【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
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【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
[attachment=4]blgPC180088_925.jpg[/attachment]
【 日 付 】2011年12月18日
【 山 域 】台高南部 地池山~樫山尾根
【メンバー】zipp
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】《小谷小屋谷川出合から樫山尾根》
07:30 白倉林道小河橋手前駐車地--- 08:00 樫山南尾根石積道(水平道)--- 09:15 樫山三角点--- 09:40 岩尾根分岐点(co1080m)--- 10:00~10:05 1174 標高点--- 10:25 p1272--- 10:32~10:55 1272北コル--- 11:10~12:10 p1272北東尾根co1180?(昼食)--- 13:05~13:10 p1174周辺--- 13:30~13:50 飯場跡--- 13:55~14:05 ヤドリギのブナ--- 14:40 石積道(水平道)--- 14:55 小谷小屋谷二俣の下(連続する砂防堤)--- 15:25 駐車地
白倉林道の樫山の西に突き上げる谷・小谷小屋谷出合を見下ろす林道膨らみに車を停めた。
道端に祀られているお地蔵さんに挨拶をして、銚子川(不動谷)へ降りる。
いつの間にか林道降り口には、「樫山入口」なるプレートが付けられていた。
しかしなぁ、樹を掴み体を持ち上げる急登続きのこの尾根ルートは如何なものだろう?降りで使うのはいいが、登りでは使いたくないルートだと思う。
…といいつつ、時間短縮のためこの尾根をピストンするのだが。
砂防堤から上、出合付近には水の流れが無くてびっくりする。干からびて河原になってしまっているのだ。
先月に入った時は、ズボンを脱いで渡渉したというのに。何度かここに来ているが、こんな風景は初めてだ。
川を渡り、二ノ俣林鉄の軌道跡に登って、植林との境界尾根に取つく。初っ端から急登が続く。それに地面には照葉樹の落葉が溜まり、足元が滑るのである。その上、石岩がゴロゴロ。さらに、クマの爪痕がついたシイやヤマモモの樹がいくつも見つけることのできる尾根なのである。
今回は、熊棚のついたタムシバを見つけたのだった。しかし、タムシバなんてクマさん、美味しいの?
樫山三角点には、はじめて登った4年前には無かった沢山のプレートがぶら下がっていた。
三角点まで、いま辿った尾根ルートのピストンをするだけなら、なんの面白みもない山だろう。展望のない山頂に植林と照葉樹林の暗い急登道だけなのだから。
それでも三角点マニア・ピークハンターにとっては、三角点のある山頂に立てたことで満足してしまうのだろうか。
この山の良さは、三角点の先のたおやかな太い尾根や自然林、そして歴史にあるのだと思う。
「樫山」の名の由来は、固くて堅牢な樫の材を伐り出したことからきているのだろう。そうならば、木馬や斧鉈の柄、さらに鍬の柄など人々の生活と結びついた山なのだ。
三角点のある岩コブを降り、すぐに幅広のふくよかな稜線に達する。基本は二次林ではあるが、所々にブナやツガの大木が残されている稜線だ。
この稜線は、尾根芯を辿る限りほとんど展望がない。それでも木々が葉を落とした今は、背後を見れば熊野灘のきらめきが樹間から見え隠れしている。また、不動谷の長瀑清五郎滝(F2)とその上の末広がりのF3が一度に見えるところもあるのだ。
尾根芯を外して、熊野灘を望む。青い空に青い海、志摩半島へと続く弧を描くリアス式海岸に、海に浮かぶ島々。何度見ても素晴らし風景だ。[attachment=3]blgPC180031_800.jpg[/attachment]
1174標高点。樫山まで来たのならぜひここまで足を延ばして欲しいところだ。
ここからは、この稜線を辿って初めて、大台ヶ原・日出ヶ岳が眺望でき、二ノ俣源流の男滝(黒滝)が眼前に見えるところなのだ。
また、なだらかな地形にミズナラやブナ、ツガの大木もよく残っていてランチ場にはいい場所でもある。
きょうの目的の場所は、さらにコブを二つ越えた場所、1272標高点の北のコルだ。
以前に地池山から二ノ俣谷側山腹に残るトロッコ軌道を辿った時( 樫山から地池山 )、トロ道がわからなくなり稜線に登った地点だ。
後日知ったのだが、この地点でトロ道は岩井谷側に移っていたのだ。稜線に隧道を打ち抜いて!
この大台-樫山トロ道は、計画段階では大蛇嵓、蒸籠嵓にも隧道を通す予定だったようだが、それらの隧道は貫通することもトロッコを通すことも無かった。
つまりこの1272標高点北のコルの下が、唯一の隧道箇所で、トロッコが通り抜けた軌道跡なのである。
コルから二ノ俣谷側に降り、軌道跡に降り立つ。標高差50m程だろうか。まさしく以前、崩落した谷を前に軌道跡を見失ったところだ。
谷の上部は岩盤が見えているものの、隧道があったと思われる箇所は、厚く土砂が堆積していて痕跡もうかがい知れない。
コルに這い上がり、岩井谷側に降りて軌道跡に降り立つ。ここは何故か杉の放置植林林だ。
隧道があったと思われるコルからの谷筋部分を歩くが、こちらはさらに厚い土砂に覆われていて露出した岩盤さへ辺りには少ない。
すでに隧道に出入り口は土砂に埋まっていることは、ネット上で知っていたが(とぅーぷまーず、自分の目で確認し、二ノ俣谷側から岩井谷側に抜けたかったのだ。
ここから、1250p(主図根点がある)の南東の谷部分までがトロ道の未踏部分なので、これを繋げるために樫山へ向かう軌道跡を辿って行く。
シカ剥ぎ・クマ剥ぎの放置植林の中、煩い枝を掻き分けてしばらく行くと前方が明るくなり、伐採地に飛び出す。
伐採地というより、皆伐されたが、シャクナゲとアセビしか生えなかった土地と云うのがふさわしいか。地面は土がむき出しで、トロッコの車輪が土に埋もれて僅かにのぞいている。p1272東北東尾根のco1160辺りになるだろうか。
そのおかげで、東面・北面の展望は開かれている。熊野灘から志摩半島、度会の山々が見渡せ、岩井谷支流梅ノ木谷流域が眼下に見える場所だ。
この梅ノ木谷流域は、思わぬ植林が多い。たぶん先ほどトロ道にあったような放置植林なのだろう。皆伐され、植林されたのだろうが、育たなかったのが多いように見える。
しかし、こんな奥地がことごとく伐採され植林もされていたのは驚きだ。
風が遮られ陽がさんさんと降り注ぐ絶好のランチ場で、ゆっくりビアランチだ。
ランチ場あたりからp1250の東尾根を回り込む辺りまでは、トロ道がよく残っている。
上記尾根には、大木のブナも残り、きれいな嘉茂助谷ノ頭の双耳峰が見渡せた。
尾根を回り込むと、岩盤がむき出しとなり、僅かに切削したであろう岩盤を見て辿って行くと、先月敗退した時見た大ブナと出会い、トロ道を繋ぐことに成功した。
前回は5m先も見えないガスで、大ブナ先のトロ道を見失い、腹が減ったと昼食用のガスを出せば空。湿った木々で焚火起こし、なんとか昼食を摂ったものの時間切れ。つまりガスガスで敗退したのだった。
[attachment=2]blgPC180127_800.jpg[/attachment]
1174標高点付近で尾根に戻り、尾根を辿る。co1100付近で岩井谷側山腹を辿っていたトロ道は尾根に合流し、再び岩井谷側山腹へと移って行く。この尾根と山腹のトロ道部分を繋ぐのはちょっとわかりづらい。若干標高差があるように思う。
適当に以前(東大台伐採のトロッコ道と樫山) 辿ったトロ道に降りて、飯場跡を目指す。このあたりからトロ道の最終地点ツミバまでの道は、道もよく残り気持ち良い道だ。
当時の食器・ビン類など遺物が散乱する飯場跡をしばらく見て回り、樫山三角点近くのヤドリギを沢山つけたお気に入りのブナの下でいっぷく。
[attachment=1]blgPC180152_800.jpg[/attachment]
三角点からは、朝辿った急傾斜の尾根を降りていくのだが、膝が痛くなりだした。足をしっかり地面に着けずに降りているせいでもあるのだろう。急傾斜地の照葉樹の枯葉に体重を乗せた足を置けば滑るだろうと、余計な筋肉を使っているためだ。
主尾根を右に外し、植林に入ってすぐの尾根を横切る石積道。時間もあるので今回これを辿ることにした。この石積道は最初に見たときから気になっていた道でもあるのだ。[attachment=0]blgPC180160_640.jpg[/attachment]
若干降り勾配で小谷小屋谷側に向かって行く。この道はちょうど植林上部の自然林と境についているようだ。この水平道を歩けば、途端に膝の痛みは無くなっていた。
崩落しつつも続く石積み道を辿って行くと、大きな椎の樹のあるところで二俣に分かれ、今来た道の上部をさらに登り勾配で上へと続いている道がある。いったいどこへ行く道なのだろう。また宿題を頂いた気分だ。
もう一方の道を追うと、小谷小屋谷の砂防が上下に二つあるのが望める場所に着いた。この先、石積道は消えている。道を追うのはここまでだ。
当初谷を降りても良いかと考えていたが、谷は大岩のゴーロと岩間滝。こんなのを降りていたら日が暮れそうと、左岸の杣道を拾って出合に降り着いた。
以前樫山南尾根の下流側山腹も歩いているが、この樫山山腹の急峻さにも拘らず、いくつもの道が付けられていたようだ。
これで、わたしの大正期の樫山ー大台ケ原(シオカラ谷)を繋ぐ手押しトロッコ道の探索は一応終了である。
尾鷲道のある尾根のアリノキ嶺(p1414)とその南ピーク辺りの二ノ俣谷側軌道跡は未踏だが、また行く機会もあるだろう。またシオカラ谷の木材集積場から西大台地区へ延びるトロッコ道支線もあるようだが、こちらは入山管理区域の為、探索は難しい。大台ケ原・大峰の自然を守る会の調査報告を待ちたい。
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
こんにちは、ZIPPさん。
道端に祀られているお地蔵さんに挨拶をして、銚子川(不動谷)へ降りる。
いつの間にか林道降り口には、「樫山入口」なるプレートが付けられていた。
しかしなぁ、樹を掴み体を持ち上げる急登続きのこの尾根ルートは如何なものだろう?降りで使うのはいいが、登りでは使いたくないルートだと思う。
…といいつつ、時間短縮のためこの尾根をピストンするのだが。
中高年の登山ブームのなせる技です。
川を渡り、二ノ俣林鉄の軌道跡に登って、植林との境界尾根に取つく。初っ端から急登が続く。それに地面には照葉樹の落葉が溜まり、足元が滑るのである。その上、石岩がゴロゴロ。さらに、クマの爪痕がついたシイやヤマモモの樹がいくつも見つけることのできる尾根なのである。
今回は、熊棚のついたタムシバを見つけたのだった。しかし、タムシバなんてクマさん、美味しいの?
