【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

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わりばし
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登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
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【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2018年11月11日(日)
【山 域】鈴鹿
【コース】ゲート駐車場7:10---7:33毘沙門谷出合------10:00ダイラ13:00---14:00時山文化伝承館---14:55ゲート駐車場
【メンバー】山日和さん、草川さん、中西さん、わりばし(途中から単独)

 時山というと囲炉裏を囲む家族の写真が浮かぶ。囲炉裏の上にもち焼き網、湯飲茶椀を入れた木箱がつるしてあり、炭焼きの村の家族のだんらんの様子が写っている。1500町歩(約1500ヘクタール)の山林にシデ、カシ、カエデなど炭焼きに適した木が多くあり、昔は1年を通して炭を焼いていた。地元の方が五僧のあたりまで焼きに行っていたと言っていたので時山集落が広範囲に炭焼き窯を設置していたことがわかる。

 こうした村の昔の営みを感じられれないいなと時山に向かった。阿蘇谷登山口駐車場で準備していると山日和さん達も到着した。「山登りはこんなにも面白い」の著者の草川さんと中西さんも一緒だ、毘沙門谷を詰めるようなのでご一緒させてもらった。実をいうと谷の出合までの40分の歩きがおっくうで1台車をデポする話に乗った感じだ。私の車で舗装された道を進むとほんの少しでバリケードがあり兔夢号の隣に駐車した。

 林道は高度を上げていくのでおかしいなと思っていたところ山日和さんからストップがかかった。もっと手前で旧道への分岐があるはずだがわからなかった。少し進んだ所にテープがあり植林の尾根を下った。着いたのが毘沙門谷出合で、旧道は使える状態ではなく放置された錆びた車が2台残されていた。地元の人によると数年前までは車で出合まで行けたが、今は使う人もなくほったらかしになっているそうだ。炭窯手前の木道は通れる状態ではなく谷から対岸に渡った。

 出合から左岸に石積みの道があり炭焼窯をつないでいたようだ。炭焼き窯跡がひっきりなしに出てくる。石積み道が右岸に渡ってからも窯をつないでいた道型は残っており、炭焼き人の痕跡を追っているみたいだった。ここの炭焼き窯の特徴は、炭焼き窯の隣に四角い石積みがあることだ。これまで紀伊半島のたくさんの炭窯を見てきたがこんなのははじめてだ、しかもほとんどの場所に四角い石積みがある。何かの小屋跡なのだろうが、確証が持てない。帰りに立ち寄った時山文化伝承館の人に聞いたら、これは炭焼きをする時に食事や寝泊まりをするための小屋跡だそうで、この方も子どものころここで食事をしたりしていたそうだ。年中炭焼きを行う雪深い地域だけに、こうしたしっかりとした小屋が必要だったのだろう。

 この谷は長い分ゆるやかに高度を上げ歩きやすい。炭焼きが長く続いたおかげで自然林につつまれ光が差し込み地形図よりも広い谷のように感じさせてくれる。植林が下りてきている左岸に石積みの広い場所があり、植林小屋があったのかもしれない。渡渉を繰り返すと左岸の支谷にワサビ田が見える。5段程の石垣が谷の横に棚田のように並んでいる。谷から水を引き込んでワサビ田にしたようだが、今は水を引いていないので石垣が積みあがっているだけで、ワサビの痕跡も無かった。残念・・

 稜線が近づくと谷はますます陽の光が差し込み、結局稜線直下まで窯跡が続いていた。尾根に上がった所でkasayaさんと出会い、私以外の人はダイラの頭に向かった。ここからオフ会場のダイラに向かって道があったのが気になりコルから下る。毘沙門谷上部の炭窯だと谷を下るより峠を乗越して時山に向かったほうが近いので、昔の杣道なのだろう。最初は急だったが、すぐに歩きやすい傾斜にかわり仕事道として使える感じだった。

