【高見山地】真福院より大洞山・尼ヶ岳

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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【高見山地】真福院より大洞山・尼ヶ岳

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2023年12月9日(土)
【山 域】高見山地
【コース】真福院駐車場7:45---8:45大洞山---10:15尼ヶ岳---12:45真福院駐車場
【メンバー】単独

 北畠氏の多気御所の奈良・吉野・伊賀方面の守りであった三多気に向かう。三多気は本来「御嶽」という修験集落だった。北畠氏の祈願所であった真福院を中心にして集落が出来ている。


真福院参道
真福院参道

 真福院の参道に入ると梵字が刻まれた種子碑が並んでいる。大日如来を表したものがいくつかあり、阿弥陀三尊や地蔵三尊を表したものもある。すべて大洞石の自然石に刻まれた鎌倉時代中期のものだ。750年前の碑だが、刻まれた字は今でも読めるし蓮華座の線刻もはっきりわかるのには驚いた。地元の大洞石は丈夫なんだと改めて感じた。山門への石段の途中には杉の大木が両側からとうせんぼしており、この間を通って進んでいく。この左には樹齢1000年以上と言われている大ケヤキが鎮座している。山門を過ぎ上って行くと蔵王堂で蔵王権現が祀られている。大日如来も蔵王権現も修験道を代表する神仏だ。蔵王堂の入口には6つもの小型の鳥居が立てかけてあった。神仏習合の時代が長かっただけに当然かとも思うが、どういう意味なんだろう。

大日如来の種子碑
大日如来の種子碑

 大洞山に登って行くが、東海自然歩道になっていて、違和感ありありの山歩きだ。急な上りでは石段が限りなく続いている。大洞石がたくさん現地調達できるので、わかるのだが、山になじんでいない。先週登った倶留尊山と高槻山が目の前に広がりだすと頂上は近い。大洞山の雌岳に着くが、期待していた石仏は無い。雄岳からは尼ヶ岳が眼下に見え、富士講の石碑が富士山に向けて立てかけてあった。江戸時代に「江戸八百八講」と呼ばれた富士講の教祖的存在の食行身禄は、美杉で生まれており、その影響なのだろう。

富士講石碑
富士講石碑

 四の峰・三の峰を経て尾根を下り、林道沿いに進むと倉骨峠だ。映画「ウッジョブ神去なあなあ日常」のクライマックスシーンに大木で滑り下りた場所だ。よく踏まれた植林の道を歩き、二の峰・一の峰を経てオオタワで休憩。〇の峰という数唱の付いた山名は三峰山にもあり修験道の行場で使われる名前のようだ。オオタワは八知と下太郎生を結ぶ峠で鞍部になっている。飯高でも鞍部のことをタウと呼んでいるので、昔はこう呼んでいたのかもしれない。台高付近では、辻(交差点)嵓(岩場)など昔の言葉が残り今も使われている。オオタワには四角に囲まれた石垣が2つ残されており、石仏が昔は祀ってあったようだ。

 伊賀側に大きく開けて見通しのよい尼ヶ岳に到着。上野盆地が正面に見え反対側には度会の風力発電の鉄塔が数多く見えた。通称で伊賀富士と呼ばれる山頂には石仏が上野盆地を向いて立っている。髪を結う宝冠のようなものがあるので大日如来だろう。

大日如来の石仏
大日如来の石仏

 不釣り合いな階段を下りていくと東海自然歩道に合流しトラバース道で来た道をもどる。倉骨峠からは東海自然歩道になっている石畳道を進む。苔むした大洞石の石畳が敷き詰められた水平道で、これまでのような違和感を感じない。山になじんでいるのだ。不思議に思いながら歩いていくと、道の上に石積みが見える。念のために確かめに行くと炭焼窯跡だった石畳道の先にも窯跡が出てくる。どうやら炭焼窯をつなぐ杣道を使って石畳道は作られたようだ。どうりで山になじんでいるはずだ。

石畳道
石畳道

 真福院に向けて植林地を下っていくと大規模な石積みが続いている。何か建物でも立っていたようだ。この谷を下ると真福院につながるので宿坊でもあったのかもしれない。駐車地の先から三多気の桜並木が続いている。1.5kmに及ぶ並木は真福院の参道で修験集落の規模の大きさがわかる。
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【高見山地】霧山城と飼坂峠・比津峠

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2023年12月17日(日)
【山 域】高見山地
【コース】美杉ふるさと資料館駐車場7:30---9:25霧山城跡---10:30美杉ふるさと資料館駐車場
【メンバー】単独

 北畠氏の多気御所周辺の探索に出かけることにした。草川さんが飼坂峠から霧山城跡をへて北畠神社に最近行かれたようで、気になっていたコースなので今日は後追いをすることにした。美杉ふるさと資料館に駐車し、伊勢本街道を進み、「すぐいせみち」と刻まれた自然石の道標で道は曲がり峠への緩い上り坂にかわる。「すぐ」というのは「真っすぐに行くと伊勢路」という意味で「近い」という意味ではない。道筋には大きな蔵を持つ旧家が並んでおり伊勢参りでにぎわった当時をしのばせる。江戸時代には夜ごと伊勢音頭の唄声が途切れることはなかったと言われるように、きぬかけ地蔵は「夜な夜な赤手拭いをかぶって踊る」という伝承が残っている。


