【比良】細川より武奈ヶ岳~釣瓶岳周回 純白の尾根での素敵な出遭い
Posted: 2019年1月22日(火) 10:28
【 日 付 】2019年1月19日
【 山 域 】比良
【メンバー】山猫、家内、次男(小5)
【 天 候 】曇りのち晴れ
【 ルート 】細川9:24~14:07武奈ヶ岳14:51~15:37釣瓶岳~17:38細川
久しぶりの次男を伴っての山行先に武奈ヶ岳を選んだのは、次男が武奈ヶ岳がいいと希望したからである。前日の夜から未明にかけて、比良では久しぶりの降雪となりそうであり、山上では霧氷も期待できそうだ。
問題はルートである。新雪直後とあってはスノーシューでモフモフの雪のラッセルを楽しみたいところであるが、長男を学校に送り出してから家を出る時間では、御殿山を経由する西南稜ルートは既に先行者達のトレースでガチガチに踏み固められた後だろう。
昨年、金沢への出張のついでに次男と登った北陸の山での雪が非常に重かったせいか、以来、次男はスノーシューを履くのを嫌がっている。下山の際に目すぐの前で低く垂れ込めた雲から聞こえる大音響の雷が次男の暗澹たる印象に拍車をかけたのかもしれない。しかし、前日になって、スノーシューを履いて武奈ヶ岳に登ってみようかというと首を縦にふってくれる。そうとくれば選択に躊躇はない、細川尾根を登り、アラ谷左岸尾根を下るコースを選択する。
このコースは昨年の6月に親しい友人ご夫妻とと歩いたコースとほぼ重なる。地図の上では一直線に武奈ヶ岳にかけて登ってゆくが、意外と急登は少なく、登りやすいルートに思われる。
コースが決まったところで、親しい山仲間にお誘いをかけると当日は京都コンサートホールでの京都市交響楽団の演奏会の予定とのこと。ご丁寧にもプログラムを教えてくれたのだが、前半はゲルハルト・オピッツによるブラームスこのピアノ協奏曲第一番らしい。ブラームスのピアノ曲全集を録音しているオピッツによるブラームスの協奏曲は悪かろう筈がない。
車にオピッツによるブラームスのピアノ協奏曲第1番のCDをセットすると、出発する。R367を北上すると権現山の上の方は白くなってはいるものの、途中峠を過ぎるまで降雪の気配が全くない。しかし、花折トンネルを抜けると風景は雪景色へと一変する。正面に見える伊賀谷山の杉の植林も真っ白に雪化粧を施されており、折からの蒼空から差し込む陽光に照らされると普段は極めて地味な山が途端に輝かしく見える。折しもピアノ協奏曲は緩徐楽章が始まったところであり、この雪景色を音で彩るように静謐で幻想的な音楽が流れてゆく。あるいはこの音楽に呼応するように景色が広がるというべきか。
坊村を通過すると、安曇川の対岸の市民センターの前の駐車場は既にかなり埋まっているようだ。今日もかなりの登山客が西南稜に向かっていることだろう。細川集落にある休憩所に到着すると、狭い駐車場には軽自動車が一台停まっている。果たして細川尾根に登る登山者のものだろうか。
八幡谷から流れる川沿いの手前の道を山に向かって歩くと、すぐに薄雪の上を山の方へと向かう一人の踏み跡に気がついた。足のサイズが小さいので女性の靴のように思える、果たしてなぜ女性がこんなところを・・・と考えた瞬間、細川尾根に向かう道はこの道ではなかったことに気がつく。再びR367まで戻り、再出発である。
川の向こう側から集落の前を右手に入っていく道が細川尾根の取り付きに至る正しい道である。道の上には全く踏み跡はない。有り難い、トレースのない新雪の上をラッセルする悦びを堪能できるというものだ。