銚子川流域では石材もトロッコで運んだみたいですが、この軌道も使われたんでしょうか?
それでも三角点マニア・ピークハンターにとっては、三角点のある山頂に立てたことで満足してしまうのだろうか。
この山の良さは、三角点の先のたおやかな太い尾根や自然林、そして歴史にあるのだと思う。
「樫山」の名の由来は、固くて堅牢な樫の材を伐り出したことからきているのだろう。そうならば、木馬や斧鉈の柄、さらに鍬の柄など人々の生活と結びついた山なのだ。
なかなかおもしろそうな山域ですね。
きょうの目的の場所は、さらにコブを二つ越えた場所、1272標高点の北のコルだ。
以前に地池山から二ノ俣谷側山腹に残るトロッコ軌道を辿った時(樫山から地池山 )、トロ道がわからなくなり稜線に登った地点だ。
後日知ったのだが、この地点でトロ道は岩井谷側に移っていたのだ。稜線に隧道を打ち抜いて!
この大台-樫山トロ道は、計画段階では大蛇嵓、蒸籠嵓にも隧道を通す予定だったようだが、それらの隧道は貫通することもトロッコを通すことも無かった。
つまりこの1272標高点北のコルの下が、唯一の隧道箇所で、トロッコが通り抜けた軌道跡なのである。
隧道ですか、けっこう大規模な軌道ですね。
ここから、1250p(主図根点がある)の南東の谷部分までがトロ道の未踏部分なので、これを繋げるために樫山へ向かう軌道跡を辿って行く。
シカ剥ぎ・クマ剥ぎの放置植林の中、煩い枝を掻き分けてしばらく行くと前方が明るくなり、伐採地に飛び出す。
伐採地というより、皆伐されたが、シャクナゲとアセビしか生えなかった土地と云うのがふさわしいか。地面は土がむき出しで、トロッコの車輪が土に埋もれて僅かにのぞいている。p1272東北東尾根のco1160辺りになるだろうか。
そのおかげで、東面・北面の展望は開かれている。熊野灘から志摩半島、度会の山々が見渡せ、岩井谷支流梅ノ木谷流域が眼下に見える場所だ。
この梅ノ木谷流域は、思わぬ植林が多い。たぶん先ほどトロ道にあったような放置植林なのだろう。皆伐され、植林されたのだろうが、育たなかったのが多いように見える。
しかし、こんな奥地がことごとく伐採され植林もされていたのは驚きだ。
トロッコのおかげで、奥地まで伐採が進んだんですね。
ランチ場あたりからp1250の東尾根を回り込む辺りまでは、トロ道がよく残っている。
上記尾根には、大木のブナも残り、きれいな嘉茂助谷ノ頭の双耳峰が見渡せた。
尾根を回り込むと、岩盤がむき出しとなり、僅かに切削したであろう岩盤を見て辿って行くと、先月敗退した時見た大ブナと出会い、トロ道を繋ぐことに成功した。
目的が達成できましたね。おめでとうございます。
1174標高点付近で尾根に戻り、尾根を辿る。co1100付近で岩井谷側山腹を辿っていたトロ道は尾根に合流し、再び岩井谷側山腹へと移って行く。この尾根と山腹のトロ道部分を繋ぐのはちょっとわかりづらい。若干標高差があるように思う。
適当に以前(東大台伐採のトロッコ道と樫山) 辿ったトロ道に降りて、飯場跡を目指す。このあたりからトロ道の最終地点ツミバまでの道は、道もよく残り気持ち良い道だ。
当時の食器・ビン類など遺物が散乱する飯場跡をしばらく見て回り、樫山三角点近くのヤドリギを沢山つけたお気に入りのブナの下でいっぷく。
このあたりの尾根は楽しそうです。
三角点からは、朝辿った急傾斜の尾根を降りていくのだが、膝が痛くなりだした。足をしっかり地面に着けずに降りているせいでもあるのだろう。急傾斜地の照葉樹の枯葉に体重を乗せた足を置けば滑るだろうと、余計な筋肉を使っているためだ。
主尾根を右に外し、植林に入ってすぐの尾根を横切る石積道。時間もあるので今回これを辿ることにした。この石積道は最初に見たときから気になっていた道でもあるのだ。
若干降り勾配で小谷小屋谷側に向かって行く。この道はちょうど植林上部の自然林と境についているようだ。この水平道を歩けば、途端に膝の痛みは無くなっていた。
崩落しつつも続く石積み道を辿って行くと、大きな椎の樹のあるところで二俣に分かれ、今来た道の上部をさらに登り勾配で上へと続いている道がある。いったいどこへ行く道なのだろう。また宿題を頂いた気分だ。
もう一方の道を追うと、小谷小屋谷の砂防が上下に二つあるのが望める場所に着いた。この先、石積道は消えている。道を追うのはここまでだ。
当初谷を降りても良いかと考えていたが、谷は大岩のゴーロと岩間滝。こんなのを降りていたら日が暮れそうと、左岸の杣道を拾って出合に降り着いた。
以前樫山南尾根の下流側山腹も歩いているが、この樫山山腹の急峻さにも拘らず、いくつもの道が付けられていたようだ。
石材として御影石が運び出されたようですが、関係があるんですかね?
これで、わたしの大正期の樫山ー大台ケ原(シオカラ谷)を繋ぐ手押しトロッコ道の探索は一応終了である。
お疲れ様でした。
興味がつきない山域ですね。
わりばし
道端に祀られているお地蔵さんに挨拶をして、銚子川(不動谷)へ降りる。
いつの間にか林道降り口には、「樫山入口」なるプレートが付けられていた。
しかしなぁ、樹を掴み体を持ち上げる急登続きのこの尾根ルートは如何なものだろう?降りで使うのはいいが、登りでは使いたくないルートだと思う。
…といいつつ、時間短縮のためこの尾根をピストンするのだが。
中高年の登山ブームのなせる技です。
川を渡り、二ノ俣林鉄の軌道跡に登って、植林との境界尾根に取つく。初っ端から急登が続く。それに地面には照葉樹の落葉が溜まり、足元が滑るのである。その上、石岩がゴロゴロ。さらに、クマの爪痕がついたシイやヤマモモの樹がいくつも見つけることのできる尾根なのである。
今回は、熊棚のついたタムシバを見つけたのだった。しかし、タムシバなんてクマさん、美味しいの?
銚子川流域では石材もトロッコで運んだみたいですが、この軌道も使われたんでしょうか?
それでも三角点マニア・ピークハンターにとっては、三角点のある山頂に立てたことで満足してしまうのだろうか。
この山の良さは、三角点の先のたおやかな太い尾根や自然林、そして歴史にあるのだと思う。
「樫山」の名の由来は、固くて堅牢な樫の材を伐り出したことからきているのだろう。そうならば、木馬や斧鉈の柄、さらに鍬の柄など人々の生活と結びついた山なのだ。
なかなかおもしろそうな山域ですね。
きょうの目的の場所は、さらにコブを二つ越えた場所、1272標高点の北のコルだ。
以前に地池山から二ノ俣谷側山腹に残るトロッコ軌道を辿った時(樫山から地池山 )、トロ道がわからなくなり稜線に登った地点だ。
後日知ったのだが、この地点でトロ道は岩井谷側に移っていたのだ。稜線に隧道を打ち抜いて!
この大台-樫山トロ道は、計画段階では大蛇嵓、蒸籠嵓にも隧道を通す予定だったようだが、それらの隧道は貫通することもトロッコを通すことも無かった。
つまりこの1272標高点北のコルの下が、唯一の隧道箇所で、トロッコが通り抜けた軌道跡なのである。
隧道ですか、けっこう大規模な軌道ですね。
ここから、1250p(主図根点がある)の南東の谷部分までがトロ道の未踏部分なので、これを繋げるために樫山へ向かう軌道跡を辿って行く。
シカ剥ぎ・クマ剥ぎの放置植林の中、煩い枝を掻き分けてしばらく行くと前方が明るくなり、伐採地に飛び出す。
伐採地というより、皆伐されたが、シャクナゲとアセビしか生えなかった土地と云うのがふさわしいか。地面は土がむき出しで、トロッコの車輪が土に埋もれて僅かにのぞいている。p1272東北東尾根のco1160辺りになるだろうか。
そのおかげで、東面・北面の展望は開かれている。熊野灘から志摩半島、度会の山々が見渡せ、岩井谷支流梅ノ木谷流域が眼下に見える場所だ。
この梅ノ木谷流域は、思わぬ植林が多い。たぶん先ほどトロ道にあったような放置植林なのだろう。皆伐され、植林されたのだろうが、育たなかったのが多いように見える。
しかし、こんな奥地がことごとく伐採され植林もされていたのは驚きだ。
トロッコのおかげで、奥地まで伐採が進んだんですね。
ランチ場あたりからp1250の東尾根を回り込む辺りまでは、トロ道がよく残っている。
上記尾根には、大木のブナも残り、きれいな嘉茂助谷ノ頭の双耳峰が見渡せた。
尾根を回り込むと、岩盤がむき出しとなり、僅かに切削したであろう岩盤を見て辿って行くと、先月敗退した時見た大ブナと出会い、トロ道を繋ぐことに成功した。
目的が達成できましたね。おめでとうございます。
1174標高点付近で尾根に戻り、尾根を辿る。co1100付近で岩井谷側山腹を辿っていたトロ道は尾根に合流し、再び岩井谷側山腹へと移って行く。この尾根と山腹のトロ道部分を繋ぐのはちょっとわかりづらい。若干標高差があるように思う。
適当に以前(東大台伐採のトロッコ道と樫山) 辿ったトロ道に降りて、飯場跡を目指す。このあたりからトロ道の最終地点ツミバまでの道は、道もよく残り気持ち良い道だ。
当時の食器・ビン類など遺物が散乱する飯場跡をしばらく見て回り、樫山三角点近くのヤドリギを沢山つけたお気に入りのブナの下でいっぷく。
このあたりの尾根は楽しそうです。
三角点からは、朝辿った急傾斜の尾根を降りていくのだが、膝が痛くなりだした。足をしっかり地面に着けずに降りているせいでもあるのだろう。急傾斜地の照葉樹の枯葉に体重を乗せた足を置けば滑るだろうと、余計な筋肉を使っているためだ。
主尾根を右に外し、植林に入ってすぐの尾根を横切る石積道。時間もあるので今回これを辿ることにした。この石積道は最初に見たときから気になっていた道でもあるのだ。
若干降り勾配で小谷小屋谷側に向かって行く。この道はちょうど植林上部の自然林と境についているようだ。この水平道を歩けば、途端に膝の痛みは無くなっていた。
崩落しつつも続く石積み道を辿って行くと、大きな椎の樹のあるところで二俣に分かれ、今来た道の上部をさらに登り勾配で上へと続いている道がある。いったいどこへ行く道なのだろう。また宿題を頂いた気分だ。
もう一方の道を追うと、小谷小屋谷の砂防が上下に二つあるのが望める場所に着いた。この先、石積道は消えている。道を追うのはここまでだ。
当初谷を降りても良いかと考えていたが、谷は大岩のゴーロと岩間滝。こんなのを降りていたら日が暮れそうと、左岸の杣道を拾って出合に降り着いた。
以前樫山南尾根の下流側山腹も歩いているが、この樫山山腹の急峻さにも拘らず、いくつもの道が付けられていたようだ。
石材として御影石が運び出されたようですが、関係があるんですかね?
