【湖北】横山岳☆再び霧氷の山毛欅林を歩く歓び
Posted: 2019年2月20日(水) 23:31
遂にこの日が来た。再び雪山を歩くことが出来る日が、そして、このやぶこぎネットにレポを上げる日が。
【 日 付 】2019年2月17日(日曜日)
【 山 域 】湖北
【メンバー】山猫、家内、D夫妻
【 天 候 】曇りのち晴れ
【 ルート 】余呉登山口10:13~11:26ケヤキ広場~12:46天狗の森~13:37横山岳14:00~16:21横山岳余呉登山口
週の半ばから出張で九州の久留米へ、そしてその帰りに寄り道した広島の瀬戸内と温暖な地域で、とっぷりと春の陽気に浸ることになった。来週からは更に一段と暖かくなるという。久留米と広島で少しずつハードルを上げながらリハビリ・ハイクを重ねてきたが、雪山に再び挑戦するのは今週をおいて他はないだろう。折しも前日に広島の経小屋山を登っている最中に親しい山友達のD氏から私の膝の具合を心配してのメールを頂く。翌日のご都合をお伺いしたところ、D夫妻は金糞岳と西穂と連続で泊りがけの山行から帰ったばかりであるにも拘らず、快くリハビリ山行にお付き合いして頂ける運びとなった。
この日の山行先は久しぶりの雪山に自分の脚が果たしてどれだけ順応出来るか、そして山々の雪の状態も予想がつかず、散々悩むことになった。山行先を決めぬまま、家内が子供達の食事の準備を終えるや否やまずは湖北へ向かって車を走らせる。朽木から湖北の一帯かけては夜のうちに降雪の予報であり、雪があるならばSatoさんにお薦めいただいた山本山から静ヶ岳への縦走をと考えたが、湖北に来ても辺りの山々には全く積雪は見られない。
それならばと例年はこの時期は積雪で全く入ることが出来ないはずの県道285号を奥へと進むことを考えたのだが、しかし菅並の直前で霧氷を山頂部に纏った白銀の横山岳が目に入った瞬間、心が決まった。菅並から横山岳の山頂部に向かって伸びて西尾根ルートは草川啓三氏の本「琵琶湖の北に連なる山々」で紹介されているのだが、積雪期に訪れてみたいと思っていたのであった。
菅並の浄水場の近くに車をとめて、まずは山腹を横切る林道を目指し、浄水場の裏手から沢沿いの林道を歩き始める。林道脇には横山岳余呉登山口と素っ気ない案内標が懸けられている。すぐに林道は沢へと下り、渡渉することになる。沢の水量が少ないので何とか無事、渡渉出来たが、水量の多い季節は足を水に浸さずに渡るのは容易ではないだろう。しばらく進むともう一度、渡渉して沢の左岸の林道へと移る。おそらく林道の間にはかつては橋が架けられていたのだろう。
間もなく山腹を横切る林道へと出る。西尾根の取り付きにくると林道の法面が削られ、登り口となっているようだ。草川啓三氏の本によるとかつてはここに縄梯子が懸けられていたらしいが、今はロープの類も何もないので、周りの木を掴んで無理やり登る。後で調べるともう少し林道を先に進んだところに新たに階段の登山口が設けられているようだ。
取り付きを登るとすぐになだらかで歩きやすい自然林の尾根となる。尾根芯は随所に藪があるが、道は藪を避けて尾根の北側の斜面をトラバースすることが多い。尾根上に雪が現れるようになると薄い雪の上につけられた動物の足跡が雪に埋もれた夏道を示してくれる。積雪が増えるにつれ、その上に真新しい人の踏み跡がついている。踏み跡の具合からすると今朝のものだろう。やがて尾根上には見事なケヤキの大樹が現れる。ケヤキ広場と呼ばれるところらしい。
トレースを辿るうちに上から単独行の男性が下ってこられた。「ピストンですか?」とお伺いすると、そうだという。トレースはこの男性のものだったようだ。