 ダイラでは、いつもながらの個性豊かな面々と会えて楽しかった。実はここ2年程オフ会に参加出来ずにいたのだ。

 帰りは阿蘇谷を下る。ここから登ってきた人も多く、帰りは一人だった。テープもあり迷うことはない。巡視路として使われているようで小尾根を越すようにつけられたりしているが、こんな所は谷沿いを下った。登山道を外れた所に滝上のしっかりした窯跡や湯飲みなどの生活痕が残っているのがおもしろい。再び巡視路に合流するとワサビ田跡の石垣が見える。

 朽ちた炭焼き窯のようなものが残っている。現役でも無さそうだし、不思議な感じがする。伝承館の人に写真を見せて確認すると焼場だそうだ。最初「このあたりは蒸し焼きにする。」という言葉を聞いてピンとこなかった。土に棺桶が入る穴を掘り、一番下に炭を並べその上に棺桶、棺桶の周りにワラを詰め、最後にゴザを水でベタベタにして穴をふさいで火をつける。濡れたゴザでおおうから蒸し焼きと言うようだ。炭焼きのように密閉して火力が逃げないので一晩できれいに焼けるそうで、炭焼きの村ならではの知恵が活かされている。上石津に焼場が出来たので穴を埋め焼場を潰した残骸が残っていたので中途半端に見えたようだ。

 西尾本の焼場の場所とは違うので、炭焼き窯を転用したみたいだ。左岸の広くなった焼場跡には何もなく、自然石の仏も今は無いそうだ。焼場跡から道は立派な幅の広い石垣道になる。棺桶を担いで歩く道なのでこれぐらいは必要なのだろう。ただ、雪の季節は大変なようで、朝から雪かきをしてから葬列を組んだようで、当時の苦労がしのばれる。

 出合にある墓場をすぎ時山文化伝承館でゆっくりさせてもらってから駐車場に向かった。

添付ファイル
囲炉裏を囲む時山の家族
囲炉裏を囲む時山の家族
時山の炭焼き窯のジオラマ
時山の炭焼き窯のジオラマ
毘沙門谷のワサビ田
毘沙門谷のワサビ田
阿蘇谷の炭焼き窯
阿蘇谷の炭焼き窯
焼場への道
焼場への道
最後に編集したユーザー わりばし [ 2018年11月13日(火) 13:34 ], 累計 1 回
宮指路
記事: 1008
登録日時: 2011年2月27日(日) 21:13

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

投稿記事 by 宮指路 »

わりばしさん、おはようございます。
阿蘇谷登山口駐車場で準備していると山日和さん達も到着した。「山登りはこんなにも面白い」の著者の草川さんと中西さんも一緒だ、毘沙門谷を詰めるようなのでご一緒させてもらった。実をいうと谷の出合までの40分の歩きがおっくうで1台車をデポする話に乗った感じだ。私の車で舗装された道を進むとほんの少しでバリケードがあり兔夢号の隣に駐車した。
中西さんとは昨年の春に蕎麦粒岳に向かう林道で会いましたがその時のレポが本に載っていました。周回するというのでホンマかいなと思っていました。

 
出合から左岸に石積みの道があり炭焼窯をつないでいたようだ。炭焼き窯跡がひっきりなしに出てくる。石積み道が右岸に渡ってからも窯をつないでいた道型は残っており、炭焼き人の痕跡を追っているみたいだった。ここの炭焼き窯の特徴は、炭焼き窯の隣に四角い石積みがあることだ。これまで紀伊半島のたくさんの炭窯を見てきたがこんなのははじめてだ、しかもほとんどの場所に四角い石積みがある。何かの小屋跡なのだろうが、確証が持てない。帰りに立ち寄った時山文化伝承館の人に聞いたら、これは炭焼きをする時に食事や寝泊まりをするための小屋跡だそうで、この方も子どものころここで食事をしたりしていたそうだ。年中炭焼きを行う雪深い地域だけに、こうしたしっかりとした小屋が必要だったのだろう。
いろいろあってオフ会解散が遅くなり、伝承館に立ち寄れませんでした。係りの方から貴重な話を聞けましたね。


