【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

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わりばし
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【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2011年10月2日(日)
【山 域】鈴鹿
【コース】熊野P7:05---7:48熊野滝---9:45綿向山11:00---12:12水無山南峰---13:09熊野P
【メンバー】単独

 神様が宿る山は「タケ」と里で呼ばれてきた。綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。また、中世には山岳信仰の対象となり大峰修験や熊野との関わりがあった。こうした歴史のいぶきを少しでも感じようと熊野神社から登ろうと考えた。

 蔵王ダム湖より熊野むかう。蔵王という地名も蔵王権現からきており、このあたり一帯が修験道の拠点となっていたことがわかる。今日の雰囲気に不釣り合いなグリム冒険の森を上ると熊野神社の杉木立が見えてくる。神社手前の駐車場に車を停める。熊野神社は大杉に囲まれ歴史を感じさせてくれる。鳥居前のタコ杉は、幹周7.2mで樹齢400年とされている。ダムが出来て離れ小島のようになってしまった山村とは思えぬ立派な神社だ。

タコ杉
タコ杉
 神社の横をぬけ熊野滝の道標にそって歩いていく。整備された山道といった感じの道が谷の上部に水平に通っている。山の神より1丁から順番に地蔵さんが道案内として置かれている。この地蔵さんは、伊勢の岳道の地蔵さんのように古いものではなく最近置かれたもののようだ。山道を歩いていると、大木が何本か見えてくる。そこには不動明王が祀られている祠があった。残念ながら、中の扉が閉まっていて不動明王は見えない。滝の水音を追いながら少し行くと谷に隠れるようにして熊野滝がしぶきをあげていた。山道から直接見えないだけに神聖な雰囲気を感じさせてくれる。
熊野滝
熊野滝
 さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。

 テープなど無いが、不動明王の祠の裏を上っていく。踏み跡をひろいながら歩いていく。窯跡を過ぎると植林に入り、杣道をつめると林道に出た。林道にも目印はないので、熊野滝を目指して下るのは大変だろうな。林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。慎重に上っていく。着いた最低鞍部からは水無山北尾根コースを使って上る。8合目で表参道に合流する。金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。

 一番乗りのようだ。雲海のような伊勢湾がよく見える。あれっ津の造船所のドックも見えるよ。いい眺めだ。ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。

綿向神社
綿向神社
 ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。帰りは八合目まではご一緒させてもらい、別れる。時間があるので北尾根の大ブナを探しに800m付近まで下るが見つからないので引き返す。

 文三ハゲの手前で水無山への道に入る。水無山南峰には「この先行き止まり」「道はまったくありません」「引き返してください」という標識がある。表参道方面からのハイカーが間違って下りないようにするためのもののようだ。

文三ハゲ
文三ハゲ
 水無山西尾根の明瞭な踏み跡の道を下っていく。上部は静かなブナ林でとてもいい雰囲気だ。歩きやすい道が続くが、この間も2か所例の標識があった。カヤト道を過ぎると左右に尾根が分岐する地点(720m)に出る。右の尾根を少し下ると植林に入り、ここからテープが突然出てくる。植林の杣道を下っていくと大木が何本か残された場所と祠が見える。祠は綿向山に向けて建てられており、山の神のようだ。すぐに広い杣道に出て、鉄塔の所から下っていくと林道に出た。ここから車道に出て5分で駐車場に着いた。
山の神
山の神
 熊野神社が修験道の拠点であったころ西尾根は綿向山への参道として使われていたように感じた。熊野神社から山頂に向かうにはこの尾根を使うのが自然だし。歩きやすい。伊勢の朝熊山の岳道のような使われ方をしたのではないだろうか。

綿向山と熊野神社を結ぶラインは昔ながらのいぶきを残す静かな山域であった。ただ、熊野も過疎化が進み廃屋も多い。千年続いた歴史が今後も続いていくのだろうかとふと考えてしまった。
最後に編集したユーザー わりばし [ 2011年10月03日(月) 13:29 ], 累計 1 回
Trail Walker
記事: 488
登録日時: 2011年2月20日(日) 19:48

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by Trail Walker »

