【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
【 日 付 】2019年11月10日
【 山 域 】鈴鹿
【メンバー】シュークリーム、雨子庵、Biwa爺、山猫(敬称略)
【 天 候 】晴れのち曇り
【 ルート 】上高地13:44〜14:34コクイ谷出合〜15:55クラ谷分岐〜16:09沢谷峠〜16:41武平峠下の駐車地
この日の出発地点は杠葉尾ではあるが、下山ルートは神崎川に沿った道を歩き、荒れた瀬戸峠越とその後の長い舗装路を一人で黙々と歩くことを覚悟していたが、武平峠から来られたBiwa爺さんが「杠葉尾なら帰り道やから車に乗せてったろか?」とご親切な申し出を頂く。Biwa爺さんとはおよそ二年前、次男を連れて周回した厳冬の綿向山の下山でオンバノフトコロから登山口までほぼ前後して歩いた時以来の嬉しい同行である。同じく武平峠から来られた雨子庵さんとシュークリームさんもご一緒だ。
シュークリームさんが「地獄谷かコクイ谷かのルートがいいかと思うけど、Biwa爺さんの体力を考えるとコクイ谷がいいかと思うな」と仰る。・・・ということで帰りのルートが決まった。どちらのルートも私は歩いたことがなかったので、とても魅力的に思われる。
愛知川の広い河岸段丘には紅葉真っ盛りの樹林が続く。傾いた午後の陽光がさすと赤、黄、橙色と様々な色に輝く透過光がキラキラと音を立てて樹林の中を溢れ落ちてゆく。この美しい錦繍をレンズに収めようと努力をするものの写真のモニターに映る映像を見る度に幻滅を繰り返すことになる。
美しい紅葉に見惚れて各人、思い思いに写真を撮ったり用を足したりしているうちに後ろから声が聞こえた。「何してんの〜?」この声は間違えようがない。ぐーさんのものだ。雨ちゃんが「グーさんも一緒に行きませんか?」とお誘いするも「そっちの方がようけ歩かなあかんもん、そんなん儂、嫌や」と上水晶谷を一人で登って行かれた。途端に谷には静寂が戻る。
コクイ谷に入ると、谷沿いには上水晶谷と同様、青白色の石が多く見られ、紅葉の木々と美しいコントラスを呈する。午後の光が傾くの早いせいだろうか、それとも谷が深いせいだろうか、先ほどまでふんだんに降り注いでいた光は既に谷には届かない。透過光による紅葉の輝きはないものの、紅葉のコントラストは深みを増し、随所で色鮮やかな紅の色が目を惹く。
沢沿いには明瞭な踏み跡が続いている。踏み跡を辿ると次々とかつての炭焼き窯の跡の石垣が現れる。その窯跡はそれぞれがとても大きく立派だ。
炭焼き窯の跡のみならずかつての住居の跡と思われる石積みも見られる。程なく右岸には数段に亘る長い石垣の段々が現れた。集落の跡だろうか。
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
再び出発すると沢は広いV字谷となる。沢を離れたかと思うと、再び小さな流れと急斜面を落ちる小滝が現れる。渡渉地点の前に設けられた「親子自然教室」の案内は明らかにこの場所にそぐわない。滝の落ち壺の上を渡渉して、対岸の斜面をトラバースする明瞭な踏み跡を辿る。コクイ谷の対岸の紅葉がなんとも綺麗であった。
すかさずシュークリームさんに呼び止められる。本来の道は沢谷の右岸に沿って進むらしい。ところで、この斜面はBiwa爺さんがかつて道を間違えて登った箇所らしい。本来の登山道も一見、かなりわかりにくい。「確かにここは分かりにくいところなんだな〜」と雨ちゃん。
小さな沢沿に進むと流れの緩やかな平流となり、まもなく雨乞岳からの一般登山道と合流した。地図上では「クラ谷分岐」と記されているが、「沢谷分岐」と呼称するのが適切なのではなかろうか。ここで後ろをついて来られた若者二人は「どうも有難うございました」と丁寧にご挨拶をされ、先に行かれた。
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
沢谷峠にたどり着くと、すぐ近くに鎌ヶ岳の鋭鋒が大きく見える。雨ちゃん曰く「ここから見ると鎌ヶ岳は尖って見えるな〜」。「どこから見ても尖っているかと思いますが」と不肖山猫。
鈴鹿スカイラインを走る車のエンジン音が急に大きく聞こえるようになる。シュークリームさんからこの先から雨量計測器のところに下るルートがあるのでそれで降りましょうとのご提案を頂く。そういえば、前回、郡界尾根を下った時、このルートへの分岐を通りがかり、このルートも気になっていたのだった。沢谷峠から郡界尾根へのルートを少し辿ると樹肌に直接太いペンで「武平峠→近道(20分)」と書かれた案内がある。
後ろからは雨ちゃんのダイエットと体脂肪率のモニタリングのお話を聞きながら急下降を下る。四月にグーさん主催の天井桟敷ツアーでご一緒させて以来、それほど体型は変わっておられないように思われるが、今回のオフ会でも雨ちゃんの姿を見た方々が口々に「雨ちゃん痩せたね〜」と仰っておられたのを思い出す。
杉の植林地の中の急な斜面の下りは幾度か足元で靴がズルッと滑る。「ここで滑って尻餅をつかないのはバランス感覚と足の筋力のせいやな〜」とBiwa爺さんが仰るが、ズルッという音を幾度も立てていたのはもっぱら私ばかりであったように思う。
雨量計測器にたどり着き、最初のカーブを曲がると先ほどの若者二人が武平峠を経て車に戻られたところであった。Biwa爺さんが愛車を停められたのはそのわずか10mほど上であった。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
「でも、ここから杠葉尾に回って下さるとしたら三重県側からの方が近くないですか?」「それもそうかもしれんな」・・・ということで鈴鹿スカイラインの途中でUターンして頂き武平峠へと引き返す。すぐに車の脇で帰り支度を整えておられるシュークリームさんの傍を通り過ぎる。武平峠の駐車場からは雨ちゃんも手を振って下さる。駐車場には他には一台の車も見当たらなかった。
杠葉尾に着く頃にはすっかり夜の帳が降りたところであった。Biwa爺さんには石榑トンネルを潜ってかなり遠回りをして杠葉尾まで周って頂くことになってしまったが、お陰でオフ会の思い出を一層、楽しいものにして下さったのだった。ご一緒させて頂いた雨ちゃん、シューさん、そして何よりも親切なお申し出をいただいたBiwa爺さんに感謝である。
【 山 域 】鈴鹿
【メンバー】シュークリーム、雨子庵、Biwa爺、山猫(敬称略)
【 天 候 】晴れのち曇り
【 ルート 】上高地13:44〜14:34コクイ谷出合〜15:55クラ谷分岐〜16:09沢谷峠〜16:41武平峠下の駐車地
この日の出発地点は杠葉尾ではあるが、下山ルートは神崎川に沿った道を歩き、荒れた瀬戸峠越とその後の長い舗装路を一人で黙々と歩くことを覚悟していたが、武平峠から来られたBiwa爺さんが「杠葉尾なら帰り道やから車に乗せてったろか?」とご親切な申し出を頂く。Biwa爺さんとはおよそ二年前、次男を連れて周回した厳冬の綿向山の下山でオンバノフトコロから登山口までほぼ前後して歩いた時以来の嬉しい同行である。同じく武平峠から来られた雨子庵さんとシュークリームさんもご一緒だ。
シュークリームさんが「地獄谷かコクイ谷かのルートがいいかと思うけど、Biwa爺さんの体力を考えるとコクイ谷がいいかと思うな」と仰る。・・・ということで帰りのルートが決まった。どちらのルートも私は歩いたことがなかったので、とても魅力的に思われる。
愛知川の広い河岸段丘には紅葉真っ盛りの樹林が続く。傾いた午後の陽光がさすと赤、黄、橙色と様々な色に輝く透過光がキラキラと音を立てて樹林の中を溢れ落ちてゆく。この美しい錦繍をレンズに収めようと努力をするものの写真のモニターに映る映像を見る度に幻滅を繰り返すことになる。
美しい紅葉に見惚れて各人、思い思いに写真を撮ったり用を足したりしているうちに後ろから声が聞こえた。「何してんの〜?」この声は間違えようがない。ぐーさんのものだ。雨ちゃんが「グーさんも一緒に行きませんか?」とお誘いするも「そっちの方がようけ歩かなあかんもん、そんなん儂、嫌や」と上水晶谷を一人で登って行かれた。途端に谷には静寂が戻る。