男性とすれ違ってから少し上のあたりでスノーシューを装着する。やはり昨晩には降雪があったようで、新雪の感触が柔らかい。しかし何ということのない登りでも、傾斜が急になると新雪の上では患側の足に重心をかけて登ることが難しい。トレッキング・ポールの支えに頼らざるを得ないのだが、新雪の上ではポールをつく位置も慎重に考えなければならないようだ。
ポールをつくタイミング、その位置に限らず、足を下ろす、曲げるという所作一つをとっても普段は何気なく無造作に行っている動作の一つ一つを慎重に行わないと上手くいかない。逆にこれらの動作にはそれなりのコツというか、ポイントがあるということを怪我した脚が教えてくれるようだ。
やがて尾根の樹林の切れ目から南西の方向に展望が開け、正面には七々頭ヶ岳、右手には妙理山を大きく望む。彼方に見える余呉湖は光の加減で白い水を湛えた小さな水溜りのように見える。尾根をすすむにつれ、賤ヶ岳の向こうに霞む空の中から銀盤のような琵琶湖が姿を顕した。
尾根の上部では急登が連続する。さらさらとした新雪のラッセルは軽いのだが、患側の脚では容易に登れないところが多い。D氏にトップを替わって頂く。D夫妻はさすがにラッセルはお手のもの、軽々と登ってゆかれる。
急登を登った先にはそれまでの労苦を労うかのように山頂へと続くなだらかな尾根上に霧氷を纏った山毛欅の美林が待っていた。この素晴らしい山毛欅の霧氷をみた時の感動は一潮である。膝蓋骨骨折の受傷を負った時点で霧氷はおろか、今年の雪山に登ることは諦めざるを得ないかもしれないと思っていたのだから。
時折、雲から零れ落ちる光が半透明の山毛欅の霧氷をガラス細工のように輝かせると、キラキラと光を反射する音が聞こえてきそうである。ここまで登って来られた歓びに浸りながら山毛欅の廻廊の中をゆっくりと歩いて山頂にたどり着く。
山頂広場で昼食を広げようとしたところ、風に吹かれてバラバラと舞い落ちる霧氷が意外と肌に痛い。山頂の物置小屋の前に避難する。この日は木ノ本で入手したつるやパンのサラダパンとねぎとろの巻きずし、鯖寿司といった行動食、そして広島土産の穴子ちくわといった行動食である。D夫人が用意して下さったイチゴが蓋を開けた瞬間、甘酸っぱい良質な香りが辺りに漂う。いつも何かしらの美味しいフルーツをご用意して下さるのだが、山頂でのフルーツは何とも贅沢だ。
風に吹かれてはハラハラと桜のように舞い落ちる霧氷を見ていると、過ぎゆく季節に対する哀切を感じずにはいられない。一人で山頂から東峰へと続く尾根から北斜面に回り込んでみる。北尾根にかけて続いてゆく山毛欅林に柔らかい光に照らされて白く輝く。北側に見える筈の江美国境の山々は薄雲の中で霞んでいるようだ。
山頂を引き上げようかという頃になり、余呉湖の彼方に輝く銀盤のような琵琶湖が姿を現すのだった。いつしか空には晴れ間が広がり始める。下山は美しい山毛欅林と、距離は長くなるものの西尾根よりも遥かになだらかであることを期待して北尾根のコースを選択する。
北尾根入ると樹高の高い山毛欅の林は一層、壮麗さを増すようだ。尾根を北に下るにつれて霧氷は急に薄くなるが、素晴らしい山毛欅の林は目を飽きさせない。尾根の右手には左千方から神又峰にかけて、冠雪した江美国境の美しい稜線が遂に雲の中から姿を顕した。
標高1000mの辺りで大きく尾根を左手に曲がることになり、ここで東側の美しい江美国境の山々の眺望とお別れである。ここからは少しばかり急坂となる。私の膝にとっては登りよりも下りの方が遥かに問題なのだが、前夜降ったばかりと思われる新雪は柔らかく、心配されたこの急坂を無事に下ること出来た。
