【湖北】江美国境Ca1010m峰 快晴の空の下、快適な雪尾根漫歩のはずが・・・
Posted: 2019年1月16日(水) 21:39
【日 付】2019年1月14日(月)
【山 域】湖北 高時川上流域
【天 候】晴れ
【コース】田戸7:31---8:30奥川並---8:43林道分岐9:07---9:28尾根取付---12:28 Ca1010mピーク13:54---
15:29尾根取付---15:55奥川並
1月中旬のこの時期に、なんと針川まで車で入れるという情報が入った。わしたかさんが南西尾根から上谷山
に登ったらしい。10年前に往復2時間の県道歩きでなんとか届いたことを思えば、これはビッグチャンスだ。
しかし情報を得て後追いするというのは自分のスタイルではない。そういう条件なら菅並から先の冬季通行止め
の県道も小原あたりまで入れるかもしれない。そう考えて違うプランを実行しようと出かけたのだが・・・
菅並から先の県道には全く雪が無く、あれよあれよという間に田戸まで来てしまった。これなら奥川並への林
道も楽勝だろう。地獄への滑り台はおろか、路面にもほとんど雪か残っていない地道を歩く。すると驚いたこと
に前方から車がやってきた。クマ猟のようだ。向こうも驚いたようで、こちらの目的を話すと「気を付けて」と
見送ってくれた。左千方という山名は知らないようで、この地方では一般的な名前ではないようである。
奥川並の集落跡からはさすがに積雪も増え、完全な雪道となったが雪はビシビシに締まっており、まったく沈
むことなく歩けた。
谷の分岐でスノーシューを装着。リッカ谷川の奥から差し込む朝陽が眩しい。今日は絶好の登山日和、気温も高
くなりそうである。一昨日のスノー衆の疲れが残っているのか、ここまでの林道歩きで足が少し重かったのが気
がかりだが、いい一日になりそうな予感だ。
中津谷を回り込んで、右岸尾根の取付きを探る。結構大きな足跡が残っていたのはヤツのものだろうか。
尾根の南西端をスノーシューを履いたまま強引に上がった。ここからはCa600mぐらいの傾斜が緩む地点までし
ばらくの我慢である。ヤブが少々鬱陶しいが通過困難なほどではない。
江美国境稜線のCa1010mピークから西へ伸びる広い尾根の端に乗ってしまえば、そこからはパラダイスが始ま
るだろう。そう思って高度を上げて行くが、状況が変わる気配がない。あまりに雪が少な過ぎてヤブがほとんど
雪に埋もれていないのである。
ある枝は目を突いてやろうと、ある枝はストックをもぎ取ろうと、別の枝はスノーシューを串刺しにして待っ
たをかけようと、あらゆる方法で前進を阻もうという悪意すら感じられる。
濃密なヤブではないので進むことはできるのだが、まっすぐに歩くことはできず、常にヤブの薄いところを確認
しながら蛇行しなければならないので時間がかかる。
左のはるか上方に左千方の白いピークが見える。ずいぶん遠く感じるのは自分のモチベーションが低下してい
るせいだろう。絶好調なら遠くても近く感じるものなのだ。
いいブナ林が現れたが林床の状態はあまり変わらずで、まっすぐ歩けたのは合計100mもないだろう。
右には横山岳がどっしりと横たわり、左千方から谷山への尾根の奥には真っ白な上谷山が覗いている。
そのうち雪が緩み始めて、手は潅木をかき分け、足はラッセルというなんともトホホな状態になってきた。変な
こだわりを捨てて針川に回ればよかったかなとも思うがもう遅い。
せめて県境稜線までは辿り着かねば。1月の湖北でこんなドピーカンの中を歩けるチャンスはそうそうないのだ。
雪はたっぷり水気を含んだお馴染みの雪質で、元々疲れの残った足から体力を奪っていく。
緩斜面が終わった最後のわずかな登りに40分もかかってしまった。
やっとのことで国境稜線に到達。蕎麦粒山やトガス、湧谷山といった東側の山々の展望が開けた。