コクイ谷に入ると、谷沿いには上水晶谷と同様、青白色の石が多く見られ、紅葉の木々と美しいコントラスを呈する。午後の光が傾くの早いせいだろうか、それとも谷が深いせいだろうか、先ほどまでふんだんに降り注いでいた光は既に谷には届かない。透過光による紅葉の輝きはないものの、紅葉のコントラストは深みを増し、随所で色鮮やかな紅の色が目を惹く。
沢沿いには明瞭な踏み跡が続いている。踏み跡を辿ると次々とかつての炭焼き窯の跡の石垣が現れる。その窯跡はそれぞれがとても大きく立派だ。
炭焼き窯の跡のみならずかつての住居の跡と思われる石積みも見られる。程なく右岸には数段に亘る長い石垣の段々が現れた。集落の跡だろうか。
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
再び出発すると沢は広いV字谷となる。沢を離れたかと思うと、再び小さな流れと急斜面を落ちる小滝が現れる。渡渉地点の前に設けられた「親子自然教室」の案内は明らかにこの場所にそぐわない。滝の落ち壺の上を渡渉して、対岸の斜面をトラバースする明瞭な踏み跡を辿る。コクイ谷の対岸の紅葉がなんとも綺麗であった。
すかさずシュークリームさんに呼び止められる。本来の道は沢谷の右岸に沿って進むらしい。ところで、この斜面はBiwa爺さんがかつて道を間違えて登った箇所らしい。本来の登山道も一見、かなりわかりにくい。「確かにここは分かりにくいところなんだな〜」と雨ちゃん。
小さな沢沿に進むと流れの緩やかな平流となり、まもなく雨乞岳からの一般登山道と合流した。地図上では「クラ谷分岐」と記されているが、「沢谷分岐」と呼称するのが適切なのではなかろうか。ここで後ろをついて来られた若者二人は「どうも有難うございました」と丁寧にご挨拶をされ、先に行かれた。
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
沢谷峠にたどり着くと、すぐ近くに鎌ヶ岳の鋭鋒が大きく見える。雨ちゃん曰く「ここから見ると鎌ヶ岳は尖って見えるな〜」。「どこから見ても尖っているかと思いますが」と不肖山猫。
鈴鹿スカイラインを走る車のエンジン音が急に大きく聞こえるようになる。シュークリームさんからこの先から雨量計測器のところに下るルートがあるのでそれで降りましょうとのご提案を頂く。そういえば、前回、郡界尾根を下った時、このルートへの分岐を通りがかり、このルートも気になっていたのだった。沢谷峠から郡界尾根へのルートを少し辿ると樹肌に直接太いペンで「武平峠→近道(20分)」と書かれた案内がある。
後ろからは雨ちゃんのダイエットと体脂肪率のモニタリングのお話を聞きながら急下降を下る。四月にグーさん主催の天井桟敷ツアーでご一緒させて以来、それほど体型は変わっておられないように思われるが、今回のオフ会でも雨ちゃんの姿を見た方々が口々に「雨ちゃん痩せたね〜」と仰っておられたのを思い出す。
杉の植林地の中の急な斜面の下りは幾度か足元で靴がズルッと滑る。「ここで滑って尻餅をつかないのはバランス感覚と足の筋力のせいやな〜」とBiwa爺さんが仰るが、ズルッという音を幾度も立てていたのはもっぱら私ばかりであったように思う。
雨量計測器にたどり着き、最初のカーブを曲がると先ほどの若者二人が武平峠を経て車に戻られたところであった。Biwa爺さんが愛車を停められたのはそのわずか10mほど上であった。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
「でも、ここから杠葉尾に回って下さるとしたら三重県側からの方が近くないですか?」「それもそうかもしれんな」・・・ということで鈴鹿スカイラインの途中でUターンして頂き武平峠へと引き返す。すぐに車の脇で帰り支度を整えておられるシュークリームさんの傍を通り過ぎる。武平峠の駐車場からは雨ちゃんも手を振って下さる。駐車場には他には一台の車も見当たらなかった。
杠葉尾に着く頃にはすっかり夜の帳が降りたところであった。Biwa爺さんには石榑トンネルを潜ってかなり遠回りをして杠葉尾まで周って頂くことになってしまったが、お陰でオフ会の思い出を一層、楽しいものにして下さったのだった。ご一緒させて頂いた雨ちゃん、シューさん、そして何よりも親切なお申し出をいただいたBiwa爺さんに感謝である。
最後に編集したユーザー yamaneko0922 [ 2019年11月13日(水) 19:31 ], 累計 3 回
山猫
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
山猫さん,下山路おつきあいいただきありがとうございました。また,早速のレポ上げありがとうございます。やっぱり仕事ができる人は何をやっても早いですね。私の友人のドイツ人は世界でも1流の研究者ですが,やっぱり仕事が素晴らしく早いです。それでいてミスも少なくて,いつも驚かされます。
シュークリームさんが「地蔵谷かコクイ谷かのルートがいいかと思うけど、Biwa爺さんの体力を考えるとコクイ谷がいいかと思うな」と仰る。・・・ということで帰りのルートが決まった。どちらのルートも私は歩いたことがなかったので、とても魅力的に思われる。
コクイ谷は今年春のオフ会の後にびわ爺一行と一緒に歩いているので,今回は地獄谷経由でと思っていたんですが,びわ爺の体力を考えて安全策をとりました。
美しい紅葉に見惚れて各人、思い思いに写真を撮ったり用を足したりしているうちに後ろから声が聞こえた。「何してんの〜?」この声は間違えようがない。ぐーさんのものだ。雨ちゃんが「グーさんも一緒に行きませんか?」とお誘いするも「そっちの方がようけ歩かなあかんもん、そんなん儂、嫌や」と上水晶谷を一人で登って行かれた。途端に谷には静寂が戻る。
確かに。グーさんがいると遠くからでもすぐにわかります。
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
「鈴鹿の山と谷4」によるとコクイ谷には昔鉱山があったようで,そのための小屋も立っていたようです。こんな日当たりの悪いくらい谷で暮らしていたというのが信じられない気がします。
「神崎川上流一帯のミステリー」というタイトルで,昔,登山者がコクイ谷の炭焼き小屋に泊めてもらおうとしたところ,中に首吊り死体があってびっくりしたという話が載っていました。 すかさずシュークリームさんに呼び止められる。本来の道は沢谷の右岸に沿って進むらしい。ところで、この斜面はBiwa爺さんがかつて道を間違えて登った箇所らしい。本来の登山道も一見、かなりわかりにくい。「確かにここは分かりにくいところなんだな〜」と雨ちゃん。
私も前回,ここで道を間違えそうになりました。
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
5年前,ブダペストにいた時にオペラ,バレエ,クラッシックコンサート,ミュージカルなどに通いつめていました。安い席だと日本円で500円から1000円くらいですばらしい舞台が観られるのです。帰国してからはチケットのあまりの高価さに恐れをなして行っていなかったんですが,最近,歌舞伎や文楽にはまっています。昔,大阪府知事が文楽への助成金を減らしたりしましたが,文楽や能などの日本の伝統芸能は税金を使っても残すべきものだと思います。
後ろからは雨ちゃんのダイエットと体脂肪率のモニタリングのお話を聞きながら急下降を下る。四月にグーさん主催の天井桟敷ツアーでご一緒させて以来、それほど体型は変わっておられないように思われるが、今回のオフ会でも雨ちゃんの姿を見た方々が口々に「雨ちゃん痩せたね〜」と仰っておられたのを思い出す。
洞吹さんは全然変わっていないけど,あめちゃんはすっかり細くなりましたね。あめちゃんにそこまでさせたモチベーションの元がわかっているだけに笑ってしまいそうになるけど
杉の植林地の中の急な斜面の下りは幾度か足元で靴がズルッと滑る。「ここで滑って尻餅をつかないのはバランス感覚と足の筋力のせいやな〜」とBiwa爺さんが仰るが、ズルッという音を幾度も立てていたのはもっぱら私ばかりであったように思う。
おそらく降るスピードの違いによるものでしょう。他の3人はびわ爺に合わせてゆっくり下っていましたんで。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
いかにもびわ爺らしいぼけですね。ここら辺がびわ爺がみんなに愛される所以かな?
