こんにちは、piccoloさん。
天候に恵まれたクリスマスの日に2年ぶりに赤嵓滝谷乾留工場に出かけた。残り香のような霧氷をながめ狸水に立ち寄ったりしながらのんびりと赤嵓滝谷の奥の三俣を目指す。
2年前と言えば、秋にマナコ谷道の小屋でバッタリ遭遇した時ですね。
そうです。あれから行ってなかったんですよ。
1394標高点の南にあるコルから下る。谷をそのまま下ると滝に突き当たり行き詰ってしまうので左の尾根に向かってトラバースしていく。嵓を巻くまでは急な下りだがここを越えるとゆるやかな広い尾根にかわるのんびりと尾根芯をはずさないように下ると赤嵓滝谷の三俣にあった乾留工場の飯場跡に着く。
もし…もしですけど、奈良側からでしたら明神岳から派生する南東尾根使えばいいかな?と思っています、が帰りの200m登り返ししんどそ~(>_<)
ここは上ったことがあります。
下部は急でしたが危険個所はなかったです。
よろしければいらしてください。
貴重な手びねり土管の宝の山です。
以前はあった割れていない瓶は持っていかれたようで無かった。
他にも訪れる方がいるのですか!!!
沢登りのコースですので、入る人は意外に多いかもしれません。
対岸には乾留工場跡があり無数の手びねりの土管に耐熱レンガがある。ここの耐熱レンガは「SHINAGAWA」「IGA―BATA」「RENSEKISHA」「BIZEN-INBE」の物が使われている。あらためて見てみて蒸留に使われた土管の数には驚かされる。「これだけ大量の物資が赤嵓滝を越えたとは考えにくいが、それではどこから運んだのだろう。」という2年前の宿題を思い出した。
SHINAGAWAしか見たことないですぅ。
台高各地に他にも「KINJO F.B」「三石」「SHINANO」「CYUKYO」「KFB」「YOKKAICHI BRICK」「GYB」などの耐熱レンガがあります。
その先は道が落ちていてたどれなかったが古道の目印の大木が残されており、谷をトラバースした先には瀬戸越の尾根が見えていた。道型からして、乾留工場から瀬戸越につないだ道と考えていいだろう。というかここしか運べる場所はない。上った尾根の道型を追って下ると谷までスムーズに下れ、対岸に渡りそのまま上ると飯場跡だった。
笹ヶ峰から千石林道へ下る時、瀬戸越道をかすめた事ありましたが乾留工場からも繋がっていたとは驚き~、かなり厳しそうな道だったのでしょうね。
zippさんが言うように物資を運ぶ道は瀬戸越とつないでいたのでしょうね。
そして木材は蓮の土場からつながる木馬道で運んでいたと考えていいでしょうね。
よい年をお迎えください。
【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
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Re: 【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
おはようございます通風山さん。
手びねり土管ですが、実は我が家の作の可能性があります。
〇にAのマークはなかったですか?愛知陶管、〇にTであれば常滑陶管が商社となります。
もう既に常滑では陶管を制作しているところは一軒もありません。
昭和中期にオイルショックで燃料費の高騰でことごとく廃業に押しやられました。
当時は土管の等級はペンキのハンコでポンポン押しておりました。
検査官が土管をたたいてその響きで焼き具合を調べ、変形、形状等を目視するといういたって簡単な検査方法で、私が小中学生のころハンコを検査員の言われるままポンポンと押していたのを思い出します。
ペンキのマークですから消えてしまっているかもしれません。
後期になると生産者の刻印も入れるようになりましたが、時代的に無地のものかなと思います。
貴重な情報ありがとうございます。
通さん家のでしたか?
耐熱レンガは刻印で出どころが判別できるのですが土管の判別方法がわからなかったんです。
ハンコを押していたのはどの部分ですか?