これで、わたしの大正期の樫山ー大台ケ原(シオカラ谷)を繋ぐ手押しトロッコ道の探索は一応終了である。
お疲れ様でした。
興味がつきない山域ですね。
わりばし
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
こんばんは、わりばしさん。
中高年の登山ブームのなせる技です。
まぁ、樫山にあらたにプレート付けられた方々は、マニアックな方々ばかりですが(^^;。
銚子川流域では石材もトロッコで運んだみたいですが、この軌道も使われたんでしょうか?
このあたりの左岸を走っていた二ノ俣林鉄は、戦後のものなんです。
岩井谷出合あたりから木津、相賀?は、大正期のものとなるのかな。
石材・・・、う~ん知らないなぁ。文献にありました?
石材の採掘場だと、尾鷲ならあるけど。賀田とか。
なかなかおもしろそうな山域ですね。
「樫山」なる地名は、第一義的には林業と関わっている地名です。
大杉谷の桃ノ木屋の上も樫山というそうですよ。
隧道ですか、けっこう大規模な軌道ですね。
大正期のトッロコ道にしては大規模です。大台ケ原から相賀まで繋げちゃうんだからね~。
それでも採算が採れる(当初は)大台ヶ原の森林も凄かったんだろうな。結局採算取れなくなって撤退しちゃうわけですが。
トロッコのおかげで、奥地まで伐採が進んだんですね。
いや、この梅の木谷流域の伐採は、戦後だよ。その頃には、樫山-大台ケ原のトロッコ(動力は人力!)は無いです。
この岩井谷流域の国有林編入は、二ノ俣よりも遅かったはずだし。
どこからアクセスしたんだろうね?やっぱ二ノ俣の林鉄で搬出したんだろうね。大台林道もあり得るけど。
目的が達成できましたね。おめでとうございます。
ありがとうございます。今回の最大の目玉は、隧道跡でした。
このあたりの尾根は楽しそうです。
この尾根いい尾根なんだけど、山登りではあまり使う人がいない尾根です。
銚子第二発電所から登るのがお勧めです。
石材として御影石が運び出されたようですが、関係があるんですかね?
わりばしさん、石材に拘るなぁ。わたしは、旧海山町で石材に関しては文献で読んだ記憶はないけど。
小規模な鉱山はありますが。
もしよければ、その出所(文献)を教えて頂けないでしょうか?
興味がつきない山域ですね。
このあたりの山と人々の関わりは非常に興味深いです(^^)。
[attachment=1]blgPC180145_640.jpg[/attachment]
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
おはようございます、zippさん。早速にすごいレポあげてくれましたね。
ズーッと読むだけに二時間も掛かりましたがね。
このとき緑ちゃん、ケッコウおっちゃんにネコチョンチョンしてたんだ。コメントも入れてるけどほとんど忘れてるワン
想いでしてコメントさせていただきます、寝とるこ起こす感じだよな感じだよなあ。
柚子もらいの美女と連絡が取れて、大根白菜ネギ里芋とお正月材料が揃いました。・・・からまたお山へ出かけようかな。
もうチョッと寝ますワン。
緑水
ズーッと読むだけに二時間も掛かりましたがね。
このとき緑ちゃん、ケッコウおっちゃんにネコチョンチョンしてたんだ。コメントも入れてるけどほとんど忘れてるワン
想いでしてコメントさせていただきます、寝とるこ起こす感じだよな感じだよなあ。
柚子もらいの美女と連絡が取れて、大根白菜ネギ里芋とお正月材料が揃いました。・・・からまたお山へ出かけようかな。
もうチョッと寝ますワン。
コース取りは判りました。日 付 】2011年12月18日
【 山 域 】台高南部 地池山~樫山尾根
【メンバー】zipp
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】《小谷小屋谷川出合から樫山尾根》
07:30 白倉林道小河橋手前駐車地--- 08:00 樫山南尾根石積道(水平道)--- 09:15 樫山三角点--- 09:40 岩尾根分岐点(co1080m)--- 10:00~10:05 1174 標高点--- 10:25 p1272--- 10:32~10:55 1272北コル--- 11:10~12:10 p1272北東尾根co1180?(昼食)--- 13:05~13:10 p1174周辺--- 13:30~13:50 飯場跡--- 13:55~14:05 ヤドリギのブナ--- 14:40 石積道(水平道)--- 14:55 小谷小屋谷二俣の下(連続する砂防堤)--- 15:25 駐車地
緑水
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
おはようございます、ZIPPさん。
銚子川流域では石材もトロッコで運んだみたいですが、この軌道も使われたんでしょうか?
このあたりの左岸を走っていた二ノ俣林鉄は、戦後のものなんです。
岩井谷出合あたりから木津、相賀?は、大正期のものとなるのかな。
石材・・・、う~ん知らないなぁ。文献にありました?
石材の採掘場だと、尾鷲ならあるけど。賀田とか。
「銚子川流域では良質の石材が豊富だったので、これをトロッコによって(相賀に)搬出した。」
「一時は石材トロッコが、木材トロッコの搬出を妨げるほど運転されていた。切り出された石材は近隣町村だけでなく、遠く伊勢神宮の御影石などにも利用されている。」
と書いてあるんですよ。
隧道ですか、けっこう大規模な軌道ですね。
大正期のトッロコ道にしては大規模です。大台ケ原から相賀まで繋げちゃうんだからね~。
それでも採算が採れる(当初は)大台ヶ原の森林も凄かったんだろうな。結局採算取れなくなって撤退しちゃうわけですが。
「四日市製紙のトロッコは、大正12年に大台ケ原開発事業が終了すると、相賀町(旧海山町)に払い下げられ町営軌道となった。」というやつですね。
トロッコのおかげで、奥地まで伐採が進んだんですね。
いや、この梅の木谷流域の伐採は、戦後だよ。その頃には、樫山-大台ケ原のトロッコ(動力は人力!)は無いです。
この岩井谷流域の国有林編入は、二ノ俣よりも遅かったはずだし。
どこからアクセスしたんだろうね?やっぱ二ノ俣の林鉄で搬出したんだろうね。大台林道もあり得るけど。
二ノ俣の林鉄は昭和になってからですか?
石材として御影石が運び出されたようですが、関係があるんですかね?
わりばしさん、石材に拘るなぁ。わたしは、旧海山町で石材に関しては文献で読んだ記憶はないけど。
小規模な鉱山はありますが。
もしよければ、その出所(文献)を教えて頂けないでしょうか?
伊勢新聞に平成11年2月8日から25日まで連載された片岡督さんの「トロッコ」という新聞記事です。
引用した場所は24日の「⑥トロッコと生活」からです。
わりばし
銚子川流域では石材もトロッコで運んだみたいですが、この軌道も使われたんでしょうか?
このあたりの左岸を走っていた二ノ俣林鉄は、戦後のものなんです。
岩井谷出合あたりから木津、相賀?は、大正期のものとなるのかな。
石材・・・、う~ん知らないなぁ。文献にありました?
石材の採掘場だと、尾鷲ならあるけど。賀田とか。
「銚子川流域では良質の石材が豊富だったので、これをトロッコによって(相賀に)搬出した。」
「一時は石材トロッコが、木材トロッコの搬出を妨げるほど運転されていた。切り出された石材は近隣町村だけでなく、遠く伊勢神宮の御影石などにも利用されている。」
と書いてあるんですよ。
隧道ですか、けっこう大規模な軌道ですね。
大正期のトッロコ道にしては大規模です。大台ケ原から相賀まで繋げちゃうんだからね~。
それでも採算が採れる(当初は)大台ヶ原の森林も凄かったんだろうな。結局採算取れなくなって撤退しちゃうわけですが。
「四日市製紙のトロッコは、大正12年に大台ケ原開発事業が終了すると、相賀町(旧海山町)に払い下げられ町営軌道となった。」というやつですね。
トロッコのおかげで、奥地まで伐採が進んだんですね。
いや、この梅の木谷流域の伐採は、戦後だよ。その頃には、樫山-大台ケ原のトロッコ(動力は人力!)は無いです。
この岩井谷流域の国有林編入は、二ノ俣よりも遅かったはずだし。
どこからアクセスしたんだろうね?やっぱ二ノ俣の林鉄で搬出したんだろうね。大台林道もあり得るけど。
二ノ俣の林鉄は昭和になってからですか?
石材として御影石が運び出されたようですが、関係があるんですかね?
わりばしさん、石材に拘るなぁ。わたしは、旧海山町で石材に関しては文献で読んだ記憶はないけど。
小規模な鉱山はありますが。
もしよければ、その出所(文献)を教えて頂けないでしょうか?