植林地に入るとまずは古(いにしえ)の集落跡と思われる両側に立ち並ぶ苔むした石垣の間を進んでゆく。早速にも多くの杉の倒木が出現する。昨年の6月にこの細川尾根を辿った時には無かったものであり、その後の台風により生じた倒木だろう。しかし、登山路上の通行に支障をきたす倒木は既に処理されている。
杉の植林地に入ると登山路はすぐに右手の斜面をトラバースする道と尾根芯を直登するルートに分岐する。尾根を直登するルートはかなりの急斜面になるので、今回は登山路がはっきりしているトラバース道を選ぶ。杉林の中の登山路にはまだ雪はほとんどない。
次男が新しい冬靴に慣れないのだろう、次男が早々に踵に痛みを訴えはじめる。踵に絆創膏を貼ってみるが、やはり痛みが持続するらしい。家内の靴とサイズが同じなので、家内の靴と交換してみる。
登山路が斜面をトラバースする方向を左手に転じ、再び尾根道と合流するとまもなく杉の植林を抜ける。登山路にはようやく雪が目立つようになったかと思うと、またたく間に雪が深くなる。ここでスノーシューを装着して歩き始めると、早速にも足元の新雪の感触はモフモフと柔らかい。しばらく前まではスノーシューに難色を示していた次男であったが、意外と機嫌よくスノーシューで歩いている。スノーシューを装着して踵の靴擦れの痛みも和らいだようだ。
昨夜は一晩で相当に雪が降ったようだ。スノーシューの沈み込みも吹き溜まりでは膝をこえる。6月の季節は小紫陽花の花が登山路をずっと彩っていたのだが、小紫陽花の藪はすっかり雪の下に埋もれている。明るい自然林の中ではキツツキが何処かにいるのだろう、静寂を破って樹を穿つ高速の連打音が梢に響く。雪が降ってまだ間もないせいだろうか、雪の上には鹿や野兎などの動物の足跡すら見当たらない。純白のビロードのような雪面が続いてゆく。
左手の樹間から真っ白に霧氷を纏った稜線が現れる。釣瓶岳へと続く武奈ヶ岳の北尾根だ。今回のコース取りでの最大の魅力は比良山系随一とも称されるこの北尾根の霧氷である。稜線の上の雲からは青空がわずかに顔を覗かせ始めた。振り返ると先程まで雲の下であった鎌倉山も雲の下から顔を覗かせ、稜線の彼方には峰床山が姿を見せはじめる。
雲が上に上がり始めたようだ。すぐ上空ではかなりの勢いで東に向かって雲が流れてゆく。この日は午後の遅くから晴れの予報であり、敢えて遅めに出発したのだが、どうやら予報があたることが期待できそうだ。
標高900mあたりで、斜面の上の方で何かが動く気配がしたが、動物の影は見当たらない。しばらく登ると、突然、少し上の斜面を急速に下ってくる人影が顕れた。単独行の女性である。
「どちらから登っていらしたんですか?」とお伺いすると
「アラ谷の左岸尾根です。細川尾根はきっと登っている人がいるだろうなと思って」と爽やかな笑顔で答えられる。
(それは正しい、しかし女性の方が遥かに早い時間だったのだが。それにしても、敢えてトレースのない新雪のラッセルを望んだということか・・・相当に山慣れしているご様子、只者ではなさそうだ)
「今日、これから下山で通る予定です。どうでした?あちらの尾根は」、
「わずかな地形の差なのでしょうか、向こうの尾根よりもこの細川尾根の方が雪が多いように思います」
「山頂のあたりは如何でした?人も多かったのではないでしょうか」
「山頂はガスガスでした。風もとても強くて・・確かに人が多くて、雪も魚の鱗みたいになっていました。でも北尾根は雪庇も綺麗に発達していて、霧氷がとっても綺麗でしたよ」
女性と話をしている間に家内と次男が追いつく。
お別れする間際に最後に
「今回のレコをヤマレコにアップする予定ですので・・・」とお伝えすると
(やぶこぎネットにユルユルのファミリー・ハイクのレポをアップすることを少し躊躇したので)