とりあえずはこの展望を得られただけでも満足だ。国境稜線にすら辿り着けないという事態だけは避けることが
できた。しかしここから左千方、谷山、さらには安蔵山へ周回するというプランは露と消えて行った。
ならば南の神又峰まで縦走して西尾根を下るか。こちらの尾根はヤブは山頂直下の一部だけで、後は無雪期でも
歩ける程度のヤブだしブナ林もある。
少し踏み出してみると、ここまで来ればビシッと締まっていると期待していた雪は儚くもググッという音を立て
て沈んでいく。これはあかん。今日はここまでにしといてやろう。
西を向いて腰を降ろし、横山岳や安蔵山、妙理山、さらには遠く野坂山地の山々を眺めながら、嫁さんに持た
された賞味期限切れのおでんでランチタイムを楽しんだ。
元来た道を戻るとなれば気は楽だ。緩んだ雪は往路より沈み込むが、登りと比べてルート取りの自由度が高い。
あれだけ悪意を感じられたヤブも友達になったようだ。
サクサクと下山して奥川並の集落跡まで来ると、なんと朝の車がまた止まっていた。クマの穴探しやイノシシ
・シカの足跡探しの午後の部らしい。別に色目を使ったわけではないが、「乗って行くか」との優しいお言葉に
二つ返事で「いいんですか?」と答えた。正直、あと1時間の林道歩きがあると思うとうんざりしていたのである。
車中ではいろんな話を聞いた。麓の中ノ郷で食肉と米を販売している白川ファームの代表で、リッカ谷奥の植
林は完全に放置されて山が荒れてしまったこと、ジビエ料理がブームながらもイノシシやシカの肉は高く売れず、
害獣駆除の補助金でなんとか商売になっていること、元々国鉄の職員で、早期退職してこの仕事をするようにな
ったこと等々。
驚いたのは、田戸や小原の離村の時は小学生だったということだった。生まれ年を聞いたら昭和34年。私より3つ
も年下じゃないの。
自分はいつまでも変わっていない感覚でいるのだが、確実に年を取っていることを実感させられたのだった。
山日和
【山 域】湖北 高時川上流域
【天 候】晴れ
【コース】田戸7:31---8:30奥川並---8:43林道分岐9:07---9:28尾根取付---12:28 Ca1010mピーク13:54---
15:29尾根取付---15:55奥川並
1月中旬のこの時期に、なんと針川まで車で入れるという情報が入った。わしたかさんが南西尾根から上谷山
に登ったらしい。10年前に往復2時間の県道歩きでなんとか届いたことを思えば、これはビッグチャンスだ。
しかし情報を得て後追いするというのは自分のスタイルではない。そういう条件なら菅並から先の冬季通行止め
の県道も小原あたりまで入れるかもしれない。そう考えて違うプランを実行しようと出かけたのだが・・・
菅並から先の県道には全く雪が無く、あれよあれよという間に田戸まで来てしまった。これなら奥川並への林
道も楽勝だろう。地獄への滑り台はおろか、路面にもほとんど雪か残っていない地道を歩く。すると驚いたこと
に前方から車がやってきた。クマ猟のようだ。向こうも驚いたようで、こちらの目的を話すと「気を付けて」と
見送ってくれた。左千方という山名は知らないようで、この地方では一般的な名前ではないようである。
奥川並の集落跡からはさすがに積雪も増え、完全な雪道となったが雪はビシビシに締まっており、まったく沈
むことなく歩けた。
谷の分岐でスノーシューを装着。リッカ谷川の奥から差し込む朝陽が眩しい。今日は絶好の登山日和、気温も高
くなりそうである。一昨日のスノー衆の疲れが残っているのか、ここまでの林道歩きで足が少し重かったのが気
がかりだが、いい一日になりそうな予感だ。
中津谷を回り込んで、右岸尾根の取付きを探る。結構大きな足跡が残っていたのはヤツのものだろうか。
