【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

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sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

投稿記事 by sato »

【日 付】 2024年3月10日
【山 域】 湖北 上谷山周辺
【天 候】 曇り時々小雪舞う
【コース】 中河内⇔針川集落跡⇔・727⇔△781.2石留山⇔・1041⇔
      上谷山

 ふかふかの雪が降り積もった斜面が緩やかになると、薄墨色の空が眼前に広がり、伸びやかに枝を広げたブナの木々が顔を覗かせた。
と同時に、空と同じようなくすんだ色のこころにさぁっと光が差し込む。
一歩一歩雪を踏み締めて、大きなブナの木が立ち並ぶ麗しい台地に乗り上がると「あぁ、挫けなくてよかった」とちいさく呟いていた。

 5日の火曜日、風雪吹きすさぶ奥越の山で、今シーズン最後の新雪ラッセルを満喫したと思ったが、昨日、我が家の周りにも雪が降った。
薄っすら雪化粧をした庭を見ていると、ざわざわと落ち着かなくなった。「上谷山だ」とトクンと胸が鳴った。
ひと月前に三国岳を訪れた時、まっ白に煌めく上谷山に目が吸い込まれていきそうになった。
青空の下で気持ちよさげに歌うように延びていくやわらかな尾根を見つめながら、胸にちいさな痛みを覚えた。
その時、いつか降雪直後の日に、あの白い尾根を辿り煌めく上谷山を目指そうとこころに決めたのだった。

 そして今朝、まだ夜が明けぬ5時前に家を出て、中河内に向かったのだが、
余呉柳ケ瀬を過ぎると夜に積もった雪の除雪がまだ行われていなくて路面はツルツル状態に。
何度もタイヤが滑り、冷や冷やしながら、上谷山は今日ではなかったか、地元の山にしたらよかったか、と後悔し始めた。
しかしUターンは怖くて出来ない。手に汗を握りなんとか中河内に着き、やれやれと思ったが、
道中で湧き上がった地元の愛するお山に最後の新雪を味わいに出かけた方がよかったかな、という気持ちは拭えなかった。
 一面の銀世界と雲間から覗く青空に励まされ、スノーシューを履き、まっさらな雪が積もった車道を歩き出しても、足取りは重く、
行けども行けども針川に着かない。空はいつしか薄墨を流したような色に。
立ち止まり、針川の方に流れゆく高時川を眺め「この道は帰りの方がしんどい。まだ間に合う。戻るなら今だ」と、
引き返したい気持ちに駆られるが、「でも」と思い直し、まっ白な上谷山を思い浮かべ、前を向き歩みを進めた。
 ようやく橋が見え、ほっとして時計を見たら8時半。1時間50分も掛かっていた。
がっくりして「この調子では山頂は無理かな」と、またもや挫けそうになるが、せっかくここまで来たのだから行ける所まで行こうと
尾根に取り付いた。すると今度は、てんこ盛りの雪を纏ったユキツバキと倒木に行く手を阻まれ、
雪まみれになりながら我慢の登りがしばらく続いていたのだった。

 発芽してから何十年、それ以上の年月、同じ場所で、ままならぬ環境の中、すべてを受け入れ生き抜いてきた木々を見上げていると、
むくむくと力が湧いてきた。うじうじした気持ちは、すっかりと消えている。9時半過ぎ。
地図を広げると、登り始めてからまだ少しの距離しか進んでいないのが分かるが、「大丈夫」と思える。