「ハンドルネームはなんていうのですか?」と聞いて下さる。
「yamaneko0922といいます」
「どこかで見た覚えがあるわ・・・」一瞬、考えこんだかと思うと、意外な言葉が続いた。「わかった。山日和さんのお知り合いでしょ」(彼女はここで山日和さんの本名を口にするが、このサイトでは山日和さんの方が通じやすいと思うので)
「そう、山日和さんから去年に登られた庄部谷山で、flatwellさんとご一緒に登られていた方にお遭いした話をお伺いしました」
flatwellさんというのは庄部谷山に一緒に登った方である。
「山日和さんどのように言ったら通じますか?」とお伺いすると、Nから始まる苗字を教えて下さる。そのお名前はすぐにピンときた。このサイトではお馴染み、「山登りはこんなにも面白い」の著者の一人である。女性らしいといってよいのだろうか、柔軟で感性に富む文体が一際、鮮烈に印象に残っているのだった。山日和さんからは少々のことでは驚いてはいけません、と云われてはいるものの(上谷山のレポへのコメント)、ここは誰が驚かないでいられることだろう。
N女史とお別れすると、ここからは久しぶりにトレースの跡を辿ることになるが、お陰でラッセルの負担は一挙に軽くなる。慣れないスノーシューで私の後をついてくる次男の足の負担も楽になるといいのだが。しかし、今度はつま先が靴ずれをおこしてしまったらしい。
少しの急登があるが、トレースに助けられて楽に登る。いよいよ霧氷の樹林の中へと入る。雲はすっかり上がったようだ。左手の北尾根に加えて右手には西南稜と両側に展望が開けるようになる。
西南稜の彼方では沸き立つ雲烟が目に入る。今頃、西南稜を辿る人々は絶景を楽しんでおられることだろう。西南稜の尾根上はほぼひっきりなしに登山客が往来しているようだ。西南稜の写真を撮ろうと尾根の端に近づいた途端、すぐ足元で2m程の長さにわたり、雪庇が崩れ落ちる。危ないところだった。
最後は尾根上の樹木も疎らとなり、山頂まで好展望が続く。シュカブラの刻み込まれた尾根上は樹々も疎らとなり、それまでは金平糖状だった霧氷もエビの尻尾と呼ばれる類のものへと成長している。目の前には比良ブルーと呼ばれる済んだ蒼穹が広がってゆく。家族たちを振り返ると、背後の北山の山々の上にかかっていた雲はすっかりとれて、重畳たる山並みを彼方まで見晴らすことが出来る。
山頂にたどり着くとやはり多くの登山客で賑わっている。踏み固められた雪はN女史が云うように確かに魚鱗状のようにも思われる。他の登山客達は皆アイゼンであり、スノーシューをつけて歩いているのは我々だけだ。
N女史が山頂に立った時とは異なり、すっかり風はなく、見渡すかぎりの360度の展望が広がる。慣れないスノーシューを履いた次男は靴擦れのせいもあってか、かなりのスローペースであったが、そのお陰で雲が晴れたタイミングで山頂に立つことが出来たといえる。
北山の山並みを眺めて気になったのは、滝谷山の大きな電波塔がいつの間に見当たらなくなっていたことだ。起伏の少ない北山の山座を同定するのに重要な目印となっていたのだが、電波塔がなくなると山座の同定が途端に困難に思える。すぐ東側のコヤマノ岳には蓬莱山から移動してきた光の筋が到来すると、それまでは灰茶色にしか見えなかった樹々が霧氷のせいで白銀に輝きだす様は、陽光が樹々を白く塗り替えてゆくかのようだ。
山頂の北面で、どなたかがスノースコップで掘った窪地を昼食の休憩に使わせて頂く。正面に見下ろす釣瓶岳の向こうでは蛇谷ヶ峰が雲の中からようやく姿を顕す。その彼方では野坂山地の中で一際大きく、優美な裾野を広げる三重嶽の山頂も棚引く雲の帽子を脱ぎ捨てる。