道標
道標

飼坂峠への道
飼坂峠への道

 街を離れ道は植林の伐採されたススキの中を進んでいく。道が曲がりくねると飼坂峠で、江戸時代には茶屋が、南北朝時代には飼坂番屋が置かれ関所の役割をはたしていた。霧山城に向かうには尾根を上って行くのだが、腰切地蔵と首切地蔵が気になり峠を下り見に行くことにした。峠までは荒れた伐採地だったが、こちらは昔の道がそのまま残っており歩きやすい。石垣で道をかため無理なく九十九折で下ろしてくれる。炭窯跡も出てきた。すぐに首が無い地蔵があらわれたので首切地蔵だと思ったが腰切地蔵だった。よく見ると下部で石が横に割れている。名前がつけられた後に首も落ちたようだ。飼坂トンネル出口を横切るとすぐに首無地蔵で素朴な感じの地蔵の首の部分が横に割れている。2つの地蔵ともに峠越えの際に山賊等の犠牲になった人たちの成仏を願い供養のために建立された。

首切地蔵
首切地蔵

 飼坂峠に戻りP610に向けて上っていくとNHKの電波塔に出て、しばらくすると胎蔵山に着いた。踏み跡は西に向かって続いているが、霧山城は北だ。急な感じだが、その先の痩せ尾根には道がありそうだ。下ると踏み跡が続いていた。痩せ尾根が続き展望が開けると南曲輪で鐘突堂があった所だ北側には本丸のあった北曲輪群が見えている。上り返すと矢倉跡・本丸跡・米倉跡の3つに分かれており、先週登った大洞山と尼ヶ岳が正面に見えて展望は抜群だ。脇伊勢街道の比津峠までの距離感が知りたくて峠に下る。思った以上に近い。ここにも番所が置かれていた。これまで霧山城は孤高の城かと思っていたが、とんでもなかった。尾根筋を南に下れば伊勢本街道の飼坂番所、北に下ればすぐに脇伊勢街道の比津番所と交易の拠点に置かれていた。それは、吉野の南朝と当時南朝方だった伊勢神宮を結ぶ交易上の重要拠点としての意味から奥深い山里に城下を構えた考えとも一致する。

霧山城
霧山城

 霧山城に上り返し、山道を下り多気の裏山にあった詰城跡からは多気城下が見渡せる。当時は3500の戸数があり人口も1万人を越えていたと言われている。すぐに北畠神社の赤い本殿が見えてきて、正面には修験のシンボル天狗の面がかかげられていた。北畠神社は北畠氏が建てた神社で、多気城下を守るように周囲を囲む8つの山の峠に番所が置かれていた。

北畠神社
北畠神社

 番所の中でも一志米を吉野に運んだ重要な番所が2つあるので車で向かった。まずは白口番所のあった白口峠で、多気のはずれの白口集落から林道が続いている。道が荒れてきたので、車を置き歩く。緩やかな谷筋を難なく登って行く道で大量の物資を運ぶのには十分な地形だ。ここは明和9年に本居宣長が通った道で、飯福田の貝坂峠の本居宣長が歩いた道の続きになる。宣長は白口峠から多気に入り伊勢本街道に合流した。峠には番所跡を示すプレートがあった。

 続いて丹生俣林道に進む。この先は荒滝不動から庄司峠を歩いた時の美杉側になる。峠には庄司番所が置かれていた。林道を走れる所まで進むと庄司峠が見える。ここも八手俣川沿いの緩やかな上り道で物資の輸送には適している。しかも谷筋には当時松月院という大寺があり防衛の拠点として使われたのだろう。
グー(伊勢山上住人)
記事: 2227
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【高見山地】真福院より大洞山・尼ヶ岳

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

高見山の右遠くに倶留尊・尼ヶ岳・大洞山
高見山の右遠くに倶留尊・尼ヶ岳・大洞山


わりばしさん、こんばんは。

【高見山地】日神不動院より倶留尊山・高槻山
【高見山地】真福院より大洞山・尼ヶ岳
【高見山地】霧山城と飼坂峠・比津峠


やってますね選択と集中。
情報の収集にかなりの時間を費やしたのではないですか?
やらされたのではなく、好きでやっているのだから苦痛ではないですね。

日神不動院より西浦峠、倶留尊をピストンし、高槻山・ガンジ山を周回するコースをたどった。

日神渓谷は行ったことがあります。
池の平から西浦峠・三ツ岩・倶留尊・亀山峠と歩いたこともあります。
しかし高槻山・ガンジ山は? ドコなんだろう?

