【野坂山地】駄口の奥谷探索行
Posted: 2018年12月27日(木) 00:51
【日 付】2018年12月22日(土)
【山 域】野坂山地 岩篭山周辺
【天 候】曇りのち晴れ
【コース】ドライブインしのはら---駄口---奥谷(仮称)380m南 (往復)
国道161号線の敦賀市の外れ、滋賀県との境にほど近いところに駄口という集落がある。
ここから五位川と分かれて西から流れ込む支流を遡ると、まんじゅうのような380mピークを取り囲むように
半周して、再び五位川本流へ戻る。もちろん流れが繋がっているわけではないが、その源頭に至る谷筋の広
がりと勾配の緩さは何かがあるのではないかと期待させる。かなり前から注目していたこの場所を探索する
時が来た。
岩篭山登山ではいつもお世話になる「ドライブインしのはら」の駐車場で用意をしていると、道路を挟ん
だ建物の方からしのはらのオーナーらしき人が現われて声を掛けてきた。
「岩篭山に登る?」と言っているようだが、2人の間の国道を車がぶんぶん通り過ぎるのではっきりとは聞
こえない。自分の計画を説明しても理解されそうにないので曖昧な返事をしたら、「気を付けて」と見送っ
てくれた。
国道を駄口の集落まで歩くが、この道には歩道がなく、すぐ横を大型トラックが走り抜けると生きた心地
がしない。凍結した真冬だとかなりの覚悟が要る。
駄口の集落から谷に入る。もちろん標識やテープの類は何もない。杣道らしき踏み跡を辿って上流へ向か
う。この谷は積雪期に2度下りてきたことがあるが、いずれも谷の途中からで今日の目的の場所は見ていな
いのだ。
最初に山中の牧場から中山に登って下りてきた時に、広い谷のあちこちから水が流れ出している風景を見て
驚いたことをよく覚えている。少しヤブっぽいこともあり、感激するような場所ではなかったのだが、これ
までお目にかかったことがない不思議な地形だったのは確かである。
疎林ではなく、どこでも歩けるというわけではないので、薄い踏み跡を拾いながら上流へ進んだ。
少しずつ湿地状の場所が増えてきた。昨日からの雨のせいもあるかもしれないが、それだけではなさそう
な緩んだ地面の柔らかさだ。
右からの流れをいくつも見送って、左へ左へと回って行く。最後は地形上の本流方向には水流が消え、右方
向に溝状の流れが続いていた。
左へ進むと植林とヤブが消えて広々とした場所に出た。ここはちょうど380mピークの南。五位川に落ちる急
な谷と源頭を共有している地点である。全面に湿原が広がり、左端はそれなりの大きさの池になっていた。
点々と立つ木と足元に広がる湿原がガスに煙ってなんとも言えない雰囲気を醸し出している。山裾には立派
な炭焼窯跡が一基、ほぼ原形を留めて残っていた。南側の山裾は植林されているのがちょっと残念だが。
これはなんと表現すればいい場所だろう。地図上にも湿原のマークはない。
ただ気になったのは、人工的な石組みで区切られた水路があったことだ。湿原も同一平面ではなく、なにか
人工の匂いのする段差が見られた。
自分の思い描いていた場所を確かめられた満足感と同時に、どういう場所なのかという疑問を残して踵を返
した。当初はついでに「西近江」の三角点でも踏んで、岩篭山まで足を伸ばそうかと思っていたがその気も
なくなり、流れのほとりで早昼とする。天気予報通り、昼を回ると青空が出てきた。
駐車場へ戻るとちょうどオーナーが出かけるところだった。結構年配のようなので何かご存じかもしれない。
この機会に聞いてみよう。そこで伺ったお話は非常に興味深いものだった。
岩篭山の登山道は南尾根のブナ林見てもらいたいために自分で切り拓いたこと。
この近くに巨大な岩を2個そのまま利用した珍しい堰堤があること。
トラックがドライブインを利用しなくなったので、今は夕方から少しだけしか営業していないこと。(昔は24
時間休む暇がなかったそうだ)
私が入った駄口の谷は山向こうの黒河川から熊が越えてくるルートになっていること。
そして核心の疑問も氏(やっぱり篠原さんだった)の言葉で氷解した。あの谷には特に名前がなく、谷の奥は
かつて駄口集落の田んぼになっていたということだった。これで人工的な水路や段差、湿原状の地面の存在に
説明が付く。
そういうことだったのか。山中の仕事場でよく見るような一升瓶やヤカンのような生活道具が一切なかったの
で想像が至らなかったのである。