 
稜線が近づくと谷はますます陽の光が差し込み、結局稜線直下まで窯跡が続いていた。尾根に上がった所でkasayaさんと出会い、私以外の人はダイラの頭に向かった。ここからオフ会場のダイラに向かって道があったのが気になりコルから下る。毘沙門谷上部の炭窯だと谷を下るより峠を乗越して時山に向かったほうが近いので、昔の杣道なのだろう。最初は急だったが、すぐに歩きやすい傾斜にかわり仕事道として使える感じだった。
ダイラの頭は興味なかったですか?ダイラの頭に立ち寄ってエラク遅れた人も見えました。

 
朽ちた炭焼き窯のようなものが残っている。現役でも無さそうだし、不思議な感じがする。伝承館の人に写真を見せて確認すると焼場だそうだ。最初「このあたりは蒸し焼きにする。」という言葉を聞いてピンとこなかった。
20年くらい前にこの谷を通過したことがありましたが穴に鉄板が敷かれていて異様な雰囲気があり、「焼き場」の看板があったのでやはりそういうことだったのですね。
蒸し焼きにするとはビックリです。昔の人の優れた知恵ですね。

                                              宮指路
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

投稿記事 by わりばし »

こんばんは、宮指路さん。
阿蘇谷登山口駐車場で準備していると山日和さん達も到着した。「山登りはこんなにも面白い」の著者の草川さんと中西さんも一緒だ、毘沙門谷を詰めるようなのでご一緒させてもらった。実をいうと谷の出合までの40分の歩きがおっくうで1台車をデポする話に乗った感じだ。私の車で舗装された道を進むとほんの少しでバリケードがあり兔夢号の隣に駐車した。
中西さんとは昨年の春に蕎麦粒岳に向かう林道で会いましたがその時のレポが本に載っていました。周回するというのでホンマかいなと思っていました。

スノー衆では美濃俣丸に行った時に、中西さんと草川さんと会いました。
私達の逆コースでした。

 
出合から左岸に石積みの道があり炭焼窯をつないでいたようだ。炭焼き窯跡がひっきりなしに出てくる。石積み道が右岸に渡ってからも窯をつないでいた道型は残っており、炭焼き人の痕跡を追っているみたいだった。ここの炭焼き窯の特徴は、炭焼き窯の隣に四角い石積みがあることだ。これまで紀伊半島のたくさんの炭窯を見てきたがこんなのははじめてだ、しかもほとんどの場所に四角い石積みがある。何かの小屋跡なのだろうが、確証が持てない。帰りに立ち寄った時山文化伝承館の人に聞いたら、これは炭焼きをする時に食事や寝泊まりをするための小屋跡だそうで、この方も子どものころここで食事をしたりしていたそうだ。年中炭焼きを行う雪深い地域だけに、こうしたしっかりとした小屋が必要だったのだろう。
いろいろあってオフ会解散が遅くなり、伝承館に立ち寄れませんでした。係りの方から貴重な話を聞けましたね。

私が出発した後にマリベさん達が来たみたいですね。
マリベさんも良い肝っ玉母ちゃんですね。
伝承館では貴重な話をたくさん聞けて良かったです。

小屋のあった四角い石積み
小屋のあった四角い石積み
 
稜線が近づくと谷はますます陽の光が差し込み、結局稜線直下まで窯跡が続いていた。尾根に上がった所でkasayaさんと出会い、私以外の人はダイラの頭に向かった。ここからオフ会場のダイラに向かって道があったのが気になりコルから下る。毘沙門谷上部の炭窯だと谷を下るより峠を乗越して時山に向かったほうが近いので、昔の杣道なのだろう。最初は急だったが、すぐに歩きやすい傾斜にかわり仕事道として使える感じだった。
ダイラの頭は興味なかったですか?ダイラの頭に立ち寄ってエラク遅れた人も見えました。

ダイラの頭より峠を乗越す廃道の方に興味があっただけです。 :mrgreen:

植林小屋跡?
植林小屋跡?
 
