【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

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わりばし
記事: 1763
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
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Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、宮指路さん。

 蔵王ダム湖より熊野むかう。蔵王という地名も蔵王権現からきており、このあたり一帯が修験道の拠点となっていたことがわかる。今日の雰囲気に不釣り合いなグリム冒険の森を上ると熊野神社の杉木立が見えてくる。神社手前の駐車場に車を停める。熊野神社は大杉に囲まれ歴史を感じさせてくれる。鳥居前のタコ杉は、幹周7.2mで樹齢400年とされている。ダムが出来て離れ小島のようになってしまった山村とは思えぬ立派な神社だ。

写真の大杉は縄文杉に似ていますね。樹齢1000年は行ってそうな気がします。

少し小ぶりですが、似てますね。風格のある杉です。
オフ会では野登山の杉を見てこようと思っています。

熊野神社のタコ杉
熊野神社のタコ杉
さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。

まだ居ましたか?この辺りのヒルは元気なんですね

私ももういないと思っていたので、ヒル装備はしてなかったんです。

油断大敵です。クワバラ、クワバラ・・・
:mrgreen:

 テープなど無いが、不動明王の祠の裏を上っていく。踏み跡をひろいながら歩いていく。窯跡を過ぎると植林に入り、杣道をつめると林道に出た。林道にも目印はないので、熊野滝を目指して下るのは大変だろうな。林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。慎重に上っていく。着いた最低鞍部からは水無山北尾根コースを使って上る。8合目で表参道に合流する。

登山道に出るとホッとしますね。

登山道はやっぱり歩きやすいですからね。

表参道はたくさん登ってきますが、水無山北尾根コースは静かな登山道ですよ。

乗りのようだ。雲海のような伊勢湾がよく見える。あれっ津の造船所のドックも見えるよ。いい眺めだ。

展望は最高だったようですね。

気持ち良い天候で最高で、秋を感じました。

ハイキング日和って感じです。

綿向神社と文三ハゲ
綿向神社と文三ハゲ
ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。

よく気がつきましたね。もしそんなことなら重大な発見です。

海のない近江の人たちにとって山に登り光り輝く海が見えたら手を合わせたくなる心情はわかります。

見えない日本海よりも見える海のほうが感情移入しやすいですからね。


ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。

思わぬところでヤブメンに遇うと嬉しいですね。
今年、藤原岳山荘前でkasayaさんに会いました。彼とは2度目です。
わりばしさんとは今年の1月3日に御池岳雪山でニアミスでしたね。

ヤブメンと会うのは、嬉しいものです。

オフ会を楽しみにしています。
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わりばし
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登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
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Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、SHIGEKIさん。

いつか、行き先決まらなければ、綿向 って 時期がありました。

たくさん遊び方を知ってみえそうですね。また、教えてください。

 神様が宿る山は「タケ」と里で呼ばれてきた。綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。また、中世には山岳信仰の対象となり大峰修験や熊野との関わりがあった。こうした歴史のいぶきを少しでも感じようと熊野神社から登ろうと考えた。

この調子で、鈴鹿の近江側の歴史を綴ってくらはい。

近江って面白いです。歴史も古いし、それがしっかり残っていますからね。

白洲正子が東京の家の庭に鈴鹿峠という峠をわざわざ作った気持ちがわかります。

祖父の在所も日野なんですが、小さな寺に平安時代の仏像や鎌倉時代までの古文書が普通にありますからね。

修験者の好きそうなクラ
修験者の好きそうなクラ
 さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。

違和感の感度もかなり上がってまんなぁ。

半世紀にわたりヒルの被害から逃れてきたセンサーです。 :mrgreen:

金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。

おもろい、ていうか、とってつけたような説、誰かに使ってみたいが、ベースとなる教養がないから無理かなぁ。

だれかが「この山は欽明天皇の時より崇められてきた。山頂近くから流れるこの湧水こそ、その名にふさわしい」なんて事を言ったんでしょうね。
金明水のブナ
金明水のブナ
ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。帰りは八合目まではご一緒させてもらい、別れる。時間があるので北尾根の大ブナを探しに800m付近まで下るが見つからないので引き返す。