これがわかると探りやすいです。
雪が消える頃に見てきます。
かなり前にまとめた我が家のかつての製陶所のサイトを叔父の藤井英男に頼まれて作成しました。
祖父と父がやっていた常滑の製陶所です。こんな感じで陶管も焼いておりました。ご参考までに。
戦時下の代用陶器は知っていましたが、銅像の代用を作っていたとは知りませんでした。
技術の粋を集めた物だったんでしょうね。
すばらしい。
青田のオジヤン情報や通さんの常滑情報とヤブコギでしか集められない事って多いですね。
管理人の通さんに感謝です。
手びねり土管ですが、実は我が家の作の可能性があります。
〇にAのマークはなかったですか?愛知陶管、〇にTであれば常滑陶管が商社となります。
もう既に常滑では陶管を制作しているところは一軒もありません。
昭和中期にオイルショックで燃料費の高騰でことごとく廃業に押しやられました。
当時は土管の等級はペンキのハンコでポンポン押しておりました。
検査官が土管をたたいてその響きで焼き具合を調べ、変形、形状等を目視するといういたって簡単な検査方法で、私が小中学生のころハンコを検査員の言われるままポンポンと押していたのを思い出します。
ペンキのマークですから消えてしまっているかもしれません。
後期になると生産者の刻印も入れるようになりましたが、時代的に無地のものかなと思います。
貴重な情報ありがとうございます。
通さん家のでしたか?
耐熱レンガは刻印で出どころが判別できるのですが土管の判別方法がわからなかったんです。
ハンコを押していたのはどの部分ですか?
これがわかると探りやすいです。
雪が消える頃に見てきます。
かなり前にまとめた我が家のかつての製陶所のサイトを叔父の藤井英男に頼まれて作成しました。
祖父と父がやっていた常滑の製陶所です。こんな感じで陶管も焼いておりました。ご参考までに。
戦時下の代用陶器は知っていましたが、銅像の代用を作っていたとは知りませんでした。
技術の粋を集めた物だったんでしょうね。
すばらしい。
青田のオジヤン情報や通さんの常滑情報とヤブコギでしか集められない事って多いですね。
管理人の通さんに感謝です。
Re: 【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
おはようございます、グーさん。
蓮(千石)に5つの乾留工場を持っていた。
蓮に本社第1工場、喜平小屋谷出合に第3工場、赤嵓滝上に第4工場、三俣に第5工場
第2工場は確認できていない。
グーは学術的考察には疎いですがこの文面を読むと第2工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中じゃないですか?
書き方がまずかったかな?
第3工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の事です。
「KINJO F.B」がたくさんある所ですね。
当時よく使われていた瀬戸越の道につなげる事を考えると残るのは乾留工場のある右岸の尾根しかない。
直接取りつくのは難しそうなので、小谷から巻いた。
どの小谷を指しているのか判断できません。
谷側から巻いたという意味なので気にしないでください。
乾留工場の尾根の下流側から九十九折の道は続いています。
微妙に段差のようなものがあり九十九折れの道跡だ。この状態は1240m付近まで続いた。
えらく高くまで登るのですね。
瀬戸越の道から赤嵓滝を巻くのだったらCo1000から1050の間に道があったとグーは推測します。
乾留工場にあれだけの物資を担ぎ上げ、酢酸石灰を下す道ですからある程度強い尾根じゃないと持たないんじゃないですかね。
普通の杣道と訳が違います。
治田鉱山で、鉱石を牛道まで担ぎ上げた人足道ににています。
落ちている谷筋はワープするにして瀬戸越とつながる痕跡が見つかるといいのですが。
春の宿題かな。
蓮(千石)に5つの乾留工場を持っていた。
蓮に本社第1工場、喜平小屋谷出合に第3工場、赤嵓滝上に第4工場、三俣に第5工場
第2工場は確認できていない。
グーは学術的考察には疎いですがこの文面を読むと第2工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中じゃないですか?
書き方がまずかったかな?
第3工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の事です。
「KINJO F.B」がたくさんある所ですね。
当時よく使われていた瀬戸越の道につなげる事を考えると残るのは乾留工場のある右岸の尾根しかない。
直接取りつくのは難しそうなので、小谷から巻いた。
どの小谷を指しているのか判断できません。
谷側から巻いたという意味なので気にしないでください。
乾留工場の尾根の下流側から九十九折の道は続いています。
微妙に段差のようなものがあり九十九折れの道跡だ。この状態は1240m付近まで続いた。
えらく高くまで登るのですね。
瀬戸越の道から赤嵓滝を巻くのだったらCo1000から1050の間に道があったとグーは推測します。
乾留工場にあれだけの物資を担ぎ上げ、酢酸石灰を下す道ですからある程度強い尾根じゃないと持たないんじゃないですかね。
普通の杣道と訳が違います。
治田鉱山で、鉱石を牛道まで担ぎ上げた人足道ににています。
落ちている谷筋はワープするにして瀬戸越とつながる痕跡が見つかるといいのですが。
春の宿題かな。
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- 記事: 2227
- 登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
- 連絡する:
Re: 【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
わりばしさん、おはようございます。
間もなく家事で忙しくなるのでその前に議論を吹っ掛けます。
喜平小屋谷出合に第3工場、
第3工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の事です。
では喜平小屋谷出合にある施設跡は乾溜工場じゃなかったのですか?