朽ちた炭焼き窯のようなものが残っている。現役でも無さそうだし、不思議な感じがする。伝承館の人に写真を見せて確認すると焼場だそうだ。最初「このあたりは蒸し焼きにする。」という言葉を聞いてピンとこなかった。
20年くらい前にこの谷を通過したことがありましたが穴に鉄板が敷かれていて異様な雰囲気があり、「焼き場」の看板があったのでやはりそういうことだったのですね。
蒸し焼きにするとはビックリです。昔の人の優れた知恵ですね。

その頃なら現役で焼場が使われていたころですね。
平地の少ない山村だけに昔から土葬ではなく火葬をしていたんだな。

      
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山日和
記事: 3573
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

投稿記事 by 山日和 »

わりばしさん、こんばんは。日曜はお疲れさまでした。

阿蘇谷登山口駐車場で準備していると山日和さん達も到着した。「山登りはこんなにも面白い」の著者の草川さんと中西さんも一緒だ、毘沙門谷を詰めるようなのでご一緒させてもらった。実をいうと谷の出合までの40分の歩きがおっくうで1台車をデポする話に乗った感じだ。私の車で舗装された道を進むとほんの少しでバリケードがあり兔夢号の隣に駐車した。

ほとんどデポ効果がなかったですね。片道15分ぐらいの短縮か。
帰りは別行動でしたが、車まで歩いたんですか?

林道は高度を上げていくのでおかしいなと思っていたところ山日和さんからストップがかかった。もっと手前で旧道への分岐があるはずだがわからなかった。少し進んだ所にテープがあり植林の尾根を下った。

あれは不覚でした。何度も通っているのに道の存在に気が付かないなんて・・・
あのテープは林業用のものだと思いましたが。
IMG_4255_1_1.JPG
出合から左岸に石積みの道があり炭焼窯をつないでいたようだ。炭焼き窯跡がひっきりなしに出てくる。石積み道が右岸に渡ってからも窯をつないでいた道型は残っており、炭焼き人の痕跡を追っているみたいだった。ここの炭焼き窯の特徴は、炭焼き窯の隣に四角い石積みがあることだ。

ホントに炭焼窯跡だらけの谷でしたね。窯の横の石組みは単にW窯だと思っていましたが違ったんですね。

帰りに立ち寄った時山文化伝承館の人に聞いたら、これは炭焼きをする時に食事や寝泊まりをするための小屋跡だそうで、この方も子どものころここで食事をしたりしていたそうだ。

そういうことでしたか。またひとつ賢くなりました。

渡渉を繰り返すと左岸の支谷にワサビ田が見える。5段程の石垣が谷の横に棚田のように並んでいる。谷から水を引き込んでワサビ田にしたようだが、今は水を引いていないので石垣が積みあがっているだけで、ワサビの痕跡も無かった。残念・・

あの山中の谷間にあれだけの石垣を積むのは大変だったでしょうね。穴太衆でも連れて来たかな?
IMG_4284_1.JPG
ここからオフ会場のダイラに向かって道があったのが気になりコルから下る。毘沙門谷上部の炭窯だと谷を下るより峠を乗越して時山に向かったほうが近いので、昔の杣道なのだろう。最初は急だったが、すぐに歩きやすい傾斜にかわり仕事道として使える感じだった。

尾根に乗ったところから少し下ぐらいですか?