 ここからは健やかなブナ林の気持ちのいい尾根が続いていく。目を見張るほどのおおきなブナも次々と現れる。
昨日は結構な雪と風だったのだろう。尾根が細くなると雪面はカーテンのようにうねり雪庇も出来ていて、わぁ、とうれしくなる。
足は少し重いけれど、気分よくラッセルを楽しんでいる。
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 息を弾ませ・1041に着くと、あっ、と言葉を失った。
今シーズンは、もう出会うことはないのだろうなと思っていた世界。広い台地の向こうには冷やかな霧氷の海が広がっていた。
2月にわたしが見た純白に煌めいていた上谷山は、気持ちよさげに歌うような牧歌的な尾根は、冷え冷えと白灰色に鈍く光っている。
 ピリッとした風が吹いてきて頬を叩き、「冬のなごりなんかではない。思う存分凍てつく世界を味わわせてあげよう」と耳元で囁き、
ぱらぱらと小雪を運んで来た。

 空はどんよりとしているけれど視界は効く。三国岳も見事な白灰色の霧氷を纏っていた。
その向こう、夜叉丸、三周ケ岳は雲に覆われていたが、一瞬、雲が流れ、凍れるお姿が浮かび上がった。
なんて気高く威厳に満ちたお姿なのだろう。背筋がぞくぞくと震える。

 手がかじかんできた。リュックから分厚い手袋を取り出し交換する。小雪がなるべく頬にあたらぬようフードを深くかぶる。
陽差しがなくて、寒くて、さみしくなるような色彩の中にいるのに、こころは熱く燃えている。
 ・1059から、うみと海、ふたつのうみを望む。太古から受け継がれてきたものと、わたしの奥底にある何かが呼応し、
意識と無意識の間が揺さぶられ、頭の中に浮かびかけた、神秘的とか幻想的とか安易な言葉が吹き飛ばされてしまう。

 うつくしく波打つ雪庇を渡り、鋼のような強靭さとうたかたのような儚さを併せ持った霧氷の木立を抜けると、
視界がぼんやりとしてきて、全ての境がおぼろげな白い世界に踏み込んでいた。傾斜がなくなり上谷山の山頂に着いたのだと分かる。
まさに白い世界。直角に曲がった江越国境稜線も滑らかな雪、広野からも今日は誰も登ってきていないようだ。
 この凍れる世界に出会えたのは、わたし、ただひとり。
感謝とよろこびに包まれる。やっぱり今日が訪れる日だったのだとしみじみと思う。
 少しでも霧が流れてくれるかな、と数分待ったが期待できない。風も冷たい。12時半を回った。
・1059まで下ってからお昼ご飯にしよう。きりりと硬い霧氷を口に含み、踵を返す。
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 霧が立ち込めてしまったが、辿って来た足跡があるので安心感がある。暫くすると白いベールから抜け出し、
風も弱まり、広々とした雪原の向こうに連なる暗灰色の山並みの先に広がるふたつのうみを再び拝み、落ち着いて休憩することが出来た。

 ブナの森では、山の語り部のようなブナの木々が、登りの時よりも、より存在感を放ちながら迎えてくれた。
尾羽梨川を挟む安蔵山谷山左千方へ至る尾根とこの尾根は、厳しい環境を乗り越えてきたうつくしくたくましいブナに出会える、
素晴らしい尾根だなぁ、とあらためて感じ入る。
 厄介だったユキツバキのヤブも、あとひと月後、薄紅色の花を咲かせようと雪の中で耐えているのだと思うと、いとおしくなる。

 木々を眺めながら歩いているうちに針川に降り立った。15時10分。日没まで充分時間があるが、ここからが長い。
山上では凍てつく寒さだったが、麓は暖かだったようで、朝、木々の枝を纏っていたまっ白な雪は消えている。
路面の雪もべちゃついている。よし、と気合を入れて、そのまま歩き続ける。
 途中でおやつを食べて半明集落跡まで戻ると、水場の点検に来たのだろうか、重機の轍が現れた。
ありがたい。1.5倍くらいの速さで歩けるようになった。
 谷間に夕方を告げる音楽が響き渡る。17時。三角屋根の建物が見えた。