尾根の南西端をスノーシューを履いたまま強引に上がった。ここからはCa600mぐらいの傾斜が緩む地点までし
ばらくの我慢である。ヤブが少々鬱陶しいが通過困難なほどではない。
江美国境稜線のCa1010mピークから西へ伸びる広い尾根の端に乗ってしまえば、そこからはパラダイスが始ま
るだろう。そう思って高度を上げて行くが、状況が変わる気配がない。あまりに雪が少な過ぎてヤブがほとんど
雪に埋もれていないのである。
ある枝は目を突いてやろうと、ある枝はストックをもぎ取ろうと、別の枝はスノーシューを串刺しにして待っ
たをかけようと、あらゆる方法で前進を阻もうという悪意すら感じられる。
濃密なヤブではないので進むことはできるのだが、まっすぐに歩くことはできず、常にヤブの薄いところを確認
しながら蛇行しなければならないので時間がかかる。
左のはるか上方に左千方の白いピークが見える。ずいぶん遠く感じるのは自分のモチベーションが低下してい
るせいだろう。絶好調なら遠くても近く感じるものなのだ。
いいブナ林が現れたが林床の状態はあまり変わらずで、まっすぐ歩けたのは合計100mもないだろう。
右には横山岳がどっしりと横たわり、左千方から谷山への尾根の奥には真っ白な上谷山が覗いている。
そのうち雪が緩み始めて、手は潅木をかき分け、足はラッセルというなんともトホホな状態になってきた。変な
こだわりを捨てて針川に回ればよかったかなとも思うがもう遅い。
せめて県境稜線までは辿り着かねば。1月の湖北でこんなドピーカンの中を歩けるチャンスはそうそうないのだ。
雪はたっぷり水気を含んだお馴染みの雪質で、元々疲れの残った足から体力を奪っていく。
緩斜面が終わった最後のわずかな登りに40分もかかってしまった。
やっとのことで国境稜線に到達。蕎麦粒山やトガス、湧谷山といった東側の山々の展望が開けた。
とりあえずはこの展望を得られただけでも満足だ。国境稜線にすら辿り着けないという事態だけは避けることが
できた。しかしここから左千方、谷山、さらには安蔵山へ周回するというプランは露と消えて行った。
ならば南の神又峰まで縦走して西尾根を下るか。こちらの尾根はヤブは山頂直下の一部だけで、後は無雪期でも
歩ける程度のヤブだしブナ林もある。
少し踏み出してみると、ここまで来ればビシッと締まっていると期待していた雪は儚くもググッという音を立て
て沈んでいく。これはあかん。今日はここまでにしといてやろう。
西を向いて腰を降ろし、横山岳や安蔵山、妙理山、さらには遠く野坂山地の山々を眺めながら、嫁さんに持た
された賞味期限切れのおでんでランチタイムを楽しんだ。
元来た道を戻るとなれば気は楽だ。緩んだ雪は往路より沈み込むが、登りと比べてルート取りの自由度が高い。
あれだけ悪意を感じられたヤブも友達になったようだ。
サクサクと下山して奥川並の集落跡まで来ると、なんと朝の車がまた止まっていた。クマの穴探しやイノシシ
・シカの足跡探しの午後の部らしい。別に色目を使ったわけではないが、「乗って行くか」との優しいお言葉に
二つ返事で「いいんですか?」と答えた。正直、あと1時間の林道歩きがあると思うとうんざりしていたのである。
車中ではいろんな話を聞いた。麓の中ノ郷で食肉と米を販売している白川ファームの代表で、リッカ谷奥の植
林は完全に放置されて山が荒れてしまったこと、ジビエ料理がブームながらもイノシシやシカの肉は高く売れず、
害獣駆除の補助金でなんとか商売になっていること、元々国鉄の職員で、早期退職してこの仕事をするようにな
ったこと等々。
驚いたのは、田戸や小原の離村の時は小学生だったということだった。生まれ年を聞いたら昭和34年。私より3つ
も年下じゃないの。
自分はいつまでも変わっていない感覚でいるのだが、確実に年を取っていることを実感させられたのだった。
山日和