ここから先の尾根は西尾根とは対照的になだらかな下りが続いてゆく。一度、大きく健側の脚を踏み抜くが、D氏がすかさず駆け寄り、脚を引き抜くのを助けて下さる。健側の足で雪を踏み抜くと、これまでは骨折した膝に激痛が走ったのだが、この日は雪を踏み抜いても膝に痛みが走ることもない。
標高730mあたりで尾根は左手、南西方向に折れる。このあたりで急に雪が薄くなり、スノーシューを外してチェーンスパイクに付け替える。雪が薄くなったせいであろう、明瞭な掘割式の古道が出現した。古道に沿って明瞭な踏み跡が続いているのだが、その踏み跡の主は明らかに鹿のものだ。しかし、この鹿道は確実に尾根芯を辿っており、ところどころにつけられたテープもこの鹿道の踏み跡に沿ってつけられているようだ。
最後は菅並の集落が見えるところで尾根は左右に分岐する。余呉トレイルクラブの地図では点線のルートは右手の尾根へと続いていくのだが、車を停めた浄水場に降りるべく左手の尾根を選択する。先ほどまでの掘割式の古道もこちらの尾根を下っているようだ。尾根の傾斜は急であるが、斜面にジグザグにつけられた古道を辿ることで容易に尾根を下ることが出来る。すぐに最初に歩いた林道の法面の上部に出る。ここも低木をつかみながら急斜面を下って林道に降り立つ。
車を停めた登山口に戻るためにはここから尾根をまっすぐに下降したら近そうである。林道の反対側から下の斜面をのぞき込むと、有難いことにこれまで辿ってきた掘割式の古道が続いているのが見える。ここからは再び古道を辿ると浄水場の手前、駐車地のすぐ近くに出た。最後は明神さんとして祀られている菅並の大ケヤキにお参りをして、D夫妻とお別れする。
膝の故障以来、なんとか無事に雪山を歩けることの歓び、そして有難さが身に滲みる格別な一日であった。
【 日 付 】2019年2月17日(日曜日)
【 山 域 】湖北
【メンバー】山猫、家内、D夫妻
【 天 候 】曇りのち晴れ
【 ルート 】余呉登山口10:13~11:26ケヤキ広場~12:46天狗の森~13:37横山岳14:00~16:21横山岳余呉登山口
週の半ばから出張で九州の久留米へ、そしてその帰りに寄り道した広島の瀬戸内と温暖な地域で、とっぷりと春の陽気に浸ることになった。来週からは更に一段と暖かくなるという。久留米と広島で少しずつハードルを上げながらリハビリ・ハイクを重ねてきたが、雪山に再び挑戦するのは今週をおいて他はないだろう。折しも前日に広島の経小屋山を登っている最中に親しい山友達のD氏から私の膝の具合を心配してのメールを頂く。翌日のご都合をお伺いしたところ、D夫妻は金糞岳と西穂と連続で泊りがけの山行から帰ったばかりであるにも拘らず、快くリハビリ山行にお付き合いして頂ける運びとなった。
この日の山行先は久しぶりの雪山に自分の脚が果たしてどれだけ順応出来るか、そして山々の雪の状態も予想がつかず、散々悩むことになった。山行先を決めぬまま、家内が子供達の食事の準備を終えるや否やまずは湖北へ向かって車を走らせる。朽木から湖北の一帯かけては夜のうちに降雪の予報であり、雪があるならばSatoさんにお薦めいただいた山本山から静ヶ岳への縦走をと考えたが、湖北に来ても辺りの山々には全く積雪は見られない。
それならばと例年はこの時期は積雪で全く入ることが出来ないはずの県道285号を奥へと進むことを考えたのだが、しかし菅並の直前で霧氷を山頂部に纏った白銀の横山岳が目に入った瞬間、心が決まった。菅並から横山岳の山頂部に向かって伸びて西尾根ルートは草川啓三氏の本「琵琶湖の北に連なる山々」で紹介されているのだが、積雪期に訪れてみたいと思っていたのであった。