 愛車に戻り、後片付けをしていると、おじさんがやって来た。
「大黒さん」に登って帰ってこないと心配してくださっていたのだと知る。上谷山に登らせていただいたことをお伝えすると、
山名をご存じないようだった。針川まで歩いて尾根に登ったと説明すると驚かれたが、「なんと、まぁ、よく登りましたねぇ」
とやさしくねぎらってくださった。ちょこっと世間話をした後、こうしてたまに来る登山者に車を置かせてくださることへのお礼を申し上げ、
おじさんの温かな笑顔に見送られながら、きれいに除雪された国道に出た。

 朝とは一転、スイスイと車を走らせ、おじさんとの会話を反芻しながら、むかしむかし高時川に沿って北国街道が通っていたが、
戦国時代にこの道と重なる椿坂を越える道が整備され、近代以降は、中河内半明と針川が、それぞれ最奥の集落となっていたこと、
針川と中河内が車道で繋がったのは針川が廃村した後だったということを思い出す。
 今日、わたしが出会った風景の数々が浮かび上がり、その風景の奥にあるものが呼びかける。
うつくしいお姿に惹かれていた上谷山が、よりおおきく深くなっているのを感じる。
あぁ、今日、ここを旅することが出来てよかったとあらためて思う。

                         *****
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 今年は、冬と春のせめぎ合いが続いている。一昨日の木曜日の朝、我が家の庭が、またうっすらと雪化粧した。
そして、昨日、また上谷山を訪れていた。今度は広野から。7年前の冬に歩いた時は、朝まで雪が降り、
歩き始めからたっぷり積もった雪だったので気が付かなかったのか、気が付いたのだけど忘れてしまったのか、
記憶に残っていなかったが、手倉尾根には堀割の道が続いていた。二重になっているところもあった。
尾根上には、こちらも見事なブナやミズナラの大木が残されている。
 昨日は、山全体が霧氷といっていいくらいに木々は白く飾られていた。
うつくしく張り出した雪庇を越え、まっさらな雪の斜面を踏み固めながら山頂に辿り着くと、
白銀色のため息の出るような素晴らしい世界が広がっていた。
 うみと海、ふたつのうみを眺めながら、上谷山は、びわ湖に注ぐ高時川源流域の村、針川や尾羽梨と、
九頭竜川と合わさり日本海に注ぐ日野川源流域の橋立、広野、岩谷の村々にとって、大切なお山だったのだと、
深い思いに包まれた。

sato
tsubo
記事: 192
登録日時: 2023年3月07日(火) 13:27
お住まい: 和歌山県

Re: 【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

投稿記事 by tsubo »

satoさん、こんにちは。

上谷山、この前横山岳から眺めましたね。
今までは名前しか知らない山でしたが、間近に眺めて親近感を持ちました。
雪を被って美しい姿でした。
satoさんは横山岳に行く前と行った後と登ったのですね。
多分、何度も登ったり、眺めたりしたお山なのでしょうね。

道路の雪が予想以上で、来たことをちょっと後悔して、でもやっぱり登ろうと決意する。気持ちの揺らぐ様子、わかります。私も全然別の状況ですが、別の山にすれば良かったかなと思いながら山に向かったことがあります。
でも、登るに連れ迷いがなくなり、やっぱりこの山に呼ばれたのだなと思える瞬間はすがすがしい晴れやかな気持ちになりますね。

誰もいないノートレースの山。ラッセルが大変でもかけがえのない山との出会いだったのではないでしょうか。
霧氷にも出会えたんですね。

歩き始めこそ迷いはあったものの、最初に上谷山だとひらめいた感覚は間違いではなかったんですね。

下山後のおじさんとの何気ない会話も山旅のアクセントになりましたね。

そしてまた訪れた上谷山、新たな発見があったんですね。
そして、山の歴史というか麓の人の生活との繋がりを思うと、山の意味が変わってきますね。

味わい深い山旅ができて良かったですね。
パソコンが壊れてしまってスマホからの返信なので、思うように書けませんが、この前眺めたばかりのお山のお話だったので、書きたいなあと思いました。

tsubo
biwaco
記事: 1423
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
お住まい: 滋賀県近江八幡市