シュークリームさんが「地蔵谷かコクイ谷かのルートがいいかと思うけど、Biwa爺さんの体力を考えるとコクイ谷がいいかと思うな」と仰る。・・・ということで帰りのルートが決まった。どちらのルートも私は歩いたことがなかったので、とても魅力的に思われる。
コクイ谷は今年春のオフ会の後にびわ爺一行と一緒に歩いているので,今回は地獄谷経由でと思っていたんですが,びわ爺の体力を考えて安全策をとりました。
美しい紅葉に見惚れて各人、思い思いに写真を撮ったり用を足したりしているうちに後ろから声が聞こえた。「何してんの〜?」この声は間違えようがない。ぐーさんのものだ。雨ちゃんが「グーさんも一緒に行きませんか?」とお誘いするも「そっちの方がようけ歩かなあかんもん、そんなん儂、嫌や」と上水晶谷を一人で登って行かれた。途端に谷には静寂が戻る。
確かに。グーさんがいると遠くからでもすぐにわかります。
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
「鈴鹿の山と谷4」によるとコクイ谷には昔鉱山があったようで,そのための小屋も立っていたようです。こんな日当たりの悪いくらい谷で暮らしていたというのが信じられない気がします。
「神崎川上流一帯のミステリー」というタイトルで,昔,登山者がコクイ谷の炭焼き小屋に泊めてもらおうとしたところ,中に首吊り死体があってびっくりしたという話が載っていました。 すかさずシュークリームさんに呼び止められる。本来の道は沢谷の右岸に沿って進むらしい。ところで、この斜面はBiwa爺さんがかつて道を間違えて登った箇所らしい。本来の登山道も一見、かなりわかりにくい。「確かにここは分かりにくいところなんだな〜」と雨ちゃん。
私も前回,ここで道を間違えそうになりました。
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
5年前,ブダペストにいた時にオペラ,バレエ,クラッシックコンサート,ミュージカルなどに通いつめていました。安い席だと日本円で500円から1000円くらいですばらしい舞台が観られるのです。帰国してからはチケットのあまりの高価さに恐れをなして行っていなかったんですが,最近,歌舞伎や文楽にはまっています。昔,大阪府知事が文楽への助成金を減らしたりしましたが,文楽や能などの日本の伝統芸能は税金を使っても残すべきものだと思います。
後ろからは雨ちゃんのダイエットと体脂肪率のモニタリングのお話を聞きながら急下降を下る。四月にグーさん主催の天井桟敷ツアーでご一緒させて以来、それほど体型は変わっておられないように思われるが、今回のオフ会でも雨ちゃんの姿を見た方々が口々に「雨ちゃん痩せたね〜」と仰っておられたのを思い出す。
洞吹さんは全然変わっていないけど,あめちゃんはすっかり細くなりましたね。あめちゃんにそこまでさせたモチベーションの元がわかっているだけに笑ってしまいそうになるけど
杉の植林地の中の急な斜面の下りは幾度か足元で靴がズルッと滑る。「ここで滑って尻餅をつかないのはバランス感覚と足の筋力のせいやな〜」とBiwa爺さんが仰るが、ズルッという音を幾度も立てていたのはもっぱら私ばかりであったように思う。
おそらく降るスピードの違いによるものでしょう。他の3人はびわ爺に合わせてゆっくり下っていましたんで。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
いかにもびわ爺らしいぼけですね。ここら辺がびわ爺がみんなに愛される所以かな?
@シュークリーム@
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
こんばんは、山猫さん。
炭焼き窯の跡のみならずかつての住居の跡と思われる石積みも見られる。程なく右岸には数段に亘る長い石垣の段々が現れた。集落の跡だろうか。
ここは大正3年ころに操業停止になった国位鉱山で石垣を上ると四連の精錬窯跡がきれいに残っています。
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
少し上流にあるここが国位鉱山の飯場跡です。
いいの見つけましたね。
汗を流しながらの重労働には塩分が採取できる海苔の佃煮は必需品だったのでしょう。
台高でも鈴鹿でもよく見かけます。
この上部は崩れかけていますが階段のある石積みもあります。
私のは高昌鉱山で見つけました。
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
コクイ谷道は昔の炭焼き道をそのまま使っていますね。
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
シュークリームさんは人形浄瑠璃に行くんだ。
私は能です。
沢谷峠にたどり着くと、すぐ近くに鎌ヶ岳の鋭鋒が大きく見える。雨ちゃん曰く「ここから見ると鎌ヶ岳は尖って見えるな〜」。「どこから見ても尖っているかと思いますが」と不肖山猫。
三重県側からだとお釜のようなドーム型に見えるんです。
雨量計測器にたどり着き、最初のカーブを曲がると先ほどの若者二人が武平峠を経て車に戻られたところであった。Biwa爺さんが愛車を停められたのはそのわずか10mほど上であった。
私とSHIGEKIさんに落忍さんは雨量計測器のあたりに駐車してました。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
何をしてんだか・・
Biwa爺らしい・・
杠葉尾に着く頃にはすっかり夜の帳が降りたところであった。Biwa爺さんには石榑トンネルを潜ってかなり遠回りをして杠葉尾まで周って頂くことになってしまったが、お陰でオフ会の思い出を一層、楽しいものにして下さったのだった。ご一緒させて頂いた雨ちゃん、シューさん、そして何よりも親切なお申し出をいただいたBiwa爺さんに感謝である。
持ちつもたれずで、闇下にならなくて良かったです。
わりばし
炭焼き窯の跡のみならずかつての住居の跡と思われる石積みも見られる。程なく右岸には数段に亘る長い石垣の段々が現れた。集落の跡だろうか。
ここは大正3年ころに操業停止になった国位鉱山で石垣を上ると四連の精錬窯跡がきれいに残っています。
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
少し上流にあるここが国位鉱山の飯場跡です。
いいの見つけましたね。
