【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

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sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by sato »

【日 付】 2023年8月23日(男体山) 24,25日(錫ケ岳日光白根山)
【山 域】 奥日光
【天 気】 23日 雨一時土砂降り 24日 曇りと霧 25日 晴れのち曇り
【メンバー】夫、sato
【コース】 23日 二荒山神社⇔男体山
      24日 菅沼登山口~五色沼~五色沼避難小屋~P2410白根隠山~P2394白桧岳~P2296~
            △2388.2錫ケ岳~白桧岳~窪地~五色沼避難小屋
      25日 五色沼避難小屋~日光白根山~七色平分岐~血ノ池地獄~座禅山~
          五色沼避難小屋~前白根山~五色山~金精山~金精峠~菅沼


 「まだ、8時過ぎ。今日のうちに錫ケ岳に行ってしまおう。曇りだけど雨は大丈夫だろう。明日の天気もどうなるか分からないし」
五色沼で時計を見た夫が、昨朝に続きいきなり予定変更を言い出した。
 昨晩、明日は10月下旬に予定している夫の仕事の下見を兼ねて、避難小屋に泊まりの荷物を置いてから、
ゆっくり白根山周辺を巡ろうと話していたのに。仰ぎ見た白根山は半分雲に隠れている。稜線を歩いても何も見えないだろう。
それより、避難小屋に着いて荷物を整理したりしていたら出発は9時になる。
この時間から登山道のない稜線を辿り錫ケ岳を往復出来るだろうか。地図で距離とアップダウンを見ている限りでは可能だ。
でも、ササヤブの状態が分からない。どうしようかと思ったが、
前夜の予報では晴れだったのに朝起きたら本降りの雨で予定変更となった昨日のことがある。
雨の中、ヤブこぎはしたくないし、本降りになったら中止だ。
「うん、そうしよう」と相槌を打っていた。
 
 軽荷になって避難小屋を出た時には、やっぱり9時になっていた。歩き出す前に「タイムリミットは13時」と決める。
錫ケ岳まで辿り着けるかどうか分からない。でも、今年訪れるとは考えもしなかった白錫尾根にこれから向かうのだ。
高揚感ともうれしさとも、そうと言えばそうなのかもしれないけれど、また少し違うような不思議な感覚に包まれる。

 白錫尾根という名は、今年のお正月に帰省した時、母から聞いて初めて知った。
母の日課である朝のウォーキングに一緒に出かけ、帰ってきて朝ごはんを食べていた時だった。不意に「実はね」と話しを始めた。
65歳の時に日光白根山から続く白錫尾根を歩き、次の年には谷川岳から平標山の主脈稜線を歩いたという。
「お父さんも知らない秘密のちいさな冒険。素晴らしかったわぁ」と母は、いたずらっ子のように笑っていた。
「白錫尾根ってどこ?」と聞くと、黄ばんだ地形図を持ってきて、ここよ、と前白根山から南西に延びる稜線を人差し指で辿り教えてくれた。
60代の頃、日光連山や谷川連峰の山に足繫く通っていたという。
日光の山はお気に入りのようで、82歳になった今も、ひとりでぷらりと出かけている。
 その時は「そうなんだぁ」とさり気なく答えただけだったが、「しろすずおね」という秋の夜長に鳴く虫の澄んだ声のような響きと
「ちいさな冒険」という胸がきゅっとなる言葉は、わたしの中に、そよ風となって棲みついた。
そして、ふっとした時、さわさわと歌いながらこころを揺らしていた。

 しっとりとしたダケカンバの森を抜けて踏み込んだ前白根山と錫ケ岳を結ぶ白錫尾根は、すっぽり霧に覆われていた。
思った通り、右も左も前も後ろも数十メートル先は霞んでよく見えない。
何かが見えていて、でも肝心な何かが見えないわたしのこころのように。
10日ほど前、急遽日光白根山に一緒に行くことに決まり「じゃあ、白錫尾根も歩きたい」というわたしの言葉に、
ここかぁと清々しい好奇心を持ってくれた夫は、晴れでも霧でも関係ないとばかりに軽快に南へと進んで行った。

 白根隠山までは、霧の中でも浮かび上がる明瞭な道が続いていた。
晴れていたら素晴らしい眺望にうっとりしながら歩いていただろう。でも、わたしも歩いているうちに、
霧でもいい、いや、霧でよかったのだ、と、思い直していた。五色沼から白根山を仰ぎ見た時は、あぁ残念と思ったのに。
 白根隠山からズルズルと滑るガレ場を下っている時、その気持ちは確かなものとなった。
「お母さん、滑らなかった?」思わず霧に聞いていた。昨日も雨の男体山を歩きながら、何度も霧に聞いていた。
霧の中に母の姿を描いていた。そう、わたしは、母の歩く姿、母のこころを感じたかったのだ。

 ガレ場を下ると、膝丈くらいの一面のササになった。
山腹に細い踏み跡が続いているので調子よく歩みを進めていったが、そのうちに不明瞭となり尾根に乗る。
白桧岳から先はさらに踏み跡は心細くなり、露で濡れたズボンで足が冷たくなったのでカッパを履く。
ササの丈も太ももくらいになってきて足元がよく見えず、前を歩く夫は、倒木を踏んではつるりと転ぶ。
母が、わたしが転ばぬよう教えてくれているように見え「ありがとう」と夫の背中にお礼をいう。

 ・2296ピークが近くなると、ササの海からシラビソの森へと風景が移り変わった。
霧にけぶる幻想的な深い森の中を、どこか遠くで聞こえる物語を探す旅人のような気分で進んで行く。
ところどころ赤いペンキが剥げかかった年季を感じるブリキの目印が木に打ち付けられていて、
母が追ったであろう目印をわたしたちも追って行く。
IMG_20230919_193439_(1000_x_563_ピクセル).jpg
 ・2170鞍部から2220mのちいさなコブをふたつ越える辺りからふたたびササの海へ。
いよいよ錫ケ岳が目の前に、と思った時、ちいさな池が現れた。こんなところに池が、と驚く。
緑の中に腰まで埋まりながら最後の登りにかかり、振り返ると緩やかにうねる広い鞍部には、3つの池が並んでいた。
空は厚い雲で覆われているが、霧がすうっと流れ、青い森の中に満々と薄藍色の水を湛えた中禅寺湖もお姿を現した。
なんて不思議で麗しい自然の造形なのだろう。胸が震える。