IMG_4860.jpg
わりばしさんこんばんは
 神様が宿る山は「タケ」と里で呼ばれてきた。綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。また、中世には山岳信仰の対象となり大峰修験や熊野との関わりがあった。こうした歴史のいぶきを少しでも感じようと熊野神社から登ろうと考えた。
 
なるほど、わりばしさんに似合わないところに出没した謎が解けました。 :D 私この逆回りで回ったこと有ります、雪の有るときでした、スノーシューでね歩きました。

 
 グリム冒険の森を上ると熊野神社の杉木立が見えてくる。神社手前の駐車場に車を停める
ここに着くまでが車が滑って大変だったのを覚えてます、熊野神社は寄ったのだったかなぁ?記憶にないです。

 さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。
 
ついに処女穴かと喜んだのに、ざ~んねん :lol: ヒルも活動力が鈍ってきてることでしょう。

 、
 熊野滝を目指して下るのは大変だろうな。林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。慎重に上っていく。着いた最低鞍部からは水無山北尾根コースを使って上る。8合目で表参道に合流する。金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。
熊野滝は林道から行った気がします。文三ハゲはなんかアルペン的な感じがしました。
 一番乗りのようだ。雲海のような伊勢湾がよく見える。あれっ津の造船所のドックも見えるよ。いい眺めだ。ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。[/color]
 

そうなんだ、伊勢を向いちゃいましたか?それとも浅間信仰に切り替わって富士山にでも向きましたかな :lol:
 ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。帰りは八合目まではご一緒させてもらい、別れる。時間があるので北尾根の大ブナを探しに800m付近まで下るが見つからないので引き返す。 
 
静寂のとあるのでこの時期は綿向きも登る人少ないのかな?と思ったら続々ですか、そうですよね毎日登る人もいるのでしょうね。らくにんさんもわりばしさんがいたのにはさぞかしびっくりだったようで。

 
 文三ハゲの手前で水無山への道に入る。水無山南峰には「この先行き止まり」「道はまったくありません」「引き返してください」という標識がある。表参道方面からのハイカーが間違って下りないようにするためのもののようだ。
そのようですね、この先痩せた所もありますし、スノーシューで通過するのが怖かったのを覚えてます。

  熊野神社が修験道の拠点であったころ西尾根は綿向山への参道として使われていたように感じた。熊野神社から山頂に向かうにはこの尾根を使うのが自然だし。歩きやすい。伊勢の朝熊山の岳道のような使われ方をしたのではないだろうか。

なるほどむかしは結構なメインルートだったのだね、こちらに地蔵さん並べればいいのに :idea: あぶないか :D =TW=
Trail Walker 
落第忍者
記事: 1229
登録日時: 2011年2月20日(日) 15:31
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連絡する:

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by 落第忍者 »

わりばしさん、おはようございます。

歴史を絡めた考察は味わい深いものがありますね。
何も考えずにただ歩いているだけの私とはえらい違いです。

山歩きを始めた頃に熊野神社から歩いてみようと現地まで行ったことがありますが、私の手にはおえないと諦めて表参道に転進したことがありました。
昨秋には水無山から歩いたのですが、南峰にある鈴鹿モルゲンロートクラブの黄色い標識に素直に従いました。
かなり踏まれているように見えましたので不思議だったのですが、きっと先に恐い場所があるのだろうと。
上部の雰囲気の良さそうなところだけつまみ食いに行こうかな?

山頂でお話した野登山の左の鉄塔ですが、写真で見ると宮指路岳よりも左にあるみたいですね。
添付ファイル
IMG_0853.JPG
落第忍者
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わりばし
記事: 1766
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、TrailWalkerさん。
 神様が宿る山は「タケ」と里で呼ばれてきた。綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。また、中世には山岳信仰の対象となり大峰修験や熊野との関わりがあった。こうした歴史のいぶきを少しでも感じようと熊野神社から登ろうと考えた。
 
なるほど、わりばしさんに似合わないところに出没した謎が解けました。 :D 私この逆回りで回ったこと有ります、雪の有るときでした、スノーシューでね歩きました。

さすがマニアックですね。

冬もいいかもしれません。

 
 グリム冒険の森を上ると熊野神社の杉木立が見えてくる。神社手前の駐車場に車を停める
ここに着くまでが車が滑って大変だったのを覚えてます、熊野神社は寄ったのだったかなぁ?記憶にないです。

熊野滝に向かう道の隣ですよ。

下りだったから気づかなかったのかな?