この日はまず空腹の次男のためカップラーメンを用意すると、すかさずチーズダッカルビ雑炊を調理する。スーブの素にほぐしたサラダチキン、ライス、スライス・チーズを投入する。後ろでは先程、山頂標のところで写真を撮って差し上げたカップルが猫型の雪だるまを作る楽しげな声が聞こえてくる。
人影が消えた山頂標に戻ると、先程まで山の上を通過していた雲はすっかり消えて、空の高いところにうろこ雲が広がっている。山頂を後に、釣瓶岳方面に向かう。既にN女史のスノーシュー以外にもワカン、12本爪のツボ足、それから2~3のスノーシューの跡がある。
北尾根には確かに霧氷を纏う樹々が見事なのであるが、午前中に細川尾根から眺めた時ほどの白銀の美しさは既に失われつつあるようだ。午後の日差しと先程まで稜線に吹いていた風のせいで、わずかな時間の間にかなりの霧氷が儚くも落ちていったのだろう。通過している間にもパラパラ、ハラハラと霧氷が落ちてゆく乾いた音が間断なく聞こえる。
私は一足先に下り、釣瓶岳を往復させてもらう。釣瓶岳手前で、アラ谷左岸尾根への分岐となるピークにたどり着くと、男女二人がピーク直下の南の斜面でテントを張っている。
「どこから降りられるのですか?」と聞かれたので、
「このアラ谷左岸です」
「トレースがありますよ、私達が登ってきたので」
「先行するトレースがありませんでした?その女性に細川尾根でお遭いしたので」
「なんと女性のものでしたか!歩幅が大きいので、すっかり男性のものかと思っておりました」
下りのアラ谷左岸尾根は前回、細川尾根を登った際に下山に用いたルートであり、コースの状況は理解しているつもりである。当然、昨年の台風による被害が心配されるところではあるが、秋に歩いたアラ谷右岸尾根では驚くほど倒木が少なかったことを考えると、こちらの尾根も台風による倒木被害が少ないことが期待される。
下り始めると確かにN女史の仰った通り、確かに細川尾根の方が雪が多いように思われる。間もなく尾根上には掘割式の古道が現れる。かつての細川越の古道ではないかと思われるが、どなたかこの古道に関する見識をお持ちであればご教授願いたい。
下りはトレースを利用して快速に下りたいところではあるが、次男はつま先の靴擦れの痛みをこらえながらの下りとなる。スノーシューの下りにも慣れないせいか、頻繁に尻もちをついて転ぶようだ。スノーシューを外したいと訴えるが、流石にツボ足で歩くには雪が深い。
細川尾根よりも植林地がかなり高いところまで上がってきているせいだろうか。すぐに雪が途切れるようになり、スノーシューを外す。植林地の下りになると急降が連続する。急速に傾いてゆくが杉林の中に黄金色の光を射し込む。やがて太陽が白倉岳の稜線の彼方に落ちると、急速に暗くなるが、足の痛みをこらえながらも次男は健気によくついてきてくれる。
やがて尾根には左手の斜面へとトラバースしてゆく掘割式の古道が現れると、最後はこの古道を辿り、細川集落の上部に出る。舗装路に出た途端、次男が「朝に来たところだ」と気がつく。私も今になって合点する。朝のあの小さな靴の足跡はN女史のものだったのかと。路上の雪はすっかり少なくなり、朝に見たその足跡は最早、全くわからなくなっていた。細川休憩所に戻ると、東の空には満月が登ってゆくところであった。車に乗り込みエンジンをかけるとすぐさま勇壮な第三楽章が始まった。
家に戻り次男が靴下を脱ぐと、薬指の第一関節の皮膚が靴ずれで水疱化しているのだった。しかし、今回の比良への山行には次男も満足してくれたようで、靴ずれにもめげずに次の山行を楽しみにしてくれているようだ。早速にもこう尋ねてくる。