 押し寄せる感動の波に背中を押され辿り着いた錫ケ岳山頂は、一見山頂とは思えないような、
シラビソに囲まれた静かな静かな地だった。数本の木に看板がかけられていて、あぁ、着いたのだ、と実感がわく。
と同時に、ぼこぼこになったブリキの看板に眼が吸い込まれていった。そこには白根山から銀山平への道のりが刻まれていた。
水場も記されている。足元から先は、一昨日予定していた皇海山、いつかと夢見ている袈裟丸山へと一本の線で繋がっていて、
このはるかなる道なき稜線に分け入った人たち、分け入って行く人たちがいるのだ。 
 「錫、宿堂、三俣、スカイ、鋸・・」カクカクした文字をひとつずつ読み上げながら
「もし、若かったら。もし、関東に暮らしていたら」と想像してしまう。そして、思う。
母も、緑あふれるササの海と静寂のシラビソの森を渡り、憧れの山頂に辿り着いた時、深い感慨に包まれながらも、
この看板を見つめ、もう一人の自分を夢見ていたのでは。いや、あらたな希望の光を感じていたのだろうと。

 「13時まであと45分。せっかく来たのだからゆっくりしよう」
わたしの気持ちを察してか、夫は、どかっと木のたもとに腰をおろした。並んで座りパンをほおばる。
頭の中を、いたずらっ子のように笑った後、しんみりと「忘れられない想い出」と呟いた母の声がこだまする。
「お母さんの忘れられない想い出のお山に行ってきたよ。65歳の時、こんな山深いところを分け入っていったのね。
すごいね。ほんとうに冒険を感じる素晴らしい尾根だね。教えてくれてありがとう」
 家に帰ったらわたしは母に報告するのだろうか。ふっと何ともいえないせつなさが湧いてきて、あわててパンを飲み込む。

 食後、うろうろ歩き回っていた夫が、国土地理院の三角点を確認したと言いながら戻って来た。
切り開きされたところに置かれていたのは御料局の三角点だった。錫ケ岳一帯は御料林だったのだ。

 13時。帰りも行きと同じくらいの時間が必要だろう。標高も錫ケ岳より少しだけど白桧岳の方が高い。
ふたつの三角点にご挨拶をして下山にかかる。稜線を纏っていた霧が少し流れ、明るさが増してきた。
気分は上々。ガサガサとササの海を渡って行く。・2170鞍部で「錫の水場」と呼ばれる谷の源頭に寄る。
丸二日分の水を担ぎ上げてきたけれど、やっぱり錫の水を味わいたい。
母の想い出の山から生まれた水が、わたしのからだに浸みこみ、わたしとなるのだ。

 迷子になりそうな深い森の・2296を越え、立ち枯れの木の間を縫いながら白桧岳へと登って行く。
白根山、錫ケ岳は半分雲に覆われているが、視界は開けてきた。
 見下ろした西側の緑の森の中には三角形の砂礫の窪地が描かれている。火山活動によって出来た不思議な造形。
山と高原地図では池になっているが水は湛えていない。
 白根山周辺の地図を見た時、たおやかだったり険しかったり、大地の物語を感じる不思議で複雑な地形に目が引きこまれていった。
その中で、白錫尾根を歩く時、是非確認したい窪地があった。
この三角の窪地と、白根山と白根隠山に挟まれた横長の蝶々のような形の大きな窪地だ。

 白桧岳山頂に着き、さて、と地図を開く。歩く前、帰りは歩けそうだったら、蝶々の窪地を通ろうと話していた。
白根隠山から白桧岳に向かう時、霧の間から、ちらりと砂礫の平坦地が見え、歩けると確信した。
下降出来る地点も確認してきた。でも、ここから北に下り、鞍部から谷を下りた方が安全に思える。
ササヤブもこの程度だったら問題ない。北に向かうことにする。

 膝丈のササの中を重力に任せて進んで行くと、立ち枯れの木の斜面になった。足元は苔でふわふわしている。
よかった。すんなりと鞍部に着き、踏み跡のある草ヤブの谷を下ると、あっと、息を呑む光景が、そこには広がっていた。

 足を踏み入れた者をやわらかに包み込むような、やさしく夢のような地。
緑の斜面には、ハクサンフウロ、ミヤマアキノキリンソウが咲いている。
もう少し早かったら、いろいろなお花で飾られていただろう。降り立った広い砂礫の窪地から仰ぎ見た白根隠山は、
あんなにギザギザしていたのだ、とびっくりするくらいの荒々しさだった。
 そして、想像もしなかった輝きが。コマクサの群落だった。砂礫の中で気高く光るピンク色の宝石。
ほんとうに、ほんとうに夢のような地だった。

 母との会話、夫の仕事の下見、すんなり取れた休みが合わさり、昨日から日光の山を歩いているわたしたち。
これまでも母から、あの山は素晴らしかった、この山も素晴らしかった、と聞いていた。
その中で、何故だろう。こころに棲みついた「白錫尾根」。掬い上げた風景の数々が静かにわたしの中で光を放っている。
 「そろそろ小屋に向かおうか」
しゃがんでコマクサを眺めながら感慨に浸っていると、夫が控えめに声をかけて来た。
「そうだね。お腹もすいてきたし」
 いい一日だった。立ち上がり、振り返って、またうっすら霧に纏われた白根隠山と静謐に満ちた窪地にこころの中で手を合わせ、
過ぎゆく夏と来たる秋をささやくミヤマアキノキリンソウの繁みに入って行った夫の後を追う。