熊野神社
熊野神社
 さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。
 
ついに処女穴かと喜んだのに、ざ~んねん :lol: ヒルも活動力が鈍ってきてることでしょう。

危機一髪でした。 :twisted:

この時期だから大丈夫だろうと首に何もかけてなかったんですよ。

 熊野滝を目指して下るのは大変だろうな。林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。慎重に上っていく。着いた最低鞍部からは水無山北尾根コースを使って上る。8合目で表参道に合流する。金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。
熊野滝は林道から行った気がします。文三ハゲはなんかアルペン的な感じがしました。

今は植林を通る山道がついているので、林道から来る人は少ないと思います。
不動明王の祠
不動明王の祠
 一番乗りのようだ。雲海のような伊勢湾がよく見える。あれっ津の造船所のドックも見えるよ。いい眺めだ。ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。[/color]
 

そうなんだ、伊勢を向いちゃいましたか?それとも浅間信仰に切り替わって富士山にでも向きましたかな :lol:

修験道がらみで浅間信仰という手もありますね。 :!:

この日は地元の津まで見渡せました。

津の造船所も見える
津の造船所も見える
 
 文三ハゲの手前で水無山への道に入る。水無山南峰には「この先行き止まり」「道はまったくありません」「引き返してください」という標識がある。表参道方面からのハイカーが間違って下りないようにするためのもののようだ。[/color]
そのようですね、この先痩せた所もありますし、スノーシューで通過するのが怖かったのを覚えてます。

痩せた所は巻道が作ってありました。
  熊野神社が修験道の拠点であったころ西尾根は綿向山への参道として使われていたように感じた。熊野神社から山頂に向かうにはこの尾根を使うのが自然だし。歩きやすい。伊勢の朝熊山の岳道のような使われ方をしたのではないだろうか。
なるほどむかしは結構なメインルートだったのだね、こちらに地蔵さん並べればいいのに :idea: あぶないか :D

大丈夫でしょ。登りやすい道ですよ。

標識も素直に「西明寺には下りられません」と書けばいいのにね。
;)
Trail Walker
記事: 488
登録日時: 2011年2月20日(日) 19:48

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by Trail Walker »

おはようございます。


 山頂でお話した野登山の左の鉄塔ですが、写真で見ると宮指路岳よりも左にあるみたいですね。
高円山の電波塔ですかね、御所平も見えてますね、オフ会場も見えてるのだろうな・・・。

写真が見つかったので貼っておきます。
痩せ尾根
痩せ尾根
文三ハゲ
文三ハゲ
最後に編集したユーザー Trail Walker [ 2011年10月03日(月) 21:44 ], 累計 1 回
Trail Walker 
落第忍者
記事: 1229
登録日時: 2011年2月20日(日) 15:31
お住まい: 三重県伊賀市
連絡する:

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by 落第忍者 »

TWさん、こちらでもこんにちは。

台高のみならず鈴鹿のことも本当に良く御存知ですね。
私が知らな過ぎるだけかもしれませんけど・・・

で、高円山を調べてみると945メートルのピークとか、地形図に標高点も載ってないのですね。
電波塔は猪足谷林道の終点に建っているのでしょうか?

遠くの山の見え方って奥行のことも加味して考えないといけないので難しいですね。
落第忍者
宮指路
記事: 1008
登録日時: 2011年2月27日(日) 21:13

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by 宮指路 »

わりばしさんこんばんは

 蔵王ダム湖より熊野むかう。蔵王という地名も蔵王権現からきており、このあたり一帯が修験道の拠点となっていたことがわかる。今日の雰囲気に不釣り合いなグリム冒険の森を上ると熊野神社の杉木立が見えてくる。神社手前の駐車場に車を停める。熊野神社は大杉に囲まれ歴史を感じさせてくれる。鳥居前のタコ杉は、幹周7.2mで樹齢400年とされている。ダムが出来て離れ小島のようになってしまった山村とは思えぬ立派な神社だ。