「ねえパパ、こんどはいつ?どこの山に行くの?」
【 山 域 】比良
【メンバー】山猫、家内、次男(小5)
【 天 候 】曇りのち晴れ
【 ルート 】細川9:24~14:07武奈ヶ岳14:51~15:37釣瓶岳~17:38細川
久しぶりの次男を伴っての山行先に武奈ヶ岳を選んだのは、次男が武奈ヶ岳がいいと希望したからである。前日の夜から未明にかけて、比良では久しぶりの降雪となりそうであり、山上では霧氷も期待できそうだ。
問題はルートである。新雪直後とあってはスノーシューでモフモフの雪のラッセルを楽しみたいところであるが、長男を学校に送り出してから家を出る時間では、御殿山を経由する西南稜ルートは既に先行者達のトレースでガチガチに踏み固められた後だろう。
昨年、金沢への出張のついでに次男と登った北陸の山での雪が非常に重かったせいか、以来、次男はスノーシューを履くのを嫌がっている。下山の際に目すぐの前で低く垂れ込めた雲から聞こえる大音響の雷が次男の暗澹たる印象に拍車をかけたのかもしれない。しかし、前日になって、スノーシューを履いて武奈ヶ岳に登ってみようかというと首を縦にふってくれる。そうとくれば選択に躊躇はない、細川尾根を登り、アラ谷左岸尾根を下るコースを選択する。
このコースは昨年の6月に親しい友人ご夫妻とと歩いたコースとほぼ重なる。地図の上では一直線に武奈ヶ岳にかけて登ってゆくが、意外と急登は少なく、登りやすいルートに思われる。
コースが決まったところで、親しい山仲間にお誘いをかけると当日は京都コンサートホールでの京都市交響楽団の演奏会の予定とのこと。ご丁寧にもプログラムを教えてくれたのだが、前半はゲルハルト・オピッツによるブラームスこのピアノ協奏曲第一番らしい。ブラームスのピアノ曲全集を録音しているオピッツによるブラームスの協奏曲は悪かろう筈がない。
車にオピッツによるブラームスのピアノ協奏曲第1番のCDをセットすると、出発する。R367を北上すると権現山の上の方は白くなってはいるものの、途中峠を過ぎるまで降雪の気配が全くない。しかし、花折トンネルを抜けると風景は雪景色へと一変する。正面に見える伊賀谷山の杉の植林も真っ白に雪化粧を施されており、折からの蒼空から差し込む陽光に照らされると普段は極めて地味な山が途端に輝かしく見える。折しもピアノ協奏曲は緩徐楽章が始まったところであり、この雪景色を音で彩るように静謐で幻想的な音楽が流れてゆく。あるいはこの音楽に呼応するように景色が広がるというべきか。
坊村を通過すると、安曇川の対岸の市民センターの前の駐車場は既にかなり埋まっているようだ。今日もかなりの登山客が西南稜に向かっていることだろう。細川集落にある休憩所に到着すると、狭い駐車場には軽自動車が一台停まっている。果たして細川尾根に登る登山者のものだろうか。
八幡谷から流れる川沿いの手前の道を山に向かって歩くと、すぐに薄雪の上を山の方へと向かう一人の踏み跡に気がついた。足のサイズが小さいので女性の靴のように思える、果たしてなぜ女性がこんなところを・・・と考えた瞬間、細川尾根に向かう道はこの道ではなかったことに気がつく。再びR367まで戻り、再出発である。
川の向こう側から集落の前を右手に入っていく道が細川尾根の取り付きに至る正しい道である。道の上には全く踏み跡はない。有り難い、トレースのない新雪の上をラッセルする悦びを堪能できるというものだ。
植林地に入るとまずは古(いにしえ)の集落跡と思われる両側に立ち並ぶ苔むした石垣の間を進んでゆく。早速にも多くの杉の倒木が出現する。昨年の6月にこの細川尾根を辿った時には無かったものであり、その後の台風により生じた倒木だろう。しかし、登山路上の通行に支障をきたす倒木は既に処理されている。