 ドキドキしながら小屋の重い引き戸を開け、頭上を見上げると、お星さまが散りばめられた青藍色の空が広がっていた。
ご来光を拝められる!雲に覆われていたら、朝ご飯を食べてから出発するつもりだったが、コーヒーだけ飲んで、
荷物をまとめ4時半少し前に小屋を発つ。
 昨日の夕方歩いた道を辿り道なりに右に曲がって白根山への登りにかかる。
視界が広がり振り返ると、黒い山並みの後ろの空が帯状に燃えている。胸の鼓動が高鳴る。山頂への道は東斜面。
振り返り、振り返り、橙色の眩い光が、少しずつ色を変えながら青藍色の空を押し上げていくのを見つめる。
 黒く横切る尾根の向こうに大きなお姿ででんとそびえ立つのが男体山、その左に並ぶきりりとうつくしいシルエットのお山は、
大真名子山、小真名子山、それから女峰山か。
 空はいよいよ燃え上がる。そして女峰山に光の筋が走ったと思った瞬間、ちいさなまんまるのお天道さまが現れた。
夫の顔が、わたしの顔が、白根山が、世界が橙色に染まる。思わず感極まり、つぅとひと筋、涙が頬を流れ落ちる。
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 神々しい朝の光に照らされ、辿り着いた奥白根神社からは、昨日歩いた白錫尾根と錫ケ岳があたたかに輝いていた。
歌うように延びる緑の稜線。北西のふたつのピークを従えて凛としたうつくしさを放つ錫ケ岳。
こんなに素敵なお姿だったのだ。暫しの間、動けなくなる。
 「錫ケ岳から稜線を左に辿ると宿堂坊山、それから右に折れて三俣山、皇海山、袈裟丸山へと山が続いていく」
と隣で山座同定していた夫が教えてくれる。皇海山の向こうには雲海が広がり、朱鷺色の空には富士山が浮かんでいる。
母は、ここに立ち、遥かなる稜線を見つめ、ちいさな冒険、錫ケ岳までの白錫尾根への旅を思い立ったのだろうか。

 その時、あぁ、と気づく。父が眠るお墓を飾る絵に。
父と母は随分と前からお墓を買っていて、墓石には母が描いた山並みだけが彫られていた。
初めて見た時、日光連山だと教えてくれた。空気が澄んだ日、ウォーキングの途中で望むことが出来、
今日はどうかなと思いながら家を出るという。父の好きな運河からは、吸い込まれていきそうなうつくしいお姿を拝めるとか。
 お正月に一緒に歩いた時も「あれが日光連山よ」とかなたで白く輝く山並みを指差してうれしそうに呟いていた。
母にとって日光連山は、様々な思いを抱えた日常とともにあり、夢と希望そして母自身を感じさせてくれる、
こころの山、憧憬の山だったのだ。わたしには計り知れない思いを胸に、こころの山への深い旅、ちいさな冒険に出かけたのだ。

 男体山と向かい合う。おおきな力を感じるお山だ。一昨日は、雨の中、うっそうとした針葉樹の森の中を黙々と歩き、
山頂は濃霧で全く眺望はなかったが、修験道のお山をからだで感じた。
 母は、男体山は体力測定の山と言っていた。いつの頃からかは聞いていないが、
80歳の手前まで、ひとりでほぼ毎年のように登っていたという。
男体山からも、日光白根山から錫ケ岳、皇海山、袈裟丸山と連なる山々が見渡せるのだろう。そして、すぐそばには女峰山が。
最後に登った時、これが最後と思ったのかどうかは分らないが、母はどんな気持ちで歩いてきた山々を眺めていたのだろう。
思いは駆け巡る。
 そして、今、わたしと同じ空の下で、わたしと同じ黄みを帯びた光の粒を浴びながら、
いつもの道を歩き、白内障のうっすら白い膜がかかった目で、まっすぐに日光連山を見つめている母の眼差しを感じ、
またもや涙があふれてしまう。
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 標高2578m。関東以北で一番高い日光白根山の山頂からは、さえぎるものがない360度の大展望が広がっていた。
日光連山、尾瀬、上信越の山やま、遠くには富士山、北アルプスも望む。圧巻としか言いようのない大展望。
そして山頂にはわたしたちふたりきり。「一昨日に男体山、昨日に白錫尾根を歩いてよかったね」と夫と頷き合う。
 いつのまにか見上げた空は透き通るような青い色となっている。また山座同定に夢中になっていた夫だったが
「さぁ、朝ご飯」と我に返ったように大きな声を出し、風をよけられる場所を探し始めた。

 1時間ほど景色を楽しんで、名残惜しいけれど歩みを進める。
七色平避難小屋分岐への地獄ナギと呼ばれる崩壊地を横切る登山道は、展望のザレ斜面から見事なシャクナゲ林、
カニコウモリ咲く針葉樹の深い森へと味わい深い風景が続いていく道だった。
森の中の七色平は極楽浄土、ヌタ場のような血の池地獄は血を湛えた地獄の池だという。
 山頂から俯瞰した座禅山のかわいい緑のクレーターは、草木が生い繁り、クレーターの縁を歩いているという実感は薄かったが、
鞍部から仰ぎ見た白根山は、ほれぼれとするお姿で、そのまま通り過ぎて行くことが出来なかった。
 そして、弥陀ケ池と五色沼。昨日とは全く違う色の輝きに目を見張る。