Re: 【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

投稿記事 by biwaco »

satoさん、時季はずれ?の新雪レポ、美味しく頂きました(^_-)

上谷山か~、いいな、いいな~!
この時期、広野ダムからが定番でしょうね。針川まで雪の県道を歩いて…とは、気力も体力も脱帽です(@_@。
10日だったんですね。その週末はマズマズのお天気でしたが、私は週明けの11日に横山岳へ向かっていました。この日が一番好天で、翌火曜日は日本全国大雨でしたね。
菅並から西尾根で西峰まで登り、北西尾根から周回するつもりでした。これ、satoさんのオススメラインですよね(^_-)
でも、少し重くなってきた登りの新雪ラッセルと、午後からのベチャ雪に閉口して下り終えたときには日が暮れていました。ダメですね、ほんま情けない。
一歩一歩雪を踏み締めて、大きなブナの木が立ち並ぶ麗しい台地に乗り上がると「あぁ、挫けなくてよかった」とちいさく呟いていた。
この日の山行の「結論」的表現ですね。「小さく呟いて…」というところが安堵感と達成感、幸福感を伝えてくれます。
翌日の私は、稜線のjctピークで不安感に負けて西峰(本峰)を諦めてしまいました。まあ、結果的には、行ってたらますます下山が遅れたわけで、正解ともいえるのですが、この忸怩たる思いは引きずりそうです(ーー;)
我が家の周りにも雪が降った。
薄っすら雪化粧をした庭を見ていると、ざわざわと落ち着かなくなった。「上谷山だ」とトクンと胸が鳴った。
もう雪のシーズンは終わった…。誰もがそう思っていたでしょうね。3月に入った途端の冬のぶり返しは、せっかく諦めかけてたココロに火を付けてしまいました。いや、火じゃなくて、冷や水をぶっかけられて目が覚めたのかもしれないけど。
妄想していた笹ヶ峰方面はさすがに無理…と、横山岳にしたのですが…。
余呉柳ケ瀬を過ぎると夜に積もった雪の除雪がまだ行われていなくて路面はツルツル状態に。
何度もタイヤが滑り、冷や冷やしながら、上谷山は今日ではなかったか、地元の山にしたらよかったか、と後悔し始めた。
11日は、菅並まで道路は雪なし。1日違いでずいぶん違うんですね。
R365は椿坂トンネルでガラリと積雪量が変わりますね。
立ち止まり、針川の方に流れゆく高時川を眺め「この道は帰りの方がしんどい。まだ間に合う。戻るなら今だ」と、
引き返したい気持ちに駆られるが、「でも」と思い直し、まっ白な上谷山を思い浮かべ、前を向き歩みを進めた。
ソロではいつも自分と対話しながらです。天気が悪くなるとすぐ弱気になりますが、陽がさすとなぜか前向きになります。いわゆる「日和見」ですわ(^_-)
 ようやく橋が見え、ほっとして時計を見たら8時半。1時間50分も掛かっていた。
針川まで、中河内からと菅並からとどっちが近いやろ? 地図で道のりを測ってみました。菅並からは10㎞余り、中河内からは約7㎞。やはり中河内から入るのが正解ですね。
それでも行き帰りで4時間近くのタイムアルバイト! あの県道はいつ通れるようになるんでしょうね。
息を弾ませ・1041に着くと、あっ、と言葉を失った。
今シーズンは、もう出会うことはないのだろうなと思っていた世界。
・1059までの広い雪原は樹氷と霞む白嶺が広がる幽玄の世界ですね。
いつか尾羽梨ダムの右岸尾根から・1041経由で上谷山に行けたら…と思っています。
陽差しがなくて、寒くて、さみしくなるような色彩の中にいるのに、こころは熱く燃えている。
 ・1059から、うみと海、ふたつのうみを望む。
越前・若狭と近江の歴史と暮らし・文化を見続けてきた山々。その視線の先には、時に輝き、時には霞む日本海と琵琶湖が広がっていたでしょう。モノクロ世界に投げ出されると、文学少女の胸はそんな思いに焦がされるんでしょうね。(^_-)
むかしむかし高時川に沿って北国街道が通っていたが、戦国時代にこの道と重なる椿坂を越える道が整備され、近代以降は、中河内半明と針川が、それぞれ最奥の集落となっていたこと、針川と中河内が車道で繋がったのは針川が廃村した後だったということを思い出す。
お隣の敦賀や福井は新幹線の延伸開通でフィーバーしてますが、北陸本線沿線はなんのオコボレもないようですね。
雪深い高時川に接する山村はことごとく廃村になってしまいましたが、丹生ダムができていたとしても結果は変わらなかったと思います。
雪が融けたら柳ヶ瀬から旧北陸道の刀根に出て池河内へ行ってみようと思っています。
一昨日の木曜日の朝、我が家の庭が、またうっすらと雪化粧した。
そして、昨日、また上谷山を訪れていた。
今度は越前の広野側からですね。平日だけにトレースはなかったんでしょうか? 今年の山は今が1月みたいですね。
まだまだ山の雪は健在のようです。桜見物もいいけれど、もう少し霧氷や樹氷を楽しめそうです。
                  ~びわ爺
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