杉の植林地に入ると登山路はすぐに右手の斜面をトラバースする道と尾根芯を直登するルートに分岐する。尾根を直登するルートはかなりの急斜面になるので、今回は登山路がはっきりしているトラバース道を選ぶ。杉林の中の登山路にはまだ雪はほとんどない。
次男が新しい冬靴に慣れないのだろう、次男が早々に踵に痛みを訴えはじめる。踵に絆創膏を貼ってみるが、やはり痛みが持続するらしい。家内の靴とサイズが同じなので、家内の靴と交換してみる。
登山路が斜面をトラバースする方向を左手に転じ、再び尾根道と合流するとまもなく杉の植林を抜ける。登山路にはようやく雪が目立つようになったかと思うと、またたく間に雪が深くなる。ここでスノーシューを装着して歩き始めると、早速にも足元の新雪の感触はモフモフと柔らかい。しばらく前まではスノーシューに難色を示していた次男であったが、意外と機嫌よくスノーシューで歩いている。スノーシューを装着して踵の靴擦れの痛みも和らいだようだ。
昨夜は一晩で相当に雪が降ったようだ。スノーシューの沈み込みも吹き溜まりでは膝をこえる。6月の季節は小紫陽花の花が登山路をずっと彩っていたのだが、小紫陽花の藪はすっかり雪の下に埋もれている。明るい自然林の中ではキツツキが何処かにいるのだろう、静寂を破って樹を穿つ高速の連打音が梢に響く。雪が降ってまだ間もないせいだろうか、雪の上には鹿や野兎などの動物の足跡すら見当たらない。純白のビロードのような雪面が続いてゆく。
左手の樹間から真っ白に霧氷を纏った稜線が現れる。釣瓶岳へと続く武奈ヶ岳の北尾根だ。今回のコース取りでの最大の魅力は比良山系随一とも称されるこの北尾根の霧氷である。稜線の上の雲からは青空がわずかに顔を覗かせ始めた。振り返ると先程まで雲の下であった鎌倉山も雲の下から顔を覗かせ、稜線の彼方には峰床山が姿を見せはじめる。
雲が上に上がり始めたようだ。すぐ上空ではかなりの勢いで東に向かって雲が流れてゆく。この日は午後の遅くから晴れの予報であり、敢えて遅めに出発したのだが、どうやら予報があたることが期待できそうだ。
標高900mあたりで、斜面の上の方で何かが動く気配がしたが、動物の影は見当たらない。しばらく登ると、突然、少し上の斜面を急速に下ってくる人影が顕れた。単独行の女性である。
「どちらから登っていらしたんですか?」とお伺いすると
「アラ谷の左岸尾根です。細川尾根はきっと登っている人がいるだろうなと思って」と爽やかな笑顔で答えられる。
(それは正しい、しかし女性の方が遥かに早い時間だったのだが。それにしても、敢えてトレースのない新雪のラッセルを望んだということか・・・相当に山慣れしているご様子、只者ではなさそうだ)
「今日、これから下山で通る予定です。どうでした?あちらの尾根は」、
「わずかな地形の差なのでしょうか、向こうの尾根よりもこの細川尾根の方が雪が多いように思います」
「山頂のあたりは如何でした?人も多かったのではないでしょうか」
「山頂はガスガスでした。風もとても強くて・・確かに人が多くて、雪も魚の鱗みたいになっていました。でも北尾根は雪庇も綺麗に発達していて、霧氷がとっても綺麗でしたよ」
女性と話をしている間に家内と次男が追いつく。
お別れする間際に最後に
「今回のレコをヤマレコにアップする予定ですので・・・」とお伝えすると
(やぶこぎネットにユルユルのファミリー・ハイクのレポをアップすることを少し躊躇したので)
「ハンドルネームはなんていうのですか?」と聞いて下さる。