 置いてきた荷物を取りに小屋に戻り、昨日とは一転、からりと明るいダケカンバの森を抜け、
ふたたび踏み込んだ白錫尾根からは、素晴らしい展望が出迎えてくれた。
眩い光に包まれながら、昨日のことがもっと以前のことのように思えてしまう。
 ここからは、何度も立ち止まり見入ってしまう絵になる風景が続いていった。
出かける前は、白錫尾根と錫ケ岳が頭の中を占めていて、白根山はぼんやりとしたお姿だったが、
今朝歩いてきておおきく思いを改めさせられた。
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 前白根山から来し方を眺めた時には、呆然と立ち尽くしてしまった。
人を寄せつけないような荒々しさと包み込むようなやさしさで、もくもくと白い雲が湧きたつ青空の下、
ずっしりと鎮座する白根山。そのたもとで、この世のよろこびとかなしみを、
コバルトブルーの煌きを放ちながら、そっと奏でる五色沼。
縁には山葵色の白錫尾根が波打ち、その奥に深碧色の錫ケ岳が静かに佇む。
うつくしいとか、素晴らしいとか、そういう言葉を超えた尊い風景が鮮やかに展開していた。
 中禅寺湖の方からは、男体山がうれしさに溢れるわたしたちの姿を微笑むように見つめていた。

 一歩一歩を愛おしみながら五色山を越え、下りにさしかかると雲が近づいてきた。
前を行く夫の足運びが速くなる。駐車地まではまだひと山越える。
ササの中に続く道をてくてくと進みながら「この道もお母さん歩いたのよね」と見えなくなった夫の背中に呟き、
帰ったらすぐに母に電話しようという気持ちに駆られる。でも、しばらく内緒にしておこうと思い直す。
帰省した時、父の眠るお墓の前で、母の描いた日光連山を見ながらこの山旅の報告をするのだ。
 母はどんな顔をするだろう。
 てくてく夫を追いながら「そうだったのぉ」という母の甲高い声と、「ほぉ」という父の間の抜けた声が浮かんで来る。
「そうだったのぉ」「ほぉ」
ふたりの声を真似て呟いて、ちょっと可笑しくなり、その後鼻の奥がツーンと痛くなる。

sato




 
Kasaya
記事: 927
登録日時: 2011年2月20日(日) 14:34

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by Kasaya »

Satoさん こんばんは

ご無沙汰しています。私の地元の山へようこそ!
表題を見たときに、男体山や白根山に登りに来られたのだとは思いましたが、何故錫ヶ岳のような
マイナーな山にわざわざ登ったのだろうと不思議に思いました。でも読み進めていくと
母上の思い出の山だったのですね。ただ65歳で錫ヶ岳は相当に意外・・・でもないか
今の私の年齢です。
 この山は栃木百名山にリストアップされているのでたまに登る人があるようですが
一般道ではないので、やはり藪っぽいところもあるでしょう。
私も一度だけ登りましたが、その時はとんでもないルートから行ったので相当のヤブコギを
強いられました。帰りは稜線を歩いて白根に戻ったのですが時間があまりなく結構速足で
歩きあまり途中の風景を覚えておりません。20年以上前のことでもあるので
 
 「錫、宿堂、三俣、スカイ、鋸・・」カクカクした文字をひとつずつ読み上げながら
「もし、若かったら。もし、関東に暮らしていたら」と想像してしまう。

この稜線は宿堂山、皇海山とつながっているんですよね。一度宿堂山には登りたいとは思いつつ
まだ実行できていません。一人で行くのにちょっとためらいもあります。

・2170鞍部で「錫の水場」と呼ばれる谷の源頭に寄る。
丸二日分の水を担ぎ上げてきたけれど、やっぱり錫の水を味わいたい。

こういうところもあったのですねえ。

 膝丈のササの中を重力に任せて進んで行くと、立ち枯れの木の斜面になった。足元は苔でふわふわしている。
よかった。すんなりと鞍部に着き、踏み跡のある草ヤブの谷を下ると、あっと、息を呑む光景が、そこには広がっていた。

 足を踏み入れた者をやわらかに包み込むような、やさしく夢のような地。
緑の斜面には、ハクサンフウロ、ミヤマアキノキリンソウが咲いている。
もう少し早かったら、いろいろなお花で飾られていただろう。降り立った広い砂礫の窪地から仰ぎ見た白根隠山は、
あんなにギザギザしていたのだ、とびっくりするくらいの荒々しさだった。
 そして、想像もしなかった輝きが。コマクサの群落だった。砂礫の中で気高く光るピンク色の宝石。
ほんとうに、ほんとうに夢のような地だった。

この記述を読むとちょっとまた行ってみたくなりました。まだコマクサも咲いていたんですねえ。
satoさんは避難小屋利用なので時間に余裕があったのですね。私はこの山で避難小屋は使ったことがありません。
少し重いけどそんな山歩きも計画したい。
kasaya
tsubo
記事: 192
登録日時: 2023年3月07日(火) 13:27
お住まい: 和歌山県

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by tsubo »

satoさん、おはようございます。

白山でお会いした時は群馬の山に行くと言われていたので、谷川岳方面かなあとか思っていましたが、やぶこぎのコメントで日光の山に行ったと書いてあったので、どこかなあと思っていました。でも、やぶこぎには書かないだろうなと思っていました。(笑)

地図やヤマレコで白錫尾根を見ました。破線にもなっていない道ですね。でも、栃木100名山とかで錫ケ岳に登る人はそこそこいるようですね。
お母様、65歳でお元気でしたね。
そのころなら、スマホの地図アプリなんて使わないでしょう。地図とコンパスを頼りに歩かれたんでしょうね。
そんなお母様の秘密の思い出の山を歩くことができて、感無量だったのではないでしょうか。

私も亡夫が行っていた山に行くと、ほかの山では味わえない気持ちになります。
以前越後の丹後山から中ノ岳を周回しました。
テレビで田中陽希さんのグレートトラバース2を見て中ノ岳あたりの稜線に心惹かれたのがきっかけです。
でも、私は丹後山に想いがありました。
亡夫が昔丹後山から巻機山に縦走していたからです。
丹後山は縦走の途中の山ですが、どんな山なのか、気になっていました。
丹後山から巻機山は深いやぶに覆われて一歩も踏み込めませんでした。
でも、若き日の亡夫の姿を思い描くことができました。