伊勢新聞に平成11年2月8日から25日まで連載された片岡督さんの「トロッコ」という新聞記事です。
引用した場所は24日の「⑥トロッコと生活」からです。
わりばし
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- 記事: 488
- 登録日時: 2011年2月20日(日) 19:48
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
zippさんこんばんは
熊さんは何を食べるのかな、花、木の芽、葉っぱ、もしかして実?家の庭のヒメコブシは花が膨らみだすとすべて鳥が食べてしまい花を見たことが有りません、でも白い花のは全く食べないけど、甘みでも有るんですかね。
ここからは、この稜線を辿って初めて、大台ヶ原・日出ヶ岳が眺望でき、二ノ俣源流の男滝(黒滝)が眼前に見えるところなのだ。
また、なだらかな地形にミズナラやブナ、ツガの大木もよく残っていてランチ場にはいい場所でもある。
とぅーぷまーずさんは最近更新がないですねぇ。
おめでとうございます、これで完結篇になりましたね。
やはり行かれましたか、有言実行ですね。【 山 域 】台高南部 地池山~樫山尾根
もう今はそんなところまで入れるのですか?以前崩れてた所はしっかり復旧したのですね、でも発電所の先はその前から荒れてなかったかなぁ?わたしどこか他の林道と混乱してるのかも白倉林道の樫山の西に突き上げる谷・小谷小屋谷出合を見下ろす林道膨らみに車を停めた。
道端に祀られているお地蔵さんに挨拶をして、銚子川(不動谷)へ降りる。
私が降りた尾根ですね。いつの間にか林道降り口には、「樫山入口」なるプレートが付けられていた。
しかしなぁ、樹を掴み体を持ち上げる急登続きのこの尾根ルートは如何なものだろう?降りで使うのはいいが、登りでは使いたくないルートだと思う。
…といいつつ、時間短縮のためこの尾根をピストンするのだが。
今回は、熊棚のついたタムシバを見つけたのだった。しかし、タムシバなんてクマさん、美味しいの?
熊さんは何を食べるのかな、花、木の芽、葉っぱ、もしかして実?家の庭のヒメコブシは花が膨らみだすとすべて鳥が食べてしまい花を見たことが有りません、でも白い花のは全く食べないけど、甘みでも有るんですかね。
マニアックな方のプレートですか?私もマニアックに見に行こうかな樫山三角点には、はじめて登った4年前には無かった沢山のプレートがぶら下がっていた。
三角点まで、いま辿った尾根ルートのピストンをするだけなら、なんの面白みもない山だろう。展望のない山頂に植林と照葉樹林の暗い急登道だけなのだから。
それでも三角点マニア・ピークハンターにとっては、三角点のある山頂に立てたことで満足してしまうのだろうか。
なるほど尾根芯を歩いていては見られないのですね。マニアックな方たちはこちらの方まで足をのばしてないのかしらん?尾根芯を外して、熊野灘を望む。青い空に青い海、志摩半島へと続く弧を描くリアス式海岸に、海に浮かぶ島々。何度見ても素晴らし風景だ。1174標高点。樫山まで来たのならぜひここまで足を延ばして欲しいところだ。
ここからは、この稜線を辿って初めて、大台ヶ原・日出ヶ岳が眺望でき、二ノ俣源流の男滝(黒滝)が眼前に見えるところなのだ。
また、なだらかな地形にミズナラやブナ、ツガの大木もよく残っていてランチ場にはいい場所でもある。
なるほどトンネルが有ったのですか、そういえばとぅーぷまーずさんの記事見た気がします。後日知ったのだが、この地点でトロ道は岩井谷側に移っていたのだ。稜線に隧道を打ち抜いて!
この大台-樫山トロ道は、計画段階では大蛇嵓、蒸籠嵓にも隧道を通す予定だったようだが、それらの隧道は貫通することもトロッコを通すことも無かった。
つまりこの1272標高点北のコルの下が、唯一の隧道箇所で、トロッコが通り抜けた軌道跡なのである。
検索するとzippさんのブログが紹介されてるサイトに木材搬出のルートが書かれてますね、インクラ、トロ、架線を使い出されてたのですね。隧道があったと思われるコルからの谷筋部分を歩くが、こちらはさらに厚い土砂に覆われていて露出した岩盤さへ辺りには少ない。
すでに隧道に出入り口は土砂に埋まっていることは、ネット上で知っていたが(とぅーぷまーず、自分の目で確認し、二ノ俣谷側から岩井谷側に抜けたかったのだ。
とぅーぷまーずさんは最近更新がないですねぇ。
P1344も伐採地でしたよね、あそこも同じ様に植林もされたのかな?そのまま放置されてる気がするけど。そのおかげで、東面・北面の展望は開かれている。熊野灘から志摩半島、度会の山々が見渡せ、岩井谷支流梅ノ木谷流域が眼下に見える場所だ。
この梅ノ木谷流域は、思わぬ植林が多い。たぶん先ほどトロ道にあったような放置植林なのだろう。皆伐され、植林されたのだろうが、育たなかったのが多いように見える。
しかし、こんな奥地がことごとく伐採され植林もされていたのは驚きだ。
風が遮られ陽がさんさんと降り注ぐ絶好のランチ場で、ゆっくりビアランチだ。
ランチ場あたりからp1250の東尾根を回り込む辺りまでは、トロ道がよく残っている。
上記尾根には、大木のブナも残り、きれいな嘉茂助谷ノ頭の双耳峰が見渡せた。
尾根を回り込むと、岩盤がむき出しとなり、僅かに切削したであろう岩盤を見て辿って行くと、先月敗退した時見た大ブナと出会い、トロ道を繋ぐことに成功した。
おめでとうございます、これで完結篇になりましたね。
こちらには行ったことないし、発電所から登る道が辿ってみたいですねぇ。適当に以前(東大台伐採のトロッコ道と樫山) 辿ったトロ道に降りて、飯場跡を目指す。このあたりからトロ道の最終地点ツミバまでの道は、道もよく残り気持ち良い道だ。
私も昨日また膝を痛めたみたいです。三角点からは、朝辿った急傾斜の尾根を降りていくのだが、膝が痛くなりだした。足をしっかり地面に着けずに降りているせいでもあるのだろう。急傾斜地の照葉樹の枯葉に体重を乗せた足を置けば滑るだろうと、余計な筋肉を使っているためだ。
興味の尽きない山域ですね。崩落しつつも続く石積み道を辿って行くと、大きな椎の樹のあるところで二俣に分かれ、今来た道の上部をさらに登り勾配で上へと続いている道がある。いったいどこへ行く道なのだろう。また宿題を頂いた気分だ。
お疲れ様でした、木材搬出のルートの地図はこちらのサイトのでしたね。シカの避雪ルートもzippさんが以前書いてましたね、冬は大台ヶ原にいないんだね =TW=これで、わたしの大正期の樫山ー大台ケ原(シオカラ谷)を繋ぐ手押しトロッコ道の探索は一応終了である。
尾鷲道のある尾根のアリノキ嶺(p1414)とその南ピーク辺りの二ノ俣谷側軌道跡は未踏だが、また行く機会もあるだろう。またシオカラ谷の木材集積場から西大台地区へ延びるトロッコ道支線もあるようだが、こちらは入山管理区域の為、探索は難しい。大台ケ原・大峰の自然を守る会の調査報告を待ちたい。
Trail Walker
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
緑水さん、こんばんは。
ズーッと読むだけに二時間も掛かりましたがね。
ション起きにおきたのに目を覚まさせ地麻痺ましたか(^^;
想いでしてコメントさせていただきます、寝とるこ起こす感じだよな感じだよなあ。
なんや、ようわからんけど…。
柚子もらいの美女と連絡が取れて、大根白菜ネギ里芋とお正月材料が揃いました。・・・からまたお山へ出かけようかな。
もうチョッと寝ますワン。
柚子もらいの美女は、約束破ったにもかかわらず、大根白菜ネギ里芋背負って現れましたか。年末に大福えべっさん美女、そりゃぁ、よろしいですな。
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
ども、わりばしさん。
応えてくださって、ありがとう!
「銚子川流域では良質の石材が豊富だったので、これをトロッコによって(相賀に)搬出した。」
「一時は石材トロッコが、木材トロッコの搬出を妨げるほど運転されていた。切り出された石材は近隣町村だけでなく、遠く伊勢神宮の御影石などにも利用されている。」
と書いてあるんですよ。
「四日市製紙のトロッコは、大正12年に大台ケ原開発事業が終了すると、相賀町(旧海山町)に払い下げられ町営軌道となった。」というやつですね。
伊勢新聞に平成11年2月8日から25日まで連載された片岡督さんの「トロッコ」という新聞記事です。
引用した場所は24日の「⑥トロッコと生活」からです。
ははは(^^;、
読んで、コピーまでとっているのに忘却の彼方でした(^^;。
この新聞記事に最初に出会ったのは、海山郷土資料館でした。そこでガラス越しに写真撮って読んだんだけど、県立図書館に冊子としてまとめられたのがあったんですよね(^^;
でっ、銚子川沿いの砕石場ですが、木津まで行く途中にある広場あたりか、この記事に矢所支線の開設のことに触れてますから、現在矢所にある産廃施設あたりかなぁ。
二ノ俣の林鉄は昭和になってからですか?
二ノ俣林鉄解説は、昭和21年(不動谷(清五郎滝谷出合までだと思う)。さらに延長した第2二ノ俣林鉄は昭和27年開設です。
第2二ノ俣開設にともなって、岩井谷上流部の伐採が始まったのじゃないかな?と読んでます。岩井谷関係の資料は目にしたことがないので…。
ちなみに、銚子川支流の古和谷林鉄は大正6年ですから随分早い(上記の矢所支線とかぶりますが)。
もしかしたら、古和谷から石を出したのかな?砕石場みたいなの見なかったけど、ここの熊野酸性花崗岩はきれいだった。
片岡氏の新聞記事冊子の参考図書の『林鉄の軌跡』伊藤誠一著は、県立図書館にあるから読まれるといいよ。県内の林鉄の路線や開設時期など網羅しております。四日市製紙のは載ってませんけどね。
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
zippさん おはようございますワン、冷えてるんだけど余り寒さは感じないね。身体が成れてきたかな。
昨日はサンちゃんピークへ、榊と松とウラジロをナノに忘れてきたワン。ボケも熟してきたみたいだ。
さてさて、このレポート想い出せるかなあ
前に歩いた尾鷲道のアリノキ嶺にはテープが有ったよ。
それと二ノ俣からの登山道はいまも生きてるだろうかなあ。登山道は谷の左岸に破線が有るけど、これはトロッコ軌道道なんでしょうね。
黒滝で行止まり、スイッチバックで尾根越えさせる?地図見てるといろいろ瞑想できてオモシロいですワン。
木津から木組峠も歩いてるんでしょ。これもチョボット見に行った酔うな覚えがあるんだけどなあ。??
