Re: 【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
Posted: 2018年12月30日(日) 13:22
こんにちは、piccoloさん。
天候に恵まれたクリスマスの日に2年ぶりに赤嵓滝谷乾留工場に出かけた。残り香のような霧氷をながめ狸水に立ち寄ったりしながらのんびりと赤嵓滝谷の奥の三俣を目指す。
2年前と言えば、秋にマナコ谷道の小屋でバッタリ遭遇した時ですね。
そうです。あれから行ってなかったんですよ。
1394標高点の南にあるコルから下る。谷をそのまま下ると滝に突き当たり行き詰ってしまうので左の尾根に向かってトラバースしていく。嵓を巻くまでは急な下りだがここを越えるとゆるやかな広い尾根にかわるのんびりと尾根芯をはずさないように下ると赤嵓滝谷の三俣にあった乾留工場の飯場跡に着く。
もし…もしですけど、奈良側からでしたら明神岳から派生する南東尾根使えばいいかな?と思っています、が帰りの200m登り返ししんどそ~(>_<)
ここは上ったことがあります。
下部は急でしたが危険個所はなかったです。
よろしければいらしてください。
貴重な手びねり土管の宝の山です。
以前はあった割れていない瓶は持っていかれたようで無かった。
他にも訪れる方がいるのですか!!!
沢登りのコースですので、入る人は意外に多いかもしれません。
対岸には乾留工場跡があり無数の手びねりの土管に耐熱レンガがある。ここの耐熱レンガは「SHINAGAWA」「IGA―BATA」「RENSEKISHA」「BIZEN-INBE」の物が使われている。あらためて見てみて蒸留に使われた土管の数には驚かされる。「これだけ大量の物資が赤嵓滝を越えたとは考えにくいが、それではどこから運んだのだろう。」という2年前の宿題を思い出した。
SHINAGAWAしか見たことないですぅ。
台高各地に他にも「KINJO F.B」「三石」「SHINANO」「CYUKYO」「KFB」「YOKKAICHI BRICK」「GYB」などの耐熱レンガがあります。
その先は道が落ちていてたどれなかったが古道の目印の大木が残されており、谷をトラバースした先には瀬戸越の尾根が見えていた。道型からして、乾留工場から瀬戸越につないだ道と考えていいだろう。というかここしか運べる場所はない。上った尾根の道型を追って下ると谷までスムーズに下れ、対岸に渡りそのまま上ると飯場跡だった。
笹ヶ峰から千石林道へ下る時、瀬戸越道をかすめた事ありましたが乾留工場からも繋がっていたとは驚き~、かなり厳しそうな道だったのでしょうね。
zippさんが言うように物資を運ぶ道は瀬戸越とつないでいたのでしょうね。
そして木材は蓮の土場からつながる木馬道で運んでいたと考えていいでしょうね。
よい年をお迎えください。
天候に恵まれたクリスマスの日に2年ぶりに赤嵓滝谷乾留工場に出かけた。残り香のような霧氷をながめ狸水に立ち寄ったりしながらのんびりと赤嵓滝谷の奥の三俣を目指す。
2年前と言えば、秋にマナコ谷道の小屋でバッタリ遭遇した時ですね。
そうです。あれから行ってなかったんですよ。
1394標高点の南にあるコルから下る。谷をそのまま下ると滝に突き当たり行き詰ってしまうので左の尾根に向かってトラバースしていく。嵓を巻くまでは急な下りだがここを越えるとゆるやかな広い尾根にかわるのんびりと尾根芯をはずさないように下ると赤嵓滝谷の三俣にあった乾留工場の飯場跡に着く。
もし…もしですけど、奈良側からでしたら明神岳から派生する南東尾根使えばいいかな?と思っています、が帰りの200m登り返ししんどそ~(>_<)
ここは上ったことがあります。
下部は急でしたが危険個所はなかったです。
よろしければいらしてください。
貴重な手びねり土管の宝の山です。
以前はあった割れていない瓶は持っていかれたようで無かった。
他にも訪れる方がいるのですか!!!
沢登りのコースですので、入る人は意外に多いかもしれません。
対岸には乾留工場跡があり無数の手びねりの土管に耐熱レンガがある。ここの耐熱レンガは「SHINAGAWA」「IGA―BATA」「RENSEKISHA」「BIZEN-INBE」の物が使われている。あらためて見てみて蒸留に使われた土管の数には驚かされる。「これだけ大量の物資が赤嵓滝を越えたとは考えにくいが、それではどこから運んだのだろう。」という2年前の宿題を思い出した。
SHINAGAWAしか見たことないですぅ。
台高各地に他にも「KINJO F.B」「三石」「SHINANO」「CYUKYO」「KFB」「YOKKAICHI BRICK」「GYB」などの耐熱レンガがあります。
その先は道が落ちていてたどれなかったが古道の目印の大木が残されており、谷をトラバースした先には瀬戸越の尾根が見えていた。道型からして、乾留工場から瀬戸越につないだ道と考えていいだろう。というかここしか運べる場所はない。上った尾根の道型を追って下ると谷までスムーズに下れ、対岸に渡りそのまま上ると飯場跡だった。
笹ヶ峰から千石林道へ下る時、瀬戸越道をかすめた事ありましたが乾留工場からも繋がっていたとは驚き~、かなり厳しそうな道だったのでしょうね。
zippさんが言うように物資を運ぶ道は瀬戸越とつないでいたのでしょうね。
そして木材は蓮の土場からつながる木馬道で運んでいたと考えていいでしょうね。
よい年をお迎えください。