同じ山でも心持が違うと、違った景色が見えてくる気がします。

私は今67歳、お母様が65歳、66歳で冒険の山歩きをされたということ、勇気をもらいました。
最近一人なら無難な山に目が行きがちでしたが、私でも無理なくできる、ちょっと冒険の山歩きもまだまだしたいなあと思いました。
とはいえ、遭難のニュースが多く、過信せずに慎重にならないとという気持ちが強まっています。

お母様、satoさんにはいい先輩ですね。
私も82歳まで15年もある!
まだまだ歩けるかな。
無理なく山歩きを続けていきたいです。

tsubo
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by sato »

kasayaさま

こんにちは。こちらこそご無沙汰しております。
コメントありがとうございます。
山日和さんから、kasayaさんがお山に出かけていらっしゃることを聞き、うれしく思っておりました。
からだやこころに痛みを感じながらの日々は、辛く不安の波に襲われる日々。
そしてその辛さは、当人でない人には計り知れぬものですが、辛抱の日々だったことお察しいたします。

振り返ると、母も、50代最後の頃、椎間板ヘルニアで山に登れなかった時期がありました。
登山を再開してしばらくたった50歳少し過ぎ、滑落事故を起こし(新聞にも載ってしまいました)
足首を複雑骨折して山梨の病院に3か月間入院し、また登れるようになった、
と張り切ってあちこちのお山を登っていた頃のことでした。1年くらい、接骨院やら鍼やら通っていたみたいです。
家族のことでもいろいろあり(きちんとした仕事を持たない私のこともストレスでした)もやもやした日々。
そんな時、ウォーキングの途中から望む日光連山は、今日を生きる力になっていたのでは、と思います。

Kasayaさんも錫ケ岳に登られたのですね。栃木100名山のお山だということは、山頂の看板を見て知りました。
私は、母から聞いた「登山道として整備されていない素晴らしいササの稜線」しか情報は持っていませんでした。
SNSであれこれ調べて訪れるのは好きではなくて・・。
Kasayaさんは、日帰りで、とんでもないルートを登り、帰りに稜線を歩かれたのですね。
とんでもないルート・・・どこからなのでしょう。車をデポして錫の水場の谷を登られたのでしょうか。
でも、地図に林道は一般車通行止めと書いてある・・・。気になります。
そう「錫の水場」は、ヤマケイガイドブックの地図に記されていて知りました。

皇海山、袈裟丸山は、以前から気になっているお山でしたが、白根山と稜線が繋がっていると意識したことがありませんでした。
皇海山は、直前まで初日に登ろうと思っていたお山でした。
男体山は、うっそうとした針葉樹に包まれたお山というイメージが強く、全く考えていませんでした。
朝起きたら本降りの雨。こんな雨の中、歩きたくないと思っていたら、
いきなり夫が「こんな日は男体山だ」と言い出して「えぇっ?」となったのですが、傘をさして歩けるし、ということで登り始めました。
さすが百名山のお山で、こんなお天気の日でも15人くらいの方と会いました。
皆さん「天気予報と違う」とおっしゃっていましたが。
母が通い続けた男体山に登ることが出来てよかったです。雨に感謝です。

皇海山も母がよかったと話していたお山で、日帰りで周回の予定でしたが、お山めぐり行場も興味深く、
ここの岩場には、コウシンソウという庚申山周辺の固有種の不思議でうつくしい食虫植物が咲くと知り、
またの機会に小屋泊まりでゆっくりと楽しもうと思いました。

錫ケ岳も菅沼、金精峠、湯元温泉から日帰りで登ることが可能なお山ですが(母も、丸山高原のペンションに泊まっての日帰りでした)、
夫の仕事の下見があり、避難小屋泊りにしたのですが、ほんとうによかったです。
泊まってからこそ、出会うことのできた風景の数かず、宝物となりました。
日光白根山は日帰りで登れるお山ですので、夜明けの時間帯には誰もいない可能性が高く、
泊まると、刻々と変わる朝の輝きを、お山とわたしだけの尊い時間を、静かに静かに味わうことが出来ます。
避難小屋からは見晴らし抜群の東斜面を登りますので、山頂でなくても、どこからでもご来光を拝めます。
途中からご来光を拝むと、真っ赤に染まる白根山も拝むことが出来ます。

白錫尾根に戻りますが、前白根山から錫ケ岳の稜線は、ほんとうに素晴らしかったです。
私たちは、大雨の翌日の霧で、地面がぬかるんでいて、ササヤブの中の倒木もツルツルで滑るので、ゆっくり歩きでしたが、
小屋から行きも帰りも、休憩を入れて3時間ぐらいでした。ヤブに慣れていらっしゃるkasayaさんにとっては、普通のササ尾根です。
ササの海とシラビソの深い森を渡った先の錫ケ岳は、夢を感じる山頂です。
窪地も素晴らしかったです。火山活動によって生み出された地形の妙にこころ震えました。
そして、こんなところにコマクサが、と大感激しました。この窪地は避難小屋から簡単に行けます。
窪地の上のダケカンバが佇む台地も素敵です。
コマクサの群落には、日光白根山の奥白根神社と前白根山周辺でも出会いました。8月の下旬で咲いているのですね。
前白根山からの眺めも忘れられません。