木津にいって見たくなりました。
またチョッとだけ見に行くかもです。
いろいろありがとう。 緑水
昨日はサンちゃんピークへ、榊と松とウラジロをナノに忘れてきたワン。ボケも熟してきたみたいだ。
さてさて、このレポート想い出せるかなあ
いつもこんな時間に目が醒めて、勉強とウイしちゃうんですよ。短い一日が始まります。zipp さんが書きました: ズーッと読むだけに二時間も掛かりましたがね。
ション起きにおきたのに目を覚まさせ地麻痺ましたか(^^;
大台ケ原マップを広げると、赤カラーペンでイッパイなぞられてるよ。おっちゃんの後追いのメモリーだな←これ詩になるでしょ(^^)
熊野灘見下ろす山腹にトロッコの車輪
線路は撤去してるのに鉄の塊は戦争に貴重品、ナゼ残したんだろうなあ。鈴鹿でも残されてるよね。
~♪ 始まり始まり
白倉林道の樫山の西に突き上げる谷・小谷小屋谷出合を見下ろす林道膨らみに車を停めた。
道端に祀られているお地蔵さんに挨拶をして、銚子川(不動谷)へ降りる。
いつの間にか林道降り口には、「樫山入口」なるプレートが付けられていた。
前にも書いてるんだけど、清五郎の滝を見に行きました。やはりココの所に車を止めたような?
ガケッチョの怖い道だったなあ。それから谷に降りたんだ。陰湿な谷の思いがしたけど?。
コレ砂防堤なんですか、「清五郎滝取水ダム」って書いて有るよ。水が抜かれて河原になってるのじゃないのかな?砂防堤から上、出合付近には水の流れが無くてびっくりする。干からびて河原になってしまっているのだ。
先月に入った時は、ズボンを脱いで渡渉したというのに。何度かここに来ているが、こんな風景は初めてだ。
本流の「不動谷取水ダム」でもその下流はカラッポ谷ですかな?
川を渡り、二ノ俣林鉄の軌道跡に登って、植林との境界尾根に取つく。
樫山三角点には、はじめて登った4年前には無かった沢山のプレートがぶら下がっていた。
三角点まで、いま辿った尾根ルートのピストンをするだけなら、なんの面白みもない山だろう。
なんの面白みも無いルート、おっちゃん登ってるじゃないか、なんで 近いから?
緑ちゃん地図には、ナゼかしら樫山頂から南に直接下りる尾根にエンピツで腺が引かれてるよ。
そしてその上のp1272まで、このルートで行くつもりだったのかなあ?。
人いろいろだよなあ、鉾ヤブ住人もいろいろ盾ばかりの人もいるしサ。展望のない山頂に植林と照葉樹林の暗い急登道だけなのだから。
それでも三角点マニア・ピークハンターにとっては、三角点のある山頂に立てたことで満足してしまうのだろうか。
台高の山はほとんどが展望の無い樹の山谷ダモンネ、展望見たければ2,500m以上に登らな得られませんですよ。三角点のある岩コブを降り、すぐに幅広のふくよかな稜線に達する。基本は二次林ではあるが、所々にブナやツガの大木が残されている稜線だ。
この稜線は、尾根芯を辿る限りほとんど展望がない。それでも木々が葉を落とした今は、背後を見れば熊野灘のきらめきが樹間から見え隠れしている。また、不動谷の長瀑清五郎滝(F2)とその上の末広がりのF3が一度に見えるところもあるのだ。
尾根芯を外して、熊野灘を望む。青い空に青い海、志摩半島へと続く弧を描くリアス式海岸に、海に浮かぶ島々。何度見ても素晴らし風景だ。
ヤッパ馴染んだ故郷の山が好い、そして開けた草原や岩の上から大海原が見える。コレが好いんだよな。
堂倉高から堂倉山そしてp1174へですね(^^)1174標高点。樫山まで来たのならぜひここまで足を延ばして欲しいところだ。
ここからは、この稜線を辿って初めて、大台ヶ原・日出ヶ岳が眺望でき、二ノ俣源流の男滝(黒滝)が眼前に見えるところなのだ。
また、なだらかな地形にミズナラやブナ、ツガの大木もよく残っていてランチ場にはいい場所でもある。
コレやろうの気持ち有ったのが、いつの間にかボヘに嵌ってたんだよな。亮太朗とのスキーも楽しかったし。
また元に戻ろうしても、身体は衰えてるしボケも始まってるし、一人で行くは虻中シイワン。
仲間にしたノッパラ、カエルちゃまもチョボチョボだしね、おっちゃんどうしたら好いと思う?
すごいなあ、こんなの文献で調べて己の眼で見る検証するのってね。イッパイ資料として整理してるんでしょうね。きょうの目的の場所は、さらにコブを二つ越えた場所、1272標高点の北のコルだ。
以前に地池山から二ノ俣谷側山腹に残るトロッコ軌道を辿った時( 樫山から地池山 )、トロ道がわからなくなり稜線に登った地点だ。
後日知ったのだが、この地点でトロ道は岩井谷側に移っていたのだ。稜線に隧道を打ち抜いて!
この大台-樫山トロ道は、計画段階では大蛇嵓、蒸籠嵓にも隧道を通す予定だったようだが、それらの隧道は貫通することもトロッコを通すことも無かった。
つまりこの1272標高点北のコルの下が、唯一の隧道箇所で、トロッコが通り抜けた軌道跡なのである。
合唱の昔連れに鉄道に惚れて国鉄に仕事した人の年賀ハガキにこんなのが有るよ。
☆奈良県にある五新線跡を知りました。和歌山駅五条駅から紀伊半島を縦断、新宮を目指して建設してたと。富国強兵の日本国だったんだ。
これからの日本国はドナイになるんだろうなあ。さし当って遊び倒すしかないね、なにかが見えてくるだろうサ
その遺構の写真見て、緑チャンも行きたくなりましたよ。この人はミユージシャンでもあるからこんなのを曲にしちゃうんですよ。
緑ちゃんにはスゴイお友だちがいるから鼻が高いんだ。
廃鉱山探すわりばしさんもそうなんだよなあ、緑チャンはタダの野次馬デバガメだな。脳のできが違うんだね。すでに隧道に出入り口は土砂に埋まっていることは、ネット上で知っていたが(とぅーぷまーず、自分の目で確認し、二ノ俣谷側から岩井谷側に抜けたかったのだ。
昔の人の生きる力はホンマすごく感じるよ。現代人なんてホン少しの変化にも死んじゃうだろうサ。ここから、1250p(主図根点がある)の南東の谷部分までがトロ道の未踏部分なので、これを繋げるために樫山へ向かう軌道跡を辿って行く。
そのおかげで、東面・北面の展望は開かれている。熊野灘から志摩半島、度会の山々が見渡せ、岩井谷支流梅ノ木谷流域が眼下に見える場所だ。
この梅ノ木谷流域は、思わぬ植林が多い。たぶん先ほどトロ道にあったような放置植林なのだろう。皆伐され、植林されたのだろうが、育たなかったのが多いように見える。
しかし、こんな奥地がことごとく伐採され植林もされていたのは驚きだ。
風が遮られ陽がさんさんと降り注ぐ絶好のランチ場で、ゆっくりビアランチだ。
子供達に歴史を教える、先人に学べだよなあ。
おっちゃんは生き残れるよ。ササ無くて何が己の山遊美かってね。
何が悔しいって、マッチ忘れた。工夫しても火がつかなかったよナア。腹が減ったと昼食用のガスを出せば空。湿った木々で焚火起こし、なんとか昼食を摂ったものの時間切れ。つまりガスガスで敗退したのだった。
だから握り飯は忘れてはイケナイのだ。とバカボンの教えであるよ
これや、りょくちゃんエンピツでラインが引かれてるの。三角点からは、朝辿った急傾斜の尾根を降りていくのだが、膝が痛くなりだした。
この水平道を歩けば、途端に膝の痛みは無くなっていた。
以前樫山南尾根の下流側山腹も歩いているが、この樫山山腹の急峻さにも拘らず、いくつもの道が付けられていたようだ。
もしかして前にこの尾根直近で樫山へレポしてるのかなあ?
これで、わたしの大正期の樫山ー大台ケ原(シオカラ谷)を繋ぐ手押しトロッコ道の探索は一応終了である。
尾鷲道のある尾根のアリノキ嶺(p1414)とその南ピーク辺りの二ノ俣谷側軌道跡は未踏だが、また行く機会もあるだろう。またシオカラ谷の木材集積場から西大台地区へ延びるトロッコ道支線もあるようだが、こちらは入山管理区域の為、探索は難しい。大台ケ原・大峰の自然を守る会の調査報告を待ちたい。
前に歩いた尾鷲道のアリノキ嶺にはテープが有ったよ。
それと二ノ俣からの登山道はいまも生きてるだろうかなあ。登山道は谷の左岸に破線が有るけど、これはトロッコ軌道道なんでしょうね。
黒滝で行止まり、スイッチバックで尾根越えさせる?地図見てるといろいろ瞑想できてオモシロいですワン。
木津から木組峠も歩いてるんでしょ。これもチョボット見に行った酔うな覚えがあるんだけどなあ。??
木津にいって見たくなりました。
またチョッとだけ見に行くかもです。
いろいろありがとう。 緑水
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
trailwalker さん、こんばんは。
もう今はそんなところまで入れるのですか?以前崩れてた所はしっかり復旧したのですね、でも発電所の先はその前から荒れてなかったかなぁ?わたしどこか他の林道と混乱してるのかも
えとですね、確か1年ほど前に不動谷のゲートまで整備されたのです。
で、また今年の台風で崩壊(^^;。しかしもう不動谷のゲートまで入れるらしい。発電所設備の関係で早く復興させたんでしょうね。
熊さんは何を食べるのかな、花、木の芽、葉っぱ、もしかして実?家の庭のヒメコブシは花が膨らみだすとすべて鳥が食べてしまい花を見たことが有りません、でも白い花のは全く食べないけど、甘みでも有るんですかね。
爪痕新しい…といってもどうだろう?春のものかもしれない。こぶし平(茂高)にもタカノツメに混じってタムシバの樹に熊爪痕残る樹があったはず。また注意してみておいてくらはい。
マニアックな方のプレートですか?私もマニアックに見に行こうかな
さらにマニアックなとれヲさんが、マニアックプレートに落書きするの?
[attachment=0]blgPC180027_512.jpg[/attachment]
なるほど尾根芯を歩いていては見られないのですね。マニアックな方たちはこちらの方まで足をのばしてないのかしらん?
地池山の日帰りできるんだけど、どうなんだろうね?尾根芯には、津の人の「地池~樫山」なるプレートがあったな。
樫山から先は、テープのマーキングは増えていません。
検索するとzippさんのブログが紹介されてるサイトに木材搬出のルートが書かれてますね、インクラ、トロ、架線を使い出されてたのですね。
とぅーぷまーずさんは最近更新がないですねぇ。
大台大峰の会のことですね。
「とぅーぷまーず」ってどういう意味なんだろうね?