よくぞ、お互い認識し合いましたね!。

すぐにわかったんです。

匂うものがあったのかもしれません。


文三ハゲの手前で水無山への道に入る。



何度目かの冬、美しい霧氷に出迎えられた記憶で画像さがしてみました。

    では また どこか 鈴鹿の 古道で

冬の綿向もいいですね。

では、オフ会でお会いしましょう。
:D
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わりばし
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Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

この三連休はいい日和になりそうですね、緑水さん。
わりばし さんが書きました:【日 付】2011年10月2日(日)
【コース】熊野P7:05---7:48熊野滝---9:45綿向山11:00---12:12水無山南峰---13:09熊野P

綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。
わりばしさんの山に登る口上がオモシロいですね、ナゼ山に登るのの自己回答が優等生ですな。
脳を喜ばせる、そして筋肉もですもんね。誌的心がチョッと感じられませんけど。好い勉強になりますワン


口上は好きなだけなんですが、寅さんの口上のような詩心は無いですね。

どうもセッカチナなもんで。
:mrgreen:

蔵王ダム湖より熊野むかう。蔵王という地名も蔵王権現からきており、このあたり一帯が修験道の拠点となっていたことがわかる。熊野神社は大杉に囲まれ歴史を感じさせてくれる。立派な神社だ。
熊野権現熊野神社の分身だと思っていました、全国に熊野神社って有りますよね。

大峰修験も熊野神社も同じ修験道のグループですから同じように思っています。

中ではいろいろあったみたいですが・・

 滝の水音を追いながら少し行くと谷に隠れるようにして熊野滝がしぶきをあげていた。山道から直接見えないだけに神聖な雰囲気を感じさせてくれる。
神社に滝は付き物ですね、修験者の修行打身の滝でしょう。
熊野滝
熊野滝
林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。
チョッと高山の雰囲気のある所、画像見るとガレは落ち着いてる感じですね。

上りにくいことはのぼりにくいのですが、最低鞍部までの下部はガレは落ち着いていました。
文三ハゲ
文三ハゲ

金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。
 

スゴイ飛躍の思考だこと、銀明水なるものも有るんじゃないのかなあ。

どうでしょうね。
天皇に関して歴史を無視した狂信的な時代がありましたからね。
ありえない飛躍もあったかも?
なにせ「三笠の山にいでし月かも」の三笠山は三笠宮の名前と同じで畏れ多いと若草山に変わりましたし。
木地師の小椋姓も小椋宮の名前と同じという理由で小倉姓に変えた地域もあった時代ですからね。


ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。
へ~そうなんですか賢くなります、読んだそのときだけは、式年遷宮の用材は伊勢神宮からのお下がりなんでしょうね。
伊勢向いて建てるのかな。


歴史の流れから言うと伊勢神宮とはグループが違うのですが、国家神道の時代を経てコチャゴチャになっていますからね。

武田鉄也(海援隊)は今だに会津でコンサートはさせてもらっていないようです。

 熊野神社が修験道の拠点であったころ西尾根は綿向山への参道として使われていたように感じた。熊野神社から山頂に向かうにはこの尾根を使うのが自然だし。歩きやすい。伊勢の朝熊山の岳道のような使われ方をしたのではないだろうか。
そんな風に物思いに更けて歩く、好いですね。ブツブツと一人語と言いながらね。

「変なおじさん」ですね。 :(

綿向山と熊野神社を結ぶラインは昔ながらのいぶきを残す静かな山域であった。ただ、熊野も過疎化が進み廃屋も多い。千年続いた歴史が今後も続いていくのだろうかとふと考えてしまった。
山村だけじゃナシに日本国の50年先はどうなってるんだろう、そんなこと思うことあります。
子どもの声がしないのが一番に気になりますね。


これほど急激にいろいろなものが変わっている時代は、これまでなかったでしょうね。 :|
山の神
山の神
好い山放浪をです

オフ会でお会いしましょう。
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