今回の旅で、母の愛する日光の山やまへの憧れがどんどんと湧いてきました。
錫ケ岳から皇海山まで縦走は無理でも、ひとつひとつのお山の周回は出来そうですね。
大真名子、小真名子、女峰山もいつか訪れたいです。鬼怒沼も見てみたいです。
あらためて栃木の地図を、今、眺めているのですが、足尾山地から日光白根と続いた稜線は、
鬼怒沼、帝釈山、そしてはるか那須の三本槍岳へと繋がっていくのですね。
Kasayaさんは、そんな魅力あふれる地にお住まいなのですね。栃木のお山をいろいろ知りたいです。
素敵なお山に出会われた時、是非教えてください。
ちなみに、東武線の駅から歩いて行ける大平山は、母が真夏を除いて毎月のように訪れているお山です。
鳴虫山もお気に入りのようです。

sato
Kasaya
記事: 927
登録日時: 2011年2月20日(日) 14:34

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by Kasaya »

satoさん
返信ありがとうございます。ローカルな名前が色々出て来てうれしくなります。

山日和さんから、kasayaさんがお山に出かけていらっしゃることを聞き、うれしく思っておりました。
からだやこころに痛みを感じながらの日々は、辛く不安の波に襲われる日々。
そしてその辛さは、当人でない人には計り知れぬものですが、辛抱の日々だったことお察しいたします。

まだ完全復帰ではなく痛みもありますが、山を歩いている間は不思議と痛みを感じません。


Kasayaさんは、日帰りで、とんでもないルートを登り、帰りに稜線を歩かれたのですね。
とんでもないルート・・・どこからなのでしょう。車をデポして錫の水場の谷を登られたのでしょうか。
でも、地図に林道は一般車通行止めと書いてある・・・。気になります。

添付の赤太線です。ロープウェを下りてから一度広河原に降りてから登るという
変則的コース。当時のネットに載っていたので参考にしました。
今思えば変なルートです。よく行ったなあ
錫が岳へのルート
錫が岳へのルート

皇海山は、直前まで初日に登ろうと思っていたお山でした。
行かなかったのは天功のせいですか?
こんな雨の中、歩きたくないと思っていたら、
いきなり夫が「こんな日は男体山だ」と言い出して「えぇっ?」となったのですが、傘をさして歩けるし、ということで登り始めました。
さすが百名山のお山で、こんなお天気の日でも15人くらいの方と会いました。
皆さん「天気予報と違う」とおっしゃっていましたが。
母が通い続けた男体山に登ることが出来てよかったです。雨に感謝です。

男体山は樹林の山で頂上以外は風もきつくなく、道もしっかりしているので、雨でも行けるでしょう。
今年の夏は晴天のせいもあり、暑さでばてましたが。

皇海山も母がよかったと話していたお山で、日帰りで周回の予定でしたが、お山めぐり行場も興味深く、
ここの岩場には、コウシンソウという庚申山周辺の固有種の不思議でうつくしい食虫植物が咲くと知り、
またの機会に小屋泊まりでゆっくりと楽しもうと思いました。

皇海山は2年前に登りましたが、危険な岩場が連続するし、頂上の展望はないし、長丁場だしということで
あまりいい印象がないのですが、母上は良かったという印象があるのですね。この山は途中の庚申山までなら
とてもいいと思います。とても小さなコウシンソウと色鮮やかな庚申コザクラは、お気に入りです。
コウシンソウ
コウシンソウ
コウシンコザクラ
コウシンコザクラ

コマクサの群落には、日光白根山の奥白根神社と前白根山周辺でも出会いました。8月の下旬で咲いているのですね。
前白根山からの眺めも忘れられません。

私は㋆中旬に前白根付近でコマクサを見ました。花の時期が長いですね。
暑かったので今年は特別なのかなあ

大真名子、小真名子、女峰山もいつか訪れたいです。鬼怒沼も見てみたいです。
あらためて栃木の地図を、今、眺めているのですが、足尾山地から日光白根と続いた稜線は、
鬼怒沼、帝釈山、そしてはるか那須の三本槍岳へと繋がっていくのですね。

鬼怒沼はお勧めです。標高2000mに広がる湿原は一見の価値ありです。尾瀬ヶ原のように人がいるわけではないので
静かな山を楽しめます。
鬼怒沼
鬼怒沼
ちなみに、東武線の駅から歩いて行ける大平山は、母が真夏を除いて毎月のように訪れているお山です。
鳴虫山もお気に入りのようです。

たまたまですが昨日ドライブで大平山に行ってきました。晴れた日には関東平野が一望できる場所です。
いつも車で行ってしまうのですが、母上はきっと歩いて登られているのでしょうねえ。
また鳴き虫山は日光駅から歩いて行ける山として私も好きです。5月連休頃には頂上近くでカタクリの群落がみられます。
また電車が使えるということで、何度か酒盛り鍋山行をしたことがあります。飲みすぎて駅を寝過ごしてしまった
失敗もありましたが。

地元の山だとついつい色んな話が出てきます。機会があればご一緒できるといいなあと思います。
kasaya
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by sato »

suboさま

こんばんは。
今、稲刈りのまっ最中でしょうか。お忙しい時期にコメントありがとうございます。
種籾から大切に育ててきたお米。tsuboさんのおこころと自然の恵みがぎゅっと詰まった
お米をいよいよ味わえる日が近づいてきましたね。
いのちの循環を五感で感じる暮らしを営んでいるtsuboさん、素敵だなぁ、といつも思っています。

白山でお会いした時、群馬の山に行くとお話していましたか?スミマセン、記憶が飛んでいます(汗)
谷川岳が気になっていて、そうお話したのかもしれません。物語を思い描いていましたので。
日光に行こう決まったのは、お盆が過ぎてからでした。
いくつか候補があがり、毎年のように浮かんでは、諸事情で流れていた南アルプスのお山に落ち着いたのですが、
林道状況を調べたら通行止めということが分かり断念。
丁度、日光白根山登山のご依頼をしてくださったお客様から人数確定のメールが入り、
では下見に、ということになったのでした。