汗を流しながらの重労働には塩分が採取できる海苔の佃煮は必需品だったのでしょう。
台高でも鈴鹿でもよく見かけます。
この上部は崩れかけていますが階段のある石積みもあります。
私のは高昌鉱山で見つけました。
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
コクイ谷道は昔の炭焼き道をそのまま使っていますね。
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
シュークリームさんは人形浄瑠璃に行くんだ。
私は能です。
沢谷峠にたどり着くと、すぐ近くに鎌ヶ岳の鋭鋒が大きく見える。雨ちゃん曰く「ここから見ると鎌ヶ岳は尖って見えるな〜」。「どこから見ても尖っているかと思いますが」と不肖山猫。
三重県側からだとお釜のようなドーム型に見えるんです。
雨量計測器にたどり着き、最初のカーブを曲がると先ほどの若者二人が武平峠を経て車に戻られたところであった。Biwa爺さんが愛車を停められたのはそのわずか10mほど上であった。
私とSHIGEKIさんに落忍さんは雨量計測器のあたりに駐車してました。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
何をしてんだか・・
Biwa爺らしい・・
杠葉尾に着く頃にはすっかり夜の帳が降りたところであった。Biwa爺さんには石榑トンネルを潜ってかなり遠回りをして杠葉尾まで周って頂くことになってしまったが、お陰でオフ会の思い出を一層、楽しいものにして下さったのだった。ご一緒させて頂いた雨ちゃん、シューさん、そして何よりも親切なお申し出をいただいたBiwa爺さんに感謝である。
持ちつもたれずで、闇下にならなくて良かったです。
わりばし
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
シュークリームさん こちらこそ同行させて頂き有難うございます。
>やっぱり仕事ができる人は何をやっても早いですね。私の友人のドイツ人は世界でも1流の研究者ですが,やっぱり仕事が素晴らしく早いです。それでいてミスも少なくて,いつも驚かされます。
少なくとも私は一流の研究者ではありませんし、今週の横浜での講演の準備をサボってレポを書いておりました。とりあえずオフ会会場までの自分の前半のレポは後回しです。
>コクイ谷は今年春のオフ会の後にびわ爺一行と一緒に歩いているので,今回は地獄谷経由でと思っていたんですが,びわ爺の体力を考えて安全策をとりました。
地獄谷も歩いたことはありませんが、コクイ谷でも十分に魅力的なルートでした。
>「鈴鹿の山と谷4」によるとコクイ谷には昔鉱山があったようで,そのための小屋も立っていたようです。こんな日当たりの悪いくらい谷で暮らしていたというのが信じられない気がします。
仰る通りですね。
>「神崎川上流一帯のミステリー」というタイトルで,昔,登山者がコクイ谷の炭焼き小屋に泊めてもらおうとしたところ,中に首吊り死体があってびっくりしたという話が載っていました。
炭焼き小屋の跡と思われるところがありましたが、思わず、ここかな〜?と想像してしまいます。 >5年前,ブダペストにいた時にオペラ,バレエ,クラッシックコンサート,ミュージカルなどに通いつめていました。安い席だと日本円で500円から1000円くらいですばらしい舞台が観られるのです。帰国してからはチケットのあまりの高価さに恐れをなして行っていなかったんですが,最近,歌舞伎や文楽にはまっています。
ヨーロッパの都市でのコンサートは非常に良質のものが驚くほど安価で聞けたりしますよね。
>昔,大阪府知事が文楽への助成金を減らしたりしましたが,文楽や能などの日本の伝統芸能は税金を使っても残すべきものだと思います。
御意です。
私は神楽が好きで、石見神楽、高千穂神楽、備中神楽など西日本の各地を回っておりました。
京都には壬生狂言という魅力的なパントマイムがあります。
>おそらく降るスピードの違いによるものでしょう。他の3人はびわ爺に合わせてゆっくり下っていましたんで。
失礼いたしました。(~_~;)
>いかにもびわ爺らしいぼけですね。ここら辺がびわ爺がみんなに愛される所以かな?
お陰でご一緒させて頂くことが出来て、私は感謝に堪えません。
>やっぱり仕事ができる人は何をやっても早いですね。私の友人のドイツ人は世界でも1流の研究者ですが,やっぱり仕事が素晴らしく早いです。それでいてミスも少なくて,いつも驚かされます。
少なくとも私は一流の研究者ではありませんし、今週の横浜での講演の準備をサボってレポを書いておりました。とりあえずオフ会会場までの自分の前半のレポは後回しです。
>コクイ谷は今年春のオフ会の後にびわ爺一行と一緒に歩いているので,今回は地獄谷経由でと思っていたんですが,びわ爺の体力を考えて安全策をとりました。
地獄谷も歩いたことはありませんが、コクイ谷でも十分に魅力的なルートでした。
>「鈴鹿の山と谷4」によるとコクイ谷には昔鉱山があったようで,そのための小屋も立っていたようです。こんな日当たりの悪いくらい谷で暮らしていたというのが信じられない気がします。
仰る通りですね。
>「神崎川上流一帯のミステリー」というタイトルで,昔,登山者がコクイ谷の炭焼き小屋に泊めてもらおうとしたところ,中に首吊り死体があってびっくりしたという話が載っていました。
炭焼き小屋の跡と思われるところがありましたが、思わず、ここかな〜?と想像してしまいます。 >5年前,ブダペストにいた時にオペラ,バレエ,クラッシックコンサート,ミュージカルなどに通いつめていました。安い席だと日本円で500円から1000円くらいですばらしい舞台が観られるのです。帰国してからはチケットのあまりの高価さに恐れをなして行っていなかったんですが,最近,歌舞伎や文楽にはまっています。
ヨーロッパの都市でのコンサートは非常に良質のものが驚くほど安価で聞けたりしますよね。
>昔,大阪府知事が文楽への助成金を減らしたりしましたが,文楽や能などの日本の伝統芸能は税金を使っても残すべきものだと思います。
御意です。
私は神楽が好きで、石見神楽、高千穂神楽、備中神楽など西日本の各地を回っておりました。
京都には壬生狂言という魅力的なパントマイムがあります。
>おそらく降るスピードの違いによるものでしょう。他の3人はびわ爺に合わせてゆっくり下っていましたんで。
失礼いたしました。(~_~;)
>いかにもびわ爺らしいぼけですね。ここら辺がびわ爺がみんなに愛される所以かな?
