【湖北】妙理の谷を周回 妙理山・七々頭ヶ岳
Posted: 2021年2月23日(火) 10:26
【日 付】2021年2月21日(日)
【山 域】湖北
【コース】六所神社駐車場 7:05---10:05妙理山---13:05七々頭ヶ岳---13:55六所神社駐車場
【メンバー】単独
久々の菅並に向かい六所神社の駐車場で準備をしていると、アオバトさんとMKさんが到着した。ここでは以前にもkasayaさん・副館長御一行とも出会ったことがある。ヤブメン遭遇率の高い場所だ。アオバトさんも妙理山に同じルートで登るそうだ、私は七々頭ヶ岳まで歩き周回するので先に行かせてもらった。
1406年に恕仲禅師が白山妙理権現より塩泉をほどこされ塩谷山洞寿院を建立した。ここから妙理山・妙理川の名前がきており、今回は妙理の谷を周回することにした。
六所神社裏の取りつき点にテープがある。植林を谷沿いに上っていくとすぐに自然林に変わり、ブナが出始める。眼下の白い河原に高時川の豊かな水がとうとうと流れている。400m付近の尾根が広がった所は獣道のスクランブル交差点のようになっており、豊かな自然が守られていることがわかる。
横山岳が見えるが少し霞がかかった感じで、その奥の左千方が白く光っている。ブナの森が続く尾根には時たま大木が見られるようになり、白い稜線には獣の足跡が続き先導してくれていた。東妙理山まではまじかに安蔵山を感じ、青空とブナに癒されつつ歩みを進める。
長い尾根だが、青空と自然林にいだかれながらのスノーシューハイクなので時間を感じさせないいい所だ。稜線が細くなり再び広くなった所が七々頭ヶ岳の分岐で、この三又を北西方向に進み最後の急登を上り切れば妙理山だった。
白山妙理権現は白山の神である白山権現のことで、十一面観音菩薩の化身とされている。妙理の谷をつめた妙理山からは白山の優美な姿も見られるのだろうが、今日は霞んでいて見えない。十一面観音の頭上には、眉を吊り上げ口を「へ」の字に結んだ顔、結んだ唇の間から牙を現した顔、大口を開けて笑っている顔などがあり人間味があって好きな仏だ。
山頂へ一番乗りだったが、すぐに椿坂から上ってきた夫婦が到着した。メモ帳に到着時間を記入している姿が新鮮だった。学生時代からメモ帳に記入する習慣があったが、写真やGPSの記録で後から確認できるのでメモ帳を持たなくなってしまった。便利にはなったが、何か大切なものを置き忘れてきた気がする。
妙理山から来た道をもどり七々頭ヶ岳への分岐のあたりで、アオバトさん達と出会った。私のスノーシューの歩幅と合わなかったようで、お疲れさまでした。
アオバトさんから和菓子をいただき、分岐を南に一気に下っていく。稜線が細く雪庇が出てる所もあるが問題なく進む。あまり歩かれていないようで、ヤブがうっとうしく時たま出てくる放置植林も枝が伸び放題だ。横山岳の全容と七々頭ヶ岳につながる稜線が見え、上谷山もきれいだ。P710のあたりから植林が増えてきそうなので、左千方を眺めながら休憩をする。風もなくなんて心地いい日和なんだろう。
時間があるので新谷山によろうかと思ったが、分岐から放置植林が続いており気がのらずに止めた。七々頭ヶ岳への稜線は、片側が植林だったり自然林があたわれたりとマダラ植林で意外に明るい。歩き始めからここまでの稜線の先達を獣たちがしてくれていたのだが、植林が増えるにつれ無くなってしまった。エサの少ない植林は獣たちにとっても無用の長物なのだろう。地図ではわからないのだが、アップダウンがある長い尾根をとにかく進むと反対側に余呉湖が見えてきた。
白いくぼ地になった瑠璃池をすぎ、ひと上りすると西林寺と七々頭観音のお堂のある七々頭ヶ岳だった。上丹生・菅並・摺墨の七つの尾根を集めた頂であることから山名がついた。今でもその年に生まれた赤ちゃんを背負って参詣し、子どもの健やかな成長を祈願する「成子参り」が続いているようだ。七々頭ヶ岳への表参道のある上丹生では陶磁器を飾り付けた3基の山車が出る曳山茶碗祭りもあり、培ってきた文化レベルの高さがうかがえる。北国街道ができるまで、高時川沿いに続く道が越前・近江・美濃をつなく重要ルートであったことが関係しているのだろう。
山頂には菅並から登ってきた70歳の登山者がいた。私も10年後にこうして雪山に登っていたいもんだ。トレースを使わせてもらい下る。登山道が東に折れ急激に下る地点にはマンサクが咲き始めていた。474標高点からは急な夏道をはずして尾根ずたいに下る予定でいたところトレースも同じ所を下っておりラッキーだ。最後は植林を下り民家の横に降り立った。
江戸時代に徳川家の支援もあり、ここまでの伝統文化が引き継がれてきたのだろう。菅並から妙理の谷を取り巻く尾根を周回し、その痕跡にふれられた思いだ。地域に根差した文化が今後も続いていくことを願わずにはいられない。