ダイラでは、いつもながらの個性豊かな面々と会えて楽しかった。実はここ2年程オフ会に参加出来ずにいたのだ。

わりばしさん、2年もご無沙汰でしたか。スノー衆で会ってるのでそんな気がしませんでしたよ。

帰りは阿蘇谷を下る。ここから登ってきた人も多く、帰りは一人だった。テープもあり迷うことはない。巡視路として使われているようで小尾根を越すようにつけられたりしているが、こんな所は谷沿いを下った。

水害で荒れてから道が付け替えられたところがありますね。
毘沙門谷ほどではないけど阿蘇谷もまあまあ面白いハイキングコースだと思います。私は好きですね。

朽ちた炭焼き窯のようなものが残っている。現役でも無さそうだし、不思議な感じがする。伝承館の人に写真を見せて確認すると焼場だそうだ。

これはどのあたり?

西尾本の焼場の場所とは違うので、炭焼き窯を転用したみたいだ。左岸の広くなった焼場跡には何もなく、自然石の仏も今は無いそうだ。

私が知っていた(そう思っていたのは)谷の右岸側の小広い場所にあった屋根付きの小屋みたいな(記憶が定かでない)ところでした。
6年前に行った時には水害で屋根だけが地面に落ちてるような状態でした。あれとは違うのかな?
2005年
2005年
2012年
2012年
出合にある墓場をすぎ時山文化伝承館でゆっくりさせてもらってから駐車場に向かった。

ここは行ったことないです。わりばしさん好みの施設なんでしょうね。

                山日和
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

投稿記事 by わりばし »

こんばんは、山日和さん。

阿蘇谷登山口駐車場で準備していると山日和さん達も到着した。「山登りはこんなにも面白い」の著者の草川さんと中西さんも一緒だ、毘沙門谷を詰めるようなのでご一緒させてもらった。実をいうと谷の出合までの40分の歩きがおっくうで1台車をデポする話に乗った感じだ。私の車で舗装された道を進むとほんの少しでバリケードがあり兔夢号の隣に駐車した。

ほとんどデポ効果がなかったですね。片道15分ぐらいの短縮か。
帰りは別行動でしたが、車まで歩いたんですか?

近いので歩きました。 :mrgreen:

林道は高度を上げていくのでおかしいなと思っていたところ山日和さんからストップがかかった。もっと手前で旧道への分岐があるはずだがわからなかった。少し進んだ所にテープがあり植林の尾根を下った。

あれは不覚でした。何度も通っているのに道の存在に気が付かないなんて・・・
あのテープは林業用のものだと思いましたが。

植林の尾根だったので、林業関係者もここから下りるんでしょうね。

出合から左岸に石積みの道があり炭焼窯をつないでいたようだ。炭焼き窯跡がひっきりなしに出てくる。石積み道が右岸に渡ってからも窯をつないでいた道型は残っており、炭焼き人の痕跡を追っているみたいだった。ここの炭焼き窯の特徴は、炭焼き窯の隣に四角い石積みがあることだ。

ホントに炭焼窯跡だらけの谷でしたね。窯の横の石組みは単にW窯だと思っていましたが違ったんですね。

珍しいです。わざわざ石垣を組むのは雪深い地域でなおかつ一年中炭を焼くからなんでしょうね。

帰りに立ち寄った時山文化伝承館の人に聞いたら、これは炭焼きをする時に食事や寝泊まりをするための小屋跡だそうで、この方も子どものころここで食事をしたりしていたそうだ。

そういうことでしたか。またひとつ賢くなりました。

地元ならではのいい話が聞けてほっこりしました。

渡渉を繰り返すと左岸の支谷にワサビ田が見える。5段程の石垣が谷の横に棚田のように並んでいる。谷から水を引き込んでワサビ田にしたようだが、今は水を引いていないので石垣が積みあがっているだけで、ワサビの痕跡も無かった。残念・・

あの山中の谷間にあれだけの石垣を積むのは大変だったでしょうね。穴太衆でも連れて来たかな?