乾留工場の尾根の下流側から九十九折の道は続いています。
その道はグーも少し歩いたことがあります。幅の広いしっかりした道ですよね。
ある程度強い尾根じゃないと持たないんじゃないですかね。
ここにグーは議論を吹っ掛けたいのです。
道は「強い尾根」ばかりじゃ繋げないですよ。斜面も通らなければ。
本社第1工場と第5工場を瀬戸越の道を使ってわりばしさんならどう繋げますか?
最短コースを考えるでしょ。第4工場と第5工場の間には谷通しの道が残っています。
赤嵓滝をどのように最短コースで迂回するか考えるのが普通だと思いませんか?
グー(伊勢山上住人)
写真をよく見たら第3工場の画像ではないですね。第3工場は植林の中です。
間もなく家事で忙しくなるのでその前に議論を吹っ掛けます。
喜平小屋谷出合に第3工場、
第3工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の事です。
では喜平小屋谷出合にある施設跡は乾溜工場じゃなかったのですか?
乾留工場の尾根の下流側から九十九折の道は続いています。
その道はグーも少し歩いたことがあります。幅の広いしっかりした道ですよね。
ある程度強い尾根じゃないと持たないんじゃないですかね。
ここにグーは議論を吹っ掛けたいのです。
道は「強い尾根」ばかりじゃ繋げないですよ。斜面も通らなければ。
本社第1工場と第5工場を瀬戸越の道を使ってわりばしさんならどう繋げますか?
最短コースを考えるでしょ。第4工場と第5工場の間には谷通しの道が残っています。
赤嵓滝をどのように最短コースで迂回するか考えるのが普通だと思いませんか?
グー(伊勢山上住人)
写真をよく見たら第3工場の画像ではないですね。第3工場は植林の中です。
Re: 【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
こんにちは、グーさん。
年の暮れですねえ。
喜平小屋谷出合に第3工場、
第3工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の事です。
では喜平小屋谷出合にある施設跡は乾溜工場じゃなかったのですか?
出合も左岸の植林にありますよね。
それならば、私の勘違いで、喜平小屋谷二俣下の左岸の跡は確認していません。
春になったら見に行きます。
ある程度強い尾根じゃないと持たないんじゃないですかね。
ここにグーは議論を吹っ掛けたいのです。
道は「強い尾根」ばかりじゃ繋げないですよ。斜面も通らなければ。
議論というのはちょっと違うかなと・・
歴史資料と痕跡をつなげて深く知りたいという事です。
ですので、正解は1つでは無いと思います。
ただ、痕跡でつなげるという作業はかかせませんが・・
本社第1工場と第5工場を瀬戸越の道を使ってわりばしさんならどう繋げますか?
最短コースを考えるでしょ。第4工場と第5工場の間には谷通しの道が残っています。
赤嵓滝をどのように最短コースで迂回するか考えるのが普通だと思いませんか?
理屈はよくわかるんです。
ただ、今のところ九十九折の道が見つかったのでここから積み上げていければという段階です。
とりあえず、この道の意味を知ることが第一かと考えています。
良いお年を。
年の暮れですねえ。
喜平小屋谷出合に第3工場、
第3工場は喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の事です。
では喜平小屋谷出合にある施設跡は乾溜工場じゃなかったのですか?
出合も左岸の植林にありますよね。
それならば、私の勘違いで、喜平小屋谷二俣下の左岸の跡は確認していません。
春になったら見に行きます。
ある程度強い尾根じゃないと持たないんじゃないですかね。
ここにグーは議論を吹っ掛けたいのです。
道は「強い尾根」ばかりじゃ繋げないですよ。斜面も通らなければ。
議論というのはちょっと違うかなと・・
歴史資料と痕跡をつなげて深く知りたいという事です。
ですので、正解は1つでは無いと思います。
ただ、痕跡でつなげるという作業はかかせませんが・・
本社第1工場と第5工場を瀬戸越の道を使ってわりばしさんならどう繋げますか?
最短コースを考えるでしょ。第4工場と第5工場の間には谷通しの道が残っています。
赤嵓滝をどのように最短コースで迂回するか考えるのが普通だと思いませんか?