最近、言葉に紡ぎたいと思うのは、父と母のことだったりします。
お正月、母は何故、ずっと内緒にしてきた15年以上前の山登りの話をいきなり始めたのだろう。
一緒に、ウォーキングに出かけて、白く輝く日光連山を眺め、
こんな想い出があるのだと、私に伝えたくなったのだろうか。
人は皆、それぞれの物語を持った存在。そして、その物語のほとんどは、時という過ゆく流れの中で、
無かったこととしていずれ消えてしまう。そういうものだし、それでいいのだと思います。
でも、年老いて、「皆に抜かれて、もう嫌になっちゃう」と言いながらも、山に出かけている母を見ていると、
ひとりのちいさな人間、でも私にとってはかけがえのない存在である母の物語を、言葉にしたいなぁ、
と思ってしまい、レポとは言えないのですが、ヤブこぎネットに投稿させていただきました。

母は、むかしから読図が好きで、登山を再開して、いつの頃からかバリエーションハイキングに魅了されていたようです
(数年前に知りました)。高度計とコンパスしか使えないむかし人間ですね。
携帯も持っていなくて、3年前に、何かあった時のためにと、初めてスマホを持ちました。もちろん電話機能しか使えません。

大切な人の好きな山というのは、やっぱり他の山では味わえない気持ちに包まれますね。
tsuboさんの旦那さまは、奥利根、奥只見のお山を愛されていたのですね。
私も20代の頃、谷川岳から尾瀬へと繋がる稜線の山やまに淡い憧れを抱いていました。
そう、tsuboさんが、丹後山から中ノ岳周回の旅に出られたのは、6年前の9月ですよね。
避難小屋から、入院していた私にショートメールを下さいましたね。
足の痛みでしんどかったのですが、おひとりで避難小屋泊り、越後のお山を歩いているtsuboさんのお姿を想像し、
頑張る力をいただきました。あの時、旦那さまのこころのお山を味わっていたとは。
旦那さまのお姿を思い描きながら歩かれていたとは。
大切なお山で、深い感慨に包まれる中、私のことも思い出してくださったのですね。あらためて感謝申し上げます。

私にとっての冒険とは何だろう。あらたな出会いにドキドキワクワクする自分を感じることかなぁ、と思っています。
そう、「同じ山でも心持が違うと、違った景色が見えてくる」

お互い、歩けることに感謝し、無理なく山歩きを続けていきたいですね。

sato
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山日和
記事: 3585
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by 山日和 »

satoさん、こんばんは。

 関東の山は地図だけは持ってますが、いつかはと思いながら数十年・・・
未踏のまま人生が終わってしまいそうな山域です。
 男体山は富士山を小さくしたような感じですが、女峰山や大真名子山、太郎山といった男体山を取り巻く周りの
山が面白そうですね。地形図を見ても興味を惹かれます。
 錫ヶ岳という山は初めて知りました。地図で見ると日光白根山から皇海山へ続く稜線にあるんですね。
日光白根山と皇海山が尾根続きだということも初めて知りました。
 
 このあたりは深く切れ込んだ谷に滝記号がたくさんあり、山上に池や湖、湿原があって、楽しそうな山域ですね。
標高も2000mオーバーで、関西では味わえない高さと風景が広がっているんでしょうね。家から近ければ通いたく
なるんだけど、いかんせん遠すぎます・・・

 satoさんのお母さんがメジャーな山とは思えない錫ヶ岳を知っているとは驚きです。それも60を過ぎてから足繁く
通っていたとはすごいですね。
白錫尾根とは白根山と錫ヶ岳を結ぶ尾根という意味でしょうが、響きがいいですね。
こんなササの深いバリっぽい尾根をお母さんは歩かれたんですね。私も老け込んではいられないなあ。

 あの三角形の窪地はなんとも不思議ですね。どうやってできたんだろう。稜線から谷を下りて行った行き止まりで、
三方を壁に囲まれたような場所に出る。地形図でも池記号になってるけど、実際は池はないんですね。ヤマップの地
図では草地になってました。
白根隠山の西の窪地も、尾根が二つに分かれててるのにどっちを進んでも小屋に出られる。面白いですねえ。
この窪地がまた素晴らしい。ヤマップの地図はこの窪地に破線ルートが惹かれていて、2353mを通る西側の尾根には
ありませんでした。
このあたりの窪地はみんな火口湖の跡なんでしょうね。
お母さんと一緒に歩いたような素敵な山旅でしたね。お疲れさまでした。

                         山日和
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by sato »

Kasayaさま

こんばんは。
ふたたびのご返信ありがとうございます。ワクワクしながら読ませていただきました。
まだ、足の痛みはおありなのですね。でも、山を歩いている時は痛みをお感じにならないとお聞きし、ホッとしました。
私たちは、普段当たり前のように山に出かけていますが、山に登れるというのは、しあわせなことなのですね。
8月の猛暑の中、男体山に登られたのですね。前白根山も今年の7月に登られたのでしょうか。
Kasayaさんがこの夏歩かれたお山を歩いたのだと、うれしさ倍増になりました。

錫ケ岳の地図をありがとうございます。やはり「錫の水場」の谷を遡られたのですね。
堰堤だらけの広い谷ですね。どんな谷なのだろう。1990mからの左の谷の源流が錫の水場ですね。
谷を遡り憧れのお山へ・・・憧れます。錫ケ岳の後に奥白根山に立つというのも素敵ですね。
山頂から歩いてきた道のりを眺めた時、しみじみとした感動に包まれるのだろうなぁ。
白桧岳から奥白根山の尾根は、すごく気になっていました。
・2353は、雪の季節に訪れたら、さぞかし素敵なのだろうなぁ、とか。
Kasayaさんは、ロープウエイを使い、このルートを周回されたのですね。
ヤブ谷、ヤブ尾根の長丁場。すごいなぁ、いいなぁ、とため息をついています。

皇海山は、鋸十一峰とよばれる岩場の続く尾根や、六林班峠に至る山腹道も興味深いのですが、
お山めぐりも捨てがたかったので、今回は諦めてよかったです。男体山に行けましたし、
Kasayaさんから、庚申山はとてもいいと教えていただきました。
コウシンソウとコウシンコザクラのうつくしいお写真を見て、ほんとうに行かなくてよかったと。
お花の季節に、ゆっくりと味わいたいです。足尾銅山についても知りたいです。
銀山平は銀が産出された地なのですね。
庚申川沿いにあった鉱山集落の跡も巡りたいなぁ、と思っています。