お陰でご一緒させて頂くことが出来て、私は感謝に堪えません。
山猫
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
わりばしさん 薀蓄に富むコメント、かつての鉱山跡のお写真、有難うございます。
それからオフ会においては魅力的なルートの提案、有難うございます。
教えていただいたルート、是非、いつか試してみたいと思います。次回は、もしも単独行であれば心に決めているルートがあるのですが。
>ここは大正3年ころに操業停止になった国位鉱山で石垣を上ると四連の精錬窯跡がきれいに残っています。
コクイというのはそういう字を充てるのですね。今度、石垣を登ってみたいと思います。
>少し上流にあるここが国位鉱山の飯場跡です。
いいの見つけましたね。
汗を流しながらの重労働には塩分が採取できる海苔の佃煮は必需品だったのでしょう。
台高でも鈴鹿でもよく見かけます。
なるほど、そういうことだったのですね。なぜ海苔の佃煮なんだろうと思っておりました。
>三重県側からだとお釜のようなドーム型に見えるんです。
シュークリームさんだったかな、私と雨ちゃんの会話のすぐ後に、鎌ヶ岳のかまは御釜の釜から来ているんだって仰ったのは
だから鎌ヶ岳という訳なんですね。
>何をしてんだか・・
Biwa爺らしい・・
お陰様でご一緒させて頂くことが出来たので
>持ちつもたれずで、闇下にならなくて良かったです。
有難うございます。
また色々とご教示お願いします。
それからオフ会においては魅力的なルートの提案、有難うございます。
教えていただいたルート、是非、いつか試してみたいと思います。次回は、もしも単独行であれば心に決めているルートがあるのですが。
>ここは大正3年ころに操業停止になった国位鉱山で石垣を上ると四連の精錬窯跡がきれいに残っています。
コクイというのはそういう字を充てるのですね。今度、石垣を登ってみたいと思います。
>少し上流にあるここが国位鉱山の飯場跡です。
いいの見つけましたね。
汗を流しながらの重労働には塩分が採取できる海苔の佃煮は必需品だったのでしょう。
台高でも鈴鹿でもよく見かけます。
なるほど、そういうことだったのですね。なぜ海苔の佃煮なんだろうと思っておりました。
>三重県側からだとお釜のようなドーム型に見えるんです。
シュークリームさんだったかな、私と雨ちゃんの会話のすぐ後に、鎌ヶ岳のかまは御釜の釜から来ているんだって仰ったのは
だから鎌ヶ岳という訳なんですね。
>何をしてんだか・・
Biwa爺らしい・・
お陰様でご一緒させて頂くことが出来たので
>持ちつもたれずで、闇下にならなくて良かったです。
有難うございます。
また色々とご教示お願いします。
山猫
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
yamaneko0922さん、こんばんは。
私の都合で数回欠席が続いていたものですから、やっとお会いすることが出来ました。
ヤマレコでも拝見していますが、それに加筆して長文レポを完成されるようで、上手に時間のやりくりをされているのでしょう。
私と違って行動時間も長いのですから尚更です。
SHIGEKIさん、わりばしさんと共にコクイ谷から帰ったのですが、判っていればご一緒したかったです。
鈴鹿の上高地でのオフ会の場合、帰路の登り返しを嫌って毎回コクイ谷だったりします。
地蔵谷と書かれているのは、地獄谷の間違いでしょうか?
その名前程の厳しさはないコースですが、望湖台までの標高差を考えると避けたいところです。
速く歩ける人はゆっくりが苦手だったりするそうですが、yamanekoさんはそうでもないようですね。
水曜日と木曜日が休みになったため、なかなか日程が合わないのですが、何とかやりくりしてオフ会やスノー衆で再会出来ればいいなと思います。
私の都合で数回欠席が続いていたものですから、やっとお会いすることが出来ました。
ヤマレコでも拝見していますが、それに加筆して長文レポを完成されるようで、上手に時間のやりくりをされているのでしょう。
私と違って行動時間も長いのですから尚更です。
SHIGEKIさん、わりばしさんと共にコクイ谷から帰ったのですが、判っていればご一緒したかったです。
鈴鹿の上高地でのオフ会の場合、帰路の登り返しを嫌って毎回コクイ谷だったりします。
地蔵谷と書かれているのは、地獄谷の間違いでしょうか?
その名前程の厳しさはないコースですが、望湖台までの標高差を考えると避けたいところです。
速く歩ける人はゆっくりが苦手だったりするそうですが、yamanekoさんはそうでもないようですね。
水曜日と木曜日が休みになったため、なかなか日程が合わないのですが、何とかやりくりしてオフ会やスノー衆で再会出来ればいいなと思います。
落第忍者
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
yamaneko0922さん・・・ビワ爺風に言うと『ねこちゃん』ですが、口にしたら恥ずかしかったです。
初めて彼女を下の名前で呼ぶときのような・・・
まいど
あめちゃんです
レポありがとうございます
【 ルート 】上高地13:44〜14:34コクイ谷出合〜15:55クラ谷分岐〜16:09沢谷峠〜16:41武平峠下の駐車地
スカイラインから見る夕日がきれいでした
Biwa爺さんが「杠葉尾なら帰り道やから車に乗せてったろか?」とご親切な申し出を頂く。Biwa爺さんとはおよそ二年前、次男を連れて周回した厳冬の綿向山の下山でオンバノフトコロから登山口までほぼ前後して歩いた時以来の嬉しい同行である。同じく武平峠から来られた雨子庵さんとシュークリームさんもご一緒だ。
黄門さまに、助さん角さん、yamaneko0922さんの弥七もそろって豪華布陣でした
愛知川の広い河岸段丘には紅葉真っ盛りの樹林が続く。傾いた午後の陽光がさすと赤、黄、橙色と様々な色に輝く透過光がキラキラと音を立てて樹林の中を溢れ落ちてゆく。この美しい錦繍をレンズに収めようと努力をするものの写真のモニターに映る映像を見る度に幻滅を繰り返すことになる。
自然の織り成す風景、人間が持ち帰ることはできないんでしょうね。
だから感動もひとしお 炭焼き窯の跡のみならずかつての住居の跡と思われる石積みも見られる。程なく右岸には数段に亘る長い石垣の段々が現れた。集落の跡だろうか。
炭焼き窯と違って、きちんとまるで城郭の石垣のように角がきれいでした。
個人住居ではなく、集団で生活するための生活の跡でしたね
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
詳しくは見ていませんが、純粋に図形だけだと、大正年間の可能性もあります。輝きを戻したタイミングの桁が増えるかも
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
違うんですよ、途中で思い出したんです、ねこちゃんのセリフを
『今日は行動食しか持ってきていない・・・』
持って帰ってもしょうがない自分の行動食をねこちゃんに押し付けていただけなんです。それでもまだあったので、おすそ分け。
すかさずシュークリームさんに呼び止められる。本来の道は沢谷の右岸に沿って進むらしい。ところで、この斜面はBiwa爺さんがかつて道を間違えて登った箇所らしい。本来の登山道も一見、かなりわかりにくい。「確かにここは分かりにくいところなんだな〜」と雨ちゃん。
前回一人で来たとき、変わった地形だなぁ、と感じてました
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
まさかシューさんが。次からは腹式呼吸で会話します。
沢谷峠にたどり着くと、すぐ近くに鎌ヶ岳の鋭鋒が大きく見える。雨ちゃん曰く「ここから見ると鎌ヶ岳は尖って見えるな〜」。「どこから見ても尖っているかと思いますが」と不肖山猫。
これに続けて『メシの釜』の話を自然にしてくれたのはわれらがご隠居知恵袋、ビワ爺です
後ろからは雨ちゃんのダイエットと体脂肪率のモニタリングのお話を聞きながら急下降を下る。四月にグーさん主催の天井桟敷ツアーでご一緒させて以来、それほど体型は変わっておられないように思われるが、今回のオフ会でも雨ちゃんの姿を見た方々が口々に「雨ちゃん痩せたね〜」と仰っておられたのを思い出す。
特に女性の方からイロイロ話しかけられました。私もそうですが、自分がそういうことに取り組んでいると、体型が変わった人には目が行きます。変わっていない洞水さんにも目が行きます。