写真の大杉は縄文杉に似ていますね。樹齢1000年は行ってそうな気がします。

さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。

まだ居ましたか?この辺りのヒルは元気なんですね


 テープなど無いが、不動明王の祠の裏を上っていく。踏み跡をひろいながら歩いていく。窯跡を過ぎると植林に入り、杣道をつめると林道に出た。林道にも目印はないので、熊野滝を目指して下るのは大変だろうな。林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。慎重に上っていく。着いた最低鞍部からは水無山北尾根コースを使って上る。8合目で表参道に合流する。

登山道に出るとホッとしますね。


乗りのようだ。雲海のような伊勢湾がよく見える。あれっ津の造船所のドックも見えるよ。いい眺めだ。

展望は最高だったようですね。

ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。

よく気がつきましたね。もしそんなことなら重大な発見です。

ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。

思わぬところでヤブメンに遇うと嬉しいですね。
今年、藤原岳山荘前でkasayaさんに会いました。彼とは2度目です。
わりばしさんとは今年の1月3日に御池岳雪山でニアミスでしたね。


                               宮指路
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わりばし
記事: 1766
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

おはようございます落第忍者さん。

歴史を絡めた考察は味わい深いものがありますね。

ただ単に好きなだけです。

山歩きを始めた頃に熊野神社から歩いてみようと現地まで行ったことがありますが、私の手にはおえないと諦めて表参道に転進したことがありました。
昨秋には水無山から歩いたのですが、南峰にある鈴鹿モルゲンロートクラブの黄色い標識に素直に従いました。
かなり踏まれているように見えましたので不思議だったのですが、きっと先に恐い場所があるのだろうと。
上部の雰囲気の良さそうなところだけつまみ食いに行こうかな?

そう言わずに西尾根も下ってください。

途中から右の尾根に入ってからは植林地になりますので、GPSがあれば大丈夫ですよ。

水無山西尾根のブナ
水無山西尾根のブナ
それと熊野には2万5千の地図にも載っている天然記念物のヒダリマキガヤも熊野神社を少し下った所にありますよ。
ヒダリマキガヤ(天然記念物)
ヒダリマキガヤ(天然記念物)
山頂でお話した野登山の左の鉄塔ですが、写真で見ると宮指路岳よりも左にあるみたいですね。[/quote]

高円山ってあるんですね。石槫峠の電波塔のかわりかな?
SHIGEKI
記事: 1031
登録日時: 2011年7月25日(月) 18:30

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by SHIGEKI »

わりばし さん こんばんは。

【山 域】鈴鹿
【コース】熊野P7:05---7:48熊野滝---9:45綿向山11:00---12:12水無山南峰---13:09熊野P
【メンバー】単独


お早いお帰りですね。

いつか、行き先決まらなければ、綿向 って 時期がありました。


 神様が宿る山は「タケ」と里で呼ばれてきた。綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。また、中世には山岳信仰の対象となり大峰修験や熊野との関わりがあった。こうした歴史のいぶきを少しでも感じようと熊野神社から登ろうと考えた。


それに比べて、格調高いでんなぁ。

この調子で、鈴鹿の近江側の歴史を綴ってくらはい。


 さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。

違和感の感度もかなり上がってまんなぁ。

金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。

おもろい、ていうか、とってつけたような説、誰かに使ってみたいが、ベースとなる教養がないから無理かなぁ。


ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。帰りは八合目まではご一緒させてもらい、別れる。時間があるので北尾根の大ブナを探しに800m付近まで下るが見つからないので引き返す。


よくぞ、お互い認識し合いましたね!。



 文三ハゲの手前で水無山への道に入る。


何度目かの冬、美しい霧氷に出迎えられた記憶で画像さがしてみました。

    では また どこか 鈴鹿の 古道で

        SHIGEKI
添付ファイル
水無から
水無から
緑水
記事: 749
登録日時: 2011年3月14日(月) 02:52

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by 緑水 »