投稿記事 by sato »

tsuboさま

こんばんは。
打ちにくいスマホからコメントをありがとうございます。
パソコンが壊れてしまったのですか。修理か買い替えか、どうしようかと悩んでしまいますね。
私は買い替えたのですが、パソコン音痴(勉強嫌い?)ゆえ、1年以上経っても使い方が未だによく分らず、
何で?何で?と時々混乱しています。

そう、横山岳から一緒に上谷山を眺めましたね。
高時川源流域、豪雪地帯の奥丹生に位置する、上部は灌木とササのヤブのお山なので、白さが際立っていましたね。
横山岳では、私のこころを惹きつけてやまない山やまを、tsuboさんと眺めることが出来てうれしかったです。

私の車は軽自動車で車高が低く、雪が積もった道で前進出来なくなり、スコップで雪を掻き分け何とか脱出した経験が何回かあります。
ツルツルの路面の坂道の途中で止まってしまい、お湯を沸かし氷にかけてピッケルで砕いて脱出したことも。
「止まれ」を止まれなかったり、スリップしてガードレールにぶつかったことも(幸い無傷でした)あります。
ひとりで積雪した道を走っていると、いろいろ思い出したり、あれこれ想像したりして、不安になります。

歩き始め、何となく気分が乗らない時、別の山にしたらよかったかな、と思うことはありますよね。
でも、私も登るに連れ、迷いがなくなってきて、一期一会の出会いを楽しんでいます。
雪山は、ほんとうにその日その日によって、同じ日でも光の増減によって風景が劇的に変わるので、
今、ここを訪れて出会えることが出来た風景、湧き上がった感情というものをしみじみと感じます。
お山では、こころ通じ合う仲間と感動を分かち合えるのも素晴らしいですし、ひとりで自分の内面と向き合う時間も好きです。

戻った中河内でのおじさんとの出会いによって、この日の雪山旅はより深いものになりました。
私は、あるお山に登ったり、ある所に出かけたりして、あっと思う風景を出会うと、
日常に戻ってもしばらく頭から離れず、そのお山を、その場所を、もっと知りたい、もっと感じたい、と思ってしまいます。
山は、様々な風景を感じさせてくれ、思考が広がっていきます。山と人との歴史、文化、繋がりなどに思いを巡らすのが好きです。

今日は、春の嵐。この雨で比良の雪は消えてしまうかな。
そろそろ春のお花探しに出かけたくなりました。

sato
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

投稿記事 by sato »