【山 域】湖北
【コース】六所神社駐車場 7:05---10:05妙理山---13:05七々頭ヶ岳---13:55六所神社駐車場
【メンバー】単独
久々の菅並に向かい六所神社の駐車場で準備をしていると、アオバトさんとMKさんが到着した。ここでは以前にもkasayaさん・副館長御一行とも出会ったことがある。ヤブメン遭遇率の高い場所だ。アオバトさんも妙理山に同じルートで登るそうだ、私は七々頭ヶ岳まで歩き周回するので先に行かせてもらった。
1406年に恕仲禅師が白山妙理権現より塩泉をほどこされ塩谷山洞寿院を建立した。ここから妙理山・妙理川の名前がきており、今回は妙理の谷を周回することにした。
六所神社裏の取りつき点にテープがある。植林を谷沿いに上っていくとすぐに自然林に変わり、ブナが出始める。眼下の白い河原に高時川の豊かな水がとうとうと流れている。400m付近の尾根が広がった所は獣道のスクランブル交差点のようになっており、豊かな自然が守られていることがわかる。
横山岳が見えるが少し霞がかかった感じで、その奥の左千方が白く光っている。ブナの森が続く尾根には時たま大木が見られるようになり、白い稜線には獣の足跡が続き先導してくれていた。東妙理山まではまじかに安蔵山を感じ、青空とブナに癒されつつ歩みを進める。
長い尾根だが、青空と自然林にいだかれながらのスノーシューハイクなので時間を感じさせないいい所だ。稜線が細くなり再び広くなった所が七々頭ヶ岳の分岐で、この三又を北西方向に進み最後の急登を上り切れば妙理山だった。
白山妙理権現は白山の神である白山権現のことで、十一面観音菩薩の化身とされている。妙理の谷をつめた妙理山からは白山の優美な姿も見られるのだろうが、今日は霞んでいて見えない。十一面観音の頭上には、眉を吊り上げ口を「へ」の字に結んだ顔、結んだ唇の間から牙を現した顔、大口を開けて笑っている顔などがあり人間味があって好きな仏だ。
山頂へ一番乗りだったが、すぐに椿坂から上ってきた夫婦が到着した。メモ帳に到着時間を記入している姿が新鮮だった。学生時代からメモ帳に記入する習慣があったが、写真やGPSの記録で後から確認できるのでメモ帳を持たなくなってしまった。便利にはなったが、何か大切なものを置き忘れてきた気がする。
妙理山から来た道をもどり七々頭ヶ岳への分岐のあたりで、アオバトさん達と出会った。私のスノーシューの歩幅と合わなかったようで、お疲れさまでした。
アオバトさんから和菓子をいただき、分岐を南に一気に下っていく。稜線が細く雪庇が出てる所もあるが問題なく進む。あまり歩かれていないようで、ヤブがうっとうしく時たま出てくる放置植林も枝が伸び放題だ。横山岳の全容と七々頭ヶ岳につながる稜線が見え、上谷山もきれいだ。P710のあたりから植林が増えてきそうなので、左千方を眺めながら休憩をする。風もなくなんて心地いい日和なんだろう。
時間があるので新谷山によろうかと思ったが、分岐から放置植林が続いており気がのらずに止めた。七々頭ヶ岳への稜線は、片側が植林だったり自然林があたわれたりとマダラ植林で意外に明るい。歩き始めからここまでの稜線の先達を獣たちがしてくれていたのだが、植林が増えるにつれ無くなってしまった。エサの少ない植林は獣たちにとっても無用の長物なのだろう。地図ではわからないのだが、アップダウンがある長い尾根をとにかく進むと反対側に余呉湖が見えてきた。
白いくぼ地になった瑠璃池をすぎ、ひと上りすると西林寺と七々頭観音のお堂のある七々頭ヶ岳だった。上丹生・菅並・摺墨の七つの尾根を集めた頂であることから山名がついた。今でもその年に生まれた赤ちゃんを背負って参詣し、子どもの健やかな成長を祈願する「成子参り」が続いているようだ。七々頭ヶ岳への表参道のある上丹生では陶磁器を飾り付けた3基の山車が出る曳山茶碗祭りもあり、培ってきた文化レベルの高さがうかがえる。北国街道ができるまで、高時川沿いに続く道が越前・近江・美濃をつなく重要ルートであったことが関係しているのだろう。
山頂には菅並から登ってきた70歳の登山者がいた。私も10年後にこうして雪山に登っていたいもんだ。トレースを使わせてもらい下る。登山道が東に折れ急激に下る地点にはマンサクが咲き始めていた。474標高点からは急な夏道をはずして尾根ずたいに下る予定でいたところトレースも同じ所を下っておりラッキーだ。最後は植林を下り民家の横に降り立った。
江戸時代に徳川家の支援もあり、ここまでの伝統文化が引き継がれてきたのだろう。菅並から妙理の谷を取り巻く尾根を周回し、その痕跡にふれられた思いだ。地域に根差した文化が今後も続いていくことを願わずにはいられない。