ただみなさん、心配が先に立ったみたいで
『よかったぁ~。病気でなくてよかったぁ~』
ご心配おかけしました
杉の植林地の中の急な斜面の下りは幾度か足元で靴がズルッと滑る。「ここで滑って尻餅をつかないのはバランス感覚と足の筋力のせいやな〜」とBiwa爺さんが仰るが、ズルッという音を幾度も立てていたのはもっぱら私ばかりであったように思う。
弥七はですね、見てると小学4年生並みにピョンピョン飛び跳ねていました。
そりゃ滑りますわ。
我々は必ずどちらかの足が接地していますから。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
私は滋賀県のほうの地理は詳しくないので深く考えていませんでした。今思えば俺が送ってもよかったのかも・・・・
「でも、ここから杠葉尾に回って下さるとしたら三重県側からの方が近くないですか?」「それもそうかもしれんな」・・・ということで鈴鹿スカイラインの途中でUターンして頂き武平峠へと引き返す。すぐに車の脇で帰り支度を整えておられるシュークリームさんの傍を通り過ぎる。武平峠の駐車場からは雨ちゃんも手を振って下さる。駐車場には他には一台の車も見当たらなかった。
暗くなる中、車の音がしたからひょっとしてと思って道路みてました 杠葉尾に着く頃にはすっかり夜の帳が降りたところであった。Biwa爺さんには石榑トンネルを潜ってかなり遠回りをして杠葉尾まで周って頂くことになってしまったが、お陰でオフ会の思い出を一層、楽しいものにして下さったのだった。ご一緒させて頂いた雨ちゃん、シューさん、そして何よりも親切なお申し出をいただいたBiwa爺さんに感謝である。
鈴鹿を挟んだ、滋賀、京都?、三重、愛知の即席黄門さまご一行きまま旅、たのしかったです
あめちゃん
初めて彼女を下の名前で呼ぶときのような・・・
まいど
あめちゃんです
レポありがとうございます
【 ルート 】上高地13:44〜14:34コクイ谷出合〜15:55クラ谷分岐〜16:09沢谷峠〜16:41武平峠下の駐車地
スカイラインから見る夕日がきれいでした
Biwa爺さんが「杠葉尾なら帰り道やから車に乗せてったろか?」とご親切な申し出を頂く。Biwa爺さんとはおよそ二年前、次男を連れて周回した厳冬の綿向山の下山でオンバノフトコロから登山口までほぼ前後して歩いた時以来の嬉しい同行である。同じく武平峠から来られた雨子庵さんとシュークリームさんもご一緒だ。
黄門さまに、助さん角さん、yamaneko0922さんの弥七もそろって豪華布陣でした
愛知川の広い河岸段丘には紅葉真っ盛りの樹林が続く。傾いた午後の陽光がさすと赤、黄、橙色と様々な色に輝く透過光がキラキラと音を立てて樹林の中を溢れ落ちてゆく。この美しい錦繍をレンズに収めようと努力をするものの写真のモニターに映る映像を見る度に幻滅を繰り返すことになる。
自然の織り成す風景、人間が持ち帰ることはできないんでしょうね。
だから感動もひとしお 炭焼き窯の跡のみならずかつての住居の跡と思われる石積みも見られる。程なく右岸には数段に亘る長い石垣の段々が現れた。集落の跡だろうか。
炭焼き窯と違って、きちんとまるで城郭の石垣のように角がきれいでした。
個人住居ではなく、集団で生活するための生活の跡でしたね
散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
詳しくは見ていませんが、純粋に図形だけだと、大正年間の可能性もあります。輝きを戻したタイミングの桁が増えるかも
往時の濃厚な人々の営みの痕跡とは対照的に険しい様相を見せる。炭焼き窯のあとで休憩していると、少し後ろを歩かれていたトレラン・スタイルの若者が「こういう険しい道は自分達は全く慣れていないので、後ろをついて行っていいですか?」とお声をかけられる。雨子庵さんはご親切にもお二人の若者にお菓子を差し出す。
違うんですよ、途中で思い出したんです、ねこちゃんのセリフを
『今日は行動食しか持ってきていない・・・』
持って帰ってもしょうがない自分の行動食をねこちゃんに押し付けていただけなんです。それでもまだあったので、おすそ分け。
すかさずシュークリームさんに呼び止められる。本来の道は沢谷の右岸に沿って進むらしい。ところで、この斜面はBiwa爺さんがかつて道を間違えて登った箇所らしい。本来の登山道も一見、かなりわかりにくい。「確かにここは分かりにくいところなんだな〜」と雨ちゃん。
前回一人で来たとき、変わった地形だなぁ、と感じてました
沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
まさかシューさんが。次からは腹式呼吸で会話します。
沢谷峠にたどり着くと、すぐ近くに鎌ヶ岳の鋭鋒が大きく見える。雨ちゃん曰く「ここから見ると鎌ヶ岳は尖って見えるな〜」。「どこから見ても尖っているかと思いますが」と不肖山猫。
これに続けて『メシの釜』の話を自然にしてくれたのはわれらがご隠居知恵袋、ビワ爺です
後ろからは雨ちゃんのダイエットと体脂肪率のモニタリングのお話を聞きながら急下降を下る。四月にグーさん主催の天井桟敷ツアーでご一緒させて以来、それほど体型は変わっておられないように思われるが、今回のオフ会でも雨ちゃんの姿を見た方々が口々に「雨ちゃん痩せたね〜」と仰っておられたのを思い出す。
特に女性の方からイロイロ話しかけられました。私もそうですが、自分がそういうことに取り組んでいると、体型が変わった人には目が行きます。変わっていない洞水さんにも目が行きます。
ただみなさん、心配が先に立ったみたいで
『よかったぁ~。病気でなくてよかったぁ~』
ご心配おかけしました
杉の植林地の中の急な斜面の下りは幾度か足元で靴がズルッと滑る。「ここで滑って尻餅をつかないのはバランス感覚と足の筋力のせいやな〜」とBiwa爺さんが仰るが、ズルッという音を幾度も立てていたのはもっぱら私ばかりであったように思う。
弥七はですね、見てると小学4年生並みにピョンピョン飛び跳ねていました。
そりゃ滑りますわ。
我々は必ずどちらかの足が接地していますから。
さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
私は滋賀県のほうの地理は詳しくないので深く考えていませんでした。今思えば俺が送ってもよかったのかも・・・・
「でも、ここから杠葉尾に回って下さるとしたら三重県側からの方が近くないですか?」「それもそうかもしれんな」・・・ということで鈴鹿スカイラインの途中でUターンして頂き武平峠へと引き返す。すぐに車の脇で帰り支度を整えておられるシュークリームさんの傍を通り過ぎる。武平峠の駐車場からは雨ちゃんも手を振って下さる。駐車場には他には一台の車も見当たらなかった。
暗くなる中、車の音がしたからひょっとしてと思って道路みてました 杠葉尾に着く頃にはすっかり夜の帳が降りたところであった。Biwa爺さんには石榑トンネルを潜ってかなり遠回りをして杠葉尾まで周って頂くことになってしまったが、お陰でオフ会の思い出を一層、楽しいものにして下さったのだった。ご一緒させて頂いた雨ちゃん、シューさん、そして何よりも親切なお申し出をいただいたBiwa爺さんに感謝である。
鈴鹿を挟んだ、滋賀、京都?、三重、愛知の即席黄門さまご一行きまま旅、たのしかったです
あめちゃん
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
落第忍者さん コメント有難うございます。
>私の都合で数回欠席が続いていたものですから、やっとお会いすることが出来ました。
私もヤマレコで落忍さんのレコを見つけ、数日違いで朽木の奥のマイナーな山でニアミスをしていることに気がつきました。とはいえ山中でお会いしても分からなかったでしょうが、今後は山中でお会い出来ることを期待しております。
>ヤマレコでも拝見していますが、それに加筆して長文レポを完成されるようで、上手に時間のやりくりをされているのでしょう。
いえ、時間のやりくりはとても下手です。明日は始発の新幹線で東に向かうのですが、出張の用意も山の用意もこれからです。
仕事の長距離移動や出張先のホテルでの時間はレポ作成の時間なのですが、アルコールが入ると全く文章が書けなくなるので、困ったものです。
>SHIGEKIさん、わりばしさんと共にコクイ谷から帰ったのですが、判っていればご一緒したかったです。
それは是非、ご一緒させて頂きたかったです。
>地蔵谷と書かれているのは、地獄谷の間違いでしょうか?