びわ爺さま

こんばんは。最近、火曜日は荒天の日が多いです。昨日も春の嵐でしたね。
そう、私が上谷山を訪れた次の日の月曜日、横山岳に登られたのですね。
雪の横山岳は、杉野、金居原、菅並、廃村土倉から訪れていますが、それぞれ味わい深い尾根だなぁと思います。
菅並からの周回コースも、うつくしいブナ林やケヤキの巨木に出会える素敵なコースですね。
雪が締まっていても歩きごたえのあるコースなのに、おひとりでラッセルしながら登り日没後までかかり周回されたとは。
びわ爺さんの行動の原動力はどこから来るのでしょうか。
「忸怩たる思い」と書かれていますが、そのお言葉の中に、たくさんの思いが交錯しているのを感じます。
そして、私自身の山登りも振り返り、山を登る時は、今の自分の状況を把握し、下りのことを頭に入れておかなければならないと思いました。
道中何があるか分かりませんし、周回を予定している時は、その尾根がどういう状態なのかも分かりません。
偉そうなことを言える立場ではないのですが(冷や汗)。

この冬は暖冬と言われていて、1月2月と予報通り雪が少なかったのに、3月に入り、毎週まとまった雪が降りましたね。
10日の日曜日は、木ノ本を過ぎてから雪が増え始めました。帰りは、きれいに除雪されていて、朝の積雪がうそのようでした。

中河内から針川までは、7キロもあるのですね。6キロくらいかなぁと思っていました。
くねくね曲がる林道の距離感を掴むのは難しいです。7キロの雪道で1時間50分だったら頑張りましたね(笑)。
重い足を上げて頑張って歩いているのに、まだ着かないまだ着かないと思っていました。

尾羽梨川右岸尾根は、・1041から・1069あたりの緩やかに広がる地形が気になりますよね。
灌木が出た雪原なので、伐採跡地なのでしょうね。ヤブの台地は、雪で覆われると妙なる地形を味わえますね。
晴れていたら、わぁなんて素敵なのだろう、と牧歌的な風景に夢見心地になっていたのだろうなぁ、と。
曇天の雪山は、しんみりとこころの奥底に触れてくるものを感じます。ふっと思考の世界を旅していたり。

高時川源流域の奥丹生谷と呼ばれる豪雪地帯に存在した、小原、田戸、奥川並、鷲見、尾羽梨、針川、半明の7つの村は、
江戸時代には、炭焼きや鉄の産出で栄えていたそうです。
奥川並、針川、尾羽梨は、1969~71年にかけて、大雪や製炭業の衰退による経済的理由で住民が去り廃村、
小原、田戸、鷲見、半明は、1995年に丹生ダム建設計画による立ち退きで廃村となりましたが、
ダム計画がなかったとしても、時代の流れの中で廃村となっていたのだろうな、と思います。
1935年の大雪の年は、奥川並で10m、1981年の年の五六豪雪では、鷲見で6・5mもの雪が積もったそうです。
そう、3月16日、北陸新幹線が敦賀まで開業しましたね。近くのスーパーにも開業祝いのコーナーができています。
でも北陸本線は廃業となり第三セクター鉄道に。いろいろな問題を抱えていくのでしょうね。

新緑の池河内も素敵ですね。柳ケ瀬から刀根へは車道が通っていますが、△439.2柳ケ瀬山南西の鞍部が刀根越えですね。
刀根越道は、古くから東近江路と西近江路を結ぶ間道として利用されていたそうです。

22日は、越前側を歩きました。曇りのち晴れの予報でしたが、歩き始めからしばらくは雪が降っていました。
雪質もよく、午後には晴れるだろうと、のんびりラッセルしていました。
お昼頃から晴れ間が広がってきて、下りでは青い空とまっ白な霧氷を見上げては、うっとりとため息をつき、
まったりコーヒータイムを楽しんだりして夕方まで遊んでいました。
この日も上谷山を訪れたのは私ひとりきり。白い世界を味わい尽くしました。