P1344も伐採地でしたよね、あそこも同じ様に植林もされたのかな?そのまま放置されてる気がするけど。
いちおう、ネットの残骸がなかったっけか?
このピーク自身は森なんだけど、その先が伐採されちゃってる。
おめでとうございます、これで完結篇になりましたね。
わたしの中では終わったけど、間欠な感じが(^^;。
こちらには行ったことないし、発電所から登る道が辿ってみたいですねぇ。
はい、是非辿ってみてください。どの道のことを云ってるのか知らんが(^^;。
私も昨日また膝を痛めたみたいです。
お大事に~!…ってもう山に登ってるやんっ。
シカの避雪ルートもzippさんが以前書いてましたね、冬は大台ヶ原にいないんだね
檜塚だって、積雪多いときは植林帯まで降りてねぐらにし、日帰りで笹喰いにあがってるもんね。
最後に編集したユーザー zipp [ 2011年12月26日(月) 00:26 ], 累計 1 回
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
緑水さん、こんばんは。
冷えてるんだけど余り寒さは感じないね。身体が成れてきたかな。
昨日はサンちゃんピークへ、榊と松とウラジロをナノに忘れてきたワン。ボケも熟してきたみたいだ。
夜になって、風が強く、冷えこんできたよ。他に大事な要件があって忘れたのか、それともそのとおりボケ熟?
お大事に~♪です(^^;。
ズーッと読むだけに二時間も掛かりましたがね。
ション起きにおきたのに目を覚まさせ地麻痺ましたか(^^;
大台ケ原マップを広げると、赤カラーペンでイッパイなぞられてるよ。おっちゃんの後追いのメモリーだな←これ詩になるでしょ(^^)
へぇ、ヤブのレポ読んで、地図に書き込んだられるんだ。
線路は撤去してるのに鉄の塊は戦争に貴重品、ナゼ残したんだろうなあ。
運び忘れ?レールも一部残っているみたい。見忘れてた!!
前にも書いてるんだけど、清五郎の滝を見に行きました。やはりココの所に車を止めたような?
ガケッチョの怖い道だったなあ。それから谷に降りたんだ。陰湿な谷の思いがしたけど?。
コレ砂防堤なんですか、「清五郎滝取水ダム」って書いて有るよ。水が抜かれて河原になってるのじゃないのかな?
本流の「不動谷取水ダム」でもその下流はカラッポ谷ですかな?
へぇへぇ、緑ちゃんの云って(行って)いるのは、清五郎滝のある谷のことですわね。エアリアマップには、「小谷小屋川」と書かれてますが、間違いなんです。あの谷は不動谷で、出合の滝は不動滝と呼ぶらしい。
で、小谷小屋川は、樫山の西に突き上げる谷のことです。
なんの面白みも無いルート、おっちゃん登ってるじゃないか、なんで 近いから?
緑ちゃん地図には、ナゼかしら樫山頂から南に直接下りる尾根にエンピツで腺が引かれてるよ。
そしてその上のp1272まで、このルートで行くつもりだったのかなあ?。
以前、その尾根を降りたレポしてます。その後とれヲさんも降りてます。
堂倉高から堂倉山そしてp1174へですね(^^)
コレやろうの気持ち有ったのが、いつの間にかボヘに嵌ってたんだよな。亮太朗とのスキーも楽しかったし。
また元に戻ろうしても、身体は衰えてるしボケも始まってるし、一人で行くは虻中シイワン。
堂倉高から堂倉山は、テン泊しないとちと厳しいですよね。三重からだと。
樫山から地池山なら日帰りで行けるよ。けどゆっくりウロウロ歩きで樫山から1174でいいと思う。
仲間にしたノッパラ、カエルちゃまもチョボチョボだしね、おっちゃんどうしたら好いと思う?
のっぱらさん、こちらの山に来てましたやん。ちょぼちょぼって(^^;;。なんの相談やねん(^^;。
すごいなあ、こんなの文献で調べて己の眼で見る検証するのってね。イッパイ資料として整理してるんでしょうね。
すごいってことないよ、すっこ~い!の(^^;; 好きこそモノノ上手なれって云いますし。
合唱の昔連れに鉄道に惚れて国鉄に仕事した人の年賀ハガキにこんなのが有るよ。
☆奈良県にある五新線跡を知りました。和歌山駅五条駅から紀伊半島を縦断、新宮を目指して建設してたと。富国強兵の日本国だったんだ。
五條市と新宮を結ぼうとした路線やね、遺構がのこってるらしいね。詳しくは知りませんが、トンネルだらけになりそう。
これからの日本国はドナイになるんだろうなあ。さし当って遊び倒すしかないね、なにかが見えてくるだろうサ
いまや政治家センセたちのニュースは、子供たちに見せられないね。こんなに辻褄の合わないことをよく云えるもんだと。
その遺構の写真見て、緑チャンも行きたくなりましたよ。この人はミユージシャンでもあるからこんなのを曲にしちゃうんですよ。
緑ちゃんにはスゴイお友だちがいるから鼻が高いんだ。
目指せ、日本の3千年遅れてきたクレオん緑ちゃん(意味不明)。
昔の人の生きる力はホンマすごく感じるよ。現代人なんてホン少しの変化にも死んじゃうだろうサ。
子供達に歴史を教える、先人に学べだよなあ。
おっちゃんは生き残れるよ。ササ無くて何が己の山遊美かってね。
昔の人は、ホンマにすごいと思うヨ。
このトロッコの飯場には、「神薬」と刻印された青紫色したきれいな小瓶が見つかるんだ。今でいう覚醒剤だよ。
当時は合法だけど、こんなのまで使って働いてたんだ。
自然の営みを知ること、それが生き残る秘密ですね(^^)。
>腹が減ったと昼食用のガスを出せば空。湿った木々で焚火起こし、なんとか昼食を摂ったものの時間切れ。つまりガスガスで敗退したのだった。
何が悔しいって、マッチ忘れた。工夫しても火がつかなかったよナア。
だから握り飯は忘れてはイケナイのだ。とバカボンの教えであるよ
この時は、桧を探して落ち枝を集めて焚火をしました。針葉樹ならら湿っていてもなんとか火が付くからね。
マッチ=ライターは、いくつもザックに入ってるわたしだけど、主食を忘れるとね~、木の実の時期ならいざ知らず…。
これや、りょくちゃんエンピツでラインが引かれてるの。
もしかして前にこの尾根直近で樫山へレポしてるのかなあ?
朝辿ったのもこの尾根です。って上に書いたけど。
[attachment=0]blgPC180042_640.jpg[/attachment]
前に歩いた尾鷲道のアリノキ嶺にはテープが有ったよ。
それと二ノ俣からの登山道はいまも生きてるだろうかなあ。登山道は谷の左岸に破線が有るけど、これはトロッコ軌道道なんでしょうね。
黒滝で行止まり、スイッチバックで尾根越えさせる?地図見てるといろいろ瞑想できてオモシロいですワン。
どの地図を緑水さんが見ているのか知りませんが、レポしてないのだけど、この早春に二ノ俣から尾鷲道の稜線に上がってます。
昔のエアリアに書かれている道の検証を兼ねてです。ただ地図に載っている道とは随分違うものでした。
正月にでもレポ書こうかな?
木津から木組峠も歩いてるんでしょ。これもチョボット見に行った酔うな覚えがあるんだけどなあ。??
木津にいって見たくなりました。
マブシ嶺まで日帰りはちとしんどいけど、木組峠プラス1297ピークなど良いかも。
冠雪した大峰山脈に大台ケ原、それにぽかぽかの熊野灘の見えるいいルートです(^^)。
またチョッとだけ見に行くかもです。
雪遊びに飽きたら、いいかもです(^^)。
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
こんばんは。
白倉林道復旧したみたいですね。
10月に光谷へ入った時は道の木を切りながらゲート500メートル手前付近から入れずでした、しかし凄い悪路でした。
タイヤバンクさせて高い山行きでした。
ゲートも新しくされたし伐採が行われるのではと見ていますが???
樫山へ登られるのはかなりの急傾斜なんでは???
何時も面白いと言うか楽しい事をしておられますね。
白倉林道復旧したみたいですね。
10月に光谷へ入った時は道の木を切りながらゲート500メートル手前付近から入れずでした、しかし凄い悪路でした。
タイヤバンクさせて高い山行きでした。
ゲートも新しくされたし伐採が行われるのではと見ていますが???
樫山へ登られるのはかなりの急傾斜なんでは???
何時も面白いと言うか楽しい事をしておられますね。
【業務連絡】ログイン後に書き込みをおねがいします。
zippさん横レスすいません
りんご畑さんこんにちは。
以下にも書いていますがログイン後に書き込みをすれば不具合などなくなります。
また登録名の記入についても、スパム投稿防止にかかわるクイズなども不要になります。
スパムの多い掲示板ですので管理上こういった措置になっています。
ログインしないでゲストのまま書き込みますと、管理側もいちいち承認の作業が入ります。りんご畑さんならスパムするわけがありませんのでぜひご協力お願いします。
参考トピック
viewtopic.php?f=18&t=645
通風山
りんご畑さんこんにちは。
以下にも書いていますがログイン後に書き込みをすれば不具合などなくなります。
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スパムの多い掲示板ですので管理上こういった措置になっています。
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通風山
通風山
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
おはようサンでーす。遅い時間までおきてるんですね、これぐらいに第一回ションおきです。
チョイ読んで寝ました、今日はお出かけですから。雪ボンボンで遅らせたほうが好いよね。明日はベストバージンスノーだよ
さあお出かけ準備しようだわん、またよろしく。
緑水
チョイ読んで寝ました、今日はお出かけですから。雪ボンボンで遅らせたほうが好いよね。明日はベストバージンスノーだよ
[/quote]ぜんぶ忘れたわけではないのさ、形の好い松を忘れたワン。原因はメール返事が来てクリスマスの歌をどうするかでしたワン。zipp さんが書きました: 緑水さん、こんばんは。
冷えてるんだけど余り寒さは感じないね。身体が成れてきたかな。
昨日はサンちゃんピークへ、榊と松とウラジロをナノに忘れてきたワン。ボケも熟してきたみたいだ。
夜になって、風が強く、冷えこんできたよ。他に大事な要件があって忘れたのか、それともそのとおりボケ熟?