午後の日差しに照らされたように、心の中のもやが晴れた瞬間だった。
山日和
【山 域】野坂山地 岩篭山周辺
【天 候】曇りのち晴れ
【コース】ドライブインしのはら---駄口---奥谷(仮称)380m南 (往復)
国道161号線の敦賀市の外れ、滋賀県との境にほど近いところに駄口という集落がある。
ここから五位川と分かれて西から流れ込む支流を遡ると、まんじゅうのような380mピークを取り囲むように
半周して、再び五位川本流へ戻る。もちろん流れが繋がっているわけではないが、その源頭に至る谷筋の広
がりと勾配の緩さは何かがあるのではないかと期待させる。かなり前から注目していたこの場所を探索する
時が来た。
岩篭山登山ではいつもお世話になる「ドライブインしのはら」の駐車場で用意をしていると、道路を挟ん
だ建物の方からしのはらのオーナーらしき人が現われて声を掛けてきた。
「岩篭山に登る?」と言っているようだが、2人の間の国道を車がぶんぶん通り過ぎるのではっきりとは聞
こえない。自分の計画を説明しても理解されそうにないので曖昧な返事をしたら、「気を付けて」と見送っ
てくれた。
国道を駄口の集落まで歩くが、この道には歩道がなく、すぐ横を大型トラックが走り抜けると生きた心地
がしない。凍結した真冬だとかなりの覚悟が要る。
駄口の集落から谷に入る。もちろん標識やテープの類は何もない。杣道らしき踏み跡を辿って上流へ向か
う。この谷は積雪期に2度下りてきたことがあるが、いずれも谷の途中からで今日の目的の場所は見ていな
いのだ。
最初に山中の牧場から中山に登って下りてきた時に、広い谷のあちこちから水が流れ出している風景を見て
驚いたことをよく覚えている。少しヤブっぽいこともあり、感激するような場所ではなかったのだが、これ
までお目にかかったことがない不思議な地形だったのは確かである。
疎林ではなく、どこでも歩けるというわけではないので、薄い踏み跡を拾いながら上流へ進んだ。
少しずつ湿地状の場所が増えてきた。昨日からの雨のせいもあるかもしれないが、それだけではなさそう
な緩んだ地面の柔らかさだ。
右からの流れをいくつも見送って、左へ左へと回って行く。最後は地形上の本流方向には水流が消え、右方
向に溝状の流れが続いていた。
左へ進むと植林とヤブが消えて広々とした場所に出た。ここはちょうど380mピークの南。五位川に落ちる急
な谷と源頭を共有している地点である。全面に湿原が広がり、左端はそれなりの大きさの池になっていた。
点々と立つ木と足元に広がる湿原がガスに煙ってなんとも言えない雰囲気を醸し出している。山裾には立派
な炭焼窯跡が一基、ほぼ原形を留めて残っていた。南側の山裾は植林されているのがちょっと残念だが。
これはなんと表現すればいい場所だろう。地図上にも湿原のマークはない。
ただ気になったのは、人工的な石組みで区切られた水路があったことだ。湿原も同一平面ではなく、なにか
人工の匂いのする段差が見られた。
自分の思い描いていた場所を確かめられた満足感と同時に、どういう場所なのかという疑問を残して踵を返
した。当初はついでに「西近江」の三角点でも踏んで、岩篭山まで足を伸ばそうかと思っていたがその気も
なくなり、流れのほとりで早昼とする。天気予報通り、昼を回ると青空が出てきた。
駐車場へ戻るとちょうどオーナーが出かけるところだった。結構年配のようなので何かご存じかもしれない。
この機会に聞いてみよう。そこで伺ったお話は非常に興味深いものだった。
岩篭山の登山道は南尾根のブナ林見てもらいたいために自分で切り拓いたこと。
この近くに巨大な岩を2個そのまま利用した珍しい堰堤があること。
トラックがドライブインを利用しなくなったので、今は夕方から少しだけしか営業していないこと。(昔は24
時間休む暇がなかったそうだ)
私が入った駄口の谷は山向こうの黒河川から熊が越えてくるルートになっていること。
そして核心の疑問も氏(やっぱり篠原さんだった)の言葉で氷解した。あの谷には特に名前がなく、谷の奥は
かつて駄口集落の田んぼになっていたということだった。これで人工的な水路や段差、湿原状の地面の存在に
説明が付く。
そういうことだったのか。山中の仕事場でよく見るような一升瓶やヤカンのような生活道具が一切なかったの
で想像が至らなかったのである。
午後の日差しに照らされたように、心の中のもやが晴れた瞬間だった。
山日和