山を越えれば石の文化のある近江です。
近江の技術も伝わっていたでしょう。

ここからオフ会場のダイラに向かって道があったのが気になりコルから下る。毘沙門谷上部の炭窯だと谷を下るより峠を乗越して時山に向かったほうが近いので、昔の杣道なのだろう。最初は急だったが、すぐに歩きやすい傾斜にかわり仕事道として使える感じだった。

尾根に乗ったところから少し下ぐらいですか?

いえいえ乗った所からそのまま下りました。


稜線直下
稜線直下

ダイラでは、いつもながらの個性豊かな面々と会えて楽しかった。実はここ2年程オフ会に参加出来ずにいたのだ。

わりばしさん、2年もご無沙汰でしたか。スノー衆で会ってるのでそんな気がしませんでしたよ。

自分でもそんな気がしないのが不思議です。
やはりヤブコギの雰囲気はいいなとあらためて感じました。

帰りは阿蘇谷を下る。ここから登ってきた人も多く、帰りは一人だった。テープもあり迷うことはない。巡視路として使われているようで小尾根を越すようにつけられたりしているが、こんな所は谷沿いを下った。

水害で荒れてから道が付け替えられたところがありますね。
毘沙門谷ほどではないけど阿蘇谷もまあまあ面白いハイキングコースだと思います。私は好きですね。

阿蘇谷の方が滝も多く上ると楽しそうです。

朽ちた炭焼き窯のようなものが残っている。現役でも無さそうだし、不思議な感じがする。伝承館の人に写真を見せて確認すると焼場だそうだ。

これはどのあたり?

少し遠いですが、白倉谷出合の炭窯です。
短期間しか使われていなかったようで、上石津の焼場の計画がすでに進んでいたようです。


焼場跡
焼場跡

西尾本の焼場の場所とは違うので、炭焼き窯を転用したみたいだ。左岸の広くなった焼場跡には何もなく、自然石の仏も今は無いそうだ。

私が知っていた(そう思っていたのは)谷の右岸側の小広い場所にあった屋根付きの小屋みたいな(記憶が定かでない)ところでした。
6年前に行った時には水害で屋根だけが地面に落ちてるような状態でした。あれとは違うのかな?

西尾本には左岸にあります。
たぶん水害等の状況により焼場は何度か移っているようですね。
土地の少ない山村にとっては生活必需施設です。

出合にある墓場をすぎ時山文化伝承館でゆっくりさせてもらってから駐車場に向かった。

ここは行ったことないです。わりばしさん好みの施設なんでしょうね。

いろいろ聞くと、くわしく教えてくれてありがたかったです。
お茶まで出してくれて、暖かい気持ちになりました。

兔夢
記事: 623
登録日時: 2011年2月24日(木) 23:12

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

投稿記事 by 兔夢 »

わりばしさん、こんばんは。
僕が出発したすぐ後にゲートを出発したんですね。僕は7時ちょい過ぎでした。もう少しゆっくりしていたら一緒に登ってましたね。でも、予想外のゲート閉鎖で気が焦って急ぎ足で出合へ向かってました。

時山というと囲炉裏を囲む家族の写真が浮かぶ。

むむ、渋いところからレポが始まりました。良いなあ。
以下の炭焼の事等、勉強になります。

林道は高度を上げていくのでおかしいなと思っていたところ山日和さんからストップがかかった。もっと手前で旧道への分岐があるはずだがわからなかった。

ここは、わかっていたのでしっかり旧道へ入りました。でも新道で向かって適当なところで旧道に下りた方が良かったかな、とも思いました。

炭窯手前の木道は通れる状態ではなく谷から対岸に渡った。


崩れかけの木橋ですね。10年前は恐るおそる渡りました。今は渡れませんね。

ここの炭焼き窯の特徴は、炭焼き窯の隣に四角い石積みがあることだ。

あまり違和感を持たなかったのは奥美濃でも四角いのを見かけるからかな。炭にする木を貯蔵しているところだと思ってました。

渡渉を繰り返すと左岸の支谷にワサビ田が見える。

石組みは確認しましたが土砂除けの小さな堰堤だと思ってました :lol:

帰りは阿蘇谷を下る。

阿蘇谷は荒れている、というイメージしかなかったんですが下ってみても良かったかな。

炭焼きのように密閉して火力が逃げないので一晩できれいに焼けるそうで、炭焼きの村ならではの知恵が活かされている。

なるほど!