ご指摘ありがとうございます。訂正させて頂きました。ケアレスミスによる地名の誤入力が多いのは私の悪いところです。
>速く歩ける人はゆっくりが苦手だったりするそうですが、yamanekoさんはそうでもないようですね。
いえ、私も苦手かもしれません。
>水曜日と木曜日が休みになったため、なかなか日程が合わないのですが、何とかやりくりしてオフ会やスノー衆で再会出来ればいいなと思います。
こちらこそまたお目にかかれますことを楽しみにしております。花のことも是非、色々と教えて下さい。
>私の都合で数回欠席が続いていたものですから、やっとお会いすることが出来ました。
私もヤマレコで落忍さんのレコを見つけ、数日違いで朽木の奥のマイナーな山でニアミスをしていることに気がつきました。とはいえ山中でお会いしても分からなかったでしょうが、今後は山中でお会い出来ることを期待しております。
>ヤマレコでも拝見していますが、それに加筆して長文レポを完成されるようで、上手に時間のやりくりをされているのでしょう。
いえ、時間のやりくりはとても下手です。明日は始発の新幹線で東に向かうのですが、出張の用意も山の用意もこれからです。
仕事の長距離移動や出張先のホテルでの時間はレポ作成の時間なのですが、アルコールが入ると全く文章が書けなくなるので、困ったものです。
>SHIGEKIさん、わりばしさんと共にコクイ谷から帰ったのですが、判っていればご一緒したかったです。
それは是非、ご一緒させて頂きたかったです。
>地蔵谷と書かれているのは、地獄谷の間違いでしょうか?
ご指摘ありがとうございます。訂正させて頂きました。ケアレスミスによる地名の誤入力が多いのは私の悪いところです。
>速く歩ける人はゆっくりが苦手だったりするそうですが、yamanekoさんはそうでもないようですね。
いえ、私も苦手かもしれません。
>水曜日と木曜日が休みになったため、なかなか日程が合わないのですが、何とかやりくりしてオフ会やスノー衆で再会出来ればいいなと思います。
こちらこそまたお目にかかれますことを楽しみにしております。花のことも是非、色々と教えて下さい。
山猫
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
雨ちゃん コメント有難うございます。
水曜日の夜は落忍さんのコメントにレス返してから、酒のせいで何も出来なくなってしまいました。
昨日の朝から台風19号の傷跡残る丹沢を泊りがけで歩き回って、今は出張先でレス返しているところです。
>初めて彼女を下の名前で呼ぶときのような・・・
そんなバカな
>スカイラインから見る夕日がきれいでした
雨ちゃんも同じところから写真撮ってませんでしたっけ?
もう少し時間が過ぎたらもっと綺麗になったのかな
>黄門さまに、助さん角さん、yamaneko0922さんの弥七もそろって豪華布陣でした
懐かしいけど、最近の人はわからないのでは?
仕事でブラックジャックの話をするのですが、最近の人はほとんど通じないのです。
>弥七はですね、見てると小学4年生並みにピョンピョン飛び跳ねていました。
そりゃ滑りますわ。我々は必ずどちらかの足が接地していますから。
なぜ小学4年生なんだろう?
しかし下りでは飛び跳ねていませんよ。
丹沢では二日間、強烈なアップダウンを繰り返しましたが、一度も滑りませんでした。
>鈴鹿を挟んだ、滋賀、京都?、三重、愛知の即席黄門さまご一行きまま旅、たのしかったです
こちらこそ、また機会があればどうぞ宜しくお願いします。
水曜日の夜は落忍さんのコメントにレス返してから、酒のせいで何も出来なくなってしまいました。
昨日の朝から台風19号の傷跡残る丹沢を泊りがけで歩き回って、今は出張先でレス返しているところです。
>初めて彼女を下の名前で呼ぶときのような・・・
そんなバカな
>スカイラインから見る夕日がきれいでした
雨ちゃんも同じところから写真撮ってませんでしたっけ?
もう少し時間が過ぎたらもっと綺麗になったのかな
>黄門さまに、助さん角さん、yamaneko0922さんの弥七もそろって豪華布陣でした
懐かしいけど、最近の人はわからないのでは?
仕事でブラックジャックの話をするのですが、最近の人はほとんど通じないのです。
>弥七はですね、見てると小学4年生並みにピョンピョン飛び跳ねていました。
そりゃ滑りますわ。我々は必ずどちらかの足が接地していますから。
なぜ小学4年生なんだろう?
しかし下りでは飛び跳ねていませんよ。
丹沢では二日間、強烈なアップダウンを繰り返しましたが、一度も滑りませんでした。
>鈴鹿を挟んだ、滋賀、京都?、三重、愛知の即席黄門さまご一行きまま旅、たのしかったです
こちらこそ、また機会があればどうぞ宜しくお願いします。
山猫
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
あ~~、気がついたらもう週末だ!
Dr.nekoちゃんのレポが上がってる。遠い日の出来事のようなオフ会。思い出しながら辿ってみましょう。(^^♪
そういえば、オフ会の日(11/10)は奇しくも「綿向山の日」でしたね(^_-)
気になって、武平峠との高度差を見たら、80mほどしかありません。最高地点の沢谷峠辺りと比べても200mほどですね。まさに適正ロード!
Dr.nekoちゃんが「遠回りさせてすみません」と恐縮してた理由がやっと解かりましたが、言われるほどの距離でもないので、気にしないでください。
また、スノー衆でご一緒できるのを楽しみに~
~biwa爺
Dr.nekoちゃんのレポが上がってる。遠い日の出来事のようなオフ会。思い出しながら辿ってみましょう。(^^♪
綿向の縁は上高地まで続く~♪
この日の出発地点は杠葉尾ではあるが、下山ルートは神崎川に沿った道を歩き、荒れた瀬戸峠越とその後の長い舗装路を一人で黙々と歩くことを覚悟していたが、武平峠から来られたBiwa爺さんが「杠葉尾なら帰り道やから車に乗せてったろか?」とご親切な申し出を頂く。Biwa爺さんとはおよそ二年前、次男を連れて周回した厳冬の綿向山の下山でオンバノフトコロから登山口までほぼ前後して歩いた時以来の嬉しい同行である。同じく武平峠から来られた雨子庵さんとシュークリームさんもご一緒だ。
そういえば、オフ会の日(11/10)は奇しくも「綿向山の日」でしたね(^_-)
上高地オフ会の帰りはたいがいコクイ谷です。シュークリームさんが「地獄谷かコクイ谷かのルートがいいかと思うけど、Biwa爺さんの体力を考えるとコクイ谷がいいかと思うな」と仰る。・・・ということで帰りのルートが決まった。どちらのルートも私は歩いたことがなかったので、とても魅力的に思われる。
気になって、武平峠との高度差を見たら、80mほどしかありません。最高地点の沢谷峠辺りと比べても200mほどですね。まさに適正ロード!