「yamaneko0922といいます」
「どこかで見た覚えがあるわ・・・」一瞬、考えこんだかと思うと、意外な言葉が続いた。「わかった。山日和さんのお知り合いでしょ」(彼女はここで山日和さんの本名を口にするが、このサイトでは山日和さんの方が通じやすいと思うので)
「そう、山日和さんから去年に登られた庄部谷山で、flatwellさんとご一緒に登られていた方にお遭いした話をお伺いしました」
flatwellさんというのは庄部谷山に一緒に登った方である。
「山日和さんどのように言ったら通じますか?」とお伺いすると、Nから始まる苗字を教えて下さる。そのお名前はすぐにピンときた。このサイトではお馴染み、「山登りはこんなにも面白い」の著者の一人である。女性らしいといってよいのだろうか、柔軟で感性に富む文体が一際、鮮烈に印象に残っているのだった。山日和さんからは少々のことでは驚いてはいけません、と云われてはいるものの(上谷山のレポへのコメント)、ここは誰が驚かないでいられることだろう。
N女史とお別れすると、ここからは久しぶりにトレースの跡を辿ることになるが、お陰でラッセルの負担は一挙に軽くなる。慣れないスノーシューで私の後をついてくる次男の足の負担も楽になるといいのだが。しかし、今度はつま先が靴ずれをおこしてしまったらしい。
少しの急登があるが、トレースに助けられて楽に登る。いよいよ霧氷の樹林の中へと入る。雲はすっかり上がったようだ。左手の北尾根に加えて右手には西南稜と両側に展望が開けるようになる。
西南稜の彼方では沸き立つ雲烟が目に入る。今頃、西南稜を辿る人々は絶景を楽しんでおられることだろう。西南稜の尾根上はほぼひっきりなしに登山客が往来しているようだ。西南稜の写真を撮ろうと尾根の端に近づいた途端、すぐ足元で2m程の長さにわたり、雪庇が崩れ落ちる。危ないところだった。
最後は尾根上の樹木も疎らとなり、山頂まで好展望が続く。シュカブラの刻み込まれた尾根上は樹々も疎らとなり、それまでは金平糖状だった霧氷もエビの尻尾と呼ばれる類のものへと成長している。目の前には比良ブルーと呼ばれる済んだ蒼穹が広がってゆく。家族たちを振り返ると、背後の北山の山々の上にかかっていた雲はすっかりとれて、重畳たる山並みを彼方まで見晴らすことが出来る。
山頂にたどり着くとやはり多くの登山客で賑わっている。踏み固められた雪はN女史が云うように確かに魚鱗状のようにも思われる。他の登山客達は皆アイゼンであり、スノーシューをつけて歩いているのは我々だけだ。
N女史が山頂に立った時とは異なり、すっかり風はなく、見渡すかぎりの360度の展望が広がる。慣れないスノーシューを履いた次男は靴擦れのせいもあってか、かなりのスローペースであったが、そのお陰で雲が晴れたタイミングで山頂に立つことが出来たといえる。
北山の山並みを眺めて気になったのは、滝谷山の大きな電波塔がいつの間に見当たらなくなっていたことだ。起伏の少ない北山の山座を同定するのに重要な目印となっていたのだが、電波塔がなくなると山座の同定が途端に困難に思える。すぐ東側のコヤマノ岳には蓬莱山から移動してきた光の筋が到来すると、それまでは灰茶色にしか見えなかった樹々が霧氷のせいで白銀に輝きだす様は、陽光が樹々を白く塗り替えてゆくかのようだ。
山頂の北面で、どなたかがスノースコップで掘った窪地を昼食の休憩に使わせて頂く。正面に見下ろす釣瓶岳の向こうでは蛇谷ヶ峰が雲の中からようやく姿を顕す。その彼方では野坂山地の中で一際大きく、優美な裾野を広げる三重嶽の山頂も棚引く雲の帽子を脱ぎ捨てる。