入口には種子碑が2基ある。種子とは仏・菩薩を一字で表した梵字(サンスクリット語)のこと

読んでも全く「?」です。検索しました。読みは「しゅじ」
「種子とは、仏や菩薩の像を表す代わりに、それを標示した梵字のことで、その恩恵や功徳が限りなく生じることを草木の種子にたとえていったことによります。」なんだって。
わりばしさんのレポは読むだけでも苦労します。

「キリーク(阿弥陀如来)」「タラーク(宝生如来)」「アク(不空成就如来)」「バーン(大日如来)」

知ったところで右から左。豚に真珠。頭の隅にも残らないだろうなぁ。

西浦峠より倶留尊山に向かう。

紅葉の頃だけ料金が要るのでしたっけ?

 P946に向けて上り返す。植林の山頂なのだが、高槻山というプレートがかかっている。

なるほど。そちらでしたか。

大洞山 雌岳 雄岳 倉骨峠 尼ヶ岳 石畳道 

ここは何回か歩いています。

飼坂峠 霧山城跡 北畠神社 伊勢本街道 飼坂峠 比津峠 

グーはまだ歩いたことがありません。
一度は歩いておかなくてはと思ってはいるのですが・・・

これまで霧山城は孤高の城かと思っていたが、とんでもなかった。
伊勢本街道の飼坂番所、脇伊勢街道の比津番所と交易の拠点に置かれていた。


私も名前からして「深山幽谷の城」のイメージでいましたが違うのですね。

続いて丹生俣林道に進む。この先は荒滝不動から庄司峠を歩いた時の美杉側になる。

「丹生俣林道」って「国道422号線」ですよね。将来トンネルを掘って繋がるのだろうか?

マニアックな峠探索はまだまだ続くのでしょうね。がんばってください。


              グー(伊勢山上住人)
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わりばし
記事: 1767
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【高見山地】真福院より大洞山・尼ヶ岳

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、グーさん。

【高見山地】日神不動院より倶留尊山・高槻山
【高見山地】真福院より大洞山・尼ヶ岳
【高見山地】霧山城と飼坂峠・比津峠


やってますね選択と集中。
情報の収集にかなりの時間を費やしたのではないですか?
やらされたのではなく、好きでやっているのだから苦痛ではないですね。


山域も含めて道がどうつながるのかなどチンプンカンプンでした。
なんとかわかりやすい形にしてまとめたいと思っています。


入口には種子碑が2基ある。種子とは仏・菩薩を一字で表した梵字(サンスクリット語)のこと

読んでも全く「?」です。検索しました。読みは「しゅじ」
「種子とは、仏や菩薩の像を表す代わりに、それを標示した梵字のことで、その恩恵や功徳が限りなく生じることを草木の種子にたとえていったことによります。」なんだって。
わりばしさんのレポは読むだけでも苦労します。


美杉には多いです。
鎌倉時代のもののようです。
まあ漢字にも心が宿るのと同じ理屈ですね。
昔は書くこと自体が特別な行為だったのでしょう。


PC020085.JPG

「キリーク(阿弥陀如来)」「タラーク(宝生如来)」「アク(不空成就如来)」「バーン(大日如来)」

知ったところで右から左。豚に真珠。頭の隅にも残らないだろうなぁ。

村社であった国津神社に阿弥陀三尊の種子碑や
釈迦の骨を納めた象徴の十三重塔を合祀するなんて。
明治政府の神仏分離にケンカを売っていているようで当時の人々の気位を感じます。

PC020079.JPG

西浦峠より倶留尊山に向かう。

紅葉の頃だけ料金が要るのでしたっけ?

料金ゲートと料金表はありました。
日帰りの山にお金は持って行かないので、徴収人がいたらどうしようかと思ってました。


 P946に向けて上り返す。植林の山頂なのだが、高槻山というプレートがかかっている。

なるほど。そちらでしたか。

このコースは楽しかったです。
昔人の息吹にふれたようです。


飼坂峠 霧山城跡 北畠神社 伊勢本街道 飼坂峠 比津峠 

グーはまだ歩いたことがありません。
一度は歩いておかなくてはと思ってはいるのですが・・・

距離は短いですがいい所です。
伊勢参りの喧騒が聞こえてきそうです。


これまで霧山城は孤高の城かと思っていたが、とんでもなかった。
伊勢本街道の飼坂番所、脇伊勢街道の比津番所と交易の拠点に置かれていた。


私も名前からして「深山幽谷の城」のイメージでいましたが違うのですね。

そうなんですよ。
歩いてみるとよくわかります。
霧山城と比津峠まで30分かからないですからね。


続いて丹生俣林道に進む。この先は荒滝不動から庄司峠を歩いた時の美杉側になる。

「丹生俣林道」って「国道422号線」ですよね。将来トンネルを掘って繋がるのだろうか?

マニアックな峠探索はまだまだ続くのでしょうね。がんばってください。


美杉のまわりにはつながっていない県道や国道がありますね。
道をつけるのが難しいわけじゃないと思うのですが、どうしてかな?

ありがとうございます。





           
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