びわ爺さんは、まだ雪の山をお考えなのですね。私もあともう少し遊ばせていただきたいなぁ、と思っています。
お互い、安全第一を忘れずに楽しみましょうね。

sato
アバター
山日和
記事: 3585
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

投稿記事 by 山日和 »

satoさん、こんばんは。亀レス失礼。

 そして今朝、まだ夜が明けぬ5時前に家を出て、中河内に向かったのだが、
余呉柳ケ瀬を過ぎると夜に積もった雪の除雪がまだ行われていなくて路面はツルツル状態に。
何度もタイヤが滑り、冷や冷やしながら、上谷山は今日ではなかったか、地元の山にしたらよかったか、と後悔し始めた。
しかしUターンは怖くて出来ない。手に汗を握りなんとか中河内に着き、やれやれと思ったが、

そんな状態で、よく中河内まで行きましたね。あっ、戻りたくても戻れなかったのか。

 一面の銀世界と雲間から覗く青空に励まされ、スノーシューを履き、まっさらな雪が積もった車道を歩き出しても、足取りは重く、行けども行けども針川に着かない。空はいつしか薄墨を流したような色に。
立ち止まり、針川の方に流れゆく高時川を眺め「この道は帰りの方がしんどい。まだ間に合う。戻るなら今だ」と、
引き返したい気持ちに駆られるが、「でも」と思い直し、まっ白な上谷山を思い浮かべ、前を向き歩みを進めた。
 ようやく橋が見え、ほっとして時計を見たら8時半。1時間50分も掛かっていた。

しかし針川まで2時間近くかかる状況で上谷山を目指すとは驚きです。
私なら大音波橋であきらめて、下谷山に予定変更ですね。

 発芽してから何十年、それ以上の年月、同じ場所で、ままならぬ環境の中、すべてを受け入れ生き抜いてきた木々を見上げていると、むくむくと力が湧いてきた。うじうじした気持ちは、すっかりと消えている。9時半過ぎ。
地図を広げると、登り始めてからまだ少しの距離しか進んでいないのが分かるが、「大丈夫」と思える。


ここで「むくむくと」力が湧いてくるのが凄いです。「大丈夫」と思えるのもさらに凄い。

 ここからは健やかなブナ林の気持ちのいい尾根が続いていく。目を見張るほどのおおきなブナも次々と現れる。

そう、この尾根のブナ林は素晴らしいんですよ。4mクラスの巨樹もあります。

 息を弾ませ・1041に着くと、あっ、と言葉を失った。
今シーズンは、もう出会うことはないのだろうなと思っていた世界。広い台地の向こうには冷やかな霧氷の海が広がっていた。


今年は霧氷に恵まれてますね。私と歩く時はほとんど見たことないのに。

 ピリッとした風が吹いてきて頬を叩き、「冬のなごりなんかではない。思う存分凍てつく世界を味わわせてあげよう」と耳元で囁き、ぱらぱらと小雪を運んで来た。

恐いささやきですねえ。 :mrgreen:

うつくしく波打つ雪庇を渡り、鋼のような強靭さとうたかたのような儚さを併せ持った霧氷の木立を抜けると、視界がぼんやりとしてきて、全ての境がおぼろげな白い世界に踏み込んでいた。傾斜がなくなり上谷山の山頂に着いたのだと分かる。

ついに山頂まで来ちゃいましたね。ひとりでオールラッセル。凄いとしか言いようがないです。

まさに白い世界。直角に曲がった江越国境稜線も滑らかな雪、広野からも今日は誰も登ってきていないようだ。
 この凍れる世界に出会えたのは、わたし、ただひとり。


平日のこんな日に登る人はおらんでしょう。 :lol:

 霧が立ち込めてしまったが、辿って来た足跡があるので安心感がある。暫くすると白いベールから抜け出し、風も弱まり、広々とした雪原の向こうに連なる暗灰色の山並みの先に広がるふたつのうみを再び拝み、落ち着いて休憩することが出来た。