この日はまず空腹の次男のためカップラーメンを用意すると、すかさずチーズダッカルビ雑炊を調理する。スーブの素にほぐしたサラダチキン、ライス、スライス・チーズを投入する。後ろでは先程、山頂標のところで写真を撮って差し上げたカップルが猫型の雪だるまを作る楽しげな声が聞こえてくる。
人影が消えた山頂標に戻ると、先程まで山の上を通過していた雲はすっかり消えて、空の高いところにうろこ雲が広がっている。山頂を後に、釣瓶岳方面に向かう。既にN女史のスノーシュー以外にもワカン、12本爪のツボ足、それから2~3のスノーシューの跡がある。
北尾根には確かに霧氷を纏う樹々が見事なのであるが、午前中に細川尾根から眺めた時ほどの白銀の美しさは既に失われつつあるようだ。午後の日差しと先程まで稜線に吹いていた風のせいで、わずかな時間の間にかなりの霧氷が儚くも落ちていったのだろう。通過している間にもパラパラ、ハラハラと霧氷が落ちてゆく乾いた音が間断なく聞こえる。
私は一足先に下り、釣瓶岳を往復させてもらう。釣瓶岳手前で、アラ谷左岸尾根への分岐となるピークにたどり着くと、男女二人がピーク直下の南の斜面でテントを張っている。
「どこから降りられるのですか?」と聞かれたので、
「このアラ谷左岸です」
「トレースがありますよ、私達が登ってきたので」
「先行するトレースがありませんでした?その女性に細川尾根でお遭いしたので」
「なんと女性のものでしたか!歩幅が大きいので、すっかり男性のものかと思っておりました」
下りのアラ谷左岸尾根は前回、細川尾根を登った際に下山に用いたルートであり、コースの状況は理解しているつもりである。当然、昨年の台風による被害が心配されるところではあるが、秋に歩いたアラ谷右岸尾根では驚くほど倒木が少なかったことを考えると、こちらの尾根も台風による倒木被害が少ないことが期待される。
下り始めると確かにN女史の仰った通り、確かに細川尾根の方が雪が多いように思われる。間もなく尾根上には掘割式の古道が現れる。かつての細川越の古道ではないかと思われるが、どなたかこの古道に関する見識をお持ちであればご教授願いたい。
下りはトレースを利用して快速に下りたいところではあるが、次男はつま先の靴擦れの痛みをこらえながらの下りとなる。スノーシューの下りにも慣れないせいか、頻繁に尻もちをついて転ぶようだ。スノーシューを外したいと訴えるが、流石にツボ足で歩くには雪が深い。
細川尾根よりも植林地がかなり高いところまで上がってきているせいだろうか。すぐに雪が途切れるようになり、スノーシューを外す。植林地の下りになると急降が連続する。急速に傾いてゆくが杉林の中に黄金色の光を射し込む。やがて太陽が白倉岳の稜線の彼方に落ちると、急速に暗くなるが、足の痛みをこらえながらも次男は健気によくついてきてくれる。
やがて尾根には左手の斜面へとトラバースしてゆく掘割式の古道が現れると、最後はこの古道を辿り、細川集落の上部に出る。舗装路に出た途端、次男が「朝に来たところだ」と気がつく。私も今になって合点する。朝のあの小さな靴の足跡はN女史のものだったのかと。路上の雪はすっかり少なくなり、朝に見たその足跡は最早、全くわからなくなっていた。細川休憩所に戻ると、東の空には満月が登ってゆくところであった。車に乗り込みエンジンをかけるとすぐさま勇壮な第三楽章が始まった。
家に戻り次男が靴下を脱ぐと、薬指の第一関節の皮膚が靴ずれで水疱化しているのだった。しかし、今回の比良への山行には次男も満足してくれたようで、靴ずれにもめげずに次の山行を楽しみにしてくれているようだ。早速にもこう尋ねてくる。
「ねえパパ、こんどはいつ?どこの山に行くの?」