紅葉黄葉に目を奪われてると置いてきぼりになりそうで、足元ばかり見ながらの縋り歩きでした(^_-)コクイ谷に入ると、谷沿いには上水晶谷と同様、青白色の石が多く見られ、紅葉の木々と美しいコントラスを呈する。午後の光が傾くの早いせいだろうか、それとも谷が深いせいだろうか、先ほどまでふんだんに降り注いでいた光は既に谷には届かない。透過光による紅葉の輝きはないものの、紅葉のコントラストは深みを増し、随所で色鮮やかな紅の色が目を惹く。
こういうアイテムに興味を示すW氏は、100年遅く産まれ過ぎたんでは?と、ふと思ってしまいます。散逸した一升瓶や食器の破片の間に土が詰まった小さな小瓶を見つけられる。「この瓶の底のユダヤのマークはなんや?」とBiwa爺さんが訊かれると、すかさず「これが例のカゴメのマークですよ」と雨ちゃんが応える。「海苔の佃煮の瓶じゃないかな」。ガラス瓶を頂いて、沢の水で中を洗って見ると、わりばしさんが鉱山跡で拾ってきたという瓶ほどの鮮やかな青みはないが、灰色がかった水色の瓶は何十年ぶりかで透明な輝きを見せるのだった。
真ん中の岩尾根に乗ってしまい、進退極まって飛び降りようか…と思ったのですが、すんでのところで思いとどまりました。すかさずシュークリームさんに呼び止められる。本来の道は沢谷の右岸に沿って進むらしい。ところで、この斜面はBiwa爺さんがかつて道を間違えて登った箇所らしい。本来の登山道も一見、かなりわかりにくい。「確かにここは分かりにくいところなんだな〜」と雨ちゃん。
今でも、スノー衆とかで演技されてますよ。大立ち回りやカーチェイスとか…(^^♪沢谷峠にかけて沢谷の緩やかな源頭を辿る。後ろからはシュークリームさんが雨ちゃんによく行かれるらしい人形浄瑠璃のお話をされておられる。「仮名手本忠臣蔵」のことらしい。その話をきっかけにお二人には意外な共通点があることを知る。お二人とも学生時代に演劇部に所属されていたらしい。
鎌はカマでも釜違い(^_-) 案外、窯が正しいのかも?沢谷峠にたどり着くと、すぐ近くに鎌ヶ岳の鋭鋒が大きく見える。雨ちゃん曰く「ここから見ると鎌ヶ岳は尖って見えるな〜」。「どこから見ても尖っているかと思いますが」と不肖山猫。
鈴鹿スカイラインを走る車のエンジン音が急に大きく聞こえるようになる。シュークリームさんからこの先から雨量計測器のところに下るルートがあるのでそれで降りましょうとのご提案を頂く。そういえば、前回、郡界尾根を下った時、このルートへの分岐を通りがかり、このルートも気になっていたのだった。沢谷峠から郡界尾根へのルートを少し辿ると樹肌に直接太いペンで「武平峠→近道(20分)」と書かれた案内がある
後ろから見てましたよ(^_-) そこで踏み止まれるところが、羨ましい!杉の植林地の中の急な斜面の下りは幾度か足元で靴がズルッと滑る。「ここで滑って尻餅をつかないのはバランス感覚と足の筋力のせいやな〜」とBiwa爺さんが仰るが、ズルッという音を幾度も立てていたのはもっぱら私ばかりであったように思う。
噂には聞いてましたが、そのヘアピンからのルートは次のオフ会で使わせてもらいましょう。車スペースもありそうだし。雨量計測器にたどり着き、最初のカーブを曲がると先ほどの若者二人が武平峠を経て車に戻られたところであった。Biwa爺さんが愛車を停められたのはそのわずか10mほど上であった。
往路が石榑トンネルからだったんで、そのまま頭の切り替えができてませんでした。言われてみて、気づきましたが、日野回りだとたしかにちょっと遠回りになりますね。さてシューさんと雨ちゃんにお別れのご挨拶をしてBiwa爺さんの車に乗り込む。Biwa爺さんの車が鈴鹿スカイラインを下り初めて、理解した。Biwa爺さんは杠葉尾が武平峠からの下りにあると誤解されていたことを。「時々、このR477とR421を勘違いするんや〜」・・・確かに自分も踏襲しそうである。
Dr.nekoちゃんが「遠回りさせてすみません」と恐縮してた理由がやっと解かりましたが、言われるほどの距離でもないので、気にしないでください。
話がはずんでいる間に駐車地に着いてしまいましたね。ぼくは杠葉尾から数十分ですが、京都まではまだまだ掛りますね。お疲れさまでした(^^♪杠葉尾に着く頃にはすっかり夜の帳が降りたところであった。
ご一緒させて頂いた雨ちゃん、シューさん、そして何よりも親切なお申し出をいただいたBiwa爺さんに感謝である。
また、スノー衆でご一緒できるのを楽しみに~
~biwa爺
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【鈴鹿】オフ会からの帰路 武平峠への道中記
Biwa爺さん レスが遅くなって申し訳ありません。
>綿向の縁は上高地まで続く~♪
そういえば、オフ会の日(11/10)は奇しくも「綿向山の日」でしたね(^_-)
何と! 失念しておりました。
この日の午前中に辿った銚子ヶ口からの尾根からも綿向山が綺麗に見えておりました。
>こういうアイテムに興味を示すW氏は、100年遅く産まれ過ぎたんでは?と、ふと思ってしまいます。
でも現代だからこそ、こういうアイテムが意味があるんでしょうね。
>鎌はカマでも釜違い(^_-) 案外、窯が正しいのかも?
勉強になりました。そのような蘊蓄をお伺いできるのもBiwa爺さんとご一緒させていただく山行の喜びの一つです。
>Dr.nekoちゃんが「遠回りさせてすみません」と恐縮してた理由がやっと解かりましたが、言われるほどの距離でもないので、気にしないでください。
>話がはずんでいる間に駐車地に着いてしまいましたね。
有難うございます。お陰で楽しい山行加えて、道中、色々お話させていただけて幸甚でした。
お約束した白倉岳のレコもまだアップ出来ておらず申し訳ありません。明日までにはアップしたいと思いますので、また時間のある時にでもご笑覧ください。スノー衆でお目にかかれれるのを楽しみにしております。
>綿向の縁は上高地まで続く~♪
そういえば、オフ会の日(11/10)は奇しくも「綿向山の日」でしたね(^_-)
何と! 失念しておりました。
この日の午前中に辿った銚子ヶ口からの尾根からも綿向山が綺麗に見えておりました。
>こういうアイテムに興味を示すW氏は、100年遅く産まれ過ぎたんでは?と、ふと思ってしまいます。
でも現代だからこそ、こういうアイテムが意味があるんでしょうね。
>鎌はカマでも釜違い(^_-) 案外、窯が正しいのかも?
勉強になりました。そのような蘊蓄をお伺いできるのもBiwa爺さんとご一緒させていただく山行の喜びの一つです。
>Dr.nekoちゃんが「遠回りさせてすみません」と恐縮してた理由がやっと解かりましたが、言われるほどの距離でもないので、気にしないでください。
>話がはずんでいる間に駐車地に着いてしまいましたね。
有難うございます。お陰で楽しい山行加えて、道中、色々お話させていただけて幸甚でした。
お約束した白倉岳のレコもまだアップ出来ておらず申し訳ありません。明日までにはアップしたいと思いますので、また時間のある時にでもご笑覧ください。スノー衆でお目にかかれれるのを楽しみにしております。
山猫