わりばしさん こんいちわ、冷たい雨が降ります。お風呂が好い季節になりましたね。
一万尺は雪だろうね、今年は早い雪が降りてきそうだ。

わりばし さんが書きました:【日 付】2011年10月2日(日)
【コース】熊野P7:05---7:48熊野滝---9:45綿向山11:00---12:12水無山南峰---13:09熊野P

綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。
わりばしさんの山に登る口上がオモシロいですね、ナゼ山に登るのの自己回答が優等生ですな。
脳を喜ばせる、そして筋肉もですもんね。誌的心がチョッと感じられませんけど。好い勉強になりますワン


蔵王ダム湖より熊野むかう。蔵王という地名も蔵王権現からきており、このあたり一帯が修験道の拠点となっていたことがわかる。熊野神社は大杉に囲まれ歴史を感じさせてくれる。立派な神社だ。
熊野権現熊野神社の分身だと思っていました、全国に熊野神社って有りますよね。

 滝の水音を追いながら少し行くと谷に隠れるようにして熊野滝がしぶきをあげていた。山道から直接見えないだけに神聖な雰囲気を感じさせてくれる。
神社に滝は付き物ですね、修験者の修行打身の滝でしょう。
林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。
チョッと高山の雰囲気のある所、画像見るとガレは落ち着いてる感じですね。

金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。
 

スゴイ飛躍の思考だこと、銀明水なるものも有るんじゃないのかなあ。

ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。
へ~そうなんですか賢くなります、読んだそのときだけは、式年遷宮の用材は伊勢神宮からのお下がりなんでしょうね。
伊勢向いて建てるのかな。

 熊野神社が修験道の拠点であったころ西尾根は綿向山への参道として使われていたように感じた。熊野神社から山頂に向かうにはこの尾根を使うのが自然だし。歩きやすい。伊勢の朝熊山の岳道のような使われ方をしたのではないだろうか。
そんな風に物思いに更けて歩く、好いですね。ブツブツと一人語と言いながらね。

綿向山と熊野神社を結ぶラインは昔ながらのいぶきを残す静かな山域であった。ただ、熊野も過疎化が進み廃屋も多い。千年続いた歴史が今後も続いていくのだろうかとふと考えてしまった。
山村だけじゃナシに日本国の50年先はどうなってるんだろう、そんなこと思うことあります。
子どもの声がしないのが一番に気になりますね。

[attachment=0]トウモロコシ.JPG[/attachment]

好い山放浪をです

                           緑水
添付ファイル
丸 ダケカラスが食べた松のみカラはトウモロコシみたい
丸 ダケカラスが食べた松のみカラはトウモロコシみたい
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わりばし
記事: 1766
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、宮指路さん。

 蔵王ダム湖より熊野むかう。蔵王という地名も蔵王権現からきており、このあたり一帯が修験道の拠点となっていたことがわかる。今日の雰囲気に不釣り合いなグリム冒険の森を上ると熊野神社の杉木立が見えてくる。神社手前の駐車場に車を停める。熊野神社は大杉に囲まれ歴史を感じさせてくれる。鳥居前のタコ杉は、幹周7.2mで樹齢400年とされている。ダムが出来て離れ小島のようになってしまった山村とは思えぬ立派な神社だ。

写真の大杉は縄文杉に似ていますね。樹齢1000年は行ってそうな気がします。

少し小ぶりですが、似てますね。風格のある杉です。
オフ会では野登山の杉を見てこようと思っています。

熊野神社のタコ杉
熊野神社のタコ杉
さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。

まだ居ましたか?この辺りのヒルは元気なんですね

私ももういないと思っていたので、ヒル装備はしてなかったんです。

油断大敵です。クワバラ、クワバラ・・・
:mrgreen:

 テープなど無いが、不動明王の祠の裏を上っていく。踏み跡をひろいながら歩いていく。窯跡を過ぎると植林に入り、杣道をつめると林道に出た。林道にも目印はないので、熊野滝を目指して下るのは大変だろうな。林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。慎重に上っていく。着いた最低鞍部からは水無山北尾根コースを使って上る。8合目で表参道に合流する。