出合にある墓場をすぎ時山文化伝承館でゆっくりさせてもらってから駐車場に向かった。

こういうところへ立ち寄れば山への興味が更に高まるのかもしれませんね。参考にします。

           沢ノ又、大平管理者 兔夢
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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】炭焼きの里時山をめぐる旅 毘沙門谷・阿蘇谷(ダイラ)

投稿記事 by わりばし »

こんばんは、兔夢さん。

僕が出発したすぐ後にゲートを出発したんですね。僕は7時ちょい過ぎでした。もう少しゆっくりしていたら一緒に登ってましたね。でも、予想外のゲート閉鎖で気が焦って急ぎ足で出合へ向かってました。

私と草川さんの車の前を兔夢号が通過していきました。

時山というと囲炉裏を囲む家族の写真が浮かぶ。

むむ、渋いところからレポが始まりました。良いなあ。
以下の炭焼の事等、勉強になります。

いい写真でしょ。
この当時は農協が定価で買い上げていて炭だけでそれなりに生活できたようです。

林道は高度を上げていくのでおかしいなと思っていたところ山日和さんからストップがかかった。もっと手前で旧道への分岐があるはずだがわからなかった。

ここは、わかっていたのでしっかり旧道へ入りました。でも新道で向かって適当なところで旧道に下りた方が良かったかな、とも思いました。

ここ気づかなかったんです。 :mrgreen:

炭窯手前の木道は通れる状態ではなく谷から対岸に渡った。


崩れかけの木橋ですね。10年前は恐るおそる渡りました。今は渡れませんね。

この毘沙門谷から私が歩いたルートで阿蘇谷に抜けるルートが130年前の明治21年の地図に載っています。
当時は炭焼きの杣道として多くの人たちが使ったのでしょう。
この年は香川県が愛媛県から独立したり、東京朝日新聞が創刊された年です。

ここの炭焼き窯の特徴は、炭焼き窯の隣に四角い石積みがあることだ。

あまり違和感を持たなかったのは奥美濃でも四角いのを見かけるからかな。炭にする木を貯蔵しているところだと思ってました。

紀伊半島でも小屋は立てたようですが、わざわざ石垣を積みません。
奥美濃といいやはり雪深い地域の特徴なのかもしれません。


炭焼窯跡
炭焼窯跡

渡渉を繰り返すと左岸の支谷にワサビ田が見える。

石組みは確認しましたが土砂除けの小さな堰堤だと思ってました :lol:

ワサビ田に水を引き込むプラスチックの筒が放置されていました。
周りの風景からすると違和感のある腐らない人工物でした。


帰りは阿蘇谷を下る。

阿蘇谷は荒れている、というイメージしかなかったんですが下ってみても良かったかな。

小滝もありこちらの方が沢遊びにはいいかも。

炭焼きのように密閉して火力が逃げないので一晩できれいに焼けるそうで、炭焼きの村ならではの知恵が活かされている。

なるほど!

すごい知恵でしょ。

焼場手前の橋脚の石積み
焼場手前の橋脚の石積み

出合にある墓場をすぎ時山文化伝承館でゆっくりさせてもらってから駐車場に向かった。

こういうところへ立ち寄れば山への興味が更に高まるのかもしれませんね。参考にします。

地元の貴重な話を聞けたのがよかったです。

沢ノ又、大平管理者 兔夢

兔夢さんの地元でしたね。
失礼しました。 :lol:

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