菅並の浄水場の近くに車をとめて、まずは山腹を横切る林道を目指し、浄水場の裏手から沢沿いの林道を歩き始める。林道脇には横山岳余呉登山口と素っ気ない案内標が懸けられている。すぐに林道は沢へと下り、渡渉することになる。沢の水量が少ないので何とか無事、渡渉出来たが、水量の多い季節は足を水に浸さずに渡るのは容易ではないだろう。しばらく進むともう一度、渡渉して沢の左岸の林道へと移る。おそらく林道の間にはかつては橋が架けられていたのだろう。
間もなく山腹を横切る林道へと出る。西尾根の取り付きにくると林道の法面が削られ、登り口となっているようだ。草川啓三氏の本によるとかつてはここに縄梯子が懸けられていたらしいが、今はロープの類も何もないので、周りの木を掴んで無理やり登る。後で調べるともう少し林道を先に進んだところに新たに階段の登山口が設けられているようだ。
取り付きを登るとすぐになだらかで歩きやすい自然林の尾根となる。尾根芯は随所に藪があるが、道は藪を避けて尾根の北側の斜面をトラバースすることが多い。尾根上に雪が現れるようになると薄い雪の上につけられた動物の足跡が雪に埋もれた夏道を示してくれる。積雪が増えるにつれ、その上に真新しい人の踏み跡がついている。踏み跡の具合からすると今朝のものだろう。やがて尾根上には見事なケヤキの大樹が現れる。ケヤキ広場と呼ばれるところらしい。
トレースを辿るうちに上から単独行の男性が下ってこられた。「ピストンですか?」とお伺いすると、そうだという。トレースはこの男性のものだったようだ。
男性とすれ違ってから少し上のあたりでスノーシューを装着する。やはり昨晩には降雪があったようで、新雪の感触が柔らかい。しかし何ということのない登りでも、傾斜が急になると新雪の上では患側の足に重心をかけて登ることが難しい。トレッキング・ポールの支えに頼らざるを得ないのだが、新雪の上ではポールをつく位置も慎重に考えなければならないようだ。
ポールをつくタイミング、その位置に限らず、足を下ろす、曲げるという所作一つをとっても普段は何気なく無造作に行っている動作の一つ一つを慎重に行わないと上手くいかない。逆にこれらの動作にはそれなりのコツというか、ポイントがあるということを怪我した脚が教えてくれるようだ。
やがて尾根の樹林の切れ目から南西の方向に展望が開け、正面には七々頭ヶ岳、右手には妙理山を大きく望む。彼方に見える余呉湖は光の加減で白い水を湛えた小さな水溜りのように見える。尾根をすすむにつれ、賤ヶ岳の向こうに霞む空の中から銀盤のような琵琶湖が姿を顕した。
尾根の上部では急登が連続する。さらさらとした新雪のラッセルは軽いのだが、患側の脚では容易に登れないところが多い。D氏にトップを替わって頂く。D夫妻はさすがにラッセルはお手のもの、軽々と登ってゆかれる。
急登を登った先にはそれまでの労苦を労うかのように山頂へと続くなだらかな尾根上に霧氷を纏った山毛欅の美林が待っていた。この素晴らしい山毛欅の霧氷をみた時の感動は一潮である。膝蓋骨骨折の受傷を負った時点で霧氷はおろか、今年の雪山に登ることは諦めざるを得ないかもしれないと思っていたのだから。
時折、雲から零れ落ちる光が半透明の山毛欅の霧氷をガラス細工のように輝かせると、キラキラと光を反射する音が聞こえてきそうである。ここまで登って来られた歓びに浸りながら山毛欅の廻廊の中をゆっくりと歩いて山頂にたどり着く。