鬼怒沼は、日本一高い高層湿原と言われているのですね。
白根山の山頂から北の方の山並みを眺めた時、山の上がキラキラ煌めいていて、えっ?と思って地図を見たら、
鬼怒沼湿原でした。
苗場山や平ケ岳のほうが標高はちょこっと高いように思いますが、おおきな池塘はほんとうにおおきく神秘的ですね。
青空の下、大小48個の池塘が浮かぶ別天地、想像するだけでうっとり夢見心地になります。
いつの日か、訪れようとこころに決めました。

母が好きな鳴虫山をkasayaさんもお好きと聞き、うれしくなりました。春はカタクリの群落に出会えるのですね。
ご友人との酒盛り鍋山行、いいですね。
Kasayaさんでも、飲み過ぎて電車の降りる駅を寝過ごしてしまわれたことがあるのですね。
つい先日には大平山にも行かれていたとは。

栃木のお山のお話、楽しい気持ちになります。これからもお聞きしたいです。
そうですね、機会がありましたら、kasayaさんの愛する地元のお山を味わいたいです。
こちらこそよろしくお願いいたします。

sato
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【奥日光】 母のこころの山への旅 男体山 錫ケ岳 日光白根山

投稿記事 by sato »

山日和さま

こんばんは。
今日は中秋の名月。夕暮れ時、東の空に浮かぶおおきなおおきな橙色のお月さまと目が合って、
暫しの間、見入っていました。
山日和さんは、関東、いや日本中の山にお詳しいですね。むかしからあちこちの山域の地図や本をご購入され、
ご覧になってきたからなのですね。
私は、学生の頃や20代は、情熱に身を任せ東北や北海道のお山まで出かけていましたが、
近江に暮らすようになって、日々見つめるお山と、そこから連なるお山への想いが強くなり、
憧れのお山、再訪したいお山はたくさんあるのですが、見果てぬ夢でもいいかなぁ、という心持ちにもなっています。
バイタリティーがなくなった、とも言えますが。

今回も、山との出会いの不思議さを感じました。
日光のお山は、夫のお客様からのご依頼がなければ、今回出かけることはなかったです。
でも、振り返ると、お正月に、私はもう、こころの中で出会っていたのですね。

男体山は、まさに富士山を小さくしたような感じのお山ですが大きいです。
実際に眺めても大きいですが、地図を見ると、その大きさに目が釘付けになります。
標高こそ日光白根山より低いですが、ひとつのお山としての存在感は際立っています。
男体山は、奈良時代から信仰のお山として拝まれ、ご登拝は、4月25日から11月11日までと定められています。
二荒山神社で1000円のご登拝料を納めて登りました。
全く考えていなかったお山ですが、白根山から、その大きなお姿を眺めた時、ご登拝出来てよかったなぁ、
としみじみ思いました。

大真名子、小真名子、女峰山にかけてのきりりとした稜線は、吸い込まれていきそうなうつくしさでした。
いろいろな歩き方が出来、四季折々楽しめそうです。関東に住んでいたら何度も訪れるのだろうなぁ、と思いました。
太郎山も地図を見て、山頂南の湿原が気になりました。山上の池や湿原に惹かれます。山日和さんもお好きですね。
今年は、ヤブの中の別天地、判官堂湿原に出会うことが出来ましたね。

私も、袈裟丸山と皇海山が繋がっているのは認識していましたが、日光白根山と繋がっているとは知りませんでした。
「しろすずおね」は、うつくしい響きですね。一度聞いたら、耳の中に、りんりんと鈴のような音色がやさしく残るような。

母がバリエーションハイキングに魅了されていたことは、4年前に初めて知りました。
出かけた山の下りで転倒し肘を骨折して手術したと事後報告を受けて、びっくりして帰省した時、
内緒にしていた『山登りはこんなにも面白い』を渡しました。そうしたら
「私も、少し前まで、こういう山登りが大好きだった」と。山日和さんのページ「面白いわぁ、すごいわぁ」
と読んでいましたよ。60代半ばで、このような尾根を歩いてすごいなぁ、と私も思ったのですが、
山日和さん、kasayaさん、そしてヤブこぎネットの多くの方々と同じような年齢でしたね。
そして、母が60代だった頃と今では、60代という年齢の感覚が変わってきていますね。

地図の話に戻りますが、日光の地形はほんとうに面白いです。
湯ノ湖の水がいきなり湯滝となり流れ出て、戦場ヶ原の広大な湿原を通り、渓谷となり、
うつくしい竜頭滝となって中禅寺湖に注ぐ。そして中禅寺湖の水は、落差97mの直瀑華厳滝となって、
太平洋へと旅を続ける。火山活動によって出来たダイナミックで繊細な自然の不思議な造形美に息を呑みます。
あちこちに見られる窪地もなんとも不思議で、確認してみたくなります。
幅広蝶々の窪地は、ほんとうに素晴らしかったです。ヤマップでは破線が入っているのですね。
何の情報も知らずに足を踏み入れたので、よろこびひとしおでした。
座禅山の火口は、白根山の山頂から眺めると、とてもかわいいです。縁に立つと草木が生い繁りよく分りませんが。

滝と言えば、母が毎年のように訪れている霧降高原でも、いろいろな滝に出会えます。
女峰山の雲竜渓谷の地形にはゾクゾクします。私にはとんでもない世界ですが。
日光のお山は、関西からは遠いですが、実家からはそれほど遠くなく(母は電車とバスで訪れています)
母の愛する山域。また、訪れようと思っています。

「お母さんと一緒に歩いたような素敵な山旅」と感じてくださったのですね。うれしいです。
ほんとうに素敵でせつなくちょっとかなしい山旅でした。
コメントありがとうございました。

sato
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