こういう時は往復コースが気楽でいいですね。でも林道の帰りを考えたら気が重いか。

 木々を眺めながら歩いているうちに針川に降り立った。15時10分。日没まで充分時間があるが、ここからが長い。

うんざりしますよね。私は大音波橋の手前から歩いたことあるけど、それでも長かったです。

 途中でおやつを食べて半明集落跡まで戻ると、水場の点検に来たのだろうか、重機の轍が現れた。
ありがたい。1.5倍くらいの速さで歩けるようになった。


これはラッキーでしたね。重機の轍なら広いしスノーシュー要らずですね。

 愛車に戻り、後片付けをしていると、おじさんがやって来た。
「大黒さん」に登って帰ってこないと心配してくださっていたのだと知る。上谷山に登らせていただいたことをお伝えすると、
山名をご存じないようだった。針川まで歩いて尾根に登ったと説明すると驚かれたが、「なんと、まぁ、よく登りましたねぇ」とやさしくねぎらってくださった。


そりゃ驚くでしょう。私もびっくりです。 :mrgreen:
お疲れさまでした。

                       山日和
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【江越国境】近江と越前の村から新雪の上谷山を旅して

投稿記事 by sato »

山日和さま

こんにちは。
気が付けば、4月も7日。桜の季節ですね。我が家の裏の桜並木も淡いピンク色に染まっています。
そう、2日の火曜日にお客様と岩籠山に登ったのですが、インディアン平原から眺めた江越、越美国境稜線の山々は、
すっかりと雪が融けていてびっくりしました。10日前はまっ白だったのに。春の勢いに目を見張るばかりです。
窓から桜を眺めながら自分の書いた文章を読み返していると、ほんとうに旅してきたのか・・・夢のように感じます。
雪は風景に、私たちに、魔法をかけますね。

豪雪地の中河内ですが、栃ノ木峠に余呉高原スキー場があるので、道路はしっかりと除雪されるので大丈夫と思っていましたが、
6時前でしたのでまだ除雪車が来ていませんでした。車高の低い軽自動車ゆえ積雪した道は緊張します。

中河内から雪道と分かっていたのですが、やっぱり長かったです。雪質がよかったのが幸いでした。
標高317mの針川集落跡からラッセルしながら1時間強で、・727のブナの台地に登れましたので、
1196.7mの上谷山山頂まで標高差470m、距離はあるけれど、ここから3時間かからずに行けると思いました。

そう、この尾根は何本ものブナの巨樹に出会えますね。・1041から・1059周辺の大雪原は、
ヤブが隠れている時期に中河内から歩いてこそ出会える情景です。
曇天に浮かぶ霧氷に飾られた雪原は、こころ震えるふかいふかい世界でした。
山頂は霧で何も見えませんでしたが、この凍れる世界に出会えたのは、わたしただひとり、としあわせな気持ちでした。
青空で雪が締まった日でしたら、下谷山へと進んで行ったかもしれませんが、こういう状況の時は往復ですね。
自分の足跡があると安心感がありますが、風で足跡が消えてしまっている箇所もありました。
少し下ると視界が効くようになりホッとしました。
帰りの林道歩きも2時間を覚悟していたのですが、半明集落跡から重機の轍があり助かりました。
ツボ足でスイスイと歩けました。

以前、山の帰りに中河内でお話した方も、上谷山はご存知ありませんでした。
高時川源流域の奥丹生谷と呼ばれる村に、最源流域の中河内と枝村の半明は入っていません。
半明と針川の間に車道が開通したのは針川の人々が離村した後。
住民の方の何気ない言葉からも、その土地の歴史、暮らしを感じます。
訪れた山で、その土地に暮らす方々とお話出来ると山旅がよりゆたかになるのを感じます。
昨日も、うれしく楽しい出会いがありましたね。

春うららの今、夢のような凍れる白灰色の山旅へのコメントをありがとうございました。

sato
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