登山道に出るとホッとしますね。

登山道はやっぱり歩きやすいですからね。

表参道はたくさん登ってきますが、水無山北尾根コースは静かな登山道ですよ。

乗りのようだ。雲海のような伊勢湾がよく見える。あれっ津の造船所のドックも見えるよ。いい眺めだ。

展望は最高だったようですね。

気持ち良い天候で最高で、秋を感じました。

ハイキング日和って感じです。

綿向神社と文三ハゲ
綿向神社と文三ハゲ
ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。

よく気がつきましたね。もしそんなことなら重大な発見です。

海のない近江の人たちにとって山に登り光り輝く海が見えたら手を合わせたくなる心情はわかります。

見えない日本海よりも見える海のほうが感情移入しやすいですからね。


ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。

思わぬところでヤブメンに遇うと嬉しいですね。
今年、藤原岳山荘前でkasayaさんに会いました。彼とは2度目です。
わりばしさんとは今年の1月3日に御池岳雪山でニアミスでしたね。

ヤブメンと会うのは、嬉しいものです。

オフ会を楽しみにしています。
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Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、SHIGEKIさん。

いつか、行き先決まらなければ、綿向 って 時期がありました。

たくさん遊び方を知ってみえそうですね。また、教えてください。

 神様が宿る山は「タケ」と里で呼ばれてきた。綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。また、中世には山岳信仰の対象となり大峰修験や熊野との関わりがあった。こうした歴史のいぶきを少しでも感じようと熊野神社から登ろうと考えた。

この調子で、鈴鹿の近江側の歴史を綴ってくらはい。

近江って面白いです。歴史も古いし、それがしっかり残っていますからね。

白洲正子が東京の家の庭に鈴鹿峠という峠をわざわざ作った気持ちがわかります。

祖父の在所も日野なんですが、小さな寺に平安時代の仏像や鎌倉時代までの古文書が普通にありますからね。

修験者の好きそうなクラ
修験者の好きそうなクラ
 さて、行くかとい思った瞬間、何やら首に違和感がある。触るとクニュとした肉球があった。ヒルだ、血を吸われる前だったので事なきを得たがアブナイ、アブナイ。長靴にまとわりついていたのも2匹はじきとばして出発。

違和感の感度もかなり上がってまんなぁ。

半世紀にわたりヒルの被害から逃れてきたセンサーです。 :mrgreen:

金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。

おもろい、ていうか、とってつけたような説、誰かに使ってみたいが、ベースとなる教養がないから無理かなぁ。

だれかが「この山は欽明天皇の時より崇められてきた。山頂近くから流れるこの湧水こそ、その名にふさわしい」なんて事を言ったんでしょうね。
金明水のブナ
金明水のブナ
ひとり占めの山頂は10分で、後は次から次へと人が上ってくる。雨乞や鎌を眺めていると、何やら見たことのある顔が。落第忍者さんだ、オフ会以来かな。竜王山から登ってみえたようだ。今年のオフ会やヤブコギの話をしながら楽しく時間をすごす。帰りは八合目まではご一緒させてもらい、別れる。時間があるので北尾根の大ブナを探しに800m付近まで下るが見つからないので引き返す。


よくぞ、お互い認識し合いましたね!。

すぐにわかったんです。

匂うものがあったのかもしれません。


文三ハゲの手前で水無山への道に入る。



何度目かの冬、美しい霧氷に出迎えられた記憶で画像さがしてみました。

    では また どこか 鈴鹿の 古道で

冬の綿向もいいですね。

では、オフ会でお会いしましょう。
:D
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Re: 【鈴鹿】静寂の綿向山 熊野滝-文三ハゲ-山頂-水無山西尾根

投稿記事 by わりばし »

この三連休はいい日和になりそうですね、緑水さん。
わりばし さんが書きました:【日 付】2011年10月2日(日)
【コース】熊野P7:05---7:48熊野滝---9:45綿向山11:00---12:12水無山南峰---13:09熊野P