お大事に~♪です(^^;。
ボケ熟は一度に二つのコトが出来にくくなることだね。
違うよ、緑ちゃんが歩いた所をカラーペンでぬります。日本地図もケッコウぬられてるよ。大台ケ原マップを広げると、赤カラーペンでイッパイなぞられてるよ。おっちゃんの後追いのメモリーだな←これ詩になるでしょ(^^)
へぇ、ヤブのレポ読んで、地図に書き込んだられるんだ。
いこう思うところはエンピツで書いてるのさ。これからは丸印でそこを拠点にして、周辺をより濃く訪ねるつもりだワン。ブログのお友だちが助けてくれるさ。
そうでしょう、ビール瓶だって金屑だっておこずかいになったんだから。学校帰りにU磁石を引き摺りながらボテを拾い屑屋に行ったもんですよ。昔の子どもは逞しかったです。線路は撤去してるのに鉄の塊は戦争に貴重品、ナゼ残したんだろうなあ。
運び忘れ?レールも一部残っているみたい。見忘れてた!!
ナンか読んでてもおかしいなあ思ってましたが、そお言うことでしたか。聞かなわからんですた。コレ砂防堤なんですか、「清五郎滝取水ダム」って書いて有るよ。水が抜かれて河原になってるのじゃないのかな?
本流の「不動谷取水ダム」でもその下流はカラッポ谷ですかな?
へぇへぇ、緑ちゃんの云って(行って)いるのは、清五郎滝のある谷のことですわね。エアリアマップには、「小谷小屋川」と書かれてますが、間違いなんです。あの谷は不動谷で、出合の滝は不動滝と呼ぶらしい。
で、小谷小屋川は、樫山の西に突き上げる谷のことです。
清五郎の谷が不動谷で、右俣が二ノ俣谷なんだ。
なるほど、それでエンピツで印が入れられてたんだネ。行くつもりだったんだよな。以前、その尾根を降りたレポしてます。その後とれヲさんも降りてます。
堂倉高から堂倉山は、テン泊しないとちと厳しいですよね。三重からだと。
樫山から地池山なら日帰りで行けるよ。けどゆっくりウロウロ歩きで樫山から1174でいいと思う。
雪がいっぱい降ってきたがな、風向きが変わればみのは雪やむよ。
チョボチョボは相談擬音じゃないよ、似たりよったりドングリ言う意味かな。ドコへでも行けるスッパマンではないのよね。仲間にしたノッパラ、カエルちゃまもチョボチョボだしね、おっちゃんどうしたら好いと思う?
のっぱらさん、こちらの山に来てましたやん。ちょぼちょぼって(^^;;。なんの相談やねん(^^;。
すごいってことないよ、すっこ~い!の(^^;; 好きこそモノノ上手なれって云いますし。
濁点消すも~延ばすもで意味がゼンゼン違うね、オモチロイナア。資料としてまとめれば大台研究学芸員になれまっせ。
合唱の昔連れに鉄道に惚れて国鉄に仕事した人の年賀ハガキにこんなのが有るよ。
☆奈良県にある五新線跡を知りました。和歌山駅五条駅から紀伊半島を縦断、新宮を目指して建設してたと。富国強兵の日本国だったんだ。
五條市と新宮を結ぼうとした路線やね、遺構がのこってるらしいね。詳しくは知りませんが、トンネルだらけになりそう。
陸橋やトンネルマルケやろなあ、モシ出来てたら熊野の生産物は関西に潤いをもたらしただろうね。
東北は東京が食物にして、紀伊半島は大阪が食物にしたかな。
出会い知り合いで人生変わるからなあ、植村直己氏が知り合いとなってたら・・・。でもzippさんと知れあえたから良かったと思いますよ。いまや政治家センセたちのニュースは、子供たちに見せられないね。こんなに辻褄の合わないことをよく云えるもんだと。
緑ちゃんにはスゴイお友だちがいるから鼻が高いんだ。
目指せ、日本の3千年遅れてきたクレオん緑ちゃん(意味不明)。
熊野路の為に頑張ってくださいね。
見ること、そして真似ることだよな。いまそんなところはアラヘン。山に登ることこそ人間復活だよ思うなあ。昔の人の生きる力はホンマすごく感じるよ。現代人なんてホン少しの変化にも死んじゃうだろうサ。
子供達に歴史を教える、先人に学べだよなあ。
おっちゃんは生き残れるよ。ササ無くて何が己の山遊美かってね。
昔の人は、ホンマにすごいと思うヨ。
このトロッコの飯場には、「神薬」と刻印された青紫色したきれいな小瓶が見つかるんだ。今でいう覚醒剤だよ。
当時は合法だけど、こんなのまで使って働いてたんだ。
自然の営みを知ること、それが生き残る秘密ですね(^^)。
>腹が減ったと昼食用のガスを出せば空。湿った木々で焚火起こし、なんとか昼食を摂ったものの時間切れ。つまりガスガスで敗退したのだった。
[quote]前に歩いた尾鷲道のアリノキ嶺にはテープが有ったよ。
それと二ノ俣からの登山道はいまも生きてるだろうかなあ。登山道は谷の左岸に破線が有るけど、これはトロッコ軌道道なんでしょうね。
黒滝で行止まり、スイッチバックで尾根越えさせる?地図見てるといろいろ瞑想できてオモシロいですワン。
どの地図を緑水さんが見ているのか知りませんが、レポしてないのだけど、この早春に二ノ俣から尾鷲道の稜線に上がってます。
昔のエアリアに書かれている道の検証を兼ねてです。ただ地図に載っている道とは随分違うものでした。
正月にでもレポ書こうかな?
書いて描いて、後追いしますから。
最近農にも地震がついたし、温暖な紀伊の地に移り住みたいなあって思うんだけど温泉無いから無理だよなあ。
木津にいって見たくなりました。
マブシ嶺まで日帰りはちとしんどいけど、木組峠プラス1297ピークなど良いかも。
冠雪した大峰山脈に大台ケ原、それにぽかぽかの熊野灘の見えるいいルートです(^^)。
枯れはコンビと訪ねますワン。
さあお出かけ準備しようだわん、またよろしく。
緑水
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
通風山さん
お世話かけましてすみません、
お世話かけましてすみません、
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
zippさん再度横レスすいません。
りんご畑さん、お世話をおかけしたのはこちらのほうです。これですっきり書き込みできると思います。
これからもよろしくお願いします。
あと、掲示板の形式をツリー表示にすると見やすいし返信もしやすいかと思います。
画面左上の「ユーザーCP」→「ユーザー設定」→「表示オプションの設定」→「{ VIEW_TREEVIEW }:の「はい」にチェック」→「送信」
とクリックして再度左上の「掲示板トップ」に戻ればツリー表示になっています。
つう
りんご畑さん、お世話をおかけしたのはこちらのほうです。これですっきり書き込みできると思います。
これからもよろしくお願いします。
あと、掲示板の形式をツリー表示にすると見やすいし返信もしやすいかと思います。
画面左上の「ユーザーCP」→「ユーザー設定」→「表示オプションの設定」→「{ VIEW_TREEVIEW }:の「はい」にチェック」→「送信」
とクリックして再度左上の「掲示板トップ」に戻ればツリー表示になっています。
つう
通風山
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
りんご畑さん、こんばんは!です。
白倉林道復旧したみたいですね。
10月に光谷へ入った時は道の木を切りながらゲート500メートル手前付近から入れずでした、しかし凄い悪路でした。
タイヤバンクさせて高い山行きでした。
10月初めに、町役場へ問い合わせをしました。その時は4駆ならば「小河橋」まで入れるとのことでした。
そんな時にりんご畑さんたちは無理やり入っちゃったんだ。タイヤ横っ腹をバーストさせちゃいましたか。
ご愁傷さまです(^^;。
ゲートも新しくされたし伐採が行われるのではと見ていますが???
春に入った時、光谷の先、2004年の豪雨で路盤がすっかり落ちたところまでは整備はされてますが、その先の工事でもするのかなぁ?
国有林事業は、林道建設を推し進めようとしているようで、台風来ては崩落する林道をいくつ作っても、ねぇ(^^;。
樫山へ登られるのはかなりの急傾斜なんでは???
はい、けっこうな急傾斜です。岩井谷遡行の帰りにでもご利用ください(^^)。
何時も面白いと言うか楽しい事をしておられますね。
へぇ、ありがとうございます(^^)。
肝心の隧道があった場所の画像をまだ貼ってなかった(^^:
[attachment=0]PC180058_640.jpg[/attachment]
つうさん、ごくろうさまで~す&ありがとう。
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
緑水さん、まいど~。
ビール瓶だって金屑だっておこずかいになったんだから。学校帰りにU磁石を引き摺りながらボテを拾い屑屋に行ったもんですよ。昔の子どもは逞しかったです。
「日本アパッチ族」を地でいってられた世代なんですね~、緑ちゃんたちは。
そうそう、地図がでてきたよ。
緑ちゃんの地図にある、二ノ俣谷から稜線へのルートはこれでいいですよね。
きょうは、山から松を頂くことを忘れなかっただろうね(^^;
zipp
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
zippさんこんばんは
亀です。既に次のレポも上がってるようですが御容赦を
リンクを含めてじっくり読みました。
というのは、私も最近トロッコに非常に興味がありまして、目をつけている場所があります。
たぶん5月の連休か盆休みに探索してこようとおもっちょります。
>「樫山」の名の由来は、固くて堅牢な樫の材を伐り出したことからきているのだろう。そうならば、木馬や斧鉈の柄、さらに鍬の柄など人々の生活と結びついた山なのだ。
ここの樫は、アカガシですか?それともアラカシ?シラカシじゃないですよね。
鈴鹿でも妙に立派なアカガシがたくさんある場所があります。青川の日ノ岡上の尾根も鉱山近くなのに立派なアカガシがけっこうあったりします。樫は堅い材のイメージだけど成長早いんでしょうか?
>以前に地池山から二ノ俣谷側山腹に残るトロッコ軌道を辿った時( 樫山から地池山 )、トロ道がわからなくなり稜線に登った地点だ。
リンクの過去レポも読み直しました、私も一応レスしてました。
ただ、当時はトロッコ道に対してそんなに興味がなかったのと、
私が行けれる場所じゃない(遠い)と思っとりましたので、それほど熱心には読んでいなかったのだと思います。
前までは鈴鹿のトロッコ道跡などを見ても、トロッコ線路のイメージが湧かなかったのですが、最近遊園地の線路などに乗ると、サイズ的にこのイメージなんだと納得しております。カーブの切り回しとかね。
>つまりこの1272標高点北のコルの下が、唯一の隧道箇所で、トロッコが通り抜けた軌道跡なのである。
とぅーぷまーずさんのレポ見てると、隧道の写真がありましたが、あれはこの路線とは違うのですか?
