びやすくするために現地で一次的に製錬した場所です。
もののけ姫のタタラ場の小規模なやつです。
カラミがないか探すが見つからない。ここには、数本のアガリコが残っており人のかかわりが垣間見えた。[/color]
何度も スンマヘン このくだりも カラミ? アガリコが人の関わり?
カラミは製錬した時に出る鉄クズです。
アガリコは、大木を伐採した後、そこから芽生えた幹を育て、それを繰り返し伐採し利用してきた木です。
生活の営みの残り香のような木です。
この辺 て セメント 関係で掘りまくれれてる辺りじゃないんですか?
セメント関連は、もっと下流ですね。
源頭部は大丈夫です。
山の歩き方もいろいろ、まさにバリエーションでんなぁ。
そうやなあ。
いっつもSHIGEKIさんの沢レポを指くわえて読どるに。
わりばし
Re: 【鈴鹿】藤原岳南東斜面「羽瀬尾」を探る 福岡野につづく道7
わりばしさん こんばんは。
西尾本にもありませんか そら知らんはずやわ。
いやぁ~ これは、エエ勉強させて貰いました。
アルツ脳に、エエ SHIGEKI をありがとうございました。
刺激
西尾本にもありませんか そら知らんはずやわ。
いやぁ~ これは、エエ勉強させて貰いました。
アルツ脳に、エエ SHIGEKI をありがとうございました。
刺激
Re: 【鈴鹿】藤原岳南東斜面「羽瀬尾」を探る 福岡野につづく道7
おはようございます、SHIGEKIさん。
西尾本にもありませんか そら知らんはずやわ。
いやぁ~ これは、エエ勉強させて貰いました。
アルツ脳に、エエ SHIGEKI をありがとうございました。
こちらこそいいSHIGEKIになりました。
「治田郷多志田銀山絵図」ではありませんが、「治田宦山多志田山絵図」に羽瀬尾と孫太夫尾と孫太尾根の場所を貼っておきました。
またご覧ください。
西尾本にもありませんか そら知らんはずやわ。
いやぁ~ これは、エエ勉強させて貰いました。
アルツ脳に、エエ SHIGEKI をありがとうございました。
こちらこそいいSHIGEKIになりました。
「治田郷多志田銀山絵図」ではありませんが、「治田宦山多志田山絵図」に羽瀬尾と孫太夫尾と孫太尾根の場所を貼っておきました。
またご覧ください。