綿向山も皆から「嶽さん」とか「大嶽さん」と呼ばれてきたようだ。伝承によると飛鳥時代の545年(欽明天皇)頂上に祠が建てられたといわれている。伝承なので本当かどうかはわからないが、麓の西明禅寺の十一面観音像が平安時代後期の仏像であることを考えると千年以上の歴史があることは確かなようだ。
わりばしさんの山に登る口上がオモシロいですね、ナゼ山に登るのの自己回答が優等生ですな。
脳を喜ばせる、そして筋肉もですもんね。誌的心がチョッと感じられませんけど。好い勉強になりますワン


口上は好きなだけなんですが、寅さんの口上のような詩心は無いですね。

どうもセッカチナなもんで。
:mrgreen:

蔵王ダム湖より熊野むかう。蔵王という地名も蔵王権現からきており、このあたり一帯が修験道の拠点となっていたことがわかる。熊野神社は大杉に囲まれ歴史を感じさせてくれる。立派な神社だ。
熊野権現熊野神社の分身だと思っていました、全国に熊野神社って有りますよね。

大峰修験も熊野神社も同じ修験道のグループですから同じように思っています。

中ではいろいろあったみたいですが・・

 滝の水音を追いながら少し行くと谷に隠れるようにして熊野滝がしぶきをあげていた。山道から直接見えないだけに神聖な雰囲気を感じさせてくれる。
神社に滝は付き物ですね、修験者の修行打身の滝でしょう。
熊野滝
熊野滝
林道をつめると対岸に修験者が好みそうなクラがいくつかある。そして、文三ハゲが見えて来ると終点。最低鞍部を目指して上っていくが、ガレ場だけにズルズル滑り歩きにくい。
チョッと高山の雰囲気のある所、画像見るとガレは落ち着いてる感じですね。

上りにくいことはのぼりにくいのですが、最低鞍部までの下部はガレは落ち着いていました。
文三ハゲ
文三ハゲ

金明水では大ブナにごあいさつする。金明水の「きんめい」って、もしかして飛鳥時代の欽明天皇の「きんめい」などと思いながら上ると山頂だった。
 

スゴイ飛躍の思考だこと、銀明水なるものも有るんじゃないのかなあ。

どうでしょうね。
天皇に関して歴史を無視した狂信的な時代がありましたからね。
ありえない飛躍もあったかも?
なにせ「三笠の山にいでし月かも」の三笠山は三笠宮の名前と同じで畏れ多いと若草山に変わりましたし。
木地師の小椋姓も小椋宮の名前と同じという理由で小倉姓に変えた地域もあった時代ですからね。


ここの祠には天穂日命という出雲の神様が祀られている。古くに出雲の一族が日野に移り住み出雲国造の祖先神を綿向山に祀ったのがはじまりのようだ。ただ、現在の祠は出雲の方ではなく伊勢湾を向いている。二十年毎に建て替え直す式年遷宮をしている間に向きが変わってしまったのかもしれない。
へ~そうなんですか賢くなります、読んだそのときだけは、式年遷宮の用材は伊勢神宮からのお下がりなんでしょうね。
伊勢向いて建てるのかな。


歴史の流れから言うと伊勢神宮とはグループが違うのですが、国家神道の時代を経てコチャゴチャになっていますからね。

武田鉄也(海援隊)は今だに会津でコンサートはさせてもらっていないようです。

 熊野神社が修験道の拠点であったころ西尾根は綿向山への参道として使われていたように感じた。熊野神社から山頂に向かうにはこの尾根を使うのが自然だし。歩きやすい。伊勢の朝熊山の岳道のような使われ方をしたのではないだろうか。
そんな風に物思いに更けて歩く、好いですね。ブツブツと一人語と言いながらね。

「変なおじさん」ですね。 :(

綿向山と熊野神社を結ぶラインは昔ながらのいぶきを残す静かな山域であった。ただ、熊野も過疎化が進み廃屋も多い。千年続いた歴史が今後も続いていくのだろうかとふと考えてしまった。
山村だけじゃナシに日本国の50年先はどうなってるんだろう、そんなこと思うことあります。
子どもの声がしないのが一番に気になりますね。


これほど急激にいろいろなものが変わっている時代は、これまでなかったでしょうね。 :|
山の神
山の神
好い山放浪をです

オフ会でお会いしましょう。
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