とぅーぷまーずさんのところから、更にその先のリンクの時の鉄路さんのHPも面白かったです。
http://homepage2.nifty.com/tkataoka/
最近はだいぶSLおたになりかけているんで。二人乗りの索道の写真も、なるほどなるほどと思ったり。
>地面は土がむき出しで、トロッコの車輪が土に埋もれて僅かにのぞいている。p1272東北東尾根のco1160辺りになるだろうか。
私も緑水さん同様、なぜに車輪が一つだけ落っこちとるのか?ってのに興味と想像を掻き立てられます。不思議ですね~。
>当時の食器・ビン類など遺物が散乱する飯場跡をしばらく見て回り、樫山三角点近くのヤドリギを沢山つけたお気に入りのブナの下でいっぷく。
ビールのラベルはなんでしょう。鈴鹿ではヤドリギをたくさんつけたブナってあまり見かけません。イメージ横根くらいかな。ヤドリギってブナ以外でも付くのでしょうか?材が軟らかいブナは付き安い?
>これで、わたしの大正期の樫山ー大台ケ原(シオカラ谷)を繋ぐ手押しトロッコ道の探索は一応終了である。
手押しってのは、リヤカーを押したり引いたりするイメージでしょうか?それとも、梃子を使って二人でシーソーを押すような(アニメとかでよくでてくる!?)イメージなんでしょうか?
前者はこないだの坂の上の雲の戦場のシーン(旅順攻略だったかな)で一瞬出ていました。でも、ここのトロッコは後者なのかな。
昔は、地形を見てルート取りとか何処で隧道を貫いて何処で橋を架けて、尾根でヘアピンを切ってと、技術者の手腕が問われていたんだなあというのを感じます。技術者の能力がそのまんま建設費や管理費に直結してたんです。
今の時代は重機が発達してるから、何でも力任せでつまらん。
>尾鷲道のある尾根のアリノキ嶺(p1414)とその南ピーク辺りの二ノ俣谷側軌道跡は未踏だが、また行く機会もあるだろう。またシオカラ谷の木材集積場から西大台地区へ延びるトロッコ道支線もあるようだが、こちらは入山管理区域の為、探索は難しい。大台ケ原・大峰の自然を守る会の調査報告を待ちたい。
このHPも面白いですね。読み応えのあるレポと興味深いリンクの紹介ありがとうございました。
あきたぬき。
亀です。既に次のレポも上がってるようですが御容赦を
リンクを含めてじっくり読みました。
というのは、私も最近トロッコに非常に興味がありまして、目をつけている場所があります。
たぶん5月の連休か盆休みに探索してこようとおもっちょります。
>「樫山」の名の由来は、固くて堅牢な樫の材を伐り出したことからきているのだろう。そうならば、木馬や斧鉈の柄、さらに鍬の柄など人々の生活と結びついた山なのだ。
ここの樫は、アカガシですか?それともアラカシ?シラカシじゃないですよね。
鈴鹿でも妙に立派なアカガシがたくさんある場所があります。青川の日ノ岡上の尾根も鉱山近くなのに立派なアカガシがけっこうあったりします。樫は堅い材のイメージだけど成長早いんでしょうか?
>以前に地池山から二ノ俣谷側山腹に残るトロッコ軌道を辿った時( 樫山から地池山 )、トロ道がわからなくなり稜線に登った地点だ。
リンクの過去レポも読み直しました、私も一応レスしてました。
ただ、当時はトロッコ道に対してそんなに興味がなかったのと、
私が行けれる場所じゃない(遠い)と思っとりましたので、それほど熱心には読んでいなかったのだと思います。
前までは鈴鹿のトロッコ道跡などを見ても、トロッコ線路のイメージが湧かなかったのですが、最近遊園地の線路などに乗ると、サイズ的にこのイメージなんだと納得しております。カーブの切り回しとかね。
>つまりこの1272標高点北のコルの下が、唯一の隧道箇所で、トロッコが通り抜けた軌道跡なのである。
とぅーぷまーずさんのレポ見てると、隧道の写真がありましたが、あれはこの路線とは違うのですか?
とぅーぷまーずさんのところから、更にその先のリンクの時の鉄路さんのHPも面白かったです。
http://homepage2.nifty.com/tkataoka/
最近はだいぶSLおたになりかけているんで。二人乗りの索道の写真も、なるほどなるほどと思ったり。
>地面は土がむき出しで、トロッコの車輪が土に埋もれて僅かにのぞいている。p1272東北東尾根のco1160辺りになるだろうか。
私も緑水さん同様、なぜに車輪が一つだけ落っこちとるのか?ってのに興味と想像を掻き立てられます。不思議ですね~。
>当時の食器・ビン類など遺物が散乱する飯場跡をしばらく見て回り、樫山三角点近くのヤドリギを沢山つけたお気に入りのブナの下でいっぷく。
ビールのラベルはなんでしょう。鈴鹿ではヤドリギをたくさんつけたブナってあまり見かけません。イメージ横根くらいかな。ヤドリギってブナ以外でも付くのでしょうか?材が軟らかいブナは付き安い?
>これで、わたしの大正期の樫山ー大台ケ原(シオカラ谷)を繋ぐ手押しトロッコ道の探索は一応終了である。
手押しってのは、リヤカーを押したり引いたりするイメージでしょうか?それとも、梃子を使って二人でシーソーを押すような(アニメとかでよくでてくる!?)イメージなんでしょうか?
前者はこないだの坂の上の雲の戦場のシーン(旅順攻略だったかな)で一瞬出ていました。でも、ここのトロッコは後者なのかな。
昔は、地形を見てルート取りとか何処で隧道を貫いて何処で橋を架けて、尾根でヘアピンを切ってと、技術者の手腕が問われていたんだなあというのを感じます。技術者の能力がそのまんま建設費や管理費に直結してたんです。
今の時代は重機が発達してるから、何でも力任せでつまらん。
>尾鷲道のある尾根のアリノキ嶺(p1414)とその南ピーク辺りの二ノ俣谷側軌道跡は未踏だが、また行く機会もあるだろう。またシオカラ谷の木材集積場から西大台地区へ延びるトロッコ道支線もあるようだが、こちらは入山管理区域の為、探索は難しい。大台ケ原・大峰の自然を守る会の調査報告を待ちたい。
このHPも面白いですね。読み応えのあるレポと興味深いリンクの紹介ありがとうございました。
あきたぬき。
Re: 【台高】樫山 ~大正期のトロッコ隧道探索~
あきたぬきさん、こんばんは。
リンクを含めてじっくり読みました。
というのは、私も最近トロッコに非常に興味がありまして、目をつけている場所があります。
たぶん5月の連休か盆休みに探索してこようとおもっちょります。
どこなんでしょうね、大峰かな?
ここの樫は、アカガシですか?それともアラカシ?シラカシじゃないですよね。
鈴鹿でも妙に立派なアカガシがたくさんある場所があります。青川の日ノ岡上の尾根も鉱山近くなのに立派なアカガシがけっこうあったりします。樫は堅い材のイメージだけど成長早いんでしょうか?
イタイ所を突かれますた。
アカガシは、老木になると樹皮だけでわかるんですが、アカガシかシラカシでしょうね、まだ調べてないんです。
このあたりには、ウバメガシなんぞもあるんです。成長は遅いですね。ウバメほどじゃないけど。シイは、案外成長早いんだ。
炭にすれば、違いがはっきり出ますよ。材の堅い樹は、火持ちがいい。
前までは鈴鹿のトロッコ道跡などを見ても、トロッコ線路のイメージが湧かなかったのですが、最近遊園地の線路などに乗ると、サイズ的にこのイメージなんだと納得しております。カーブの切り回しとかね。
う~ん、なんかようわからん、あっき―のトロ繋がり(^^;。
西藤原駅へ、レッツゴー!だね。
とぅーぷまーずさんのレポ見てると、隧道の写真がありましたが、あれはこの路線とは違うのですか?
計画段階の路線です。あの隧道は貫通していなくて、トロは通っていないのです。
この貫通していない隧道を初めて知ったのは、とれヲさんの画像なんです。
[attachment=1]P8271622_800.jpg[/attachment]
とぅーぷまーずさんのところから、更にその先のリンクの時の鉄路さんのHPも面白かったです。
http://homepage2.nifty.com/tkataoka/
最近はだいぶSLおたになりかけているんで。二人乗りの索道の写真も、なるほどなるほどと思ったり。
さいきんは、SLてっちゃん親子なん?
このHPが、わりばしさんが紹介してた伊勢新聞の記事を書いた人なんです。
私も緑水さん同様、なぜに車輪が一つだけ落っこちとるのか?ってのに興味と想像を掻き立てられます。不思議ですね~。
大台ケ原にも、残されてるんですよ。(大台ヶ原あたりのトロ道探索は、レポ落ちしていますが(^^; )
あぁ、大台ケ原、家族3人で入るのにええとこやないですか。周遊道からでもトロ跡やインクライン跡やら、見ようという気になれば、わかると思いますよ。
[attachment=2]P8271580_800.jpg[/attachment]
ビールのラベルはなんでしょう。鈴鹿ではヤドリギをたくさんつけたブナってあまり見かけません。イメージ横根くらいかな。ヤドリギってブナ以外でも付くのでしょうか?材が軟らかいブナは付き安い?
樫山の飯場も大台ケ原の飯場も、大日本麦酒ですね。
この樫山は、いろんな樹に付いてます。ブナに付くのが多いのですが。
ケヤキについたり、桜にもついたりしてますね。たぶん、ヤドリギが付くかつかないかは、表皮の問題じゃないだろうか?
手押しってのは、リヤカーを押したり引いたりするイメージでしょうか?それとも、梃子を使って二人でシーソーを押すような(アニメとかでよくでてくる!?)イメージなんでしょうか?
このトロ道は、降り勾配なんで後ろからロープか何かでブレーキをかけながら降ろしたんじゃないだろうか。
前にいれば、とてつもない重量で押しつぶされちゃうもんね(^^;。
昔は、地形を見てルート取りとか何処で隧道を貫いて何処で橋を架けて、尾根でヘアピンを切ってと、技術者の手腕が問われていたんだなあというのを感じます。技術者の能力がそのまんま建設費や管理費に直結してたんです。
今の時代は重機が発達してるから、何でも力任せでつまらん。
そう!昔の人はびっくりするような険路にも道を作っているよね~。
この樫山尾根、大台ケ原へ最短なん、尾鷲道よりね。だから、道があったはずなんだ。松浦武四郎翁もこの尾根を使おうとしていたし。
このHPも面白いですね。読み応えのあるレポと興味深いリンクの紹介ありがとうございました。
「大台・大峰の自然を守る会」(だったけ?)、いいでしょ。何考えてんねん!環境省!!日本山岳会!!(^^)。
zipp