理屈はよくわかるんです。
ただ、今のところ九十九折の道が見つかったのでここから積み上げていければという段階です。
とりあえず、この道の意味を知ることが第一かと考えています。
良いお年を。
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- 記事: 2227
- 登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
- 連絡する:
Re: 【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
わりばしさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ただ、今のところ九十九折の道が見つかったのでここから積み上げていければという段階です。
とりあえず、この道の意味を知ることが第一かと考えています。
自分の興味の対象を第一に考えることは大事なことです。
ただ、今回のテーマが「赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか」
ですので、このレポの完成度を高める一助にグーはなりたいと思っているのです。
わりばしさんも喜平小屋谷出合の第3工場から谷を遡り、
喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の「第2工場」を見に行かれるのですが、
その時にぜひ「第2工場から第4工場への道」を探索して欲しいです。
前に喜平小屋大滝から赤嵓滝までトラバースして瀬戸越の道を横切った前後に
「これは道型ですよね」とナズナさんと会話した覚えがあります。
グーとナズナさんは赤嵓滝の下を目指してトラバースしましたが、
高度を上げる道型を選んで行けば赤嵓滝の上に出るのではないかと思います。
viewtopic.php?f=4&t=1414
グーは「第2工場から第4工場への道」があると推測しています。
グー(伊勢山上住人)
今年もよろしくお願いします。
ただ、今のところ九十九折の道が見つかったのでここから積み上げていければという段階です。
とりあえず、この道の意味を知ることが第一かと考えています。
自分の興味の対象を第一に考えることは大事なことです。
ただ、今回のテーマが「赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか」
ですので、このレポの完成度を高める一助にグーはなりたいと思っているのです。
わりばしさんも喜平小屋谷出合の第3工場から谷を遡り、
喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の「第2工場」を見に行かれるのですが、
その時にぜひ「第2工場から第4工場への道」を探索して欲しいです。
前に喜平小屋大滝から赤嵓滝までトラバースして瀬戸越の道を横切った前後に
「これは道型ですよね」とナズナさんと会話した覚えがあります。
グーとナズナさんは赤嵓滝の下を目指してトラバースしましたが、
高度を上げる道型を選んで行けば赤嵓滝の上に出るのではないかと思います。
viewtopic.php?f=4&t=1414
グーは「第2工場から第4工場への道」があると推測しています。
グー(伊勢山上住人)
Re: 【台高】赤嵓滝谷乾留工場の人や物資・木材はどこから来たのか
グーさん、あけましておめでとうございます。
わりばしさんも喜平小屋谷出合の第3工場から谷を遡り、
喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の「第2工場」を見に行かれるのですが、
その時にぜひ「第2工場から第4工場への道」を探索して欲しいです。
前に喜平小屋大滝から赤嵓滝までトラバースして瀬戸越の道を横切った前後に
「これは道型ですよね」とナズナさんと会話した覚えがあります。
グーとナズナさんは赤嵓滝の下を目指してトラバースしましたが、
高度を上げる道型を選んで行けば赤嵓滝の上に出るのではないかと思います。
貴重な情報ありがとうございます。
谷のトラバースが落ちていたので、瀬戸越から攻めようと思ってました。
痕跡があるのであれば鬼に金棒ですね。
ただ、今のところ九十九折の道が見つかったのでここから積み上げていければという段階です。
とりあえず、この道の意味を知ることが第一かと考えています。
自分の興味の対象を第一に考えることは大事なことです。
春の探索の中で九十九折の道の意味もわかるといいな思っています。
わりばしさんも喜平小屋谷出合の第3工場から谷を遡り、
喜平小屋谷二俣下の左岸の植林の中の「第2工場」を見に行かれるのですが、
その時にぜひ「第2工場から第4工場への道」を探索して欲しいです。
前に喜平小屋大滝から赤嵓滝までトラバースして瀬戸越の道を横切った前後に
「これは道型ですよね」とナズナさんと会話した覚えがあります。
グーとナズナさんは赤嵓滝の下を目指してトラバースしましたが、
高度を上げる道型を選んで行けば赤嵓滝の上に出るのではないかと思います。
貴重な情報ありがとうございます。
谷のトラバースが落ちていたので、瀬戸越から攻めようと思ってました。
痕跡があるのであれば鬼に金棒ですね。
ただ、今のところ九十九折の道が見つかったのでここから積み上げていければという段階です。
とりあえず、この道の意味を知ることが第一かと考えています。
自分の興味の対象を第一に考えることは大事なことです。
春の探索の中で九十九折の道の意味もわかるといいな思っています。