山頂広場で昼食を広げようとしたところ、風に吹かれてバラバラと舞い落ちる霧氷が意外と肌に痛い。山頂の物置小屋の前に避難する。この日は木ノ本で入手したつるやパンのサラダパンとねぎとろの巻きずし、鯖寿司といった行動食、そして広島土産の穴子ちくわといった行動食である。D夫人が用意して下さったイチゴが蓋を開けた瞬間、甘酸っぱい良質な香りが辺りに漂う。いつも何かしらの美味しいフルーツをご用意して下さるのだが、山頂でのフルーツは何とも贅沢だ。
風に吹かれてはハラハラと桜のように舞い落ちる霧氷を見ていると、過ぎゆく季節に対する哀切を感じずにはいられない。一人で山頂から東峰へと続く尾根から北斜面に回り込んでみる。北尾根にかけて続いてゆく山毛欅林に柔らかい光に照らされて白く輝く。北側に見える筈の江美国境の山々は薄雲の中で霞んでいるようだ。
山頂を引き上げようかという頃になり、余呉湖の彼方に輝く銀盤のような琵琶湖が姿を現すのだった。いつしか空には晴れ間が広がり始める。下山は美しい山毛欅林と、距離は長くなるものの西尾根よりも遥かになだらかであることを期待して北尾根のコースを選択する。
北尾根入ると樹高の高い山毛欅の林は一層、壮麗さを増すようだ。尾根を北に下るにつれて霧氷は急に薄くなるが、素晴らしい山毛欅の林は目を飽きさせない。尾根の右手には左千方から神又峰にかけて、冠雪した江美国境の美しい稜線が遂に雲の中から姿を顕した。
標高1000mの辺りで大きく尾根を左手に曲がることになり、ここで東側の美しい江美国境の山々の眺望とお別れである。ここからは少しばかり急坂となる。私の膝にとっては登りよりも下りの方が遥かに問題なのだが、前夜降ったばかりと思われる新雪は柔らかく、心配されたこの急坂を無事に下ること出来た。
ここから先の尾根は西尾根とは対照的になだらかな下りが続いてゆく。一度、大きく健側の脚を踏み抜くが、D氏がすかさず駆け寄り、脚を引き抜くのを助けて下さる。健側の足で雪を踏み抜くと、これまでは骨折した膝に激痛が走ったのだが、この日は雪を踏み抜いても膝に痛みが走ることもない。
標高730mあたりで尾根は左手、南西方向に折れる。このあたりで急に雪が薄くなり、スノーシューを外してチェーンスパイクに付け替える。雪が薄くなったせいであろう、明瞭な掘割式の古道が出現した。古道に沿って明瞭な踏み跡が続いているのだが、その踏み跡の主は明らかに鹿のものだ。しかし、この鹿道は確実に尾根芯を辿っており、ところどころにつけられたテープもこの鹿道の踏み跡に沿ってつけられているようだ。
最後は菅並の集落が見えるところで尾根は左右に分岐する。余呉トレイルクラブの地図では点線のルートは右手の尾根へと続いていくのだが、車を停めた浄水場に降りるべく左手の尾根を選択する。先ほどまでの掘割式の古道もこちらの尾根を下っているようだ。尾根の傾斜は急であるが、斜面にジグザグにつけられた古道を辿ることで容易に尾根を下ることが出来る。すぐに最初に歩いた林道の法面の上部に出る。ここも低木をつかみながら急斜面を下って林道に降り立つ。
車を停めた登山口に戻るためにはここから尾根をまっすぐに下降したら近そうである。林道の反対側から下の斜面をのぞき込むと、有難いことにこれまで辿ってきた掘割式の古道が続いているのが見える。ここからは再び古道を辿ると浄水場の手前、駐車地のすぐ近くに出た。最後は明神さんとして祀られている菅並の大ケヤキにお参りをして、D夫妻とお別れする。
膝の故障以来、なんとか無事に雪山を歩けることの歓び、そして有難さが身に滲みる格別な一日であった。